No.19 Title : 一ノ瀬泰造と母・信子さん


 先日、佐世保の「かき食うカキ祭り」に出かけた。この祭り、驚くほど安価で牡蠣がたっくさん食べられる。1kgが600円で、カラ付きの牡蠣がおおかた20個くらい入手できる。それを海辺のリゾート地の一角で、炭火焼きにして食すという臨場感いっぱいの「冬のお楽しみ」だ。今年で5回目の開催だったらしい(2月19日で会期終了)。私は去年に続き、昨日が2回目のカキ祭り。満足、満足。

 その帰り、無理して武雄(佐賀県)に立ち寄る。「一ノ瀬泰造写真展」を、何としても一度観ておきたかったからだ。武雄温泉駅から徒歩10〜15分ほどのところで開催されていた。
 一ノ瀬泰造は、武雄生まれの報道カメラマン。遺品となったフィルムの写真からすると、戦場カメラマンといったほうが適格かもしれない。1947年生まれ、1973年に消息をたったまま、その数年後に遺体が両親によって確認された。彼の生命の記録は、26歳をもって途絶えている。両親は「絶対に自分の息子は生きている」と信じ、行方を探し続けた。
 外務省からの連絡と共に、息子の代わりに戻ってきた400本以上のフィルム‥‥。息子の足取りを知るため、両親は写真の現像を始める。母親の一ノ瀬信子さんは写真の現像技術を一から身につけ、息子の眼から見たカンボジアやベトナム、アンコールワットなどのキナ臭い日常を、印画紙に焼き付けた。「まさか弾の下をくぐっているなんて思っていなかったのに、本当に弾を撃ち合う中にいたんですねぇ」、と信子さんは何かのインタビューに答えていた。
 生前、彼は「写真好きな息子が帰って来なかったとしても、好きなことに全力を尽くせたと思って悲しまないでください」というようなことを、母に宛てた書簡の中に記していた。母はフィルムを現像し、息子の見た世界を世に出すことで、自らの正気を保ったのではないかと思う。「地雷を踏んだらサヨウナラ」「もうみんな家に帰ろー」「一ノ瀬泰造 戦場より愛をこめて」、これらは両親によって生み出された、息子の本だ。八十代半ばの母は、今も御存命である。26歳の息子は、それ以上、年をとらない。

 先週、先々週とお出かけ続き。次の休みは八女の実家に帰ってこようと思う。父・70歳、母・68歳の春。


のどか/Nodoka(ペンネーム)

福岡県八女市生まれ、福岡市在住。

小学生の頃より作文を得意とし、中学〜高校ではラブレターの代筆を頼まれることが多かった。好きが高じて「もの書き」となる。

「人生は宝さがしだ」がテーマ。30代独身。

*「のどかの間借りコラム」は、毎週火曜日を目標に更新中。

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