Trois

 思い出の店に久々に行くと、辺りは全く変わっていた、なんて事は、30年も生きていれば、10や20……、いや、それ以上、出くわしているでしょう。私は今日、もう潰れてしまった思い出の店の匂いを嗅げるかもしれないと思い、恵比寿に行って来ました。


 元々、その店Rは表参道に小道の奥にあって、当時私が運営させられていたスタジオと同じビルの隣にありました。気が遠くなるほど沢山の人に会い、毎日毎日自分を拡散させられ、消耗し続けていた時。私は、度々Rへ企画書や資料の山を持ち込んでは、落ち着く古い椅子に座って、仕事をしながら長い昼食を取っていました。

 何度か通うようになってから、私がRで頼むのはいつも、チキンカレーと凍頂烏龍茶になりました。サフランライスの上に乗ったカレーを、ひとさじ口の中に入れると、先ずはクラッシュ・アーモンドとクミンシードの歯ごたえ。そして円やかな玉葱の風味。いくつものスパイス達が舌の上に浮かんでは、ゆっくりと沈んでいきます。同じ皿に盛られた生野菜には、甘みのあるオリーヴ・オイル、ちょっと癖のある白ワインビネガーと粗く砕いた黒こしょう、粗塩。とてもシンプルな組み合わせです。美味しいなぁ。今、向かい合ってるのが、書類の山なんかじゃなくて、Eulerだったらいいのになぁ、なんて、ボーっと思いながら、壁に這っているポトスの葉を眺めます。カレーが少なくなると、絶妙のタイミングで、燃えた固形燃料の上に乗った鉄瓶が、湯気を立てて出てきます。そして、すっかり空になった皿と場所を交換に、おままごとのような中国茶器のセットが登場します。「美味しかったですぅ」。にっこり笑うと、小柄で華奢な女性、店長のNさんもにっこりを返してくれます。お茶の葉を蒸らしている間に、ゆっくり水を一杯飲んで、深呼吸を3回。もういいかな? そろりそろりと急須から聞杯へ、一気に聞杯から茶杯へ。そっと聞杯を鼻に近づけます。透明な蘭のいい香りです。使い古してる上に、聞杯と柄の違う茶杯を取り、柔らかいお茶をいただきます。ふぅ。ちゃんと味わうのは1杯目だけ。後は、手慰みのようにどんどん飲み続けます。暫くして、Nさんの「お湯を足しましょうか?」の声で、資料から目を上げ時計を見ます。「あ。もう、こんな時間。戻らなくちゃ」。同じビルの中にあるのに、まるで別世界のような店R。ビニールの扉を2枚くぐるだけなのに、そこは有機的な無菌空間でした。心の傷に入り込もうとする雑菌が、動きを止める場所でした。

 Rが恵比寿に移る時、Nと店名を変えました。様々な人やお金や、思い入れや駆け引きや、権力や嘘や、その他色々な物が混ざり合った物が襲いかかったのです。時には、そのカオスがこちらの部屋にも入ってくることがあり、どうしてあんなに素敵な場所が、こんな目に遭わなければならないんだろう、どうしてあんなに素敵な女性が、悲しまなくちゃいけないんだろう、と思いました。とはいえ、私も同じ人達に、別のことで苦しめられてはいましたけど……。

 移転してから、すぐにでも行ってみたいと思ってはいましたが、結局行けたのは3年も経ってからでした。Nは古いビルの中にあり、私達を苦しめたひとり曰く、「あんな雰囲気の悪い場所に行くなんて」と吐き捨てるような所でしたが、階段の脇にはRのロゴの入った看板があり、入り口にかかった同じようなビニールを見ると、とてつもなく懐かしい気分が甦ってきました。しかし、場所も名前も変わってしまったそこは、全く別の店でした。Rはどの席に座っても落ち着けたのに、Nの椅子は、どれも居心地が悪そうでした。取り敢えず掛け、カウンターをみると、中にNさん姿はありませんでした。この先は、悲しいので書きません。

 その店とスタジオがあった建物は、その隣にあったビルとアパートと同時に取り壊され、今は大きなビルが建っています。そう言えば3年前の今頃、よく晴れた日曜日に、私は更地になったその場所を訪れました。店が死んだのを確かめに行ったんです。誰も居ない、シャベルカーが1台ポツンと置かれているその場所をバックに、私は笑って記念写真を撮りました。とても、不思議な気分でした。今、つられて思い出しました。そうだ。あの時はみんな有難う。みんなみんな、本当に有難う。




 何年か前、久々の友人と表参道での待ち合わせに、私は「Pというカフェはどう?」と言いました。数十分後、友人は交差点の向こうから歩いてきました。「Pなんて店、無かったよ」。友人の肩越しに見た、あると思っていた場所には、真新しいビルが建っていました。『待ち合わせたレストランは もうつぶれてなかった』(ピチカートV 「東京は夜の七時」)。……って、そこはレストランじゃないですけど。

 Pと言えば、私とそれなりに長く付き合ってくれている友人には、失笑が若干含まれた笑いを引き起こすエピソードがあります。今まで、この話をして笑わなかった人は2人しかいません。どんな経緯だったのかは勝手な想像に任せるとして、事実はその日、私が“今まで2人しか笑わなかった人の居ない状況で”こてんぱんに振られたと言うことです。ここで要注意なのは、誰も私に同情しないと言うところです。リアルタイムで聞いていた人達は大抵、景気よく大笑いして、こんな風に言うのです。

 「ったく、そんなの聞いたことないよ。本当に非道い。あはははは。非道すぎる! あはははは。止めろ止めろ、そんな男!」
 「止めたいんですけどねぇ。本当に。会わないでいると、『コイツ非道いなぁ。憎たらしいなぁ』って思うんですけど、会うと『なんて美しいんだろう。この人の顔が無条件に好きだ』ってなってしまうんですよ。しかも、目を逸らしたり、瞑ったりする些細な時間にも、ムカムカする時があるにも関わらず、見てしまうと、もうコレが駄目なんですねぇ」
 「どうかしてる。俺がいい男紹介してやるからな! もう、そのどうしようもない男と、会っては駄目。早く目を覚ましなさい!」
 「はぁ。頑張りますぅ。……自分でも、毎週会う種類の男じゃないとは分かってますから、そのうち何とかなると思います」
 「会うな! とにかく二度と会うな! 約束しろよ」

 後に、『こんな話があった』って感じで聞く人だって、口を揃えて「わはははは。失礼な話もあったもんだよねぇ」と言うのです。可笑しくも悲しい話とはいえ、当時の私の事を、自分自身かなり好きなので、思い出すのは嫌なことではありません。その事があったので、他人が私の顔を好きだと思うことを(今までは、猛烈に拒否反応があったのですが)、そういう“好み”というものを認められることが出来るようになりました。そして今、(全くもってノロケ話ですが)私の事を美しいと言ってくれる夫と一緒に暮らして、古い友達に「15年前の100倍綺麗になった」と言われるのは、本当に仕合わせで、その頃の事があって良かったなと素直に思います。(む! そう言えば、思い出した。H&K! 「なんで、こんな早くに、しかも、するならもっとイイ男と結婚しなかったの?」って言った台詞は一生忘れないぞー! こらー。今更訂正して羨ましがっても遅いぞ。そんでもって、「美しさこそ、最上のもの」って言っていたあなた達を200倍綺麗にしてくれる男とパートナーにならなかったら、許さないからねー(笑)。あはは。がんばれ!)しかし反対に考えると、以前の私は今の100分の1だったのかぁ。なんというか……、とても……(苦笑)。えーっと、そこまで酷くは無かったと思うんですけど(今だって、大したことないのに)。15年前と言えば、私が一生の中で一番モテてた時期(笑)だったんだぞ! ドル。ホントホント、ホントよ。元町ベンツクラブってヴォランティア団体が在ったってくらい本当の話。

 そういえば、その評判は悪いが美しい男Sと行った、渋谷のイタリア料理店Tも、今はもうつぶれてありません。よくドラマにも使われていた、ラファエロの絵のような少しデコラティヴな店内の、金色に塗られたアール・ヌーヴォー調の椅子に座って、松村君と一緒に写真が撮れたら良かったのになー。残念です。嘘。そんな店なんて、みんな潰れちゃえばいいのです。あはは。そうなのです。




 つぶれたイタリア料理店といえば、開店してからは一度も足を運ばなかった、初台のPも、感慨深い店の一つです。それは、少しだけ店作りに参加した場所だからです。

 「藤澤さん、イタリア語やっとったよねぇ。今度、プロデュースするイタリア料理系の店、Pって名前にしよかと思っとるんやけど、どう思う?」
 「覚えやすくて、すごく良いんじゃないですか。名前からして、イタリア料理店だよってしたいなら、定冠詞付けたらどうです? IL Pって」
 「うん。ええね。なんか、ちょっと高級な感じするわ。それにしよ」

 未だに、あの人は何者だったんだろうと思っている、謎の男Iさんに、最初はポツポツとイタリア語について、途中からはデザインについて、質問されているうちに、いつの間にかプロジェクトメンバーに入れられていました。メニューを作るのは、神宮前某店のEX料理長で生粋のオージーMと先祖は華僑のオージーYのふたりで、開店準備を進めながら、実際に店を動かしていくFさんに、毎日料理の特訓をしていました。ある日、打ち合わせをしに店に行くと、Fさんは、「まぁ、みなさん、先ずはこっちに」と言って、裏の厨房に直行したと思ったら、「やっと、満足できるブルスケッタが出来たんだよ。食べてみて!」と、トレイを差し出しました。うっすらと酸味の利いたフルーツを感じるソースがとても美味しくて、「あ。本当に美味しい」と言ったら、「本当には余計でしょう」と笑いながら言われました。

 それからまた2週間くらい、Fさんの懸命な料理特訓の日は続きました。とうとう、投資家向けの料理プレゼンの日になってしまいましたが、間に合わず、メニューに沿った料理をMが作って、客人に振る舞っていました。私が少し遅れて試食会に到着すると、Fさんはちょっと口惜しそうにしていました。そして、こっそりと私に、「ここのテーブルに乗ってる皿のうち、黄色い皿は僕が作ったやつだから。ちょっと食べて感想を聞かせて」と耳打ちしました。隣の投資家の人達のテーブルを見ると、白い皿しか乗っていませんでした。私が、黄色い皿に手を出そうとすると、Fさんとは反対側に座っていたIさんに、「あ、ソレ。Fの作った料理だから、食べんでええよ。まだまだや。そっちの白い皿の方から取り」と、小さく言いました。私はちょっと固まってしまい、仕方なく両方の皿から一つづつ同じ料理を取りました。並べて食べると確かに、Fさんの方の料理は、まだ手際が悪くてタイミングが遅れているのが分かりました。Fさんは目を逸らして、もう私に感想を聞くのを止めてしまいました。

 料理を一通り食べると、Fさんのお父さんが、もの凄く深く考え込んだ顔をしながら、ポツポツと話し始めました。

 「なぁ、Iさん。どうしても店の名前はPにしなくちゃ駄目かね」
 「えぇ、以前もご説明させていただきましたが、全く新しい店を、新しいイメージで打ち出して行くには、やはり店名は重要です。これまでの店名は、確かにご近所やご自身には馴染みがある物かもしれませんが、どうしても古い店のイメージが残ってしまいます」
 「古い店のイメージが、残っても悪くないんじゃないかねぇ。この店は、俺のオヤジが作って、今年で開店53周年だ。50年店を続けるって、どういう事かIさんにも分かるでしょう。俺は、ずっと大切にしてきたんだよ。それが無くなってしまうなんて……。ねぇ」
 「いいえ。無くなりはしませんよ。生まれ変わるだけです。ここは、息子さんの頑張りを信じて、Pにかけてみてくれませんか? とにかく、既に話は半分以上進んでるんです。私は、今、ここで中止にしても構いません。中止か続行かの選択権は、常にそちらにあります。だた、ここまでに掛かった経費は請求させていただきます。何十人ものスタッフが動いているんですから」

 「オヤジ。とにかく、俺に任せてくれよ」と、Fさんはその日一番の強気を見せて、真っ直ぐハッキリと言いました。直後に携帯が鳴り、その席を後にすることになった私は、数日後にそのプロジェクトから降り、もう2度とその店に行く事はありませんでした。数ヶ月してPが開店すると、Iさんに「行ったってよ。イイ感じの店になったよ」と言われましたが、私の生活圏外だった初台は、プライヴェートで行くには遠かったのでした。

 ボーっとしている間に何年も経ち、松村君経由で知り合ったTさんから、Pのその後を知ることになりました。Pは、格好付けのために招き入れた若い店長(元ホスト)が、愛人と一緒に作った8千万円の借金を置いて、いきなり夜逃げした為に、あっという間に閉店する羽目になったのでした。本当に壮絶な終わりだったようです。あの時、「オヤジの店が無くなってしまう」と呟いた、Fさんのお父さんの寂しそうな顔を、そして、真剣な面もちで調理場に立っていた、Fさんの横顔を今でも思い出すことが出来ます。




 ……えーっと、えーっと。無駄遣いは大切ですけど、節度を持ってやりましょう。使うのは、自分のお金だけでね。借金を他人に押しつけてはいけませんよ(苦笑)。……なんて、そんなことが言いたかった訳じゃないんですが、なくなったものの話をすると、どうしてもちょっとしんみりしてしまいますねぇ。でも、店が無くなったところには、新しい店が出来て、新しい思い出がどんどん生まれているわけですから、そう考えれば、こんなに楽しいことはありません。

 そう言えば、原宿のAという今もあるオープンカフェで、数年前の大晦日の夜、素敵な光景に出くわしました。フランス人の可愛い女の子が、もの凄い勢いで捨てぜりふを吐き、怒りながら店を飛び出すと、これまたフランス人の可愛い男の子が、彼女を走って追いかけ、腕を掴まえて、一生懸命誤解を解こうとしていました。女の子はイヤイヤしながら手をふりほどこうと藻掻いていましたが、次の瞬間、男の子のどんな言葉よりも力のある沈黙のキスで、彼女の心を連れ戻したのでした。カフェからは、笑いと口笛と喝采の嵐。ヴェスパにまたがった恋人達の背中に、客達はHAPPY NEW YEAR! BONNE ANNEE!と言い、ふたりは真っ赤な顔でCa va!と片手を上げたのでした。すぐ後に、キャビネットから戻ってきた夫は、まだ笑い声が静まらない店内を見て、「何があったの?」と私に聞きいたのでした。私が今あった出来事を話すと、「えーっ。俺も見たかった」ととてもガッカリしていました。


 こんな風にこれから生まれるカフェや、勿論、古くからあるレストランなんかででも、沢山の恋人達が、誤解し合ったり、喧嘩したり、そんでもって、すぐにキスして仲直りして、素敵なドライヴが出来たら最高ですね。そんな人達で街が一杯になったら、本当に素敵。あぁ、本当にそんな日が早く来ないかな。そして、そのバックには、SPANK HAPPYの音楽が流れるんです。……あー。ちょっと、ベタだったかしら(笑)。

2002年8月某日



  


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