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それは1982年のことだった。 ブラジルへ出張の某氏は商談のためのサンプルを旅行用スーツケースの中にしたため日本を飛び立った。 非常に厳しい輸入制限に対応し、ビデオレコーダーのノックダウン生産を始めるためのサンプルであった。 何度もブラジルを訪れていた某氏は当地にこのサンプル品を持ち込むために周到な計画を立てていた。 まず代理店と打ち合わせの上、エアラインはVARIG航空にした。 当時日本航空も直行便が飛んでいたが、使用する空港がビラコポスというサンパウロ郊外であった。 これに対しバリグ航空はリオで機材を交換し、小さいボーイング373になるものの、市内のコンゴニアス空港に到着する。 この空港を利用する事が実は重要であり、税関職員に話がついているので、手荷物検査はなしにパスできるという段取りであった。 もともと当時のコンゴニアス空港の手荷物検査は検査台に荷物を置くと赤ランプと緑ランプのどちらかが点灯し、それは確率の問題といわれているが、実は裏で税関職員がどっちにするか決めてボタンを押しているので、某氏はパスできるといる仕掛けである。 おっとり刀の某氏は空港に到着し手荷物検査の番になった。 うむ、な・な・何と! 赤ランプが点灯してしまったのだ! その時の某氏の狼狽ぶりは想像に難くない。 あとはパックリとスーツケースの中身を開けさせられ、中に鎮座している物を囲んで大騒ぎになってしまった。 (その2) ここで某氏は最悪の事態が起こった際にどうするか、あらかじめ検討していた次の手段に出た。 「ボンド」という手段である。 これは旅行者が通過国に立ち寄る際に一時的に税関に荷物を預けておける制度である。 第二の手段は「ボンド」で預けて、ひとまず入国し、あとは税関の職員と話をつけて、このボンドの荷物をこっそり引き出すという方法である。 代理店側よりしかるべき筋を通して話をつけ、どうやら引き出せそうになったが、最終段階で税関側の実行者がビビってしまった。 ボンドの荷物はあまりにも税関内で有名になってしまい、こっそり出すどころではなくなってしまった、というのがその理由。これで2、3日を費やしてしまったが無駄な結果になってしまった。 (その3) ほとほと困り果てた某氏は最後の手段に出た。 今度はこの荷物を空港で受け取ってアルゼンチン行のフライトで一旦ブラジルから出る。(アルゼンチンは持ち込み可能) そこからパラグァイの首都アサンションへ飛び、さらにパンアメリカンハイウェイ(といってもただの道だが)を陸路ブラジル国境まで行き、イグアスの滝で有名な観光地にあるフリーゾーン(免税地)を経由してサンプルと共に入国するという手段であった。ブラジル入国の際にひと悶着は覚悟していたが、そこは何とか手はずは整えていた。 う〜ん、今度こそ準備は万端、週末は雄大な世界有数の滝と言われているイグアスの滝を観光してと、意気揚々であった。 さて空港でボンドの荷物を出してブエノスアイレス行の搭乗券を手に出国手続きを終え、出発を待っていると、なかなか出発しない。そのうちアナウンスがあり「今日のフライトはキャンセルとなった」との事。 これがアルゼンチンの南にあるフォークランド諸島の領有権を巡るイギリスとアルゼンチン両国海軍紛争(フォークランド紛争)勃発であった。 そのためアルゼンチン行の民間フライトも短期間であったが全面禁止されてしまったのだ。 (エピローグ) 結局このビデオレコーダーは再度ボンド入りとなり、後日弁護士を通じ、ブラジルの産業基盤を確立し雇用の促進を掲げて、正面突破で申請し、輸入された。 関係地図はここをクリックしてください |
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