珍道中旅行記2 (in山陰の小京都)




1.この時がやって来た


 

 2003年秋、私はやっとのことで憧れの地に赴くことができた。この地を夢見ながらも、ツアーの参加人数が催行人数に足りないという理由から断念し、ハウステンボスへと旅立つことになったのは昨年のことだ。1年というのは、長いようで短いものである。

 私とAさんは、今回は昨年のリベンジとばかりに紅葉シーズンを狙い、しっとり小京都ロマンの旅を実行すべく、計画を立てていた。

 旅行会社は、ハウステンボス旅行の際にお世話になったJ社にお願いすることにした。早速パンフレットを調達し、Aさんと相談。昨年私たちが申し込んだものの行けなかった1泊2日のツアーが、そっくりそのままパンフレットに載っていた。同じ行程のツアーがこうして1年経っても載っているということは、このツアーは人気があるということを証明していた。ただ、昨年は6月というシーズンオフに申し込んでしまった為、ハウステンボスに行かざるを得なかった。ハウステンボスも素敵な場所で、ロマンティックな私にはもってこいの場所だったが、やはり私たちはこの地に行きたかったのである。

 先程から、「この地」と連呼しているが、「この地」とは、「山口県は萩、島根県の津和野」のことである。お年を召した方なら、いい所だと思っていただけるだろうが、若い方にとっては、あまり心が躍るような場所ではないだろう。私はれっきとした20代であるが、このしっとりとしたムードが漂う萩・津和野へどうしても行きたかったのである。

 J社へ申し込んでみたところ、残りわずかの空席を見事にゲットすることができた。私の喜びようと言ったら半端ではなかった。Aさんも今度こそは・・・と思っていただけに、実際に行けることを知り、たいへん喜んでいた。

 こうして私たちは今回の珍道中の舞台、山口県・島根県に向かったのであった。



2.『旅上手』になるための5ヶ条




 

 早速余談なのだが、J社が掲げる「『旅上手』になるための5ヶ条」というものがあるので、ここで少し紹介しておきたい。

 

@       無理は避ける

A       荷物はできるだけコンパクトに

B       「旅の恥はかきすて」本当は非常識

C       旅の種類にあわせて服装を心がけましょう

D       出会いを大切に

 これが『旅上手』になるための5ヶ条らしい。

「無理は避ける」は、旅に出るとどうもはしゃいでしまい、自由行動時などあちこちと巡ろうと無理なスケジュールを組んでしまいがちになり、これが疲れの原因となって後々に響いてくる。余裕のあるスケジュールで・・・ということだ。

 これは分かる!家と職場の往復という日常から開放され非日常の生活をすると、毎日疲れていたのに急に元気になったりする。せっかく来たのだから、ここも見たい、あそこも見たい、これも食べたい、あれも食べたい・・・。こんなことでは、見学場所一ヶ所目で体力を消耗し、食べすぎで胃への負担も大きくなるだろう。

「荷物はできるだけコンパクトに」は、私に対して言っているのだろうか。移動やお土産のことも考えて荷物は軽めに少なめにしておこうというのだが、私はどうもあれこれとカバンに詰め込んでしまう為、1泊2日なのに、2泊くらいするの?というくらいの荷物である。ちなみに、プロ野球の試合を観戦に行く時は、1泊するの?くらいの荷物である。なぜなら、ユニホーム・応援バットなどの応援グッズを沢山詰め込んでいるからである。こんな私なので、「荷物はできるだけコンパクトに」の部分は守ることができない。

 「旅の恥はかきすて」本当は非常識、マナーの悪さのことを言っているのだが、これは反対に自分が住んでいる町に観光客がやって来た場合を考えれば良いだろう。マナーの悪い人には来てほしくないと思うのは当たり前のことだ。私たちも今後いろいろな場所を訪れるであろうが、一般的なマナーは守りたいものである。

 「旅の種類にあわせて服装を心がけましょう」は、例えば海外へ行くとすれば、ディナーの場では男性はジャケットを羽織り、女性もそれ相応の服装でなければ店内に入れないという場合もあるという。また、あちこちと移動するような場合は、歩きやすい靴で服装も動きやすい服装の方が良い。TPOという言葉があるように、その旅行の趣旨を確認し、それに準じる服装を心掛ける必要があるだろう。

 最後は、「出会いを大切に」である。これは、ツアーであれば一緒に行く人たちはもちろん、行く先々ではいろいろな人に出会う。昨年のハウステンボスでは、マスコットのチューリーとも楽しい?一時を過ごした。せっかくの旅行なんだから、みんな仲良く行こう!ということをいいたいのではないかと私は考える。

 余談はこれぐらいにして、本題へ戻ろう。






3.新大阪駅から山口県へ




 

 さて、いよいよ珍道中旅行の始まりである。私たちが参加したツアー名は、『安芸の宮島と萩・津和野 大満足スペシャル2日間』というもので、ツアー名からして、なにやら期待してしまう。大満足しかもスペシャルである。私たちはスペシャルな2日間を過ごす為、早朝の新大阪駅に向かった。

 

 8時10分新大阪発のひかり349号に乗車する為、集合時間は7時30分とのこと。私は6時台の地下鉄に乗り新大阪駅へと向かっていた。私の最寄り駅は地下鉄長堀鶴見緑地沿線の某駅である。大阪在住の方ならピンと来たかもしれないが、地下鉄御堂筋線の新大阪駅に向かうには、御堂筋線と連結している心斎橋駅で乗り換えなくてはならない。私は御堂筋線心斎橋駅のホームで電車の到着を待ち、千里中央行きの電車に乗り込んだ、そして、ふと座席を見てみると、なんとAさんが乗っているではないか!「Aさん!!」と私は呼び掛けた。Aさんも驚いていた。さすがは迷コンビ、早速息が合っているではないか。これからの2日間が楽しみである。早朝の地下鉄の車内で、私とAさんはこれから始まる珍道中への期待を語り合った。

 そうこうしているうちに、新大阪駅に着いた。集合時間の7時30分にはまだまだ時間があるので、私たちは軽く腹ごしらえをすることにした。コンビニでサンドイッチなどを購入した。少し経つと集合場所に人が集まりだしてきたので、私たちも集合場所に移動した。添乗員同行のツアー旅行で肝心なのが、旅行の間お世話になる添乗員さんがどんな人物なのかということである。ちょっと接しにくいタイプなら、旅行の楽しさも半減である。反対にノリノリの添乗員さんの場合は、私たち旅行者が「大丈夫か?」と心配はするものの、楽しい旅行となる。さて、今回のこの旅行の運命を決める添乗員さんとのご対面!!なんと『安芸の宮島と萩・津和野 大満足スペシャル2日間』の提示板とJ社の旗を持って立っていた人物は、あのアニメ『おぼっちゃまくん』の『御坊茶魔』(おぼうちゃま)のような人だった。私はある意味ヒットだと思った。添乗員さんがいいキャラのようなので、珍道中旅行としては幸先がいい。私はこのおぼっちゃま添乗員に参加確認の為、自分の名前を告げに行った。



          

                   (新幹線)                           (御坊茶魔)
  



 しばらくして7時30分になり、今回『安芸の宮島と萩・津和野 大満足スペシャル2日間』に参加するメンバーが集合した。案の定お年を召したご夫婦が多かった。若いコンビというと、私たちの他にもう一組くらいであろうか。やはりもう少しで満員のところに潜り込めただけあって、参加者は全員で50人くらい。かなりの大人数である。

 おぼっちゃま添乗員はこの大人数の旅行者を率い、私たちは新幹線に乗車する為ホームへと向かった。





4.SL初乗車


    


             (SL機関車)



 新幹線での2時間は、あっと言う間に過ぎ、新山口駅に着いた。新山口駅で一同下車し、SLやまぐち号に乗り換える。このツアーは、SLやまぐち号への乗車を設定している日と設定していない日があり、私たちは設定している日で申し込んでいた。こうして新山口駅でSLに乗ることとなったのである。

 SL初乗車の私は、座席の座り心地、車内の雰囲気をじっくりと確かめていた。おぼっちゃま添乗員が、車両ごとに座席のデザインが違うと言っていたので、私とAさんは各車両を見に回った。車両ごとに明治・大正とその時代の雰囲気があり、私たちは各車両で記念撮影会を展開していた。特に、SLの最後部のデッキでの一時はこの上ない気分だった。風を全身で受け、私の髪はボサボサになった。だが、この際髪などどうでもよい、ただただ心地良かった。

 このSLに乗ると、記念品という形でSLの車掌さんから「SL乗車記念バッヂ」をいただけるようで、私たちも車両をうろうろとしている時にいただいた。私たちは思いがけないプレゼントに嬉しさを隠せなかった。そして自分たちの座っていた座席に戻ると、なんと同じバッヂが置いてあるではないか!そう、私たちは記念バッヂを2つも手に入れたのである。いくら記念と言えどもたかがバッヂ、毎日身に着けて歩くわけでもなく、あっても無くてもいいような物だが、タダで、しかも本当は1つしか貰えないところ2つ貰ったということに、私たちは満足していた。やはり無料で貰えるということに弱い二人である。

 そうこうしているうちに、SLやまぐち号にも2時間ほど乗車し、着いたところは「津和野」であった。




5.山陰の小京都津和野



 まず津和野とはどんな所なのか、ご存知の方もいるかもしれないが、その説明から始めたい。

 山陰の小京都と呼ばれる津和野は、島根県鹿足郡に位置しており、山あいに白壁と赤瓦の家並みが続き、西に山城の跡が見える城下町である。どんど焼き・苗木市・鷲舞などがあり、かるた取り(百人一首)も盛んに行われている。自然の面では、さくら・つつじ・新緑・もみじと山は四季折々に色を変える。秋が深まると霧につつまれる日が多くなり、冬には雪も降る。



     



 津和野出身の代表的な有名人と言えば、森鴎外(もり おうがい)・西周(にし あまね)。森鴎外は軍医であり小説家である。『舞姫』の作者と言えばわかるだろうか。そして、西周は、「哲学」「心理学」「化学」などの訳語を作った人物である。西周は、2月12日生まれということで私と誕生日が同じである。こんな偉い方と誕生日が同じだなんて、無能な私はどうも恐縮してしまう。

また、森鴎外と西周は親戚関係にあったらしい。津和野川を挟んで森鴎外の家と西周の家があったので、二人はご近所さんではないか!と思っていたのだが、そういう関係なら納得がいく。その二人の旧宅と森鴎外記念館など、史跡・美術館・記念館巡りも十分に楽しめる場所である。



         (津和野町役場外観)




 珍道中に戻るが、津和野駅で下車すると、バスガイドさんが待っていた。バスガイドさんはさすがガイドらしく、ちゃきちゃきとよく喋る人で、この旅の間バスでの移動時は、ガイドさんの巧みなトークでかなり楽しませていただいた。

 そのガイドさんが津和野を紹介する時に言った言葉「津和野はコイの町」。「コイ」と聞いて、私はすかさず「恋」かと思った。よっぽど愛に飢えているのだろうか。だが違った私はこの後とんでもない光景を目の当たりにしたのである。

 津和野では昼食と自由時間が設けられ、私たちは昼食もほどほどに、自由時間を満喫することにした。津和野のメインストリートと呼ばれる「掘割の路」にさしかかった時、「コイ」とはどの「コイ」なのかが判明した。この通りは武家屋敷などの江戸時代当時の面影が残っており、その屋敷沿いには掘割があり、そこにはなんと「鯉」が沢山泳いでいた。観光客が「鯉」に餌がやれるように、近辺の土産物屋では食パンなどの餌が売られており、その為だろう、どの鯉も健康優良児のようにパンパンで、掘割が狭く感じられた。



         (掘割の鯉)




 私も早速食パンを購入し、鯉に餌をやってみた。すると、食パンを水面にばらまかずに、空中でホレホレ〜とばかりに動かしただけで、鯉が水面で口をパクパクさせている。人間が何かを持っていると、餌がもらえると思っているのだろう。実際に餌をやると、水中での鯉の戦いが始まる。さすがに大きい鯉はこれまでに餌を沢山食べてきているのだろう。餌に対する反応が早い。そして驚くなかれ、餌を食べたいが為に鯉の上に鯉が乗り、なんだかすごいことになっている。一般的に日本庭園などで見る鯉は、優雅で綺麗と感じるが、ここでの餌を巡っての鯉の戦いは正直面食らった。鯉が少々恐く感じられた。

 そうこうしているうちに、集合時間が近付いてきた。私たちは置いてきぼりになるものかと、急いでバスに戻った。津和野の見学時間のほとんどを鯉の餌やりに費やすほど鯉に魅了されていたからだろうか。がまた来いよ〜(オヤジギャグ)と言っている気がした。




6.寄り道見学



 さて、私たちツアーの一行は萩へと向かっていた。萩とはどういう町なのか、余談だが少しご説明しよう。

萩市は山口県の北部に位置し、阿武川の下流に形成された三角州を中心に発達している。日本海と中国山地に囲まれた面積138平方キロメートル、人口約47,000人の町である。気候は比較的温暖で、1月から3月頃には、日本最大級の笠山椿群生林の椿が真紅の花をつけ、5月頃には夏みかんの白い花が咲くように、四季折々の情緒を醸し出す。

萩市はその昔、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元(もうり てるもと)が、慶長9年(1604)に萩の地に築城・開府し、文久3年(1863)に藩府が山口県に移るまでの約260年間、毛利氏36万石の城下町として栄えた。天災や戦災を免れた為、現在もなお萩城跡や武家屋敷、町屋等の江戸時代の町並み・歴史的景観を数多く残している。また、後述する吉田松陰をはじめ、2004年大河ドラマの『新撰組』にも登場した、木戸孝允(きど たかよし後の桂小五郎(かつら こごろう))・高杉晋作(たかすぎ しんさく)、そして伊藤博文(いとう ひろぶみ)など多くの逸材を輩出し、近年まで4人の総理大臣をはじめ著名な政治家が生まれている。

伝統工芸では「萩焼」が有名で、特に茶器においては文人茶客が愛好し重要な文化遺産として受け継がれ、現在では市を潤す貴重な地場産業の一つとなっている。

(萩市公式ホームページより抜粋)

萩とはこのように歴史を感じられる町であり、いつの間にか自分自身もその時代にタイムスリップしてしまうような、そういう趣のある町でもある。

私たちツアー一行は、予定では少し早めの15時30分頃に萩のお宿に到着し、その後は各自で萩を散策することになっていた。おぼっちゃま添乗員が、少し早めの到着となるので、もし希望される方がいれば行程には入っていないが松陰神社に寄って行かないかと言い出した。サービス旺盛な添乗員である。

 希望者が多かった為、一行は松陰神社に向かうこととなった。松陰神社とは、吉田松陰を祀っている神社である。吉田松陰って誰?と思う人もいるだろうから、簡単に説明すると、幕末の長州藩士。兵学師範である。難しいので具体的には説明できないが、「師範」とあるので先生であることは間違いない。松陰神社の敷地内にある松下村塾(しょうかそんじゅく:吉田松陰が門弟を指導した場所。その名のとおり塾である)は、当時のままの姿で残っており、幕末マニアには堪らないスポットである。この松下村塾には、昔の千円札でもおなじみの伊藤博文や、高杉晋作、木戸孝允など、幕末・明治維新の波乱の時代に活躍した有名人が多数通学?していたということである。なお、伊藤博文の旧宅は松下村塾の目と鼻の先にあり、通学には大変便利であったと思われる。高杉晋作・木戸孝允の旧宅や誕生地は、松陰神社からゆっくり歩いて30分以上かかりそうな場所にあるが、萩市内に存在する。



        (吉田松蔭人物画)




 私たちはこの歴史のある松陰神社と松下村塾を見学し、歴史の重みをひしひしと感じた。ちなみに、どの神社でも入り口にあたる鳥居の横に「○○神社」と刻まれている石が存在するが、松陰神社の場合「松陰神社」という文字は吉田松陰の直筆であるという。生前に「松陰神社」などと書くことはないだろうから、おそらく手紙などから各文字を抜粋したのであろう。

 松陰神社を見学した私たちは、再びバスに乗り今夜の宿泊地へと向かった。




7.さっそくの珍事件



 今日泊まる宿に着き、部屋に入って少しくつろいだかと思うと、私たちは萩散策に出掛けることにした。ホテルに置いてあった観光案内マップを見たところで、どの方面に何があるのか、さっぱり検討がつかない。そこでホテルの従業員のおじさんに聞いたところ、萩城址ならけっこうな距離を歩かなくてはいけないが、萩の城下町を散策するのならそんなに歩かなくても大丈夫という情報を得たので、考えることもなく城下町見学を楽しむことにした。



                


          (萩城下町風景)                     (萩城址)



 ホテル前の道路を渡ると目の前は広場があり、その広場を突っ切るともうそこは城下町だ。私たちはマップを片手にいかにも観光客らしく歩き出した。とりあえず城下町の雰囲気を味わいに行こうとして歩き出したのは良いが、まるで碁盤の目のように、細道がいくつもあり、うっかりしていると迷子になりそうである。私たちは必死にマップと現在地を確認しながら散策を楽しんだ。歩いていると、ちょうど時間帯が平日の夕方だった為、学校帰りの小学生たち数人と遭遇した。子供たちは、どこの誰かもわからないであろう私たちに「こんにちは!」と大きな声で挨拶してくれた。いきなりの挨拶に驚いた私たちは、挨拶を言い返すタイミングを逃してしまい、無視をしたような感じになってしまった。我ながら反省・・・。萩は観光スポットだから観光客も沢山来るので、そういう観光客の方たちに対してもきちんと挨拶しましょうと学校が指導しているのか、都会の子供たちと比べると礼儀がきちんと出来ていると感じた。また、萩焼が有名なだけあり、至る所に萩焼の店が並んでいた。

 そんなこんなで、私たちは木戸孝允旧宅に到着した。当たり前だが誰も住んでいないようだ。その隣には、青木周弼(あおき しゅうすけ:蘭方医学の藩医)の旧宅もあった。この二人はご近所さんである。町内会の隣組なら同じ組であろう。そして一つ路地を挟んだ所には、あの高杉晋作の誕生地があった。旧宅とは表示されていなかったので、ここに住んでいたのかは不明であるが、この地で生まれているのは確かである。いわば、高杉氏の故郷である。これは記念撮影しなければ・・・と、高杉家の前で私は記念撮影会を行った。




               


      (高杉晋作の貴重な写真)            (高杉晋作の誕生地)



 ぶらぶらと散策していたのだが、もうすっかり日も暮れて、所々にあるお店の灯りが街灯代わりとなっている。さっきまで開いていた萩焼の店も閉店している。私たちは、今夜の宴会の酒とつまみを購入するため小さな商店に入り、缶チューハイとお菓子を購入した。ホテルを出掛ける前に、仲居さんに夕食の時間を伝えていたのだが、そろそろ帰らないと夕食の時間に間に合わないので、私たちはホテルを目指して歩き出した。

 が、街灯もほとんどない城下町である。暗闇では今どの辺りを歩いているのかさえわからない。私たちはすっかり迷子になってしまった。行きには見たことが無い家の前を通ったり、少々不安がよぎった。さすがは迷コンビと名付けられただけあって、本当に迷うとは・・・。でも、きっとホテルに着いてみせる。そう思っていると、なんだか薄気味悪いお寺を発見。しかも気味が悪いと感じているところに、なんと猫が、しかも黒猫が飛び出してくるではないか!暗闇に黒猫が登場とは、こちらもあまりの驚きに心臓が止まるかと思われた。その上、なんだか怪しい雰囲気の犬が私たちを見て「うぅぅっ」とうなっていた。私たちの恐怖が絶頂に達した時、遠くに見覚えのある建物が見えてきた。ホテルである。私たちはどうにかこうにかホテルに辿り着くことができた。

 教訓:城下町は、日の出ている間に散策しましょう。迷子になります。




8.お決まりの宴会



 夕食を食べ、ゆっくりお風呂にも浸かったらあとは宴会をするだけである。迷子になった萩散策で購入していた缶チューハイを冷蔵庫から取り出し、いよいよ宴会の始まりである。この日、大阪を出発する前に新聞のテレビ欄を確認すると、関西テレビ系でプロ野球の珍プレー好プレーの番組が放送されるということであった。私たちは根っからの阪神タイガースファンである。しかも2003年のこの年、阪神タイガースは惜しくも日本シリーズでパリーグの覇者、ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)に3勝4敗で敗れはしたが、セリーグを制覇し、関西では大いに盛り上がった。だから、これは是非見なければならない番組なのである。いくら山口県とはいえ、同じ番組を放送しているだろうと鷹をくくっていた私たちが間違っていた。なんと、山口県ではこの番組は放送されないという。ホテルのロビーにあった新聞で確認したところ、大阪でいう関西テレビ系の番組は山口県ではやっていないのである。なんということだ!これを楽しみに、これを酒の肴にして私たちは宴会を更に盛り上げていこうとしていたのに、計画がパーである。

 だが、そんな私たちを神は見捨てなかった。NHKで阪神タイガースのキャッチャー矢野選手の特別番組が放送されるというではないか!私たちは、酒の肴を矢野選手に変更し、こうして酔っ払い2人の夜は更けていった。




        (宴会の場)



 余談になるが、この日私たちが泊まったホテルは、「千春楽」というホテルで、なんと、火曜サスペンス劇場で片平なぎさと船越栄一郎のシリーズでおなじみ、「小京都シリーズ」の第3弾、「小京都ミステリー 津和野・萩殺人事件」で使用された。ドラマではロビーが撮影に使用され、別々に行動していた二人(片平なぎさと船越栄一郎)がロビーで落ち合うという場面が撮影されたという。



        (千春楽外観)




9.2日目のはじまり



 朝が来て、珍道中旅行も2日目(最終日)である。1泊2日というのは、本当にあっと言う間に過ぎていくものである。

身支度を整えて朝食会場に行くと、既にツアーのみなさんは食事を始められていた。丸い円卓に6名ほどずつ座れるようになっており、私たちは空いている席に座った。その円卓には空席が残り1席しかなく、なんとなく嫌な予感がしていたのだが、案の定その残りの1席におぼっちゃま添乗員が着席した。おぼっちゃま添乗員は体格が良かったが、その期待を裏切ることも無く、パクパクと食べ、ご飯もしっかりおかわりまでしていた。私たちは腹八分目で朝食を終え、出発の用意の為部屋に戻ることにした。

2日目もバスガイドさんの喋りは絶好調であった。目的地に着くまで永遠に喋り続けるこの仕事は、喋ることが好きでなかったら絶対に続かないであろう。そう感心していると、ガイドさんが耳を疑いたくなるようなことを言った。昨日萩散策の際に迷子になり、薄気味悪いお寺を発見し、おまけに黒猫まで出てきたという出来事があったが、その薄気味悪いお寺には、この地の大名である毛利(もうり)家のお墓があるという。やはりそうだったのか、どうりで気味が悪いと思ったはずである。私とAさんは、ガイドさんの話を聞きながらお互いに顔を見合わせ、「やっぱりな」とつぶやいた。

 本日の最初の観光地は、秋吉台。あいにく小雨が降る中の下車観光であった。一面の草っ原に圧倒され、言葉も出なかった。



        (秋の秋吉台)



 続いて訪れたのは、秋芳洞である。秋芳洞は「しゅうほうどう」と読んでいるが、地元の方たちの中では、「あきよしどう」と言うらしい。「洞」とあるくらいなので、もちろん洞穴である。私たち一行は、洞穴探検へと向かった。中に入ると、なんとエレベーターで地下に降りていく。エレベーターを降りて歩いて行くと、そこはもう穴の中であった。ゴツゴツした岩や、遠目ではツルツルした感じの岩があり、色も足元を照らす灯りのせいか、薄い黄色っぽい色をしていて、何とも言えない幻想的な雰囲気である。雨が降っていたからだろうか、地上の水分が地下に下りてきているからなのか、地面が濡れていて、しっかりと足元を見ないとツルッと滑ってしまいそうである。お年を召したご夫婦なんかは、お互いにしがみつきながら歩いていらっしゃる。

 こういう見たことも無い物を目の前にすると、何も考えず写真を撮ってしまうのが、旅行者の悪いところである。岩について研究をしていたり、本当に感動して撮っているのならまだしも、手当たり次第に珍しいからと思って撮ってしまうと、後々何故自分はこんなに同じような物ばかり何枚も撮ってしまったのだろう・・・と後悔することとなる。人が写っているのなら良いが、岩ばかり何枚もあっても仕方がない。知らない人がアルバムを見たら、なんだこれは!!試し撮りか?と思ってしまうだろう。写真撮影もやたらと撮りまくるのも考えものである。




      



                     (秋芳洞と、秋芳洞内の経路図)





10.錦帯橋へGO




 一行は次の目的地、岩国市の錦帯橋へと向かっていた。

 ここでまた余談だが、岩国市について説明しよう。

 岩国市は山口県の東部にあって、東は瀬戸内海国立公園に面し、北は背後に自然の変化に富む羅漢(らかん)山脈の支脈を負って、小瀬川(おぜがわ)により広島県大竹市に接し、西は蓮華(れんげ)山脈を負って玖珂郡美川町、南は玖珂(くが)郡由宇(ゆう)町に接している。良質で豊富な水量を誇る錦川、河口一帯の干拓地などの恵まれた工業立地条件を背景として、近代産業のあけぼのとともに工業都市として歩み始めた都市である。

 特産品は、レンコン・郷土料理の大平(おおひら)などがある。岩国ゆかりの人に、女流文学者の宇野千代(うの ちよ)・名作『貧乏物語』で有名な経済学者の河上肇(かわかみ はじめ)・文芸評論家の河上徹太郎(かわかみ てつたろう)・軍歌を中心に数多くの名曲を世に送り出した田中穂積(たなか ほづみ)・日本で初めて電車を走らせることに成功した、日本のエジソン藤岡市助(ふじおか いちすけ)がいる。

(岩国市公式ホームページより抜粋)



         (桜の頃の錦帯橋)




 ここでは完全なる自由行動となり、各自で自由に錦帯橋やその周辺を散策することとなった。錦帯橋は、5つのアーチからなる木造の橋で、ちょうど掛け替えの時期と重なり、工事中の部分もあった。私たちは、よいしょこらしょと橋を渡った。錦帯橋の見学は、ただ橋を渡るということで終了し、私たちは、周辺を散策することにした。ちょうど、橋を渡ったすぐ左手にソフトクリーム屋があり、なんと紫いもソフトを売っているというではないか!ソフトクリームには目がない私は、紫いもソフトに心を奪われながらも、ここは我慢我慢と、先を急いだ。

 私たちは、ゆっくり歩くこと15分ほどで、白蛇観覧所というところにたどり着いた。ここは名前のとおり白蛇だけを観るところで、白蛇の脱皮した皮も展示されていた。蛇は少々苦手の私だが、白蛇はなんだかとっても可愛く思え、長時間見入っていた。何がそんなに可愛いのかと言うと、ズバリ目であった。普通の蛇でさえ、滅多に見ることがないのに、数え切れないほどの白蛇を目にして、ソフトクリームより心奪われるものがあった。




         (白蛇観覧所風景)




 その他、美術館や岩国城など見学するところも満載だが、時間の都合上私たちは全てを観光することができないとわかっていたので、とりあえず、最後に佐々木小次郎の像を見に行き、集合場所へと戻ることにした。




11.宮島・鹿と紅葉まんじゅう



 ここからは広島県での見学となる。広島県は私の好きな町がある。それは尾道というところである。実際に行ったことはないのだが、一昔前の映画ではよく舞台になっていたようである。その映画での風景がなんとなく心が癒される風景で、それからすっかり尾道ファンである。今度ツアーでなく個人旅行に行く機会があれば、是非候補として挙げたいと思う。

 さて、今回は宮島観光である。ここでは厳島神社(いつくしまじんじゃ)を観光する。またもや少し厳島神社についての説明をするとしよう。

 昔、宮島の景観には人々が霊気を感じ、島そのものを神として、信仰の対象にしていたという。社殿の創建は、推古(すいこ)天皇の即位元年(593年)で、平清盛(たいらのきよもり)の時代には、平家一族の拝するところとなり、京都からは、皇族・貴族が訪れ、当時の平安文化が積極的に取り入れられたという。神社の鳥居が海の中にあるのは、島そのものを神と見たためだと思われる。

(厳島神社の由来より抜粋)



          (厳島神社正面)



              (海中に佇む鳥居)





 厳島神社を訪れるのは初めてのことだったので、どんな場所なのかとても気になっていた。船に乗って宮島に渡る瞬間は、「今から行くぞ!」というワクワクした気持ちだった。船着き場に着くと、ここからは宮島のお土産屋さんの人が案内をしてくれるという。まずは全体での記念写真ということで、モデル?の鹿と一緒に全体写真を撮った。

 宮島には沢山の鹿が生息しており、観光客が鹿に餌をやる為、鹿たちはどの鹿も肥満気味で、動きが鈍かった。写真に一緒に写るモデルの鹿は、やはりモデルらしくほっそりとしていた。ここの鹿も奈良公園の鹿のように、人間が食べ物を持っているとノコノコとやって来ては、食べ物を奪い取ろうとするようである。その為、食べ物は鹿の目に入らないところに隠すように注意しなければならない。だが、鹿は目ざとく見つけて時に人間を襲うこともある。

 実際にあった話だが、何を隠そう私の父も母と観光旅行でこの地を訪れた時、鹿と格闘した経験を持つ。お弁当を食べていると、ズボンの後ろのポケットに入れていた厳島神社のパンフレットを鹿が見付け、くわえてズボンから引っ張り出そうとしていたところを母が気付き、そこからは父と鹿とのパンフレットをめぐっての戦いが繰り広げられたという。一人対一頭の戦いである。相手は歯で引っ張り、父は両手で引っ張り、母は笑いながらその光景を見ていたそうである。パンフレット如きで鹿と戦うなんて、家族としては恥ずかしいのでやめてほしいところだが、ネタとしては大変面白い笑える話なので良しとする。





       (獲物を狙っている鹿の群れ)





すっかり話が逸れてしまったが、記念写真の後は案内担当のおばちゃんの案内で、神社見学に向かった。厳島神社を見学すればするほど、よくまぁこんな所に神社を造ったものだと感心する。私たちは神社でも至るところで写真撮影会を行った。私は神社から海に飛び込むふりをしている、とてもアホな写真をAさんに撮ってもらった。

 神社の見学が終了すると、案内のおばちゃんは自分のお店の紅葉まんじゅう屋さんに私たちツアー一行を案内した。どうやら自分のところのまんじゅうをごちそうするというサービスらしい。そして、あわよくば自分のお店の紅葉まんじゅうを売ろうという魂胆である。というか、これが商売というものなのだが・・・。

 しかし、我がツアーのおぼっちゃま添乗員は、この地を見学する前に私たち一行に美味しい紅葉まんじゅう屋さんを密かに教えていた。そのお店はこのおばちゃんのお店ではなく、なんともタイミング悪くこのおばちゃんのお店の向かいにあるお店だった。

 私たち一行は、このおばちゃんが出してくれたサービスの紅葉まんじゅうを美味しくいただき、一服すると素早く店を出、ブラブラとするフリをして、向かいの紅葉まんじゅう屋さんで他の観光客に紛れてまんじゅうをコソコソと購入した。おばちゃんに悪いという思いからである。このおばちゃんのお店のまんじゅうも美味しかったが、どうも薦められるとそのまんじゅうの方が美味しいように感じてしまう。

 添乗員という立場からしたら、この案内してくれたおばちゃんのお店のまんじゅうを買うように仕向けるのが筋なのだが、おぼっちゃま添乗員としては、本当に美味しいまんじゅうを薦めたかったようである。そういうところが憎めない。




      (紅葉まんじゅう)





12.さらば小京都




 さて、2日間の珍道中旅行もいよいよ終わりを迎えようとしている。思えば2年越しの計画であった。念願の地で思う存分珍行動を起こし、自分たちでもつくづくアホなことをやっているなと思うのだが、そんなアホなことをやっている自分たちがとても好きな私たちである。今後もこの2人の珍道中は繰り広げられ続けるだろう。

 帰りの新幹線の中で、私たちは各自で購入したお弁当を食べながら、思い出に浸ると共に、次回はどんな「珍」が待ち受けているのかと、思いは第3弾へと馳せていた。おぼっちゃま添乗員もよく頑張っていたと思うし、本当にいいキャラだった。年齢を聞くと、21歳だという。これにはたまげた。おぼっちゃま添乗員には今後もますます添乗員としての磨きをかけてほしいと思う。

 また、『珍道中旅行記2』という形で無事に報告できるのも、Aさんとのコンビネーション力がますますアップしているからだと思われる。お互いに助け合い、フォローし合ってこそ、楽しい笑える珍道中が実行できるのである。Aさんには本当に感謝している。今後第3弾・第4弾と、珍道中の報告をできるよう、コンビネーションにも更なる磨きをかけて臨みたいと思う。

 それでは、またいつの日か『珍道中旅行記3』という形でお会いできる日を願って・・・。


−完−