おもなタイトル

6・23 このまま終っちゃうんだよなぁ
6・22 ウリナラの件、少し考えてみた
6・21 妄想の未来
6・19 全く整理がつかない
6・16 明日から韓国です。
6・14 これがアジアなのか?
6・13 Merci Beaucoup, Monsieur Troussier
6・12 とんでもないことが起きてしまった
6・9  何でこんなに見終わって生気が抜けるくらい日本代表を応援するのだろう
6・6  香料の問題だけに、ちょっと嫌な匂いがするよ
6・5  大新聞のW杯コラムは酷い。そしてポルトガルの守備陣も酷い。
6・3  日本の核武装、パキスタンの核武装
6・2  Is Roppongi Burning?
6・1  A Riot of My Own

6・29 会社って誰のもの?

 ちょっと今日はDQNなこと言うかもしれません。

 世の中&僕自身が蹴球に夢中になっている間に、NGOから逃げ回ったカナナスキス・サミットが終わっちまったり、長野の議会では馬鹿げたマツリが始まっちゃったり(いや、単に県議連中、選挙準備万端整いました!ってところなんだろうけどさ、ま康夫ちゃん持ち上げる気も毛頭ないけど)、いろいろ動いてますが、そう言えば株主総会シーズンでもあったのですね。
 最近少しは日曜に開催したりするところもあるそうですが、まあ基本的には集中開催のシャンシャン総会ではあるわけで。

 しかし、基本的に世の中の論調というのは、「株主主権」「株主中心主義」マンセー状態。早く株の持ち合い状態を解消して、株式会社としてとして健全な状態にならなければいけない、と。

 でも、「株主にまず目を向けた経営」って、そんないいことなんですか?いや、理念上、概念上それが筋だというのはわかりますよ。しかし、「コーポレートガバナンスのために、株主の、社会の目に経営をチェックさせることが...」とか大上段に言われると、ホント?って感じなんですけど。
 それってなんか根本的な論理の飛躍がないか?誰か詳しい人教えてよ。コーポレートガバナンスって言うものの中でも、株主による監視、っていうのはごく特殊な一形態でしかないんでないの?

 不況とかそういうのとは別にして、ここ数年日本企業って株価の動向、つまりマーケットの動向に異様に脆弱すぎない?ホントにそれがあるべき姿なの?
 株主の目を入れたコーポレートガバナンスってあんた、よほど特殊な(だいたいは悪意の)場合以外、会社経営の戦略うんたらに関して、いかに経営情報が開示されていたとしても、株主がいろいろ口を出すのって、そんなこと可能なの&そんな推奨すべきことなの?

 いやー、僕はアングロサクソンじゃないからさ、どうしても会社が株主のものって思えないのよ。理念上はわかっててもさ。江戸時代の城詰のお侍さんたちを、会社勤めのアナロジーなんかで語って、「すまじきものは宮仕え」なんて無邪気に共感してたりする日本人の僕としては、さ。やっぱ会社って従業員のもんでしょー、という気がどっかでしちゃう。それに、日本語(江戸言葉?)には「金は出すけど口は出さねぇ」なんて「タニマチ」の美徳もあるしさ!

 この論理で言ったら、国は国債ホルダーのもの、地方自治体は地方債ホルダーのもの、ってことになるが、さすがにそれはないわけだよね。

 んじゃ、会社は結局誰のもの?誰か教えて。




6・27 正気に返ると仕事が、やばい...


 何か、サッカーに疲れた。飽きたんじゃないけど、もうマジで疲れた。
 昨日もあんないい試合なのに、ウトウトしてしまった。罰当たりな...
 ホントは決勝戦、久しぶりに大泉にでも行きたいんだけど、気力があるかなぁ。

 きっとお腹一杯になっちゃったんだろう。
 少し間をおいて、レイソルの試合でものんびり見たい。

 振り返ると...結局この一ヶ月、クリエイティブな仕事はほとんど止まっていたよな気がする。いろんなことで、どうしてもやらなければならないことは、回避されちゃったからなぁ。いや、ホントはあるんだが。




6・25 この件について触れるのは今日が最後(のつもり)


 韓国の「快進撃」との距離のとり方。
 日本人はみんな悩んでいる。

 迅速でしかも質を落とさないコラムが並ぶSports Navi。その中で、韓×西を論じているのは、出村謙知、宇都宮徹壱、川端康生、石川保昌、鈴木克依、梶原弘樹の6氏。

 うち、石川氏は韓国サポを称えながらも、純粋にピッチ上での解説を試みるオーソドックスなスタイル。鈴木さんは、試合の分析よりも、韓国民が自らの代表チームの活躍に自信を漲らせるさまを描く。梶原さんは、「韓国を妬む」自らの感情を素直に吐露しながら、その妬みが純粋なライバル意識でなく「買収問題」などへすり返られてゆくことに警鐘を鳴らすもの。なかなかよい感じ。
 ちょっとヤなのは川端さんで、まずタイトルからして「あなたは日本を愛していますか?」。韓国のサッカーにではなく、群集のナショナリズムに感動し羨望する。このヒト、あまり読んだことないから分らないが、ダブスタ(韓国ナショナリズム=一体感の共有、日本ナショナリズム=危機)をバリバリ使うヒトでなければ、まだマシなのだが。単なる単純なナショナリストだっても、イヤはイヤだが。

 さて、問題は出村さんと宇都宮さん。このヒトたち、完全に真っ向勝負しています。
 恐らく、出村さんは、確実に宇都宮さんの一つ前のコラムとかを念頭に置いて、それを批判するためにわざわざ設けた節さえある。

 宇都宮さんは、スポーツライターという枠を遥かに越えて、僕が最も尊敬するモノカキの一人である。「モノクロームの冒険」という美しいサッカー漫遊記で初めて知り、旧ユーゴ圏サッカー四方山話を書いた「幻のサッカー王国」、フランス98の各国サポーターを取材した「サポーター新世紀」の2冊の著作も、胸を躍らせながら読んだ。まだ読んでいないが、骨子はウェブで読める近著の「ディナモ・フットボール」。ベルリンからトビリシにまで分け入り、裏ぶれたスタジアムで党と国家に翻弄された東欧サッカーに思いを馳せる力作だ。
 そんなわけで、国際感覚(ヨーロッパ列強だけを知っているわけじゃないという意味で)・社会と文化の中で思考する感覚ともに、リスペクトをしてやまない彼が、今回の韓国開催分のW杯を、「ウリナラカップ」として激烈に批判している。勝者に対する謙虚も、敗者に対する礼節もまるでない韓国チームとサポーター。そんな「ウリナラカップ」でなく、私は「ワールドカップ」が見たいのだ、と。そして、いつまでも「共催幻想」に浸る日本のマスコミにも批判の矢を向ける。なぜ、韓国応援を強制されなければならないのか、と。隣国イングランドの活躍を無視/呪詛する誇り高いスコットランド人のように、応援したくないヒトは応援しなくたっていいじゃないか、と。
 で、このコラムが、反韓感情高まるネットの世界では、一番人気。

 対する出村さん。このヒトは、ライターとしてどういう仕事をしてきたのか、寡聞にしてよく知らない。が、パリ在住で取材経験も豊富とのこと、ヨーロッパ的文脈に精通していることは間違いない。
 「韓国の躍進”騒動”を憂う」と題されたコラムでなされる主張はこうである。テジョンのイタリア戦では、イタリア人と一部の日本人サポの「美しくない青色」以外は、他国のサポも含めて赤一色に染まり、勝利の後は前回のフランスの優勝時のシャンゼリゼと異なり、あらゆる外国人が地元のヒトたちと共に韓国の勝利に酔いしれた。世界のテレビ観戦者を俯瞰しても、イタリア人と一部日本人以外の世界は、韓国を声援し、その勝利に歓喜したはずだ。99年のラグビーW杯のとき、イングランド人は宿敵フランスがNZを破った美しい展開を絶賛した。純粋に最高のパフォーマンスを観客は求めるものであり、更に弱者が強者を喰うときのカタルシスも加わり、「宿敵」を応援することができるのがフットボール文化なのである。しかも、日本とスコットランドを比較するのは間違いで、日本は対韓国関係では「強者」「侵略者」の側に当たる。だとすれば、ここでドイツを応援するようじゃ、アジアのサッカーファンとして感受性を欠いている...

 どっちも、それなりに筋は通っている「気がする」。でも、両者ともちょびっとずつ間違っているような気がする。
 宇都宮さんにすれば、日本をスコットランドに喩えるのは確かに間違い。ここの力関係は、やはり重要。しかし間違えちゃいけないのは、サッカーでは長年韓国の方が強かったのも事実なわけで、日本をイングランドに喩えるのもいかがなものか。ちょっと喩える相手のない2国間関係かな、日韓は。

 出村さんのほうは、「各国サポはみな韓国を応援していた」というのはさすがに言いすぎ。僕の<取材>の範囲では、「よくサッカーをわからない」アメリカ人が韓国を応援する姿が目立ったのは事実だが、クロアチア人やメキシコ人(G組2位狙い組)は、自国のユニを着て「静観」しているケースが多かったと思う。また、イタリアのユニを着ている一団の中の西洋人っぽいヒトたちが、イタリア人以外のヒトを含んでいないという保障はない。つか、それ以前に、韓国では、日本と比べて西洋人っぽいヒトの少なさに驚いた。ソウルでも、テジョンでも。日本人はスゲー多かったが。

 とまあ、その上で。どっちが正しいのか。もうそれは個人の好みの気がするが、似たような職業と経験を持つ2人が、こうまで真っ向から対立するのを、ちょっと考えてみると面白いかも。
 取材している場所の違いか?宇都宮さんは東欧圏の「偏狭なナショナリズム」に辟易としているのか? 出村さんは、西欧の「成熟したナショナリズム」ベースで考えているのか? 特に、このヒトの場合ラグビーの方がメインみたいだから、西欧の、しかもミドルクラスのナショナリズムに目を据えて。

つーわけで、今日準決勝です。どういうスタンスで臨んだらいいか、どういう気分になったらいいかは、みなさんそれぞれ考えましょう。とりあえず、これはワラカしてくれました&ちょびっと泣けてきました。少年ジャンプ世代なもので、この泣きの構造には弱いのです。。




6・23 このまま終わっちゃうんだよなぁ


 試しに、この春ぐらいにやたらに売られていた「W杯の展望」的なムック本を読み返してみると、ケッコ笑える。
 ほとんどの本で、ベスト4は、韓国側がイタリアとスペインかポルトガル、日本側がアルゼンチンとフランス。ってどこも残ってないじゃん。(ワラ

 今回はだいたい前評判順にアル・仏・伊・ブラ・西・葡・英・独といったところが8強だったと思う。その「8強」どうしの対決で実現したのは、今のところイングランドがらみの2試合だけ。決勝のドイツ―ブラジルの可能性を考えても、最大3試合である。確かにスター対決といえるカードの少ない「華」のない大会だ。(その中で、イングランドが最も注目されたのは、ベッカム人気だけでなく、唯一スター対決を2度やっているから、というのも大きいだろう)

 このうち、葡→蘭に変えれば、前評判の順位付けはともかく、ほぼそのまま前回フランス大会の「8強」である(つまり、サッカー界の世界的序列って、4年スパンぐらいでは全く変わらないものなのだ)。それと比べると、今回の「華」のなさは対照的で、前回はGL落ちしたのはスペインだけ。「8強」どうしのカードも、アル―英、アル―蘭、ブラ―蘭、仏―伊、そして決勝の仏―ブラと5試合実現している。まあ、確かにグッと華やかである。

 今回のまた凄いところは、「8強」のうち3チームを屠ったのが、全て韓国であるということ。今大会まで1勝もしたことのなかったチーム。確かに、今までのW杯の常識からすると、「ありえない」ことである。500万人街頭応援、自国の出ない試合ではスタンドはガラガラ、みたいな、やはりありえない「ホストぶり」と合わせて、世界の目は当然韓国に極度に懐疑的になる。

 で、ついにFIFAも誤審を認めてしまった。僕はイタリア戦はスタジアム観戦したが、オフサイド見える位置じゃあなかった。スペイン戦は、会議中だったため、Cメールで逐一経過報告を受けているだけだった。だから誤審じゃないかとはっきり言えそうなのはせいぜい、試合の流れとはそうは関係ないトッティの退場だけしかない。

 だから、技術的にどうこうなんてことは言えないが、はっきり言えるのは、W杯がもはや終焉に向かっているということだ。やはり危惧していたとおり、これは「終わりの始まり」だったのだ。

 イタリア・スペインの両FAは、徹底的な強硬姿勢でFIFAを追求するだろう。FIFA側は誤審は認めても、買収疑惑は絶対に否定するだろうが、真実はどうあれ、伊西両国は、FIFAを脱退しても痛くも痒くもないんだから、やるとこまでやるんじゃないか。
 だってこの両国、CLでさんざん潤っているし、ナショナル・チームなら「快適」にできるEUROを頑張ればいいし、FIFAに入ってなきゃできないことなんてない。その上、国民もW杯に期待することが、よそと比べるとグッと少ないからね。(もちろんトヨタカップは論外です...)
 そうゆう意味では、韓国は最悪な相手に勝ってしまったのだ。せめて相手が、イングランドかアルゼンチンなら!

 韓国は韓国で、特に韓国の選手は可哀想である。明らかにいいサッカーを展開しているのに、こんなに懐疑の目で見られてしまうなんて。ジャッジの問題なんて、相当拮抗してないと意味ないようなもので、誤審どうこうって問題になること自体、韓国はイタリアやスペインと互角だったってことなんだけど、誤審なんか公認されちゃうと、そういうポジティブな部分も全部帳消しになっちゃうからね。
 その上、本当にW杯がこれを契機に終焉に向かってしまうとしたら、冗談抜きに韓国は世界を敵に回してしまうだろうよね。

 幸いなことに(=最低限優勝という究極の目立ち方はしないで済むことに)、韓国はドイツ相手には、「何をしても勝つ」って態度ではないはずだ。横浜の決勝戦で負けるなら、ウリナラのテグで3位になって終りたいもんね。準決勝の審判は、主審スイス、副審フランス・チェコ。これでは、それほどのホームタウン・デシジョンは望めないし、仮にドイツが負けても、買収疑惑を膨らませるのは困難だろう。
 あからさまにおかしなゴール取り消しとか退場処分にぶち切れて、試合放棄するオリヴァー・カーンというのも見てみたい気がしたが(w

 ...なんて書いたが、結局はシンプルなこと。
資本にどっぷり絡め取られている、ヨーロッパ中心主義から抜け出せてない、とかいくら批判されても、やっぱ僕はメンディエタ対マルディーニとか、ラウル対カーンとか、死ぬほど見たかったのさ! んで、「世界」の大半も多分そうだったのさ! そうゆうのを見せてくんないなら、W杯なんてなくなっちゃえばいいじゃーん、ってわがままなヨーロッパ人は絶対思っちゃうってことなのさ! あ〜あ〜、う〜う。

 これをヨーロッパで覆す唯一の道は、アン・ジョンファンとハッセルビャンクのコンビが、スタンフォード・ブリッジのゴールネットを30回ぐらい揺らし、車ドゥリがノイビルとの2トップでCLを征しちゃうことだけだぞ。
 ガンガレよ。

 で、も1回イルボン・テーハンミングという文脈に戻ってみて。
 やっぱ日本のメディアも、言うべきことはちゃんと言おうよ。飯島愛だけしか言えてないじゃん。お馬鹿なトッティ・ヲタという絶妙な私的ポジションからの、この発言
 有名なネットサッカー界での「ごたくの鉄人」、ケット・シーさんの掲示板では、「元裸の女王、裸の王様とその民を叱る」となかなかすごいレスのタイトルになっていた。「イロモノ」だからこそ、「ヨゴレ」だからこそ言えること。「河原者」の、「道化(clown)」の真髄を見た。排除と引き換えに得た根源的な「言論の自由」。そして、安全地帯から彼女を排除する民衆は、道化に拍手喝采する。このクニは中世か?




6・22 ウリナラの件、少し考えてみた


 昨日、あのような心境に至ったにもかかわらず、やはり6・17のことを繰り返し反復してしまう。
 目の前で見た韓伊戦は疑いもなく好ゲームで、韓国のパフォーマンスには素晴らしく満足しており、かつ日本の敗戦も十分納得しているもかかわらず、今だに「疑惑の判定」や「韓国の反応」などを論じた掲示板などをチェックしてしまう自分を発見すると、自分の中で事態は既にサッカー的な文脈を離れ、やはり心の底の澱のような感情が疼きだしているのだ、と結論せざるを得ない。

 その問題を考えるに、これは非常によいコラムである。
 日韓両国とも所詮サッカー文化は根付いておらず、欧州・南米並みの目の肥えた(筆者の表現では「サッカーリテラシー」のある)観客がスタジアムを埋め尽くす幸福なW杯を遂行するのは土台無理な話。だとすれば、サッカーが好きなのではなくウリナラが好きな韓国、サッカーが好きなのでなく単に騒げりゃいいやの日本、どっちがマシかという話でしかないというわけである。

 僕自身も、この筆者と同じく、盛り上がれるなら「代表」でも「ベッカム」でも何でもいいや、という日本人の態度の方が、ドイツ対アメリカの準々決勝で空席をたくさん出したり小中学生にタダ券配ったりした挙句に「テーハンミングッ」コールを起こす韓国人の態度よりも、マシだし健全だと思う。また、W杯のようなイベントを迎える上で、ずっと好ましい態度だと思う。
(ちなみに、現在の世界のサッカー界は、W杯を頂点とするネイションという論理と、欧州CLを頂点とする資本の論理とがせめぎあっているわけだが、日本の「ミーハー」は、もちろん資本の論理の方と親和性が高い。このことの問題性は、また改めて論じる必要がある。)

 ロシア戦直前の日記で、「自分のチームをサポートするということの真正性」という問題を書いたが、韓国から帰国した今、その結論を若干修正する必要があるような気がしてきた。あの回では、実存と承認欲求を賭けて「自分が想像的に所属する」チームをサポートすることを肯定的に書き、そうでないチームを応援することを批判的に書いたが、まあ陳腐な表現を使えば、ものには限度とバランスが必要なわけだ。

 現在の立場も、「俺たちのチーム」を実存を賭けて応援することを最大限肯定的に捉えるものではあるが、「本場」にいくら揶揄されようが、「ミーハー」からスタートして、いつの間にか「サッカーリテラシー」を向上させていくことは十分にありうる。「ミーハー」の増殖は、ある文化を成熟させてゆく過程のゲートウェイになりうるわけである。
 ちなみに僕が考えるサッカー文化が成熟した状態とは、リテラシーを高めた結果として「優雅なサッカー」や「絶妙な個人技」を魅せるチームを贔屓にしつつ、「俺たちのチーム」を前にした時にはスイッチを切り替えて、実存を賭けて絶叫する、というようなものである。
 クラブレベルの話になってしまうが、イタリア半島南端のカラブリア州、そのまた南端の小さな町から来た留学生とロンドンで知り合いになったが、彼はセリエCの地元チームを最も実存をかけて応援し、セリエAでは同州にあるレッジーナをなかなかの実存をかけて応援し、しかし優勝争いやヨーロッパ・レベルではプレイスタイルの好きなユヴェントスを贔屓にしていた。イタリアの田舎町のサッカー好きの、標準的なあり方だという。

 ウリナラだけに閉じてゆき、他国のサッカーに「ミーハー」ほどの興味も示さないのであれば、そこにリテラシーを向上させる契機はないし、サッカー文化を成熟させることは難しい。
 掲示板における書き込みによれば、試合前の韓国でのサッカー報道の大半は、「韓国チームが勝てるのか」ということに終始し、相手チームの戦力分析や主力選手のプレイスタイルの解説などはほとんど行われないそうである。僕自身は韓国語が全く出来ないのでそれを確かめることは出来ないが、真実だとすれば、悲しむべきことだと思う。

 こういう彼のクニのサッカー受容態度の批判的な検討は、正直言って共催国の日本がちゃんとしなければいけないことだろうと思う。
 しかし、韓国のナショナリズムを批判することがある種タブー化されている日本のマスコミ、特に「リベラル」とされている側では、こうした言説は決して出てこない。ウェブ・ニュースなどでは、相当出始めてもいるが。(岩崎龍一さんのコラムが出色だった)

 今回のさまざまな件で、サッカーファンの中にかなり嫌韓感情が芽生えた向きも多いと思う。サッカーファンとしての韓国のW杯運営のありかたへのリーズナブルな批判的感情(例えば、こっちは会社休んでまで電話しても、どんな屑みたいな試合も取れなかったのに、お前の国ではがら空きかよーみたいな)が、6・17の日韓両国の結果という触媒を経ることで、サッカー的文脈を超えた嫌悪のサイクルと結びつく。
 しかも、マスコミでは真っ当な批判さえなされずに、「韓国を応援しましょう」ムード一色だから、その鬱屈した気持ちはますます抑圧され沈殿して、ネット上の掲示板での書き込みとして吐き散らかされ、増幅しあう。そんなことが実際に起こっていると思う。

 例えば、2chの書き込み一つ見ても、ハングル版などに見られるいわゆる「嫌韓厨」のような煽りだけではなく、十分理性のありそうな筆者による「今まで結構好感持っていたけど、W杯を契機に韓国が嫌いになったよ」というような書き込みが多いのは、余計に気になる。こんな2chとしては極めてマトモなスレも立っているし。かなりのサッカーリテラシーがあるからこその、こういう泣かせるスレッドもあるし。

 こういう層を、「嫌韓厨」へと追いやらないためにも、共催国である日本のマスコミが、オーヴァー・グラウンドな言説の中で、言うべきことはちゃんと言っていかなければならないと思う。
 確かに、韓国のナショナリズムとの距離のとり方というのは、日本の知識人にとっては、本当に重い課題であり、一歩間違っておかしな方向に向かうリスクを考えれば口を開きたくないのはよくわかるが、曲がりなりにも「共催」をしてしまった以上、もうタブーでは済まされないと思う。

 十分な自制と自省を踏まえた上での真っ当な批判、これができるかどうかが、「共催」の試金石である。もしそれが出来ないのなら、「共催」はやはり時期尚早であったわけであり、その中で強引に行った「共催」は日本の若い世代に嫌韓感情という厄介なものを残して失敗に終った、と断じざるを得ないだろう。

 ちょっと強い言い方かもしれないが、本来は利害を一致しなければいけない地政学的状況にある両国の溝をまたまた広がりかねない状況に、かなり危機感がある。





6・21 妄想の未来

 トルコ戦について、あまり触れる気にはならない。そもそも、儒城温泉の安モーテルで、映りの悪い韓国語放送で見ていたわけだから、どうこう言えるようなものでもない。

 ただ、選手にもサポーターにも覇気がないのは、当然感じ取ることができた。
 サポーターに関しては、ウルトラスなどのメンバーがチケットを抑えられないので威圧感のある応援の仕方がわからない、というような事情もあるだろうが、もう少し根本的なことだったような気がする。

 その夜、敬愛する数少ないエコノミストの一人である森本卓郎は、Nステで、「雨も降ってたし、宮城のサポーターも選手も監督も、ほどほどでいいやぁ、って感じになっちゃったんですよね」と言っていたらしい。
 なかなか言いえて妙だと思う。

 僕自身も、この結果には当然悔しかったし、そのあとあれを見たこともあって、随分歯ぎしりをしたが、少し落ち着いて考えると、これでよかったんだ、ほどほどでよかったんだとしか思えない。日本でテレビを見ていたならば、2日前にそういう心境になっていただろう。

 ベスト16という数字は、現在の日本のまさに分相応という結果、実力を出し切って十分に頑張った、という結果です。本当によくやったと思う。
 ただ、アルゼンチンとフランスの不覚により、確かにベスト4まで言ってもおかしくない組み合わせが降って沸いてしまった。しかもホーム。この千載一遇の機会を逃せば、ベスト4入りする機会が当分訪れないだろう、というのは事実でしょう。

 しかし、その降って沸いた幸運とめぐり合わせを最大限に生かすことが、必ずしも長い目で見て日本にとって幸運なこととも限らない。
 人間の欲とは深いもので、恐らく今回ベスト8なりベスト16なりになってしまえば、次回以降のW杯でも相応の成績を残すことを、このクニのヒトたちは望むことになるでしょう。この奇跡的な結果は、降って沸いた巡り合わせによるものだ、という事実なんてすっかり忘れて。

 もちろん、そんなことが次回のドイツW杯や、その次の南アだかモロッコだかでのW杯で達成できる可能性は万に一つのようなものです。4年後、あるいは8年後にそんな形で無様に「期待を裏切った」時(正確に言えば、十分な結果を残しているにも拘わらず、期待を裏切ったと認識された時)、いまだ根付いてはいないであろうその時点での日本のサッカー文化は、今度こそ壊滅的な打撃を蒙るのではないか。
 そんな気がするのです。

 大会前に、トルシエが「実力が伴っていない以上、日本は4強に進むべきではない。それはアジアのサッカーの発展には繋がらない」発言をしたのも、そんな意図だろうと思います。ホームでのW杯では、何らかのめぐり合わせでそんなことが現実に起こってしまうかもしれない。しかし、その前借した成功には、蒙るべき反動というのも、ついてきてしまうのです。彼がそういう考え方をしたのだったら、非常に尊敬に値することだと思う。
 だから、トルコ戦も「ほどほど」に戦った。そしてその指揮官の意思を、選手も了解していた。いいチームじゃないですか。更に言えば、その感覚はサポーターにも伝染し、それを許した。いいサポーターじゃないですか(藁。

 隣の国は、そういう考え方ではないようである。現在できることを、最大限追求する。現在が千載一遇のチャンスならば、それになんとしてでも喰らいつく。それはそれで、一つの真っ当な態度である。彼の地の人々は、そういうのを好むわけであるし。安易な言い方はしたくないが、ある種の歴史的に形成された国民性ではあると思う。

 日本は違う道をとった。それでよい。僕もそれを支持するし、多くの日本代表を真に愛する人々も、それを支持するだろう。

 しかも、ヨーロッパ開催という不利を跳ね返す大きな希望がある。
 今のメンバー、どう考えても主力は2006こそがピークではないか。(以下妄想モード)

 そのころ、中田はACミランでルイ・コスタの後釜に納まったりなんかしちゃってるだろうし、小野はかねてより狙われてたドルトムントでロシツキーと美しいコンビを組み、稲本はプレミアリーグの中堅クラブ――そう、わがアストン・ヴィラあたりで−−の中盤に君臨しているだろう。
 前線に目を向ければ、高原はリーガ・エスパニョーラの中堅クラブのスタメンに定着しているだろうし、鈴木はトップリーグではムリだろうが、案外トルコにでも渡って、ベシクタシュかなんかでそのワイルドなプレイに磨きをかけているのではないだろうか。
 宮本・中田浩といったトルシエお気に入りのディフェンダーたちは、マルセイユだかボルドーだかに連れ帰られて進化を遂げているだろうし、森岡はプレミアの下位チームで自分を磨いているだろう。アレックスは故郷に錦を飾り、川口はGKの弱い南欧の小国の名門で、そう、パナシナイコスなんかでアイドルになっているかもしれない。俊ちゃんは...ブランド志向が抜けきれず、アトレチコのBチームで苦闘しているのも、また人生哉。

 国内に目を向ければ、野心の薄い小笠原は鹿島に居残り、やはり内弁慶な柳沢と本山を操ってJリーグ最強の攻撃陣を形成しているだろう。ゴン監督率いる磐田では、神の域に達した名波がタフなチームを維持し、不動のキャプテンとなって久しい明神は、柳相鉄と共に柏を優勝争いの常連にしている。レッズの田中達也は右サイドを、ガンバの新井場は左サイドをそれぞれ切り裂き、欧州の注目を集め始めているだろうし、市原の阿部は代表で稲本を脅かす存在になっていることだろう。
 Jのビッグクラブは、有力選手を売り渡した移籍金で再び潤い、そのお金で途上国の伸び盛りの選手や盛りの過ぎたビッグネームを買ってくるという、世界の中堅リーグとしての地位を確立し、観客動員を着実に盛り返している。横浜の最大の売りは、松田とオノプコという4年前にホームスタジアムで死闘を繰り広げたCBコンビだし、清水では、戸田が奪い市川が持ち込んだボールを、ミヤトビッチが冷静に決めているかもしれない...

 そして、彼らをまとめ上げた日本代表のベンチの中心に座っているのは誰だろう。ブルーノ・メッツ?ピエール・リトバルスキー?念願かなったアーセン・ヴェンゲル?まさかまさかのエメ・ジャッケ?

 何ともワクワクする話ではないか。

 このメンバーでどこまでいけるのか。楽しみはとっておきたいじゃないか。負け惜しみでなく。




6・19 全く整理がつかない

 さて、どこから語ろうか。

 韓国に行ってきたわけです。空港を降りて、のっけからの異常なほどのホスピタリティ(日本語版ガイドブックや薬種のミニボトルをただでくれる)。約束しておいた友人カップルとの楽しい再会。南大門市場のヒトたちもみんな友好的。道に少し迷うと、すかさず誰かが教えてくれる。食べ物も何でも美味しい。
 訪韓は初めてだが、とても好感を持つ。これほどの親切さに遭遇できる旅行先は、そうはない。

 現在のような形で日本と韓国という国が出来てから50年、両国はさまざまな過去と現在の問題を抱えてきた。僕自身はその積み重ねをはっきりとはトレースできないし、第三者的に見ることが出来ない(許されない)が、その間には、日本が無理を言う時期も、韓国が強気に出る時期もあったのだろう。
 しかし現在は、韓国の側がポジティブなサインを送っている。外貨としての日本人を精一杯もてなしているうちに、しばらく経って虚が真になった、単に表面上だけでなく内面的な「対日感情」も次第に自然な形で溶け始めるヒトが出てきた。そんな感じだ。
 本当に浅い、短い韓国の滞在ではあったが、少なくともそんなことは感じられた。

 しかし、フットボールは、さまざまなヒトのもっと底にあるものを、イヤと言うほど呼び覚ます。

 レポートを期待しているヒトがいたら申し訳ないが、僕は昨日の試合の内容については、率直に言って何も覚えていない。リーズで見たときと何ら変わらぬトッティのふてぶてしく強引な切り込み、ヴィエリの体の強さ、要所を締めるブッフォンの的確な判断、左サイドを突破するソル・ギヒョンのスピード...イタリア7、韓国3で、好プレーの断片断片は覚えている。
 しかし、そんなものをいくら積み重ねても、このゲームの報告にはならない。そういう次元で行われていた試合ではないような気がする。

 スタジアムはのっけから凄かった。まずテジョンのスタジアムそのものが、急な傾斜を持つ素晴らしく見やすいサッカー専用スタジアムなので、一糸乱れぬ「テーハンミングッ」の叫びは、ピッチに容赦なく充満する。試合開始前には、AGAIN1966の人文字と見たこともないほど巨大な韓国国旗。
 家族連れが目立つ観客の大半が、サッカーを「分っている」あるいは「好きだ」とは思えない。例えば、いかに熱さでは同じであったとしても、ローマで散々荒れたあと彼らをホームに迎えた因縁試合における、リーズのエランド・ロード・スタジアムでの熱狂と、明らかに何かが違う。
 しかしそれでも、チーム(国)と選手の名前を叫び、愛唱歌(アリラン)を合唱することにかけては、今日のテジョンの観客はどのサポーターにも引けを取らないだろう。
 
 誤解を恐れずに言う。そこで繰り広げられていたのは、良くも悪くも「ウリナラ祭り」だった。
 もちろん、開催国の試合のスタジアムは、どこでも多かれ少なかれ「ウリナラ祭り」になる。韓国に関しても、質的な違いではなくて量的な違いでしかないが、それにしてもその圧倒的なボルテージは、凄まじかった。特に、宮城の氷雨の中で意気消沈した日本のサポを、モーテルの韓国語中継で首をかしげながら見ていた後だから、そう感じざるを得ない。
(この辺、2chのこのスレッドは、なかなかいい議論を展開している。僕自身の感覚は、これに結構近い)

 そして、終盤の、ヒディングの気が狂ったかと思わせる4トップの猛攻。不思議なことに、この滅茶苦茶な戦術の中、韓国は何かに取り憑かれたように、切れた動きを見せる。確かにこの後半35分以降の攻防は、次元の違う凄みに満ちていた。
 そして明らかに劇的な、あまりに劇的な、今時キャプテン翼でも書かないような、同点弾とゴールデン・ゴール。その瞬間、スタジアムをどんな空気が支配したかは、語るまでもない。

 羨ましかった。心底韓国人が羨ましかった。

 そして次の瞬間、ある悪魔的な感情が心の底で頭をもたげた。

 安宿街に向かう日本人サポのほとんども、その悪魔的な感情を共有しているようだった。かなりの頻度で赤いジャージやレッド・デビルズのシャツを着込んでいるにもかかわらず、誰も心からは韓国の勝利を祝福していなかった。みな異口同音に、「日本戦で、お前ら負けろーっていう空気をヒシヒシと感じたよ。一歩でも上行きたいんだよねぇ、ウリナラが。その通りになっちゃったよ。やだねぇ」とゆっていた。(僕自身は日本戦は安ホテルに篭って見てしまったからわからないが、これそれこれを見ても、客観的な事実であったようだ)

 もしかしたら、NHKで観戦していた人のほうが、素直に劇的な試合に血をたぎらせ、韓国を祝福できたかもしれない。しかしあの場で過剰なまでの「ウリナラ祭り」を見せつけられ、そしてその矛先がイタリアと同時に、あるいはその前にイルボンに向かっていると(思い込みも含め)感じてしまったヒトたちには、それが難しかった。

 一晩中幸福な空気が町を包んだ儒城の温泉街の、HARAZUKUというFusion Japaneseを名乗る小奇麗な店で眞露をあおっていると、次々に韓国人のおじさんたちに握手を求められ、僕は自棄っぱち気味に"You did great job"を繰り返した。この田舎町では、もちろんほとんど通じなかったろうが。
 心の底の、澱のような感情を片隅で自覚しながら。

 僕は、80年代前半に遡れるようなサッカーファンではないが、それでも日韓の因縁試合というやつは随分見てきた。僕の心の底の悪魔的な感情も、大半はそのサッカー的文脈の中での、ライバル意識に起因しているだろう。
 しかし、それだけだと強く言い切る自信はない。

 昨日の2試合は、日本のサッカー・ファンの中にさまざまに沈殿していた感情を、サッカーという囲い込まれた文脈を遥かに離れる規模で、呼び覚ましてしまったのだろう。日本に帰ってネットをチェックすると、こういう記事で溢れかえっていた(ちなみに、スタジアムで見ていても、ローマの王子様の退場は全く意味不明だった。延長開始のタイミングでインザーギを出さずに、開催国相手にPK戦を挑むと言う愚かな選択をしたイタリアに対する天罰と言うには、あまりに過酷なものだった)
 韓国人に憎まれているんだという自意識を膨張させ、あそこまで勝負に執着しナショナリズム(のみ)を燃焼させる韓国人を嫌悪する。またまたこの悪いサイクルを、加速してしまったような気がする。

 そしてまた、僕自身もこのサイクルと無縁でないことを改めて痛感してしまった。一般的に言えば、そうフットボールさえなければ、前にも書いたとおり、韓国人のほうがポジティブなサインを送り続けているということが、分っているにもかかわらず。
(改めて断っておくが、外国人労働者の研究なぞをしているからと言って、僕自身がレイシズムと無縁だなどとは、考えたこともない。むしろそういう「人種」を軸にした感情を、僕自身が根深いところで沈殿させていることを自覚しているからこそ、こういう研究が出来るのだと思っている。100%レイシズムやナショナリズムを克服していて、どこをどう探してもそういう感情が見つからないツルツルした「いいコちゃん」には、むしろ人種やエスニシティの研究は向いていないと思う)

 とにかく、この試合を見たことに関する整理は、まだ全くついていない。(本質的にサッカーファンではない)妻の感覚も僕とはまた大分違うし、僕自身の中にもさまざまな感情がまだおもちゃ箱をひっくり返したようにように散らかっている。
 ウリナラとイルボンと言う文脈を離れ、前から書いているような「ワールドカップという形式の終焉」に対する危惧も、ますます強まっているし。

 ゆっくり、向き合っていきたい。研究者として、一個人として。
 とりあえず、今現在はすごいフットボールの試合が見られた、という幸運だけを、しっかりと喜んでおきたい。




6・16 明日から韓国です

 今日は、途中チョコチョコ見てなかったりもしているが、2試合ともナイスゲームでしたね。

 セネガル...本当にイヤな方が残っちゃいましたね。ディウフとかカマラとか、スウェーデンのでっかいディフェンダーを2人ぐらいまではものともしないで個人技だけの突破で交わしてましたよ。昨秋日本は、(中立地でなく)「アウェー」のフランスで0-2でこっぴどくやられていますが、あれ見るとよくそんなもんで済んだな、って感じです。その上、今回、彼らはツキもあるし。ま、こっちもツキとホームの利はあるわけだが...って気が早すぎますね。

 スペインの苦戦は、あれは明らかに采配ミス。スペインって1−0を守りきれるようなチームのはずがないじゃない。しかも相手は「ミラクル」アイルランド。前半は、結局オフサイドになることがほとんどだったが、バラハからのスルーパスをルイス・エンリケとラウルとモーロと3人でダイレクトで回したり、とにかく「らしさ」爆発だったけど、後半と延長は、ねぇ。
 しかしまあ、勝ってよかった。PK戦になったら、スタッフまで含めて大きな輪で肩組んじゃうような、もう泣かせるアイルランドが相手でなければ、もっと素直に喜べていたところだったが。最後のきっカーに選ばれて、きっちり決めるのは、メンタルなら誰にも負けないバスク人のメンディエタ。カッコよいよねぇ。いや、ホント、大好きな選手です。
 ただ気になるのは、その前に外してたヴァレロン。この選手がデポルティボで調子よいとこ、あんまり実際にテレビで見てないので何ともいえないんだけど、間違いなくカマーチョ構想では中核を担わなきゃいけない選手。でも、今大会では、ほとんど試合から消えてるような時間も多いし、ちょっと顔も生気がないし、心配。本当の強豪=イタリアとの勝負には、絶対に必要な戦力なハズなのだが。

 ともう決め付けているが。
 明後日韓国が、どんな形で奮闘し、どんな形で涙をのむのか。生で見てきます。

 それにしても、韓国のナショナリズムとか、今更ながらにすごい。かの国のサッカー文化は本当にどうなっているのだろう。
 だって、ソウル市役所前に50万人とか集まっちゃうんですよ。日本がいくら盛り上がってるったって、それは若者のサブカルチャーの域を出ない。日本に当てはめていえば、甲州街道とか靖国通りとか封鎖した上で、新宿の都庁前とか、それこそ二重橋の玉砂利のとこに、どでかいスクリーンしつらえちゃって、「大衆動員」してるぐらいの感じなわけでしょ。そんなの、ヨーロッパでも聞かないよ。南米ではあるのかなあ。とにかくビビル。

 一方では、パラグアイVSドイツとか言う相当いいマッチになることが期待された試合にも、観客の入りはさっぱりだったし。しかも、6割の入りの大半は日本人のようだったし。興味があるのは結局、ほぼ自国のナショナルチームのみ(のように見える)。いくら、韓国の物価としては高い値段設定とは言え、ねぇ。
 日本から移動して韓国で試合したチーム、例えばドイツとかは、この日韓の温度差は結構応えたらしく、オリヴァー・カーンは「スタジアムの雰囲気が親善試合のようだったので、私も少し弛緩してしまった」と憮然としていた。そりゃあ、そうだろう。イングランドの最大のラッキーな点は、実はF組でずっと日本でやれることだったりして。

 先日のポルトガルの試合といい、なんだかヨーロッパとかでこのW杯を契機に逆に「韓国異質論」が出ないか、他国のことながら心配になるよ。特に今回はいちいち日本と比較されちゃうわけだから。そりゃあ、日本だって全然異質に映ってるんだろうけど、韓国はもう、各方面全然すごいからね。

 んなところを、見てきます。ちょびっと、おっかなびっくり。でも、ワクワク。





6・14 これがアジアなのか?

 日本の勝利。
 案外簡単に熱が冷めてしまった。正直ロシア戦の方が興奮した。
 いや、もちろん嬉しいんだけど、あれだけ勝ち点でアドバンテージあって、やっぱり直線的な突破しかないチュニジアが相手、試合を見ていてもヒヤヒヤする感じとかは無縁のものだった。
 代表戦を疲れず見たのは、親善試合を除けば生まれて初めてかもしれない。

 次は、トルコ。もちろん、「断然の優勝候補」ブラジルとは比べるべくもないが、強いよ。ハカン、アルパイ、エムレ、オカン、リストゥ、にドイツでスカウトしたバストゥルク。名前だけ見れば、断然日本より格上。そう言えば、あんまり出ないけど、レスターの中核、イゼットも代表にいたっけな。こいつレスターではマジー・イゼットで通ってたのに、トルコ代表に選ばれた瞬間にムスタファ・イゼットと名乗りだして、おかしかった覚えがある。

 しかし、ホームでよかった。何でも、ヨーロッパのトップ選手が最も嫌うアウェーの試合は、ガラタサライやトルコ代表とのイスタンブール・アリ・サミ・イェン・スタジアム−−通称「地獄」――での試合であるらしい。高速道路の排気ガスが、傾斜の全くないスタジアムに充満し、ひっきりなしのブーイングが襲いかかるという、およそサッカーの試合が成り立つ限界を越えたスタジアムであるらしい。
 だから、トルコ代表とガラタサライは究極の内弁慶。そこに何とかつけいり、チームメイトのヒデが的確なハカン・シュクル攻略法をもたらせば、あるいは8強入りも...

 しかし、よくわからんかったのは、昨日の韓国の勝利。いや、一位抜けはいいんですよ。素直に祝福しています。
 だけども、昨日は勝ち点3が必要なシチュエーションだったか?

 別会場でやっていたアメリカは、後半開始すぐに3−0で負けていて、恐らく勝ち点1を得ることさえ危ういのは、まあ99%確実だったはず。だとすれば、この試合引き分けても、韓国1位通過、ポルトガル2位通過でよかったわけだ。もっと言えば、ポルトガルに1点差で勝たせておけば、韓国2位通過でアズーリと当たるのを回避できた。まあ、それは危ない橋ではあったが、少なくとも引き分け狙いでよかったはずだ。

 ポルトガルは、前半で一人少なくなり、かつアメリカが2点差で負けていることを聞いたのだろう、前半35分過ぎからは、もうスコアレスドロー狙い。韓国が、チームも国民もアメリカを嫌っていることは明らかだったから、アメリカに援護射撃するいわれなんかない。当然、向こうもスコアレスドロー狙いの合意をもとにサッカーをするだろう。それでも韓国の1位通過は揺らがないし、開催国のメンツを保つことができる。我が方も、一人少ないのだからそれで十分プライドは保てる、加えてアズーリも回避できるし...
 それがポルトガルの考えだったはずだ。だって、これが欧州や南米やアフリカの、つまり今までのフットボールの常識だからね。例えば、イングランドVSナイジェリアは、そんな暗黙の合意が早期に成立した試合だった。見るほうはつまらないが、そういう計算づくの凡戦も、フットボールのプログラムに折込済みとわかっている。
 
 しかし、この当然の行動、当然の合意の期待が、韓国には全く理解されなかった。
 後半に入って更に一人少なくなり、9人になったポルトガルを、過酷に責め立てる...

 既に0トップを選択していたオリベイラ監督やフィーゴにすれば、「何やってんの?」と言う感じだったはずだ。「オイオイ、これじゃお前らの嫌いなアメリカが突破しちゃうじゃんかよー」

 そして韓国1点先制。このファインゴールは素直に誉めたい。
 しかし、そのあとも韓国は必死の形相で、守る。ポルトガルは、今度は0ボランチでヌノ・ゴメスを投入するが、さすがに慣れないパワープレーでは、韓国DFをこじ開けることができず、結局0−1で予選敗退。

 何と言うか、ヨーロッパや南米のサッカー好きの口をあんぐり開けさせる、韓国の奮闘ぶりだった。その韓国を突き動かしたのは何だったのか。日本と同じ勝ち点7を取る、というモチベーションか?それとも、単なる「いつでも全力、いつでも一生懸命」という「アジア的勤勉さ」だったのか。
 まあ、従来のサッカー文化、特にその中核をなすラテン的サッカー文化からは、全く理解不能な韓国の行動だった。しかしまあ、これもまたサッカーが真にグローバル化する過程の中で出てきた現象だったのだろう。ある意味日韓共催の象徴的シーンと言えるかもしれない。ヨーロッパのヒトたちも、自分たちの「常識」が通用しない世界が、地球上にあると言うことを知ったのは、悪いことではないだろう。10中8、9は単純に「アジア人の考えてることはわけわからねぇ、だからあいつらのとこでW杯なんてやっちゃいけねえんだよ」と逆切れするだけだろうが。

 しかしまあ、これでまた大会の華が一つ減ったわけである。このサッカーのグローバル化が、先日述べたような意味で、ワールドカップと言う形式の首を締めるのに一役買ったのだとしたら、皮肉な話だ。

 それにしても、ルイ・コスタが全開する姿を今回のW杯で見ることができなかったのは、悔しい限りだなぁ。
 
 そして、これで、18日にテジョンで見るカードは、韓国VSアズーリになった。何たるカード!
 正直言って、日本戦を除けば、最も見たいカードとなったと言っていい。ひえー!

 韓国で、ホスト国の初の決勝トーナメントの試合を見る。エライことになった。こりゃあ、のんきにヴィエリの応援なんてできないわな。
 といっても、韓国代表の赤いジャージを買って応援するのは抵抗がある。さてどうするか...
 そうだ、いい手があるじゃないか。レイソルのジャージを買おう。背中の文字は、もちろん僕がユ・サン・チョルで、カミサンがファン・ソン・フォン。ああ、これなら文句ない。なんか言われたら、「ウリ、イルボン・カシワ、サムニダ。」とか言ってれば何とかなるでしょー。
 W杯が終ってからも、柏の葉で十分使い道のあるジャージだし、実際絶妙なアイディアだ。と、自画自賛。





6・13 Merci Beaucoup, Monsieur Troussier


 最悪の事態は起こらないと一応信じているから、あまり切迫感はないけれども、明日チュニジアに2点差以上で負ければ、トルシエ監督が日本で指揮をとるゲームは、明日が最後になってしまう。
 そう考えると、結構センチメンタルな気分になる。
 
 思えば、長いようで短い、短いようで長い4年間だった。
 4年の長きにわたって一人の人物がサッカーの代表監督を務めるというのは、相当な長期政権だ。僕自身も、トルシエ以前がどんな雰囲気だったのか、もう感覚的に忘れかけている。

 この4年間、常にトルシエは日本サッカー界の話題の中心にいた。
 そして、僕たちは、擁護派・アンチ派を越えて、結局このフランス人に相当楽しませてもらっていたのである。
 とにかくトルシエの日本での四年間は、何というか、漫画じみてさえいるものだった。

 来日直後、僕たちは、選手たちに怒号を飛ばし張り手をする、「冷静で文明的なヨーロッパ人」というステロタイプからはかけ離れた、野蛮としか言いようのないトルシエを目の当たりにして、「赤鬼」と呼び始めた。何かあるたびに、舌禍事件は頻発し、メディアとの軋轢も耐えない。
 新戦力の発掘に費やした99年のA代表は、ユース年代とは対照的にボロボロだった。僕自身、このヒトは、若手を発掘は出来てもプライドを持った中核選手は扱えないのだな、と決め付けていたら、惨敗したコパ・アメリカでは名波と衝突した。そして、この後、2000年前半のハッサン2世杯まで、解任の噂が絶えないことになる。
 しかし、フランスと名勝負を繰り広げて自分の首を安泰にし、シドニー五輪でも強力なチームを作り上げたトルシエは、アジアカップの完勝で名声を(ほぼ)不動のものにし、サッカーファンの間では「擁護派」が主流になっていく。
 ここからW杯に至るまでの間にも、サンドニを初め、酷い試合を繰り広げることもあったのだが、だいたい、惨敗→新戦力の投入→戦術の練り直し、というサイクルで、2進1退を繰り返して、着実に前進してゆく。そして面白いのは、前述の名波との衝突をアジアカップで完全に解消してチームの中心に据え、その後には、コンフェデで不信感を持ったヒデを一年後のW杯本番では名実ともなうリーダーに据えるというように、中軸選手との対立→和解→より大きな存在確立、というサイクルを、同時に繰り返したことである。最後まで、「和解」できなかった俊坊は、時間切れとなってしまったが。

 こうして、ごく簡単にトルシエの4年間を振り返ったが、本当に僕たちは楽しませてもらったと思う。
 日本が強くなった、結果が出るようになった、ということとは別に、このフランス人が真正のトラブルメーカーだったからこそ、僕らは日本代表にまつわる出来事を、3割増のエンターテイメントとして楽しんできたのである。

 当初はヴェンゲルが監督になってくれることを、日本のサッカーファンの誰もが望んだが、結局、トルシエがやったほどには、僕らを楽しませることはなかったと思う。誰かが以前、「トルシエは、日本が勝てばそれは自分の手柄、負ければそれは(サッカー)文化の貧困と言うが、ヴェンゲルは、日本が勝てば偉大な国民性の勝利、負ければ自分の責任と言うだろう」と書いていたことがあったが、まさに言い得て妙。

 サッカーへの情熱。爪を隠すすべを知らない、子どもじみた野心。策士ぶってみたところで、大抵は失敗するお茶目な間抜けぶり。エキセントリックな人身掌握術(なのか、あれが?)。徹底的なヨーロッパ中心主義者。時折見せるレイシストの顔。それが故の、日本文化礼賛とオリエンタリスト振り。選手としてはまるでダメだったことへの、コンプレックスも垣間見える叩き上げの「下士官」。

 結局、嫌なところも全部含めて、そういうのがトータルで僕は好きだったんだなぁ。

 次の監督は誰になるのか分らないが、こんな4年にわたってワラかしてくれる人になることだけは、絶対にないだろう。

 だから、一試合でも多く、まだまだトルシエに楽しませてもらいたいと切に思う。





6・12 とんでもないことが起きてしまった

 この、大西洋を挟んだ両大陸の雄が、グループリーグで姿を消すことを、誰が予想しえただろうか。

 実は、アルゼンチンが舞台から去るのを、今日僕は、宮城でこの目で見てきた。試合のはじまる前は、NTTやヒュンダイが競技場の前に出している醜悪なブースのことなどをつらつら書こうと思っていたが、今となっては、もうどうでもいい。

 以前から書いているとおり、スウェーデンは、リーグ戦突破に十分値するチームであるが、リュングベリの赤い髪と、あろうことか直立のP.アンデションまでもが、貴賓席にいるのを見つけてしまった以上、アイマール率いる今日のアルゼンチンとはさすがに勝負にならないと、キックオフ時点では思った。
 そして実際、勝負になっていなかった。前半のボール支配率はアルゼンチンが98%、なんてことはないだろうが、そう思わせるぐらいの圧倒的なものだった。アイマールとオルテガが魔術的な切り返しでゴールに迫り、クラウディオ・ロペスがフリーランニングでスペースを切り裂き、中央から一歩も動かず威風堂々としか言いようのないバティに合わせる。形も完璧だった。足りなかったのはゴールだけ。
 そう、スウェーデンDF陣は、ラインと対人プレーの切り替えが早く、ペナルティエリア付近でのカバーリングが異常にうまい。

 しかし、前半はまあ、アルゼンチンもセイフティを重視するだろうし、試合が動き出すのは後半だろうと思っていた(実際、william-hill on line でも、前半ドロー:後半アルゼンチン勝利に主力を注ぎ込んでいた)。しかし、それでも決まらない。その上、ボール・ポゼッションまで圧倒的なものでなくなってくる。クレスポに変えてみる。悪くはないと思った。しかし、交代直後のFKで直接決められてしまう。失点の形自体は交通事故みたいなものだったが、タイミングが最悪だった。
 しかしそれでも、好調のアイマールもオルテガも残したまま、ヴェロンとキリーを入れるツボをついた攻めの交代に、まだ十分な期待を持てた。少なくとも昨日のフランスのように投げてはいないと、伝わってきた。早速、左右のペナルティエリア脇のスペースに、下がり目のヴェロンはピンポイント爆撃みたいなロングパスを正確に落としてゆく。
 が、ゴールという結果はでなかった。カウンターから危ない場面を作られるのは当然のリスクとしても、スウェーデンGKのヘドマンが突然キレはじめたのにはお手上げだった。結局終ってみれば、PKリバウンドを押し込んだ1点のみのドロー。決して運が悪かったとかそんな話ではなく、ドローになるべくしてドローになった、よく攻め、よく守った、そんな「番狂わせ」という言葉からは程遠い「ナイスゲーム」だった。

 これでアルゼンチンは敗退。スウェーデンがトップ通過。
 しかしアルゼンチンには言い訳もある。初戦は、横綱相撲でナイジェリアをいなした。第3戦は、守るモチベーションを持った準列強を相手に、ロジカルなドローをした。問題は第2戦。これは、歴史とメディアにより、フットボールの試合が通常背負うべきものの、何千倍もの物語がつきまとってしまった試合だった。この試合では、イングランドがあのような形で先行し、あのような気迫で逃げ切ることは、あたかも最初から動かしようのないストーリーとして決まっていたかのようだった。それに抗うことは、さしものヴェロンやシメオネにもムリだった、そういうことである。

 それに対して、フランスの方には言い訳がない。開幕戦固くなっていた?冗談ではない。(ファディガが万引きでちゃんと書類送検されていたらこうはならなかった、などとはよもや言わないだろうな...藁) 最終戦でもジダンが本調子ではなかった?それをサポートできる戦力があるからこその優勝候補だろう?納得のいく結果は、せいぜい第2戦のウルグアイ戦ぐらいのもの。不本意としか言いようがない。
 フランスは、ある意味、この4年間の強化過程において、日本代表にとっての「世界」そのものだった。節目節目で日本はフランスと対戦し、自らと「世界」との距離を計ってきた。どん底で迎えたモロッコでは、ユーロ2000に向かうフランスの調整に付き合ってもらい、自信を得た。トップフォームのフランスにサンドニに迎えられた時には、これから2年間何を必死でなすべきかを改めて思い知らされた。飛車角落ちで乗り込んできた横浜では、目指す方向性が間違いではないことを確認できた。
 そんなフランスが、もはや日本には来ない。ジダンやヴィエイラのプレイをもっと見たい、というだけなら、来年のチャンピオンズ・リーグを見ればいいわけだが、フランスが来ない寂しさは、それに留まらないものがあるのだ。

 しかし、この両雄がいなくなったことで、大喜びをすべき(しかし実際には寂しがっている声が強い)国がある。他ならぬ日本だ。チュニジアに勝って1位突破する事を前提とすれば、まずC組の2位、コスタリカかトルコに勝ち、次にA組の2位:セネガルとF組の1位:スウェーデンの勝者に勝てば、準決勝、4強入りである。
 ベスト4までに立ちはだかる相手がコスタリカ、トルコ、セネガル、スウェーデン。もちろん、スウェーデンを筆頭にどれも難敵だが、絶対に勝てないという相手ではない。少なくとも、相手の名前に気圧されて固まってしまう、という相手ではない。何と言っても、この顔ぶれを見ると、どれをとってもキリンカップに来日してくれそうな程度の国々ではないか(藁)。

 しかし、そうであることは分っていながら、いや、そうであることが分っていたからこそ、僕は最後の20分間は、声を枯らしてキリーやオルテガの突破に声援を送り、ヴェロンのパスミスを叱咤し続けた(一人で行っていたにもかかわらず...藁)。先日書いたように、自分の属する国のナショナルチーム=日本以外の代表チームに、そこまでのめりこんだ応援することが基本的にない僕にとって、これは生まれて初めてのことである。

 何故かって?もちろん、ヴェロンをはじめとしたアルゼンチンがチームとして好きだ、決勝Tでも見たい、というのがある。アルゼンチン優勝に10ポンドぐらい突っ込んでいるという事情もある。また、日本もどうせ負けるならコスタリカやスウェーデンみたいな中途半端な国ではなく、決勝に進出するアルゼンチンにスパッと負けたほうが諦めがつく、というのもある。

 しかし、そんなようなことは、相対的に瑣末な理由だ。僕は、両雄がグループリーグで敗退し、日本という新興国がベスト4に進出して、ワールドカップという形式が今回で終ってしまうのを怖れたのである。

 アルゼンチンは、まだ情状酌量できる。しかしフランス、特にジダンやトレゼゲのあの薄ら笑いは何だ。トレゼゲなんて一試合目からあの調子だったぞ。城じゃないんだから。
 やはり、フランスチームは、最初から今ひとつモチベーションがなかった、という疑惑が残る。

 かねてより、ワールドカップの地位の低下ということが言われていた。世界最高峰のサッカーが見られるのは、今や欧州チャンピオンズ・リーグだと。
 しかしそれでも、ワールドカップに勝つことは疑う余地のない名誉であり、ワールドカップが選手たちにとって自らを売り込む最大のマーケットである以上、そこでは人知を超えた熱い戦いが繰り広げられるはずだった。
 ところが、前回優勝国のフランスは、それさえも自ら拒否してしまった。もしかしたら、この結果を前にしたフランス国民さえ、そこまで残念でないのかもしれない。

 既に功なり名を遂げた名選手ばかりで構成されているので売り込みの必要がなく、いかなる意味でも「国」のために戦うという言辞が方便にさえならず、かつトップ選手の競演たる欧州CLで「俺たちのチーム」が活躍する可能性のあるチームを有する国民の代表チーム...
 具体的には、スペイン、イタリア、イングランド、ドイツ、フランスの5大リーグを抱える代表チームだが(イングランドと、恐らくドイツも当面大丈夫だろうが)、こうした「ヨーロッパの大国」では、ワールドカップに臨むモチベーションが、選手レベルでも「国民」レベルでも、著しく変容してゆくのではないか。その萌芽が今回のフランスに見られたような気がしてならない。
 ある意味、ヨーロッパの大国がこぞってスペイン化するというか。そのスペインが今回絶好調なのは、皮肉だが。

 そうなった時に、ワールドカップは、ヨーロッパの小国と、アフリカ・南米の新興国と、アジアの大会になっているだろう。イタリアやフランスやスペインは、B代表を送り込んでくるかもしれない。特に、ヨーロッパ以外の開催の時にはその傾向が強まるだろうから、もしかしたら、W杯は毎回ヨーロッパ開催ということで収まるのかもしれない。
 チケット問題に象徴されるFIFAの胡散臭さと機能不全は、このW杯という形式の終焉に手を貸しこそすれ、それを押しとどめる力とはならないだろう。

 いずれにしても、今までのような形での盛大な、真の世界一を決めるワールドカップが、ヨーロッパ以外の地域で開かれるのは、ことによると、この2002KOREA/JAPANが最後になってかもしれない、というような危機感を持って、僕はヴェロンやオルテガに声援を送り続けた。いや、本当は、このKOREA/JAPANこそが終わりの始まりなんじゃないか、という不吉な予感も抱えながら。

 そう考えると、トルシエが開戦前に自国のジャーナリストに言った、「日本はベスト4にならないほうがいい、大会の権威を貶めるから」という強がりが、俄かに現実味を帯びてくる。「日本のサッカーファンよ、安心して大丈夫です。FIFAの金づるの日本がそう簡単に負けるはずないから」という、日刊ゲンダイの破れかぶれの皮肉とはまた違った意味で。
 
 それにしても、トルシエは、フランス・アルゼンチン両雄の敗退ということまで事前に予期して、ああいうことをゆったのだろうか。
 だとしたら、凄まじく恐ろしい男だ。

 



6・10 ユーフォリア


 宮本くん、今まで信頼していないでゴメン。今日のスタメンをみて一抹の不安を感じてしまってゴメン。
 ちゃんと1対1も水準以上なんだね。この土壇場で、ここまで一番持ち味にしてきたラインの押し上げを、ある意味「捨てる」勇気、本当に尊敬します。なかなかできることではありません。

 戸田くん、相変わらずの裏番長ぶり、さすがです。コメントも一番ふるってました。

 ヤナギ、大分調子が上がってきましたね。後半20分ぐらいのは、絶対決めて欲しいところでもありましたが、今大会1〜2点は必ずとるでしょうね。

 大明神様、ちゃんと見ていましたよ、柏の誇るあなたの的確な位置取りを。

 松田くん、コウジくん、どうして今日はあんなオーバーラップの日だったの? しかもロングボールでなくて、自らドリブル突破。いや、全然いいんだけど(意味不明)。何か心境の変化が?

 楢崎くん、ウルグアイのカリーニ風の抑制した飛び出し、とてもよかったです。僕の川口派は揺らぎませんが、それでも大納得です。

 稲本くん、キミはもうヴィエイラなのだから、このくらい活躍してくれなきゃ困ります(爆)
 守備に攻撃に獅子奮迅、すごすぎた。




6・9 何でこんなに見終わって生気が抜けるくらい日本代表を応援するのだろう

 昨日は、研究会後の懇親会で、見たかった2試合とも見られず、ちっちゃく見えるお店の中の画像と携帯での「中継」でフラストレーションはたまりまくったが...
 クロアチア、やっぱやるでしょう? あのカウンター型にリニューアルされたチームに映えるのは、スーケル&プロシネツキでなくて、ボクシッチ&ラパイッチなんだって。(これは年齢の問題だけではない) これで何とか、大田ではクロアチアとイタリアのどっちかが見られそうだ。いや、仮にメヒコが来ても、チームはともかく応援の陽気さは相当楽しめるらしい。
 ブラジル、エンジンかかっちゃったねぇ。ロベカルのあのFK、最初にあんなのやられたら初出場チームは萎えちゃうね。中国には厳しすぎた洗礼。

 さて。あと2時間である。泣いても笑ってもあと2時間である。
 いいじゃないか。敵はロシア。サッカーを除いた因縁なら、アルゼンチン―イングランドなんて目じゃない。だから、こんなのが出る。日本でやるW杯、この敵とこのタイミングで当たり、ヨーロッパや南米やアフリカに充満するこの鬱屈してどろどろした熱さを、初めて体感しているのだろう。

 もちろん、ナショナリズムを煽っている危険性、百も承知。しかし、フットボールは本来的にそういうものなのだ。
 しかしこれは、必ずしも、フットボールファンがナショナリストであるということを要しない。ここが微妙なところなんだけど、フットボールで日本代表を応援するのは、横浜国際で君が代を絶叫するのは、「日本」というクニが好きで好きでしょうがないから、というわけでは、必ずしもない。
 ナショナリズムを煽る契機にはなるし、危険性はあるが、大多数のサポにとってフットボールはフットボール。あくまでそれ以上でもそれ以下でもない。何かうまく言えないが。はっきり言えるのは、「サッカー場で君が代を絶叫する金髪の少年たちに、戦後民主主義教育への雄弁な抵抗を見た」という右派の言説にも、現在の右傾化傾向にW杯フィーバーを単純に重ねようとする左派の言説にも、閉口する、ということだけど。

 生気が抜けるほどテレビに向かって魂を送り続ける理由は、まあみんなそれぞれだろうけれども(こんなのもある...藁)、少なくとも自分を考えてみると、他者への承認欲求みたいのが強い気がする。

 ヨーロッパに行って、多国籍なヒトたちと一緒の空間に身を置いたとして、その場が結構マスキュリンな構成だったりすると、南米ほどではないかもしれないが、「お前の国のフットボールはどんなもんなの?」という軸で外国人を推し量ったりする場合がある。ことに僕なんかは、昨日行われたチャンピオンズリーグの試合を格好の初対面のネタにしたいのだが、そこで僕が日本人なもんで、「ンなこと言ったって、お前フットボールわかんないじゃん」という視線が来る。はっきし言って、これは悔しい。
 逆に言うと、クロアチア人やセネガル人なんて、日々肩身の狭い思いをしているのが、ことフットボールが話題に上っている限りは(そしてその頻度は驚くほど多い)、一定のリスペクトのまなざしを向けられることで、誇りを取り戻すことが出来る。

 こんなこと書くと、そんなにヨーロッパ人に認められたいんか、ヨーロッパの作ったサッカーというスポーツの強さという他者の尺度で自分が測られるのに嬉々として自分を合わせるんか、このコロニアル根性が、というお叱りも受けるだろうが、これが現実なんだから仕方ない。少なくともサッカー好きにとっては、この辛さは肌身に染みるのよ。ジッサイ。

 また、フットボールを話題にした時のある種の真正性の語りというか、そういうのもある。

 例えばこの前、駅頭で売られていた日本代表のネーム入りTシャツをどれか買おうかな、と物色して愕然とした。川口はかなり好きといっていいが、GK用のジャージは売られていないし。中山も好きだが、10NAKAYAMAのシャツを着るのに気恥ずかしさは残る。ヒデは好きな選手とはいえないし、顔だけなら浩二の方だがそこまでの思い入れもなし。稲本もいいが、まあそこまでは、だし、強いて言うなら小野だが...と考えてきて、考えてみれば僕は現在の日本代表に格段に好きな選手はいない、ということに気付いてしまったのだ。
 これが、売られているシャツが、ヴェロンだったり、ネドヴェドだったり、ラウルだったり、シェフチェンコだったりしたら、僕は迷わずゲットしていただろう。彼らのプレーは疑いもなく日本代表の誰よりも好きだし、ヴェロンなどは、プレイ以上にそのかもし出す雰囲気とかも文句なく好きだ。

 しかし、アルゼンチンやチェコやスペインやウクライナは、好きなチームではあるが、そこまで実存を賭けて応援することはない。彼らを見るときは、魂を込めた応援ではなく、目と脳を楽しませるスリリングな優雅さを堪能するモードになる。というか、自分の属していない国籍のチームを、いかに彼らのプレーのが好きだからといって、滅茶苦茶に応援することは、ヨーロッパでは、なんというか、ルール違反と見なされている。
 つまり、「お前がチェコをそこまで応援する謂れはないだろう」というわけだ。だから、埼玉や札幌に大量に現れたセント・ジョージス・フラッグを身にまとった日本人の女性軍は、サンやデイリー・メールでは揶揄の対象にしかならない。
 
 ここで、あるチームを応援するということと、国籍とは本質的に結びつられた思考が存在しているのだ。

 ちなみに言うと、この前の朝日の中田記事の記者は、クラブチームの応援にはこのような本質化はなく、そこには「鎧を脱ぎ去った純粋な自己表現がある」とお考えのようだが、そんな馬鹿な話はない。バーミンガム市民がアーセナルを応援することにはやはり真正性はないし、あるクラブチームが大活躍すると、その街の出身者は、いや、小国の場合その町を含むその国の出身者は、やはり暫くは鼻高々で暮らすことができる。例えば、近年のガラタサライの活躍が、ドイツやイギリスのトルコ系のアイデンティティに与えたポジティブな影響は、相当なものだろう。

 それからもう一つ、フットボールがワーキングクラスのスポーツだとされていることも、本質的に重要だ。アッパーミドルクラスのエリートは、国境を越えたコスモポリタンになることもできるだろうが、ワーキングクラスはそうはいかない。どれだけEUが統合されようと、生まれた町とクニに縛り付けられているヒトが、圧倒的に多いのだ。
 街やクニのドロドロした重苦しいアイデンティティを賭けて、フットボールを支えるのは、その層である。(ちなみに、イングランドからイタリアへ、イタリアからスペインへ、と渡り歩くトップ選手たちは、その出身はほとんどワーキングクラスだろうが、今や紛れもないコスモポリタン・エグゼクティブだ。英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語など、何ヶ国語もをよどみなく話すアンリやリザラスを、コックニーやミュンヘン訛りしか出来ないサポーターが「俺らのスター」と崇めているのは、ひとつのパラドクスではあるが)

 もちろん、そうした重苦しい「鎧」や「物語という鎖」を脱ぎ去って、ワタシはレアルやユヴェントスやイングランドの美しいサッカーを心底実存賭けて応援したい!という人があれば、それはそれでよろしかろう。否定はしない。
 
 しかし、ヨーロッパにいざ行ったとき、そのヒトが直面するのは好奇の視線だけで、彼/彼女が望むような連帯感を他者から補填してもらえるようなことは、まず起こらないだろう。(ただ、弱いクラブチームにゾッコンほれ込んでしまったようなケースは別かもしれない。島田加代子のマンチェスター日記、参照)

 代表チームを応援する「ナショナリズム」や、クラブチームに熱狂する「地域主義」を批判し、自分だけは高みの見物にしゃれ込もう、とするのは結構。しかし、フットボールの世界がいまだネイションや地域で構成されており、代表やクラブと国民・住民が等号で結ばれるようなパラダイムが存在している以上、そんな一人で高みから見下ろすような戦略は、結構サムい事態に直面するだけなのだ。
 それも承知で、それでも俺は日本代表よりイングランドやイタリアだ、というヒトがいるのなら僕は尊敬したいが、なかなかそこまでの覚悟を持っている人っていないんじゃないかな?

 これは、ナショナリズム一般の議論にも、結構応用できる話と思われ。自分ひとりが、日本一国がナショナリズムを脱ぎ捨てるのはアリではあるが、世界がいまだネイションの束として存在している以上、結局一方的に損をするだけだとも思うのだ。

 まあいいや、とりあえず今はロシア、だ。

 蹴国の興廃この一戦にあり。総員奮励努力せよ。





6・8 無題


 ベッカムすまん、オーウェンすまん。スコールズすまん。
 君たちの根性を見くびっていた。日本戦の感想を聞かれて「みんなの髪の色が変わってましたね」なんてヘタレたコメントしか出てこない俊坊と一緒にしていた。
 本当にすまん。せいぜい準々決勝までだと思うけど、応援しているよ。

 モーロありがとう。ラウルありがとう。イエロありがとう。
 もう浮気はしない。信じているよ。優勝しかないでしょう。




6・7 何もない日はワールドカップ


 最近すっかりギアが下がって怠惰な生活をしているイガラシですが、だからこそサッカーだけは見ているぞよ。といっても、どっかの金の亡者どものせいで、地上波では一日一試合しか見れないけれど。4年後には、日本の試合と決勝ぐらいしか見れないだろうなぁ。

 フランス戦。決していい試合ではなかったが、こんな見ごたえのある試合もなかなかない。EURO2000での、憎たらしいほどに落ち着き払ったフランスの面影はどこにもなく、プティやヴィエイラが目を血走らせてボールを追う姿は、それはそれで滅多に見れないすごいもん見せてもらった。(2年前のアーセナルの調子の悪い時にはよく見た光景のような気もするが。)
 しかしまあ、よくやったと思う、フランスは。大試合に弱い傾向のある完全に守りに入った1人多いウルグアイから点が取れるチームは、そうそうないよ。ルバフを別とすれば、プティ、リザラス、バルテスとベテラン組みの奮闘と根性が目立った。
 ウルグアイはウルグアイで、守りに入るのはロジカルな必然。いまやリーグ突破はセネガルと競うことになるわけで、そうするとこの試合で引き分けでも勝ちでも、いずれにしてもセネガルに勝たなきゃ自力突破はない。だとすれば、10人のフランスと、11人のセネガルとを天秤にかけて、どっちに大勝できる可能性が高いかって言うと、そりゃあ、腐ってもフランスですからね。
 レコバ、モンテロ、GKのカリーニ...これまで全く試合を見たことはなかったが、ウルグアイって好チームですね。A組は、デンマークも好きだし、セネガルも頑張らせてあげたいし(というか今やアフリカ勢唯一の希望だし)、どこも負けてほしくないなぁ。もちろんフランスも。

 韓国は、日本と違って勝ち点3で、おまけにポルトガルも負けてくれたから決勝トーナメント見えた!なんて報道があるけど、どうして今だにみなさん勝ち点計算がわからないんでしょうかねぇ。その組の主軸となるべき強豪が負けちゃった時ほど、2位狙いのチームがきつい時もないんだって。シドニー・オリンピック、2連勝を飾ったにも拘らず、ロナウジーニョ率いるブラジルがあろうことが南アフリカに負けてしまい、そのあと中田・森岡抜きでブラジルに立ち向かう日本の悲壮な覚悟を忘れてしまったのかしら。
 このときは、またまたあろうことか、南アフリカがスロバキアなんかにコロっとやられて、リーグ突破が転がり込んできたけど、アメリカは気紛れで絶不調のポーランドに負けるようなチームではないと思われ。だとすると、韓国はポルトガルを叩き落すぐらいの覚悟がないと、突破が望めなくなってしまったわけで...何とも不運としか言いようがない。

 さて、F組。ね、やっぱスウェーデン強いでしょ。これでイングランドの敗退が現実味を帯びてきました。今日アルゼンチンに負けちゃったら、いくら最終戦でモチベーションのないナイジェリアを叩けても、アル×スウェに出来レースドローやられたら万事休すですからね。
 いやね、もちろんイングランドは、好きですし、結構思いいれもありますよ。僕は。ただ、冷静に考えて大して強くないだけで。アルゼンチンに勝てるタマじゃない。
 さあ、どうなりますか。TBSの「世紀の煽り」に乗っかってやりましょう。事前特番「警察密着24時:ススキノのフーリガンを追う」で、マッチポンプの暴動も作られるでしょうし。そりゃあ、テレビカメラ向けられりゃ、自己顕示欲の塊みたいな酔っ払ったサルフォードの配管工は、これ見よがしに椅子投げたりガラス割ったりし始めますって。ワクワク。←ヲイ
 しかし道警もやりすぎだよ。ユニフォーム盗んだだけで機動隊出動させたり、日本人の女の子ナンパしてツレと小競り合いになっただけで逮捕しちゃうなんて、滅茶苦茶ですよ。いくらなんでも、イングランド・サポ可哀想。おまけに、道警に散々恐怖映像見せられたスタジアム周辺のお店屋さんは、もう震え上がって1週間も店締めてて、こっちも可哀想としか言いようがない。何とかならんもんかね。




6・6 香料の問題だけに、ちょっと嫌な匂いがするよ


 W杯を除けば、今最もホットな国内問題とも言える「協和香料事件」。基本的には、狂牛病→雪印→全農→ミスドと続いた一連の流れの中で報道されているのだが、僕個人は雪印の時とは随分感情的に違う。もちろん、社長が素直なヒトだ、と言うようなこともあるのだろうけれども、今回の件については同情的だ。というか、これを徹底追及することにむしろ危惧を覚える。

 これって、虚偽表記のような明確な犯罪行為ではなくて、無認可の有機物を使った、という単なる違法性の問題でしょう?しかも、日本以外の主要国では、ほとんど認可されている物質だったわけで。ここにおいても、criminality と illegality の間の溝は大きいよ。
 だって、日本の厚生省(現厚生労働省)の認可制度って、とにかくもったいぶって遅いって言うので有名で、今までも認可されてない新薬を何とか認可させるように、いろんな話題があったじゃない。記憶に新しいところでは、バイアグラ。(これは、むしろ欧米より2〜3年後という「奇跡的」に速いスピードで認可されて、話題を呼んだことを忘れちゃいけない)

 僕は、科学的な知識は分らない。その物質は、確かにある程度は人体に害を及ぼすものであるのは確かなのであろうが、それは僕にとってはどうでもいい。だって、食品添加物なんて、認可されていようがいまいが、ある程度は人体に害になるものだし、そもそも自然食品だって何だって、分量と使い方によっては、人体に害になるものなんだからね。

 そんな、些細な害悪、30年間膨大な食品に含まれる香料に使い続けて特に目立った問題も発生しなかった程度の害悪と、厚生労働省の許認可行政につきまとう害悪と、どちらが大きいか。これはもう、明白。
 こんな無認可有機物程度で、ここまでの大騒ぎをしていたら、喜ぶのは厚生労働省だけだよ、きっと。各社、何が何でも認可を受けた物質だけを使わなきゃいけない、となれば、ますます認可をおろしてもらうためのロビー活動と接待がはびこるし、製薬会社と食品会社への天下り先はますます確保されるってわけ。官僚の高笑いが聞こえるよ。

 もう、まるでアメリカ人の真似のような、些細なこと(食品の産地表示とか、オーガニックとかも含む)にこだわる潔癖症みたいな健康オタクぶりはやめようよ。どうせ現代人なんて毒にまみれて生きてるんだからさ。それでも、平均寿命は延びてるんだし、マス・プロダクトの安いもので腹は膨れるんだから、いいじゃない。

 潔癖症の「市民」ばかりになっちゃうと、清潔なファシズムの管理(この場合は、薬事許認可行政)を招く結果になるだけだよ。

 しかも、今回の件、どうして発覚したのかは新聞には書いてないのでよくわからないけど、朝の「特ダネ」では、取引会社の内部告発、というようなことを言っていた気がする。だとすると、これ結構ヤバイ事態だよ。
 今時、コスト切り詰められたり、取引切られたりして、親会社に恨み持ってる下請けなんて、いくらでもあるわけじゃない。そんな会社が、親会社への恨みに駆られて、食品会社なら多かれ少なかれどこにでもあるだろう無認可有機物の使用なんかを、こぞってチクリ出したら、どんなことになるか。
 この不況下で、とんでもないことになるのは目に見えている。コワー。恨んでるのは分るけど、頼むからそんな近視眼的なことはしないでおくれ。結局は、全ての食品会社が潰れるか、生産部門を海外移転するか、どっちかになるだけだから。

 協和香料だけでも、とんでもない数の会社が、とんでもない量の加工食品を、自主撤去するとのことが、連日新聞に載っている。凄まじい破壊力。
 流通不況の中、ちょっと、これはマズイ。





6・5 大新聞のW杯コラムは酷い。そしてポルトガルの守備陣も酷い。


 稲本は、神だ。
 それでも賛辞が足りないと言うのならば、
 稲本は、ヴィエイラだ。

 今日は、昨日ベルギー戦の前半で、気力を全て稲本と小野に送って突然体調を崩したのをまだ引きずって、何だか睡眠を多めにとったにも拘わらず、移動の電車の中でもやたらに眠れてしまう。
 帰ってきてちょうどクローゼのゴールから見始めたドイツ戦でも、ハーフタイムからうとうとしてしまい、後半は大きな騒ぎが始まると起きる=カーンのスーパーセーブだけは目に焼き付けました。
 この試合は、なかなかいいゲームだった。後半のドイツのリスク回避の試合運びをけなす向きも多いと思うが、アイルランドに対して圧倒的な力関係を誇れるわけではない、ということを謙虚に認識して大国意識を捨て去り、ドイツが唯一誇れるカーンの気迫に頼る、というのはドイツらしいロジカルに正しい選択だったと思う。僕は、所属チームFCJKでGKなこともあり、1−0や0−0で終る守りあいの試合というのは、結構好きな方だ。
 アイルランドが最後の最後で追いついたのは、素直にその根性を誉めるべきだと思う。正直言って、ロイ・キーンのいないチームに、これだけの魂が残されているのは予想外だった。まあ、あれだけの「ホーム」なら、これもありうる話だったか。東京でも現在一番数が多いのは、アイルランド人サポ。彼らの「おとなしさ」を考え合わせても、セント・パトリックス・グリーンを着ている集団の半分近くは、実はアメリカ人なのではないかと推測するのだが、いかがだろうか。

 それにしても、ドイツのリアリティ溢れるサッカーは、なぜか日本では全く人気がない。それどころか、軽蔑されている。もちろん、ヨーロッパでもドイツサッカーを美しいというヒトは誰もいないが、少なくとも、嫌われながらリスペクトされている。(みなさんは、ガリー・リネカーの吐き捨てた名言を知っているだろうか? 「フットボールは単純なスポーツだ。ボールを蹴って点を入れる。そして勝つのはいつもドイツ」)

 最も呆れたのは、3日ほど前の読売に載った今福龍太さんのコラム。「クレオール論」という彼の著作は、90年代半ばにおける人類学者の最上級のマニフェストとして大好きなので、今福さんのことをけなすことはしたくないのだが、これはちょっと酷かった。何でも、札幌のドイツ―サウジ戦を見に行ったが、「淡々と、点を積み重ねることだけを目的にして、8点を奪ったドイツサッカーに、何のサッカー的快楽も覚えなかった」とか。
 ていうか、サッカーって、そうやって淡々と点を積み重ねるスポーツなんですけど。今福さん、あなたサッカーは好きかも知れないが、実存を賭けて応援しているチームもなければ、自分がプレーしたこともないんですね、きっと。
 僕は、鈴木とヤナギとモリシとヒデと稲本と小野と、ついでにゴンと秋田がみんな点を入れて8点とってW杯予選でサウジに勝ったら、狂喜するだろう。練習なしの草サッカーチームでしかないFCJKが、何を血迷ったのか地域リーグで活躍するチームとマッチメークして10−0で負けた「堀切の虐殺」の時、相手のチームは心底楽しそうだったよ。(ちなみに、この試合で僕は、推定15回ほど相手FWと1対1になり、推定26本ほど枠に飛ぶシュートを打たれた。ということは明らかに、僕にとってはベストパフォーマンスを示した試合ではあったことを、付け加えておきたい)

 大新聞のサッカーコラムの酷さといえば、朝日も人後に落ちない。もちろん、これを指している。
 こんな、一国の中心選手がW杯後の代表引退を考えているというスクープ記事を、もし真実であったとしても、大会中に自国の新聞が出すことなんて、考えられるだろうか?ありえない。僕は、また中田の「ビッグネームに見せたがり癖が始まったか」と思って微笑ましく眺めていたら、何と「全面否定会見」をした。ますます、ありえない。
 だとすれば、朝日は、「国の名誉という鎧(よろい)を着せられた国対抗の代表戦は、チームのために働くことが優先される。プレーを楽しむことより勝負に執着するサッカーを終わりにし、自分を表現する場を探したい。」という一節を書きたいがために、この記事を仕立てたとしか解釈できない。在日コリアンの背景を持っているとの噂が絶えないヒデにかこつけて、ブリブリのサヨク記者が、思いついた記事なのか、あるいは、ヒデの些細な発言を、こんな風にしか解釈できなかった=聞きたいようにしか聞けなかった結果なのか。

 僕自身は、ナショナリズムを否定したいという意思があることそのものを否定はしないが、こういう書き方は汚い。ヒデなどに寄りかかることなく、自分の言葉で、有効な記事を書けばいい。こういう記事には、自分自身の何か別の大きな問題意識(反国家とか反資本とか)を投影させる対象を求めて、ホームレスだの「不法」外国人だのの「支援」(というより「私怨」)活動をする一部のNGOのような匂いを感じるので、大嫌いだ。(もちろん、ホームレスや「不法」外国人を「支援」することを、唯一の最終目的として組織されているNGOのことは、リスペクトしている)
 よしりんの反朝日に同調することはできないが、今回の酷さは勘弁ならない。明確な謝罪と、W杯期間中の日本代表報道からの自主的撤退をすべきだ。そうしなければ、全ての日本代表サポは、朝日新聞をボイコットしなければ。

 ま、そんな怒りをぶつけてみたのですが、さらに大きな失望を僕に与えているのは、もちろん、ポルトガルだ。あの負け方は酷い。
 前にも書いたように、最初っから優勝できるなどとは思っていなかったが、あの守備は想像以上だ。本並そっくりのGKヴィットール・バイーアの反射神経は大好きだったのだが、昨日は酷すぎた。
 ちなみに、セネガル―フランス戦とポルトガル―アメリカ戦を同列に論じるのは間違いだ。アップセットというのは必ず0−1で起こる。2−3のアップセットというのはこの世に存在しない。つまり、ポルトガルはアメリカに力負けしたのだ。アメリカも、決して弱いチームではなく、日韓クラスより実力は上とは思っていたが...

 といっても、ポルトガルは、別にことさら好きなチームではない。
 しかし、実は先週衝動的に決めていたのである。ハードスケジュールでの韓国は大田行きを。もちろん、D組1位とG組2位の試合を見るためだけに、である。
 僕の目論見としては、ハイドゥク・スプリットのユニを着てって、20人ぐらいは来てるに違いない悪名高いトルシーダ(ハイドゥクのサポーター集団)と意気投合し、耐えに耐えた末のカウンターから抜け出したボクシッチの一撃がフィーゴの鼻っ柱をへし折るのを、共に喜ぶことだったのだが...

 おまけに、肝心のクロアチアもメキシコなんかに負けやがって、きっと1次リーグ突破もムリでしょ。このままの展開だと、一番ありうるカードがアメリカ対メキシコですよ、お客さん。高い金払って北中米予選見せられてどうするっつーの。ヤバイ、まじヤバイ。

 かくなる上は、ホームの楽しさを共有すべく韓国が出てきてくれるか、ポルトガルを避けたいアズーリが駆け引きをして2位通過するかに、賭けるしかないのだが...





6・3 日本の核武装、パキスタンの核武装

 昨日は帰りも遅くて、ヴィエリやロナウドのシュート、スーケルのダメっぷりさえも見れていないのだが、巷では福田官房長官の核武装発言が話題を呼んでいるようですね。

 個人的には、古くから、戦術核武装をして、通常兵力を維持するコストを減らすとともに日米安保を根本的に組み立て直すべきだと考えているのですが、ここは一つ、絶対にメディアで議論されることのないオルタナティブな声を紹介しておきましょう。

 僕が最初にパキスタンにいったのは、98年の5月末。そうです、行って3日後に核実験が敢行された訳です。
 当然街はお祭り騒ぎ。若い衆がバイクに乗って国旗を振り回し、乱暴な連中は機関銃の空砲を空に乱射して祝っておりました。

 そんな中、元日本在住の「不法」就労者であった友人たちは、この核実験に対して、いろいろな意見をもっていました。街の声とシンクロしてとにかく喜ぶ者、日本で稼いだ金を投資したビジネスが軌道に乗る前に経済制裁が発動されることを恐れて反対する者(事実、彼の外貨口座が暫く凍結されたので、買おうと思っていた印刷機が決済できないというようなことが起こった)...

 中でも、「不法」就労者仲間切っての教養人で、修士号を2つも持つ温厚なMさん(そんな彼が何故日本でビザなしで働いていたのか、については、いつかゆっくり語る時があるでしょう)は、やはりいつものように、最も冷静でユニークな意見をもっていました。

「日本はさぁ、核持ってるかもしれないし、持ってないかもしれない。政府のヒトは持ってないって言ってる。でもあれだけのテクノロジー持った国で、持ってないって言ってても、持ってるんじゃないなんかと、周りの小国はみんな疑う。パキスタン人も、みんな日本は本当は持ってるよ、と思ってる。少なくとも、戦争起こったときは、すぐに作れるだろうとは思う。それだけで抑止力になるんだ。
 パキスタンは違うよ。技術もない、経済もダメ、小国だ。持っているって言っても、誰も信用しない。特にインドはパキスタンをいつでも馬鹿にしてるから、あんな国に核が作れるはずない、持ってるって言うだけじゃ、それはただのハッタリだって思うよ。だから、世界の反対があるのは分ってたけど、核実験をやって、本当に持ってることを世界中に示す必要があったんだ。そうでもしないと、抑止力にならないんだよ。
 インドみたいな大国に、50年間舐められっぱなしで、いじめられてきた国。そんなパキスタンの気持ちは、日本人のイガラシはわかんないでしょ? ヒロシマやられた日本人が核実験反対する気持ちは分るけど、俺たちの国の置かれた、そういう追い詰められた立場も分って欲しい...」

 なかなかに重い言葉でした。
 もちろん、インドとパキスタンの緊張を考える上でも、この言葉を避けて通ることはできません。

 小野と稲本のコンビネーションが気になっている現在の脳で、こんな重い課題を考えきることはできませんが、いずれ、少しずつ考えてみるつもりです。




6・2 Is Roppongi Burning ?


 ナイジェリアとアルゼンチンの試合を前半だけ見て、泣く泣く会合に出かける。一時の膠着状態は、アルゼンチンがだらしないのではなくて、両チーム強い。何気ないヴェロンのアウトサイドのダイレクトパス。しかも、満を持した日本最高のCMF、名波のスルーパスよりも速い。バティストゥータは相変わらず前しか見ていない。オルテガはどうやら少しは大人になったようだ。今なら、フランスに勝てる。ブラジルには...いまだ保留。

 それにしても、あの空席は、どうしたものか。いや、どうしたものか、なんてわけじゃない。コケにされているんだ。12月の二次販売、あの4万回のリダイヤルはなんだったんだ。そのために一日わざわざあけたんだぞ。バイロムに損害賠償請求するとき、そうした無数の日本人の一般ファンの機会費用まで算出してくれるのか。
 空席が目に入るたびに、どうしても試合に集中できない。美しいものを愛でるよりも、怒りが先行してしまうのだ。サポティスタの浜村さんは、こうまで言っていた

「僕は一人のサッカー馬鹿として、海を越えて日本に辿り付いたサッカー馬鹿全員に、日本に来てよかったと思って貰いたい。日本に辿り付いたのに、スタジアムに入れなかった彼の心を思うと、涙と悔しさが溢れてくる。ごめんなさいW杯を開催する能力もないのに、我儘でW杯を日本に招んでしまってごめんなさい。」

と。何たるサッカーへの愛。僕はまだここまでサッカーを愛せてはいないかもしれない。


 埼玉スタジアムからイングリッシュが帰り始める頃を見計らって、六本木に繰り出す。
 まずは、誠至堂の上にあるサッカーバーGAZZAで一杯飲みながら、スペイン×スロヴェニア戦の後半を見る。(GAZZAの日記によれば、お店で目立ってたJO17のユニを着た方が、マスターだったのですね。絶妙なセンス)
 
 スペイン人というヒトたちは、よく言われるような国内の地域主義的反発心という以上に、あまりにクラブが強いのでわざわざ代表を応援しなくてもアイデンティティが満たされるので、あまり海外まで代表チームを見に行ったりしない。今回も韓国にもほとんどスペイン人は行っていないようだし、もちろん六本木には誰もいなかった。
 ので、Gin&Tonicをあおりながら、まったりと観戦。粘っこいスロヴェニアの組織的守備。弱いチームではない、というかかなり強い。弱者が、強者に守備的に対しながらも、最低限の美しさへの礼節を失わないような、素晴らしいサッカーを展開している。ザホビッチは今ひとつ目立たない前に換えられてしまったが。
 スペインの右サイドはL.エンリケ。彼のマルチぶりはもちろん賞賛されるべきだが、メンディエタは何故でない?そんなにコンディションが悪いのか? そして、あの美しい2点目が入る。2本続いたダイレクトのミドルパスを受けたデ・ペドロからヴァレロンへの絶妙な斜めのパス。最近、Virtua Striker3でスペインを選び続けている僕が、いつも狙っているダイレクトの展開からのヴァレロンのシュートそのまま。しかし、ゲームでもあんな美しいフィニッシュをするまでには、大抵400円ぐらいは消費している。ちょっと?な判定の3点目はともかくとしても、VTRで見たラウルの一点目も美しすぎるし。こんなパス回しが見られるのなら、もう決勝まで行けても行けなくてもいい。断然のスペイン押し決定。

 この試合が終る10時近くになると、街に大分埼玉帰りが繰り出している。予想通り、ロアビルの前が一番集まっている。地階のアイリッシュ・パブには、会員登録しないとは入れないそうなので諦めて、路上の野次馬と化す。
 
 イングランド人は、たくさん通り過ぎるが、意気消沈しているのか、マックにたまるだけ。街の主人公は、埼玉で後半攻めまくってたらしいスウェーデン人。北欧系おなじみのバイキング帽をかぶってはしゃいでいる。
 それと、アイルランド人が一緒になって、謳い騒ぐ。全く別のレベルで、イングランドを憎むヒトたち同士の、テンポラリーな同盟が、六本木で結成されている。

 といっても、はっきり言って人数はそこまで多くないし、刺すか刺されるかの雰囲気からは程遠い。それに、何と言ってもうんざりするほど多い警察官。何を厳戒しているのですか?
 そして、テレビカメラ。彼らも思ったようにいい画が撮れずに、当惑しているようだ。しかし、テレビの画面では、あのわずか100人程度の「い集」が、さぞかし大騒擾のように見えるんだろうなぁ。
 
 もちろん、それなりにピースな雰囲気を野次馬として楽しむことはできたが、2年前のあのリーズ(対ローマのUEFAカップ。前のローマでのアウェイ試合で、リーズサポが2人ほど刺されて重傷を負っていた)のエランドロードスタジアムの張り詰めた興奮を見ている僕と竹田は、やはり少し拍子抜けではあった。

 小腹が減ったので、天下一品ラーメンを食べる。
 すると、イングランド人が数人入ってきて、ビールを飲み始める。そんで口をついた言葉がすごい。

 'Any meats here? Steak and Kidney Pie?'

 あんたさぁ。どう見ても、イングリッシュパブではないような店に、この極東で入って、ステーキ・アンド・キドニーパイがあるはずがないでしょうが。それにしても、あの場で、何のてらいもなく、この単語を、母国語で発音できちゃうイギリス人が少し羨ましくはあるぞ。

 よし、今度ロンドン行ったら、パブ入って、「なんかつまみになる刺身ある?しめ鯖とか?」と言ってやろう。もちろん日本語で。





6・1 A Riot of My Own


 予測していないこと、というのは起きる。

  ジダンの欠場、コンディショニング、セネガルの強さ、さまざまな要素を 考え合わせても、あれは予想してなかった。マジ震えた。 僕のフランス高評価は結局、ユーロ2000なんだよなぁ。フランスは、1998年から2000年までの2年間、衰えるどころか、どんどん強くなっていった。 だから2年後はますます、と思ったが、そうでもないのか。ディフェンス陣も、29歳から31歳では衰えないが、31歳から33歳ではガクッと衰えるということなのか。 わからない。


  今日は午後、駒場で行われているグローバル化についてのシンポジウムを覗く。 あんまり直接の興味を惹かれる話はなかったし、最も楽しみにしていた碩学の長尾先生のお話には間にあわなかったりで、ネガティブな印象なのはともかくとしても、最後のパネリストはきつかった。

 地雷廃絶のNGOに長くかかわっていた人らしい。アメリカでも日本でも教育を受け、テ レビ局にいたことも、シンクタンクにいたことも、経済産業省にいたこともあるらしい 。そんで、NGOをとにかく持ち上げる。「トランスナショナル・シビル・ソサイエティ」 の核に、世界のNGOのネットワークがある、と。

 いや、悪くない。悪い話じゃないし、悪い人でもない。だから、なおさらキツイ。

 NGOはサービス提供型だけでなくて、より専門的知識を集積させた政策立案・アドボカ シー型も発展していかなければいけない?NGOの役割は、「世論」を「先導」し、人々を啓蒙してゆくこと、NGOのレジティマシーは「世論」の支持にかかっている?80年代以前の「政府に数でたてつけばよかった」市民運動の時代から、見えない少数者が世界を決めている時代への変化に、NGOも対応しなければならない?それなのに、シアトルやジェノバに象徴されるラッダイト的な暴動は、アドボカシー型の新時代の運動へのセットバック になっている?

 あんたの言いたいことって、あんたのような「新世代の洗練された市民運動家/人道主義者」が一番嫌いそうなオールド左翼の「スターリン主義」そのまんまじゃん。党の思想。「人民を善導」するってか?
 ヨーロッパ議会に象徴される「15人で3億人の運命を決める」ことを批判しながら、 なんであんたたちも、「人道の専門家」たちが「オルタナティブな」政策提案をし、それをグローバルな組織にロビー活動する、「市民」にはあとで「告知」でもしときましょう、という同じ形を目指すわけ?

 そうだよね、だって「大衆運動」って合理的じゃないもんね。人がわさわさいたって、 専門的知識もないし、ロビー活動のノウハウもなくただ騒いでるだけだもんね。「専門的知識」を持った人に対抗できるのは、「専門的知識」を持った批判勢力だけだもんね。
 はいはい、アドボカシー能力とやらのある「批判のプロ」の皆さんからすればそうだろうさ。

 そんなら、「反対運動」や「抵抗」まで、「合理的」な「専門家」の占有物にされちゃったら、「体制側」でもなく「反対運動の専門家」にもなれない人は、どうすればいいのさ。合理性の専制という意味でいえば、ネオリベラルな思考様式を、「反対運動の専門家」の側も完璧に共有していない?それに「党の思想」の残滓を組んでいる分だけより厄介というか。

 こうして、「抵抗」や「批判」さえも、ほとんどの人からは、奪われてゆく、「専門知」の専制の補完的な完成。
 断じて言うが、「知識人」ってそんなもんじゃないでしょう? そういう形での「専門性」を目指すものでは、本来的にないはずでしょう?

 こんな話聴くと、グローバライゼーションに対抗するために、いやもう少し正確に言えば、現在世界中を覆いつつある合理的な思考様式に支えられた専門知の支配に対抗するために、いまここで必要なのは、無秩序な群集による組織化されない暴動なんじゃないか、という気がしてくる。
 支配側と、批判側の「専門家」どうしが、小難しい数字をはさんで行う「政治過程」を信頼するだけでは、どこに持っていかれるか分らない。そういう政治の技芸の役割を全面否定するわけではないが、そんな批判の専門家が、「市民」の一歩前で引っ張っていってる、みたいな顔をすることは許せない。

 専門知などない烏合の衆が、とにかく何かをぶっ壊す。「抵抗する権利」さえ奪われて ゆくことに抗して、とにかくムカツクものを本能的にぶっ壊す。
 そうゆうことが案外必要なんじゃないか。

 こんなことを書くと、相当危ない奴のようだが。マジDEATH。

 ま、そんな「無秩序な暴動」さえもあっという間に、グローバルな暴動のプロに組織化されて訓練されちゃうのが、現代なんだろうけどさ。


 White Riot, I wanna Riot, White Riot, a Riot of My Own... 
 このジョー・ストラマ―の雄叫びは、今でも、今だからこそ、大きな意味を持っている。



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現在の営み

過去の営み

2002・5(「UNIVERSAL SEX」、「見たくない現実を見る」、音楽遍歴、水郷紀行、その他ワールドカップモード突入)
2002・4 (学校週5日制、スローライフ、フーリガン対策、不法就労者なら「まだしも」、マネーの虎、ほか)
2002・3 (辻本さん、「郊外問題」、大文字の政治をめぐって、イスラエルの民、ほか)
2001-2002冬(立会い分娩、異人論、ラーメンとカレー、Yahoo!BBほか)
2001秋(アフガン・シンポ、インド系IT技術者、ブエナビスタ・ソシアルクラブ、9・11ほか)
2001春(入籍周辺、「菊次郎とさき」、別府紀行、イラン人のラーメン屋とケバブ屋ほか)


YAS IGARASHI ONdaWEB