その239


病院でのこと

 

 おそるおそる伸ばした手を「もっと強くさわってみて」と掴まれ、左の乳房に持っていかれた。ビクッとするも、引っ込めるわけにはいかない。人差し指、中指、お姉さん指がなにか堅いものに触れた。「これが、癌細胞なの。脇の下からずーっと、左胸全部を切り取るのよ」と。「明日が手術なんです」と。

 入院していた病院で、手術から数日たって‥‥入浴が可能になった2日目のことだった。70歳とは思えない白くふっくらとした豊かなバスト。おっぱいの先は、うっすらピンク色。やわらかくておいしそうなおっぱいなのに‥‥。不覚にもシコリに触れたことがこわかった。「手を洗いたい」と本能的に思うけど、その方の前で手を洗うことなどできなかった。

 

 その方は、私の下腹部に走る真新しい傷跡を見て「よかったわね、子宮が残せて。これから子どもが産めるじゃない。大丈夫よ」と、朗らかに自分のおなかの傷を見せられた。49歳のとき、泣く泣く子宮と卵巣を摘出したのだそう。病院というところは、ヤワな私にはどうにも不似合いな場所である。

 

 新たに移った病室のご婦人は、隣のベッドのおばあちゃんに「退院したらワインでも飲みに行きましょうね」と声をかけられる。「あなたのほうが退院は随分早いんちゃいますか?」の問いに「出てもおそらく、私のほうが先に逝くと思いますわ」と。

 「もしかしたら、この前の左胸のご婦人?」と頭をよぎるも、小耳にはさんだ会話では「直腸癌」を患っておられるとのこと。私の隣のベッドの娘さんは「胃癌」だそうで、最終診察と退院を待つ私に、次の部屋もずっしり重たかった。どうして女たちは、こうも強いのか。治ることのない病を知りながら、声のトーンが気丈に明るい。ここでも私は部外者だ。少なくとも私の体内に宿るエネルギーは、未来と快復にしか向いていない。

 

 退院して思うこと。病院に長居をしてはならない。自分本位な患者たちに染まれない自分は、とても息苦しい。看護師さんたちの穏やかで献身的な姿に、未熟な自分を感じた。ふるさとの両親が病気になったら‥‥ と、そんなことも考えた入院生活である。

 とにもかくにも今は、社会復帰に向けて体力回復に努めねば。太陽のまぶしさと通り雨のにおい。頭はまだ半分クラクラするけれど、娑婆の空気がなんともうれしい。

 


のどか/Nodoka(ペンネーム)
福岡県八女市生まれ、京都市在住。

小学生の頃より作文を得意とし、中学〜高校ではラブレターの代筆を頼まれることが多かった。好きが高じて「もの書き」となる。「道楽は極めてこそ道楽」がテーマ。豆・豆料理探検家。

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