お知らせ ここのところ、更新が滞って本当に申し訳ありません。もはや、僕の「日記」など待っている方は誰もいないと思いますが・・・ 何事にも三日坊主な私が、曲がりなりにもここまで2年ウェブ時評もどきを維持してきたこと自体驚きではありますが、さすがにこの形態ではちょーっと限界を感じつつあります。 というわけで、みなさんのすなる「ブログ」というものに手を出して目先を変えてみようと、突然の大決断(笑) 安易だなー。 そんなわけで、こちら、下記ニフティのブログ・サービス「ココログ」にて、「まだまだこんな風に生きてみた」開始いたしました。とりあえず初回ということで、ここ10日来の日記をまとめてアップしてあります。初心に戻って日記的なものから再開していきたいと思っています。 http://yas-igarashi.cocolog-nifty.com/hibi/ まあ、さまざま大変なことになっている日本語ブログ界、開始早々にて尻尾を巻いて逃げ出す可能性もありや、と思いますが、その際も嗤ってお付き合いください(←いやらしい予防線) これに伴って、本家YAS-IGARASHIondaWEBのほうは、また新たな形で整理再編していこうかと。とりあえず2年間の「こんな風に生きてみた」記事をまとめることはしなきゃですが、突発的に企画ものをはじめる可能性もあり。少し時間はかかると思いますが、よろしく見守ってやってください。 おもなタイトル
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| 3・21 パキスタンで考える:予告編 えー2週続けて、「民意なるものはテロにとても弱い」ことが証明されてしまいました(笑) やっぱり、「自作自演」だったのでしょうかね、あれ。 国民党支持派があそこで銃撃するのだとしたら、噴き上がった頭の不自由な方々の仕業だとしか考えられないわけなんだけど、とすると、そういう人って、カンタンに現場でつかまりそうですよね? まさか中国が、台湾を本気で呑み込みたくて、陳政権を誕生させた・・・? さすがにそこまで悪趣味なことは考えないことにしときましょう。 スペインのほうは、そりゃあもう、かつて見たことのないぐらいのテロリストの「大戦果」でしょう。 そういえば、一年ちょっと前のこの時期に、アスナールは、ブレアとブッシュを左右に従えて、アゾレス諸島で得意満面の笑みを浮かべてたっけね。「歴史を動かすような国際会議を300年ぶりに仕切るのが、こんな形で情けない」と、当時のスペインの新聞は書き立てたそうな。 そのスペイン、単なる「反テロ連合の一員」と言うには、(分不相応に)重たい役割を背負っていたスペインが、イラクから撤退するという象徴的な意味は計り知れないからこそ、早くもアメリカはサパテロさんに圧力をかけまくってるわけで。 こりゃあ、味を占めるよね。 冗談抜きに参院選前は危ないですよ。 本音を言えば、自衛隊どうのこうのはすっ飛ばして、そんなことで民主党のオリコンさんたちに政局が転がり込むのがイヤかな、とか思ってしまうワタシ。 テロなんかをあっさり乗り越えて、オラが村に道路を引いてくれるセンセを相も変わらず推してくれたら、日本の民主主義も安泰かと思うんですが(これ、皮肉じゃないですよ)、この夏にあるのは、幸か不幸か、「空気」に流されやすい参院選だしね。狙い目ですよ♪ なんて、オチャラけたシャカイ派トークはこの辺にして、一週間ぐらい前の読売夕刊の文化欄に、久しぶりにほほーっと思ってしまうような論説が載っていた。 小川忠さんという方が、中東版のきわめて生臭いハムレットの翻案劇、『アル・ハムレット・サミット』の論評の形で、原理主義を論じたもの。 この辺の話に興味のある人にとっては、常識とも言えることなんだけど、案外知られていないと思うので、ちょっと長めに引用。 ----------------ちょっとわかりにくいですか? というか、ピンとこないかも知れませんね。無理もありません。 さまざまな形で(日本を中心とした)「近代社会」と接してきた十数人のパキスタン人と親しく付き合ってきた僕からすると、これは皮膚感覚でわかる話なのですよ。 もちろん僕の友人に、日本でイメージされるような闘士タイプの「原理主義者」はいませんが、ふと原理主義的な宗教観を漏らす友人はいます。その彼こそが実は、パキスタン人仲間の中でもっとも学があり、日本でもっとも「近代」の感性を吸収し、そしてパキスタンの「文化」をもっとも酷く嫌悪する人物だったりするのですよ。 僕が、1ヶ月前カラチでぐるぐると考えていたのは、こうした「近代」をめぐる問題系でした。 もちろん、よく言われているように、この日本にも「近代」は訪れているのか、という問題があるわけですが、それを日本社会の中だけで、あるいは「近代」の範型とされている(理念化された)西欧と日本との往還の中だけで思考しようとしても、それはほとんど滑稽な結果になります。 しかし、日本とは違う形で「近代」と接合してきた歴史を持っているパキスタンのような国を見ることで、否が応にも「近代化とは何なのだろう」という問いをつきつけられることになります。案外すんなりと「近代」を迎えている部分がある一方で、日本人の感覚からするととんでもないところで、ゴツゴツと「近代」とのコンフリクトを繰り広げている社会を垣間見ることは、とても刺激的なことです。 どうやら、ちょっと思い出すだけで疲弊してしまって書く気になれなかったパキスタンの話を、書くべき時期が来たようです。乞う、ご期待! っていつ? →大風呂敷を畳む方向で、なるべく早めに頑張ります。 3・8 長嶋とジーコと 長嶋茂雄が脳梗塞で倒れた。 この病気の回復は、本当に状況や人によって千差万別なので何ともいえないが、一般的に考えてアテネ五輪に向けた選考と指揮のすべてを彼が担うのはやはり無理で、何らかの代行監督の形をとることになるだろう。 長嶋に気を使う協会が現時点で言っているように、中畑ヘッドの代行昇格という最低最悪の結論もありうるが、それではいくらなんでも「国民」が納得しないだろう。常識的に考えると、誰か名前に重みがあって長嶋と人間関係もこじれていない、かつこんな任務を引き受けてくれるぐらいにはお調子者な人材が抜擢されることになるだろうから、スポーツ紙の先走り報道どおり、星野という名前しか今のところは思いつかない。 だとすれば、殊更に私怨もない長嶋茂雄とそのご家族(しかし、「ご」という敬称をつけた後、一茂の顔を思い浮かべると笑ってしまう)には申し訳ないが、「金メダル」取りに向けて、考えうる限り最高のお膳立てが整ったということはできないだろうか? 選手選考を含めたチーム編成コンセプト=戦略、現場指揮と戦術両面で、長嶋という人は、どんなに贔屓目に見積もっても、監督として凡庸と呼ばれる域にある。 それは、90年代中盤以降常時圧倒的な巨大戦力を擁しながら、1年おきにリーグ優勝することも覚束なかった日々の一喜一憂を覚えている巨人ファンなら、誰でもいやというほどわかっている。気づかないフリをしている人はいまだに多いけれども。 しかしそれでも、オリンピック日本代表監督としては言うまでもなく替えの効かない存在だった。 なぜなら、前例の乏しい日本版「ドリームチーム」を編成するにあたり、長嶋茂雄という天才肌で誰からも憎まれることのないビッグネームの存在は、各球団に対して選手供出へのこの上ない圧力となっていたからである。 長嶋茂雄という「名前」だけを利用し、戦略と戦術は、より有能な誰かに任せる。 誰しもが理想的だと思っていたこの状況が、長嶋本人の不幸な事態により、現実に可能なものになりつつあるわけだ。 この時点から監督代行が誰になったからって、掌を返したように協力を拒む球団があれば、「病床の長嶋さんに・・・」叩きが始まることは必定なので、そんな馬鹿なことをする球団オーナーや監督はどこにもいないだろう。 より有能な現場指揮者(くれぐれもそれは中畑清ではありえない)が、アテネ五輪までの準備を粛々と進めてバランスの取れたチームを作り上げ、夏まで静養に勤めた長嶋茂雄は、本番アテネのベンチの片隅か貴賓席に座り、僅かな言語障害の残る甲高い声でマスコミ向けのコメントを発してチームを鼓舞し続ける・・・この絵が、最強なのではないだろうか。 翻って・・・ 申し訳ないけれども、ジーコ・ジャパンにも同じようなことを夢想してしまう。 これまであまりにも悲しすぎてこのサイトで触れることは避けてきたけれども、ジーコの監督振りは目を覆うばかりだ。選手選考、チーム運営、戦術理解、何から何まで「失格」の域にある。 細かいことはネット上で語り尽くされているので繰り返さないが。(ただ、なんでアントラーズGM時代のジーコはそれなりの結果を残していたのかという疑問は残るが、この「現在のジーコには確信犯的にやる気がない」という自爆的かつ悲しい結論が、最も妥当であるように思う。) 正直言って、まともな監督経験のないジーコに、大事な大事なA代表の監督を任せる決定をしてしまった時点で、この結論はある程度見えていた。 少なくとも、2002年夏の時点で、こんな出目の薄いギャンブルをする必然性は、日本には全くなかった。 しかし、冷徹に考えれば、監督としての実質面からは離れた部分で、ジーコという人選のメリットも確かにあった。 それは、言うまでもなく「名前」である。 前回の自国開催のW杯前は、日本のグラウンド、気候やインフラをチェックしたい各強豪国が、時差をものともせずに、日本とのテストマッチを引きもきらずに組みたがった。 しかし、この大きな好条件は、2006年のドイツ大会を目指す現在のA代表にはない。たかだか自国開催のW杯で1次リーグを突破したことがあるだけに過ぎない、極東のサッカー後進国とテストマッチを「してくれる」伝統国・強豪国は、激減することが予想される。何かよほどの「売り」か「人脈」がなければ・・・ そこに格好だったのは、間違いなく「世界」に通用する、ジーコ監督という名前であった。かつては80年代の黄金のブラジルをリードし、現在では狭いサッカーセレブレティの世界の中心にいた人物。しかもそのビッグネームが、なぜだか極東の小国にたぐい稀なる思い入れを持ってくれている。 いくら実質面では出目の薄いギャンブルだったとはいえ、この「名前」とそれに付随する「人脈」いう付加価値は、日本の協会にとって、いかんとも換え難い魅力があったのだろう。 現に、ジーコ就任以後も、強豪クラスとのAマッチは順調に決まり続け、今年も既にイングランド、チェコ、アルゼンチン、さらにはドイツとの対戦も決定している(もっとも、オマーンにおたおた勝利するのがやっとの今の実力では、宝の持ち腐れ的に豪華すぎるカードではあるが・・・) この、マッチメークというわかりやすい問題以外にも、陰に日向に、ジーコのサッカーセレブレティ人脈が、日本サッカーの強化に役には立ってきたのだろう。 それはもちろん、努力に努力を重ねてその世界の一角にようやく喰らいついた前任者が、その「人脈」を新天地のカタールでえげつないほどに駆使して顰蹙を買っているのとは異なる、「貴族的な」やり方であるのだろうが。 そんなサッカーの世界の折り紙つきのセレブレティ、ジーコが、この極東のサッカー後進国に思い入れを持ってくれているのは、一種の天佑としか言いようがない。(確かにそのきっかけからして、バブルの残り香のようなジャパンマネーだったかもしれないが、今となってはそれはどうでもいいことだろう)。 ジーコだけではない。ヴェンゲル、ドゥンガ、ストイコビッチ、ブッフバルト・・・ジーコと比べれば少しスケールは落ちるものの、今でもこうした人たちが日本と縁を持ち続けてくれているのは、日本サッカーの大きな財産だ。 僕自身就任当初から既に心配していたのは、そういうことだ。 何の気まぐれかこのサッカー後進国に思い入れを持ってくれている「神様」を、石持て追う結果になってしまうのは、長期的にも相当の痛手だ、だから、ジーコ監督という出目の少ないギャンブルには賭けるべきではなかったのに、ということを、僕ははじめから危惧していた。 だから、既にジーコのだめっぷりが白日の下に晒されてなお、チラホラと知人の名前もあったようなジーコ解任デモに参加する気には、やはりどうしてもなれなかったのだ。(デモ参加派の人たちは、それぞれに深い断腸の思いで参加なされたのだろうが) 無能な監督してのジーコを排除し、なおかつ、ジーコをこの国から石持て追うことをしないで、彼がいつまでもこの国のサッカー界に気持ちよく名前と人脈を提供し続けてくれる道はないものだろうか・・・ 常々そう考えていたところに、「あ、この手があったか」と、不謹慎ながらポンと膝を叩いたのが、今度の長嶋さんのニュースを聞いた時であったのだ。 無論、人が、しかもそれなりに好意を持っている偉大な元サッカー選手が、本当に再起の難しい病魔に襲われることを、望んでいるわけではない。 しかし、誰もが傷つかない形で、「欧州と南米のいいとこ取りという極めて日本人的ないい仕事をしている」山本正邦の座るベンチの上の貴賓室に、自らの名前と人脈を提供しながらチームを鼓舞し続けるジーコがいてくれるという絵が実現できたなら・・・ やはり、この絵は、夢想しておくだけにはあまりに惜しい。 3・4 生命力 本当に長らく更新しないですみません。 何をしていたかというと・・・本当に何もしていなかったのです。 その前から引きずっている疲れもあったのでしょうが、パキスタンでは思いのほか疲弊してしまって、帰国後かなり風邪引きなどをこじらせていました。おまけにパキスタンのことを書こうとすると、どうしても筆が進まず・・・(こちらの方は、いつかきちんと自分の中で熟成させてから、まとまった論文にする機会もあるでしょう) いや、「異文化」の中に2年も3年も漬かりっぱなしの上に、それを確実に文章にしていく人類学者って本当にすごいと思います。 といいつつ、冬の木更津沖堤での渋い釣りには2度ほど行ったが・・・ 手の平サイズのカレイを何枚か釣り、魚が住んでいる堤防の礎石のニッチを狙えば、オールシーズン確実に釣れるムラソイを引きずり出したぐらいのものでした。 ところで、ムラソイって水を抜いたクーラーで、一時間半ぐらい持ち帰ってきても、全然ピンピンで生きてるんです。鱗をはがして小麦粉をつけてもまだ生きてる。 それじゃ可哀想っていうんで、心臓を一突きして、その後内臓をすべて取り去ってあげても、まだ「筋肉の不随意運動」というレベルじゃなく「意思を持って」体をピチピチさせ、油に入ってもうヒトはしゃぎ。 鱗と内臓を取り終えた魚の「内側」に片栗粉をつけようとしてピチピチはねられると、夢に出てきそうです(>_<) 20cm弱のこの魚を、カリッカリになるまで二度揚げして、頭からかぶりつくと、最高の味わいなのですが。 夏の釣りでこの魚を釣ったときには、家に帰るまでに確実に死んでいたことを考えると、この魚は皮膚呼吸にはかなり強いが、温度上昇には弱いのでしょうね。 まあ、ソイ系って寒帯系の魚だから。 それにしても、普段は堤防のニッチから一歩も出ないグータラ王なのに、一旦生命の危機に陥るとこれほどの生命力。 ソンナ生物ニ、ワタシハナリタイ。 2・17 疲れています。 パキスタンより一昨日帰国しました。 いつものことですが・・・やはり激しく疲れています。南アジア系のところを好きで調査しているにもかかわらず、やはりいつでもおなかを壊してしまうのですよ。インド系の料理は大好きなのですが、やはり連日だと油が逆らってしまうし、それに神経的な負荷が必ず加わるので。本質的に消化器は弱い人なのでしょう。 おまけに、今回は冬で寒暖差が厳しかったので、成田空港で早速風邪をもらってしまったし。 もともと、今年は夏頃にパキスタンに一度行こうと思っていたのですが、以前に日本で就労していた中でも最も仲のよい友人が結婚するということで、急遽予定を早めて行ってきたのです。 僕の友人たち(もはや調査対象者という感覚は、いい意味でも悪い意味でも希薄なのですが・・・)が住んでいるのはみな、アラビア海沿いの最大の商都・カラチ。そこに5日滞在して、帰りに北部パンジャーブのラワルピンディに1泊だけして、首都イスラマバードとその近郊を少し観光しました。 今までのパキスタン旅行では、二度とも友人の家をはしごして終わってしまったので、はじめてたった一日とはいえ自分でスケジューリングして自分のペースで「旅行」をしたわけですが・・・ ああ、「旅行」って何と楽なのだろうかと(笑) 学部時代に初めてインドに行ったときは、空港に藁藁と群がるタクシー運転手を捌くだけでかなり疲労していたが、そんな「他人」をあしらうことなど、友人たちが自らの親戚を次から次に紹介するのをあしらうことに比べれば、何と言うこともない。 カラチに比べれば、雨も振り、気候もよく、首都近郊ゆえに社会資本も格段の差で蓄積され、人々の気質までだいぶ穏やかなパンジャーブで一日癒されていなかったら、今はもっと死んでいたことでしょう。 カラチの「移民送り出し家庭」(と書くと笑ってしまうが、そうなのだよな、記述的には)では、ひたすらにモダニティについて考え、パンジャーブでは、タキシラにあるガンダーラの廃墟を見て、ユーラシア大陸という言葉の真の意味を実感してきた旅行でしたが、今日は時間がないので、詳しいことはまた後日。 2・6 吉野家様へ大提言 牛丼業界が米国産に頼っていることは、個人的にはフバイの件で以前から意識していたのですが(笑)。 いよいよ始まりましたねぇ、駆け込み需要が。心なしか、吉野家本気で殺伐としています(笑) ところで、みなさん大方既にお試しだとは思いますけれど、吉野家の「カレー丼」は全身全霊不味い。強いて名づけるなら「ゲル状液のかかったタマネギ丼」。 豚キムチ丼も相当酷い。麻婆丼はまだ試してないんだけど、カミサンに訊いたところ、こちらもかな〜りなものらしい。 う〜ん、あれだけの牛丼を提供できていた店が、こんな体たらくになってしまうものなのでしょうか。 カレーなんて、POT&POTのノウハウを持ってくればいいのにな。 経営戦略で考えても疑問が残る。 さすが吉野家、最大手の体力というか、「なか卯」や「すきや」よりも牛丼をやめるのを遅らせることができたのは、いわば後出しジャンケン的なアドバンテージ。 他チェーンが豚系の丼に一斉に切り替えるのを見届けた上で自社の戦略を立てられるのは、この上なく有利なことと思うのですが、なんか今ひとつ吉野家さん、それを生かしきれていないような気がするんです。 僕が吉野家の意思決定をできる立場なら、安い和牛肉を仕入れて、並盛480円ぐらいで「プレミアム牛丼」なんちて売り出すけどな。さすがにプラス200に見かけ同じものではきついところだろうから、ちょっと麩や白滝でもあしらって盛り付けにも気を使い、プチ高級感を演出するとか(それでいて、原価は下げられるという罠)。ワンコイン範囲なら、多少の箔つけ(の感覚だけでも提供すること)で、飛びつく人が大半だと思うんだけど。 やっぱり280円以上払いたくな〜い、という客層には、「ゲルネギ丼」でも大幅値下げしてあてがっとけばいいし。(どう考えても、このメニューめちゃくちゃ原価は安いはずだよ!) 安い和牛肉の確保ってそんな難しいのでしょうか? 一昨年のBSE以来、和牛の価格ってすごい下がった気がするから、スーパーマーケット感覚で言うと、そこそこ安い和牛をかき集めるのって大した難しいことのようには思えないんですが。 少なくとも、「プレミアム牛丼は一店舗一日限定100食」なんていうキャンペーン張れるぐらいには確保できると思うのだけど。 いま「プレミアム牛丼」出しとけば、ぞろ豚丼の他店を尻目に、「多少高くても・・・」の牛ジャンキーを取り込めるだけでなく、輸入禁止措置が解除されてからも「プレミアム牛丼」メニューを残して、長期的な利益率上げだって視野に入れられるわけだよね。 吉野家の幹部のかた〜、どなたかココご覧になってくださいませんか〜 まだ間に合いますよ! ところで、上海のこともまだサイトに書ききれていないというのに、明日からまた海外である。 パキスタンに一週間。 行く前に、締め切りブッチ中の原稿さすがにあげていかなきゃ。今夜は徹夜だ〜>時差対策にもなり一挙両得? 気をつけようにも気をつけようのないリスクは考えないことにして逝ってまいりまつ。 ま、基本的には友人と一緒だし、日本人ということでどうのこうの、っていう地域ではないからね。 ところで、ちょっと前に、「自衛隊を守れというファトワ(宗教見解)が出た」っていうニュースを見たけど、ホントかな。 ホントだとすれば、これものすごく素晴らしいことなのでは? もしファトワを出させるべく裏で外交官がいろいろ動いていたというのなら、死んだ井上・奥両氏を含め、日本外交の努力を久々に誇りに思えるけどね。 そんな裏工作なく、イマームが素でファトワを出したっていうんなら、少なくともこの一点だけは、最近とみに評判の悪い「戦後の一国平和主義」の最高の結果として、世界中に胸をはっていいと思うんだけど。 まあ、こういう長年営々と築き上げたアラブ圏におけるポジティブな対日イメージを根こそぎぶっちぎっちゃう可能性があるのが、今回のイラク派遣なわけだが。 そうなった時には、パキスタンだって日本人が行くにはやばくなるだろうから、一応読者のみなさまはテロ関係のニュースでぼくの名前を探しておいてください(笑) 2・5 中村さん 僕がうんうん唸っている間に、あまりフォローする時間も気力もないのだけど、結構いろいろなことが起きてますよね、よのなか。 中村修二さんですか。 ほとんど00年代最強のヒールになっちまった観のあるこのヒトですが(ところでノーベル賞受賞したら、みなさん掌返ししちゃうんでしょうか w)、当サイトは、何度もこの人に関しての論評を書きだして途中でやめています。 結構問題は複雑なんですもの。 まあネット世論は出揃っているので、今更感もありますが、とりあえず論点だけ。 ○ 裁判所の法的な裁定はたぶん正しそうだけど、現行法の範囲内で正しい裁定を下してたら、この「知識社会」では えらいことが起こるよなぁ。裁判所が逃げ腰を打ってたほどには、そんな例外的な事例でもないと思うんだけど、これ。 ○ これ技術者だけの話だろうか? ビジネスモデル特許とか、金融とかには関係ないんだろうか? あとで訴訟起こされるとヤだから、超人的な個人が会社に貢献したら、相応の額を払いましょう、っていうリスクヘッジ マインドが業界横断的に広がっていったら・・・? ○ たとえば、1万人を雇用する銀行の年間収益1兆円のうち、6000億円を5人の敏腕ディーラーが稼ぎ出していた としたら、彼らに50億ぐらいずつの(これでも十分少ない!)年俸を払うべきなんだろうか? 彼らが投資に使った 金子が、「収益性が低い」ということでリストラ対象になっている8000人の窓口職員が、1000円単位で集めたもの だったとしても? ○ そういう状態って「モラル・ハザードだー」なんちて思っちゃうんだけど、違いまつか? それともこんな想定自体 DQNなの? ○ 佐高信がワイドショーで、「これで社員が企業に隷属していた流れが変っていくでしょう」と眠いことを言っていた。 テレビ向きのコメントだったのかもしれないけど、少なくともテレビで彼はこういうことを言う役割になっていること自体、 旧左翼のダメさ加減を表しているよなあ。 ○ 中村さん、200億円なんて一気にもらっちゃって、かえって使い道に困らない? ○ と考えちゃうこと自体が、「大きな目標に向かって自己投資に励む自立した個」とは無縁なダウナー系の庶民なんだ ろうなぁ。 1・28 このところのイタ痒いワタシ 1月末の締め切りが迫り来る原稿が、正直さっぱりわやや。 書き出してみて、自分という世の中でもっとも大甘な読者が片目つぶって読んでも「つまらない」。 取材を重ねれば重ねるほど、しょうもないベタベタ枠組みで論文を用意していたことだけが身にしみてわかります。とはいえ、多少刺激的に書こうには資料不足&力不足&時間不足の三重苦。 ふぇーん。 まあ、数日は締め切りぶっちさせてもらえそうではあるが、だからどうなるというものでも。というわけで、現実逃避で久々にヘビーなネトヲチなんぞをしている日々でした。 いま、はてな界隈がますます盛り上がってるみたいなんでつらつら見てみる。 北田さんとか東さんとかCharlieさんとかの名の通った才人がたは当然としても、気の利いたことをおっしゃる方が他にもわんさかいらっしゃって(特に、綿矢りさネタから始まって、「ソノコ症候群@白線流し」→「臭いのある街」→「木更津キャッツアイ」と展開するここの議論は、素で勉強になりました)、わが身と引き比べてますます落ち込む。 んで、このたわいもない日記まで恥ずかしさで書けなくなっておりましたが、あまり間隔をあけても仕方ないので、ダラダラと漫画のことなど。 ネトヲチしてる最中にどこかで(忘れた)、社会民主主義を成立させる車の両輪は、嫉妬心と同情心だというのを読みました。 まあ実も蓋もない言い方だけど、そう間違ってもいまい。 「自助」の言説花盛りの現在、その二つの扱われ方をみれば、すごく明らか。 前者は文句なく薄汚いものとして、後者は単純に弱者を甘やかすものとして、ないしはこの上なく傲慢なものとして。 そのうちのひとつ、嫉妬心をそのままタイトルに掲げるマンガがスピリッツに連載されているから笑ってしまいます。 『ルサンチマン』。 一言で言えば、10年ぐらいあとの今よりもう少し色んなことが顕わになっている近未来で、先行きのない人生を送っている30がらみの醜男が、最新の体感式・バーチャルギャルゲーをやり始め・・・というようなお話。 この先かなりベタになりそうな予感もあって、まだ何ともいいがたいところはありますが、とりあえず注目していい「イタ痒さ」だと思います。 それにしても、最近のスピリッツには、『The 3名様』『高校アフロ田中』もあわせて、結構「負け組若年層(笑)」のダウナー日常系マンガが多い。 そりゃ『20世紀少年』はいまさら読むのやめられないし、巷では『東京エイティーズ』が話題だけど、僕が楽しみにしているのはその辺のダウナー系漫画。 そういや、ライバル誌のヤンマガにも、『しあわせ団地』という強力なのがありましたっけね。オリジナルの『最強伝説黒沢』は、またちょっと違うジャンルでしょうが。 その手の漫画、僕は素で結構「イタ痒い」んだけど、イタ痒さを安全地帯から笑うような読者層の方が多いとも思えないよな>スピリッツ あ、そうそう、ネトヲチして楽しい話題も見っけたよ。 テレ朝の「黄金伝説」で、浜口が海に潜って銛で魚を取ってくるのを、やらせ半分と思っている人が多かったと思うけど、全然そんなことないみたいよ。 世の中には、こんな風に魚突き(=スピア・フィッシングというらしい)でサークル作っちゃう人もいるらしく。 これには、正直腰抜かした。だって、素潜り&手銛で90cm級のヒラメだのスズキだのクエだの取ってきちゃうんだもん。釣り師にとって「1匹釣るには100万ぐらいつぎ込まないと」と言われるイシダイなんて、50cm級を日常的にとってるし。スゲー。第一、ブリみたいな回遊青物なんて、どうやって銛で突くんだ? しかし、この遊びは楽しそう。 内輪の方々、「水泳事業部」と「釣り事業部」を両立させた「スピア・フィッシング事業部」を立ち上げませんか? 1・18 湖上の休日 12月初頭のカレイ釣りの予定が、なんと季節外れの台風で流れてしまって以来の待望の釣行。 いつも行く木更津沖堤防が、HP情報によるとあまりに渋いので、滅多にやらない淡水の釣りに行くことにした。 この季節・・・そうワカサギです。といっても、氷結湖の穴釣りではなく、ボート釣りですが。 これまたHP情報で、高滝湖という市原の山奥の人造湖で爆釣らしいので、ここに決定。 (それにしても、釣りという、極限までローカルな知識の集積が求められ、かつ最新の情報でないと意味のないジャンルに、ネットほど威力を発揮するものはない。ネット文化の普及のおかげで、1シーズンに200日ぐらい一つのポイントに通い詰めるような釣り師と同じレベルの情報を、われわれミーハー釣り師も共有するチャンスが生まれてきている。きっと、あと数年のうちに、日本の釣りレベルは飛躍的に洗練の度を深めるだろう) 本日は、周囲をなだらかな房総丘陵に囲まれてたたずむダム湖に、昨晩の小雪ちらつく雲模様とは打って変わったうららかな陽の光が差し込む最高のコンディション。 沖堤防のような開放感と荒々しさがない代わりに、まさに「癒し」系のリフレッシュを満喫しました。 湖上の「癒し系」の景色というだけでなく、貸しボート屋兼釣り道具屋さんのおじさんたちも、素朴な温かさを感じさせる「癒し系」。 釣り宿とか釣り道具屋って、大抵は客もオヤジももっと荒クレてるもんなんだけど(まあそこがいいところだが)、ここはまったくそんなところがないので、デートやご家族様向けにも安心、って感じでしたね。 東京湾であれどこであれ、釣り業界界隈の人々ってほとんどが元漁師だから、釣り業界のカルチャーもそんな風に荒っぽいわけだけど、高滝湖の釣り宿のオジサンたちは湖底に沈んだ集落の面々らしいから、もともと農家なんだろう。海の民の荒っぽさと、里の民の素朴さってここまで違うものなんですね。 釣り自体は、正直言って・・・ようわからん釣りでした(^^; ワカサギ、ちっちゃすぎ。おとなしすぎ。かすかなかすかな反応にアワセをくれてみると、どうやらよわっちい彼らの顎をフックが砕いてしまっているみたいだし(笑) 別に湖上のストラクチャー(構造物)につく魚でもないようなので、ポイントも曖昧模糊としてよくわからず。 イマイチ雲をつかむような釣りでしたが、まあそれでも飽きない程度には釣れていると、10メートルほど前でアンカをおろしているおじさんは、手にもった2本の専用竿で、ピシピシ銀鱗をきらめかせている。あそこがポイントなのかー、と思いながらよく見てみると、2人乗りボートでそのおじさんの隣に座っているもう一人のおじさんは、全然連れていない様子。 いやはや、どんな釣りでも達人というのはいるものですね。そうこうしているうちに、彼のおじさんは、「何とか一束(100匹)越えたか」なんて呟いておりました。 結局貸しボート屋の終了時刻まで粘って、ワカサギ33匹。同行者2名の釣果とあわせて73匹。 まあ、3人+カミサンで食べるには十分すぎる量です。天麩羅とマリネにして、その上品なお味を堪能致しました。 それと終了間際には、思わぬ珍客も。突然ラインが走ったかと思ったら、なんと25cmほどのニゴイ。赤虫に喰ってきました。 コイ系の魚は、冬眠するはずなのに、どうしたんだろうな(笑) 外道が釣れたらいつもとりあえず料理法を確かめるぼうずコンニャク様のサイトによれば、ニゴイは洗いが最高というが、ちょっと不安感があったので、鯉こくにしたらこれまた最高。鯉こくの作り方はモノにしたので、知りたい人はメール頂戴。 しかしなぁ。 かなり欲求不満の残る釣行だったなぁ。何せ当初の目標が「3人で200匹」でしたから。 だって、高滝湖の来訪者ノートには、「1/17 トップ445匹、裾70匹」なんて書いてあって、思いっきり煽られちゃったんだもん。ショックだったのは、トップよりも裾のほう。 まあ考えてみれば、来訪者ノーとなんて言うのは、釣果自慢したがる人しか記入しないわけだから、そんなこと真に受けることないんだけどね。現に、回りを見渡してても、30匹台だった自分でも結構竿をしならせてるほうだったし。それに何よりも、一日山間の湖上で十分にリフレッシュできわけだし、あれ以上釣れても処理に困るだけだったわけだし。 「充実感の絶対値」で満足度を感じるのではなく、「相対的な勝ち負け」で凹んだり得意になったりするこの性は何とかしたいもんだねぃ。 1・15 ラストサムライ を観ました(とは言っても、観たのは10日以上も前なのであった)。エンターテイメントとしては、相当いい映画でした。 まだ観ていない人のために、内容にはあまり触れない批評をします。 真田裕之が、「日本人の観客に笑われない最低限のラインを守るよう、監督や共演者と繰り返し話した」というエピソードがワイドショーなどでもよく語られ、「日本人が見て違和感のない初めての日本を舞台にしたハリウッド映画」という前評判があったと思うのだが。 正直言って、この辺のことは、それも含めて日本人は楽しめるようになってきていると思う。いまさら、ショー・コスギのニンジャ映画を、馬鹿にしたり真剣になって目くじらを立てたりする人がいるだろうか? 日本人の観客は、「他者から見たおかしな日本」を面白がれるぐらいには成熟しているし、ポジティブな自意識を持っている。僕もそれは例外ではない。 だから、この映画の中に登場する山里の入り口に、相も変わらず鳥居が立っていても、そしてその最深部に、奥の院よろしく荘厳な寺院が建っていたとしても、それはいい。 天皇と徳川将軍の区別がついていないと思しき脚本ゆえに、二条城の将軍の間みたいなところに天皇がいたり、天皇が「侍の魂」を語ったりしていたが、それもまあ大目に見よう(天皇役の中村七之助は酷かったが、ありえない役を妄想で作らなければならなかったのだから、差し引いて考えてあげないと酷というものだ) 西南戦争がモデルだというなら、戦国甲冑に騎乗武者ではなく近代戦になるはずだろう、というところも、一応「神風連の乱」というものもあったということで、100歩譲ってあげよう。ま、でも付け加えておくと、神風連の乱の中核は武士でなくて攘夷派の神職なんだけどね。そこに不平武士の反乱が合流しちゃったものなんだよね。 (当時のまともな反乱軍ならば、当然のように銃器と近代戦を学んだはずだ。古臭い「士道」に殉じた代表選手と見なされている土方歳三が、近代戦をあっという間にマスターして奥州や蝦夷地各地で官軍相手に局地戦を拾い、米仏軍人から「ぜひわが陸軍士官に」とスカウトされていたという事実は、もう少し知られてもいい) まあ、こういう珍妙さは別にいいのだ。 日本の映画界が、何か勘違いして、日本人の観客向けに青年トルコ党をテーマにしたエンターテイメント映画を撮ろうとしたら、その珍妙さはこんなものでは済まないだろうし。お互い様だ。 僕がこの映画を見て憂鬱になった原因は、そんなところではない。 この映画に、ハリウッドでも最も「リベラル」であろう層の、どうしようもない限界を感じてしまったところなのだ。 この映画は、西南戦争であれ、神風連であれ、どちらにしても明治初年度の不平士族の反乱に題材を求めていることは、否定しようのない事実であろう。 日本人の観客も素直にそう観るし、パンフレットを読んだ世界中の人たちもそう観るだろう。 最大の問題点なのは、その不平士族の反乱が、完全に「文化」の問題として描かれてしまっていることなのだ。 西欧の衝撃、今風に言えばグローバライゼーションの波を受けた日本で、「文化」や「伝統」や「精神」−−それらのすべてを体現する「サムライ」−−が、危機に瀕している。そこに異議を申し立てる営みとして、敗北覚悟でサムライの一族が、「美しい敗北」を求めて立ち上がる。 この映画を貫く基本のテーマは、これだ。 抗争の焦点として描かれているのは、徹頭徹尾、文化であり、精神であり、サムライの生き様だ。 近代と前近代の対立が、完全に文化主義からのみ読み込まれているのだ。僕はそこを問題化したい。 (その「美しい敗北」を「目撃」した西洋人が、東洋の精神性の「発見」者となり、西洋によりお墨付きを与えられた「真正なる東洋」の保護が申し立てられるという物語自体、まさにサイードの言うオリエンタリズムの構造そのもので、それはそれで検討が必要だが、こっちの問題は今回は措いておく) そうではないはずだ、ということは、中学校の歴史を学んだ人には誰でもわかるはずだ。 不平士族の反乱は、何といっても武士の禄を失った人々の不満から起こった。真相は文化摩擦というよりは、失業問題だったわけだ。 開国−攘夷の対立軸というのも、その実体は、「神国日本」などという浮ついた精神論の問題というよりは、卑近なレベルでは倒幕−佐幕をめぐる政治的な駆け引きの問題であり、より深く言えば、内地の市場化と政治体制の変化による既得権益の喪失といった銭金の問題−−下部構造−−がその多くを占めていた。この時代においても、グローバル化の問題とは何なのかといえば、まずもって世界経済システムに日本が組み込まれることをめぐる喧喧諤諤の議論だったわけだ。 無論、他のあらゆる革命にまつわる政治的展開と同じく、開国や近代化をめぐる問題とされることが言葉として表明されるときは、銭金の問題が文化や精神の問題にすり替えられたスローガンやイデオロギーが語られることが、大半ではあったのだが。真剣に精神性のみから攘夷にしがみついた人など、それこそ神風連の神職たちなど、一部の例外である。 実際には経済的な「痛みを伴う」摩擦がかなりの比重を占めるにも拘らず、近代化をめぐる悲喜劇が、専ら文化摩擦あるいは「文明の衝突」(まあ、文化と文明の違いというのはこの際おいておいて)として描かれてしまうこの構図。(この構図をあまりにわかりやすくした結果として、この映画を見た8割近くのアメリカ人が、「サムライ」を日本国内の少数民族/エスニック・マイノリティと誤解してしまったんじゃないかな) 文化の次元にだけフォーカスが当たることにより、士族の失業問題や、開国に伴う物価の高騰による困窮、といった問題は、ますます隠蔽されてしまう。 この構図、私たちに身近に非常に浸透したものではないだろうか? 現在中東で起こっている問題を、「イスラム世界」と「キリスト教世界」の対立、「前近代的な価値観の支配する世界」と「文明世界」の対立としてしか見ることのできない、私たちに。 アルカイダにせよ、イラクにせよ、はたまた旧ユーゴにせよ、今起こっている(一見数千年来続いている宗教対立に見える)紛争は、実はすべてが、現在の地政学的情況とグローバル化に伴う銭金の問題として起こっている、ということを繰り返し述べてきた僕には、ラストサムライを貫くこの構造が、とても憂鬱なものなのだ。 「アメリカ」が象徴する近代に押し潰されてしまう他者の文化へのノスタルジックな賛美をテーマにした映画を撮る人たちは、ハリウッドの中でも「リベラル」と呼ばれる人たちなのだろう。もちろん、トム・クルーズが、若い頃からしきりに自分をリベラルなスターとしてプロデュースしたがってきたことを、僕も知っている。 だからこそ、「リベラル」な人たちの無邪気な無頓着さが、ますますもって憂鬱なのだ。ラストサムライのこの限界性は、つまるところ、ブッシュからヒラリー・クリントンに政権が変わっても、テロを誘発する銭金の圧倒的な不均等配分の構造に真摯に目を向けるなんてことは起こらず、せいぜいが「イスラムを理解しよう」どまりになるということを意味しているように思えるからだ。 psラストサムライの英語版HPを見たら、渡辺謙のプロフィールのところ、デビューの舞台が「Shimodani Mannencyo Monogatari」になっていた。Shimodaniって(笑) 言うまでもなく下谷万年町のことです。 ここ書いたのはかなり日本語わかるスタッフ、おそらくは日本人だと思うんだけど、Shitayaってそんなに読めないもんか? 1・1 とんぼ 吉田秀彦といい、曙といい、なんだか悲すぃというか哀れな試合でしたね。 猪木祭に至っては、ここにいたるドタバタの経緯があまりに馬鹿馬鹿しくかつ悲しくて、正視できませんでした。 悲しいことの多かった2003は、最後まで悲しい気分でしたネ。 その悲しい気分に、SMAPのほざくタワゴトは追い討ちをかけてくれました。さんざん稼いどいたあとで「賞取りレースになじまない」なんてレコード大賞を辞退するぐらいなら、売上と取れるだけ取った賞金のすべてをイラクかパレスチナに寄付してみろ。 連中もこんな中途半端に傲慢なことをしてる暇があったら、東山くんでも見習って芸を磨いて欲しい。毎年のことだけど、ヒガシを中心にしたジャニの年越しステージは侮れないよ。 とはいえ、ちらちら見てた紅白にも割といいのもありましたね。 長渕剛の出演も、思ってたよりはわりとよかった。まあ、ライブ映像はうざかったですけどね(それでも、いつでもやたら最前列に出たがるはなわに比べればずっとマシ) 長渕剛といえば、masa-nさんも言っていたあのイナカモンぽいところを、僕も20代になって愛せるようになった。 僕が90年代半ばに群馬で知り合った不法就労パキスタン人たちの間で、一番人気だった歌手は、この長渕剛であった。グローバルな意味でも「田舎から来た人たち」(カラチ自体は大都会ではあるが、世界システムの中で、という意味でね)に、彼の楽曲は何か訴えかけるものがあるのだろう。 2年前にパキスタンに行ったときも、ある友人宅にある日本から送ったカラオケセットで、みんなで「とんぼ」を熱唱した。彼らも帰国後3〜4年たち、日本語の歌詞はあやふやになっていたが、メロディは完璧に覚えていた。 「悔しいぐらいに憧れた東京の馬鹿野郎が・・・ボストンバッグ抱え、北へ北へ向かった・・・」 砂ぼこり舞う灼熱の太陽の街で、志半ばで強制送還された元不法就労者と肩を組んで詠うのに、これほど似つかわしい曲はあるだろうか? 思わず目頭が熱くなったのをよく覚えている。 ところで、彼らの大半は関東圏に住んでいたわけなので、熱烈な巨人ファンでもあった。彼らの強制送還は98年の2月だったので、彼らの野球の記憶は、スカイブルーのユニに身を包んで日本一の夢を何度も打ち破ったスーパースター清原和博が、黒いヘルメットをかぶった瞬間に全く活躍できずに失望したところで途絶えている。 いま、鳴り物応援が自粛された東京ドームで、清原の応援のために朗々と「とんぼ」が歌いあげられていることを知ったら、彼らは満面の笑みをたたえることだろう。 12・30 シャンハイの日 上海という街は、少なくともその「市街地」と言われているところは、想像されているほどには大きくない。 (というか、こんなことを言うのは、日本人だけかもしれない。何せ、東京がのっぺりと大きすぎるのだ。東京より大きいと感じられる街は、僕の経験した範囲では、@大陸帝国の首都になったことがある A歴史的にいくつかの中心を持って発展せざるを得なかった という2つの条件を満たしている都市だけである−−すなわち、デリーとベルリンである。アムスやプラハは言うに及ばず、NYもロンドンもパリもバンコクも「東京より小さい」と僕には感じられた。LAみたいなモータリゼーションのあとに築かれた街には行ったことがないので、よくわからないが。) 先日紹介した新天地から東に1キロちょっとも歩くと、豫園と呼ばれる一角に着く。 その一角の中心には、まさに豫園という16世紀に建造された庭園があるのだが、その回りには、いまだ再開発の手の届いてない上海のいわゆる「下町」地区が広がっている。浦東の摩天楼から見下ろすと、豫園の緑を中心とした600メートル四方ぐらいの一角が、ビルの谷間にぽこんと窪んでいるのがよく見て取れる。 ここは、現在でも上海の中心街になっているところがほとんど租界だった時代に、中国人が押し込められていた上海城の城壁の中の地域に相当する。 国内流入人口で常に膨張する上海の歴史の中で、「昔ながらの本物の上海」と言われる由縁である。 とすると、案の定、東京の「下町」で起こっていることとそっくり同じようなポリティクスが発生する。 豫園の周りには、ペラペラした最近の建築ながら、屋根を伝統の江南様式風に反り返らせた土産物屋や点心屋(なかにはクソまずい『元禄寿司』なんかもあったが・・・)が並び、観光客でごった返す。 そこから50メートルほど西に向かうと、「庶民の台所風」のごみごみしたストリートが、「上海老街」と名づけられて300メートルほど続き、ガラクタやら食料品やら安い衣料品を売っている。 まあ一言でいって、仲見世のすぐそばにアメ横があるようなものです(笑)。 となると、日本語の『地球の歩き方』にまで「上海の中でも、ここは特別な場所。伝統的な上海を知ることができ、チャキチャキの上海人に出会える」なんて書かれることに相成る。 ハイ、まさにどこかで耳にした表現、そっくりそのままですよね。 もちろん、「上海老街」にしたって、50年程前に作られたストリートに過ぎないというし、その裏手のゴミゴミした地域に住んでいる人たちが、「チャキチャキの生粋の上海人」ばかりであるはずもない。これまた、上野とそっくりそのままで、思わず笑ってしまう。 確かに「外国人労働者」は上海には見かけないけれど、西域風の顔つきをして回教帽をかぶっている国内の「異教徒」の姿は、こういう「生粋の下町」の裏手でこそよく見かける。蘭州風の刀削麺を売り物にした小汚い店で、たった4元(50円ちょっとですよ!)の絶品・牛肉刀削麺にありつけたのは、まさに「コスモポリタン都市上海」のもう一つの恩恵といえましょう。 この豫園地区から、今度は東に20分ほど歩を進めると、ほどなくオノボリさんスポットの外灘(バンド)につく。 ジョージアン様式を中心としたイギリス風のいかつい建物が多数残っている、コロニアル地区である。黄浦江をはさんでこの地区の対岸は、「急成長する上海」の象徴、超高層ビルの立ち並ぶ浦東地区である。 この地区から浦東へは、地下鉄でわたることもできるのだけど、これから上海旅行を考えている人には、「観光随道」の利用を是非お奨めしたい。日本のガイドブックにはほとんど無視されているけど。 400円ほどかけて、地下トンネルの中をゴンドラに乗って対岸に渡るだけのことなのだけど、その約5分間の「演出」が凄まじい。 一応公共空間の中の「交通機関」なのに、ノッケから安っぽい「スペーシー」な音が響き、色とりどりの(TDLスペースマウンテンのスタート地点のような)ピカピカした照明が薄っぺらく奏でる「光のページェント」の中を延々と進む。 言っちゃえばただこれだけで、ちょっと言葉では説明しようがないんだけど、これだけ脱力しながら腹を抱えて笑ったのは、いつ以来だろう? 『地球の歩き方』にもろくに載ってないぐらいなので、この脱力アトラクションに外国人観光客の姿はあまり見受けられない。乗っているのは、安徽省だが浙江省だか知らないが、周辺地域の田舎から来たオノボリさんが大半なのだろう。 彼らにとっては決して安くない30元=400円を払って、「先端都市上海」をかぶりつきで楽しんでいる。 彼らにとっては、先日紹介した新天地のレストランを楽しむお金もないだろうし、またそれを楽しむだけの文化的な洗練を持ち合わせていることを望むべくもない。 新天地の洗練や浦東のバブルを指をくわえてみているだけの庶民に、経済資本的にも文化資本的にも見合ったレベルで、「先端都市上海」の繁栄を一時垣間見させてくれるのが、この脱力系の観光随道ということなのだろう。 もちろん、こんな「恥ずかしいもの」は、高度成長期の大都市には必ず見られるものなのだと思う。60年代の東京にも、これに類するようなものはあったのかもしれない。 ただ、ここまで「恥ずかしいもの」を臆面もなく作れたかどうか。通常は経済発展と技術的発展に比例して、受け止める側の文化的洗練度やセンスも伸びていくはずなのに、21世紀初頭の上海では、「持てる者」と「持たざる者」の格差があまりにも大きく、「持てる者」の繁栄の表層だけを模倣しようとする「持たざる者」のためのエンターテイメントは、そこはかとなく哀しささえ漂う、脱力アトラクションになってしまう。 世界最強のデートスポットと、どうしようもない脱力アトラクションが同居する街。 観光客にとっては最高に楽しいが、社会のひずみがそれだけ大きいと言うことでもある。 12・23 大正・昭和初期モノ の大作ドラマに力を入れてませんか、各局が、最近。 一ヶ月ぐらい前のテレ朝『流転の王妃・最後の皇弟』の出来がかなりよかったので、フジ『ワルシャワの秋』を見てみたのだが、吐き気がして1時間でギブアップ。 竹内結子をヒロインの看護婦に配し、ロシア革命後にシベリアで迫害されていたポーランド系の子供たちを、引き取って面倒を見る関西の赤十字病院を描いた実話に基づくドラマなのだけど、とにかく初手から安っぽいヒューマニズム全開で辟易とさせられる。 豪華キャストをこれでもかと配して続きが見たくなるエンターテイメントに仕上げながら、各方面に絶妙の目配せをバランスよくしていた、テレ朝の溥傑・浩のドラマとは比べ物にならない。 そもそもこの話は、日本史全体としてみると結構危ない話でもある。ポーランドの子供たちを日本に連れ帰ってきたのは、当時の「国際協調体制」を無視してまで大部隊を送り込んだシベリア出兵中の日本陸軍なわけでしょ? シベリア出兵の直接の口実は、チェコ軍団の救出にあったわけで、ポーランドの話はどれほどの比重を占めていたのかはわからないが、列強が敵視するソビエトの赤軍が、エスニック・マイノリティの子供たちを迫害しているというのは、干渉戦争のための格好のプロパガンダネタになりうるものだろう。 だから、その辺の歴史的背景を描かずに、単なるヒューマニズムものに落としてしまってよい話ではないはずなのだ、このネタは。 そりゃ、もちろんシベリアで飢えていたポーランドの子供たちを、当時国交さえない日本の赤十字が献身介護した話は美談だよ。竹内結子演じる看護婦たちの努力は、そりゃたたえられてしかるべきだろう。 しかし、断じて、のほほんと「かつて、この国には美しい心がありました」なんてまとめるべき話ではないのだ。彼らは、いかなる政治的判断のもと、帝国陸軍に保護されて、この極東の島国に連れてこられたのか、少しでも想像力を働かせることのできる者なら、すぐにわかるだろう。 そうした省察抜きに、薄っぺらいヒューマニズムだけをまとわせてしまったこのドラマに、かなりの危なさと、いや、もっと有体に言えば、意図的な感情動員さえ勘ぐりたくなる。 「あんな可哀想な子は今のイラクや北朝鮮にもいるんだ、だから早く自衛隊を出して、あの子たちを保護してあげないと。貧しい時代でさえ「国際貢献」していたのに、今の日本はどうなっているんだ・・・」 でも、視聴者って、そんなに馬鹿かなぁ。 12・22 シャンハイ・シティ で、上海の続きです。(間隔空いてすみません) 今回の滞在は、公式のディナーパーティやレセプションなども多く、自由な時間は少なかったんだけど、少しは自分の時間も作って、その間は現地に企業派遣で語学留学している友人Mくんにアテンドしてもらう。 まず、「夜上海」というレストランは、僕の知る限り世界最高のデートスポットだったと、経験と人生と魂に賭けて言わせてもらいたい(笑) このレストランは、新天地と呼ばれる200メートル四方ぐらいの再開発地区の一角にあった。 この新天地と言う地区の成り立ちがまず驚きである。上海の旧市街の主要なところの例に漏れず、ここも旧租界地区なのだが、その後がすごい。 なんでも、第一回中国共産党大会が開かれた建物の周囲を、その後も党本部が党用地としてずっと押えていたようで、准海中路などのメインストリートにもそれほど遠くない地区であるにも拘らず、つい最近まで倉庫街のような場所だったそうだ。 それが今では、「上海きってのオシャレスポット」に変貌している。 フランス租界時代からのレンガ積みの倉庫をそのままに、レストランやカフェやクラブが入居し、オープンエアカフェの椅子が並ぶ倉庫街の中庭は、夜になると、「アジア風の」ケバケバした感じではなくライトアップされる。 レストランの中も、「租界」そのもの。 30年代(昭和ではないよ、もちろん)風の生バンドが入り、天井から吊り下げられた赤いボンボリが、妖しい、しかし上品な光を放つ。客席はかなりプライベートな感じに竹風の間仕切りで仕切られており、食卓にはもちろんキャンドル。しかし、決して「ベタ」にはならない。 周りを見ると、日本語もチラホラ聞こえてくるものの、対岸のビジネス地区・浦東の会社帰りと思しき、白人とインド系のグループなどが大半。 日本なんかだと、こういう外人接待ユースの店ってお味は・・・の店も多いのだが、ここは完璧な上海料理。無論英語が付されているので、迷うこともない。 前菜のSmoked Pomphlet(マナガツオ)はいきなりの変化球だったが、続くDrunken Pigeonの品のよさには驚かされた。上海伝統の紅焼であるBraised Pork Knucklesは、豚スネをトロトロで濃厚に煮込んであって、顔が思わずほころんでしまうほど。おまけに量もたっぷり。 そして何と言っても、江南名物タウナギとピーマンの豆鼓炒め。粗引きの黒胡椒で引っ張る辛味が絶妙だ。タウナギというと、「ドジョウとウナギのアイノコのような」とか「食感はちょっとアナゴ」などと評されるが、こんな美味いものだとは思わなかった。というか、調理法が素晴らしいのだろう。 締めの揚州炒飯も、8年物の老酒も、言うことはない。 正直言って、ロンドンでもパリでも、代官山でも青山でも、こんなパーフェクトなレストランに出会ったことがない。 何らの無理筋な演出もわざとらしさもなく、「オシャレ」と「本物」が自然に同居している空間と言おうか。全く大衆的ではないのに、いやらしくもない。「グローバル・ダイニング系」のレストランのペラペラした「重厚さ」などとは、まるで違う。 京都やプラハでは、お金を積めば老舗の「本物」を味わうこともできるかもしれないが、いわゆる「今風」の店でここまでのクォリティを保っているのは、ちょっと経験がない。そして、「客層」も。 一言で言えば、租界という脈々とした伝統が、都市空間配置のコアな作法として生き残っている上海だからこそ、のレストラン「夜上海」なのではないだろうか。 無論、その形式は、60年前とグローバル化の時代とはやや違う。 「人種」や「国籍」で区切っていた租界の仕切りは、今や「資本」に置き換えられている。平均月収2万円の都市で、一回のディナーに3000〜5000円払っても痛くもない層ならば、肌の色にもパスポートの色にも関係なく、この新たな租界を楽しむことができる、というわけだ。 この街にはここ10年で、外国人・中国人問わず、そうしたビジネス・エリート層が急速に集積されてきた。ほかのグローバル・シティを追いかけるように。 それに対し、共産党統治の50有余年を越えて、「租界」という形式の想像力を自然な都市の文脈として持ち続けていた上海は、彼ら「コスモポリタン」なビジネス・エリートたちの嗜好にパーフェクトにマッチするレジャー空間を、すぐさま用意することができた。おそらく北京は簡単には用意できないだろうし、実は東京やロンドンよりも、完璧なものを用意できたのではないだろうか? 言うまでもないことだが、この200m四方の新天地(文字通りの別世界である)を一歩出た汚い路地裏では、一人前140円の犬鍋を最高のご馳走にした屋台がひしめいている。 それを、「機会の平等」に開かれた上海ドリームと見るか、残酷な「結果の平等」が牙をむく魔都・上海と見るかは、見る側次第のまた別の話。 共産党用地だったからこそ、現在に至るまで再開発を免れて残っていた租界時代の建物群が、いまや「グローバル化の最前線」のレジャー空間になっているというのは、考えてみればすごい話だ。 当地でも、「ニュー共産党の象徴」と語られているらしいが、1921年に極秘裏にこの地に集った毛沢東先生たちは、草葉の陰でどんな顔をしているだろうか、想像もつかない。 12・11 上海の風 上海に行っていたのです。仕事で5日ほど。 「当代東亜城市:新的文化和意識形態 国際学術検討会」(どんなものか、何となくわかるでしょ?)なるもところで、上野のことを英語でしゃべるように頼まれまして。 若手のワークショップだろうなーぐらいの気持ちで、割と気軽な感じでお引き受けしたら、開けてビックリ。 あそこに座っているのは・・・スコット・ラッシュ(ドン←心臓の音)、ミーガン・モリス(ドンドン)、チャールズ・テイラー(ドンドンドンドン)! わかる人にはすぐわかるぐらいの各国代表揃い踏み。韓国からもチョ・ヘジョン、シンガポールからもチュア・ベンフアッと、アジア圏の批判的社会理論の顔役が勢ぞろいしてるし、迎えうつホスト側も完全に中国代表。 喩えて言えば、フィーゴとかヴィエイラとか朴智星とか揃い踏みしてしまっている親善試合に、U17日本代表候補合宿に一回だけ呼ばれてすぐお払い箱にされた、Jリーガーからもまだ声のかからない市立船橋あたりの高校生が突然紛れ込んでしまったようなもので・・・ おまけに、中国代表の方々は英語が全くといっていいほど通じない! こういうシンポジウムって、誰かの報告には必ず地元のコメンテーターがつき、報告者はそれに応答しなければいけないのだけれど、僕についてくれた福建の有名な社会批評家、南帆先生も英語はさっぱり。 前日の打ち合わせでコミュニケーションしてもらおうにも、通訳ナシでは全く通じず。実は第二外国語でやっていた(と言うのをつい最近まで忘れていた)中国語の記憶を搾り出してコミュニケートを図ろうにも、言えたセリフが「明天、謝謝」が精一杯とは・・・(←「明天」とは明日だが、「よろしくお願いします」さえわからなかったので、「あしたありがとう」と意味不明なことを言っておいた...が辛うじて通じたらしく、「好好」と言われた・・・苦笑) 最後の頼みの同時通訳の英語に至っては、ネイティブにも聞き取れないシロモノだし・・・(チャールズ・テイラーもでんでんわからんと言っていた) まあ、こうなっちまうとあとはもう強引で我田引水なクソ度胸しかないですな。 こういうハッタリは・・・正直得意です(苦笑) 度重なる選挙で鍛えられてしまいました。 こういうところでハッタリで何とか強引に乗り切っちゃうのは、あまりいいことではないな、まあそのうちしっぺ返しが来るだろうなどと思いつつも、何とかかんとかサバイブしておりました。 しかしまあ、正直言って、上海の人たちが、街の人はともかく、代表クラスのアカデミシャンまで含めてあまり英語がしゃべれないことには、正直驚いた。しかし彼らは、自らの言語である中国語で、最新のCSの理論的達成などを交えながら、実に的確に、上海や武漢の都市構造や表象について、分析を加えていく。 なぜ驚いたかって? 取り立てて中国大陸に関心のなかった僕はまあ、「取締役島耕作」の世界観で漠然と上海を認識している程度だったので、上海エリートなんて、もうバッキバキでプラグマティスト! 英会話バリバリ! 競争大好き! グローバライゼーション! 金にならない研究なんかしないぜ!みたいなステレオタイプを持っていたからだ。 それでももちろん、彼らが井の中の蛙で勉強していないというわけでは全くなく、最新鋭の英米・独仏の理論を原書で読破しているし、翻訳なんかもバリバリしちゃう。健全な批判精神を強く持っている。むしろ、一昔前には日本にも数多くいた「知識人」という感じだ。 日本からご一緒したある中国文学の先生はこう言っていた。 「中国の学問の世界は羨ましいですネ。京都の研究会とかには出たことありますか? なら話は早い。中国のアカデミックの世界は、京都にちょっと似てますネ。文化をやっているっていうだけで無条件に尊敬されるような気風って強く残っているんですよ。日本じゃいまや、金にならない、助成金が取れない、って出版社も寄りつきませんけどネ、全然違いますよ。文化や哲学に対する敬意の払い方が全然違うんですネ」 まあ、確かに。 老荘や竹林の七賢の伝統が、たかだか半世紀の共産党政府や、たかだか10年にも満たない「グローバライゼーションの波」なるものにそう簡単に押しつぶされるはずもないか。 上海とかいう街を埋め尽くそうとしている薄っぺらいスカイスクレイパーは、程なくして確実に訪れるバブルで跡形もなく消え去るかもしれないけれども、数千年の清談の伝統が消え去ることなどありえない。 「中国の脅威」なんていうものがあるとしたら、表層の勢いの良さではなくて、こういう文化的な懐の深さなのではないか・・・ と、今日は初日につらつら考えたことをざっと書いて、ここまで。 しばらく、上海シリーズです。 12・3 「家族」二題 イラクとか、熊本のハンセン病患者拒否ホテルとか、中西とか秋田とか相馬とか(全然どうでもいいけど石塚とか・・・このJリーグバブルの残り滓みたいだった人、ともさかりえと浮名を流したの覚えてる?)、書くべきなのかもしれない重い話題は尽きないが、今それだけの余裕がないので、軽めのゴシップを2つ。 インフォシークのニュースサイトで、久しぶりになつかしい名前を見た。 オジー・オズボーン。 僕らの世代にとってオジーといえば、オジー・アルディレスでも、木更津キャッツアイのオジーでもありません、紛れもなくこの怪人オジー・オズボーンのこと。 伝説的なロックバンド、ブラック・サバスの初代ボーカルながら、リーダーのトニー・アイオミをはじめとしたメンバーとの不和でその座を追い出された後は、スキャンダルまみれになりながら、売名とも思えないような奇行を繰り返し、80年代のヘビメタ・ブームに君臨し続けた「ゴッド・ファーザー」。 オジー・オズボーンのバンドには、飛行機事故死してしまった天才ランディ・ローズを嚆矢に、ブラッド・ギルス、ジェイク.E.リー、ザック・ワイルドと超一線級のテクニカルなギタリストが常に起用され、80年代のギター小僧は胸を厚くしたものです。 単純に、個人名義初期の Crazy Train や Good Bye to Romanceなんていう曲は、オジーの甲高く絡みつくような声がはまる超名曲だったし、ギター・キッズでなくとも、一言ある人も多いはず。 その記事の中で気になったのが、「最近は生活密着番組で人気のオジー・オズボーン」というくだり。 何のこっちゃ、アメリカの「はなまる」にでも出てるの? と気になって調べ始めたら、こんなのが引っかかった。 なんでも、The Osbournesとか、Osbourne Seasonsとかいうシリーズ番組が、MTVの中でレギュラーになっていて、MTV史上最高の視聴率を記録しているという。 番組自体はどうということもない、ビバリーヒルズのオジー一家(オジー&旦那に負けず劣らず有名なシャロンの夫婦と、一男一女+お手伝いさん)の「おどろおどろしいに違いない日常」を、ひたすら観察したもの。しかしそこはもちろん、オジーのこと、素なのか素じゃないのか、期待を全く裏切らない。そのレポートは是非、上のリンクへ。 う〜ん、見たいぞ、確かに見たいぞ、これは。 でも日本でこれをやるとしたら誰のが見たいだろう&誰だったら期待を裏切らないだろう? ちょっと前の内田裕也家? でも今じゃ、内田也哉子さんなんて、こんな本出しちゃってすっかりいいママだもんなー。 う〜む。いいの思い浮かんだ方は、ぜひご一報を。 ところで家族と言えば、ちょっと前のことなんだけど、こんなとんでもないゴシップがあった。 軽く概要をば。 ------------------------------- 自分が産んだ女児の遺体放置、高3生徒を逮捕(読売新聞)
高知県警南国署は22日、自分が産んだ女児の遺体を自宅に放置したとして、南国市内の高校3年女子生徒(18)を死体遺棄の疑いで逮捕した。 調べによると、女子生徒は先月下旬、自室で出産した女児をポリ袋などで包んでクローゼットに隠し、放置した疑い。 22日午前9時過ぎ、女子生徒の母親が異臭に気付いて遺体を発見。女子生徒は午後1時過ぎ、両親に付き添われて同署に自首した。女子生徒は「約1か月前に産んだが、死んでいると思い、隠した」と供述している。 女子生徒は両親と3人暮らし。妊娠中も通学していたが、家族も学校関係者も妊娠には気付かなかったという。 2003・9-11(「名古屋テロ」・総選挙結果・元開成校長と、そこまで扉が開いたネオリベとどう付き合うか。でも秋も楽しんでます)
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