1:10:100の法則            ヤルデア研究所 伊東義高


   かなり昔、ある大企業で改善提案制度を実施していたときのことである。各職場に設けられた提案箱には毎月かなりの量の提案が入れられていた。職場管理者はこれを第一次審査して「良案」を事務局に回すのであるが、この業務量が多く悲鳴を上げる管理者が多かった。これを聞いた社長が「現場管理者は本業にもっと腰を入れなくてはならない。改善提案にくだらないものが多すぎることに問題がある。もっとよく考え、アイデアを練り上げてから提案するようにさせろ」と事務局に命じたという。そのために、全提案に対する採用提案の比率はぐっと向上した。つまり、単なる「思い付き提案」の率が激減した。しかし提案総件数も、採用提案件数も減ってしまい、職場の改善提案制度の熱気も冷めてしまった。これに慌てた社長が元に戻させたけれども、一度地に落ちた凧が再び空に舞い上がるには莫大なエネルギーが必要だったと聞く。

   養殖真珠を開発した三重県の御木本幸吉の言葉に「名案、求むるなかれ」がある。「よい案を考えよう」「よい案でなければだめだ」…と思いつめると、かえって柔軟な発想が圧迫され、伸び伸び思考ができなくなり、結果として「名案」も出難くなるとの意味である。

   企業は合理主義の世界である。つまり、効率主義の世界である。目的というプラス価値の獲得・達成のために手段という必要やむを得ないマイナス価値を支出する。その割合が費用対効果であり、効率である。

   「創造」つまり、新しい価値物を作ること自体が目的ではなく、その創造物である新商品を販売して利益を上げることが目的(そのまた先の目的もあるが、ここでは省略)であるから、なおさらに創造活動(=創造作業?)は効率的であって欲しい、そうあるべきという発想が経営者や管理部門に生じるのは分からないではない。「名案、求むべし」「名案こそが米の飯」…「銭にならない愚案・凡案は極力減らすべし」…は"管理の常道思想"である。「楽しい発想」で愚案・凡案を乱作するなら同好会活動かなにかでやって欲しいというのが本音であろう。

   多い人数の社会の中、長い人類の歴史の中には「一発一中」で名案を得たという話はある。それが滅多にはあり得ない話だからこそ語り継がれる。多くの創造(偶発的創造を除く、目的的創造の場合)では幾つものアイデアを考え、その中から選んだり、組み合わせたりしながらよりよいアイデアに育てるという過程がある。発明王といわれたエジソンですら、白熱電灯一つを発明するのにどれだけ多くの「埋没案・下積み案」があったことか。

   普通の凡人が幾ら一生懸命になったからとて、家庭で、企業での、あるいは社会での問題解決において、そうそう簡単に名案を得る確率は"盲亀の浮木"に比せられるほどに低いものである。

   高いピラミッドを建設するには、先ずその高さに比例した広い底辺・基盤を築かなければならいように、斬新で効果のある「名案」を得るには、先ずその基盤・土壌作りが必要である。愚案は次の愚案を呼び易く、愚案は愚案と結びついて中案となり易い。中案は中案を招き、中案は中案に働いて名案となることがある。

   逆に考えれば、1名案を得るには10中案を産み、10中案を得るには100愚案・凡案を産むことを考えよう…ということである。「1:10:100の法則」とは保証ではなく、期待である。また覚悟である。それが当たり前だという前提である。

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