近 況

6月1日(日)
昨日は会社主催のゴルフコンペが修善寺カントリークラブであり、今回も成績は最低であり、当然練習をしていないことが最大原因で、みんなに指摘された。そのため成績は終わりに近づくほどよくなっていった。次回は最下位脱出を目指そうと誓った。その前日に泊まった修善寺温泉「五葉館」、夕食は近くの食事処でとり、朝食は沢山の種類のおかずがならびとても美味しい。また来ようかと思う。
5月7日(水)
長い休みが終わると、祭りの後のように抜け殻の心が何かを探している。
駒川商店街南側はずれにあるジュウジュウランチなどのリーズナブルな肉料理で人気のある「永和堂」が満員だったので、商店街を北側に十分ほど歩き十年ぶりに行った「十兵衛」で食べたステーキランチは今までで一番美味しかった。味つけは塩・胡椒だけ。値段は三千円で、マスターがメニューにはないけれどと薦めるのもよく解った。ここのタマネギや椎茸も甘くてとても美味しかった。そしてマスターの講釈が続くがこれは辛抱しなければ安くて美味しいものは食べられない。ビーフシチューはオニオンスープ仕立てで塩をつけて食べる。ビーフカツ、ハンバーグステーキもソースではなく肉の味そのままで食べる。ここはよくある洋食屋のように店特有の長時間煮込んだデミグラスソースはない。ビーフカツも食べたかったので数日後スーパーでステーキ用のミスジを売っていたので、瓶でたたいてのばして塩・胡椒をしてビーフカツにしたが、やわらかくて今まで作った中で一番の出来だった。ヨメさんと娘にも評判がよく、ぺろっと食べてくれた。
家のインターネット環境は昨年光で無線LANにしたが、帰ってきた娘のパソコンもその設定にしたが結構手間取り、電話で説明を受けながら一日仕事になってしまった。
娘の使う家具などを買おうとJR平野駅近くの店をネットで探し娘の車で行くと、郊外型のイーオンの大型店のセンターで近くにできていたのにびっくりした。
4月13日(日)
1970年頃の私的音楽情況を振り返ってみよう。そろそろ忘れてしまいそうなので書いておかないと思った。
まず1971年岐阜の中津川椛の湖畔であった「フォークジャンボリー」には寝袋を担いで中山道の妻籠から馬篭を歩いてから行った。フォークジャンボリーの二日間ほどは飲まず食わずで体重は42kgにまで減っていた。印象に残っているのは「はっぴぃえんど」と「加川良、武蔵野タンポポ団」などだろうか。
梅田の東通り商店街の路地裏に「エスエス」という音楽喫茶があり、実験で忙しくなるまではよく行っていた。特に「はっぴぃえんど」のライブが印象的で、その大音響に警官が入ってきたのはびっくりしたがビートルズの映画「レットイットビー」のようだなと思い浮かべていた。
豊中駅近くにあった「フリーク」というフォーク喫茶は坂本さんがやっていて、時々ライブがあり「友部正人」も聴いた。とくに豊中市民会館であったライブの時にはバックでピアノをジャンパー姿で弾いていた人に感心したが、その人はまだ大学院生だったけれど、後で有名になった「坂本龍一」だった。
難波には「ディラン」という喫茶店があり、そこからは「西岡恭三、大塚まさじ」などのフォークグループ「ディランU」が出ているし、そこを拠点にしていた「大塚風太」は最初のころは天王寺野外音楽堂で開催された「春一番」という多くのミュージシャンによるコンサートを企画・実行していた。
後は梅新にあったクラシック喫茶「日響」やシャンソン喫茶「シャンソニエ・ジルベールベコー」などが想い出される。
4月6日(日)
ヨメさんの母の49日法要が昨日あり、まず金曜日に自宅に戻って正月以来の娘と会い、帰ったときには洗濯物を一生懸命干している姿を見て、田舎での一人暮らしさせたことはよかったなあとつくづく思った。土曜日は新幹線でヨメさんと出かけ、福岡との県境にある熊本の荒尾での実家で法要はあった。もう10年以上恒常的には住んでいないが、時々家は姉さん達が訪れてくれており、また最近植木屋さんに頼んで庭を剪定等してもらったのでまだ法要がきっちりできるだけの家にはなっていた。田舎の不便な場所なので親しい親戚の人は車で来ていて、食事の時はお酒はなしで私には口が重たいまま、あまり解らぬ熊本弁とつきあっていた。桜は見事なほど満開だった。
やっとヨメさん達の姉妹はこれで肩の荷を下ろしたようにホッとしていた。私は一番上の姉さんの旦那が七四歳になるがまだ小さい会社の社長をしていて結構おもしろい人なのである程度は話しをしたのだがこういう機会はなかなかないので、もっと話しをしたかったなと今頃思っている。
3月29日(土)
今日は関東でのこの家にもケーブルテレビの機器設置があり、テレビは阪神の試合も結構見られるようになり、インターネットもケーブル接続で安く早くなるようです。ケーブルが導入される前の一ヶ月前にエアーエッヂから無線ブロードバンドのE-Mobileに変更したところで、今日はそちらを解除した。なんと二度手間になってしまった。
先週の土曜日はなつかしい大阪・中之島をヨメさんと散策して、ちょうど40年前の中之島公会堂で大学の入学式があったのを想い出しながら淀屋橋から肥後橋まで、大学の本部はもうないなあと改装するというフェスティバルホールを過ぎて、オーガニック料理の店でランチを食べる。ビールもオーガニックを頼む、結構美味しい。そして旧理学部跡の近くに建っている国際国立美術館でやっていた「エミリー・ウングワレー展」、アボリジニが生んだ天才画家を見る。八〇歳近くになったからアボリジニ特有の女性へのボディペインティングをキャンバスでの表現をするようになったそうだ。きっとボディペインティングの制限からキャンバスに描くことでの自由さを獲得したことですごい量での制作ができたのだろう。その言葉にはならない表現力には圧倒された。
娘が出雲の大学を卒業して一昨日大阪に帰ってきた。国家試験の発表がその前日にあり合格し本当にホッとして、四月から社会人、やっと親の義務を果たせたなとの充実感がある。
ヨメさんは現場から管理への異動があり悩んでいるが、同職の娘の存在がこれからは大きいだろう。
3月9日(日)
もうだいぶ更新をしていないことに気がついた。先々週はヨメさんの母親が亡くなったので急遽羽田を飛び立ち九州の福岡空港から熊本の荒尾(福岡県境)に行った。以前の三井三池炭坑跡にできている三井グリーンランドにあるホテルに泊まった。施設に入っていて九二歳の大往生だった。ちょうど二〇年前に旦那が亡くなったがその時も私は関東にいて大阪に寄ってから三歳の娘と行ったことを思いだした。斎場もその時とは違って近代的な設備になっていた。久しぶりの実家は長いこと誰も住んでいないのでだいぶいたんでいて、草も生え放題だった。帰りはヨメさんと一緒に新幹線で、私は東京までの長い車中だった。
そして先週は大阪に帰り結婚25周年で心斎橋のレストラン「エプバンタイユ」に行って、年一回のアワビのステーキを食べた。ここではいつもスタッフが暖かくもてなしてくれるので気持ちがよい。
昨日は部下の結婚式で、いつもは小食の私が残さず食べるのでまわりがびっくりしていた。約束していた詩をぎりぎり書くことができて、渡せたのでほっとした。
1月17日(木)
長い正月休みだった。出雲から帰ってきた娘ともここ数年では一番長く居られた。近くにいる妹家族とおせちを持ち寄ってほとんど一緒に食事をした。
そしてこの前の三連休も大阪に帰り、橿原神宮へ久しぶりに行き、人も少なく心が和む風景に落ち着いた。やたがらす(八咫烏)のお守り風ストラップを買うと、成願成就のお守りを買ったヨメさんに「お父さんらしいなあ。」と言われてしまいました。そして駅の売店でやたがらすという名前の焼酎を買って帰りました。ヨメさんは「なにわ饅頭」って読んで、えっなんでやねんと思うと「はにわ饅頭」を買っていました。この日の夕方は久しぶりに会う来客があるので、この近くに住む仲人をしてもらった従兄弟宅に行けなかったなと悔恨を残しながら阿部野橋行き特急に乗って少し旅行気分で帰ってきた。
今年の 3 月5日は結婚 25周年、いわゆる銀婚式となるので近鉄百貨店に寄ってまず時計を見てみたが、エルメスの時計はデザインが洗練されているし、オメガ、ラドー、ロンジンの時計メーカーのものは機能・デザインともやはりいいなあと思った。でも帰ってから次の日、まずはVISAの通販の方が似たものが半額くらいだったので買ってしまった。
2007年
12月25日(火)
この3連休はヨメさんが来て、仙台の作並温泉に行った。仙台駅周辺では寿司と牛タンを食べようと思っていたので、行きの昼は駅に隣接するエスパルにある「寿司田」で仙台牛も追加してしゃりが少なかったせいか13貫も食べた。帰りは駅ビルの牛タン通りはすごい行列だったのでやはりエスパルにある「喜助」15分ほど行列で牛タンの厚い目の定食を食べた。肉感があり美味しかった。
作並温泉は「一の坊」に泊まった。サービスも食事も行き届いており洗練されていた。やはり温泉は芯から温もるので疲れが溜まっているヨメさんも満足していた。広瀬川沿いの露天風呂は川のせせらぎが聞こえ風情たっぷりだった。
12月16日(日)
昨日は久しぶりにコンサートに行った。「中島みゆきコンサートツアー2007」、東京駅近くの東京国際フォーラムAホールは5,000名収容でかなり大きいが見やすいホールで、私は前から29列目で中島みゆきはかなり向こうにいた。2004年1月に行った渋谷のシアターコクーンであった夜会の時は前から1列目のど真ん中で目の前にいたのにと想い出していた。
甲高い声のしゃべりと歌の調子の落差がいつも印象深いが、3時間ほどを休憩なしでのステージは感動的だった。なつかしい「ホームにて」もあり、私は「命のリレー」を聴きたかったなと夜会を想い出していた。「命のリレー」の「この一生だけでは辿り着けないとしても 命のバトン掴んで 願いを引き継いでいけ」という一節が心に残っている。
12月11日(火)
この8,9(土日)は私にとっては恒例の日本海・兵庫県香住安木海岸民宿「松井」への蟹旅行があった。三年ぶりに名物おばさん登場で、まったく変わっていないのでホッとする。なんとなく気持ちが通じているその旦那から焼酎「神の河」の差し入れがありありがたい。そして一歳半の愛嬌の男の子が初参加、この旅行中はその食べっぷりに大感激でした。
そして総勢七名で出発です。なにしろ昨年は冬型が強く悪天候だったが、今回は小雨が少しあったけれど好天気で本当によかった。まず一路出石を目指した。いつもの「正覚田中屋」で皿そば、厚焼き玉子、本当に手打ちのそばとダシがいいので美味しい。そしてとなりで売っている蕎麦まんじゅうも美味しいので、私は買わず試食をする。
次には昨年と同じく竹野海岸にある「北前館」で海を眺めながら温泉にじっくり入る。そしていつもの民宿、客は私たちともう一グループで今回は本館でゆっくりとする。でも息子家族は大阪のUSJに行っているので子供達には会えなかった。そしていつも通り蟹の刺身、焼き蟹、しゃぶしゃぶ、蟹スキ、蟹雑炊と、それ以外にはイかなどの刺身、アワビの刺身、サザエの刺身と壺焼きとすごい品揃えだった。小食の私でも沢山食べた。生の蟹味噌を雑炊に入れて濃厚な味となったのが最高かもしれない。
れから名物おばさんの旦那差し入れの焼酎を呑みながらなつかしい連中と話しをすると夜中の2時半、本当に久しぶりに素直な気持ちで沢山のはなしができた。
翌朝はいつものように美味しい朝食、せこ蟹の蟹飯、一夜干しのカレイ、茶碗蒸し、様々な煮物、目玉焼きとハムと海苔とキャベツと煮豆、漬け物各種そしてまだまだあったような気がするが想い出せない。久しぶりに朝食もおかわりをする。
それから宿にある容器に、朝食の残りを使っておにぎりを作り、おかずを入れて今日の昼食用とする。
そして出発して香住朝市に行き土産用の蟹を買う。5,500円のが交渉して4,500円にすぐなった。そしていつも通り矢田川温泉の露天風呂で暖まり、朝来の食堂で蟹ご飯のおにぎりときつねうどんで昼食を美味しく食べる。そうそうサツマイモこそ美味しかった。
そして帰ると少しだけいつもより早く帰ることが出来、妹の家で蟹スキをした。妹の旦那は蟹が好きなので本当によかった。
11月11日(日)
昨日は会社主催のゴルフコンペがあった。私は前回6月のコンペ以来コースに行っていないので近くの練習場に行って手にまめを作ってまわりの人に痛々しく思われたけれど、スコアは相変わらずだったが、アプローチは以前よりコツが少しだけ掴めたような気がする。あいにくの小雨の相模湖カントリークラブだったけれど、昼食のカキフライはかなり大きくて美味しかった、築地から仕入れているとのことだった。
前日に泊まったゴルフ場近くの「藤野芸術の家」は神奈川県立で、部屋はメゾネットタイプで広々としていて、宿泊費2,850円、ディナーコースは2,500円、朝食費600円と格安だった。
鬼束ちひろの久しぶりのアルバム、とても落ち着いた曲と構成となっているがタイトルが「LAS VEGAS」なのは何故だろうかととても気になる。以前からでもあるが、詞に英語が多いのも気になるところだ。
「エプバンタイユ」から「鯖の燻製」が送ってきた、そのスモーク感が程よいので美味しかった。レストランに行ってもメニューになっていた。ゴボウのスープを初めて食べたが、結構美味しかった。
10月18日(木)
最近、アンジェラ・アキのセカンドアルバムを聞いている。透明なボーカルが印象的だ。タテタカコのアルバム ドキュメンタリー 力強い声とピアノのタッチが特徴的だ。もう少し両方とも聞き込んでいきたい。中島みゆきの最新アルバム I Love You,答えてくれ はまだ聞き込んでいないが、どきっとするような気持ちは出てこない。少しエネルギーが減ってきたような感じがする。まだ届いていないがここ数年活動をしていなかった鬼束ちひろのアルバムが今月末くらいに聴ける予定で、少しワクワクしている。
10月13日(土)
この前の3連休は娘も帰ってきて久しぶりに一家一緒となった。何年かぶりにサフランたっぷりのパエーリャを作って妹家族と一緒に食べる。結構美味しかった。
その前には22歳の姪と23歳の娘が88歳の母を松江・出雲を娘の運転する車で回ったそうで、私の代わりに孝行してくれている。
9月17日(月)
秋が深まるかと思うと夏のような陽射しが帰ってきて暑い3連休となった。久しぶりにヨメさんが来て体調の不良を訴えていて少し心配だ。土曜日はこちらに来て最も美味しいと思っている寿司屋「膳」に行く。ヨメさんとここに来るのは2回目、でも覚えてくれているので気を遣わず美味しさを楽しめるのがよい。こういう時は小食である私を恨んでしまう。
そしてこの日は3年半前に娘が入試のため親子3人で一緒に泊まった新宿サザンテラスにあるサザンセンチュリーホテルに再度泊まった。30階角部屋で南東2面に大きな窓があり東京の風景を半分手に入れたようでした。
昨日も暑くて、帰ってきて着ていたものをすぐに脱いで洗濯をすると、ズボンの中に携帯電話が入っていて、電話は使えなくなってしまったのですぐに機種変更をして使えるようにしたものの、データがなくなってしまった。今は復旧処理を依頼しているが、50%の確率だそうでまだ解らない。
9月4日(火)
世界陸上大阪が終わり、暑い夏が少しずつ秋めいてきて、夜には鈴虫が鳴くようになった。
大阪では長居スタジアムの近くに住む私には、先日あったマラソンコースはすべてがよく知っている場所で早朝からその風景に目をこらしていた。娘が幼い頃は休日には長居公園によく遊びに行った。その長居公園を出て公園通りを左折し長い直線コースの今里筋、行きの5キロ、帰りの38キロくらいが我が家の近く、そして大阪城の近くを通り、土佐堀通りから中央公会堂へ、御堂筋に入り心斎橋手前で折り返して一路大阪城へ、40年ほど前に過ごした高校は大阪城の前にあり、その周辺はクラブ活動などでよく走ったし、最近でも梅園にはよく行くので森ノ宮までの風景はなつかしい。そして土佐礼子は今里筋から右折して長居公園通りでのコースで一度は離されて5番目となったが再度追いついて3位でゴールする。
メディアのせいだろうが、情況は変な方向に誘導されているように感じて仕方ない。段ボール肉まんに象徴される中国に対する嫌悪感の増長、朝青龍報道の異常な過熱等がある。しかし私たちの意識の中でアジアにおける日本の位置を採り上げ、掘り下げられる様相はない。8月15日は一人の閣僚の靖国神社参拝が採り上げられたが、戦争責任を掘り下げる論争はない。ただひとつ私の印象に残っているのは異議申し立てができなくB級戦犯として処刑された無念さを採り上げたドキュメント番組だった。いつもトップではなく現場の指揮者に責任を取らせる構図は変わっていない。
私の父親が参戦したインパール作戦、それについての部隊の戦記集が刊行されていてやっと最近見つけて父親の書いた文章を見ることができたが、建前だけの言葉で正直がっかりしたが、30年前に亡くなった父親の死は戦死だったのではなかったのかとの妄想に似た想定が私の中にある。さて私たちに何ができるか。
8月5日(日)
この前久しぶりに心斎橋の西にあるレストラン「エプバンタイユ」に行った。いつもスタッフが常連のように迎えてくれるのが嬉しい。シェフお任せの魚介類のコースとしたが、ヨメさんとは別メニューとしてくれたので分け合いながら食べられるのがいい。そして白ワインを少し前にソムリエの免許を取ったスタッフに選んでもらった。ハーフボトルをといったがハーフはないとのことで、フルボトルの半分より多い目を入れてもらった。ブルゴーニュの「MARSANNAY」、これまでで一番美味しかった。ラベルももらった。そのソムリエによると最初はもうひとつだったが、3ヶ月くらいたってから風味がよくなったとのことだった。
6月3日(日)
昨日は会社のゴルフコンペがあった。そのために先週半年ぶりにゴルフに行ったが当然散々で、もうゴルフをやめようかと思っていた。
今回もバンカーで大たたきをしたりと散々で、半年前の前回のコンペと比べたら20以上悪かった。しかし同じ組で一緒に回ったメンバーとは和気藹々で楽しくプレーできたので、もう一度練習をして上達したいと思った。しかし4回あった会社のゴルフコンペすべて私はブービーメーカーつまり最下位で、次回はなんとか脱出したい。
最近は、タテタカコ、生まれた長野県飯田市を本拠地として活動しているピアノを弾きがたるシンガーを聴いている。
5月13日
長いゴールデンウィークも終わり、新年度もいつの間にか落ち着いてきている。久しぶりに長い大阪生活で、やはり旧交を温めながらのんびりと過ごすことができた。
携帯を機種変更したり、MDプレーヤーが故障したのでオーディオプレーヤーも新しくしたので、今は新しい器械に慣れるのに一生懸命といったところです
3月25日(日)
先週は母親とヨメさんを連れて娘の居る出雲に行った。娘が空港まで車で迎えに来てくれ出雲大社に行く途中で最近人気のそば屋で行列をならび出雲そばを食べ、出雲大社では十円玉を投げると注連縄の下側にスポット入った。縁結びでいいことがあるかもしれない。
松江の鯛飯で有名な「皆実」系列店で、宿は玉造温泉の「佳翆苑 皆実」サービスも料理もかなりよくて満足だった。この日にちょうど満88歳になる母親のためのワインサービスがあり私の方が満足だった。出雲空港発着のプロペラ機は今話題のボンバルディア社製かどうかは解らなかったがトラブルはなかったので安心した。
平日に休んで映画「パーフューム」を見に行ったがまるで期待はずれでがっかりした。あまりにグロテスクでヨメさんは途中で出ようかと思ったと言っていた。あんな方法で匂いが採れるはずがない。
3月6日(火)
この前の土曜日は結婚記念日の最近の定例のようにレストラン「エプバンタイユ」に行った。そして一年ぶりの特別料理でちょうど今からが旬で昨年も食べた徳島のアワビのステーキをメインのコースで食べた。最初にそのアワビを持ってきてくれてこれを料理しますと見せてくれる。ワインはシャブリの白、そして最初に松阪産のエスカルゴ、これは美味しかった。次いで鰹、野菜のプリン、サヨリそしてメインのアワビは期待通りの美味しさで肝を絡めながら食べる。やはりここは魚介類の料理が最高だと思う。それとこの前に送ってきてくれた鹿の生姜煮もじっくり味わうと美味しさが向こうの方からやってくる。そう猟でとってくるジビエもここの山田シェフの得意料理らしい。しかし親しかった女性のスタッフは親の面倒を見るためにやめたとのことで少しさびしかった。
東京都知事選挙で先ほど石原候補が浅野候補のマニフェストを「江戸っ子には受けないだろう。」とのいつもの馬鹿なコメントを言っていたが、<文学者>とはほど遠い言語感覚にイヤになるとともに権力者の汚さを感じてしまうのは私だけではないと思う。
最近は東京・大阪の往復が多いが、新大阪駅より近くの小高い丘が迫ってくる阪急・京都線上牧駅に新幹線通るとき、以前の会社の上司が住んでいるマンションが見えると「帰ってきました。」「行ってきます。」といつも挨拶をしています。
2月4日(日)
昨日は節分、しかしどうも風邪気味が続いてモチベーションが上がらない。立春とはいうけれど暖冬の今は季節感が薄らいできている。
1月18日(木)
新年になって大分経った。正月はかなり長い休みになり久しぶりに家族一緒でのんびりした。去年就職した甥っ子が一歳下の我が娘にお年玉を渡していたのはほほえましかった。
そして本格的には初めてともいえる能・狂言を大月能楽堂に見に行った。正直言って能はあまり解らなかった。
12月27日(水)
道浦母都子を読み進めながら、私はまだやり残していることの多さを感じている。私にだけしかできないことがきっとあるはずだと信じながら来年からは、さらなるステージに上がりたいと想う。私たちは子供の頃は<ベビーブーム>と十把一絡げのように言われ、そしていつの頃からか<団塊の世代>と人口の年齢別グラフとともに呼ばれるようになった。
<連帯を求めて、孤立を恐れず>はずっと生きていたのかもしれないが、さらに<自己否定>とは何かを深めながら自己実現をもっとしていきたい。
時代の情況は最悪な方向に向かっていることは確かだけれど、選挙でこのような政権を選んだ多数派の国民に責任があることは解っている。私たち夫婦で税金はかなりの額を払ってきたが、官僚や政治家そしてそれに群がる人達に食いつぶされてきたという実感は募ってきている。<美しい国>というなんという空虚さか。
12月18日(月)
道浦母都子(みちうらもとこ)、今まで知らなかった、何故出会えなかったのだろうかと思っている。今日、昨年発行で品切れになっている彼女の全歌集が手に入った。貪るように1980年発行の第一歌集「無援の叙情」を読んだ。60年代後半から70年代の心象風景がイメージとして強く甦るようにうかんでくる。本当に久しぶりに強い興奮と感動が渦巻いているのが解る。私の第一詩集は1983年の発行である
12月11日(月)
この前の2,3日(土日)に恒例の香住・安木海岸への蟹食い旅行へ行ってきた。冬型が強くなり日本海側に行くほど天気が悪くなっていった。出石ではいつもの店で皿蕎麦とトロロご飯そして今回初めての竹野海岸にある温泉「北前館」に近づくと雹から雪へと変わり、温泉の風呂から見る海岸は寒そうに震えていた。
宿の客は私たちだけでゆっくりと食事をして、蟹刺し、焼き蟹、蟹シャブ、蟹スキそしてサザエの刺身や壺焼き、最後に雑炊と堪能するが、これでも蟹は余ってしまうので冷凍にして持って帰る。部屋に帰って飲み直すが、一年ぶりの話しに今回は私も遅くまで起きていた。
翌朝もいつも通り沢山のおかずと蟹ご飯で、残った蟹ご飯でおにぎり、そしておかずも残ったのを私たちだけなので全部詰めて昼ご飯とした。また大根とワカメをおみやげにもらい、香住の朝市では冷たい雨、蟹を値切りながら買い、そしていつもの矢田川温泉で露天風呂からは雪景色と紅葉が一度に見える。そして家に帰り妹夫婦を呼んでおみやげの蟹で蟹スキとした。
11月12日(日)
この2ヶ月ほどは北朝鮮のミサイル、核実験による緊張関係、そして中国の存在感、さらに最近はブッシュのイラク戦争に対する米国民の審判などのダイナミズムが印象的だ。日本は戦争責任を曖昧にしたままの体質がずっと続いていてどうしようもない。
昨日は会社のゴルフコンペがあったが、あいにくの雨が降りもうひとつではあったけれどスコアはそれなりのものだった。雨が降ったのは初めての経験だった。3ヶ月以上もゴルフ場に行ってなかったので仕方がないか。まあ久しぶりに会うなつかしい人も居てそれは楽しかった。
この前の連休は群馬にある水上温泉にヨメさんと行った。上野駅から上越線で2時間20分はゆっくりと田舎の風景を楽しみながら秋晴れの中、水上駅に着く。宿はこぢんまりとしたところだったが、家族風呂も入れたし料理もよくまずまずだった。利根の源泉ということで散歩をするとSLの音も近くで聞こえのんびりした。
10月15日(日)
北朝鮮は戦前の日本とよく似ている。圧倒的に物理的軍事力が米英より低いにもかかわらず、精神論だけを個々人に強制して真珠湾攻撃の奇襲を仕掛けていった過程は酷似しているように感じる。
9月12日(火)
「元気ですか」という中島みゆきのカバーバージョンは久しぶりに聴き応えのあるアルバムとなっている。浜田真理子、槇原敬之、福山雅治、徳永英明、坂本冬美、岩崎宏美、小柳ゆき、小泉今日子など、中島みゆきのアルバムと聴き比べるとどきどきする。
昨日は5年前にニューヨークで起こった高層ビルへの飛行機自爆テロの日であり、自民党総裁選がいよいよという時期になってきたが、そのテロを起点として日本がアメリカの侵略戦争であるイラク戦争に加担した責任を曖昧にしたまま小泉から安倍に移行する。日本国民を含め、アジア人民に対する戦争責任をまったく棚上げにしたまま、憲法改定に突っ走っていくのだろうか。マスメディアは大政翼賛体制に回帰している。そして「男子誕生」に湧いている異常さがある。
この休みにヨメさんと娘がこちらに来て親娘みずいらずの生活、初めてお台場に行った。
8月20(日)
長い盆休みが終わる。ヨメさんの姉さんが12日の朝に亡くなり、ずっと鎮魂の休みとなる。8月15日は父親の墓参りを親娘三人で行くが、この朝に小泉首相は靖国神社に公式参拝をしている。30年前に亡くなり、インパール作戦に従軍した父親の軌跡を辿ることは今となっては困難になっている。
16日の朝ははじめて娘の車に乗せてもらいヨメさんを職場まで送っていき、何故かホッとした。そしてこの19日はやっとエプバンタイユに行き、みんなと親しく話しをしてそれから神戸のメリケンパークオリエンタルホテルにはじめて泊まった。朝10時頃だと並ばなくて良いので、老祥記の豚まんを買って夕食に食べたが前より美味しくなかったのは時間が経ってしまったからか。
8月8日(火)
61年前に太平洋戦争の敗戦を迎える最終日程の頃となっている。ポツダム宣言が起草され、日本帝国のリーダーは受け入れるのに逡巡して、本土空襲は激しくなり広島・長崎の原爆投下との最大の悲劇を受け入れてなおかつ判断を先のばして被害を増大させ8月15日を迎える。
ここに私が詩を意識しだしたときに最も印象深い詩人の一人である茨木のり子さんの詩を掲げるので読んで欲しい。
わたしが一番きれいだったとき
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
7月31日(月)
明日から8月、やっと梅雨が明けたが涼しくなった。
一昨日はゴルフ、雨の心配もあったが、じりじりと太陽が照って腕も灼け暑さに弱い私は人一倍距離を歩かなければいけないので、日陰もほとんどなく昼からはふらふらで早く終わるのを願うばかりだった。しかし今回初めて回った人は昼からはパープレーでそれはすごかったけれど、私には人のプレーをじっくり見るほどの余裕はなかった。
海の日があった連休にヨメさんがやって来て、寿司屋「膳」に行く。お任せでいろいろ出たが、イサギの白子の炙りは初めて食べたが美味しかった。本当にここでは初めて食べるものが多い。そして四つ橋にある「エプバンタイユ」から送ってきた鰯のブドウ風味をヨメさんが持ってきてくれ、酒の肴には最高だった。ここのスタッフが言っていたけれど山田シェフは肉料理よりサカナ料理の方が好きというのがよく解る。ここにも寿司屋「膳」を紹介した。
大学に入って初めて行った東北は裏磐梯で、このなつかしいところをこの連休に35年以上ぶりに訪れたが、あいにくの雨で五色沼も全部は回れなかった。泊まった裏磐梯猫魔ホテルは檜原湖畔で五色沼にも近くロケーションもよく広々としていいホテルだったのでまた天気のよいときに来たい。東北新幹線も2階建てのグリーン車にも乗ることができ観光バスツアーもついていて、JRの結構お得なツアーだった。こちらでは横浜には何回も行って泊まったりしているが、東北は初めてなのでやっと旅行らしい旅行となった。
この連休明けに大阪に行き「はなの会」は30名の大盛会でびっくり、あまりに多いので知らない人も多く、ゆっくりなじみの人と話したいということはあまりできなかった。しかし13年前くらいに私の言い出しっぺで始まり、これほど大きくなるとはびっくりしています。
7月2日(日)
今年ももう半分が過ぎ、7月になった。早いものでこちらに来てもうすぐ3年になります。
先週は会社の親睦会で本社近くの寿司屋「膳」に2回目に行った。お任せで出てくるものすべてが美味しく、小食の私が結構たくさん食べて、みんなにびっくりされてしまう。ここでしか食べたことのないものがどんどん出てくる。記憶喪失気味の私にはそのものを想い出すことが困難だけれど、美味しい感覚は鮮明に残っている。しかしその日その日の手書きですべてのものは原産地がメニューに書いてあり、この前同様金目鯛の炙りは特上だった。今度はきっとヨメさんを連れて来ようかと密かに想っている。
6月25日(日)
昨日は天気予報とは違い雨ではなく夏の陽射しの強く蒸し暑いで、茨城県にあるセベバレストロスゴルフクラブで久しぶりにゴルフをした。トータルのスコアはよくなかったが、初めてバーディを記録することができて感激しています。またパーもあり良いときはよかったが、駄目なときの弱さを感じています。ゴルフはメンタルなプレーと強く印象づけられました。
予想通り日本は勝つことはなく一次リーグ敗退してしまいました。スポーツマスコミはこの前のトリノ五輪と同様に楽観的すぎる報道をしていましたが、これからはもっと冷静に報道すべきでしょう。トップの柳沢・高原は全くの人事ミスのようで、攻撃力は全く決めてなし、後半には大量に失点という今までと同じパターンでの試合内容では、この4年間にほとんど準備ができなかったということでしょう。また若手を抜擢するように育てていないことはリーダーの駄目さ加減です。正直言って平山相太を入れて欲しかったと最初から想っては居ました。
今回アジアは全チーム敗退なので、枠は減ると考え正直言って次回は予選突破もかなり難しくなるので、まずはよほどの計画を立てなければ本大会出場はきっとないでしょう。
6月4日(日)
毎週土曜日にテニスをしているテニスクラブの軽井沢での合宿に行ってきた。私はきっと18年ぶりの本格的なテニスで、いまは右腕の筋が張っていて、足腰も痛いがきっと明日の方がもっと痛いだろうと予感できる。土曜日は午後いっぱいやって本当に久しぶりの私にはつらかったが、基礎からも教えてもらい結構上達したようにも感じ、きっとゴルフよりはだいぶましだろう。
今日はシーズオフの軽井沢銀座に行って、人通りはあまり多くはなかったがここだけが街で「ミカド」ではおっさん二人でケーキセットを頼んだ。
滝本明さんが亡くなった。私が詩の師と仰ぐ一人であり、享年63歳だった。連休の頃に連絡をもらったが今は私の手元にある「たきもとめいの伝説」(1968年)「夢殺し」(1976年)「わがカデンツァ」(1985年)の三冊の詩集が手元にある。そして今少しずつ再び読み始めている。「わがカデンツァ」には1985年10月25日付けのサインをもらっていて、きっと最後に会ったのはこの頃に近いのではないかと思っている。これ以降彼は生活にも身体も精神も病んでいったように聞いていて、詩集もこの三冊だけだったかもしれない。正直かなり期待されていたけれど不遇の詩人であり、不遇の人だった。
私が出会った彼は三〇歳になったばかりの気鋭の大阪の詩人で、私は二三歳であり詩を意識的に書き始めて一年目の頃で滝本明さんから強烈な批評を毎週もらったことが私の詩に大きい影響を与えている。「作品は好き嫌いで判断するのではなく、作品として成立しているかどうかで判断しなければならないんだよ。」との言葉は普遍的で、私が職業として調香師になったときも同じ判断をすることが必要であった。メイさん安らかにお眠り下さい。
連休の次の週に昨年末結婚式を挙げた夫婦の来客があり、ヨメさんにも来てもらってもてなした。私はワンパターンなのだけれど、まずはこの前買ったヒマラヤの岩塩で食べると美味しい冷やしトマトとフライドポテトが前菜、そして前夜から小さいタマネギをそのまま煮込んだオニオンスープです。それから前日から煮込んだメインの豚の角煮はこだわりでつくっています。それからは「たこ焼き」をダシで食べられる明石焼き風につくって、でもソースでも食べてもらいます。きっとこれは私なりに美味しい工夫をけっこうしています。
5月8日(月)
長い連休も終わってみるといつもつかの間のように感じる。娘と母も連れて「エプバンタイユ」に行き、大きなホワイトアスパラをホタテなどのスープで煮込んだ前菜も美味しかった。
本当に久しぶりに中之島に行き、国立国際美術館は地下に拡がる建物でこのあたりはきっと旧理学部跡で、風景はまったく変わってしまっていたけれどなつかしい気持ちが湧いてきた。そして肥後橋にあるレトロな「里山カフェ」でのんびりし、それから駅前第3ビルのシャッターの閉まった店が多い中で異境のように拡がる「京とあん」は雰囲気もよく、これから何かあるときに利用しようと思った。
4月23日(日)
この前のアドバイスがあり、それを忘れないうちにとのことで昨日ゴルフに行った。取手の利根川の河川敷であるけれどかなり広いコースだった。グリーンまわりのアプローチやパットで行ったり来たりがあったけれど、帰ってから今までのスコアをエクセルで整理をして見ると、大幅なベストスコアとなりやっとゴルフらしくなってきた。
週刊誌「アエラ」のフォーク増刊号があり想い出すことが多くある。1971年の夏に岐阜県・中津川椛の湖畔であったフォークジャンボリーには馬篭・妻籠と中山道をテントとを担いで歩いてから辿り着いた。またその年の春にあった天王寺野外音楽堂であった「春一番コンサート」の方が記憶に残っているし、数年間続きまた服部緑地の野外音楽堂に移ってからも行った。梅田にあった喫茶店「エスエス」ではっぴぃえんどのライブや豊中「フリーク」での友部正人など想い出すことがまだまだある。
4月2日(日)
今までいろいろ世話になっていてこの3月末で定年退職された方が大阪から来られ、ゴルフをした。私のスコアは相変わらずだったけれど、貴重なアドバイスをしてもらえて、本当に楽しいゴルフとなった。きっと次回からはスコアももう少しましになる予感がしている。そして霞ヶ浦湖畔の宿に泊まり、美味しいサカナとお酒で満足した。
帰ってから夕食はご飯を炊き頂いた明石のイカナゴのくぎ煮をさっそく食べて大満足だった。
3月25日(土)
いつの間にか年度末、WBCでジャパンが奇跡的に優勝した。監督が王さんというのがいいし、イチローが少年のように無邪気に喜んでいたのが印象的だ。エラーをした川崎を最年少の西岡が勇気づけているのはとてもほほえましかった。以前の巨人のようにスターをそろえるより、チームとしてバランスよくまとまっているのがいいのは、今回のアメリカの成績を見ればよく解る。
またぞろメール事件の蒸し返し、食傷気味で吐き気がしてくる。こんなゴシップばかりで、本質論が消えていくのが情けない。
今なお「太平洋戦争」を中心とする責任論が私のライフワークというかメインテーマなので、少しずつではあるけれど多くの本を読みながら私自身の考えをまとめていきたいと考えています。これを解決してこられなかった我々の戦後があり、基本的に歴史から重要な課題を学べなかった<日本>が今も同じことを繰り返していることの想いに、煮えたぎるような悔しさがある。
今年初めてゴルフをしたが、練習もせずに臨んで良い結果が出るはずもない。ああ来週には私にとっては大事な泊まりのゴルフがあり本当に大丈夫なのかと心配でしょうがない。
結婚記念日に「エプバンタイユ」できっと一年ぶりとなるアワビのステーキを食べる。本当に美味しかった。スタッフの人ととってもよく話しをして、楽しい時間を過ごすことができた。私は見られませんが、朝日放送(6ch)の3/27(月)〜31(金)の21:48〜54の「美味彩菜」で採り上げられるそうなので興味があれば見てください。
また母が満87歳となり、数えで88歳、米寿、ずっと私は本当に親不孝のままだけれども、妹家族とともにそのお祝いをした。歳を重ねてますます頑固になる母ではあるが、この時だけは当然とはいえ素直で感謝の感激でいっぱいだった。
3月2日(木)
もう三月、明日は桃の節句・雛祭り、しかしまだ春の気配を感じることは少ない。つまらないメール問題で、政局を混乱させている民主党の情けなさはどうしようもない。重要な問題が山積みしているのに無知がそれを壊している。
トリノオリンピックが終わった、結局は女子フィギュアの金メダルだけが残った。クールビューティとイナバウワーという言葉が際だった。テレビなどのメディアは急にヒロインとしてその過去からのドラマをまことしやかにつくっていった。
またラグビーでは本当に久しぶりに社会人上位チームを学生が打ち負かした。ここでもその監督の<神話>がヒーローとしてメディアからつくられていった。
先月は春休みになって帰阪した娘と会い、正月以来なのでいろいろ話したが、やはり車には擦り傷をつけたらしい。
もう30年近く前に亡くなった父親が参戦したという、インパール作戦の本を読んだ。あまりに日本帝国が無謀な作戦を計画し、まったく作戦を遂行できる戦力も支援能力もないまま、精神論だけの戦略にもならない方針で、餓死・病死が折り重なるように多く出たまったく悲劇の戦争だったらしい。これからは父親の人生を調べてみたいと強く感じている。
2月2日(火)
明日は節分、明後日が立春、昨日まで近くの日陰の細い道には先々週の土曜日に降った雪が残っていた。先週の休日に急遽ヨメさんがやってきて、嫁姑の生活やストレスの多い仕事から気分転換したいとの切なる想いだった。横浜みなとみらいに一泊し、関内のスペイン料理「カサ・デ・フジモリ」に行った。パエージャは前回より少しだけ塩辛く感じたが美味しかった。ワインに付いていた闘牛のフィギュアが三つ貯まった。大阪のフレンチの「エプバンタイユ」からシチュウが送られてきてヨメさんが持ってきてくれた。まだ食べてないけれど、レストランから料理が送られて来るとは感激で、お客を大事にしてくれることが本当に感じられて食べてからメールを出そうと思っている。
女性を登用してサービスがよく安いということで業績を伸ばしていた「東横イン」もあげられた。偽装工事問題と通じるところがあり、キーワードはコストだろうか。
規制緩和、民営化とのかけ声で政官民が、天下りを推進して税金を食い物にして自分たちの営利をあげている現実がある。こんな構造が明確になっているのに、追求していくメディアも政党も市民運動も学生運動もないという悲しいのも現実である。
1月19日(木)
ライブドア、偽装工事など責任の取り方は今までの日本で連綿と行われてきて、変わらない気がします。組織の中では間違っていても批判が許されない体質があり、いったん問題が起こればトップは責任はとらず加害者意識がなく知らないという無責任を決め込むという構図です。そして極端には一部のものに自殺という事実を隠蔽するような責任の取り方が出てきます。不幸の構図です。
最近考えている戦争責任の問題と全く同じ体質です。私たち日本人は歴史からほとんど学んでいないことに呆然としてしまいます。
1月15日(日)
新しい年になって半月が経った。先日は大阪出張で、正月休みを含めて長い大阪生活でいろんな人と会うことができた。そして娘とも久しぶりにゆっくりと過ごすことができた。
また「エプバンタイユ」にも久しぶりに行き、食べたいと思っていたトラフグの白子をフレンチのメインで選んだ。ヨメさん共々大満足だった。
2005年
12月26日(月)
本当に年の瀬となってきた。今月の休日は盛りだくさんで過ごしてきた。10日(土)11日(日)は恒例の香住・安木海岸への蟹食い旅行で、いつも通り出石でそばを、但東シルク温泉でゆったりとお湯につかり、あれいつもより車や人が少なく早く着いて、民宿で宴会となる。しかし今年の海はしけがつづき、例年のようにはアワビが採れなかったので残念ながらなかったが、その分蟹をたくさん食べた。前の会社の親しい人たちとの一年ぶりの話しは楽しかった。帰りはいつも通り矢田川温泉は雪交じりの素敵な風景が露天風呂から見えた。
17日(土)は私の職場の人間の結婚式が箱根は老舗の富士屋ホテルであり、憧れの小田急ロマンスカーに乗り小田原・湯本からスゥイッチバックの登山列車で宮ノ下に着く。100年以上前の木造の建物もある富士屋ホテルの威風堂々たるフロントで手続きを済ませ結婚式、は教会、新婦の父親がエスコートして新郎に、あっ、私の娘の結婚式のことをこの時初めて意識した。こんな時がいつか来るのだろうなと。そして富士屋ホテルこの日は一泊した。
披露宴の料理は本当に美味しいフランス料理ですべて食べ、夜は旧ご用邸の個室で和食コースも雰囲気もよくすべて食べ、本当に満足した。夜は新郎新婦の訪問がありワインの差し入れもありお酒が進んだ。
翌日は芦ノ湖まで車で、美味しいそばを隠れ家のようなところにあるところで食べて満足して帰ってきた。
祝日の23日(金)の午前中にヨメさんが寒波で遅れた新幹線でやってきて、24日と25日は二人きりのクリスマス、私の手料理もけっこう手の込んだもので用意をして、そして隣の駅の和食の美味しいところや、近くの家庭的なフレンチレストランでけっこう堪能した。
そしていつものようにヨメさんが風呂や流しなどの水回りをきれいにしてくれ、またフローリングだけなので掃除機を買っていなかったが、やはり必要とヨメさんに諭されてやっと、本当はすごく役だった。
25日(日)の夜には高校時代の親しい友人が大阪から突然やってきて、どこで呑もうかと悩みながら神田で呑んで、でも嫁姑問題は結構深刻なことを知る。
さて我が家の嫁姑問題も本当は深刻なのだけれど、ヨメさんによると息子・母の方が問題かもしれないと反省している情況です。
12月5日(月)
12月になりもう今年も押し詰まってきたという感が強い。明後日は会社の忘年会、週末は恒例となった前の会社の連中と日本海の香住・安木海岸の民宿に蟹を食いに行く。そして車の初めての免許更新をしなければならない。
こちらでいつも行っていたスーパーマーケットの棚から商品が次第に少なくなって、隙間だらけになってしまうと、11月いっぱいで閉まってしまった。年末に冷たい光景となってしまった。
11月27日(日)
誕生日が6日前に過ぎ、ここまで来ると歳を重ねることに抵抗感はなく、ここまで生きてこられたなと確認している意識がある。
先週の日曜日には最近結婚した幸せいっぱいの夫婦の来客があり、前日より用意して久しぶりに料理の腕を振るってごちそうして本当に楽しかった。その幸せぶりに私は酔っぱらってしまったようでした。
昨日は会社主催のゴルフコンペがあり、天気もよくとてもよい気持ちだったけれど、私はなんと12人中12位、ブービーメーカー賞をもらったけれど当然嬉しくはなかった。しかしゴルフ場近くの割烹旅館での表彰会と宴会、そして私たちはそこで泊まったので、私にはゴルフのスコアは別として楽しく過ごせ本当によかった。
11月8日(火)
陰暦10月は神無月、きっと今の太陽暦では11月として娘の居る出雲に3日に行った。ここでは今は神有月で全国から神が集まって縁結びを相談しているとかとは、これは寓話としてはおもしろい。
娘の車を購入するため、交渉をしてトヨタとホンダだったけれど、私が大阪人ということで田舎の出雲の人にとってはやりにくそうで、結構値引きをしてくれたホンダに決めた。娘も満足でよかった。そしてその日はインターネット予約をしていた玉造温泉「清風荘」にヨメさんと泊まった。(娘は翌朝講義なので泊まれなかった)こぢんまりとした古風な旅館で料理もサービスも大きなホテル様式よりはずっとよかったので満足でした。
その帰りの4日は前の会社の人と呑んだけれど、びっくりしたのはまさかの人が若い人と結婚したとの報告があり、「本当におめでとう。」と言う私の顔は紅をさしていたかもしれない。
そして6日(日)は親父方のいとこ会は16名出席で、親父は8人兄弟の7番目なので私は若い方そして今回は幹事、心斎橋の料亭「湖月」、わいわいがやがやで楽しい時間が過ぎ、そして年下の私たちをサポートしてくれる兄さん・姉さんに助けられて、本当にありがとうございました。私は長男なのですが、ここでは私にはいないから欲しいと思っていた兄さん・姉さんがたくさんいるのでとても嬉しいのです。というか兄ちゃん・姉ちゃんと呼びたいのです。
10月22日(土)
今日は朝5時起きで7ヶ月ぶりにゴルフに行った。場所は茨城県の霞丘カントリークラブ、練習も全くしてなかった、午前中はいつになくティーショットでのOBもなくボールをなくすこともなく、パターも結構ましで今まで最も良い感じだったが、ビールを呑んで午後はティーショットは右左に行ってボールはなくすし、バンカーを脱出するのにあごに捕まり何度も打ち直し、パターは行きつ戻りつで散々の結果となってしまった。偶然のラッキーはあっても、やはり練習して基礎をしっかりしておかねばと痛感した。
車の免許を採った娘に車を購入しようと思うが、私には全く知識がないので、中古車のことなど教えていただけたらと思っている。
小泉総理の靖国参拝、パフォーマンスだけの外交を無視した日本の責任者の意識、こんな人に責任を託した人たちに、戦争責任を深く考えてもらいたい。
今日は朝5時起きで7ヶ月ぶりにゴルフに行った。場所は茨城県の霞丘カントリークラブ、練習も全くしてなかった、午前中はいつになくティーショットでのOBもなくボールをなくすこともなく、パターも結構ましで今まで最も良い感じだったが、ビールを呑んで午後はティーショットは右左に行ってボールはなくすし、バンカーを脱出するのにあごに捕まり何度も打ち直し、パターは行きつ戻りつで散々の結果となってしまった。偶然のラッキーはあっても、やはり練習して基礎をしっかりしておかねばと痛感した。
車の免許を採った娘に車を購入しようと思うが、私には全く知識がないので、中古車のことなど教えていただけたらと思っている。
小泉総理の靖国参拝、パフォーマンスだけの外交を無視した日本の責任者の意識、こんな人に責任を託した人たちに、戦争責任を深く考えてもらいたい。
10月6日(木)
先々週の土曜日に急に体調が悪くなり、ヨメさんに以前からそんなお酒の飲み方をしていると食道癌になるかもといわれていたのを突然想い出し心配になった。ここ数年検査を受けていないことも気になっていた。それで先週半ばの会議終了後、大阪に帰りヨメさんの病院で検査を受けた。血液検査とカメラも飲み胃と食道も見てもらい、異常がないとのことだった。CTなどの追加検査もなくほっとした。その日は阪神優勝決定の日となり、阪神が私を大阪に呼んだのかと思った。それより車の免許を採った娘が帰ってきていて、その翌日は娘と役所の手続きに行ったり、パソコンを買いに行ったりで本当に久しぶりに一日中一緒に過ごすことができて、ゆっくり話もでき楽しかった。ひょっとしたら娘に会いたいがためだったのかもしれないと、私の体調の確信犯を許してあげよう。
そして今日は私の決めた休肝日である。
9月23日(金)
小泉自民党の圧勝という不穏な結果にはメディアの影響の大きさを感じざるを得ない。本当に情けない事態にあらためて戦争責任の問題を追及する意味を深く感じる。
先々週は千里で高校時代の友人夫婦と先週は新宿で大学時代のヨメさんの友人夫婦と会って食事をした。久しぶりにこころが和み落ち着く。やはり同世代で時代を共有したことのある安心感がある。
9月4日(日)
9月になった、総選挙は話題区のことばかりで週刊誌ネタのようだ。
戦争責任についてはアマゾンでたくさんの本を買った。現代史を勉強してこなかったつけを挽回すべく、少しずつ読み始めている。
8月23日(火)
10日間の夏休みが終わり日常に戻っている。久しぶりでも常連のようになれる十三の「ちあき」ではのんびりできた。入れ違いのように娘が今日大阪に帰っている。
戦後60年、8月15日の<終戦記念日>を機会に戦争責任を深く考えようとこころに命じた。1941年12月8日の真珠湾攻撃による太平洋戦争開戦から1945年7月26日のポツダム宣言そして8月14日の宣言受諾決定と15日の「玉音放送」による<終戦>発表となる。20日間ほどの宣言受諾を決断するまでに8月6日広島、8月9日長崎と原爆が投下され、そして空襲があり被災者は飛躍的に多くなった。
戦後、その戦争責任に対して私たちはどのような始末をしてきたのだろうかとずっと疑問に思ってきた。それは最近露呈してきている中国・韓国等(東南アジア)による<反日>現象とも関わってくるし、つまり太平洋戦争に至る過程を含めての私たち日本人の<加害者>としての相の有り様を思想的に探り、それを深めていかねばならない。それは唯一の被爆国として原爆投下をされた<被害者>としての相を考慮するとしてもそれを強調することでは決してない。
日本人戦没者300万有余として<終戦記念日>に挙げられるが、その何倍以上もの人数がアジア全体では戦没者(被害者)がいて、その加害者は日本軍であり私たちの父あるいは祖父の世代という事実を直視する必要はあるだろう。<自己否定>という視点から、戦争責任を思想的に深化していきたいと想っている。
8月8日(月)
8・8解散とか、独りよがりな政権と金権腐敗の自民党のあいだの愚かな裏工作、泥仕合を露呈しながら、そのつけをまた税金をシャワーのように使い流す選挙に持って行った。しかしそれと対抗する民主党は代わり映えが全くしない、そうといって他にも思い付く正当な政党がない。21世紀のこれからの日本に我々はどのようなビジョンを、モチベーションを期待する政権を選んでいけるのだろうか。
8月4日(木)
アクセスカウンタが7777と近づいていたので、それまでに更新をして7777の訪問者には連絡あれば「詩」を贈呈しようとかの趣向を考えている間に、気がつくともう過ぎてしまっていた。
8月に入りこちらに来て2年になろうとしていて、住んでいる賃貸契約の更新時期となった。もうすっかり関東人(?)となったのだろうか。大阪人はマナーが悪いと云われるが電車の中でも何かあると「すんまへん」と云う人が結構いるが、他地方出身者の多いこちらではほとんどいない。
もうすぐ盆休み、いろんな人と会いたいなと思っている。
7月23日(土)
今夕はこの近くを震源とする地震があり動揺した。震度は5度弱とのことだったが、もっと揺れたように感じた。
先週は叔父の35日法要、先々週は出張と大阪に帰っていたので、今日は久しぶりに半年前ほど前に買った「ひとり御膳」という電子レンジで半合のご飯を炊き、結構すぐれもので以前の土鍋で炊いていたより一度条件設定(水・時間)をすると楽なので助かる。水と言ってもお酒を3分の1くらい使うのは私の料理の定番である。この前テレビでやっていたブルゴギが美味しそうだったので、ブルゴギ風焼き肉をつくっておかずとした。
7月12日(火)
昨日の久しぶりの「はなの会」は30名の参加で、今までで最も盛大な会となる。この会を始めて10数年になり言い出しっぺの私は本当にうれしいと同時に私が関東に居るというのも皮肉なものだ。69歳から4歳までの幅広い世代もこの会の特徴だ。
先々週はヨメさんが学会で横浜に来たので、その同行者たち(当然女性)と合計5名で中華街のもはやなじみとも言える「聚英」に予約して行った。価格も安く、さっぱりした関西風の味付けともいえる感じで美味しかった。
6月22日(水)
昨日は夏至で今年ももうすぐ半分が過ぎる。この2週間ほど、ヨメさんがひったくりに遭ったり、世話になっていたおじさんが亡くなったりで、不幸が続き急遽大阪に帰ることが多かった。
7月11日(月)には「はなの会」、14年前の言い出しっぺの私も2年ぶりに参加できることになった。グラースからのゆうこさんが来るので本当に楽しみです。
6月11日(土)
先週はヨメさんがこちらに来て土曜日に横浜に行った。知人の夫婦ふた組と食事をしてから私たちはみなとみらい駅近くのパンパシフィクホテルに泊まった。夕方からすごい雨で中華街に行くのを諦め、ホテルの中華料理レストランで食事をしたがとてもおいしかった。またホテルの朝の和定食は豪華な気持ちになれ我々はバイキングスタイルより好きです。昼は中華街関帝廟通りの以前に紹介されていった「聚英」に再度行くと前と同じようにマスターが店のテーブルにいて、ランチコースではなくマスターお奨めの料理を食べました。いろいろ話しをしてもはや常連という感じでした。
大学時代の友人と上野の安い居酒屋で本当に久しぶりに飲みました。彼は私と同時期に大企業を辞め、ベンチャー企業に入ったのですが近々辞めるというのでとても会いたくなりました。彼とは波長が合い、考えていることが何故か解るような気がするのです。というのも私たちというのは同世代でもかなり少数派だと感じているからです。そして久しぶりの話しにほっとするような、旧友のよさを存分に感じて時々は会いたいなと思っています。
5月31日(火)
初代貴乃花が亡くなりました。私が中学3年の時にNHKの都道府県単位の中学生の放送水泳大会があり、その時に初代若乃花の弟である彼がバタフライで優勝したのをテレビで見てすごいなと思ったのを憶えています。つまり同い年ということを印象深くその時にインプットされていました。そしてしばらくして、相撲の社会で初代貴乃花がナンバーワンにはなれないまま強者に向かっていくのに多くの人が共感を持ったと思います。まるで巨人に対する阪神のようでした。
息子の二人が横綱になり日本で最高の父親のように思われていたけれど、きっと現実は全くちがったと思うし、ヨメさんとも離婚して、家庭生活はかなりの「不幸」であったと推測されます。
その末の「死」はあまりに悲しいような気がします。55歳、本当に同い年でショックです。
5月16日(月)
ツツジの花がその咲く盛りを過ぎようとしている、2年前に初めて退社して浪人生活をおくっていたときに堺・浅香の見事なツツジそしてその連休明けに車の免許を合宿で取りに行った福井県鯖江はツツジの街であった。
反日が中国・韓国を中心に東南アジアで再燃している。反政府に向かわないためのナショナリズムの傾向は考えられるとしても、戦後ずっと日本政府が太平洋戦争に対する戦争責任を思想・歴史的に回避してきたことが原因であると思う。経済援助優先、アメリカの傘のしたをずっと続けてきた責任回避の付けをどうするのかということだと思う。本気で戦争責任をとらなかったのは誰なのかを真剣に考えなければならない。
5月14日(土)
今年初めてのゴルフに行った。今までも数回行ったことのある栃木県益子近くの市貝カントリークラブでやっと幻のクラブハウスがやっと完成して、結構良いゴルフ場になった。今日は肌寒い日であったが朝練習してでもスコアは大たたきで恥ずかしい限り、ただ久しぶりの芝生を歩きながら楽しい時間を過ごせた。クラブハウスのランチメニューも美味しく、ビールを飲んだ午後はいつもスコアが悪い。
5月9日(月)
10連休が終わる。いつも終わってみればあっという間のようだ。8日の大阪からの新幹線はエクスプレスカード特別割引になる格安「ひかり」グリーン席で初めて、やはり快適だった。
大阪での食事、天王寺の阿倍野筋東側から路地に入った「たこ壺」の明石焼きは美味しい、そして今回初めて頼んだトンペイ焼は絶品で、肉厚のステーキ様の豚肉が軟らかくとても美味しく、ヨメさんはトンペイ焼の名前さえ知らず感激していた。そして今回は初めてディナー、長堀通り四つ橋近くのレストラン「エプバンタイユ」であこがれのアワビ料理を食べる、美味しかったがもっと美味しかったのはシェフがこの冬に福井の狩りでとってきたという鴨のレバーの燻製だった。
4日に娘の居る出雲に飛行機で行く。86才になる母親とヨメさんと伊丹空港で「みちこさんの焼鯖寿司」をおみやげに持って行く。出雲市駅で娘と会い駅前の愛想のないそば屋で美味しいかための出雲そば(天ざる)を食べ、最近引っ越した娘のマンションはかなりいいところで安心した。娘は一年間のひとり生活をして、久しぶりにあったがかなりしっかりしてきたように感じた。そして本当に久しぶりに家族4名で以前からヨメさんが行きたいと言っていた皆生温泉「東光園」は特別室でベッドルーム、和室、フローリングのカウンターのあるリビングルームがあり料理も美味しくゆったりできた。
連休の谷間の2日と6日は久しぶりの人たちと会えた。コンサルタント業を生業とする人とはやはり話ししているとスリリングでおもしろい。そして彼が出版した「役割等級人事制度・導入・構築マニュアル」日本法令・西村聡著ーは今読み始めているけれどおもしろい。興味あれば買って読んでください。そして前の会社の親しい友人たちと会えて本当にほっとするようにこころが安らぐ。
4月26日(火)
痛ましい事故が起こった。そして大学の研究室の同窓会幹事の方から緊急メールが訃報を伝えてきた。研究室ではすれ違いの後輩ではあったけれど、私たちが挙げた結婚式会場の説明会で偶然会い同じ頃同じ会場で結婚式を挙げたので印象深く覚えていた。その奥さんも同じ研究室で、きっと我が娘と同じ年頃の子供さんがいると思うと本当に悲しいという気がする。一体何故このような大事故が起きてしまったのか。
稲毛勝さんのご冥福を深くお祈りします。
4月24日(日)
古田が2000本安打、清原が500本塁打と大記録に挑み、成し遂げようとしている。古田は大阪の山の手とも言うべき川西、清原はディープ大阪とも言うべき岸和田で、球界の知能と格闘家のように両極端とも言うべき二人にはシンボリックな陰が漂う。
4月17日(日)
久しぶりにヨメさんが来て今日帰って行った。銀座で買い物をしたりスペイン料理を食べたりで楽しかったが、今はこころの中に穴が空いたようにしんみりしている。しかし2週間後には大型連休が始まるので心待ちにしている。
4月9日(土)
新年度になった。桜も満開で今を盛りと咲いている。近くの神社で一人きりの花見をした。見事な桜なのだが人出はない。
今回は最新版に更新したウィルスソフトを常駐したままアップロードできるか試してみたい。しかしうまく行かなかった。
3月26日(土)
ここ2週間ほどホームページが壊れてしまい白紙のままになってしまった。今日は本格的にいろいろ処理を行った。そしてナローバンドなので数時間かけてWindows
XP service pack2をダウンロード・インストールしたけれど改善されず、最近インストールしたウィルス対策ソフトをアンインストールしたところ修復できた。ホームページソフトが最新版でないからかもしれない。ソフト同士の相性を痛感した。しかしウィルス感染の危険性は改善されていない。コンピュータでは何が起こるか解らないというのは、人間社会と同じで種々の関係性が予測できないことによっているのだろうし、それを改善することは常に可能だということもよく解った。
ここ住んでいる西船橋駅が1月から始まり昨日3月25日でリニューアルが完成し、駅構内周辺に多くの店ができて、かなり便利になった。明日は駅探索をしようと計画している。
3月9日(水)
先週は結婚記念日だったので大阪に帰った。そしてインターネット予約でサンデープランを申し込み千里阪急ホテルに泊まったが、なんと結構良い朝食付きで二人、10、500円、これはかなり得である。
今、浜田真理子という歌手にのめり込んでいます。松江在住で事務員をしながら音楽活動をしていて、ライブは年数回、CDなども10枚弱、しかしライブはすぐ売り切れ、CDも口コミで10万枚近く売れているそうだ。それはなによりピアノ弾き語りとやわらかい声は、本当に引き込まれてしまう。今、40才、もし買うならライブが良い、スタジオ録音と遜色がないからだ。ここ数週間聞き惚れている。
2月27日(日)
この写真は今住んでいる近くの狭い林道のような道がありその横に誰もきっと見ないような場所に咲いている梅の花です。
昨日つくったキムチ鍋は美味しかった。まずごま油でニンニクと鷹の爪を炒め、そして豚肉とキムチを加えてよく炒める。さらにお酒を入れて少し煮詰めてからお
湯を加えて鶏ガラスープの素・コチジャン、韓国製赤唐辛子の粗めの
粉などで味をととのえ、キャベツ、タマネギなどの野菜を入れて煮込
み、あとは豆腐(厚揚げのほうがけっこう美味しい)やニラなどを入
れればよい。また最近は通販で買ったスイスのアーミーナイフで知ら
れるVICTORINOX包丁セットで料理をしている。何故か楽しい。
2月22日(火)
迷惑メールが一日に数十通も来る。それも外国から来るのも多い、プロバイダのメールボックスサービスで迷惑メールの設定をして最初から削除、そして設定以外のメールに関してはタイトルと送り先の名前・アドレスを見て前もって削除してから自分のメールソフトで開くようにしている。そこであやまって削除して、見ていないメールがあり返信していないかもしれないと思い、もしやということがあればご連絡下さい。
その迷惑メールの中には悪質なものがあり、まったく覚えががないのに、ネットサービスを利用して高額な費用が発生しているからすぐにネットでの操作指示をしてきたり、民事裁判を起こすと言ってきたりと「振り込め詐欺」ネット版が横行している。これらには一切相手にしないことにしている。
正直言ってこれもメールアドレスが簡単でメジャーなプロバイダのせいだと感じている。できればアドレスを変えようかと真剣に考えている。
2月14日(月)
この3連休は例年のように大阪城公園の梅林に行った。まだ六分咲き程度だったが花を見ているとこころが和む。帰りに鶴橋で降りて狭い路地に店が軒を並べていて、二時近くなのにどこも満席で、少し待ってから焼き肉を食べたが、ナムルやカクテキなど野菜がたくさん付いていてとてもおいしく、私にしてはめずらしくご飯も全部食べた。金属製の箸が気に入り、狭い道をかき分けて進む鶴橋マーケットは韓国情緒たっぷりでその箸を二セット買った。
新しくなった携帯電話はテレビ電話ができ、ヨメさんは娘そして私と離ればなれを解消するようによく掛けてくる。私は監視されているような気にもなるが、時代も進んだものと実感する。
1月30日(日)
早いもので新年になって一ヶ月が過ぎようとしている。娘主導で携帯電話を会社ごと家族共々変えて、番号も新しくなり、操作になかなか慣れなくていたところ取扱説明書を読んで設定を変更してやっと昨日くらいからましになってきた。一年前に行った中島みゆきの「夜会」を想い出しながら、そのDVDをゆっくり見たりとしたが、なかなか勉強したり書いたりということができていない。
1月18日(火)
先週は静岡・名古屋・大阪へと年始回りに行った。久しぶりに会う人たち、またいつも楽しく話し合える同業の人たち、さらに以前に居たところの友人、本当に皆さんにありがとうという感じで、また会いましょうとお願いします。
1月11日(火)
正月は久しぶりに娘も帰ってきて家族がそろうのは盆以来かもしれない。それもあっという間で、それぞれの住む場所に還っていく。
そしてこの3連休はヨメさんが講演会を聴きにこちらに来て、日曜日はヨメさんの学生時代のクラブの友達夫婦と一緒に会って、久しぶりに同世代の同じようなことを考えているというか変われない仲間と会えてとても楽しい時間を過ごせた。その夜はまた同じつながりの友達に電話をして、お互いにみんな変われないねと共感をした。<上昇志向>のない私たちの不思議な感慨がある。
2004年
12月15日(水)
先週末は大阪に帰り、11(土)12(日)は定例の香住への蟹食い旅行に行った。前の会社の職場の人たちとの旅行で、その会社にいた時には職場にスーパーおばはんがいて、そしてその人が数年前に定年になったのも機会にして始まった。今回は8名、私が退社してすれ違いで新入社員で入ってきた女性と今年のうるう2月29日に結婚したとかいう、かかあ天下そのものの夫婦がいて、とても楽しかった。そうそのヨメさんもその超有名おばはんとそっくりなのは偶然なのかなと思ってしまった。
いつもよりは遅れて出発して出石には1時頃で、いつも行く正覚田中屋で今回は待たずに一室でいつもの皿そばと麦とろろ飯を腹一杯食べた。そうそのかかあ天下ヨメさんは、最もよく食べた。
そして豊岡周辺の円山川沿いは台風の爪痕がすごく、決壊した堤防の修復工事となぎ倒された木々の後がいたたましかった。それから出石郡の但東シルク温泉に行き、ゆっくり風呂に入り暖かくなってから、6時に香住町安木海岸のいつも行く民宿に着いた。今回の宿舎は初めての本館の方で部屋がよかった。そして蟹刺しは活けで花咲模様で最高、それから焼き蟹、他の刺身、蟹のしゃぶしゃぶ、蟹スキ、蟹雑炊で、本当は食べきれずで、残った分は冷凍してもらう。
それからは部屋で呑む。一日話しをする。しかし私は12時過ぎには寝てしまう。
翌朝は、とてもおいしい煮物と漬け物、蟹飯、そしてみそ汁と茶碗蒸しなどがあり、すばらしい朝食でお腹一杯食べて本当に満足する。それでまた大根などのおみやげをもらい、それから香住の朝市に行き、それぞれが土産物を買う。そして一路例年いつも行く矢田川温泉に行き楽しく風呂を楽しみ、民宿でもらった蟹飯のおにぎりと漬け物そしておかずがあり、それから朝来サービスエリアでそれときつねうどんで昼定食のように食べる。その日の夕食は朝市で買ったおみやげの蟹で、妹家族を呼んで蟹スキ、出雲に行っている娘はいないが久しぶりの家族団らんとなる。
翌月曜日は大阪の得意先への年末挨拶で、夕方はまた気のあった人たちと会食となり楽しい時間を過ごせた。最近は気苦労が多かったけれど、一段落したのでさらに経験をたくさん積むことができた。
11月27日(土)
先日は私の誕生日でもあり帰省していた。地元の駒川商店街にある小さな和食の店でささやかなお祝いをしてもらい、ほっとしたようなうれしさがあった。そして久しぶりに四つ橋にあるフレンチレストランの「エプバンタイユ」にヨメさんと行った。ボージョレービラージュヌーボーはとてもおいしかった。
昨日は早めの会社の忘年会がここもとてもおいしいそば屋であり、またまたボージョレービラージュヌーボーで乾杯をして、楽しい時を過ごしてから、カラオケに行き熱唱をして深夜に帰宅した。そして今朝は早く起きてこれで3回目の栃木県益子の近くの市貝カントリーでプレーをした。しかし最低のできでティーショットはオービー多く、ボールはなくしてプレーイング4というのが定番のようでいやになった。来月はもっと練習をして良いスコアを出して、ここで公表できるようにしたいものだ。
10月30日(土)
台風23号では新幹線が止まって大阪に帰られなかったための来客があり、天災も粋な計らいをしてくれた。そしてすぐに地震があり余震がつづき、いつでも揺れているような錯覚になることがある。
もう明後日は11月で今年も残すところが少なくなってきた。紅葉の候ではあるが、ひとりなのであまり出かける気にはならない。しかしたまにはひとりでこちらで旅行をしてみようかという気もある。
10月11日(月)
台風一過とはいかず、ずっとぐずついた天気、今朝は小雨が降り続く4時半起きで、でも7時過ぎに相模湖カントリークラブに着いた。8時過ぎスタートで少し余裕、先日買ったツーボールパターでパットの練習、良い感触でプレーを始める。そして3ホールまでは2パット、1パットとびっくりのでき、でも少しずつ元に戻っていったがまずまずのスコアだった。しかし今までの成績を見ると明らかに昼食後の後半が悪い、これはビールを飲んだせいなのか。というより緊張感が薄らいでいるせいかなと想う。それと今日は私のゴルフで初めてキャディさんが付いて結構やりやすくて楽しかった。
9月28日(火)
先週の飛び石を埋めて4連休にして大阪に帰った。前に勤めていた会社で60才定年になる人の歓送会に出て、2次会は久しぶりのカラオケで少しはしゃいでしまった。久しぶりに会う前の会社の職場の人たちも暖かく、また今回定年になる人にも喜んでもらえて本当にほっとした。そして日曜日に年一回の父方の「いとこ会」が大津プリンスホテルであるので、土曜日に宿泊予約をしていた。土曜日は京都三条のきっと新しくできた食べ物屋街の一角で和食を、でも京都の割に合理的な感じでよかった、そして私には初めてで地下鉄から浜大津まで行った。遊覧船は出たところだったのでホテルまで行ってチェックインしてから少し休み、再度大津港までは豪華なクラウンのタクシーで気持ちがよかった。ミシガン丸の1時間の船旅、30分間のミュージックショウがあり、とても楽しい時間が過ごせた。そしてホテルの28階に泊まり、琵琶湖が一面に拡がる風景は素晴らしかった。「いとこ会」は昨年は欠席だったので2年ぶり、父方は8人兄弟で20人近いいとこがいるけれど、父は7番目なのでかなり年上が多く、そして最近訃報が多くなり少し減っては来ている。でも配偶者同伴が多いので結構楽しい。今回は場所が遠かったのと時期が運動会などと重なったので参加者が少なかったが、次回は私たちが幹事なので多くの人たちに参加してもらえるように企画したいなあと思っています。
9月20日(月)
この土曜日に2ヶ月ぶりにゴルフに行った。場所は2度目になる栃木県益子の近くの市貝カントリーで、クラブハウスが完成目前で工事中止されていて実際はプレハブで、ロッカーやシャワーの不整備、しかしプレー料金は割引で7900円と安い。スコアは練習不足もありさんざん、ここに書くことはできないのですみません。もう少し練習して、そしてパターのクラブは気に入るのを買って10月は少なくとも130を切りたい。
9月6日(月)
こちらに来て一年が経った。ヨメさんが4日(金)の夜にこちらに来て翌日は十年ぶりくらいに横浜へ行った。JR根岸線石川町から中華街に行き、勧められていた関帝廟通りの広州料理「聚英」はこぢんまりした家庭的な店でマスターとずっと話しをしていて、お奨めのコースも安くてあっさりとしていて、とてもおいしく楽しい時間が過ごせた。山下公園から港巡りの船でベイブリッジの下を通って帰ってきた。時間があったので歩いて、赤レンガ倉庫そしてみなとみらい21に着く。まるで外国である。貝のようにそびえ立つインターコンチネンタルホテルにチェックインし、半額の追加料金でエゼクティブクラスに変更する。27階から見る夜景はベイブリッジ見ながら横浜の港が全望できる。そしてここからは新しいみなとみらい線で中華街まで直接行ける。夕食はこれもまた勧められていたホリデーインにある四川料理の重慶飯店新館、少し味は濃いめであるが洗練された料理、もっと食べたかったがお腹いっぱいで食べきれずに残してしまったのが残念だった。店を出ると雨でパリのメトロのようなみなとみらい線で帰る。そして部屋から夜景を堪能する。翌日、朝食はエグゼクティブルームで食べる。ゆっくりと出て、元町商店街をぶらぶらする。そして以前から行こうと思っていた関内のスペイン料理のカサ・デ・フジモリでパエーリャを食べる。お焦げまでおいしくて満足する。ワインはトーレスという闘牛の牛が付いていてもらって帰る。食後酒もドングリ・ピーチ・クリーム?のリキュールセットで、13年前に行ったスペインを想い出した。それから横浜、新横浜と行き、ヨメさんを送って帰路につく。久しぶりのとても楽しい旅行気分だったが、少し哀愁が湧いてくる。
8月22日(日)
大阪から17日にこちらに来ると、19日(木)に我が娘が島根から来た。彼女は一人で自分の行きたいところへ(渋谷・ディズニーランド・お台場・原宿そして柴又帝釈天には一緒に)行って今日の午前中に島根へ戻っていった。口数の多くない親子ではあったけれど、20才になりたくましく自立していく姿を確認できたのがうれしかった。やはり遺伝子ということを強く感じた。ご飯も土鍋で炊いて3回食事をつくり、本当に久しぶりというか初めてかもしれない親子二人だけの生活を過ごせた。
8月10日(火)
いよいよ明後日から夏期休暇で明日の晩に大阪に帰り、17日の夜にこちらに来る。娘も12日に出雲から帰ってきて久しぶりの再会となる。家族バラバラであるが、それなりの感慨がある。もう一度行きたかった高麗橋の「与太呂本店」に電話すると12日から16日まで休みで行けない。天ぷらと鯛飯をヨメさんと娘を連れて行って食べたかったのに。それで次回帰った時の土曜日の昼にヨメさんと行こうと夢見ている。ここは前に勤めていた会社のもう70才を優に超えて少し前にリタイアしているが北の新地周辺の有名人に連れていってもらった店で雰囲気がよかった。私とは年は離れているがなぜか酒飲み友達となって、たまの出会いが楽しかった。
8月2日(月)
金曜日に20才の甥っ子が来て、早速に私の職場の数人との定例飲み会に参加させてしまった。最初からびっくりで、土曜日はその職場の親しくしている人が車で日光に連れていってもらい、東照宮そしていろは坂を上るとすごい雨になりどうなるかと、華厳の滝に着く。その前に日光湯葉とそばの昼食を食べると雨も止み晴れてきて、華厳の滝の壮大さに感心する。それから中禅寺湖・戦場ヶ原に行き、帰りには数回行っている宇都宮の餃子店「まさし」で焼き餃子を食べ、大阪の家に25人前、持ち帰りで5人前を頼む。一人前160円なので安い。買いたい人はインターネットでも冷凍餃子を買える。料理好きでグルメの甥っ子も満足していた。
日曜日の朝は土鍋でご飯を炊き、鮭を焼き、ナスのみそ汁をつくってあげると、甥っ子はお焦げのご飯に感激していた。そして浅草に行き、定例の雷門・仲見世・浅草寺と行って、洋食屋「ヨシカミ」に甥っ子は行きたかったということで、行列して彼は目的の「ハヤシライス」を食べ満足していた。私はサービスランチで肉の軟らかなことにおいしさが倍増する。それから隅田川の水上船で浜離宮公園まで行き本当にのんびりする。甥っ子は5才の頃の少年に戻り、セミとり心を復活させている。それから新橋から秋葉原に行き、彼は好きなCDを探し買っている。夕食はスーパーで買った鰺のフライ・いかの天ぷらそして寄せ豆腐、それからご飯を炊き、回鍋肉・マイタケのバター炒めなどをつくり、けっこうな夕食となった。その後の食器洗いは甥っ子がすべてしてくれた。そして今日の月曜日は朝ゆっっくり起きて部屋を整理整頓・掃除してから大阪に帰って行ったらしい。息子がいない私にとって、この甥っ子はきっと息子のように付き合っていきたいという気がする。
7月25日(日)
昨日は少しはましになった暑さだったけど、先々月行った水戸ゴルフグラブで炎天下でのプレイとなった。水分補給だけは充分とりながら、今回は私には初めてショートホールでパーがとれた。しかし他のショートホールでは1オン5パット、パットの下手さがどうしようもなく、けっこういい感じだったにもかかわらず138と2回目などと同じスコアで120以下になかなかならない。しかし楽しいラウンドだったので一緒にまわった人には感謝している。きっとゴルフはスコアもあるけど、一緒にまわるメンバー(コンペチター)と楽しむことの方が大事なことだと最近は想っているので、プライベートならメンバーを選ぶことです。
今日はこちらで初めて散髪をしたが、まずまずだったので、今までのように大阪ではしないことにした。
7月21日(水)
昨日から特に関東の暑い夏、私の知っている大阪市内のギタギタの蒸し暑い夏よりすごい。40度を超えそうな勢いがある。ちょうど10年前に胃潰瘍で吐血して入院したのが7月15日、その夏は異常なほど暑かった。そしてその時、もっときつい病気で数ヶ月前から入院をしていた前の会社の当時の上司である工場長からお見舞いをもらったのを覚えている。そう入院している上司からお見舞いをもらう私は何かと考えた。
先週の連休は久しぶりに大阪に帰り、最も親しい友人の中の二人と会えることができた。またヨメさんともゆっくりコミュニケーションがとれたのは、きっと他の夫婦の一部よりはましかもしれないが、毎日のようにメールしているのでまず大丈夫です。
今週末は月例のゴルフ、その次の週には私を慕っている20才の甥っ子が上京してくる。仕事も大事だけどプライベートも大事にこれからはしていこうと想う。
6月27日(日)
昨日のゴルフ(6回目)は一週間前の金曜日に行った練習の甲斐もなく146と前回とほとんど同じスコアとなった。茨城県の競馬のトレセンで有名な美浦村にあるオカダイラ・ゴルフ・リンクスでコースの途中で一ヵ所霞ヶ浦が見られる場所がありこころが和んだ。今回は前回と比べてドライバーがよくなかった。パーより+5以上が9ホールもあったのがだめな原因で、ただショートホールでボギーがひとつありひょっとしてパーというのも有ったのは今までになかったことだった。それはピッチングで100ヤードのアプローチでグリーンにツーオンしたときだった。パットが問題なのは基本的な課題です。なぜかドライバーがだめな時のセカンドで3番ウッド(スプーン)がよかったのが救いだった。また今回は今まででOBが一番多く、6個もボールをなくしてしまい(今までは2〜3個くらい)一緒にまわった人からボールをもらわなければならなかった。これではじめた頃にもらった変にマジックインキでマーキングしたボールはすべてなくなり、やっと普通のボールを使えることが嬉しい。これからはなんとかまず120を目指したい。
6月20日(日)
2週間ほど前からメール・インターネットの接続にトラブルがあり、ホームページの更新ができないままでいたが、システムツールのシステムの復元で元通りになってほっとしている。昨日ははじめて吉祥寺に行き、井の頭公園の池の周りを巡り、インド料理屋に入り、商店街の人の多さにも慣れてから帰ってきた。
先週に行った稲毛のカフェバー「フルハウス」のオーディオから聞こえる音のすばらしさ、アコースティックギターの音には感激してしまった。今度はレコードを持って行ってかけてもらおうと思う。
5月31日(月)
明日から6月、車の免許を取って1年になり初心者マークがはずれるが結局あまり上達していない。まだバックでの車庫入れがうまくない。今週末の金曜日の夜から今朝までヨメさんが久しぶりに来てくれた。今回はこれといって目的はなかったけれど、土曜日は初めて六本木ヒルズに行って、52階と53階の美術館と展望台に高速のエレベーターで上った。回転ドアはどこでも封印されていた。5階のレストラン街で昼食をとり、その下の階のショップと思ったが思っていた以上に人が少なかったのはメインの場所に行けなかったのせいなのか。とにかく期待はずれだったが、美術館に私の好きなルネ・マグリットの絵があったのには本当に感動した。けやき坂そしてテレビ朝日に行ってから、母親から靴を買うようにと昨年の私の誕生日に商品券をプレゼントされていたので銀座のデパートで私の靴を買い帰ってきた。日曜日は船橋のイトーヨーカ堂で日用品を買い、夕食は西船橋駅前のレストランに久しぶりに行き、本当に美味しい食事ができてうれしかった。
ただ最近のイラクや北朝鮮に関するテレビを中心とするメディアからの政府あるいはそれに影響されている報道側(体制)からの個人攻撃には目に余るものがある。こんなに悪い時代にしたのは私たちの世代なのかもしれないと最近、本当に考え始めている。本当に残念というしかない。
5月24日(月)
一昨日には5回目のゴルフに行った。茨城県の水戸・ゴルフ・クラブで今までは天気に恵まれていたが初めて小雨まじりとなる。グリーンは重く、コースも難しかったが一緒にまわった人にも恵まれ楽しいゴルフだった。スコアはダブルスコアを超える147と前回よりは10はよかったが前々回と比べると悪かったものの、ティーショット、セカンドショットは今までに比べ格段とよかったが、グリーンまわり、グリーンでのパターが悪すぎた。ただ今回は楽しさが少し解ってきた。
5月5日(水)
終わってみれば7連休もあっという間で、また一人に還ってきた。ほとんど毎日のように旧交を温めて、こころの洗濯ができた。みんなと以前とまったく変わりなく話しができる喜びを本当に感じた。娘とも一ヶ月ぶりに会い、やはりなんとなくしっかりしてきたように思うし、もうすぐ二十歳でお酒を飲む機会もあったらしい。酔わなかったとかで、ヨメさん曰く、「やっぱり、お父さん似やったんやな。」と言われてしまった。
4月25日(日)
昨日は2ヶ月ぶりに4回目のゴルフ、まったく練習していなかったのでさんざんの成績で、前回よりも20くらい多くて話しにならない。やはり向いてないのかもしれない。栃木県芳賀郡にある市貝カントリー、クラブハウスはプレハブで、しかし建築途中(完成近い)のままの立派なクラブハウスはだいぶ前になぜか放置されている。帰りは時間の余裕があったので、1時間くらいで行けるので再度宇都宮に餃子を食べに行った。
もうすぐ連休で大阪に骨休めに帰れる。アクセスカウンタが5000を超した。
4月10日(土)
暖かい陽射しの中、のどかな田園風景を満喫しながら車で宇都宮に連れて行ってもらい、有名となった餃子を食べる。昼の一時前に着き焼き餃子2人前と水餃子1人前、水餃子はやめとけばよかったが、焼き餃子は本当に美味しかった。しかし餃子のみでビールも呑めず、水をお代わりする。上の歯の内側辺をやけどして痛い。しかし持ち帰りに冷凍餃子を5人前、1人前(6ヶ)は160円、安いし満足で「ごちそうさま」は本気で言って帰る。行った店は「まさし」でインターネットでも注文できるらしい。この帰りに栃木市の小江戸風景の蔵の街に寄り、川底の浅い堀で鯉が精一杯跳ねている。
4月3日(土)
いよいよ4月になりなんとなくあわただしい雰囲気が巡っている。今日は朝の散策、数分で行ける初めての浅間神社では桜が満開で、こんなに近くによい場所があったのをここに住んで7ヶ月ぶりに知る。

3月29日(月)
急に暖かくなってここ関東でも桜が満開しそうになっている。先週の金曜日は私が1年前に送別会をしてもらったのと同じような<ところ>で今回は定年を迎える3名の送別会があり、人生の岐路に同席する<想い>を共有するために参加した。ただ私はもはや上下も部門も関係のない自由さもあり、気持ちの優しい幹事の配慮がありとても楽しい時間を過ごすことができた。
翌朝の土曜日に本当に久しぶりの親子三人だけの旅行として出雲空港に着く。その前に伊丹空港で売っていた空弁「みちこさんの焼鯖寿司」を買い、玉造温泉で食べたが本当に美味しかった。娘が4月から住むワンルームマンションに行き、不動産屋と家主に契約内容と場所の確認と購入家具と電気製品を契約して入学式前に準備ができるようにした。周りは田んぼの全くの田舎で大学までは数分の近いところ、解らないがなんとか生活はできるのでしょう。それから出雲駅から玉造温泉に行く。玉造温泉入り口からの川沿いの道にある桜は咲き始めている。300数本あるとのタクシーの運転手の説明、これはかなりの桜並木です。着いた泊まる旅館「山水」はひっそりとこじんまりに30年前くらい前のままのところだった。そのため設備は古かったけれど、料理はかなりよく料金はきっと格安だった。それはインターネットで泊まるところを探したら大きいところは満室で泊まれなく、地図から探した所に電話して泊まったという経緯です。
翌朝の日曜日は松江城まで行き、桜祭りの準備をしていて桜は4分咲きでとってもきれい、それから堀川巡りの舟で城周りの堀を回りカルガモや亀やそして椿堀周りには少ない桜など、船頭の貝殻節の美声など聞き、それから一路また出雲空港へそして伊丹空港へと帰ってきた。
3月11日(木)
もう春の気配がするけれど、明日は久しぶりに冷え込むそうだ。昨年の4月に私と同じように浪人となった娘は、やっと第1志望の大学に受かり山陰の出雲に行くことになった。こちらの大学に来て私と一緒に住むという可能性もあったけれど夢となってしまった。これで親子三人が離ればなれとなるが、希望どおりに生きていくので仕方がないだろう。これからはさらにメールや携帯電話でコミュニケーションをとっていかなければならないが、このようなツールの発達には感謝している。たよりなく見えていた娘ももうすぐ二十歳になるとともに自立して行くのだろう。
2月28日(土)
今日は前月と同様のメンバーで私としては3回目のゴルフで、大利根ちさんという利根川の大きな河川敷にあるゴルフ場でした。そのメンバーの一人からゴルフクラブのドライバーをいただき、その効果もあり午前の前半は57(前回は64)ボギーが4回、ドライバーは当たりがよくそしてパターもチップインがあり上出来でしたが、午後の後半は81(前回は74)と崩れてしまい、結局トータルは前回と同じ138でスコアを上げることができず本当に無念です。密かに120を切りたいと想っていたのですが、しかしこの一ヶ月は、ほとんど練習をしなかったからでしょう。結果は正直でした。
2月17日(火)
土鍋でご飯を炊くのにはまったく慣れ、炊く前に水に浸けておく時間が帰ってきて米を研いでから風呂に入っている10分くらいなので、日本酒を少し入れておいてなじませる。風呂を上がりゆっくりと火にかけていき、終点は湯気の勢いが弱くなりわずかに焦げた匂いが着いてきたころである。そして他の料理をしている10分くらいは蒸らしてから食べるとちょうどである。器械任せの炊飯器のご飯よりきっとおいしい。
今は金子光晴の詩集「愛情69」と「匂いの帝王」を読んでいる。「匂いの帝王」は勧められるまま借りて読んでいるが、嗅覚論をテーマに科学者の確執、実名で香水の描写や香料会社のことなどが出てくるドキュメンタリータッチで半分以上は読み進めたが、これからどうなるだろうと知的好奇心を刺激する本である。
2月10日(火)
昨年4月に親子共々浪人となった娘が、先日受験のために上京してきた。なかなかの苦戦情況で、私の不在が悪影響を及ぼしていたらとけっこうつらい気持ちが募ってくる。その時、ここ林道を通り過ぎた我が家の近くで北の空にオリオン座がはっきりと見える。そして満月に近い月の明るさ。今日もそのオリオン座を見る。
南フランスに住む知人から金子光晴の詩が届き、その内容はどう、との質問が来る。今年は私にとって詩に重心をおきなさいときっと言われているとして、詩を読み、書こうと想う。
1月25日(日)
昨日はなんと2回目のゴルフ、野田市パブリックゴルフ場けやきコースで、10時過ぎスタートで遅かったこともありそして風がなかったのでそれほどは寒くなかった。1ホール目は13と大たたきでどうなることやらと気も遠くなりかけ、前回の初ラウンドは前半96、後半80で合計176、これをクリアーしなければとは思っていた。それで前半が64、昼食にはかきフライと生ビールで後半がんばろうと思ったが、コースが難しく74で、結局は138となった。しかしドライバーとパットで自分でも納得できるのが少しだけはあったので前回よりはよくなっている。しかしヨメさんより「おとうさんのゴルフをすることは想像がしにくいし、やっぱりスキーのほうが合っているような気がするけど。」とのメールが届いて失笑です。
こちらに来てもうすぐ5ヶ月になる、そして初めてご飯を炊いたが、ガスコンロで一合弱を土鍋で、少しかたくて半分失敗という感じでした。水加減・火加減の難しさが解りましたが、炊飯器を買う気は今のところありません。
1月12日(月)
帰ってきて風呂に入ると、日が変わっていてでも眠れそうもない。
渋谷駅の道玄坂下から登っていくと横に延びる路地は迷路で異次元に連れていくように様々なラブホテルが連なっている。夕食をとってから路地をさまよいながら、やっと東急BUNKAMURAシアターコクーンに辿り着く。やっと10年来の念願の「夜会」に本当に初めて来られた。「夜会」は10数年前から中島みゆきが脚本を書き演じるドラマ仕立てのコンサートであり、今までは年末に20数回の公演がなされていた。今年は新年からの連続公演となっている。そして係の人に座席に案内してもらうと最前列のど真ん中で、感激してしまう。隣に座った車いすに乗ってきた女性は連れの男性にしきりに「こんな運のよいことあっていいんだろうか。」と言っている。ステージの下には演奏する人たちが居て、目の前に見える。そして公演が始まると、中島みゆきが目の前にいて演じて、歌っている、最短は1メートルくらいまで近づいてミーハーのファンである私はさらに感激している。52歳とは思えぬ<少女>のような表情には思わず唾を飲み込んでしまう。
13回目の「夜会」は「12時着・0時発」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と産まれた川を遡る鮭をダブルモチーフとして、中島みゆき特有の男と女の関係が仮構され、生きることは一人で死んでいくことではなく命をつないでいくことだと圧倒的な音とうたが流れてきて胸にこたえる。その時「夜会」を貫くように「2艘の舟」が聞こえると最前列の私にはドライアイスの霧で前がかすんでいる。
そうか、命をつないでいくことか、説得力があり、自然体で元気が湧く、きっと男には発想しにくいだろう。それは中島みゆきが最近は「おとぎばなし」や「こども」「命」をテーマとしていることと関連しているし、夜空に星が拡がる空間と「12時着・0時発」のように連続する時間、つまり4次元から異次元への拡がりを感じる。今は最新アルバム「恋文」を聞きながらこれを書いているが、夜はしんしんと更けているが眠れそうもない。
1月8日(木)
長いと思った正月休みもすぐすんでしまい、また一人の長い夜が始まっている。しかしメルクマールを超えて今年は元年ともいえる年に想う気持ち、長い滑走路を精一杯走りながら飛ぶ姿勢をずっととり続けることだと心に命じている。その姿勢こそが生き方なのだと想う。<関係>の中で生きている自己を再認識し、その<関係>をどのように変革していくかが最も重要であると想う。あるいは<関係>の中で他者を、そして自己が変革していかなければならない。
つまり<関係>が縦横あるいは上下のように織りなす立体構造の総体としてある社会を今回選びなおした私にとって、その<関係>に変革を起こし螺旋階段を上がるように変革の風が吹き上がることを想像している。しかし関係は不定型ではなく、リーダーの資質によっているので、私にとって大きな可能性が開かれている。
きっと最終の決断は、リーダーを選ぶか、自己がリーダーとなるかであるだろう。
2003年
12月24日(水)
一人だけのクリスマスイヴといっても、特別の日でもないのであまりセンチメンタルではない。今年は本当に変化の年であったとつくずく思っている。詩はあまり書けなかったが、それより自己表現を生き方として実現してきたと思っている。ただそれは始まったばかりで今が最も大きな運動エネルギーがいる時期と感じている。孤独感に落ちるときもあるが「連帯を求めて孤立を恐れず。」という言葉が急に浮かんでくる。来年こそが本来の闘いの年になる予感がある。
12月15日(月)
13日(土)はゴルフ初ラウンドで茨城県つくばの霞ヶ浦国際ゴルフコースで、当社の第一回コンペとなり、2組8人で、6時前おきで、8時半過ぎスタートでした。まったく慣れないまま、そして前の日の大酒を残してだめなまま午前中のアウトは96の大たたきでした。そして昼飯を食べてそしてビール、気持ちが落ち着きました。それから少しだけ午前中まったくだめだったバンカーショットの練習を、和智さんがしよういってと教えてもらった。これはすごく役に立ったみたいで、午後のバンカーショットは初ラウンドとしては100%以上のできだったとみんなに言われました。これはとってもうれしく「和智さんありがとう」ここだけでいっときます。そしてショートホールを5番で打ち、なんとグリーンにのりニアピン賞もらいながら、欲がはやり5パットでまったくなにをしていることやら。最終ロングホールも池に入れてしまい、木の上に乗ったまま落ちてこない球もあり、合計3個のボールを無くしてしまいました、それでインは80で、合計グロスは176との大たたきとなってしまいました。最後、終わってからニアピン賞や、初ラウンドの特別賞をもらいコンペのパーティも楽しく、ゴルフの楽しさも少しは感じることができました。
12月10日(水)
師走のまっただ中となり、昨年ならボーナスをもらっていた日だなと、でも今年は8月まで失業の身だったので一時金程度しかもらえないはずだ。昨日は飯田橋で忘年会があり、北海道料理でタラバガニなど出てきたが、やはりズワイガニの方がおいしかった。この日はビールの後は赤ワインとして結構呑んだが、いつもほどは酔わず、二次会はエスプレッソとでしらふのまま帰ってきたが、12時前だった。
冬の恒例の最大イベント今回で3回目となる、兵庫県日本海側香住への蟹食い旅行はこの前の土日の6,7日に行った。前の会社の職場連中6名、定年退職して2年目で超元気印の名物女性は「鬼の霍乱」でひどい風邪のため突如の欠席、少しだけ口数が少なくなった旅行となり、物足りない感じはあった。しかし出発してから雨は激しく降ってきたが、昼食はいつもどおり出石で、着く前から雨は上がり晴れてきて我が幹事の予測どおりで我々は感心する。(ヤフーのピンポイント予報とか)そしていつもの「正覚田中屋」で15分待ってから今回は昨年食べられなかった麦飯トロロとだし巻き卵も頼み、そして名物「皿そば」で、お腹がいっぱいになる。それから温泉、昨年は出石近場にある「乙女の湯」これは失敗、老人ホームの施設、今年は少し逆方向に行ったこのときも雨が上がり、但東町の「シルク温泉」で満員情況であったがとってもすべすべの湯、露天風呂もけっこうよく、温泉気分いっぱいで満足した。ここから一路、香住の安木海岸の民宿に向かった。雨は激しくなったが予定どおり着いた。さて夕食、蟹サシはここだけでしか食べられないこの味、おなじものを殻付きで焼き蟹はこの香り、そして刺身盛りがあり、オプションのアワビ刺身、これはそのままでの歯触りと焼き蟹用の炭火で炙ると、やわらく甘くなって最高です。その後は蟹スキ、それはそこそこにしてお目当ての雑炊は、さらにおいしいので最大満足で夕食が終わる。
この後は部屋に帰って宴会、幹事がこの前に買ってきてくれた沖縄土産の「泡盛古酒」を呑んでいるといつの間にか私は寝てしまったらしい。朝食の蟹めしそしてカレイの一夜干しそしてこの宿のお母さんの煮物はすべておいしい、残った蟹めしはおにぎりにして、今日の昼食用にする。香住の朝市は昨年民宿で紹介してもらった「ひさよし」は無く、そのことを聞いた店で値切り蟹をまけてもらって買って帰った。そして帰路は恒例の矢田川温泉に行き、ここはやはりとってもよい温泉で落ち着く。それからは帰路、いつの間にか晴れで朝来のサービスステーションで麺類と蟹めしのおにぎりで昼食はおいしい。さて大阪へとまっすぐ帰る。
宿でもらった大根、買ったカレイの一夜干しそして朝市で買った生ズワイ蟹を家まで送ってもらい帰る。そして妹家族を呼んで蟹スキ宴会とした。蟹いっぱい、アンコウもあり、雑炊はとってもおいしかった。
11月30日(日)
明日から12月、年末となる。私にとってこの一年はダイナミックでもありドラマティックな一年だった。そして家族の絆また夫婦の関係の重要さを再認識させた。離れているほど強く意識することがあり、これは学生時代に影響を受けていたゴダールの映画を想い出している。今日は秋葉原の電気屋街に行ったが、あまりに雑然としたぼうだいなところで迷ってしまった。CDとDVDを安く買いたいと思ったのだが、矢井田瞳の昨年のライブアルバム(CDとDVDの2枚組の中古)を買って来ただけだった。そしてそのDVDとCD、そして今は久しぶりにアンヌ・シルベストゥルのシャンソンを聴いている。
11月24日(月)
この3連休にはヨメさんが来て、冬支度をした。ストーブ、厚手のカーテンを買い、エアコンがありまずは大丈夫だろう。娘は私の酒量を心配して、ウコンで肝臓対策をとるようにとヨメさんに強く言っているそうだ。それで今はウコン(ターメリック)を使ってカレー風野菜スープを作っている。
12月に入ると、恒例となりつつある香住への蟹旅行があり、今はできるだけ行けるようにと予定を考えているが、もうすぐはっきりするだろう。
11月15日(土)
着飾った子供達を見て、ああー今日は七五三と想う。我が娘にはそういうたぐいのことは何もしなかったなあとは想う。なぜかこの一ヶ月ほど前から教えたがりがいて、ゴルフの練習を始めた。今日は練習場に打ちっぱなしに連れて行ってもらった。親指の皮がむけて痛い。当然まっすぐには飛ばない。職場での昼休みは、ゴルフと車の練習といそがしく過ごしている。
さて明日は日曜日、何をしようというプランがない。そういえば、勉強をしていない。明日から始めよう。
11月5日(水)
この前の連休は出張もあり、大阪に帰った。久しぶりの家族と会い里心は落ち着いた。口数の少ない娘も、やはり私のことを気にかけているのが痛いほどわかり、うれしかった。娘とヨメさんの希望で豚のスペアリブ料理をした。オーブンで焼いてから、野菜とハーブと赤ワインで煮込んだ。まずまずだったが、豚の角煮の方が料理らしいと感じた。
親しい友人、知人と会うことができ、ほっとするような気持ちになった。木・金と連日の飲み会は、料理もおいしく、雰囲気もよくふるさとに帰ってきたことを実感した。
しかし、どこにでもつまらない噂や中傷を、無責任に流す輩がいることだけは、本当にいやな気がする。
10月28日(火)
単身赴任2ヶ月となり、里心がついて若干の危機ではある。
この日曜日に同じ職場の同世代の男性と20代半ばの女性の来訪があり久しぶりに料理に腕を振るう。前菜はタマネギをスープでまるごと5時間ほどことこと煮た賄い料理。スープはメインの豚の角煮の最初のゆで汁を煮詰めて利用した。高野豆腐の鶏ミンチはさみの含め煮、そして豚の角煮、これは2日間をかけてつくる。鯖のみそ煮、そして超メインのたこ焼き、予備にはゴーヤチャンプルーも用意した。お客さん持参の宇都宮の冷凍餃子を焼く。おいしい。今回では豚の角煮がおいしく、つぎは餃子、そしてタマネギスープといったところ、でも久しぶりに来客のために料理を作ったのは楽しかった。
しかしここ船橋の我が家のキッチンは狭くて料理をするには不適当であるのがよく解った。なぜならガス台は一口、まな板をおく場所も狭く作業がしにくい。
きょうはゴーヤチャンプルをしっかりつくりました。
10月19日(日)
今朝はこっちに来て買い物ではなく、ぶらりと初めて出かける。西船橋から武蔵野線で2駅目の市川大野で降りる。まず神社巡りで駒形大神社まで行く。そして本当に行きたい万葉植物園を目指す。何回かは行き先を間違えながら、やっと着く。こぢんまりとはしているが隠れ家のようなところで、これからも来ようと思う。やはりシキミはスパイクラベンダーと当然においは似ていると妙に感心してしまう。どうしても葉っぱを手でもみつぶしてにおいをみてしまう。
カセットコロンを買ったので、料理のレパートリーも増やしていく。
10月5日(日)
やっとコンピュータが修理から帰ってきたが、システム異常とのことでまっさらになっていた。それでソフトそしてデータと入れなおす。しかしメールの設定で手間取り、サーバ名の入力には注意しなければならない。アドレス帳もバックアップを取っていたつもりだったが、コピーしようとすると元が空になっていた。貴重なデータがなくなり今後の課題となった。本当にすみませんが、私宛にメールをいただければメールを登録できるのでお願いします。
最近はレコードを聴くのが習慣となり、本当にほっとする。使い勝手のかなり悪かった今までのプリンタを買い換えた。
9月27日(土)
コンピュータのCDドライブが故障していて、明日引き取り修理になるので当分はホーページの更新ができなくなる。
今日もこまごましたものを買って、その中で丸いグラス大の氷をつくる容器でつくった氷で焼酎を飲んでいる。最近は趣味がショッピングとなったようだ。
9月23日(火)
この飛び石連休にヨメさんが来てくれ、今日帰っていった。いろんな人にも手伝ってもらい生活用品をほとんどそろえることができた。南船橋にあるララポートはかなり広いショッピングセンターでソファベッドや収納棚などを買った。今日は送っていった東京駅からの帰りに秋葉原でオーディオ等を買い、これでレコードが聴けるし中島みゆきのビデオもDVDも見られる。
土曜日にヨメさんが東京駅に着き、旧来のヨメさんの友人と15年ぶりに会う。なぜか大学の時からのクラブやクラスがいっしょでそれからのつきあいで結婚してのふたりの友人が私達のまわりで4組ほどあり、今回の私の関東生活でまた会う機会が多くなり嬉しい。不思議にヨメさんと私の共通の友人がいるのがホッとするし、当然のこと話をして気を使わなく、はたちの頃とあまり変わらなく感じるのがよい。
9月16日(火)
先ほど大阪から帰ってきた。今日は阿倍野職安で再就職手当等の手続きを終え、今回のことで職安に行くことはこれでなくなった。昨日の阪神の優勝で家の近くの駒川商店街は大安売りそして特に阪神スポンサーの上新電機はDVDレコーダーやオーディオなど欲しいものがかなり安いが関東に持って帰らなければならないので諦める。
この連休で家に帰ると娘は「たこ焼きつくって」と、日曜日の昼につくる。明石焼き風オリジナルで、生地は鶏ガラスープベースに薄力粉と片栗粉を3対1くらいにさらに山芋と卵をおおめに入れる。具は適当で、たこ・こんにゃく・天かす・干しエビ・紅ショウガ・青ネギそしてミンチ肉・チーズ・キムチなども別個の組み合わせとしてつくる。それを鰹だしベースで三つ葉・甘酢漬けしょうがを入れ明石焼き風に食べてもいいし、特に後者は特製ソースをつけるといい。片栗粉を入れるのは近鉄阿倍野駅近くの行列のできる「山ちゃん」のたこ焼きを食べてのアイディアである。
新大阪駅の駅弁は、まず地下鉄からの通路の神戸屋ベーカリーのカツサンドそして定番柿の葉寿司、さらに水了軒の八角弁当、今日は阪神優勝で柿の葉寿司が割り引きなのでこれにする。でも八角弁当は少し高いけど、そして何がというのがいえないがおいしい。
9月7日(日)
西船橋で百円ショップを見つけ、一駅千葉駅側の船橋には西武デパート(8Fに無印良品とロフト館)そして東武デパート、イトーヨーカ堂(地下から5Fまで)そしてサクラヤ(電器店)があり昨日・今日と船橋に出かける。これでだいぶ生活用品もそろってきたし自転車も買った。
明日からは本格的に仕事を始めようと想う。
9月1日(月)
今日から新入社員となる。5ヶ月間ぶりにサラリーマンにかえり咲く。この二週間ほどは新天地への励まし会そして引っ越しと目まぐるしく動く。居をかまえた西船橋駅前はは、夥しい飲み屋はあるが、生活用品を売っている店は見つけるのが大変で、まだ見つけていない。それにひきかえ駅から10分の我が栖の近辺は住宅地の中の田舎という感じで、まるで林道のような狭い木々に覆われた近道を通って駅に行く。ただ西船橋からの交通アクセスのよさはかなりで、総武線各停では秋葉原から中央線へ、市川乗り換えで総武線快速は東京駅から横須賀線そして武蔵野線は北は埼玉・越谷・浦和方面と南方向は京葉線で東京ディズニーランドから東京駅へ、さらに営団地下鉄東西線は日本橋などの東京中心地区へとつないでくれる。
8月26日(火)
昨日は今週末からの関東生活のため、引っ越しの荷物出しをした。ここ数日は家のリフォーム、荷造りとあわただしい日が続いた。近くに住み明日20才になる甥っ子が手伝いに来てくれた。とても優しい子なので心が和むとともに、やはり力があるので助かった。娘も手伝ってはくれるものの、口数が少なくなりなんとなくさみしげではあるのが気がかりになる。
しかし新天地での新たな想いへの情熱は、ふつふつと湧いている。
8月15日(金)
ISO9000審査員研修コースの合格証明書が送られてきた。今回だけは筆記試験に自信がなかったがなんとか合格し、本当にほっとしたところです。この充電期間の最重要事項としていたので、計画通りに目的を果たせたことになる。これから審査員補の申請手続きをしようと思う。
8月11日(月)
台風10号の風が吹く9日(土)に、来月から住むところを探しに行った。交通のアクセスのよい西船橋に決める。近くには30年来の友人も最近引っ越してきている。せまいながらも楽しい栖にしたい。
8月5日(火)
短い夏休みを城崎温泉で過ごす。昨年の3月に行って、サービスのよかった西村屋ホテル招月庭に再度泊まる。5万坪の森林庭園、ふるさと祭りの花火が今回のすごかったこと、7月はじめに来れば蛍が見られればいいなと思う。料理はおいしかった。
帰りは普通席が指定がなかったので初めてのグリーン席、さして感慨はない。
8月2日(土)
ISO9000の研修の講師は、良質な人達であったので知的にもかなり刺激を受け、作業的には疲労が残ったが心地良いものであった。それにひきかえ、以前勤務していた会社で、2001年5月より2002年3月に認証取得まで私が指導を受けたコンサルタントは、きっと?であると今のレベルからは、はっきりと判断できる。ISOは取得が目的ではなく、継続的改善が重要な目的となっている。
そして昨日は久しぶりに、最も心が許せる人達との飲み会があり、フランス・東京からも含め20名弱の参加、心が和んだ。
7月20日(日)
数日前から突然朝から蝉が鳴き始め、梅雨もそろそろ明けるのだろうか。そしてアクセスカウンタが3000を超した。
今日は朝日新聞の書評で山本義隆氏の「磁力と重力の発見」を見つける。さっそくインターネットで購入手続きをした。今の私にとって彼の哲学および思想そして人生がとても気になり、知りたいと思う。彼は物理学素粒子論の世界的な研究者であったが、東大全共闘議長として「自己否定」の哲学を表現し、闘争敗北後は予備校の教師になったと聞いていた。彼は私の高校の先輩であり私にとって最も気になる人であった。私にとってもその「自己否定」の哲学は未だ生きているし、これからも終焉することはない。
7月1日(火)
今日から7月、今年も半分が過ぎそして4月から3ヶ月、どれくらい充電できたのだろうかと、携帯電話を充電しつつ想う。朝から雨、友人が個展をしているので出かけようかとも想う。
6月27日(金)
北海道の3泊4日の一人旅から昨日帰ってきた。新千歳空港から富良野そして阿寒湖温泉さらに知床へ、帰りは女満別空港から伊丹空港へとのルートだった。女満別空港は最近新しくなったようで、想像していた感じとは異なり、食事にも満足した。
この写真は摩周湖で、着くまでの途中は霧が出ていたが不思議に摩周湖には霧がなくその神秘的な姿を見せてくれた。
特に印象的なのは阿寒湖温泉でのアイヌ古典舞踊とアイヌ部落みやげ店でのイメージがある。舞踊における単調なメロディの歌謡はどんなリズムと成り立ちなのかが興味を募らせる。これからはアイヌの歌謡を調べてみたいと考えている。
富良野周辺では「北の国から」の話題でもちきり、そのテレビを見ていない私には興味がない。ラベンダーの花は7月に入ってから咲くので少し早かった。ワインで有名な十勝の池田からこの6月から足寄に延びた道東高速道路は、日本で最も通行車両の少ない道路で前後ろ・対向車とも見かけない。あの鈴木宗男が誘致したそうだ。
6月21日(土)
この一週間以上、インターネット・メールがつながらず不自由を募らせていた。プロバイダーのniftyに問い合わせたが、指示通りしても回復せず、コンピューター側の問題とされたが、使用している二台とも同様な現象なので納得できないまま、自然と今日は修復していた。これはプロバイダー側でのトラブルであり、niftyのサポートには不満足さが残った。
ISO9001審査員講習の一環として品質管理コースの講習を受け、合格証が送られてきた。苦手とする統計的手法ではあったが、概念は理解することができた。
この四月以来初めての旅行として来週は北海道に行く。
6月4日(水)
インターネットで試験場を調べ、光明池を選び、久しぶりの地下鉄・御堂筋線を天王寺より南下、以前住んでいた「昭和町」を通り過ぎ中百舌鳥で乗り換え、泉北高速で光明池、駅の地図を見ていると親切なおじさんが道を教えてくれる。試験は緊張するが意外と簡単な問題なのでほっとする。10時10分から試験説明があり、11時50分に発表、前の表示板に我が受験番号384を見つけ小躍りしたい気持ちを抑える。昼飯は試験場の食堂できつねうどん、結構おいしい、そして1時から写真撮影、2時前に免許証を交付される。もう少し手順の改善や時間短縮が必要だと、痛切に感じた。
6月2日(月)
鯖江から帰ってきて、先週は金曜日に友人となじみの店で飲んだりとあっという間に過ぎてしまった。そして車の本免学科のための試験勉強を昨日より本格化している。今週も木曜日・金曜日に久しぶりの人たちと飲む予定があり、楽しみにしている。
5月25日(日)
やっとこさ福井県鯖江自動車学校(http://sabae.aoiaoi.co.jp/)の卒業検定に合格し、そして昨夜帰ってきた。
長期の合宿となるため携帯ノートパソコンを買って、メールそしてホームページ更新のために持って行ったのだが、発信したメールは着かず、そしてパソコン自身もすぐにwindowsが立ち上がらなくなり、結局は連絡がとれず多くの人に迷惑をかけてしまい、手足をもがれたような状態だった。
6日に鯖江に来たときは町一面にツツジが咲いていて、ツツジ祭りが開催されている西山公園の見事なツツジは、1日に行った堺・浅香山の浄水場の大きなツツジとは趣が異なるが両者とも思いっきりの自己表現で咲いていて、今年は本当にツツジと縁がある。
泊まっていた鯖江駅前のホテル近くにはほとんど店がなく、コンビニも見あたらない。帰る間際に解ったところ、駅の線路を越えて向こうへ渡る地下道を抜けると10分くらいでコンビニがあった。合宿で知り合った5人、18から30才過ぎまでの人たちとの出会いやつきあいも楽しかった。指導員の品定めをして、あの人だけは嫌やという人もいるし、当然男の指導員は女に甘い。だからといって女の指導員が男に甘いわけではない。
特に私が桁外れの年上なので、人生の相談にのることもありそして和気藹々と生活がおくれたのはよかった。運転技能の上達は遅々としていたが、時間を掛けながら少しづつは進んでいく実感はあった。何事も同じであるが、全体を見ながら細部も見る、そして判断ははやくそしてあわてず確実に実施(操作)をする。
免許更新を忘れて再度取りに来ている地元の25才くらいの少し突っぱっているような彼とは、なぜか親しくなった。夜に働いているので2時間しか寝ていないので眠たいと、よく言っていた。
毎日3時間乗ると神経がすり減り、そして学科の講義とかなり疲れたが、指導員はみんな熱心でまじめなので、なんとか乗り切れた。次は公安委員会の本免の学科試験に合格すれば免許が取れる。
4月30日(水)
明日からは5月、花から若葉の季節となる。昨日は結婚式があり、若い二人の門出を祝う。ラグビーを愛する新郎そして新婦のために詩をつくる。
「愛のスクラムトライを」
僕はフロントロー
チームの最前線
肩のきしみに責任が重い
そして初めてのスクラム
ボールインであなたに
ひそかなサインをおくる
あなたは不規則な楕円球を
しっかりと胸に受け止め
ゴールを目指す
華麗なステップで相手を
かわし
ゴール直前のタックルで
一度は膝をつきそうになるが
しっかりサポート
そして
ゴール真下に二人で
愛のスクラムトライを
決める
今日からは
二人でフロントロー
スクラム組んで
肩の重みを感じながら
一歩一歩進みます
5月は連休明けの6日より福井県鯖江に合宿で車の免許を取りに、その後ISO9000の計10日間の研修を受ける。
4月14日(月)
久しぶりの九州、初めての柳川に西鉄の福岡駅(天神)から特急で50分程で着く。11日(金)の夕方は小雨が降り、駅前から10分で今日泊まる宿「阿久根」を見つける。
そしてとっても気持ちのよい檜風呂の炭酸泉は、肌がすべすべになりそうで本当に落ち着く。

そして夕食は有明海でとれた新鮮なものばかりで左がその「おしながき」、おかみさんの料理の説明に聞き入ってしまう。今夜の客は私達だけなので特に丁寧なんだろう。ご主人がつくるどの料理も薄味で食べやすい。初めて食べるものが多く、前菜のメカジャは爪のような貝の殻にしっぽが生えた形をしていて、あまり採れなくなりかなり高いらしい。わけのしんのすはこりこりとした歯ごたえでお酒によく合う。たいらぎの貝柱の粕漬けはおみやげで食べたことがあるが、ここのは吟醸酒の粕で幻であり香りがよい。むつごろうは甘露煮でなく薄味で煮てありすぐに食べてしまう。さよりの刺身はとても新鮮で、柳川名物の鰻を上にのせたとろろの茶碗蒸し、海茸の和え物は海の香りがし、わらすぼの唐揚げは見た目は悪いが熱々をかじりつくとおいしい。川茸は青く香りがよい、そしてこれはこの近くのあるところでしか採れないとテレビでやっていたのを想い出した。旬の若竹煮とメインのくっぞこの煮物、くっぞことは舌平目で口を底にしていたためでけっして靴底ではないとの説明そして、その汁をご飯にかけて食べると絶品の味だった。明日行く南関町のそうめんそして食後は、茶室で茶菓子と抹茶をいただく。大満足の夕食でこの宿を探すことができたのもインターネットのおかげ、夫婦と息子さん三人でやっていて、宿泊は三組まで、そして名古屋に住む息子さんがこの宿のホームページを制作・運営している。
「阿久根」のホームページ
http://webclub.kcom.ne.jp/ma/jingoro/
部屋からは庭が見
え昭和初期のたたずまいで、その横には瓦葺きの180年を経た建物が見える。もう一度ゆっくりと檜風呂に入る。朝食もすごくおいしく私としては久しぶりにご飯を二膳食べる。この写真を撮った後すぐ椿の花は落ちてしまった。食後にコーヒーをいただくが、このコーヒーがおかみさんとご主人のなれそめだったとの話しを聞いてしまう。そして水郷の川下り、北原白秋の生家、これから白秋の詩を読もうかと想う。ここ柳川はまだしっかりと地方文化が根づいたところだと実感する。
4月7日(月)
やっと一段落して挨拶のメールを出すが、うろ覚えのアドレスがありデリバリーができなかったとの通知がけっこうあった。
近くの川沿いに延々と1キロ以上はつづく桜並木に行き、一人で花見をする。最後の花見になるかもしれないと、人出はかなりあった。
4月2日(水)
この転送が成功すればすべてこの新しいパソコンに移行できたことになる。
送別会が連日あり、これで一段落して一人になってしまったような気がする。今日は親子ともども浪人なので、娘と予備校に行く。まるで私が入るような気になる。
28日は職場、31日は有志での送別会があり、私のような者のためにたくさん集まっていただいて、本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。こころやさしく、こころざしをたかくと想う。
3月4日(火)
10日ほど前に新しいパソコンを買った。ほとんどは移行できたが、このホームページの更新だけがまだできない。しかたなく古いほうでやっている。まだ引っ越しが終わらず部屋が雑然としているような想いがつづいている。これさえできればもっと跳んでいけるような気がするのに。
2月4日(火)
昨日・今日とISO9001の定期審査があった。昨年3月に認証取得して一年過ち、半分だけが受ける審査で、審査員による教育的指導の要素が強く、システム及び要求事項の理解の不足をより改善して欲しいとの意図がよく読みとれた。私にとってはとてもよい機会で、受審者のリーダーとしての対処、そして事務局として他部門への出席で二人の審査員の考え方を勉強できた。正直かなりの理解が深まり私としてのレベルアップができた。
1月5日(日)
正月休みも終わり、明日から日常へと戻っていく。この9日間は家族や親戚とのつき合いだけで、友人と会うこともなく本を読むこともなく、まったく無為に過ごした。この無為に過ごしてしまったということを負の糧として、plan-do-check-actのサイクルを生かして自己向上・実現、自己選択・決定へとつなげていきたい。そしてしっかりと対応し、層としての強さを持ってていくしかない。この困難な情況の逆風に、私(達)は想像力と創造力を最大限に生かして立ち向かい、それぞれのねがいを実現するだろう。
2002年
12月1日(日)
「現代詩手帖」12月号をやっと買った。「芸術村で詩を語ろう」の内容とアンケートが掲載されていて、私の書いたアンケートが載っていたので、正直言って嬉しかった。しかし当然ながら詩人住所録に私の名前はなかった。
11月7日(木)
長年の詩を書くためにこだわるたびだちをおもいきり、そうながい旅だったような気がするが今日(11月5日)帰ってきた。
国際現代詩セミナー
「芸術村で詩を語ろう」 11/2〜11/4 山口県秋吉台国際芸術村
谷川俊太郎と大岡信のビッグネームの対談で幕開けした。そして刀打ち職人のように銅板を叩きながら、吉増剛造の囁くようなパフォーマンスがあった。そして様々な人による朗読があったけれど、白石かずこはきっともはや過去に生きる。辻井喬(以前は西武セゾングループ経営者の堤清二として有名)のきまじめさは日本経済の閉塞情況に立ち向かうように詩を語っていた。中国の亡命詩人である楊さんとフランスの詩人モルポワさん、彼らの話から国境および言語の違いとは何なのかをじっくり考える。象形文字と同音異義語の多い日本語では文字が想い浮かばなかったら意味に辿り着かないが、ほとんどアルファベットやそれに類する文字の言語は音を表記しているので、その差異は、当然朗読の質に影響を与えている。
荒川洋治の詩や評論を今まで読んだことはなかったが、今回の歯に衣を着せぬ語りのおもしろさにぜひ読んでみようと想った。「詩と近代」は城戸朱里の前振りのまずさからプロローグだけで終わるという消化不良、なぜ今回の近代の詩人に中原中也が入らないのかが私の関心事で、ちょうど次の日の朝食で隣り合わせた北川透さんに中也のリズムについて聞いてみたが、音楽的な拍子で詩のリズムを把えるのは恣意的ではないかとの指摘があった。しかし私は菅谷規矩夫の日本語での促音・撥音による強弱の創出によるリズムの発声はすごい発見だと想っているが、この<詩壇>では異端として認められていないことが今回痛感された。
分科会では「詩の構造」に参加したが、議論は白熱し、詩を書くという時、佐々木幹郎さんの大岡さんのように詩は降りてくるというのではなく、自分の中でインスピレーションとして構想し、でもそれはのたうちまわってしか出てこないという意味も当然含めてとの話しに、そうだなと共感する。
ホテルで同室であるのに、いつも午前2時過ぎに帰ってくるので話しができなかった鹿児島から来た高岡修さんは現代俳句という定型の側から、構造を意識しない(定型や季語等)自由現代詩にこそ問題意識が欠けているのでは指摘をした。これは伝統からの異化を求める現代の定型詩(短歌・俳句)の問題点であり、詩はその定型からの<自由>を求めているのか<不自由>に陥っているのか。
イングランドの植民地アイルランドその辺境で禁止されたゲール語を生かし続けるその地で創出する詩は、現在形で身近な神話、そこから醸し出される言葉(音と文字)からのイメージ、そしてその地で言葉を超えてヌーラ・ニー・ゴーノルの豊かな胸から出てくる詩と佐々木幹郎さんと高橋睦郎さんの詩は朗読で渡り合う、これが本当のインターナショナルなのだと感じた。
まだ最終日、30年前からの顔なじみでもある倉橋健一さん等のプログラムもあったが、私はここでこれも30年来の友人である奥野喜治さんと脱け出した。奥野さんは千葉に帰るため宇部空港に向かい、私は当然のように秋芳洞、果てしなく広い穴である。巨大な体内を探検しているようなセクシーな体験である。
宿で同室だった松本さんは美術の教師で、視点がちがうので話しするのが本当におもしろかった。特にここに来ている150人ほどには茶髪はいないし、話しもきっちりすると感心していた。というのも美術系は茶髪のみならず服装は奇抜で、話しは独りよがりだと、そのちがいをしきりに言っていた。
中原中也記念館(湯田温泉)
山口県山口市湯田温泉 11/4,5
小郡からJR山口線に乗ると20分ほどで湯田温泉駅に着く。明日は休館日なので早く着いてよかったというより、セミナーに最後までいたらここには5時過ぎに着き、入れなかった。
ちょうど秋の企画展、中也が息子の文也を2歳でなくし錯乱状態から入院した病院が、文学者でもあり精神病者の治療をライフワークとして取り組んでいた中村古峡のところであった。そして最近、丹念な調査がありその病院の膨大な記録から中也の療養日誌が発見された。中村古峡が治療の方法として患者に書かせ、添削して返していた紛れもない日誌である。療養日誌からも中也の特性は出ており、その自覚性から精神病者とはやはり異質な雰囲気がある。この日誌に出会えて中也のすごさと、やはり夭折せざるをえなかった運命を感じた。
10月15日(火)
今年は旅行していないので、一昨日・昨日の休みにヨメさんと神戸に行った。布引ハーブ園では様々なハーブの葉っぱを揉んで匂いを嗅ぎ、コスモスは今が盛りと咲いていた。定番の北野の異人館街で店じまいで輸入品のアクセサリが全て千円とのキャッチフレーズに我が母-ヨメ-娘の女系に三つ購入、センター街や高架下でヨメさんは思案するが娘の好みが解らず買うのを断念する。
泊まりはポートピアホテル、ホームページから決めたがかなりのよいプランであった。秋のグルメ宿泊プランでツィンの料金は\33,000そしてプラス\2,000で25階以上の部屋になりそして26階のゲストルーム自由利用(ドリンク・つまみはフリーで、朝食の利用・チェックアウト支払いこの部屋)ということで飛行機でいえばビジネスクラス感覚でとてもよかった。
ディナーは31階のレストラン、本店はフランスのリヨンにあるという「アラン・シャペール」でかなり豪華かつ美味しかったし、その花火の見える夜景は最高でもあったし、さらにもてなしというかサービスが今まで泊まったホテルのレストランでは五つ星級で感動した。
10月6日(日)
同じフレデリック・マルから出ているノワール・エピスを手に入れた。エドモン・ルドゥニツカの息子のミッシェル・ルドゥニツカの作品で黒いスパイスとの意味、ミッシェルは43歳の時の子、そして子供の頃に父親から長年に渡り匂いの教育を受けた。しかし本業は映像作家等でこのノワール・エピスが唯一のマーケットに出回っている作品ではないかと想う。
匂い紙で嗅ぐとメンズのフゼアのカテゴリーに入るありふれた匂いなのが、手首に吹き付けてみると不思議なことにまったく印象が異なり黒いスパイスは影を潜め、透明感のあるフローラル調が出てきてメンズからユニセックス調へと父親の代表作のひとつであるオー・ソーバージュが、そして最愛の妻のためだけに創ったパルファン・ドゥ・テレーズの面影を感じてしまう。私には黒いスパイスというより透明感のあるハーブという印象が強い。
9月9日(月)
フレデリック・マルの店(パリ)は長いバカンスで8月26日にやっと開き、パルファン・ドゥ・テレーズは28日にパリ発送で9月3日にやっと届いた。小包を開けるのももどかしく、手首に吹き付けて匂いをみる。一言で言えば清楚な匂いである。
彼の代表作のひとつであるオー・ソバージュは男性用であるが女性も好んでつけたのでユニセックス調と呼ばれる元祖となった匂いで1966年に発売された。時代的には女性の社会進出を象徴的に現した匂いともいえる。そしてこの匂いづくりのプロセスを経て1956年発売の香水ディオリッシモは、きっと1960年代後半にリメイクされた。両方ともディオールからの発売である。フレデリック・マルはパルファン・ディオールの創始者の孫で、気に入ったものだけを限定発売しているとのことだそうだ。
きっとこの同時期にパルファン・ドゥ・テレーズは創作されている。匂いづくりは、きっとルドゥニツカが自分のつけてみたいと考えた男性用のオー・ソバージュの永遠のペアとしてパルファン・ドゥ・テレーズを位置づけて創っただろうと想う。このペアの妹か娘としてディオリッシモがいる。彼はパリからグラース近郊の自然がいっぱいのカブリスに住んでからは、空や水の透明感に花のみずみずしさをテーマに創った匂いが主流を占める。ソバージュとは野生との意味である。
パルファン・ドゥ・テレーズは1960年代のなつかしさを感じるとともに、1980年頃に輩出したアナイス・アナイスに代表されるホワイトフローラルを先取りした匂いとも想う。さらに対極としての作品は20世紀の初めに創られ今なお現役のシャネル5番だろう。きっと両方ともテーマは今は幻のグラースのジャスミンである。きっと5番は夜摘みの花の肌っぽさとセクシーさで、テレーズは朝摘みの花の朝陽を浴びたみずみずしさと清楚な感じだろう。
8月4日(日)
パルファン・ドゥ・テレーズの入手先を教えていただいたので、今メールを送ったところ。早く匂ってみたいと想うのは本当に久しぶりの気持ちです。手に入れたら詳しくその匂いを描いてみたいと考えています。もし、今まで匂ったことのある人がいれば教えてください。
7月13日(土)
このサイトを見たとメールが届いた。ルドゥニツカということで辿り着いた。彼が奥さんのために10年かけてつくったパルファン・ドゥ・テレーズという香水のことを教えていただいた。どんな匂いなのかとても興味がある。そしてただ一人のためだった香水が彼の死後、フレデリック・マルがやっているエディション・ドゥ・パルファンから発売されたそうだ。
そのルドゥニツカの家のある南仏カブリスから久しぶりに知人が来られたので「はなの会」が昨夜あり、新人の来会もあり、楽しいときが過ごせた。
7月6日(土)
ワールドカップは熱病のように過ぎていった。決勝トーナメント進出には開催国としての意地を世界に誇示できた喝采が波打った。レフェリングが焦点を浴び少しのわだかまりは残ったが、確実に個々人の意識と感情の中に日韓は距離感を本当に近くした。そしてヨーロッパの中では感覚的には親近感のあるドイツ、その守護神のカーンに期待しつつも、プロサッカーでは日本が母国と仰ぐブラジルが優勝して熱病は帰結した。
プロ野球、今日も阪神が巨人に負けている。4,5月の熱病は今は収束している。暑い夏が始まっているが熱病は収まり、これが夏風邪とならないように願うしかない。そして夏風邪が肺炎となることだけは絶対に避けなければならない。
椎名林檎の2枚組カバーCDはとてもよかった。
5月3日(金)
長い連休も後半になった。天王寺のJR構内も都ホテルがなくなり、そのスペースがステーションデパートになりパソコンショップのソフマップ等が進出してきた。ここ10年くらいの天王寺周辺の変化は激しい、ファッションビルのミオ・ルシアス・フープの出現で風景が一変した。
大阪国際見本市のイタリア祭りに行ったが、模擬店と屋台が混在しているような会場自身の設備的貧弱さが期待感をがっかりさせた。行列してプラスティックの皿に入った800円のパスタは、サービスと手際の悪さに正比例するようにびっくりするほどまずかった。手つきを見ていると、素人以下の料理人だった。仕方がないので10年ほど前に行ったレッジオ・カラブリアのブースでレッドペッパーのスパゲッティソースを買った。
ヨメさんともども気持ちが収まらないので、今日の夕飯はスペイン料理のパエーリャを初めてつくることに決めた。まずサフランを買い、大きい有頭エビ、貝はムール貝は当然なくアサリも売り切れだったのでハマグリそしてイカは刺身用の小ぶりのスルメイカとした。6時過ぎから下準備を始め7時半に夕飯開始、かなりの出来映えで自分ながらびっくりで、10年ほど前に行ったイタリアのシシリー島とカラブリアの後に訪れたスペインのポルトガル国境に近い山奥の家庭的なレストランの味に似ているような錯覚に陥っている。
3月16日(土)
結婚記念日のイベントを遅らせていたが、「エプバンタイユ」が場所を移動してリニュウアルオープンしたので、今日は結婚記念日のランチとして出かけた。あこがれの徳島産アワビを食べた。本当に本当においしかった。
3月10日(日)
昨年11月からはこのホームページの更新がほとんどできずにいた。それはISO9001の認証取得に意識がほとんど占有されていたせいで、私の余裕のなさが、すこし情けないという情況だった。やっと本審査が4日前に終わり、これからはこのサイトの更新に力を入れるつもりです。
そして再度、詩の執筆を本格化したい。
2月10日(日)
長い間、更新をしていなかった。先月に奥野さんのホームページは新たなサイトに移動した。自分の居場所を見つけたように、独自のサイトアドレスを獲得した。
そして奥野さんのホームページkarnyで詩の同人誌サイトを立ち上げるべく、これからぼちぼち準備をしていくつもりなので、協働していただけるならいつでも歓迎です。
昨日は久しぶりに心斎橋のフレンチレストラン「アミチエ」に行った。この前に数回行った東心斎橋の「エプバンタイユ」より落ち着くしおいしい。大阪のレストラン(きっと10数軒程しか行っていないが)では私達にはここが合っている