多様な就学形態が可能な <責任あるインクルージョン>とは何か(*) "Responsible Inclusion Belongs in an Array of Placement Options" フィル・ハットレン Phil Hatlen 障害がある生徒のフル・インクルージョンについて、皆さんと分かち合いたいことはなんだと思いますか?それは、個々のニーズを考慮しないインクルージョンの運動が、この国を押し流していることへの私のフラストレーションについてでしょうか? 障害がある生徒が、悲劇的にも「誤って扱われる」ことへの恐れについてでしょうか?「差別禁止」という高踏的見方が、障害児へのサービスを没個人的なものにすることへの懸念でしょうか?  そうではありません。わたしは、障害がある生徒たちに役立つ、新たなサービスの強力な支援について分かち合いたいと望んでいるのです。<責任あるインクルージョン>は、ある障害がある生徒には、適切で効果的なサービスです。もしその推進力が続き、慎重に取り扱われれば、<責任あるインクルージョン>は、障害のため不適当な設備と、サービスの外にいる生徒たちを、真に学ぶという尊厳と機会を提供できる教育的な環境を作り出します。そして、数千の子供たちを感動させる可能性を持っています。私は「インクルージョン」運動のリーダーを賞賛し、この新しい教育的な選択肢が、それから本当に利益を得るはずの学生に、適切に使われることを保証するために新たなサービスを提案します。  しかし、なんということでしょうか。フル・インクルージョン運動において、リーダーである私の同僚は重大な誤りをおかしました。直せるでしょうがでしょうが、困ったことです。彼らは、「…すべてはすべて意味しています…」「…ただ、それをしてください!!…」などの用語を用います。彼らによれば、在籍を決定する時に、個々の子供のニーズを慎重に考慮することをしなくてよいのです。在籍そのものが教育的ニーズを超越していると信じているのです。彼らは、障害がある生徒の何例かの成功者のことを、すべての障害がある生徒に一般化させました。彼らは 聴覚障害者,脳性麻痺、学習障害者、盲児の教育的なニーズの区別をまったくしないのです。まるでこうした障害種別を示すことの効果が、教育的なニーズとサービスにとり、まったく役にたたないかのようにです。彼らは、障害名のラベルは、医学にだけ有効であると言います。役立つすべての教育的計画とその成果は、障害種別と無関係に個々の教育的ニーズにのみ関係していると信じているのです。  私に、すぐにその神話を払拭させてください。障害児教育の私の同僚のうち、ある人たちは、障害種別がほとんど過去の遺物であると指摘するのを誇っています。それらが単に医学のラベルであり、教育的なニーズとの関係を全然持っていないから、ラベルは子供を侮辱するというのです。これは真実ではありません。「視覚障害」または「聴覚障害」というラベルを使わないことは、障害を持ちつつ誇らしげに生きている子供や、威厳を学ぶ必要がある障害を持っている子供を、大いに侮辱することになるのです。ラベルを使うことを避けることは、子供に、「視覚障害」または「聴覚障害」とういものがひどく間違っている、ということかと思わせることです。もし人々がこの言葉を使わないとしたら、なにを子供たちはそこからどんな印象を得るでしょうか。  すべての視覚障害児は、その障害ゆえ同様なニーズをもちます。視覚障害は、学習へ直接的で深い影響を与えます。この影響はすべての視覚障害児を横断し一般化できます。したがって、このラベルの使用は、適切な教育的なサービスを作るのに必要です。聴覚障害者を教える教師は、障害がもたらすコミュニケーション上のニーズのために、はっきりとした方法を確立しました。これらのニーズが明確であるため、聴覚障害がある生徒のインクルージョンについてのどのような決定も、この明確なニーズに従って、十分丁寧にされなければなりません。  何年もの間、私は視覚障害児のコミュニケーションと聴覚障害児のそれについて考えてきました。私は、両者の差異は「経験」であるということを確信しました。視覚障害児は、世界についていての、どのような基本的な知識を持っていると思いますか?視覚障害児の世界とは、腕の長さの範囲です。この事実について考えてください。日々生活のなかで、一人で学んでいくときの与える影響や、それから派生する学習への影響を考慮してください。このことが、視覚障害が成長や学習に与える深い影響を考慮してください。経験的な学習を提供するフル・インクルージョンの機能について考えてください。  視覚障害がある生徒の教師たちは、インクルージョンを開拓しました。小さいスケールにおいて、20世紀に開始しました。そして1950年代と1960年代において、ドラマチックに急速に拡大しました。特殊教育とは異なる他の場所であるの通常教室で、障害を持つ子供がより完全に、適切にインクルージョンができる方法を探究しはじめたのです。  数年前、私達はインクルージョンについていくつかの重大な教訓を学びました。何人かの学生は、当初より、インクルージョンから利益を得ていました。他方インクルージョンから利益を得る前に、様々な種類の準備が必要な生徒もいました。さらに、他の生徒たちは、彼らが大きくなってから、インクルージョンの最もよい可能な機会を持てるように、インクルージョンでない教育が最もよかったのです。したがって、私は、フル・インクルージョンが、すべての視覚障害がある生徒に適切に供給できるわけではないことに疑いをもっていません。また、そのことをいうことに躊躇もしません。私は、全盲や視覚障害児の教育的なニーズをたくさん知っているので、こうした理解ができるのです。 私の同僚で、インクルージョンを熱心に進めている人々は、重い、深刻な障害を持った生徒や、他の障害を併せ持つ生徒にとってインクルージョンはうまくいかないことを知っていることを知っているのです。私は、彼らが持っている障害を持つ子供たちへの理解や専門的技術を認めます。私は彼らの発見や見識に疑問をもちません。しかし、かくも良くもあり善意の人々が、障害を持つ学生の一部においての発見を、どうして、すべての生徒に一般化できるか、わたしは理解することができないのです。もし今、誰かがこのようなことを実行するならば、私はやめるようにいいます。その人たちの見識を認めるように、その人たちも、私の専門技術を認めるように頼みます。 障害児教育専門家の中のあらゆる階層やグループにわたる、これら意見の違いをはっきりさせ、フル・インクルージョンが、障害を持つすべての学生に向いているわけではないことを強調させてください。一部の発見を一般化できると言う人々に用心してください。そうした主張をする人々は、この信念のための知識または専門技術を持っていないのです。  視覚障害の学生の教育的ニーズをあなたと共有したい。また、私が以上の人々にいっていることに関心を持ってほしい。そして、それを利用することを勧めたい。全盲や視覚障害がある生徒たちの様子は非常に様々です。ある人たちは全盲です。また他は、よく使える視力を持っています。ある人たちは視覚障害だけです。しかし、他の人たちは複雑で、教育的な難しい課題を持った別の障害を持っています。ある人たちは誕生から視覚障害者です。他の人たちは、学齢期に視力を失っています。ある人たちは、都市部に住んでいます。他の人は田舎の地域に住んでいます。ある人たちは、視覚障害がある生徒の教育のための、広範な資源を持っている学区に住んでいます。他は資源なしで学区に住んでいます。こうした違いは続きます…。ですから、いかにすれば、一つの在籍の仕方でこれらの人々の教育的なニーズを満たせるでしょうか?それは不可能です。  私は、少し前に私達がインクルージョンを開拓したことにふれました。私達は、視覚障害児や盲児を、1955年と同じくらいの規模を保ち継続して通常教室に在籍させていました。短期間の教科の適応訓練や教科学習の手段の提供をすれば、視覚障害児が通常のクラスで学習できるとという仮定で、このプロセスを開始しました。ここで、私達は過ちを犯したのです。インクルージョンの初期の努力における数百の卒業生が、失業し社会的に孤立してしまいました。私達は誤りに対価を支払ったのです。この事態から、私達はインクルージョンについて学びました。 1. たとえ私達が、視覚障害がある生徒のために、教科的カリキュラムをアクセス可能性にさせることを得意としても、通常教室のカリキュラムの使用には慎重な導入とアレンジが必要でした。 2. 社会的な人間関係のスキルは、障害を持たない他の学生から模倣または学ぶことはできませんでした。私達がインクルージョンに置いた学生のほとんどは、社会的に孤立していました。 3. 点字学習の導入は、通常のカリキュラムに組み込むことは困難でした。 4. 多くの視覚障害がある生徒は、インクルージョンにおいて教科的な科目を学ぶことができました。もし視覚障害に適応したカリキュラムを使うことが準備されるならば、視覚障害児が、通常教室側の見える仲間と一緒に勉強できることを否定する理由はまったくありませんでした。 5. 視覚障害がある生徒は、教育的なニーズについて教科以外の課題を持っています。これらは現在「障害に特定されたニーズ」として扱われます。通常の教室で、これらを提供することは不可能です。従って、多くの時間をこれらのニーズを通常教室の外で学習することに費やされなければなりません。 これらの発見と私自身の知見から、以下の見解を見いだしました: 1.「インクルージョン」というは、障害を持つ学生のための教育的な在籍を規定する新しいラベルです。視覚障害がある生徒のための専門家は、この在籍の仕方がリストに追加されたことを歓迎します。視覚障害がある生徒のいくらか、生涯でインクルージョンの設定から大きな利益を得ます。 2. 複雑な条件に対応するために、視覚障害の生徒のニーズに合わせて様々な在籍の仕方や、サービスの在り方が利用できるように教育を拡張していくことや、在籍とサービスの多様なあり方が利用可能でなければなりません。 3. 視覚障害の学生に最もよい教育的なプログラムというものは、ありません。特定の期間、個々の学生にとって最もよいプログラムがあるだけです。 現状としての「フル・インクルージョン」を認めましょう。ただし、障害がある生徒のための、多様な在籍仕方の多様なリストの一つの項目としてです。 (*)本論文は In The Association of Texas Professional Educators Journal, May /June, 1994, Volume 14, Number 5.に掲載されたものです。すでに、イタリア語ドイツ語で翻訳されています。著者の許諾と推奨によって翻訳しました。 著者は、テキサス盲学校の校長先生であった方で、サンフランシスコ州立大学教授でもあった方です。現在は、同盲学校のSuperintendentをされています。 翻訳したものは、私のサイトに掲載しています。 http://member.nifty.ne.jp/ymisaki 私のWeb Siteへの掲載、メール送信についても許諾および推奨をいただいています。 三崎吉剛 2003, September 13