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山梨大学山岳会
名称 山梨大学山岳会 やまなしだいがくさんがくかい
設立 昭和24年6月
代表者 高室 陽二郎
会員数 現役 男:16名 女:10名 計:26名
活動内容 ハイキング、縦走、冬山、クライミング等、山に関することすべて
集会日時 現役:毎週水曜日大学部室にてミーティングを開催
OB:毎月1回、理事会を開催
会の紹介
山梨大学山岳部は昭和24年大学創立とともに発足し、工学部・学芸学部、旧制山梨工業専門学校(元山梨高等工業学校)、山梨師範学校、青年師範などの山岳部を一本化し、その後のOBを加えた"会"として出発しました。平成13年現在の会員はOB96名と学生会員15名です。
 年間行動概要は、学生会員の山岳部で行われる、歓迎登山、夏山合宿、縦走登山、冬山合宿等に参加しております。これまでの例をあげると昭和30年1月には、現役学生、OB20名が参加し28日間で厳冬期の南アルプス全山縦走があります。また、中央アルプスの全山縦走、北岳、赤岳の集中登山、穂高などがあります。個人での登山等は、アンデス・ワイナポトシ、カシミール・コラホイ、マッターホルン、モンブラン、カラコルム、ブータンなどがあります。
 また、韓国ソウル大学山岳部と北岳などの交流登山の後、昭和48年4月には12名の会員が友好登山隊として、雪岳山の横断、北漢山などで岩登りなどの交流を行いました。その後、ソウル成均館大学山岳部10名と冬の穂高へ合同登山を行っております。会報は不定期ですが発行され、連絡誌として"BERICHT"と称する冊子が年数回発行されております。
会員募集 来る者拒まず!あなたの入部を待っています。
連絡先 TEL 055-220-8180 (山梨大学教育人間科学部 川隅典雄)
E-Mail yuac@ccn.yamanashi.ac.jp
ホームページ http://shingen.ccn.yamanashi.ac.jp/~yuac/

 

からまつ山岳会
名称 からまつ山岳会  
設立 昭和25年3月
代表者 古屋 学而
会員数男:00名 女:00名 計:40名
活動内容 
集会日時 
会の紹介
 今日のからまつ山岳会は、創立当初からみると数回にわたる変革がありました。
 始めは、日川高校山岳OBが母体で「落葉松山岳会」が発足しました。設立メンバーは、旧制日川中学OBで母校の教師・山岳部の顧問であった古屋眞孝先生、飯島利彦先生、相良新二先生及び岩間昇氏(歯科医)の諸氏が後押しされて第一期生の掛本芳成(初代会長)、堀口章宣、橘田?光、丸山道彦、前田淳、第二期生の藤巻隆基、北村武彦、土屋仁の諸氏が名を連ねております。会報は、「ベルク・カメラード」、昭和24年発行第1号で日川高校山岳部報と協同発行されました。昭和27年に新しく山岳会の会報として「からまつ」第一号が発行され、以降10号まで続いております。当初、南アルプス、八ヶ岳,奥秩父、冬はスキーを中心とした同窓会的な集まりでした。この間、昭和28年7月〜9月大弛小屋管理が前田氏を中心に始まります。
 次に昭和32年1月、永田勉会長で組織の強化が計られております。会員は、新しく推薦制度取り入れて広く募集し、東京支部を置くようになります。登山はより高度な技術を目指し、冬の北岳,八ヶ岳に登り、岩登りや雪上の訓練を重ねます。また、映画と講演会の催し、月報”からまつ”の発行、大弛小屋管理も軌道に乗り、幅広い活動が行われます。 昭和34年には、北村武彦会長が再選されましたが、会の運営に問題点が生じます。まず、特別会計による山岳図書購入の件、岳連理事人選に関する会の対応、大弛小屋焼失誤認事件等に端を発して意見が対立します。同年、11月に4人会(飯島、古屋、岩間、相良)の調停が始まり、昭和36年4月より藤巻派16名、東京支部7名、北村派5名の3分割となります。
 からまつ山岳会はこれより藤巻隆基、掛本芳成会長、古屋学而会長と続き今日に至ります。主な登山は、塩見岳北面の岩稜とルンゼを二冬期、北岳バットレスは三度の合宿を経て38年1月第一、第二、第三、第四の各屋根、中央稜を登ります。また、訪華友好登山隊として(40年1月〜2月)台湾の北部山脈と玉山登山を行っています。
 昭和40年以降は、会員数も増え、毎年夏山の後、”ジャンボリー(からまつ祭)”では、自前の果物等を持ち寄り家族ぐるみで近くの山や川辺で親睦を深めています。昭和60年頃から世代が変わり現役は少なくなりましたが、北アルプス等の屋根歩きを続けています。 
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御坂山岳会
名称 御坂山岳会 みさかさんがくかい
設立 昭和25年4月29日
代表者 桑原 保
会員数男:00名 女:00名 計:48名
活動内容 
集会日時 
会の紹介
当山岳会の発足は、昭和25年4月29日の天皇誕生日に、初代会長の伊藤堅吉・第3代会長の野口明・安藤元雄・馬場金五郎の4氏による、御坂山岳会創立第1回山行が御坂山塊の十二ケ岳、桑留尾のササッパ沢遡行登山によりスタ─トし、この年度において25回の山行を行い、翌26年度において36回、27年度に初総会を開いて役員・会則の制定を行い、公認山岳会の手続きを完了し、会員も百五十名を超え、会報「御坂層」を創刊した。(台字は故中村星湖氏)以後、昭和30年度までに月刊機関誌として毎月発刊され30号を超え、また山行も150回を数えるまでに活発になっていた。
 スタ─ト時の会則によると、本会の目的は「大自然を愛する者によって組織し山岳を各面から観察研究して文化向上に資するを目的とする。」ことであった。その後、山登りがスポ─ツ登山として位置づけられるようになり、「大自然を愛するものに依り構成し、山岳を各方面から観察して会員の知識を高め心身の鍛練と相互の親睦を計り、山岳会の進歩発展を目的とする。」こととなった。
 昭和29年11月に発生した富士山の学生遭難の遺体捜索に参加し、昭和35年11月に再度発生した雪崩遭難の救助活動にも参加、以後冬の富士山における山岳遭難事故に対して積極的な捜索・救助活動を行ってきており、警察官との遭難者救助訓練も実施してきている。
 山登りの特徴として、創成期は富士山周辺の御坂山塊を中心に十二ケ岳や三ッ峠の沢登りや岩壁の登攀が重点的に行われていた。
 その後、昭和31年夏頃から北アルプス方面の山行が行われ、35年頃から南アルプス方面への夏山合宿登山が行われるようになり、40年頃から冬山合宿として南アルプス北部(北岳周辺)更に中部(荒川岳・赤石岳)山域に重点がおかれるようになった。
そして、42年及び46年には夏の南アルプス全山縦走が行われた。
 この間、38年に当会では初めて山口国体に選手参加し、以後選手及び監督として岐阜・埼玉・福井・長崎・岩手・鹿児島・青森・奈良・鳥取・山梨・京都・北海道・福岡・石川・山形・等に参加してきている。
 海外登山としては、45年に台湾山岳会の訪日友好登山隊を富士山及び八ケ岳に案内したことを縁に、訪華友好登山として「雪山」「玉山」への遠征を始めとして、個人でのアフリカのキリマンジャロ、カナダのマッキンレ─、中国のボコダ、ムタ─グ・アタ、ペル─のチョピカルキ、マレ─シアのキナバル、フランスのモンブラン、メンヒ、モンゴルの県山岳連盟中国アムネマチン遠征・等があり、会員の年齢構成としては、20代の新入会員は殆ど見られず、30代以降の中高齢者の団体的組織になりつつある。
近年では、北アルプス方面や山梨百名山の踏破が行われている。
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E-Mail masanori-nkys@mug.biglobe.ne.jp
ホームページ http://www2s.biglobe.ne.jp/~nakayasu/misaka.html

 

増富山岳会
名称 増富山岳会 ますとみさんがくかい
設立 昭和28年4月1日
代表者 有井 雍男
会員数男:00名 女:00名 計:24名
活動内容 
集会日時 
会の紹介
 設立当初は、増富ラジウム狭観光協会内に所属していて、会員も協会会員全員が会員であったが、途中昭和40年に独立して増富山岳会となる。
 地元の山である金峰山、瑞牆山、小川山の登山道整備を夏山のシーズン前に毎年実施しています。
 秩父の山々を開発された木暮理太郎氏の木暮祭が毎年金平で10月第1日曜に行われていますが、会員が参加協力しています。
 会の活動は、会員の全部が観光事業に従事しているため、春と秋の2回の山行を基本としています。
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笛吹山岳会
名称 笛吹山岳会 ふえふきさんがくかい
設立 昭和32年2月2日
代表者 若月 茂一
会員数男:00名 女:00名 計:22名
活動内容 簡単なハイキング程度の山から、やさしい冬山や岩登りまでオールラウンドにこなしている山岳会
集会日時  
会の紹介
笛吹山岳会は、奥秩父の自然を保護し、山を愛する者が集まって結成された地域山岳会です。主な活動の中心は牧丘町と三富村の山域を中心とした奥秩父西部区域です。結成当時には町の観光担当の要望もあり、当会が中心となって「大烏新道」のルート開設をしましたが、当時は杣口集落より林用軌道(トロッコ)であり琴川より直接登るコースでした。町が管理を委託されていた「大弛小屋」の管理に交替で直接従事し、管理人が入ってからは小屋への荷揚げ薪切り等、年間を通じて町に協力してきました。又設立当時より地域研究として、奥秩父の沢、滝、尾根、登山道、動植物の生態等の実地調査を行い、実態を把握する事を目的として順次取り組んできています。若手を中心に、一般登山、富士山での冬山訓練、十二ケ岳での岩登り訓練、東沢での氷壁登攀訓練など基礎的な研修会や、春は南アルプス、夏は北アルプス、秋は奥秩父、冬は八ヶ岳と毎年定期的に合宿や縦走をしてきたのです。地域の警察署の依頼等により遭難救助活動も多く、主として国師岳、奥仙丈岳周辺で、過去杣口林道の未開設時にアプローチの長い入山で積雪に悩まされたのであります。主な事件は、昭和38年5月明治学院大生(女)1名の救助、40年5月国師ケ岳にて2名(男)の遺体収容、40年8月大弛小屋管理人の作業中の事故死による遺体収容、41年1月天狗尾根にて凍傷の高校生救助、同年1月、3日間にわたり都立富士森高校生パーティーの北奥仙丈岳周辺の捜索と救助は深い積雪下困難を極めました。41年4月朝日岳周辺にて駒沢大生(男)1名救助、41年5月大弛周辺にて慶応大生(男)の救助等、この間に西沢渓谷の釜の中よりの遺体収容、東沢にて冬期2件2名の救助活動も行なっています。その後、西沢渓谷の事故が増加して、三富村に救助隊分会が編成されたおかげで、当会の救助活動も特殊な技術を要する事故以外は出動も少なくなりました。
海外登山の取組みは少ないが、昭和55年2月3日から10日第1次中華民国玉山登山、
59年2月8日から15日第2次中華民国玉山登山、63年2月29日から3月5日中華民国大山登山があります。
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