薔薇色戦争

   ビッテンフェルトの

    我がゆくは薔薇色の道

 

 

「ジーク・カイザー・ラインハルト」という熱烈な歓呼は、軍人はもちろんだが一般人の間にも急速に普及し、そこかしこで叫ばれていた。ソリビジョンが新帝国<ノイエライヒ>について報じるたび、人々は熱狂的にそう口にしたし、酒場での乾杯は、高級なところでも安酒場でも、まずはそれだった。

 惑星フェザーンに皇帝ラインハルトが玉座を移してからしばらく経つ。といっても、皇帝が玉座にすわるのではなく、皇帝たるラインハルトの座る椅子こそが玉座となる、であったので、実際にオーディンから椅子を運んだわけではないのだろうが。

 ともかく、新帝国はフェザーンにも慣れ、平穏だった。地球教徒どものテロも収まり、ラインハルトの目下の急務は、新帝国の組織の基礎を固め、国家機関を制定することにあった。

 

 そんな中で、ささいだが深刻な一つの事件が起ったのだった。

 ある朝のことだった。

 皇帝ラインハルトは、ほのかな甘い香りに目を覚まされて、それに気がついた。

 ラインハルトのベッドの上、枕元に紅薔薇が一輪置かれていた。

 朝食のとき、かいがいしくコーヒーを運んできたエミール・ゼッレ少年に、ラインハルトはそのことを尋ねた。

「枕元に薔薇でございますか。たしかに陛下がお休みになられたときには、ありませんでしたが」

「ふむ……なんだろうな。おかしなことだ」

 ラインハルトには、追求する気がないようだった。気にするほどのことでもないだろう、というのが忙しい彼の結論だったが、エミール少年はなにか異論があるようだった。

 コーヒーにミルクを入れ、優美な手つきでそれをかき混ぜるラインハルトを心配そうに見つめている。ラインハルトはそっと笑いかけた。優しい笑顔だった。

 彼に悪意を持つ者でも、その美貌は認めざる得ないというほどである。ましてや彼の崇拝者の第一人たるエミール少年にはその笑顔はまさに天上の宝であった。思わず見惚れる。豪奢な金髪は、それ自体が至尊の冠であり、蒼氷色の瞳は比類なく美しく価値あるものだ。

 エミールは、ラインハルトの微笑に、頬を紅潮させて敬礼すると退出した。

 

* * * 

 

その会話の数時間前である。

 

ベッドに横たわるラインハルトを薄闇の中でそっとビッテンフェルトが見つめていた。

「我が皇帝ラインハルト……」

 ため息とともにそんな呟きがもれる。なんとお美しい方だろう、という感動をビッテンフェルトはラインハルトを見るたび思う。

ラインハルトが寝ているというだけで、ふつうのベッドが歴史上のどのような権力者たちが眠った豪華なものより、華麗で洗練されているように見えた。

そのベッドのかたわらにひざまずき、手にしていた一輪の深紅の薔薇を置く。

自分の思いつきにビッテンフェルトは会心の笑みを浮かべていた。深紅の薔薇に、安らかに眠るラインハルト様とは……!スリーピング・ビューティなどという古い童話を思い出してしまう。

 間近にしたラインハルトの唇に誘惑にかられたが、ビッテンフェルトはなんとか理性を取り戻した。

 そっと敬礼してから、ビッテンフェルトは、足音を殺して歩き去った。

 

****

 

「卿は聞いたか」

 その高級仕官クラブには豪華極まりないメンバーが揃っていた。

ロイエンタール、ミッタ―マイヤー両元帥に、ビッテンフェルト上級大将は、その身分がなくとも人目、とくに女性の目をひきつけるには十分だ。

 ルッツ、ワーレン、ミュラーたちも、グラスを傾けていた。

 ロイエンタールの言葉に、だいたいが、ああ、あれか……という顔をした。

「薔薇事件、か」

ミュラーが呟いた言葉にビッテンフェルトが妙な顔をした。

「ビッテンフェルト、卿は知らぬのか」

「ああ、いや、なんの話だ」

 どこかあたふたしたようなオレンジ色の髪の猛将の言葉に、意外そうな顔をミッターマイヤーは見せて説明をした。

 それは彼等の皇帝ラインハルトのもとに毎日届く深紅の薔薇のことだった。

 一日目はベッドの上だったが、次の日からはラインハルトの執務室や玉座会議室のラインハルトの席に見事な一輪の薔薇があらわれる、ということだった。

「ロイエンタールにならば話は分かるんだがな。卿はうらみを持つ女性にさぞ心当たりがあるだろう」

「うらみを持つ、か。フィクションの中だけのことだろう、薔薇で暗殺予告をするなぞというのは」

 不吉なロイエンタールの言葉にみな色めき立つ。ビッテンフェルトなどは、蒼白になって立ち上がりかけた。このやや乱暴だが、どこか邪気のない男の、皇帝への心酔ぶりは有名なのである。

 ロイエンタールは苦笑した。

「まあ心配のし過ぎとも思えるが。ふつう、薔薇の花といえば愛の告白だろう。しかし、カイザーにとは、大胆なものだ」

「だがな、ロイエンタール、あのオーベルシュタインが」

いまいましげな微妙な声音でミッターマイヤーが言う。

「オーベルシュタインが、犯人捜査にやたら熱心でな。カイザーの身辺警護を厳重にしたくて仕方がないらしい」

ロイエンタールの目に凶悪なものが宿った。

「あいつは俺たちも疑っているのさ。今の警備は侵入者に対しては万全だが、俺たちには甘い。それが奴には気にくわぬらしい」

ミッターマイヤーはロイエンタールに賛同し、ワイングラスを傾けた。

「ビッテンフェルト?なにか卿、今夜は変だぞ」

「そんなことはないっ」

ビッテンフェルトは叫ぶように云うと立ちあがった。

「もう帰るのか」

「ああ」

「提督!待ってください」

ビッテンフェルトの副官オイゲン大佐が後を追う。残された人々は顔を見合わせて、逃げるように去るビッテンフェルトを見送った。

 

 

 

猛烈な勢いで歩くビッテンフェルトをオイゲンは必死に追った。

「どうするんですかあ、提督」

情けない声でオイゲンが問う。

ビッテンフェルトは黙っている。

「オーベルシュタインにばれたら、なんていうおつもりなんですか。私は知りませんよ!だいたい何をするかと思えば……」

パニックにおちいりかけているオイゲンだった。

「あわてるな、お前は。ばれるわけないっ」

「……そうですか?」

疑わしげな声だった。ビッテンフェルトは力強く断言して、それからくるりと振りかえって、オイゲンの顔を見る。

真剣な表情で見つめられて、オイゲンはどぎまぎと顔を赤くした。

「な、なんですか」

「カイザーは喜んでくださらないんだろうか。暗殺予告などと思われて、お心を煩わせていたら! ……どうしよう」

「……知りませんよ、もう!」

「何を怒っている……なあ、どうだろう」

オイゲンはほうっとため息を付くと、微笑した。

「大丈夫ですよ、きっと。返っておもしろがっておられるってキスリング准将が言っておられましたから」

「そうか! 俺の心はやはり届いているのだ!」

「それは……どうでしょうか」

小さな囁きだったので、猪突猛進の大将閣下の耳には、それは届かぬようだった。

 

 

 

「オーベルシュタイン元帥、卿はどういうつもりだ」

ロイエンタールがオーベルシュタインを呼びとめた。御前会議のあとのことである。

鋭い光を宿す青と黒の両眼を、冷たい義眼は平然と受け止めた。

「私は陛下の安全を考慮しているに過ぎぬ」

「卿はだれを疑っているというのだ。私には卿が陛下と臣下たるわれらの間を裂こうとしているようにみえるのだがな」

「何も卿の仕業だと、云っているのではないが。しかし、薔薇の件は、私も含めた卿らのうちのだれかでなくてはできぬことだ」

「……あの事件で得をしているのはだれだ。卿ではないのか。卿はだいたいカイザーの……」

「ロイエンタール!」

ミッターマイヤーが、二人が揉めているのを見つけて、駈けつけてきた。どこか気まずそうにロイエンタールはミッターマイヤーを見て、黙る。

「……とにかく、卿がカイザーの寝室に近づくなど納得できんからな」

「……ロイエンタール!」

心配そうだったミッターマイヤーの声が、急に尖った。

「こんな行為をカイザーに対し最も行いそうなのはロイエンタール元帥だが」

オーベルシュタインの疑惑は彼の心の中でだけ呟かれたので、ロイエンタールは、ミッターマイヤーに連れられて歩き去って行った。

 

「……本当に卿がやっているのではないだろうな」

「カイザーの部屋に薔薇が届けられた夜に、俺がどこで何をしていたかは、卿が一番良く知っている……卿が俺の家に泊まっていた日だ」

「……そうだった」

疑ったことを恥じるように頬を染めて、ミッターマイヤーはうなずいた。

「そう云えば、オーベルシュタインと何をあれほど揉めていたんだ。カイザーの警備を強化しよう、という程度のことしか奴は会議では言っていなかったが」

「――なんでもない。奴が嫌いなんでな……ミッターマイヤー、今夜は空いているか」

「あ、ああ……」

話を逸らしたロイエンタールをミッターマイヤーは追求しなかった。何かいいたげな顔もしたが、なにも聞かない。

「良いワインがある……」

そっと肩に触れられて、ミッターマイヤーは仕方無さそうに笑った。ロイエンタールの浮気性は今に始まったことではないし、ましてカイザーが関わるとなれば何も言わないほうが良い、と思ったのだろう。

            *

実はオーベルシュタインとロイエンタールのいさかいは前夜の出来事に端を発する。

ロイエンタールは、夜、カイザーの私室あたりを尋ねて見るつもりで、残業を重ね、執務室に残っていた。その日はまだ薔薇が届いていなかったので、さては夜に……と予想したのだった。

 それにそうもやすやすとカイザーの寝室まで辿りつけるのか、確認しようと思ったのだ。せっかくだから、白薔薇でも持って来ようか、と思いもしたが、見つかった時のいいわけに困る上に、二番煎じはかれの矜持にそぐわないので止めた。

 ラインハルトの部屋にたどりつくまで、幾人かの警備の者に出会ったが、彼自身指示により、部屋の近くにはあまり人を寄せないようになっている。ロイエンタールが、カイザーの部屋に行くとは分からないだろう。

(ふぅむ、これは以外に簡単だな)

なぜか少し弾んだ気分でそう考えるロイエンタールだった。

 そして、カイザーの寝室へ続く居間に侵入したとき、ロイエンタールは思わず声を上げかけ、皇帝ラインハルトの安らかな眠りを覚ましてしまうところだった。

(なぜ卿らがここに……!)

(卿までか)

声を潜め、三人は耳元に囁き合うようにして罵りあった。かろうじて顔の見分けがつくという闇の中に、ロイエンタールが見たものは、目だけがなぜか白い光を帯びているように無気味に光るオーベルシュタインと、憮然とした顔で白薔薇を持ちたたずむミュラーだった。

 口を開閉させてロイエンタールは二人の顔を見まわした。つい大きな声を出しそうになる。

 オーベルシュタインが、音もなくドアに近づき、開いた。

 オーベルシュタインの勧めに従うのは、不愉快だったが、仕方なくロイエンタールは部屋の外に出た。

「………」

「………」

二人は気まずく黙りこむ。

「やはり警備を強化せねばならぬな。一夜に三人もの人間が侵入できるなどとは」

 一人動じないオーベルシュタインに、ロイエンタールの目つきが険悪を通り越して、凶悪に近づいていた……。

というようなことが昨夜にあり、翌朝の御前会議で、しゃあしゃあと警備強化を主張したオーベルシュタインをロイエンタールが会議後捕まえ、先ほどの茶番のような口論になった、というわけだった。

 

               *

「遅いぞ、ロイエンタール! もう、一本空けてしまったぞ」

「いや、すまないミッターマイヤー、仕事が、その、長引いてな」

 ここは、その日の夜の、ロイエンタールの邸宅である。今朝の約束どおり、ミッターマイヤーは予定を空けてロイエンタールを待っていたのだが、仕事が長引くという彼に先に彼の家へ来て一人で飲みつつ待っていたのだ。

 ロイエンタールが帰ってきたのは約束よりもはるかに遅い時間だった。

「卿は今日そんなに仕事はないはずだったろう」

ミッターマイヤーの言葉にロイエンタールはあやふやにいいわけをした。実は、また誰かがラインハルトの部屋へ侵入するかと気になって同僚を見張っていた、などとは云えない。

 しかしロイエンタールのそんな様子をミッターマイヤーは敏感に察知していた。かなり待たされて、けっこう腹を立てていたミッターマイヤーは、なにか責めてやろうと言葉を捜す。

「……あのワイン美味かっただろう?」

「ああ、だけどな、ロイエンタール……」

ワインごときではごまかされないぞと、文句を続けようとしたミッターマイヤーだったが、それはできなかった。ロイエンタールの唇が彼のそれを塞いでいた。

「……ああ、やっぱり美味だな」

 顔が赤くなって、ミッターマイヤーは文句も言えなくなってしまった。これも、いつものことだが。

 

 

ミッターマイヤーは薔薇事件の犯人を探していた。早くはっきりさせないとロイエンタールの様子がおかしくて、不愉快なのだ。

 その日のティータイムに彼はラインハルトに招かれ同席していた。エミール少年がコーヒーを運んでくる間に、ミッターマイヤーはテーブルの上の薔薇に気がついていた。

「その薔薇は……」

「ああ、あの薔薇だ。私が一番好きな種類なので、飾らせてあるのだ」

カシャンと音を立ててミッターマイヤーの手からスプーンが落ちた。

「我が皇帝、陛下はお好きな薔薇を誰かに話されたことが……」

ミッターマイヤーの言葉に、ラインハルトは優美な仕種で首を傾げ、しばし考えこむようだった。

「たしか……ビッテンフェルトに、尋ねられたことがあった」

「ビッテンフェルト……」

「ああ、そういえば今夜はビッテンフェルトとオペラを見に行くのだ」

ミッターマイヤーは絶句してしまった。

 

 

「御機嫌ですね、提督」

オイゲンは、オレンジ色の髪を鏡に向かって整えているビッテンフェルトに、ため息混じりの声をかけた。

この騒動で一番心痛が大きかったのはオイゲンかもしれない。やたらとロイエンタール、オーベルシュタイン元帥の視線が怖いものに思えて仕方がないのだ。

「薔薇は用意してあるか」

「まだやるんですか?」

「安心しろ。今日で最後だ」

用意してあった薔薇を差し出すと、ビッテンフェルトはそれを手に歩き出した。

「今日はどこに置くつもりですか、提督」

「直接、カイザーに手渡すに決まっているだろうが」

「ええ――ッ!」

オイゲンの驚愕の叫びにも、ビッテンフェルトは動じない。うきうきとラインハルトとのオペラ鑑賞の準備をしている。

(なぜだか知りませんけど、ロイエンタール閣下も、オーベルシュタインも、ミュラー閣下それからミッターマイヤー閣下まで!薔薇事件の犯人にすごく怒っているようなんですよーーっ!)

 オイゲンの心の叫びは、当然ビッテンフェルトには聞こえなかったが、聞こえたとしてもきくビッテンフェルトではなかった。

 

             *

「ビッテンフェルト……?」

ラインハルトはいつもの軍服姿である。そしていつもながら美しい。ビッテンフェルトは手にした深紅の薔薇をラインハルトに差し出した。

 深紅の薔薇の花言葉は熱愛。たしかにビッテンフェルトの愛は沸騰寸前のいささか迷惑な情熱だった。

ラインハルトは薔薇を受け取り、微笑んだ。

「卿だったのか、薔薇の送り主は」

「はい、御誕生日おめでとうございます。我が皇帝ラインハルト」

ビッテンフェルトの薔薇を見て、まさかまさか……と遠巻きにしていた薔薇事件を知る人間たちにどよめきが走る。

「……ありがとう、ビッテンフェルト。しかし、大変だったのではないか」

「いえ、お騒がせして申し訳ありませんでした」

「いや、おもしろかったが」

ラインハルトの笑顔に、夜中まで毎晩残業し、こそこそ薔薇を隠すなどという苦労がビッテンフェルトには報われた気分だった。

 ラインハルトは自分の誕生日に、初めて薔薇があったその日から毎日薔薇が届くとすると、ちょうど年の数だけの薔薇が届けられることになると気が付いていたのだった。

 

その後ビッテンフェルトは何者かからの陰湿な嫌がらせに悩まされることになったらしい。

ビッテンフェルトはオーベルシュタインだと決め付けているが、犯人は複数であると思われる。