愛の忍耐限度 

 

謀新人賞の受賞パーティに招かれ、私は東京にやってきていた。私の出番は、ただ単に受賞者が私の母校の出身者であるとのことで、簡単なスピーチを一言二言。拘束時間は昼から行って夕刻には暇になってしまうというものだった。

見まわしても名前だけは知っているが、親しくさせて頂いているわけではない作家先生方で、あちらこちらで私は挨拶ばかり繰り返すことになった。

もうちょっと私の専門、ミステリ系の集まりならば、話の繋ぎようもあるのだけれども。しょせん、推理作家、ミステリ以外の文学について、造詣が深いはずもないのである・・。

「有栖川さん、お疲れですね」

「あぁ、片桐さん・・いや、まあ」

相当に所在無い気分だったので、見知った顔に思わず顔が綻んでしまう。

「そうそうたる顔ぶれですからね、なんやちょっと緊張してもうて」

「そんな。気楽に楽しんでくださいよ。あちらにワインもビールもありますよ?」

「いや、このあと、とんぼ帰りせなあかんでしょう、ちょっと」

「じゃあ、コーヒーでも」

いいですね、と私が頷くと、片桐さんはすばやくコーヒーを取りに行ってくれるらしい。その後ろ姿を見送って、ほっと息をついた。

正直言って、大阪東京間を一日で往復は辛いのだが、片桐さんの薦めどおりホテルを用意してもらっては、この後の付き合いが待っている。やはり帰ることにして良かった、とすでに疲れきった私は思った。

なんなら帰りは京都で降りて、不景気な火村の顔でも拝むとしよう。ちょっと夕飯には遅い時間になってしまうが、軽く呑みに行く時間くらいはあるだろうし。

 

 

――だから、夜も8時か遅くともこの9時には、火村の下宿かあるいは自宅でゆっくりしているはずだったのだ。

火村の口車に乗せられて、というか、思わぬ偶然に新幹線の予約をキャンセルしてしまったのが悔やまれる。

『あ。火村か。俺やけど、夜そっち行ってもええ?』

『あー。……ダメだ。今日は下宿に戻らないんだ』

『・・残念やな。君、いまどこにいるんや』

『東京』

『なんや、どうして?俺も東京にいるんやで。これから帰るとこやけど』

『日帰りか?俺ももうちょいで終わるんだが。ホテルとったぜ。元気だな有栖川先生は』

『一人でメシ食う気にならなくてな。あー・・』

『こっちでデートと行くか?アリス』

『デートってなんやねん!』

『待ち合わせて飯くって酒のむんだろう?』

『……君、明日は?』

『帰るだけ。休みじゃねーか、明日は。おまえも泊まって明日帰ればいいんじゃないか?』

『――明日、神田へつき会うて?』

『OK。じゃ、そうだな、2、3時間後に。新橋の近くのホテルあきしまってとこに俺は予約してあるけど・・』

『あー、じゃその周辺に7時くらいな。用事終わったら電話してな』

さて、このような経緯があって、私は新橋駅内にあるアメリカンバーにいるのだが。すでに約束の時間から、2時間は立っている。9時だ。思わず、ポテトフライと、サイコロステーキをつまみにビールを4杯近く空けてしまった。

まあ、この店の居心地は悪くない。ビールのグラスは冷えているし、こうるさい流行のミュージックが流れているのでもない。つまみの味はかなり良いし・・、手元には帰りの新幹線で読むはずだった先輩作家の新刊本と、さほど不愉快ではない2時間だったのだが。

それでも、多少神経の磨り減った身体には、なかなかこない待ち人というのが堪えるものだ。

しかしホテルも、火村の云っていたホテルに予約を入れてしまったし。

新幹線も明日の午後に2席とってしまった。

幾度か、謝りの電話をしてきた火村への答えがだんだんそっけないものに成っていったとしてもしょうがないというものだ。

「すまなかった、ちょっと予定外のコトばかりで」

「別に、ええけどな・・」

「悪かったって。ええと・・」

「……ここまあまあやで。ごはん食べれば?」

「悪いな。美味いもんでも食おうって云ったのに」

お、カレーがある、と呟いて助教授はそれを注文した。安易な男だ。しかし黒ビールとカレーのくみ合わせはなかなか美味そうだった。

「なんだよ?食いたいのか」

「もう、ステーキ食ってもうたもん」

これもけっこう美味いぜ?といい、にやりとしながらひとすくいのカレーをスプーンにのっけて突き出した。まさか食べろというんだろうか。あーん、ぱく、とそんな30代男性二人にあるまじき行為を行なえと?

呆然と私はそのスプーンと、にやつきながらそれを差し出す助教授を見つめ、視線を逸らして、ビールのお代わりを注文した。

「なんだよ、欲しそうだったから味見させてやろうと・・」

「・・あほか?いいや、君はあほなんや」

スプーンはくるりと方向転換して、助教授の口の中へ消えた。ああ、でもちょっと食べたかったかもしれない。

しかし、やっぱり一口、という暇もなく、火村は素晴らしい勢いで食べ終えてしまった。ビールも一気に飲み干して、じゃ、行こうか、と立ち上がる。

「疲れてんだろ。とりあえずホテルに落ちつこうぜ?」

「そうやな」

新橋駅から徒歩5分程度だ。入り組んだ小さな建物が並ぶ裏通りの商店街をぬけ、途中でビールも買いこんで、そのあたりの建物なかでは、頭一つ抜きんでた高さの小奇麗なビルだった。

ロビーでそれぞれに鍵を受け取り、エレベーターへ。私は4階で火村は最上階の7階である。

「ところで、俺の部屋はダブルベッドだぞ、アリス?」

「だからどうしたっちゅうの。俺の部屋はシングルですよー」

「まあ、いいけどな・・」

エレベーターが4階へついた。ドアが開く前にちょいと顔を引き寄せられて、唇をついばまれた。まったく、この男は。

「……あとで行く」

704だぞ、間違んなよ」

部屋に一歩入って驚いたのはベッドの狭さである。これ、ソファなんじゃないか?とりあえず風呂を使い、旅館の浴衣に着替えてくつろいだが、とにかくベッドが狭い。非常識な狭さだ。今日は身体を伸ばして寛ぎたい気分なのに。

というわけで私は早々に火村の部屋へと向かったのだ。

「よう」

「ん。お邪魔するわ」

ビールを差し出されて、ありがたく受け取る。テレビは古い洋画を映している。

私の部屋よりも1.5倍くらい広いが。ベッドの大きさも1.5倍である。思わず帰ると云いたくなってしまった。

「せまッ! なんでこんなにベッド小さい?」

「ビジネスホテルだからな。シングルなんてめちゃめちゃ狭いだろ」

「君、ひょっとして一人で泊まるつもりでダブルベッドにしたわけやな?」

「まあ、そう」

「……ほいなら、俺を招くなや」

「そう云うなよ、シングルよりはましだろ」

「まぁ、辛うじて・・」

一人で横たわれば、そんなに狭さも感じないが。火村が腰掛けているので窮屈だ。そのまま二人してテレビをなんとなく眺めつつ、火村はなにやら書類束を捲っている。私にとっても興味がひかれそうな見出しが並んではいるが、如何せん学術資料である。すこし覗いたが、その文章の硬さにすぐ飽きた。

テレビもつまらない。なにより、こんな狭いベッドに二人で座っていては、狭苦しいし、鬱陶しいではないか。火村の猫背になった背中に掌をあてがう。

温かく、張り詰めた背中だ。筋肉がついている。火村も浴衣を着ているが、この男に浴衣はあまり似合わないな、と思う。いや、似合うことは似合うのだが、妙におかしい。キマリすぎて任侠モノの色男みたいだ。

「いたずらするなよ」

くしゃりと火村の手が私の髪を撫でた。しかしそのまま書類に向き直ってしまう。少しむっとした。退かれると責めたくなるのが天邪鬼な人間のサガというもので、私は火村の背中に頬を押し付ける。云っておくがこんなことをいつもしているわけではない。

それに、距離50センチで離れているよりも、いっそぴったりとくっついてしまった方が、邪魔くさくない。他意はなく、そうなんである。

火村の肩口に顎をのせて、その背に身体を持たせかけて寄りかかる。膝に手をのせて、火村の手元を覗きこむ。

「アリス――」

「ん?」

「一つ問題があるんだよな」

「なに」

火村が書類束を机の上へと放る。そして振り向いて私の頬に唇を寄せながら囁いた。

アレもアレもないぞ、という囁きに私は一瞬だけ逡巡したが。

いまさら、と解決作を口にした。

 

 

しかし、翌朝、ムリと狭いベッドがたたって体が痛く神田の古本屋めぐりどころではなく、後悔する羽目になったのだ。

「いっそ、ラブホテルでも行ったほうが、ベッドも広いかもな」

「却下」

 愛にも、耐えられる限度というものがあることを知り始める今日この頃の私たちである。