ふるむーん十五夜日記 (1) ヤルデア研究所 伊東義高
鎌倉時代の紀行文に十六夜日記なるものがある。阿仏尼が亡夫:藤原為家の遺産相続に絡んだ訴訟のために京都より
鎌倉に旅した時のもので、出立事情・道中風物記・鎌倉滞在記の三部から成るもので、贈答歌や訴訟祈願の長歌が織り込まれた文学的
価値の高いものである。出立の日が建治三年十月十六日であったことから「十六夜日記」と名づけられた。
平成時代の紀行文に十五夜日記なるものが出来た。ヤルデアが妻:伊東千鶴子の花博覧会願望に絡まれて千葉より
四国・淡路と旅した時のもので、出立事情・道中風物記・花博観察記の三部から成るもので、百人一首の替え歌や川柳が織り込まれた
独り善がり価値の高いものである。旅の計画がJRのフルムーンパスに沿ったことから「ふるむーん十五夜日記」と名づけられた。
出立事情の章
二月か三月のことか定かではないが、清水市在住の私の弟から電話があった。九十歳になる母の健康があまり優れな
いので、再来年に予定している亡父の三十五回忌を繰り上げて、今年三十三回としてささやかな法事を行ないとの相談があり、四月十
六日(日)に縁の近い親族だけが集まっての追善供養を清水の菩提寺と実家で行なうこととなった。
そのころ、一九九〇年の大阪花の万博につぐ国際園芸・造園博が本年三月十八日から九月十七日まで淡路島において
開催されるの案内がいろいろなメディアで紹介されていたようである。花に無頓着な私は気づかなかったが、家の庭中全てを花壇とし、
屋上・ベランダなども全てプランターで敷き詰めてなお飽き足らない花好きの妻は見逃すはずがない。近所の好事家達とも情報交換、
データ・コピーをし合って熱くなっていた。
日ごろは異質結合的発想をあまりしたことのない妻の大脳はこの時、急速回転をしたようである。「ねえ、清水の法
事に行くついでに、淡路の花博にちょっと行ってみない?」と打診があった。私は講演・研修講師の仕事柄、日本全国歩き回っている
が、妻は結婚以来同窓会関係で仙台旅行をしただけであり、夫婦旅行も三年前の平成九年三月二十三日〜二十五日に新婚旅行と同じコ
ース:奈良・京都巡りの旧婚旅行を一回しただけである。同年齢の夫婦達はよく一緒に旅行をすると聞くたびに身につまされていたと
ころでもあり、即座に「ウイ、マダム」と返事をした。
・久々の 休み長閑(のど)けき 春の日に 浮き浮き心で 旅を企つ
(久方の 光 長閑けき 春の日に 静(しづ)心無く 花の散るらむ)
どのような旅程を計画するかということは、言われなくても私の仕事である。初めは「千葉→清水→淡路→千葉」の
計画であったが、本年三月に仕事のついでに姫路城を久しぶりに見物した際のスナップ写真に妻が興味を示したことと、姫路城脇の牡
丹園が四月には咲くだろうと聞いていたことを思い出して、「姫路経由」の旅行計画を提案したところ、即刻裁決が下り「ついでに、
四国巡りもしてみては?」の追加指示もあった。そして「花博に行ったら何か買うかもしれないから、淡路は最後がいいわね」との条
件付けもあった。
妻方の両親と私の父の菩提を弔う四国遍路であるとの位置づけをして、城や花はついでであるということにした。両
親のお陰で良心はとても穏かになった。
いつも私が仕事で北海道から沖縄まで歩いていると自慢げに言ってはいるものの、実は四国四県と南九州の宮崎・鹿
児島には行ったことがない。四国に行けるとは有り難い。便乗の好機到来とばかりに、さっそく計画拡張作業に取り掛かった。前提条
件から必然的に、四国渡りは岡山経由となる。岡山には後楽園や岡山城がある。姫路城・岡山城…と考えていたら、三月十九日の亡き
義父・義母の法事の際に旅好き・城廻りマニアの義妹:由美子から諸国の名城について吹き込まれ聞き入っていた妻の様子が思い出さ
れ、今回の旅の縦糸に城を織り込むこととした。
愛媛には坊ちゃんの道後温泉の他に松山城がある。土佐の高知にははりまや橋・桂浜と並んで高知城がある。インタ
ーネットで調べたら丸亀城・高松城・徳島城も車窓から展望できそうである。観光行程図と列車時刻ダイアグラムを作成する。四国内
の旅程は組み難い。見たい所は多いのだが、JRのダイア接続が思うに任せないのである。全部で四泊五日の旅となる。旅馴れない妻
同伴であるから、ゆとりと確実性は必要条件である。特急券など抑えておくべきものはしっかり抑えておく必要がある。
さっそく、旅行計画書を持って最寄りのJR都賀駅で相談してみる。「お客さん、これならフルムーンパスのほうが
お得ではないですか?」といわれた。かって高峰三枝子が巨乳を抱えて露天風呂に入っているポスターで売り出したあの「老人向け旅
行割引き」のことらしい。"老人?年寄り?私は未だ若い、まだ六五歳だし、妻も六十歳……。あれ、それほど若くもないのか……"ど
うやらフルムーンパスは夫婦合計年齢が八八歳を超えていればよいとのこと、年齢確認も私の自動車免許証を一瞥するだけのことであ
る。
都合の良いことにフルムーンパスには五日間、八日間、十日間の三種類ある。その期間内ならJR乗りたい放題で、
ほとんどの特急券やグリーン券の代金も含まれる。巧く計画すれば旅の全てをグリーン車で行ける。マージャン好きの妻なら役満の
「オール・グリーン」である。駅窓口で新刊の時刻表と首っ引きで旅程を再編成し、必要な指定券と併せて五日間コースのフルムーン
パスを購入する。八万五百円である。概算費用を二十万円くらいと見込んで、前述の姫路近くでの研修出講料を当てることにして、
銀行で引き出してきたばかりのピン札から払った。
帰宅してから、インターネットを使って、ホテルの選定と予約をした。妻の希望で和風旅館より洋式ホテルを探した
が、魚好きの妻が鯛の生き造りの魅力に妥協して、一つは和風ホテルとした。またレベルも一定水準以上の範囲でバラエティを設けた。
インターネット予約とは便利なご時世である。
旅行馴れしている私の準備はほんのちょっとである。妻のほうは前日の自らが幹事役をした東京でのクラス会を終え
て帰宅してから遅くまでゴソゴソしていた。荷物運搬人としてはいささか気になり、意見具申も考えたが彼女の旅行イメージを尊重す
ることとした。
・フルムーン いつのまにやら 有権者
・この旅は 暇も取り敢えず 手向け旅 花見る順路 神さんのまにまに
(此の度は 幣(ぬさ)も取り敢へず ま手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のま
にまに)