幻想絵画

                        byヨルノ カイガ


 

――ひどい、たいそうひどい、悪夢を見ていた気がした。身体中が痛み、その感覚から逃れようと必死に私は覚醒した。だがもどかしいほどのろのろとしか、目覚めは、訪れない……ああ、早く早くしないと、追いつかれてしまう、追いつかれて――……。

 

 瞼を引き上げても、外は暗く、ゆめは覚めなかった。動物のような、せわしない息遣いと、生暖かく重い肉体が悪夢の中と寸分も違わずしっかりと私を覆い尽くして、支配していた。

 

 完全に組み敷かれて、呼吸すらままならなかった。男がするうごきに、私の肉が反射的な動きを繰り返す……。

「……痛いよ、エノさん……、いたいよ……」

 ようやく、その、私を苦しめているものが悪夢の主なのではなく、れっきとした、私の友人であるはずの男だと、思いつき、そう口にしていた。

 

 動きが止まり、彼の手が私の背に回った。

 

「関……」

「痛い……厭だよ……止めてくれよう……」

 闇の中に光る榎木津の眼は、もう<狂って>などいなかった。冷徹とさえ云える、観察者のまなざしで、私をじっと見た。いたたまれない。とても、私は冷静さなど取り戻せなかった。

 ゆるゆると再び榎木津が動き出す。……もうとうにそれが苦しいだけのものではないことなどわかっていた。男のものをつき入れられ、一杯にされた圧迫感がどこか甘い吐き気と射精感をこみ上げさせている。

 私は、耐えがたいほどみっともなく浅ましい有様だろう。

 榎木津は、美しい。ギリシャ彫刻の若い青年像を思わせる身体つきは、どこまでもしなやかで強く、非の打ちようがない。それが、私のような貧弱な、みすぼらしい身体を組み伏せ、ひしゃいでいる。

 あちこち血が滲み、痛みから噴出した冷や汗がぬるぬるとして、気持ち悪かった。

 「関……」

 言葉を口にして欲しくない、と云う思いが急にこみ上げた。首を振る。ぐいと、榎木津の手が私の脚にかかり押し上げた。……結合が深くなる。強く突き上げられた。「あ…」声が上がる。榎木津の激しい動きに獣じみた声が上がってしまう。

 

 

 

 

            *

            *

 

 関口の中でことを終えて、榎木津はずるりと自身を引き出した。その犯された姿のまま、見えない紐で緊縛されたように足掻く関口を見下ろす。

 

「っ、ぁっ、あ、あ、ア・・」

 

 かみ殺し切れない嗚咽が小さく関口の口から漏れつづけている。鳴きながら関口は、縊り殺されるようにもがいている。精液で濡れた足が痙攣して床を蹴った。

 

 ひとり淫夢から抜け出せないで犯され続けたままの関口を、榎木津は、じっと観ていた。

 

「ア、あああアア・・!」

 あえぎは高まり、最後には絶叫して、関口は遂情した。力を失った関口の身体を抱え上げると榎木津はその身体を緋色の襦袢で覆った。

 

 

        

             *

             *

 

 

 

 街は時雨れていた。手にした酒瓶はずっしりとしている。「厭な天気だァな・・」いつのまにか漏れてしまっていた独白に男はちっと舌を鳴らした。わざとのようにいかめしいカオをした木場修太郎である。

 

 天気のせいではない。厭なのは、その事件だ。少女が殺された。縊られていたのだ。それだけなら、塵屑のようにありふれている。ありふれているからといって陰惨さが薄められる訳もないが、多少の塵には木場の目は慣れている。美しかったからとかそんなわけでもない。美人だって殺される。美醜は骸の哀れさとは関わりがない。

 

 最近に、絵のモデルをしていたというのだからそれなりに女は美しかったのだろう。だが死んでしまったその顔からはそんなものは消えうせている。それよりも細すぎ、骨ばって小柄な体つきが子供じみていて、それが哀しかった。

 

「声とか、聞かなかったかい。悲鳴や不審な物音は、よ」

 

 娘の住む家の裏庭を奥に入ったあたりで、小さな家がひしめいている裏通りの、さらに奥まった片隅だった。このあたりの安普請なら声は筒抜けだ。ただこのあたりには安長屋に混じって連れこみやら小さな飲み屋、売春宿がある。寂れてるとはいっても、それなりの喧騒はたえない。まして女の悲鳴などありきたりすぎた。

 

「無理だァ、そりゃ」

「無理ってこたないだろ。てめぇはつんぼかよ。そろいもそろってつんぼぞろいか」

 

「おれっちのことじゃあねえ。あの娘は、声が出ないんだからよ」

 

「良い娘だったよ。口さえ聞けりゃア、住みこみでいい店に上がるとか、良い男捕まえるとか出来たろうにね。絵のモデルだってぇさ、いい服買ってもらって、何もこれからって時にねぇ」

 どういう絵のモデルだ、と聞きただそうにもあの娘が身振りで伝えただけだから、分らないという。木場は苛苛と現場を歩き回った。解散になって、署に引き上げ、一日が終えても、その厭な気分は収まらなかった。

 

 

             *

             *

 

 

(かあさま・・)

 

最期の時に、声にならない声で少女はそれだけを呟いた。

 

たすけて、でも苦しいでもなかった。まして殺人者を罵る言葉でも。

 

それは彼女が、毎晩眠る前につぶやく言葉と同じだった。何時のまにか彼女の元へと帰って眠ってくれることのなくなった母親を待って、部屋に一つだけの布団をのべ、明かりを消し、目を閉じる前につぶやいて、それで安心して目を閉じる。

 

紅のはがれたうす紅い唇は、小さくうごいて、そしてそのまま冷たくなっていった。

 

少女の暮らしていた家は、娘が一人で住むには不釣合いな一軒家だった。囲われ女が与えられたとでもいうような、小さいが洒落た作りの家で、ただしうらぶれていた。手入れのされないまま、長年を放置された建物は酷く暗くみえる。

小さな庭は掃き清められていたが、外壁や戸の傷みは放置されていた。

家具がほとんどない家のすり切れた畳は塵ひとつなく拭い清められている。何もかも古めかしく、安っぽい荷物の中で黒檀の三面鏡だけが重々しく華麗だった。

少女は一人では絶対にこの鏡を開かなかった。彼女はほとんど自分の顔が恐ろしかった。背が伸びるのも、娘らしく唇が色づき、胸が膨らむのが、ただ憂鬱だった。

彼女の母は、彼女が初潮を迎えると急に怖い目をして彼女を見るようになった。家を空けて帰らない日が幾日も続き、やがてぱったりと家には帰らなくなった。

そしてたまに戻ると、怖い顔をして彼女に美しい着物を着せる。

鏡を開きそこに映る彼女の顔を見つめて、黙って彼女の髪を梳き化粧をさせた。

(かあさま・・)

 

            

 

            *

            *

 

少女が縊られた雨の日の前日のことである。

その日の空は穏やかな白い雲に覆われていた。

女は、榎木津の屋敷を訪れていた。

「もう、ご不要、ということでしょうか」

 

関口は、二人の会話の届かない奥座敷で壁にもたれている。人の気配に怯えたように、引っ張ってきた布団を身体に巻きつけ部屋の隅で小さく蹲っていた。

榎木津は、にこやかに笑った。一枚の画をぽいと女に向かって放る。

女は今日も一分の隙もない装いだ。柳葉を模様にした紫の着物は女の白い顔によく映りあっている。

「ああ!もういいんだ。あの娘はイイコだったけれどね!あの子じゃあ、ないんだ、あの絵のモデルは。もうすぐ描き上がる、間にあうからあんたは心配要らない。それよりあの子に良くしてやるんだよ」

「……まぁ、すてきな・・女ですこと。ほんとうに、美しい・・」

女が榎木津の半ば描き上がった画に魅入った。

その言葉を聞いて榎木津はたいそうおかしそうに笑い転げた。女は榎木津が笑うことを気にも止めずに絵を手にしている。「・・完成したら、ぜひそのモデルの方にご紹介してくださいませんこと?ね、きっと、会わせて頂けるのでしょ。お願いですわ」

「ああ、いいとも!」

榎木津はおかしくてたまらない、というように答えた。

「お約束しましたわ・・。あの娘がこちらに伺うことはもうありません。では、約束の日に、また」

「あのコくるなら来てもらってイイゾ!僕はあのコが気に入った!御飯が美味しいな。あんたが教えたのかい」

 女はただ首を振って、美しい身ごなしで立ち上がると押し黙ったまま微笑み頭を下げて辞去した。その否定が、もう来させないという意味だったのか料理など教えていないという意味のどちらともつかなかった。