詩時評

 

詩の現在を読む

 

第四回 「私」について

 

(「樹林」2008年冬号より)

 

山田兼士

 

「私とは誰かQui suis-je?」という問いに憑かれて「私」を追い続ける(原文には「私は誰を追うのか」の意もある)人物を描いたのはアンドレ・ブルトンの「ナジャ」だ。様々なエピソードから成る詩的小説だが、とりわけ「ドゥルイ」すなわち「二人のルイ」の話は面白い。ホテルの一室から外に飛び降りて血まみれになりながらもう一人の自分を追い続ける男のイメージは、滑稽にして凄惨な自己探求のアレゴリーだ。この古くて新しい主題にあえて正面から取り組んだ新詩集が谷川俊太郎『私』(思潮社)である。

 前作『すき』(理論社)と同様、まず表題からして豪速球のストレート。それもど真ん中(これを打ち返すにはイチローなみの打撃が必要)。どの作品もいたって平易な言葉で書かれているのに、いざ何かを書こうとするとなかなか適切な言葉がみつからないのである。せめてバントヒットを狙って攻略を試みることにする。

 詩集は「私」と題した連作八編から始まる。現在の等身大の「私」を主題にした作品群だ。

 

 私は背の低い禿頭の老人です

 もう半世紀以上のあいだ

 名詞や動詞や助詞や形容詞や疑問符など

 言葉どもに揉まれながら暮らしてきました

  から

 どちらかと言うと無言を好みます

 

自己紹介がそのまま詩になるなど、谷川俊太郎以外には考えられないだろう。五行四連からなる本作は「私」の好むものや好まないもの、家庭環境や服装などがそのまま描かれていて、ごく普通の(散文的な)自己紹介である。長い間自己韜晦(と見える多様な書きぶり)を続けてきたそれゆえ「怪人百面相」(北川透)などと呼ばれることもしばしばだった詩人が、ありのままの素顔をさらけ出すことからこの詩集は始まる。

 だが、こうして始まった連作は、第二作においてたちまち「水」へと、また「コトバ」へと拡散してしまう。

 

 電車に揺られているカラダの私が

 ほとんど水でできていることを怖れて

 アタマの私はコトバで自分を支えている

 

様々に姿を変えながら「この星にとどまる」水のように、「コトバ」もまた多様に変化しながら「この星にへばりついている」。一行空白の後に置かれた最終行「この私もまた」の意味は重い。なぜなら、言葉の頭と水の身体でできた「私」は無限級数的に変容を繰り返す存在であることを示しているからだ。

 第三作「『私』に会いに」では「母によって生まれた私」が「言語によって生まれた私」に会いに行く。もちろん、谷川俊太郎はブルトンではないので、「二人のルイ」のような凄惨なドラマは演じない。私は「私」の家を訪ねて一緒にほうじ茶を飲み語り合い「布団を並べて眠りに落ちると」――「私も「私」も〈かがやく宇宙の微塵〉となった」(〈 〉内の言葉は宮澤賢治「農民芸術概論綱要」からの引用)。賢治が宇宙的意志の表象として用いた「宇宙の微塵」をあっさり過去形で断言する手法はいかにも「二十億光年の孤独」の詩人らしい。

 連作全八編を順に見ていく紙幅はないので、この先は割愛していくしかないが、最後の三編には触れないわけにいかないだろう。ここにあるのは現在の谷川俊太郎の新機軸と呼び得る何かであるからだ。第六編「さようなら」は私から私の身体への訣別の辞。肝臓や腎臓や脾臓たちに別れを告げて「魂だけのすっぴん」になった「私」は「君ら抜きの未来は明るい」と言い放ち「迷わずに私を忘れて/泥に溶けよう空に消えよう/言葉なきものたちの仲間になろう」と宣言する。まるで詩的遺言のように。無論、遺言そのものではない。この直後に詩人は改めて「私は詩を書き継ぐしかない」と断言するのだから。

 連作の最後「私は私」で、詩人はついに(またしても?)詩的真実の正体を明らかにする。

 

 忘れられたあとも消え去ることができない

  ので

 私は繰り返される旋律です

 憚りながらあなたの心臓のビートに乗って

 光年のかなたからやって来た

 かすかな波動で粒子です

 

詩人の魂、などと手垢のついた言葉では語れないエネルギーそのもの「宇宙の微塵」としての私=詩は「旋律」と呼ばれ、また「波動」「粒子」と呼ばれることで「不死」の生命を明らかにする。だから、本詩集の巻末が「不死」と題された三部作で閉じられているのは決して偶然ではない。要するにこの詩集は、散文的現実の「私」から始まり詩的真実の「私」を経由して「詩」の不死にまで突き抜けて行く作品群なのだ。

 これに対して、巻末近くに置かれた連作「少年」は、主人公(語り手)が少年の十二編。ここで詩人は完全に少年になり切っている。

 

 音楽がいつまでも終わらないから

 ここにいることが出来ない

 ぼくは星の地平を越えて

 いのちの草むらを歩いてゆく

(「いのちの草むら」冒頭部分)

少年にしか感じられない(はずの)瑞々しい感性、期待、不安、発見、身体感覚。要するに思春期の抒情精神のすべてが一人称で語られているのだ。「私」の連作とは対照的である。さらにもう一つの連作(組詩)は十八歳の時に書かれた詩「午後おそく」を元にした十一編の「変奏」。自らの青年期との対話=コラボレーションだ。以上三つの連作といくつかの新作を集めた一冊は、老人↓青年↓少年↓不死と蛇行を繰り返すことで様々な「年輪」の「私」を多角的に描き出している。日頃から「歴史的というより地理的詩人」を自認する谷川俊太郎が自らの地誌を繰り広げてみせた、という意味で、本詩集は今後のさらに新しい展開を予感させずにいない。

 田中郁子の詩集『ナナカマドの歌』(思潮社)にもまた、夥しく変容する「私」が描かれている。いや、変容というよりむしろ形をもたないというべきかもしれない。表題作は「ススキが銀色になびく季節/わたしはちちやははから生まれたのでした/けれども ちちやはははわたしから生まれたのでした」と、不思議な声調で始められている。父母から生まれた私が父母を生むという不条理は「けれども」の一語であっさり飛び越えられ「ススキの原」の神話的空間を支配する「ナナカマド」の呪術的呼び声=歌に導かれた「わたし」の彷徨を描いていく。穏やかで易しい言葉で書かれた比較的短い詩でありながら、ここに示されているのは深遠かつ広大な始原的生命の寓意なのではないか。

 

ススキの原の空は白い雲と黒い雲があわ

 ただしくからみあって

陣痛を起こしているのでした

ここでちちやはははもう一度あたらしく

 生まれるのです

 

陣痛を起こした雲はあたかも世界創世神話のようなおもむきで命の源泉を指し示している。「にんげんの無数の訣別と約束の日々を/いま きた道を/やすらかに帰っていくのです/これで何度めでしょう/ナナカマドから知らせがきたのは」という末尾には無数の「わたし」が世界中に遍在しているかのような気配が漂っていないだろうか。詩「わたしの知らないわたし」では、こうした気配がもう少し具体的なイメージと感情を伴って歌われている。

 

わたしはほんとうは恐ろしかったのだと

 思う

あるいは

わたしの知らないわたしが人形のような

 目をして

ももいろに燃える夕方をいつまでも見て

 いるのが(末尾部分)

 

分身の不穏さを自覚しながらも「わたし」が見続けている「ももいろに燃える夕方」は不穏さのためになお一層壮絶な美を湛えた何かであるのだろう。

 下村和子『弱さという特性』(土曜美術社出版販売)に描かれる「もうひとりの私」つまり分身は、さらに具体的な他者性を担っているようだ。

 

私はわたしを見たことがない 変化したわたしも知らない 鏡の中のわたしとは違った他者の目に見えるわたしを知らない ときどき人が捨てていく言葉を拾いあげてレゴのように積みあげてみると 私のわたしとは違った女がとぐろを巻いている あれは誰?(「白馬大雪渓」)

 

対自存在である「私」と対他存在としての「わたし」という主題はありがちな構図といえばいえるが、末尾の「レゴ」のイメージは鮮烈だ。無数の「わたし」の集合体が「とぐろを巻いている」姿は恐ろしくもユーモラスでさえある。この詩では前後に置かれた白雪の描写が右引用部分のおぞましさを昇華していることを付け加えておく。この詩人の「私」がもつ本来の健全さは、例えば「私という区間」からうかがうことができる。

 

私の空間を走りきればいい わたしの仕事を受け継いでくれる人は必ずある 次の走者が私を待っている 停まってはいけない バトンを渡すまでは ぞうの歩きでもいい ねずみの走りでもいい 逆戻りはできない駅伝レース(末尾部分)

 

 竹田朔歩『サム・フランシスの恁麼』(書肆山田)にもまた「私とは何か」を求める詩作が随所に見られる。「分身」を意味するドイツ語を表題にもつ作品の冒頭を引用する。

 

合せ鏡に写る

相似した ふたつのひと形が

その狭間から分離するとき

東京ステーションホテル302号室から

ぬけだしたマリオネット

降りしきる雨のなかを 一目散に遁げて

 いく (「Doppelgänger」冒頭)

 

まるで現代の迷宮のようなホテルから脱出する分身が「マリオネット」であることが、この詩にある種のかろみを与えているように読まれる。詩集表題の「恁麼」とは「このように。このような」のこと、と「あとがき」にあるが、この詩人にとって「私」もまた「私のような」存在であるのだろう。一義的に固定されない複数のあるいは無数の「私」を意識した書き方と思われる。

        

「私とは何か」をテーマあるいはモチーフにした作品を数少なからぬ詩誌の中からも探してみたのだが、これが意外と少ないことが分った。そういえば詩集にしても、ここまで挙げてきた四冊以外には今回特に際立った「私」詩は見当たらなかったし、この四冊についても谷川俊太郎詩集を除いては、詩集全体がとりたてて「私」を中心主題にしているとは言い難い。ということは。現代詩における「私」離れ? まさか。直接間接を問わず、自己探求とは詩の最も古くて新しい普遍的命題ではなかったのか。

 そんな中にあって、どちらかというと女性の書く作品の中に「私探し」詩編が比較的多く見られることに気づいた。例えば、永井章子「目がまわる」「楽市」第61号)の冒頭を見てみよう。

 

主語を 私にして

しばらく歩いていくと

いつも道は行き止まりになる

そろそろ

私 以外の主語を

と思いながら

ほっておいたが もう

限界がきたのだろうか

私 という文字を見て

うえを見上げると

目がまわるようになった

 

主語を「私にして」歩いている、という設定がまずユニークだが、そろそろ「私」以外の主語を必要とする、という発想が現代詩における「私離れ」を示唆しているとみえなくもない。だが、この詩は「何を主語に・・・/といつまでも決めることができない 私/がいて 又/目がまわる」で終わるのだから、結局「私」から離れられない詩の主体の宿命を描いているのだろう。この眩暈に屈服せずにさらに深く広く「私とは何か」を追究してほしいと思う。

 特に若い世代の女性詩人にとっては、やはり「私とは何か」は切実かつ火急的命題であるのだろう。山田春香「私の居場所」「石の森」第141号)は異国の地(留学先のアメリカ)に到着して間もない頃の心境をストレートに綴った作品。その冒頭。

 

でっかいとこにきてしまった

広い空を仰いで

ちっぽけな私は

でっかくでっかく背伸びした

そしたら

もしかしたら

ほんとにでっかくなれそうな気がした

 

「でっかいところ」と「ちっぽけな私」の対比は一見単純に見えるが、実はそうではない。そもそも場所と存在を対比させること自体が詩的レトリックであって、このレトリックを成立させる主体は一義的な「私」でなく、変幻自在で伸縮自在でもある多義的な「私」でしかあり得ないからだ。後半で二度繰り返される「でも」と同じく二度繰り返される「ただ」に込められた逡巡が、この詩人をより成長させる発条になることを期待したい。

 三角みづ紀「境界線」「詩学」678号)に見る「あやふや」な私もまた、存在の不確かさを不確かなままに詩句に定着しようとする主体の在り方を示唆している。

 

欠落した真夜中、どこまでも

わたしはあやふやだから

自画像を描いた

あやふやな絵になった

でも確かにわたしはここにいて

血液を垂れ流していた(冒頭部分)

 

血を流す生身の存在である「わたし」は「確かに」「ここに」いるのだが、それはどこまでも「あやふや」な存在としてである。この浮遊感を青春に特有の過渡的現象あるいは病理として片づけてしまえないところに、現代人の微妙な心理が潜んでいるとはいえないだろうか。おそらくこの詩人は、「私とは何か」を感覚的に全身で咀嚼し吐き出そうとしている。後半では「わたしはいつか/あやふやな子供を産む/わたしたちは/あまりにもあやふやだから/父親、母親、幼子の区別すら/つかなくなるでしょうよ/その時、君は/泣くのだろうか」と、自他の境界喪失への不安を思考しつつ、末尾の意想外の結末へと展開していく。

 

遠くで朝の音がした

目覚めたらわたしは君だった

ぼやけた輪郭をなぞると

境界線が乱立した

君が少しだけ笑って

わたしはもうにんげんではなかった

 

「境界線が乱立」とは優れて独創的な発想ではないだろうか。喪失ではなく乱立によってこそ「わたし」から「君」への変容が実現するというのだから、ここに描かれているのは多義的な私どころではない、一種の無秩序、いわば「私」のアナキズムである。

 もちろん、こうした無秩序は一過性のものかもしれず(だからこそ「わたしはもうにんげんではなかった」などと断言できるのだが)、だとすれば次にどのような試みが続くかが気になるところだ。実はこの作品は『わたしに関するわたしの考察』との表題で全十二回連載される予定の第二回作品として書かれたもの。掲載誌「詩学」の廃刊(かえすがえすも残念なことだ)によって第三回以後は現在のところ未発表と思われる。なんらかの形で完結させてほしいと願わずにいられない。

        

 二〇〇七年は中原中也生誕百年ということで、各地で様々な催しが行なわれた。筆者自身、神戸で行なわれた公開セミナーにパネリストのひとりとして参加したが(この時の内容はいずれある雑誌に掲載される予定)、中也のファン層の厚さと熱さを実感した。本欄では誌面の都合もあってなかなか詩評論を紹介できないのだが、今回に限っては、生誕百年の白眉と呼ぶべき北川透『中原中也論集成』(思潮社)を無視して終わるわけにいかないだろう。

 とはいえ、過去に刊行した二冊に加えて新たに一冊分の評論を収録した全七五〇頁の大著をここで論じるわけにはいかない。今後中原中也を語る(論じるだけでなく)際に前提とすべき本質的な書物、とだけ紹介した上で、そのほんの一端のみを垣間見るに止めよう。『中原中也の可能性』と題された第一のパートに含まれる「無私の音調 中原中也『山羊の歌』について」の中に次の一節を見つけた。

 

詩を書くことは、中也にとって、もっとも純粋に感じること深い行為であり、それはまた〈私〉に執することが、対他的には〈無私〉とならざるをえない関係を生きることでもあろう。

 

前後の文脈を紹介する余裕がないので各自で確認を願うしかないが、告白の詩人と見られがちな(小林秀雄に代表される中也観だ)中也の本質に「〈無私〉という〈私〉」というコンセプトを打ち出した読解は新鮮にして鮮烈である。感知者としての詩人があらゆるものを感ずるが故に生活者としては死者にも等しい存在とみなされざるを得ない宿命まさに詩人の宿命の解析を〈無私〉と〈私〉の詩的弁証法によって試みた一節、といえばいいだろうか。北川透が引用している中也の初期作品の一節を最後に紹介しておきたい。

 

港の市の秋の日は、

大人しい発狂。

私はその日人生に、

椅子を失くした。

(「港市の秋」第四連)

「椅子を失くした」少年が数十年を経てなお「いのちの草むら」(前掲、谷川俊太郎)を歩き続けている、というのはあまりに主観的なまとめ方だろうか。

 

 

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