よるの かいが


 

なぜこんなにくるしいのだろう。

溺れてしまう。溺れてしまいそうだ。
 温かに息詰まるような心地よい苦痛に浸されている。

ひきとめる、いましめる、あの抱擁。
誘いこみ、溺れこませる、あの抱擁。

耳に残る不可解な言葉がある。

「また、忘れるんだね――、いいのかい」

私は忘れたのだろうか。
忘れているのだろうか。

彼は溺れている。その腕に抱擁され、きっと、――

 溺れてしまう。溺れて、――。

 

 

****

 

 

暗い夜だった。月はでていた。だが闇は絡みつくように濃密で真っ暗だ。

その空気は液体のようで、関口は泳ぐように歩いていた。

なぜ、自分が歩いているのか、ふっと疑問になる。
だいたい、どこへ向かっているのだろう。

それでも、ふらふらと彼の身体はなにかに惹かれるように進んでいく。
熱に浮かされたようで、なにもかもぼんやりしているのだった。

これは夢ではないか
夢なんだろうか      
だからこんなに息が苦しいのかもしれない、と関口は微笑んだ。

気がつくと、誰かが手を引いていた。引っ張られるままに、関口は歩かされる。ひょっとしたら最初から手を惹かれて夜道に連れ出されたのかも知れない。

でも、彼の手が関口をつかんだとき、「ほんとうに来たね……」とかすかに驚きを響かせた声でささやかれ、関口はくすりとわらったのだった…気も、する。

関口は誘われるままに暗い木々の間の細道をすすみながら、ぽっかりと浮かぶ月を見上げていた。

 

口付けに、眩暈がした。

「きょうごく……」
社は、静かで恐ろしい。なぜ彼はこんなところへ自分をつれてきたのだろうか、とぼんやりと考えた。
彼が戸を開けた。
暗い神社の内部に、白衣が敷かれている。

「あ、ああ……」
関口は声を上げた。かすれた喘ぎのように響くそれに、ますます眩暈が酷くなる。
なにがおこるか自分は知っている。
思い出してしまう……。

肩に手がかけられた。
温かいのに、ぞくっとする。
すでになじんだ抱擁が始まる。

これはいったいなんだろう。
痛みと心地よさと苦しさと快楽……
 ――本当に夢ではないのだろうか

社のなかには月の光がある。その光に照らし出されている自分に覆い被さっている男は――京極堂だ。
確かに、京極堂だ。

口付けに眩暈がする。

舌がゆっくりと入ってきて、出て行く。彼がなにか囁いている。夢の中では音は不明瞭だ。ここはまるで水底のようだ。液体の空気は震えを拡散させて音をつたえない。
耳を震わせるだけで、言葉はわからない。だが、心地よい。

     *****

 


        *

関口は呆けた目をして文机に向かっていた。
ここしばらくは熱心に仕事をしていたようなのだが。
筆の音を絶やさない夫よりも、そうして呆けた姿の方が安心するというのも妙な物だ。
雪絵はそっとお茶と菓子を出して、タツさん――と呼んだ。

ぼんやりした目で関口が振りかえり、不明瞭な返事を呟いて、湯のみを手にした。
「書きあがってしまったんだよ」
「……あら、どうして。良かったでしょう」
「う…ん。そうかな。でも、――なんでもないんだ、ただ――どうしようかな」
関口の視線はうつろだった。次の作のことでも、考えているようにも見えたが。
まとめた原稿をとんとんと机の上でそろえて、立ちあがりかける。
中腰になり視線をさ迷わせて、次の行動を迷っているようだ。
「出かけるんですか」
「あ、――うん、どうしよう、か」
「京極堂さんのところなら、千鶴子さんにおすそわけがあるんですけど」

「うん、じゃあ行ってくるよ」

いつまでも傾斜が続いて上りきることがないような気もした眩暈坂を上りきると、目指す京極堂の家が見える。
「千鶴子さん――」
珍しく商い中だった看板に驚きながら、戸をくぐり、店の主ではなくその奥方に呼びかける。

手土産を渡して、関口は仏頂面をした店主の前に腰を据える。京極堂は珍しく顔を上げた。極寒にたたずんでもいるかのような不機嫌な厳しい顔を向けられ、関口はややたじろいだ。

「午後から、千鶴子は留守にする――」

「ええ、でも、お塩しときますから、焼いて召し上がってくださいね」
 関口が持ってきたのは新鮮な魚であったのだ。
「なんだ。千鶴子さんに食べてもらおうとおもって持ってきたのに。うん、残念だけど、君だけでも、ちゃんと自分で焼いて食べてくれ」
「――……まあ、いただくけどね」

千鶴子が出かけてしまうと、京極堂はぽんと本を閉じた。関口の鼓動が早くなる。
なぜ顔に朱が浮いてしまうのか、わからない。わからないが恥かしくて関口はうつむいた。

「用事は済んだんだろう。いつまで居座る気だい、君は。待ってたってなにもでやしない」
「そ、いういいかたはないじゃないか……」
「帰るといい」

「……ど、うし………」

「……なんでもないよ。もう、やめたんだ。無駄だからね。いささか僕も空しいというものさ」

「なにを言っているのか、わからないよ……京極堂?」
「わからないのだね。いいよ。好きなだけそこにいるといい。――なにもしやしない」

関口はひどく不安そうな顔をした。それをみて京極堂は笑った。

      *

その日、関口は帰らなかった。いつまでも帰ろうとせず、ぼうっと座りこみ続ける関口を京極堂は放っておいた。
彼の持ってきた魚を焼いて食べた後、帰らないのかい、と関口に告げる。
うん、と彼は肯いて、いつもの位置に座りこんだまま、じっと閉じこもる。

「―――つきが」

不意に関口が口を開いた。とろんとした目付きは、京極堂を見ているようで見てはいない。

「月が、」

今夜は新月だった。星も暗い。

「月が、ないからなのか――。ねえ、京極堂、どうして、―――」

関口はまた黙りこんだ。

 

 

      ***

 

「――欲しいのかい?」

京極堂の言葉に関口はびくりとすくんだ。遠のきかけていた感覚がよみがえってくる。
空気が水になるような。

息苦しかった。
だが、あれは……ユメだ。夢にちがいない。とても口に出せるような夢ではない。
なんと自分は可笑しな妄想にとらわれているのだろう……。
もう一言でも口にしたらなにもかも言い当てられてしまうような気がした。

月のでた真っ暗な夜のなか、森の中、社のなか、自分のうちに、

京極堂の
           

「――欲しいのかい?」

からかうように云って、京極堂は頬を歪めて笑った。

気づかれている、もう…彼は知っているのだ。

私が夢の中で森の中で水の中で彼をあさましく求めて彼をのみこんでいたことが。
真っ暗になった。絶望で死んでしまいたいと切望しながら、私はこくんと首を振った。

「――目を開けたまえ、関口君」
あたたかい水が頬を伝って行く。

抱き取られて、私はひどく幸福に微笑んだ。

 

「夢ではないんだよ――」

「夢でなくてもいいよ」

 

私は途惑った。いったいこれはなんだろう。京極堂の指が、私の中に這いこんだだけで、とても信じられないような声が口をつく。
そんなことをされて、気持ちの良いわけがないのに、私の体はまるで私のものではないかのように反応し続けている。

「いやっだ……待って、待ってくれよ、京極堂っ」
「……どうしたんだい」
「あっ…」
耳元に囁かれて、ぞくりとした。彼はとても手馴れている。まるで私が彼の言葉にそうなってしまうのがわかっていたように、力の抜けた私の奥へ声とともに指を進ませてきた。
「やめて、あ、ああ、はぁ…」
ぞくぞくと身の内をなにかがかけまわって、私はどうしようもなく京極堂の体にすがりついた。
なぜこんなふうになってしまうのか。
私の後方へ回された指は私を掻き回したまま、もう一方の手指があちこちを這ってくる。
背中を撫で上げられて、体がくねった。きつく締めつけてしまってそこからも甘い痺れが立ち上ってくる。
淫夢そのままのような
あれは夢ではなかったのだろうか。
うわごとのように私が口にした言葉に京極堂が答えた。

「夢ではないんだよ――」


――思い出した。
「京、京極堂……あれは」
「君は、ほんとうに、仕方のない人間だね――」

ひそやかに笑いを含んだ言葉が私をうちから震わせる。彼をもう私は内に収めさせられていた。
痛みでしかなかったはずのものが、熱く狂おしい喜びを私に与えている。
「ああ……」
私は声を上げゆるやかに目を閉じた。

 


  抱擁の続き、ミユキさまのりくえすとです。

  いまいちな出来でごめんなさい〜H度がひくいかなあ…やっぱりこうゆうのはなかなかへこみますう…

 あたたかい感想をお待ちしてますです、はい。