人は生まれた時は真っ白な無垢な心だというのに、その清い色はいつしか、いろんな色に年月と共に
染まってしまう。
静かな水面に小石が投げ込まれさざ波が立ち波紋が出来るかのごとく、人の心は常に揺れ動く。
今水面下に浮かんできたKの問題にしてもそうだ。
「あいつは洗脳されてしまった」と・・・
中学の頃にはキリスト教の信仰にも熱を入れ、日曜ごとに10キロも離れた教会まで一人で出かけた
ほど信仰深い人柄であったのだが・・・
成績も優秀で、県下一の高校にも入り、大学への進学も決まった。
ところが、家が裕福でなかった為、思案していたところへ、地元のある団体(仮にCとする)から、
奨学金の話が舞い込んだ。
きっと渡りに舟の心境だったに違いない。
それまで、K容疑者の一家はその団体とは一切かかわりなく暮らしていたのだが・・・
そもそもの転落がこの甘い汁だったとは・・・
その後上京し、大学へ進学したK容疑者は、C団体の仲間と親交を深め、C団体からのあっせんに
より、関連企業でアルバイトをするまでになった。
そして、大学中退後C団体幹部が設立した貿易会社Uに就職し、早々に幹部に抜擢された。
この時点で、急坂を下ることになる。
中学生の頃には琴も習い、情操教育においても、多分に感化されたはずなのだが・・・
大好きな「さくらさくら」をよく奏でていたという。
何が彼女を悪の道に走らせたのか。
いや、きっと自覚などなかったに違いない。
10歳も離れた兄には、小さい頃よくおんぶをして自分の子供のようにかわいがったK容疑者の
姿が瞼から離れられないのだろう。
「すべての罪を償って謝れ。刑に服してまた一緒に生活しようじゃないか」と語りかける兄...
なんと悲しい結末になってしまったのか。
悔やんでも悔やみきれない苦悩であろう。
「洗脳」と一言で言い表すことができない、何かがあったのではないか。
一人きりで生活することのやりきれない寂しさ・・・
在日○○人という肩身の狭さ・・・
確か私がまだ幼い4.5歳のころ、C部落というのがあって、同じ年頃の○○人に向かって、
男の子がよく石を投げていじめていた光景を思い出す。

仰いで天に愧じず附して天に怍じず
幼い子がそのようなことをしていても、大人は知らんぷり。
幼心にそんなことをしてはいけないのに・・・とこわごわと遠巻きに見つめていたのを思い出す。
そう、自ら「やめなさいよ!」とは怖くて言えもせず・・・
小さいなりに同じ人間なのにどうして、こういういがみ合いをするのだろうかと不思議だった。
しかし、大人になった今、C問題が公にされ、真実が明かされ、とても複雑な
気持である。
学生の頃「性善説」「性悪説」というのを学んだが、こうしてみると、人は一体どちらが
本当なのであろうかと、今のこの年になっても、どちら?と結論など出ようもない。
自分は絶対に洗脳なんてされない!と豪語できる人が果たしてどれだけいるだろうか。
「洗脳」とは・・・
一般に「洗脳」というと、特定の主義・思想を持つように仕向ける事、またはその方法を指す。
「マインドコントロール」と違う点は、洗脳は主に物理的暴力、具体的には拷問のほか、薬物や電極を
埋め込む手術がほどこされたり、また精神的圧迫、つまり、罪の意識の植え付け等々、強い
外圧があるとされている。
その結果、価値観や記憶すら改ざんされるわけで、本人は洗脳の際に、不当な扱いを受けたことすら
覚えていない。洗脳を受けたこと自体を認識していないのだ。
Cは、何故幼い子を・・・
要するにこれこそ、マインドコントロールをせんがためであろう。
通常、児童からの教育段階で偏った情報を与えて、一部の者に都合の良い思想や価値観を
持たせてしまう場合はマインドコントロールである。
その人の人格を破壊し、違う人物像を仕立て上げる。
いわば、これは殺人的な行為だ。犯罪だ!
監禁、脅迫、飢餓、暴力、強姦、薬物など、ひどい虐待方法、暴力的な方法を使った強制的な
思想改造、これが洗脳なのだ。
これに対して、マインドコントロールはもっとソフトで巧妙な方法である。
現在の法律では、マインドコントロールの方法自体を罰することは難しいという。
なのに、マインドコントロールされた人たちは、洗脳の場合よりもずっと長期にわたって影響を
受け続けるという。
いずれにしても、洗脳もマイルドコントロールも断じてしてはいけない!
決して許すことのできぬ、非人道的なことだ!
「俺にとってはかけがえのない妹。生きているうちにもう一度会いたい」。
兄は目の前に妹がいるかのように、遠くを見つめつぶやいた。
何が真実なのかはわからない。
でも、その会いたいという言葉には嘘がない。


