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スタジアムとディスプレイのあいだ 五十嵐泰正
「あの試合を見た」というと、韓国人や「在日」の友人には、例外なく羨ましがられる。大会開始直後に、「ポルトガル対クロアチア」戦を楽しみに楽々入手した大田での決勝ラウンド一回戦のチケットによって、僕は、安貞桓のゴールデンゴールという、全ての韓国人にとっての伝説を目の当たりにすることを許された。しかしこのゴールに至るプロセスは、僕の脳内CPUの処理速度を遥かに越えており、あの瞬間僕は完全にフリーズしていた。初めての韓国上陸があの異常とも言える2日間であったこと、掛け値なしにエキサイティングな試合の観戦、そして何よりも、3時間前に安ホテルの映りの悪いテレビで見た宮城の試合の虚脱感。一晩中上機嫌な見知らぬ韓国人たちに慰められ、居酒屋でツマミを奢られながら、さまざまな感情がない交ぜになった僕の胸の奥には、あるどす黒い「悪魔的な感情」が首をもたげ始めているのを意識していた。 帰国後僕は、何かに取り憑かれたように、ディスプレイの中の世界を検索し始めた。書き手のプロも素人も、ほとんどが「悪魔的な感情」を爆発させていた。トッティの退場を初めとするホームの韓国にあまりに有利な審判の判定への疑問、憧れのセリエAの貴族たちを揃えたイタリアが「負けるはずのない相手に負けた」という当惑、アジアサッカー界における長年の宿敵だった韓国がまたしても日本を軽々と越えていったことへの嫉妬。俄かを含めたサッカーファンのそうした感情が、2chを中心とした匿名性の高いネットの世界に以前から燻っていた、嫌韓感情や差別意識と結びつくのに、時間はかからなかった。サッカーファンたちは、自分たちの「醜い韓国」に対する感情が、あくまでもピッチ上に由来するものだけであることを強調したが、ヒディングのチームの華麗な攻撃サッカーを見せ付けられると、今ひとつ説得力に欠けていた。 マスメディアの姿勢が、ネット上の嫌韓感情に拍車をかけた。W杯は、ネイションの物語と結びつき、普段は意識することも稀な心の奥底から強い感情を惹起する。昨日までW杯を代理戦争だ、と煽っていたメディアが、突然これからは勝ち残った共催国をみんなで応援しましょう、と言いだしても、全ての視聴者が素直に応じられるはずもない。トッティ好きなミーハーファンという絶妙な立場から歯に衣着せぬ言動をする飯島愛を除けば、イタリア戦の疑惑の判定にも誰も疑義を差し挟まない「アジアの友好」一色のメディアに晒されて、サッカーファンの多様で素朴な感覚は、匿名のネットという地下に追いやられ、差別意識と結びついてしまったのだ。スペイン戦での更に露骨なゴール取り消しを経て、ネット上のどす黒い言説は、「真実を言わない」メディアに対する対抗的な「サッカーの正義」という自己規定を獲得し、国立競技場での韓国−ドイツ観戦でドイツを応援しよう、という運動へと至る(そこに、日独伊三国同盟という、教科書で習った第二次大戦の記憶があったことも指摘しておきたい)。また、韓国戦では数百万人(!)の大衆が街頭で代表チームに声援を送る一方、それ以外のチケットが売れ残るというよう隣国の極端な状況も、日本の「良識的」サッカーファンの眉をひそめさせた。そこに、「韓国はいつも日本のナショナリズムを批判するくせに、自分たちこそ、こんな世界的なイベントで自国のことしか考えていない」という意識があることも、問題を複雑にしていた。 日韓共催は、確かに草の根レベルで両国民の交流を増大させる一契機にはなった。しかしそれが、サッカーを媒介とした両国民の率直な議論というあるべき姿に発展せず、「奇麗ごと」報道に終始してしまったことで逆に、どす黒い嫌悪感や差別意識を、ネット上の淀みに沈殿させてしまったということも、残念ながら事実であった。W杯終幕から2ヵ月半ほど経ったあの日以降の外交的難局に際して、「太陽政策」の韓国と歩調を併せていくべきだ、とする世論がほとんどみられないことも、その負の遺産の結果であるような気がしてならない。 |