擁シ続ケル

                        よるの かいが


   

 ――身の内を蕩かすような熱がある。
 この熱は、なんだろうか――。ああ、くるしい。熱くて、とけてしまいそうだ……。

 ちりちりと、くすぶる、熱。

めりめりと、身体が軋む。

  私は、罰されている、のだ。

そう思うとこの苦しみは心地よい。いや心地よいのだ。もっとして欲しい。

ああ、い、たい……。

内臓が下からこねられて、こねられすぎて、もう――溶けている。

ぐちゃぐちゃと、私から、なかみの溶け出す音がする。溢れ出しそうだ。だから、抜かれるのが怖い。こんなふうにどろどろにして、私から出て行かないでくれ、私のなかにいてくれ、私の代わりに、私を動かしてくれ。

 

そうしてくれるのだろう、京極堂……?

 

 

 

美しい目が関口を見た。

冷たく澄んだ黒い瞳だった。関口の妻は、あどけない顔をしている。生活苦をうかがわせない、いつも明るいその顔が、心配げにゆがんでいる。関口はそのきれいさにみとれ、微笑んだ。
ただ、熱が去らないだけだ。

「どうしちゃったんですか、タツさん――?」

「え――なんでもないけど……?」

関口は熱に浮かされたような口調で、そう言った。なんでもないよ、と繰り返すが、その言葉がすでに明瞭でない。酔いしれたようにろれつが回っていなかった。

「そうだ、午後から、京極堂のところへいくけど――」

ふふっと、薄笑う。その瞳は潤んでいたし、いつもシャキッとすることはない彼女の夫にしても、いくらなんでも、あまりにもな態度だった。

――へんなタツさん。

震える声で雪絵はつぶやくと、すっと顔をそむけて、台所へと逃げこんでしまった。
関口はその妻の悲痛なうしろ姿をただぼんやりと見送って、熱い溜息をつき、目を閉じた。

「ああ……」

自分の精神状態がただならないことは関口のかすかな理性も捕らえている。慣れ親しんだ鬱状態とも違う、浮き立った、明るい、それでいて自分では指一本動かす気にもなれぬような状態。

日がな一日薄笑いを浮かべて、そうして座りこんでいる。

白痴だ。

自分でもそう思わぬわけではなかったが、そう思うとよけいおかしくって堪らず、薄笑い、いつのまにか眠ってしまう。

 

どうしたっていうのだろうか……。
変わったことは、
     変わったことなど、なにも――。

 

 

関口は覚えていないのだ。

幾度抱いたか、数えてみる気も無いが、思い浮かべてしまい、うんざりとした表情を京極堂は作った。
抗わなくなったのは、この数回のことである。
手を伸ばすと、ふつうにしていた表情がすっと凍り付き、引き寄せて、口付け、殴りつけても、そのままでいる。

「関口」
声が尖った。腹立たしい、もう止めようとそう思いはするが。
「関口」
びくりと一瞬だけおののきがその細い身体に走り、すっと表情が固まるのを見ると、その顔に自らのものを重ね、覆い隠さずにはいられなくなる。
深く唇を合わせ関口のやわらかな舌を吸い上げる。口蓋をなぞり上げ、唾液を啜り、快楽にとろけた関口の舌を自分のなかへ誘いこんで味わう。ひくりと関口が震え、また舌が縮みこんだ。憶えている、のだ。こうされて、舌を噛み破られ、幾度も傷つけられている。

京極堂は唇をゆがめると、逃げ帰った関口の舌を追いかけ、強引に引き戻し、ぎりっと歯を立てた。
「うっ――……」

少し強く噛みすぎたらしい。のけぞった関口の唇が赤く染まり、はたはたと赤い血が垂れた。

「はあ…っ」
きつく閉じた目から涙が滲んでいる。痛みに弱い関口はたやすくなきだす。シャツの隙間に手を指しいれ、爪で乳首を引っかき、ひねり上げる。

「ひぃ、い…っ!」

痛みにのけぞり、身をくねらせる関口の身体が、押さえきれない熱を京極堂の身の内にも灯した。

 

 

      *

行為を終えると、ふらふらと関口は帰る。
何度くりかえしても、変わりは無い。

あまりにもそれは空しく不毛な行いだった。 

      *

 

明日が自分の葬式だとでもいいたげな仏頂面で京極堂は湯のみの水面を見つめていた。

関口の様子が最近普通でないことは、京極堂にもわかっている。様子がおかしいどころかその原因もよく知っている。
――多幸症じみた、無気力と放心状態。

雪絵さんが心配してらして――。

千鶴子がそう言った。
――あなた、どうにかして上げてください、あなたの得意じゃないですか。

気丈な妻が友人を思って涙ぐんでいた。

 

「関口君」

「な、に……ああ、きょうごくどう……」

うっすらと、関口は微笑み、唇を半開きにしている。二日と空けずに、関口は京極堂の家を訪れていた。

……そして、そうされれば、触れぬわけには、行かない。
まるで強いられているような気がした。関口は無意識だ。だが、快楽を憶えたそれは素直で強欲だった。
二人きりになってしまえば、京極堂が細心の注意を払っても、ふとしたきっかけで関口はあの顔になる。

  ――抱かねば、戻らない。

関口を見つめる目に、思わず険が宿る。強い視線で射られて、関口はびくんと身を震わせ、――すっと、目から光を失った。
表情が、弛緩している。

人形のようだ。なにもかも委ねきって、自分の身体も精神も、好きにしろとばかり投げ出す、――なんという無責任で、いまいましいほど、効果的に京極堂の『過ち』を責めるのだ。

ぐい、と関口を引き寄せた。

「ああっ」

ちいさく、声を上げる。憎らしいが、ほっとする。あの顔を見ていられず、結局、抱いてしまうのだ――。

 

 

****

腕の中に、関口がいる。

 

「やめないか……関口」

京極堂の胸へ関口が顔を押し付け、その下肢をまさぐる。

隣室には、関口の妻と、千鶴子がいた。
いまいましげに京極堂の眉間は寄っている。このようなシュチュエィションを望むような倒錯した嗜好は京極堂には無いのだ。

 

……ぐちゃぐちゃと、私から、なかみの溶け出す音がする。溢れ出しそうだ。だから、抜かれるのが怖い。こんなふうにどろどろにして、私から出て行かないでくれ、私のなかにいてくれ、私の代わりに、私を動かしてくれ。

 

そうしてくれるのだろう、京極堂……?

 

「そうしてくれるんだろう、京極……」

かすれた声が、煉獄のように甘く京極堂を責めた。

 

     ***

 

――そちらへ、お邪魔しても、いいでしょうか。

昼過ぎのことだった。

関口の細君からそう電話があった。二人で行ってもよいか、と問う雪絵の声がかすかに震えていた。かまわない、と応え、食事とそれからお二人で泊まれるようにとそう言い沿えた。長い話になりそうだった。

千鶴子に伝え、支度を頼む。千鶴子は、むしろほっとしたようだった。雪絵さんはたおやかだが、案外に芯の強い関口にはまったくもったいないほどの女性である。その彼女が一人で苦しむ姿をずっと千鶴子は案じていたのだ。

 

関口は、比較的正気だった。京極堂の話題の誘導のせいもあるだろう。まともに喋り、まともに食事をしていた。雪絵は明らかにほっとしたようすで、千鶴子とくつろぎ、かすかに笑顔すら見せた。

「関口君、『猫には明日が無い』と知っているかい?」

ざくろがにゃあと鳴いた。夕食が片付き、千鶴子が作った寒天と小豆の甘味が饗されている。夕食時は遠慮していたのか、姿をあらわさなかった猫のざくろが京極堂の膝に擦り寄った。

「ん、ああ……たしか、本だろう?ううん、詩、だったけ?読んだことがあるよ」

「詩でもあるがね。実際猫に明日はないのだ。過去も未来も無い。脳みその問題なんだよ」

「ふうん」
関口は猫のように鼻を鳴らして、京極堂を見つめた。身体がくたりと縮む。

「……脳のある部位に欠損が生じると記憶に影響が出る。その欠損個所の場所によって、『おもいだせ』なかったり『憶える』ことができなかったりいろいろだ。前頭葉と言う部位が、猫は人間と比べて致命的に少ないのだそうだ。そこは丁度、記憶の貯蔵庫にあたるんだ。……だからね、猫は思い出すことができない。未来とは、過去経験から類推される、予測にすぎない。そのうちの確かな予測を明日というのだ。確かな予測を得るには、膨大な情報が必要だ。ヒトはともかく、猫のそれでは絶対に必要量に足りない」

「……ふう…ん」

そろそろ眠たげに、関口は吐息を繰り返した。はっきりとしない、笑みらしきものがそのしまりのない口元に浮かんでいる。そんな関口に京極堂は酷く冷たい声で、そうしてると君は猫と変わりない、と言った。

「猫は、眠ってばかりだ、その石榴もそうだが目覚めているのは一日の数時間だ。後は夢見ている。君は、思い出すことが出来ないからだ。いや思い出そうと出来ないから、そうして眠るのだよ。起きて自己の脳みそのうちにとどまっていることが出来ないのだ」

じろりとこわい目で関口を見た。関口がうす笑っていると、京極堂はその骸骨のように骨ばった腕をぬっと突き出し、関口の腕を捕らえた。

「――君は忘れているのではない。それを憶えているだろう、だから、――そんななのだよ。考えないようにしているだけだ。意識によってアクセスを制限するあまり、意識を持つことが出来ない。

  記憶にとどまることが出来ないのなら、あとは――僕は『いま』になるしかないのかい?」

この場で抱こうか、君を抱きつづけていれば良いのかい、とさらりと告げた。
二人の妻たちは、腕を握り合う夫たちのただならぬ雰囲気に、注視している。

関口は酷く困った顔をした。

「あ、あ、わかったよ、わかってるから…その手を離してくれないか」

京極堂は凶悪な顔を作り笑うと、ぐっと関口を抱き寄せた。「なにをするんだよ、きみ……」小さく関口はつぶやいた。

「僕は君を抱いた。…セックスを強いた。いまでは、君が憎いよ」

それは関口の耳元へ囁かれた。

関口は酷く困った顔をして――彼の妻の顔をうかがった。彼の妻は――この酷い男の言葉が聞こえなかったのか、戯れる子供をみるようないままでになく安堵した顔で、――笑った。

 関口はわずかに泣きそうな…顔をした。

     ***

妻がわらっている。嘲って、いる。関口はだらしなく口を開き、その顔を見ていた。

甘い痺れが左の上腕からじんわりと広がっている。

 はぁっ……。

甘く息を吐き、恐る恐るその辺りに目線をやると、細くつよい指が関口の貧弱な腕を絡めていた。

 ( あ、あ、わかったよ、わかってるから……その手を離してくれないか… )

自分の口が取り繕うのも夢のように遠く、関口はこのみっともない話し方をする男を眺めているような気がしていた。そんなことよりも、つかまれた腕が痛く、あつい……、……。

 京極堂の唇がゆがむ。そのかたちは良く知っている。関口を貪り食らう、その寸前のかたち。何度も啜られた舌の先の傷からはほのかに鉄さびの味がする。

 ( なにをするんだよ、きみ……  )

 雪絵が笑っていた。それがひどく……怖かった。
関口はうつむいた。小さく足をかがめ、縮こまった。

 許してくれ……。

 

いや、許されるはずがない……。

 

      *

 

「きょうごくどう……」

妻たちは片付けを終えると、京極堂には茶、関口には酒肴を用意して先に休んだ。

じんわりと身体が熱を持っている。「しないのかい? しようよ…」

じっと手元の本に目を落としていた京極堂が顔を上げた。

この男のこんな顔なぞめったに見られるものではない。関口はおかしくって笑った。

そのおかしな顔をした男の唇を自分から塞いだ。つめたいその口の中に舌をさ迷わせて、噛んでくれるのを待つ。

「なっ、・……なにをするんだ、君は」

血が滴った。関口が京極堂の舌を傷つけたのだ。

関口は突き飛ばされ火がついたように笑い出した。ギョッとした京極堂が妻たちをはばかって、関口の口を塞ぎ、暴れるその身体を組み伏せた。

「狂って、しまったのか?関口君……」

  そう思うかい、京極堂……。きみがそうだというならそうなんだろうな……。

 関口は目を閉じ、恐怖と苦痛と、それがもたらす快楽に身をゆだねた。

 

 

       ***

 

 

なすすべもなく、関口の身体に手をかけた。もう…それは馴染んだ、しかしけっしてなれることは出来ぬ行為だ。関口から洋服を剥ぐ。

 ぐいと遠慮もなく関口の足を開く。淡々とせねばならぬことをする…ように、奥の蕾を潤し、自らのものを扱き上げて、突き入れる。あがりかけた関口の声を締め上げて塞き止める。口ごと鼻腔を塞がれる無体に、関口がかすかに首を振って抵抗をはかる。

「煩い。関口君」

「……っ」

手を、口からずらし、喉もとを押さえつける。脅すように力をこめ、喉仏をぐりっと親指で押し転がした。

「ふっ、ぐぅ……」

「声を出すんじゃないよ」

「きょ、京極……」

名を呼びかけた関口の目を冷ややかににらみつけ、首を締め上げて言葉をとどめ、関口の中を突き破るように腰を使った。

恐怖に関口が青ざめ震えだす、その振動が京極堂を煽るように直接に響く。

「いっ、いやだ。許してく、れ、…っつ、ゆるして……」

「もっと優しく罰してくれ…か?君は虫がいいねえ」

関口の喉につけた唇を震わせて、京極堂が嘲笑する。滴るような憎しみに、喉でも噛み裂かれるような恐ろしさを煽られて、関口はすすり泣いた。「ゆるしてくれよう……」 

「いうな、関口」

いっそ噛み千切ってしまうほどの力をこめて、関口の耳朶を噛む。ぎりっといやな音がした。関口が息を飲む。あまりの恐れに震え、竦み、京極堂のなすがまま、痛みに耐えて息を吐く。

(僕は君に許しを請わない、関口君)

どれほど責められようと、その責め苦は……京極堂の心にこそ心地よい。

これが罪だろうと、罰だろうと……。

           

京極堂は関口が苦しがりもがくのにもかまわず、つよくきつくひたすらに関口を抱擁した。