幻想絵画
byヨルノ カイガ
榎木津が奥座敷に戻ると、関口は壁にもたれたまま、目を閉じていた。散じた紙の中で、かぶった布団からはしどけなく白い脚が覗いている。
「関。眠ったのか」
「・・ん、――うん、ん」
不明瞭な声を上げ、布団から這いだし、障子の隙間から廊下を窺がった。その姿に榎木津は優しい声をだして、「もう帰った、誰もいないぞ」と告げてやった。
安心したように関口の身体からは力が抜け、ずるずると床に伏した。肩から落ちかけた緋色の襦袢を、身体に巻きつけて榎木津を黙って見上げる。
「お腹、減ったろ?関、出前をとっといたんだ、食べよう」
人の世話など普段は焼かない榎木津だが、この関口相手にだけは世話焼きになるほかない。放っておけば身動ぎ一つせずに何日だろうとそのままだ。
洋食屋から取り寄せたカツサンドを関口の手にもたせ、コップに注いだ葡萄酒を口元に差し付けてやる。関口はされるがまま咀嚼し、飲みこんだ。
その酒は関口には強いのかときどきむせこんでのど元を汚した。手で拭っただけでサンドイッチを食べ続ける関口の胸元は無残なありさまだ。榎木津は食べ終えた関口のために、手桶に湯と手ぬぐいを運んできた。
「おいで、関」
腹がくちくなって、満足したのか目を閉じてまどろみかけた男の腕を榎木津は引っ張った。びくん、とすくみ、だが榎木津の腕に抱き取られてその中でぐんにゃりと力が抜ける。絞った手ぬぐいで口元を拭い、赤く染まった喉と胸元を拭う。温かい布地の感触に、榎木津の腕の中で関口は気持ちよさそうなため息を吐いた。
それに誘われたように、榎木津が関口の耳朶を食む。
「やだ・・エノさん……」
小さく震えた声でつぶやきながら嫌々をする。幼児がいやがるときのようなどこか幼い仕種にかまわず、榎木津は関口の薄い胸へ手を滑らせた。
縄目の跡に指を滑らせ、丹念に愛撫する。「あ・・」すぐに反応仕出す刺激に弱い身体を榎木津が愛しむ。
手ぬぐいをすすいで、もう一度絞った。関口の下肢には情事の痕跡が乾いている。蛞蝓が這いずったような光の粘膜の跡を拭き取ってやった。
「・・エノさん、自分でするよ、そんなの」
「いいから。僕が汚したんだから、僕がきれいにするんでいいんだ。大人しくしていろ、関」
腿を拭い、内股に差し掛かる手ぬぐいに関口の肩がゆれる。頬が羞恥に染まっていた。その様に目を細めながら、乱雑な性格の榎木津とは思われない、こまやかな動きで関口を撫でて行く。
尻にその手がかかり、関口の指に力が篭った。腕にしがみつかれて、邪魔そうに榎木津はそれをのけて背中へと縋らせる。
閉じた合わせをゆっくりとなぞり、溢れ出してくるものを掻き出すように拭う。
いつのまにか布を放り出した榎木津の指は、一昨日からの榎木津の蹂躙に赤く熟んだように熱を帯びた蕾を弄り出していた。
音を立てて内部を探る榎木津の指に、関口は小さく涙混じりの嗚咽を漏らして、目を閉じた。目尻をほの赤く快楽に染めていっそう強く榎木津の肩に縋った。
*
殺された少女は名を滝久乃といった。母は節子。私生児である。節子は数年前に古物商古粋庵の後妻に入っている。しかし一年目にしてその主も亡くなり、未亡人となった節子は現在の古粋庵の女主人として経営を切り盛りしている。
「一人ぐらし・・ですね。たまに節子らしき女が、訪れていたようです。その他は、男が出入りしていた様子もない」
木場はうわのそらで同僚の報告を読み上げる声を聞いていた。手元の資料をばさばさとひっくり返すが、どれも素通りだ。
「たいそう真面目なくらしっぷりで。たまにお針子の仕事を隣りの女の口ききでしてたってくらいですかね。付き合ってた男の影も見えない。誰かに恨まれるほど、人と関わりなんざなかった・・ってとこでしょう。やっぱり、通り魔の変態に見込まれちまったってとこでしょうかね」
「お針子の仕事だけじゃあ食っていけねぇだろう。その辺はどうなんだい」
「節子が月に五十円ばかりは渡してやってた、と言ってます。口も聞けないゴクつぶしだが、一応娘だから、ってそういうんですよ、あの女。きれいな顔して性根は腐ってやがる」
「そういや、死体の引き取りを渋ったそうだな」
「ああ・・私には子供なんていないことになっている。いない子の骸引きとって弔うわけにはいかないから、金はだすからそっちでなんとかしてくれないかってこうですよ。血も涙もねぇったら」
「まあ娘、女郎屋に売り飛ばすのが珍しくもねえご時世だからな。それよりゃ、ましだろ、娘にとっちゃあな・・」
「どうも、わたしゃ、あの手の女狐が苦手ですよ。しらっととりすました顔しやがって・・」
ぶつぶつと言い続ける男を、禿頭に油の浮いた上司が手で制した。
「……あの娘がモデルをしていたって話しはどうだい。なんて画家か掴めたのか」
「それが雲を掴むような話しで。娘の身辺にゃ、報告のとおり、画家のがの字も浮かばない。写真見せてとりあえず美術学校やら素人モデル使うような場所を当たってる最中です」
「……節子の古粋庵は絵は扱わねぇのか」
木場が始めて発した言葉に、周囲の視線がよる。報告中の担当はええと、と言ったきりだ。
「その当たりも洗ってみた方がいいんじゃねえか。通り魔にしちゃあおかしいだろう。服も乱れてねぇんだ。ホトケの身体はなんもされちゃいないんだろう?」
「まあそうなんですが。おかしいと言えばひとつ。もう消えかけた跡なんですが、娘に縄目の跡がある。亀甲縛りとかそのたぐいで。一週間くらい前の消えかかった跡なんですが」
「・・そりゃ、矛盾してるじゃねえか。そこを洗わないでどうするよ。品行方正な娘って評判なんだろう。縛られてそこを絵か写真か売春かしらねぇが売り物にされていた。その絡みかも・・しれねぇだろう」
娘の身辺をより細かく洗うこと、とくに母親の線をたどることと、周辺の不審者を洗い出すことを決めて、会議は解散した。
木場はちらつく友人の影を頭から振り払えず苛苛とタバコを吹かした。
昨晩、木場は榎木津の家を訪れている。
オシのモデルを使っている・・ということが酷く気にかかったのだ。
榎木津の家は、雨戸を締め切って、重く戸を閉ざしていた。
「いねぇのかい、おい、榎木津」
戸を乱暴に叩き、それでも諦め切れずに甲高く声を張り上げた木場に、がたがたと中で物音がし、じりじりした木場が玄関先でタバコを三本も灰にしたころ、ようやく、だらしなく襦袢を羽織ったきりの榎木津がのっそりと姿をあらわした。
「なにしてやがんだ、お前は。昼間っから女かどわかして乱痴気かよ」
榎木津のひどく仇っぽい風情に狼狽する木場を、榎木津は眇めた目でじっと見やった。
我知らず木場の頬が染まる。
榎木津の色素の薄い目が、細められてどこかを見つめている。視点の定まらない目つきが木場の不安を煽りたてる。
「――その娘、」
ゆっくりと榎木津は言った。
「殺されたんだな――」
一言そう告げるなり、榎木津は顔を険しくして押し黙った。木場が関わりをいくら尋ね、また榎木津が使っていると木場に話たあの口がきけないという娘はどうしたとどれほど尋ねても黙って首を振るだけで答えない。
「四日後だ。いいか、この時間に来い」
ぴしゃりと言いつけるなり、榎木津は木場の鼻先で戸を閉めて奥へ戻ったなり、呼べど叫べどもう一度その戸が開くことはなかった。
*
ぶぅんぶぅんと風のうなる音が耳の奥で鳴っている。それに邪魔されて榎木津が何か喋っているのだが聞き取ることが出来ない。私は目を凝らして彼の言葉を捕まえようと努力するのだがどうしてもそれは聞こえない。彼は優しく笑って、私の脚を取る。私の中心で頭をもたげる醜悪な欲望が彼にさらされてしまう。
……私は、みにくいのだ。
きれいだと榎木津は甘く囁いて私の一番汚い部分を、その白く美しい手でなでさすってくれる。その優しさに私は涙ぐみ、歓んでしまう。
榎木津は絵筆を取って、描いている。女は美しい。歪められた表情は、苦痛にひしゃいでいるのに・・。
私がみにくければみにくいほど、絵の中の女は榎木津の筆先で美しく生気を増していくようだ。
醜怪な私は、紙の中で世にも美しい女になった。
私は命じられるまま、淫猥なカタチに身体を歪ませる。鏡のように絵の中の女もそっくり私と同じカタチをとり、みだらに苦痛を滲ませながら、うす笑う。
私は苦痛に微笑んで酔いしれた。
――もう、やめてくれ、私にこの快楽は過ぎる、壊れてしまう・・。
ぶぅんという音がうちから湧き上がり、また強く私の脳髄をしびれさせて周りが遠ざかる。
*
女は責められながら、酷く哀しそうな顔をしている。肉の歓びに震えながら、なおうつむいた頬は青ざめて、伏せた瞼には苦悶の翳りが色濃い。
それは美しく、まさに恋する男を思い廓を足抜けしようとし、連れ戻されて折檻される場面をえがく責め絵集『あけがらす』の一面にふさわしかったが、ひとつ足りない。否応無しに肉の快楽に引きずり込まれ、純な恋を秘めながらも悦楽の地獄に落ちる花魁の、悦びが足りない。
榎木津は筆を放り出した。その一枚が足りない。いや、絵ではない。関口が、まだ・・落ちるほどの快楽を味わっていない。
糸に絡めとられて食い破られかけた蜘蛛の獲物という風情の関口に榎木津は近づいた。床の上で広がる緋の襦袢がおびただしい血糊のようだ。
その傍らに膝をつきながら、彼はくすりと笑う。能楽の『あけがらす』ならば、遊女うら里に折檻を加える置屋の役だ。では関口が心の底で恋しているのはだれだろうか・・。
黒硝子の目玉は何も写さず黒々とただ濡れ光っている。青褪めたそのまぶたを榎木津は押さえて、剥き出しにした目玉に舌をそろりと押し当てた。うめきが猿轡に吸い取られた。目玉の表面はつるりとして舌先に気持が好い。しつこく両眼を舌で舐めまわすと関口はくるしげにうめきながら涙をあふれさせた。
その滑と白い腹の上に、縄で亀甲の文様を描き出されて、両手は後にくくられ、奇妙な蛹のような姿で関口は這って逃げた。
榎木津はあしもとで逃げにならない足掻きをうつ、憐れっぽくこっけいな肉の玩具にしたて上げられた体を見下ろす。それから、天井の梁を通した縄を手繰り、関口を片手一本で無造作に引き摺り、容赦なく括った。
脚を大股開きに戒めなおし、片足の膝にかけた縄は天井へと結ばれる。両手は頭上へとひとまとめにして、これも上へ固定され、身体の前面を余すところなくさらけ出す。
とろりとした粘液は女郎たちの置き土産だ。ひくひくと震える最奥の花を丹念に榎木津は指でなぞった。たっぷりと潤いを施して、周囲を揉みしだく。指をさしこむと関口の身体は細かく痙攣した。前にも手をあてがってなだめながら、指を増やす。
「う・・」
小さなうめきを上げて関口が逃れるように体をゆする。榎木津は指で奥を嬲りながら唇を求めて、猿轡を解いた。関口の強張った唇を吸い舐る。
「あ・・えの、さ・・ん」
「関、――僕に見せろ。もっと、狂って見せろ……」
二本の指を捻りこんで掻きまわす。内部にふっつりと息づくしこりがある。そこに指をかけたとき、声もなく関口は仰け反った。
「あ、ああ・・!」
嬌声をあげながら関口は溢れさせた。それでも止まない榎木津の指の動きにもがいて関口の身体は紐の先でぐらぐらと揺れた。
榎木津の秀麗な美貌がうっすらと笑む。猛々しい己のものを取り出して養い、息づいているかれのくちへとさしつけた。
「え、のさん・・」
目を見開いて関口はそれを見つめて全身を強張らせる。どこかいたいけな子供のようにも見える無抵抗な反応だった。ふるふると首をふる関口に微笑んで榎木津は挿入した。
「・・っ、ふ・っ、くうっ・・」
ゆっくりと根元まで含ませ、そのままで榎木津は関口の両の乳首へ指をふれた。親指で押し潰し、捏ね回す。
仰け反った身体が揺れ動き、それは接合した部分にも響く。関口の腰が耐え切れないように揺れて、内部は榎木津を締めつけた。
ゆるやかに抜き差しし、こねるように腰を使われて、関口は悲鳴じみた喘ぎを長く短くあげ続けた。
*
荒淫も榎木津の美貌を損なうことはないようだ。寝乱れた姿に紺の単を引っ掛けただけの名残もあらわな姿で、片足を投げ出してタバコを燻らせている。
女は、榎木津のそんな艶っぽい姿に目もくれず、端然と座し、無造作に放り出された六枚の画を手にしていた。
「お見事ですわ・・」
障子一枚向こうからは、押し殺したうめきが時折漏れる。噎び泣くような嬌声は男とも女ともつかず、ただ悩ましい。
女は大切そうにその画をもとどおり風呂敷に包んでしまう。そのかわりに、見比べるようにもとの未完成の画の束を解いた。
「火を貸して頂いても宜しいかしら」
女はタバコを袂から取り出すと、榎木津からマッチと灰皿を借り受けて一服つける。けむりを燻らせながら、女は画を細くよじった。晴雨の描いた女の顔がよじれ、火にくべられる。乾いた紙はみるまに燃え落ち灰になって皿に溜まった。
「……ほんものは一つあればいいんですよ。こんなもの、残っていては、いけないわ」
「・・いいのかい、あんたを愛した男が描いたものだろう」
榎木津の言葉に女は始めて画から目を放し、目を見張って榎木津の方を見た。
「あら、ご存知、だったのですね」
「見れば分かるさ、そんなもの」
「お蝶、なんてそんな名で呼ばれていたこともあったのですわ。今では、見る影もない、くたぶれた女でございますけど」
一枚、一枚、女は丁寧に画をよじり、火をつけた。ひっそりと笑いを漏らし、新しいタバコを出して咥えた。
応酬の合間に隣室から漏れる声がやむことはない。ひくく切なげな声の方を榎木津は時折愛しげに見遣っている。
「・・あんたが殺そうとしている女はどこにもいないよ」
榎木津も新しいタバコに火をつけた。女は微笑んだまま、榎木津の膝元へ約束の代金をそろえた。
「・・お確かめ下さい。そうそう、モデルを紹介して下さるってお約束じゃあないですか」
「あんたが見たいものはないよ、お蝶さん。幻さ。描かれる女ってのは男の幻想ばっかりなんだ。どこにもいやしない。描き終わってしまえば消えて無くなる。あるのは残骸ばっかりだ」
「……まあ、ひどい云い様ですこと。アレに描かれたアタシは残骸だって仰るの」
「あんたはあんただ。あの娘はあのコだったし、やっぱりこの画は晴雨の女なんだよ。解らないならもったいないが見せてやる!」
榎木津はひょいと足を伸ばして障子を蹴立てた。けたたましい音を立てて障子は動いた。
女はさすがに笑顔を強張らせた。その肩が小刻みに震えている。
数分で女は平静を取り戻すと、俯いて視線をそらし、かすかに震えの残る指で絵画の包みを握り締めると小さく辞去の意を榎木津に告げた。
*
*
無断で休み続けていたことを関口は不明瞭にだが関口にしては精一杯の真摯さで謝った。店主は「大変だったね」といったきり、いつもと同じように込んだ時間を二人で切りまわし、空いた時間帯には二階へ「じゃ・・よろしく」と引っ込んでしまった。
週払いに賃金も取りに来れなかった分とのことでいつもどおりの額をわたされ、関口はさすがに申し訳なさで顔を赤らめた。
「やあ、関口君。君、殺されかけたそうじゃあないか」
黒の着流しに二重回しを羽織った男は、いつもどことなく不機嫌そうな顔つきをしている。黙って座って、少々愛想さえ良ければ、理知的な好もしい容姿であると云えるだろう。ただ、この古書肆は、他に類をみない毒舌家なのである。
同じ学校の同級生であり、あまつさえ一時期は寮の同室に寝起きしていたというのに、関口のことを知人と評してきかず、友人などではないとはっきり云い切っている。
「・・久しぶりだね、中禅寺」
カウンターにかけた中禅寺のために関口はコーヒーの準備をした。彼は酒をやらない。めったにここにも訪れないが、来るときはたいがい客の引けた夜半で、コーヒーを飲む。
「旦那から訊いたのかい? ――まあ、殺されかけたってのは言い過ぎだよ。あのひとが、――掴みかかってきたところを、すぐに取り押さえてもらったんだから」
あのあと、関口が榎木津の家を出て、自宅に帰ろうとしたときのことである。
画が、手元を離れるとけろっとしたように榎木津は元に戻った。関口の身体を丁寧に処置すると、「目が覚めたか、関?」とあかるく訊いた。まだ頭の芯は痺れているような気がしたが、ここしばらくの間のことが、まるでゆめのように遠かった。
そうなると、急に榎木津宅がいづらく、そのうえ仕事もほったらかしであることにようやく思い至り、重い身体を引き摺って慌てて帰宅する最中のことだった。
美しい年増女だった。自分がお蝶だと関口に名乗った。「そうですか・・」そんなふうに関口はまだ働かない頭でうわのそらに答えたように思う。
記憶はあいまいだ。
あの、オシの少女が殺されていた、ということも、後日の事情聴取の中で知ったことである。
「画をみたよ。良い画だね、あれは」
この男にしては珍しく今夜は口数が少ない。関口は、中禅寺にコーヒーをだし、自分にもそれを淹れた。
中禅寺は一口それを呑み、悪鬼羅刹に混じっても区別がつかない程、険悪な顔をした。そして、しばらくためらった後、なにも言わず悲しげにコーヒーをもう一口飲んだ。
コーヒーは、ぼんやりしていたせいか、えらく酸い味がした。一口飲んで余りの不味さに関口は目を瞬かせた。
「ああ・・目が覚めた気がする」
「そりゃあ・・良かったね」
中禅寺が飽きれたように応えた。