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音楽+α けちつけ帳 (past log 2)

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●チックコリアをブルーノートで聞いた。(2002.11.30.)

●谷山浩子の猫森集会を聞いた。(2002.11.3)

●パット・メセニー・グループのコンサートをNHKホールで聞いてきた。(2002.9.20)

●21世紀音楽の会第二回演奏会を聴いてきた。(2002.9.19)

●2002年芥川作曲賞本選会を聞いてきた。

●イギリスに注文していたholiのCD "under the monkey puzzle tree"が届いた。

●大貫妙子「ツアー2002最終日」をきいた。

●グループNEXT第4回作品展をきいた。

●小林明子 "Beloved" を聴く。

●大分おそくなったがチックコリアのNew TrioのCDを買った。

●Tokyo Zawinul Bach

●小曽根真"Bien Venidos al Mundos"

●「生演奏でなければ音楽ではない」か?

●プラハ弦楽四重奏団日本公演の録音を聴いたのですが

●ドビュッシーの「ピアノ三重奏曲 ト長調」

●ヴァレリー・アファナシエフのリスト作曲「ピアノ・ソナタ ロ短調」

●東京混声合唱団182回定期公演を聴きました。

●演歌、好きです。(すべてとはいいませんが・・・)

●テルミンを演奏、というより練習してみた。

●都響の日本の管弦楽曲コンサート。

●モントルージャズフェスティバルのチックコリア・ニュートリオを聴く。

●坂本龍一・モレレンバウムのコンサートにいってきました。2001.8.30.

●飯島愛さん、それは違うと思うよ。

●もっているキーボード達の話

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●チックコリアをブルーノートで聞いた。
Chick Corea(p), Cristian McBride(b), Ignacio Berroa(ds)

チック・コリアはいつ聞いても安定感があって気持ちいいです。 ベースに関しては、マクブライドさんには悪いけれど、私としてはできればアヴィシャイ・コーエンで聞きたかったな。5曲目に演奏されたLife Line、帰ってから改めてCD(New Trio)で聞いてみると、アヴィシャイの音程の正確さがよくわかります。前半5曲とゲイルのヴォーカル入りで2曲、プラスサービスでスペインをちょこっと。やっぱり2セット入れ替え制だとちょっと物足りない感じです。ゲイルがヴォーカルをとったYou Are Everythingなんかは懐かしい(といってもオリジナルはフローラ・プリムか)けれど、私は結局のところ最初に演奏されたGreen Dolphin Street が一番楽しめました。

●谷山浩子の猫森集会を聞いた。
プログラムBのコンサートでシュール系暗めの曲が多く、これはこれでよかったです。固定ファンも多いらしく、 大変アットホームな雰囲気でした。最後に演奏された「七角錐の少女」がよかったので、それが含まれているアルバム (「漂流教室」)を買ってきました。

●パット・メセニー・グループのコンサートをNHKホールで聞いてきた。
あいかわらず(ホントウに)普段着でステージにのる連中だ。アントニオ・サンチェス(ってギターのメーカーでなかったっけ)の手数の多さには驚きました。Dave Wecklがいい加減手数が多いと思ってたら、3割増量大サービス。リチャード・ボナの多才とクン・ブーの不思議なトランペットが聴けて、3時間半ぶっ続け、一音あたりの単価の安いコンサートだった。(笑)

●21世紀音楽の会の第2回演奏会にいってきた。

2002-9-19 東京芸術大学奏楽堂

植野洋美 DAY IN, DAY OUT II 2Tps., Hn., Tbn., Tub.
法倉雅紀 炎の(かぎろひの) Hp. solo
鍋島佳緒里 時の忘れもの Cl., Cb., Perc., Pf.

糀場富美子 「ぽるとがるぶみ」 Mezzo Sop. Perc.
村木ひろの  3つのエチュード Cl., Vn., Pf.
藤満健   LYRIC DIVERTIMENTO Vn., Cb., Mar., Pf.

私はどうも法倉作品とは相性がわるいらしくて、前回グループNEXT作品展で目をあいて寝てしまったし、今回も同様。微分音を使ったり、いろいろな特殊奏法とか、ハーピストが突然歌い出したり、とても面白いのだが。どうもおおげさな感じがしてしまうのが原因かもしれない。

鍋島作品は大変面白かった。なにか普通の現代音楽(というのも妙な言い方だが)の枠にはまりきらないものを感じた。なにかあまる感じがあり、ぜひもう一度聴いてみたい。

糀場作品は、林望さんの詩による。文学の力はすごいと思う。私は日本語をベルカントで歌う作品は基本的には苦手なのだが、言葉の選び方が平易なこともあり、違和感なく最後まで聴けた。打楽器とあわせるというアイデアも面白い。

村木作品もよかった。最後の藤満作品は私としてはこの晩もっとも楽しめた作品で、おもわず浸りきってしまった。この曲もぜひもう一度聴いてみたいと思う。

●2002年芥川作曲賞本選会を聞いてきた。 最後の品評会まで含めてなかなか面白かった。

ひとついえることは、えらい作曲家の先生方のおっしゃることも、一音楽ファンが感じることも、それほどひどくかけ離れていないな、ということ。第三者としての立場で聞いていると、それぞれ温度差はあるもののお三方(一柳、近藤、西村の3先生方)ともおっしゃることにはそれほど違和感を覚えなかった。

夏田作品は大変面白く聞いたし、いっそポップな感じで一般受けもするだろうと思った。一方、形式感はない。まあ、音の展示だけだとしても音楽として成立するだろうというのが率直な感想。初演も聴いていたので両者の比較もできて面白かった。第一部の表現については初演の方が丁寧で(速度が遅かったこともあり)質感がよく聞き取れたような気がするが、第三部は今回の演奏の方が面白く聞けた。終わって思わず拍手したくなる音楽ではある。一方、近藤先生はこの曲を評価しないということだったが、そんなにクセナキスににてるかなぁ。また、技法だけが先走ってしまった作品とも思わないのだが。

可知作品は、ナレーティブで、やや古い音楽語法を用いながら書かれているというのはまったくそのとおりだと思うが、音楽ファンとして大変楽しめる作品だと思う。たっぷりオーケストラに語ってもらったという充足感がある。

魚路作品は、なにか中途半端な感じはするものの非常な勢いに満ちているという印象。音使いはたしかにつたない、もっと練り上げることができるだろうと私なんぞでも思うが、たしかに新鮮さはあると思う。

●イギリスに注文していたholiのCD "under the monkey puzzle tree"が届いた。

いつも非日本語の歌を聴くときに思うのは「果たしてこの言葉はこういう意味にとっていいのだろうか?」ということ。

そもそもプログレだけでなく、ロックの歌詞は抽象的だったり幻想的だったりして、かならずしもひとつの意味内容を限定的に示していなかったりはするものの、たとえばわれわれが、和製フォークソングを聴くときには当然予想される時代の雰囲気とかそういう周辺事情を暗黙の前提にして聴いているわけで、外国の音楽の場合、基本的な周辺事情のようなものをかなりの部分知らずに聴くことになるし、とんでもない勘違いをしてるのではといつも思う。

偉大なる勘違いをして大感動したとしても、それはそれでいいのかもしれないけれどもね。

under monkey puzzle tree:登ろうとするサルがまるでパズルだとおもうだろうという、変わった形の樹が夜の森の中に立ってるわけですね・・・不思議な雰囲気が伝わってきます。"川が私を" のところのコードがmorphingするところがいい。"パーティーは終わり" 御意(苦笑)

"しかし、私は盲目であった"・・・この一言に尽きる、ということは人生に多いように思いますねぇ(笑)

A Right Place:"正しき場所" というところのコード進行がかっこいい。"正しき場所がなければならない"と思えるということ自身は幸せなのではないかと思いますが、それが「とどまる事は十分に安全でない」と裏側からいわれるとドキリとします。

Five Years: 私の場合10Yearsくらいなんですが・・大阪で一緒にバンドをやったりして一緒に遊んでいたギタリストの友達が、一昨年交通事故でなくなりました。そんなことも思い出しながら聴きました。"たった5年前" というフレーズが切々と響きます。

Meera's Sigh: 急に曲調が日本のポップスを思わせるものになる。歌詞の前半は恋人たちの小さな行き違いを描いているように思えたのですが、後半は象まででてきてすごいことになっていて・・・アラビアンナイトのようなイメージなのかな。

I need you: これは歌詞はちょっとトリッキーだけど、音楽はストレート。セリフの部分が聞き取れない。いろいろな効果音も意味があるのだろうが、わからないな。

Lonely Swan: "すべての汗と汚れと絶望をまとっていてもあなたはいまだにとても美しい" というラインが強力。愛は十分でない、愛は役に立たない、と歌うのも新鮮に響く。

Chandrika:なにか物語が背景にあるのかな。スリランカ民謡調?。変拍子が面白い。最後に残るシンセのフレーズは?でした。

Losin' My Head: "すべての私の言葉にあなたはとても批判的だ" そういうことは あるなぁ。これもコード進行が好き。実に一筋縄でいかない・・・そうくるか!という感じ。

Green & Blue: また最初のテーマに戻ってきた感じです。歌詞がいい。おもわず涙ぐんでしまいそうです。私は全体をとおしてこの曲が一番好きかな。(2002.8.16.)

●大貫妙子「ツアー2002最終日」をきいた。

昔からファンだが、コンサートを聞いたのははじめてだった。あんまり熱心なファンとはいえない。好きなアルバムはAvanture, Romantique, Signifie, ensembleといったところ。和音の使い方が独特なのが好き。また、古いヨーロッパの映画をみるような曲調のものが好き。知っている曲も何曲か演奏されたが、中途半端なファンの私としてはほとんど始めて聞く曲だった。

ステージがすっきりしてる。配線とかぜんぜんごちゃごちゃしてないし、ここはキーボードの場所、ここはギターの場所っていう感じですごく整理整頓されてる。ステージが広く感じられる。音に関しても同様で、非常に見通しのいい音作り。すべての音がきちんとわかれて聞き取れる。ただ、ヴォーカルのクリアさがもうひとつなのが残念。(一番うしろの席だったせいかもしれないが)初めてきく曲だと歌詞が聴き取れない。不満といえばそれだけで、演奏はよかった。

曲作りはもちろんのことだけれども、ヴォーカルがユニークだなぁ。決して「はった」歌い方ではないのだが、低い音から高い音へまったくグリッサンドなしてぽんと跳んだときの感じには抗いがたい魅力がある。

ストレートのロングヘア、大草原の小さな家風(?)ロングスカート、しっかりちょうちん袖つき。(間違っていたら突っ込んでください、ファッションにはうといので)1953年生まれということだから今年で49歳ですか。コシミハルさんも相当すごかったけど、大貫さんもすごいです。(2002.7.12.)

●グループNEXT第4回作品展をきいた。全体として楽しめる演奏会で、演奏のレベルも非常に高かったと思う。

別にこの演奏会に限ったことではないが、芸術作品、とくに音楽という抽象的なものについてなにか感想めいたことをいうのはむずかしい。まず、形容がむずかしい。勢い誰某の作品ににているとか、何々という曲を思い起こさせるとかいうことがあるが、作曲家にしてみれば「そんなものには似ても似つかないじゃないか」ということにもなるだろう。あるいは、「こうした方がよかった」などとといえば傲慢と取られるかもしれないし、「一風変わった作品」といえば、それは聞き手の知識がせまいだけだということになるかもしれない。とにかく何をいってもひっかかるときにはひっかかるものだ。

しかも現代音楽の、初演も多いプログラムとなると、演奏者も聴衆も一発勝負である。ちょっと気がそれた瞬間には音楽は飛び去ってしまっている。初めてきく曲を一度で理解するということが困難な上に、更にそれにコメントするということがどれだけ困難か。

言い方がわるいこともあるかもしれないが、あくまで「これこれと思った聞き手が一人いた」という事実(これは争いようがない)として読んでいただければ幸いだし、もちろん読まなくても結構です。(^^)なお、この演奏会では作品の楽譜を閲覧できるようになっていて、大変よい工夫だと思う。現代のものであっても西欧古典につらなる音楽というものが楽譜を介して成立するものである以上、楽譜は聞き手にとっても大変興味深い。

若林千春 点景I (ソプラノとピアノ)
私は、日本語をベルカントで歌うということ自体が嫌いだが、この曲に関していえばそれほどの違和感がなかった。音の選び方も好き。日本語の響きが美しい。

高橋東悟 たった今そこに  (バイオリン独奏)
3連符の響きが耳に残ってはいるが、あまり強い印象がのこらなかった。前の曲で早くも注意力を使い果たしたせいかもしれない。すみません。

若林千春 原響 II (チェロ独奏)
執拗に同音(d?)が繰り返されるのだが、途中で飽きました。最後の方のハーモニクスのグリッサンドはきいたことがなかったので面白かった。不思議な響き。

篠田 昌伸 Usual Mischief (クラリネット、アルトサクソフォン、バイオリン、ピアノ)
急に編成の大きなものがでてきたので楽しくなった。曲も、耳で聞く限り、持続する拍節(といっていいのか)の上で、展開するポップなもののように聞いた。(あとで譜面をみたらすごく複雑なリズムであることがわかったが)息の音などの特殊奏法も効果的で、不思議な響きが魅力的である。ピアノのクラスターやグリッサンドがよくコントロールされて品のよいものになっている。またききたいと思う。

倉内 直子 Eucalyptus Globulus  (二台のバイオリン)
二台のバイオリンから、まるで弦楽四重奏のような豊かな響きが導き出される。いわれてみれば、ユーカリの強い芳香のイメージも感じられる。後で譜面をみたらかなりの部分で重音が連なっており、むずかしそうだ。最後の方でやや和音ににごりを感じたのだが、意図的なものだろうか。

法倉 雅紀 延喜の祭禮 第4番  (オーボエ独奏)
オーボエに微分音を使うことで、篳篥のように聞こえたりする。長い曲で、奏者が楽譜をとりかえるところが切れ目なのはわかるが、それ以上には構造がつかめない。複雑な楽譜にもかかわらず、とても自由に演奏されているように聞こえる。というのは演奏者が楽譜を十分にこなした上での演奏だからだろうか、それとも楽譜にかかれたことが表現されきっていないのだろうか。判断がつかない。(2002.6.18.)  

小林明子 "Beloved" を聴く。緻密で、繊細で、奇を衒うことなく、静かにしかしはっきりと 主張する音楽。「最上のポップス」という言葉がとても似つかわしい音楽。すみずみまで行き届いた神経・心配り が少しでも多くの人々に理解され、支持されることを願ってやみません。

●大分おそくなったがチックコリアのNew TrioのCDを買った。すべての音が明確な意図をも ち、ひとつとして無駄な音のない正確で美しい音楽。アビシャイ・コー工ンのベースが素晴し い。チックの左手とアヴィシャイのベースがユ二ゾンで鳴るのがとても心地よい。

ただ新味というか、驚きはすくない。聴き手の傲慢といわれるだろうが(注)、正直なところ、だ らだらとさしたる主張もないフレ一ズが続くように感じられるところもある。残念ながらこれから 繰り返し聴くアルバムにはなりそうにない。

(注)談志師匠曰く、「芸人がどんどんいい芸をやると、聞いている方がだんだんずのぼせてき やがって、たいていのことでは感心しなくなってくる。」まったくです。でも、どんな芸でも笑う客 ばかりでもつまらないだろうけど。

●Tokyo Zawinul Bach
Tokyo Zawinul Bachは キーボードの坪ロ昌恭とサックス・CDJの菊地成孔とのユニット。ウ ェザーリポートが再結成してハンコックのロッキット・バンドとジョイントで演奏してるのかと思 いました。(てなことをいうと、激怒するミュージシャンがいるので、感想を口にするのも覚悟が いりますな。坪口さんはこんなところ読んでないだろうし、ユニット名にZawinulとあるから、ウェザーに関しては大丈夫だと思うけど。(ひやひや))アルバムCool Cluster絶賛。とにかく音の見 通しがいい。すべての音がクリアに聞こえる。しゃれています。

●NHK−FMで小曽根真のピアノソロ他を聞く。井上ひさしとの対談と演奏。「面白ゼミナール」という題だが、「面白○○」っていうタイトル、すごく古臭い感じがするのだが、そうでもないですか。(3/2に山形文翔館議場ホールで行われた、「文化おもしろゼミナール・音楽ってすばらしい−井上ひさし&小曽根真」)

この日のピアノ・ソロは大変落ち着いた感じで気持ちよく聴きました。Bien Venidos al Mundosでの右手の音のはずし具合が実に楽しい。ザ・トリオによるアルバム"So Many Colors"の中のこの曲をFMで最初に聞いたときは中間部のベースが気になってしまって。(このファイルの部分。特に5-6小節目とか。ベースがぬけてるのは聞き取れなかったところで、気になるけど聞き取れないという苦悩な状態。メモ代わりなので表情付けとかしてません)

アドリブなので音がぶつかるのかなと思っていたが、放送でピアノソロバージョンを聴いたら、ほぼこのとおりみたい。つまりそういう曲だったのであって、アドリブじゃなかったようです。失礼しました。

要するに、この擬クラッシック風な中間部の始まり部分を聞いて、こちらの耳がクラッシックモードに切り替わるんでしょうね。そうするとこの曲の場合すごく違和感を感じることになってしまうらしい。特にベースが12音にないような間の音とかを使われると。因みに、わたしの場合、耳が予想するのはたとえばこんな音です。これって、「涙のトッカータ」みたいだな(苦笑) (2002年3月21日)
 
●「生演奏でなければ音楽ではない」「CDの音楽はにせものだ」といったたぐいの議論があります。さらに、「MIDIを使って作った(打ち込みの)音楽は音楽でない」といった議論もあります。

ここまで過激にいわれなくても、「やっぱり生がいいよね」といったことは日常よく出てくることで、ホールやPAがよくて、自分の体調がよければクラッシックとジャズ限定なら、わたしも「生が本来だ」と思います。

しかしながら、MIDIを使った音楽を趣味にしているものとしては、「音楽ではない」といわれると、ちょっとひっかかるものがあります。確かにクラッシック音楽の場合など(現代曲の一部を除いて)生楽器で演奏することに決まってるわけですから、アコースティック楽器の生演奏、あるいは(百歩譲って)その録音、が正統であって、打ち込み・電子楽器によるシミュレーションはあくまで代替物に過ぎない、たかがMIDI、されどMIDIというようなことになるのでしょうか。

要するに「音楽とはなにか」という定義の問題に帰着するわけで、それは個々人の考え方ですから、どうこういうことはないんですが、いろいろな方の意見を聞いていると実に多様でありまして、思わず分類してしまったりするわけです。

いろいろな切り口があるので整理してかからないといけないのですが、私が接したなかでは次のような考え方の類型ができると思います。

<リアルタイム性・相互作用の観点から>
(1)聴き手とのリアルタイム的な相互作用がなければ音楽でない、とする立場。
(2)聴き手とのリアルタイム的な相互作用はないけれども、聴衆とのリアルタイム的な相互作用がある演奏を録音したもの、であれば音楽であるとする立場。(ライブ録音ならOKということですね)
(3)演奏者がリアルタイムで演奏したものであれば録音であっても音楽であるとする立場。
(4)リアルタイム性を要求しない立場

<音の種別の観点から>
(4)生楽器の音を直接聞くのでなければ音楽でない、とする立場。
(5)生楽器の音であれば、録音でもよい(音楽である)とする立場。
(6)生楽器の音をシミュレートした電子音によっても音楽であるとする立場。

この分類でいくと、

A.生楽器による生演奏は、すべての立場から音楽であると認められ、
B.ライブ録音であれば、(2)、(3)、(4)あるいは(5)、(6)の立場であれば音楽であると認められ、
C.スタジオ録音であれば(3)、(4)あるいは(5)、(6)の立場であれば音楽であると認められる、
D.MIDIでシミュレートされたオーケストラは(4)かつ(6)の立場でのみ音楽であり、リアルタイム録音のMIDIファイルをアコースティックピアノで再生した場合、(3)の立場であれば(4)−(6)のいずれの立場であるに関わらず音楽である、ということになります。

私の限られた経験からすると、クラッシック音楽ファンには、生演奏の方がいいけれどもといいながら(3)、(5)の立場をとる人が多いように思います。(「やっぱりフルトヴェングラーの・・・」)ジャズの場合は、よりリアルタイム性に重きを置く方が多いのではないでしょうか。もっとも、ジャズでもCD(あるいはレコード)の作品としての価値を認めて、アルバムとしての完成度を追求したものも多いと思いますが。

うーん、これでは打ち込み音楽の立場が弱いなぁ。

奥の手。

<正確性の観点から>
(7)音間違いがあってもかまわない。(音程が狂っていてもかまわない)
(8)ミスタッチくらいならかまわない。(多少フラットするくらいなら)
(9)音間違いも音程の不安定さも許さない。

(9)の立場からはMIDI(打ち込み)は絶対優位だ!(爆)

(2002.3.3.)
 

●演歌、好きです。(すべてとはいいませんが)

夜桜お七とか越冬つばめとかきらいじゃないです。(え、それは演歌じゃないって?)たいていの演歌をそれほど違和感なく聞けるのはなぜかというと、やっぱり日本語の歌として自然に聞けることと、演歌の歌手の人たちってすごく歌がうまいと思うこと、でしょうか。

日本語のオペラって、どうもしっくりこないです。よかったのは、坂本龍一のオペラ1999くらいかな(笑)最近もFM放送でいくつか現代音楽に日本語をのせたオペラをききましたが好きになれません。だいたいがベルカントってイタリア語にファインチューニングされたものなのではないでしょうか。シャンソンの発声なんかぜんぜん違うと思いますし。(2001年11月26日)
 

●東京混声合唱団182回定期公演を聴きました。
 

指揮:田中信昭
曲目

モンテヴェルディ Lasciate mi morire
                Io mi son giovinetta
                Ecco mormorar l'onde

野田暉行    死者の書(1971)

権代敦彦    Agnus Dei/Anus Mundi(改訂初演)

三善晃     2群の合唱団とピアノのための
        <蜜蜂と鯨たちに捧げる譚詩>委嘱初演

権代作品は、私の理解を超えてました(~~;;

田中先生は指揮活動50年記念とのこと。日本の合唱曲というと東混、田中信昭指揮、海外から有名な歌劇団がくると、合唱指揮:田中信昭、という印象があります。野田先生はステージ上で田中先生から、「新作を二十数年まっているが、まだですか。構想20年だからすばらしいものになるでしょうね」と催促をされてお困りのようでした(笑)(2001年12月2日)

●ヴァレリー・アファナシエフのリスト作曲「ピアノ・ソナタ ロ短調」
<日本コロムビア COCQ−83560>

を聴きました。この曲は、というよりリストの純音楽作品ってどうにもなじめなかったのですが、この演奏を聴いて「耳からウロコ」状態でした。
普通30分くらいの曲をえんえん40分かけてやっているのですが、おかげで、曲の細部がよく聞き取れるのですねぇ。個人的にはリストの意図がやっとわかったという気がします。(2001年12月20日)
 

●ドビュッシーの「ピアノ三重奏曲 ト長調」
                 演奏 トリオ・フォントネ
            <TELDEC WPCS−4485>
                             

を聞きました。ドビュッシーらしさはまだまだ出ていない若いときの作品ですが、なかなか愛らしい曲ですね。(2001年12月20日)

●プラハ弦楽四重奏団日本公演の録音を聴いたのですが(2002年1月28日19:20 NHK-FM)で、ドボルザークの途中から聞き始めて、なんかへんだな?とおもっていたのですが、死と乙女がはじまって音程の悪いのが耳につきだしました。耐えられなくなってきたので最後のモーツァルトは聞いていません。チェコの弦楽器の音は独特なのは知っている(子音が強い感じとでもいいましょうか)のですが、それにしてもちょっと・・・

#不調だったのか、それとも私の耳がMIDIの聴きすぎでスポイルされてしまったのか?

(曲目)
「弦楽四重奏曲 ト長調 K.387」    モーツァルト作曲
「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96“アメリカ”」      
                      ドボルザーク作曲
「弦楽四重奏曲 ニ短調 D.810“死と乙女”」     
                      シューベルト作曲
「“弦楽四重奏曲 ニ短調 K.421”から        
          第3楽章“メヌエット”」モーツァルト作曲

                  演奏 プラハ弦楽四重奏団
 徳島県鳴門市・                    
      大塚国際美術館システィーナ・ホールで収録  

●テルミンを演奏、というより練習してみた。あれを演奏するのはバイオリンとか弦楽器をやっていた人が有利だと思う。要するに音の高さを決める原理は弦楽器の左手と同じで、1:1:0.5:1:1:1:0.5という風に区切って手をうごかさなければいけないわけだから。弦楽器の左手と違うのはそれをなにもない空間でしなければいけないこと。せいぜい50cmくらいの間で4オクターブくらいになるから半音が1cmくらいにあたるかな。手の形によっても高さが変わってしまうので結構シビアだ。基本的にスタッカートで跳躍するというのは激難。クララ・ロックモアがラヴェルの「ハバネラ形式の小品」を演奏するのをビデオでみた。すごいと思うがあれが限界だろう。もっと速いスタッカートのパッセージは無理だと思う。たとえばホラスタッカートが演奏できるテルミン奏者とかでてきたらすごいだろうけど。音は昔のラジオのチューニングの時に聞いた「ピューン」という音そのもの。「訪れざりし未来」とはよく言ったもので、レトロな未来ものを連想する。妙につるんとした銀色のボディのロボットとか、流線型のロケットとか。(2001年11月16日)

●都響の日本の管弦楽曲コンサート。なつかしさが先に立って、10月1日の響きの森コンサート(都響・小泉和裕)を聞きにいってきましたのでその感想など。

芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」
50年前に書かれた戦後すぐの黎明期の音楽であって、当時としてはすばらしかったのでしょうけれど、いまコンサートにのせるのはどうかなぁ。

小山清茂「木挽歌」
あまり聴いていないせいか私には新鮮に響きました。

三善 晃「オーケストラのための焉歌『波摘み』」
たっぷりっていう感じでした。堪能いたしました。

武満 徹「ノヴェンバーステップス」
これは残念でした。武満さん独特の和音感が聴き取れない。各楽器がバラバラで、各奏者が自分がどういう役割の音を演奏してるのかわかっていないような感じがしてしまったんですが。

外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」
歴史的には意味のあった曲でしょうが、21世紀になって、そろそろしまい込んだらどうかなぁ。(2001年11月16日)

●モントルージャズフェスティバルのチックコリア・ニュートリオを聴く。(NHKで放送されたもの)第一印象はコリア先生、肥ったなぁ、ということ(笑)ORIGINもいいけれど、シンプルなピアノトリオもそれぞれの音がクリアに聞けるのでうれしい。ベースのアヴィシャイ・コーエンも、ドラムスのジェフ・バラードもすごくユニーク。チック・コリアのピアノのタイミングの正確さにはいつも驚かされる。聴いていると、音と音の間がすごく広くなったように感じる。その広くなった間隔に精密なメジャーが刻まれていて、その上にジャストに音が「はまりこむ」感じ。快感。(2001年11月16日)

●坂本龍一+モレレンバウム夫妻のコンサートにいってきました。ヴォーカル、ピアノ、チェロに一部ギターが加わってアントニオ・カルロス・ジョビンの曲をやるんですが、最初の方はまあ地味でシブくて、これはどうなることかと思いましたよ。後半はリズムのある曲もやって、盛り上がってきてやれやれと思いましたけれども。

最終日だったせいかアンコールは大サービス。一曲やって、これで終わったかと思ったらチェロのソロでもろにコンテンポラリなものが始まり、坂本氏のピアノの内部奏法が加わって現代音楽大会になり、つづいてゼロ・ランドマイン。さらに、モレレンバウム家のお嬢さん(まだ小さい)が登場して一曲。このコンサートは意地でも有名な曲はやらないのかと思ったら、最後の最後にイパネマの娘をやってお開きでした。

キーボードマガジンのインタビューの中で、坂本氏が「ジョビンの曲はとてもよくて、ワンノートサンバなんかもいい曲なんだけど、ジャズでやるとそのよさが生かされない。だからジャズは嫌いなんだ」といった趣旨の発言がありました。確かにいいたいことはよくわかります。スタンダードをジャズの場合、アドリブに都合のいい解釈で演奏したりしますからね。たしかに繊細さに欠ける場合もままあります。
コンサート聞いてて思ったのは、チェロもギターもそれなりにソロ(おそらくはアドリブの)があるのに、ピアノのソロは2回だけ(バラードのテーマ部分とかをピアノだけで演奏する、とかいうのは除くと)、それも申し訳程度のソロで、ワンコーラスまるまるのソロっていうのがありませんでした。ひょっとして教授は「ソロがとれない」のではないか(笑)

とにかくシブいコンサートでした。大テンション大会で、もう当分しゃれたテンションは聞きたくない(爆)(2001年8月30日)

●飯島愛さん、それは違うと思うよ。先日の「ろみひー」で山本リンダがゲストの時に、リンダの古い曲を聴いて、ひろみが「これって、アレンジし直したらかっこいいだろうね」といったら、飯島愛が「アレンジすればなんでもかっこよくなるよ」と言っていた。それはどうかなぁ。もとの曲になにか時代を超えてアピールするものがないと、どうアレンジしても新鮮なものにはならないような気がするけど。(2001年6月23日)

●もっているキーボードたちの話。1987年、アメリカのとある田舎町にやってきて2ヶ月・・音の出るものとしては小さなラジカセしかなく(しょうがないのでショーターのファントムナビゲーターはカセットテープで買いました)、発作的にキーボードがほしくなった私は、町の楽器やさんを回ること3軒(3軒しかないのでした)

PCM音源の出始めのころでした。エンソニックのPCMのやつが3000ドル近くしたような記憶がありますが間違っているかもしれません。最後の店にあったクラビノーバCVP−3・・・自動伴奏なんかはあんまり使わないとは思うけれどウェイティッドキーボードでエレピの音はこいつが一番まとも(後で気がついたのはちょっと減衰が速すぎること)。

値札は2500ドルでしたがこれはいくらなんでもぼったくり。店のおやじに「1500」といったら、だんだん下げてきて結局1900という。じゃあ折り合わないねといって握手して帰ろうとしたら呼び止められて結局1500でゲット。でも、今思うと高かったですね(確かドルが140円くらいだったと思います)。1200でも売ったんじゃないかな。

で、1989年に日本に帰ってくるときもなんか捨てにくく(人に譲るのも気が進まず)そのまま持ってかえってきまして、結局メインキーボードとなっておるわけです。DX−7無印ももってるんですが、これはもう完全に死蔵状態。もうすでにかなり怪しくなってますがシンセ系の打ち込みには使うかなと思って、ついぞつかいませんね。つないでおくと時々思い出したように触ってないのに勝手にG5がポーンってなって鳴りっぱなしになるような状態です。MP3での音楽交換が普通になればまた使うかも。その前に開いておいておく場所がないけど。

#CP−80は実家でお蔵入り・・・もったいないけど、でかすぎてどうしようもない。あとアップライトの電気ピアノと生ピも実家で寝てますな。CP−30(だったかな)は友達に貸したまんまになってるな・・・どうせ使い道ないけど。(2001年6月18日)

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