9月27日 II  DUBROVNIK
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 そうこうしているうちに、家に帰ろうということになって席を立つ。
 アナは、ニージョに甘え続け、花を買ってもらうことに成功する。ところが、バスに乗りたいが金がない。たった10Knずつだが、彼らには大金。代わりに出してやることになるが、僕は僕で、最初勘違いして5Kn札を出してしまう、笑われる。

 バスに乗り込むと、ドブロヴニク旧市街が右手に。すさまじい美しさ。フェリーで到着するなり、まずこの町を通過するツーリストなんていないだろうが、まあ明日来ればいいや。

 モンテネグロ方面へ切り立った断崖を走ること45分。ズヴェコヴィッツァという山間の村で降りる。(この村の名前を覚えるのに6時間かかる)
 街道から海側へと降りてゆくほうにはリゾートもあるらしく、フランス人観光客もここまで結構乗ってくるが、我々一行は彼らとは反対の山側へ。
 聞けばここは、モンテネグロへ25キロ。岩山の向こう側はボスニアだという。10年ほど前のクロアチア独立戦争では、ユーゴ軍に完全に破壊された地域の中にある。ニージョの隣の家はまだ崩れたまま。建っている家は確かにみな新しいし、建築中のものも多い。
 そうした村の一角に、坂を利用した二世帯住宅みたいなものを建てて、下にニージョとアナが、上にニージョの母と(再婚した)義父、それとニージョの姉夫婦が住んでいる。

▲「辺境」の村ズヴェコヴィッツァ。
成り行きでここで4日過ごすことに。

▲天井のランプや魚の形の装飾もお手製
 ドブロヴニクでのパーティーのポスターだらけのニージョの部屋(アナによれば、暫く私が留守にしたからtotally messyだ!)に荷物を置くと、上の家にご飯を食べに行く。ニージョそっくりのお母さんが歓待してくれ、質素だが本当においしいご飯をいただく。
 パプリカの効いたマカロニスープ、豆のスープ、トマトペースト、それにパンとチーズ。どれも自家製か、近所の家のホームメードだという。
 家具も装飾品もほとんどが自家製。パン工場に勤める義父が、ラジオまで作ってしまうのだ。戦争で家が破壊され、生き残ったのはテレビをはじめほんの2・3品だという。そんな話を、工場での夜勤に備えて寝ている義父を起こさないように、声のトーンに気をつけながら話す。
 
 ニージョの母は、クロアチア人でダルマチアに浮かぶ島の生まれ。ニージョの実父は、15年前にガンで亡くなり、再婚した。あとで聞いた話と多少記憶がごっちゃになっているが、アナのほうは、クロアチア人のお母さんが、セルビア人の軍人(つまり、アナのお父さん)と結婚してサラエボだかベオグラードだかに住んでいたが、すぐに離婚してヴェラ・ルーカに戻ったという。
 誰の背景を聞いても、こうしたエスニシティの混交と悲劇は、そこらじゅうに転がっている。

 ニュースをやっているので、食卓も少し政治の話になる。みなおしなべて、当然反ミロシェヴィッチ。クロアチアの現政権は概ね気に入られている。アナの通訳で話をすすめるが、このパンク少女は、文学は好きでも政治に興味はない。
 サングラスを外して徐々に心を開き始めたニージョが、居間のクロアチアの地図でいろいろな地名を教えてくれる。それにしてもこれはすごい地図だ。歴史上に「クロアチア」と呼べる国があった時だけの5つぐらいの時代の地図だけで成り立っている歴史地図帳。

 最初はとっつきにくかったニージョも、要は単に英語ができなくて極端にシャイになっていただけの、「いい人」のようだ。
 部屋に帰ると、アナは眠いと言って、2人でKniffelでもやってて、と寝てしまう。そもそも僕は、このドイツ産のサイコロゲームのルールさえまったく知らないし、英語のまったくできないニージョと2人で顔を見合わせて途方にくれたが、ニージョが手振りで熱心にルールを教えてくれる。それでもコミュニケーションがニッチもサッチもいかなくなってくると、ニージョがアナを揺すって彼女の英語に頼ろうとするのは、少々可愛そうだったが。
 1〜2回やってみると、だいぶコツがわかってくる。シンプルだが予想以上に奥の深い戦略的なゲームだ。福本伸行に教えてやらなくては。それに、このゲームは、クロアチア語の数を覚えるには頗る効果的だった。

▲ニージョ・アナのカップルとサムラート
 しばらくたつと、ニージョの義兄のセルジュンとか、近所の友達が、入れ替わり立ち代り現れる。どうやら、この部屋は村の悪ガキの溜まり場になっているようだ。
 アナが帰ってきたと聞いて、電話もバンバンかかってくる。電話はこの部屋にはないので、電話がかかると、上の家の誰かが、壁をドカドカ叩いて知らせてくる。
 誰かが来ると、まずはジョイントを一本。結果、最初のほうからいる連中は引っ切りなしにキメている。
 8時ごろになると、もう一人の女の子、メリツァがやってくる。声は大きいが、どことなく大学時代の友人を髣髴させる癒し系で、アナ、ニージョ含めた4人で話が盛り上がる。
 日本の物価と時給について。マックの店員が時給が、50〜60Knだというと、みな驚きの声をあげる。クロアチアの3〜4倍のようだ。そして、Phisychara な仕事、つまり肉体労働は、100Kn近くにはなると言うと、ニージョが今すぐ日本に行くといってハシャぐ。
 とにかくみんな、ここに集まってくる20〜24ぐらいのコたちの誰にも仕事がないのだ。みんな失業者。昼頃起きだしてブラブラしてジョイントを吸い、誰かの家に集まってクロアチアやイギリスのテクノとロックのカセットを聞く。クニフェルとカードと他愛もない話とビールとで時間をやり過ごし、また明日何もない1日が昼から始まる。
 そんな日常だ。

 ニージョには、いま日本は景気が悪く、肉体労働はほとんどないし、外国人は違法になってしまう、というようなことを説明し、女の子2人には、「ただ女の子にはエンターテイナーとして正規のビザを取得して、来日してパブで働くこともできるよ」と一応言ってみる。
 「これはプロスティテューションではなくて、ただ男のお客さんとお店でしゃべるだけで1時間200Kn以上は稼げる、日本の男は東欧の女の子が好きだから、ロシアやルーマニアの女の子はたくさん働いてるよ」と言うと、予想通りアナは狂喜して、「今すぐエージェントを紹介してくれ」と言う。
 ヤバイ、煽ってはイカンと思い、「う〜ん、これはそんなに悪い仕事ではないかもしれないけど、いい仕事とは言えないよ、スケベな男を接客してイヤなこともたくさんあるだろうしね」と言うと、アナはそんなこと構わないと言うが、メリツァは、「私にとってはdefinitely bad work」と言う。彼氏のいないメリツァは、アナとは本当に性格が違う。

 それから、メリツァとニージョと3人で、メラとか言うカードゲームをする。これはルールが複雑で、メリツァも説明しようとするがうまく伝わらない。何とか見切り発車ではじめるが、ところどころでニージョが「通訳して」と言うと、だんだん疲れてきたメリツァは、「そんな難しいことわかんないよ」とか、不機嫌になってくる。
 そうすると、ニージョが気を利かせて、Dinaliとかなんとかいうソーヅとかピンヅみたいな絵(つか、マジにマージャンとルーツを持ってるんじゃない?)のあるイタリア製のカードでマジックを見せてくれる。
 ホント、こいつイイ奴だ。

 金髪に染めたショートカットの女の子ヴェゼと、男の子たちが何人か来てメリツァが帰ったころ、僕は疲れがたまってバタっとと寝てしまう。
 万一とは思うが、一応失礼を省みず、カバンのセキュリティだけは必要以上に万全にする。この状況でいざとなったら、まるで意味がないのはわかってるんだけど。

 2時ごろ、マリンとかイヴァンとか威勢のいい連中がビールを持ってやってきて、起こされてしまう。
 しばし、サッカーからK1、プレイステーションの話などで盛り上がる。マリンは、Tekken2のテクニックから、ニーノ・ブーレがガンバ大阪に移籍したことまで、本当に色々なことを知っている。ストイチコフの話をすると、自分の住んでいる柏のことさえも説明することができた。
 ただ、ヨーロッパのコたちによくある異常に日本を神秘的・超自然的に見る傾向の延長なのか、「バミューダ・トライアングルの裏側が日本で、消えた船が出てくるんだろう?」とか意味不明の話も多かったが。

 そのうち、バーミンガムにネヴェナというセルビア人の友達がいるという話を皮切りに、政治の話をする。一番若いマリンが、ネヴェナは爆撃のことを何ていってた?と知りたがる。イヴァンが、「それはタブーだろ、よせ」という感じでたしなめるが、マリンは僕の感情も聞きたがる。
 この時期に、この微妙な話題はできれば避けたかったが、「僕はミロシェビッチは好きではないので、クロアチアは支持したい。でもアメリカは、もっと好きじゃない。あの空爆は、アメリカのエゴの部分が大きい。ユーゴとアメリカのどっちも支持できない。これは僕だけじゃなく、多くの日本人の感情だと思う」というようなことを言って、何とか切り抜ける。
 話題が何となく太平洋戦争のことに移り、そこでみんな日本に同情的となる。何と言っても、ナチス・ドイツに協力したウスタシャの国だからねー。

 その後、フットボールの話に変わると、ようやくどことはなしの緊張感が溶け、平和が戻る。やはりみんなフットボールは好き。僕も時々GKをやるというと、今日もフットボールをしてたよ、ってのが3人もいたし、うち1人はフランスに行って、日本戦のスーケルのゴールを見たという。

▲こうして溜まり場にもダラダラと朝がくる
 何やかやとみんな日本製品には興味津々。日本では各社の競争により、携帯電話の機種変更はほとんどタダだよーというと、使い古しの携帯をねだられる。
 僕の持ってる8年ぐらい前に1万円で買ったものでさえ、こんなの古いんだよ、と言っても珍しがり、アナは「こんなのクロアチアにないわ。ズームのついてるカメラなんて初めて見た」とゆう。「私、これじゃ田舎の村の何にも知らないコみたいね」だって。
 アナみたいな尖ったコにそうゆうことを言われると、悲しい気分になる。ここは、ヨーロッパ世界の辺境の国の、そのまた端っこの小村で、二重の意味で田舎としかいいようのないところだが、以前NGOのツアーで行った北タイの村と違って、すべての先端の情報が入ってくるし、ユースカルチャーの文脈でもヨーロッパの一員であるというアイデンティティを強烈に欲している場だから、かえって残酷かもしれない。
 とりあえず、帰ったらみんなに送ると約束してしまったもの : 風鈴、使い古しの携帯、ここで撮った写真、レディングで見た豆粒のようなオアシスの写真、日本の絵葉書、日本のテクノのカセット、日本的な絵柄のタトゥーのシール。

 4時ごろみんな帰ってお開きになり、ようやく長い一日が終わる。

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