幻想絵画
byヨルノ カイガ
榎木津は少女に服を着せると、それを立たせて絵のモデルにした。あまりはかばかしくなかった。
また裸にして、横たわったところを描いたが、どうもしっくりこない。
幾毎も幾毎も描いた。
そのうち、疲れ果てて、二人して眠ってしまった。
話しかけても、娘は返事が出来ないので、自然と言葉もなくなった。幾日か二人だけで過ごすうち、娘は勘が妙にいいようで、榎木津の身振りで大概のことが伝わるようになってしまった。
少女は、簡素だがきちんとした料理を作った。日に二度は必ず食事を作る。作って膳に並べ、榎木津が食べようとしないと、それを咎めもしないが、ちょっと途方にくれたように膳の前をうろうろした。
榎木津はもともと食べるときは食べるが、物事に集中すると食の細る質で、食事は手のつけられないまま、捨てられることが多かった。
少女はずっと榎木津の家に泊まりこんでいたのではない。一日置きか、そのくらいには、どこかへ戻っているようだった。榎木津はたいして気にかけなかった。
絵の中で、女は苦しげに顔を歪めている。もう何枚目になるのか。手と足を結わえられ、あるいは猿轡を食まされ、さまざまにどれも淫猥なポーズに縛り上げられている。……限りなく、晴雨の作に近づいてはいる。
榎木津は、物言わぬ女を、きつく縛り上げた。白く細い脚を大きく開かせ、閉じられないように柱に縛り付けた。そしてそれきり、そちらを見もせず、ただ真っ白な紙だけに向って、絵を描き続けた。
*
――私は赤い着物を肩にかけられていた。暗い、部屋の中で、素肌にいちまい着物を被せられただけで、手や足や――内腿の奥までほとんどがさらけ出され、そこには縄が食い込んでいる。
手も足も縛り上げられ、柱に獣のようにくくられて、いる…。
ああ――目が眩む思いに、私は目を閉じ、手で顔を覆った。
漏れたうめきに、゜私゜は、目を開けて身動きならぬままに、私を見た。
*
その日榎木津は、関口の勤め先に顔を出した。
この日に榎木津が関口のところへ来るのは、珍しくない。関口の休みの前日へ来て、関口が終わるのを待ち一緒に帰ることも多かった。
だが今週は先のときの様子から、関口は今日は榎木津が来ないだろうと思っていたので、驚いた。
榎木津はいつもどおり快活だった。また今日も恐ろしい色彩感覚のシャツとベストを着ている。だが――関口はなんだか榎木津を見ていられなくて、彼を避けた。
いつもなら、必ず関口に絡んでくる榎木津も関口のほうへ来ない。
榎木津を中心に店はにぎわった。関口はただ黙々と働いた。酒を出し、作り置きのつまみをだし、片付けをする。
閉店間際になって客が引いたころ、カウンター席へ榎木津が腰掛けた。
「エノさん……」
じっと見られて関口は泣きそうな声を出した。
気まずい空気を察して木場が二人に割って入る。
「よぉ、榎木津――派手にやってたじゃねぇか。どうしたんだよ。やばい仕事じゃねぇだろうな」
「ん――キバシュウが心配するようなことはしてないぞッ。絵を描いてる」
「あの、絵かい?」
「ああ……うちにモデルがいるぞ、見にくるか?関口」
「美人か?」
木場は少々興味をそそられたように尋ねた。
「口がきけない」
榎木津にそう応えられて木場は鼻白んだ。「……おい」
「おいで、関口」
「……う、ん」
木場は榎木津と関口を薄気味悪そうに見比べ、呑みのこしの酒を呷るなり、「あんまりまっとうじゃねぇことには手出しするなよ、おまえら。――やっちまったら俺は捕まえるぞ」
木場の言葉に榎木津は、花が咲き零れるように笑い、関口の手を引っ張った。
*
関口は、こみ上げる吐き気を抑えた。そうして口を抑えていなければ、取り返しのつかないことが漏れてしまうような気がした。
榎木津の家は、明かりが落としてあって、そのうえそこかしこに、描きかけの絵が投げ出されている。関口は玄関で立ちすくんだ。
「え、えのさん…こりゃあ、足の踏み場もないじゃないか」
「なに。気にするな、失敗、失敗作ばっかりだッ!」
榎木津はかまいつけもせず、自分の絵を踏んであるく。さすがに関口はそういうわけにもいかず、ただ、なんとなく絵にも触れかねて、ただそっと避けて歩いた。
絵からは、目をそらしたかった。だが、目に浸入ってしまう。じっとりと、汗が伝った。目を塞いでしまいたかった。だが目を瞑れば、今度はこちらが曖昧になる。目を開けていれば、それは絵の中だが、閉じれば関口の脳裏のうちだ。汗が目に沁みたが、関口は激しく瞬きしてこらえた。
額の汗を、ぐいとぬぐい、顔を上げたときだった。
関口は、悲鳴をこらえて、強く、目を瞑ってしまった。
その女もぐったりと目を閉じていた。柱に結わえ付けられた、半裸の女。
関口は、口元を抑えた。強い目眩がした。目を閉じた。――すると、女と自分の区別がたちまち曖昧になった。こらえて目を開けた。かすれたうめきが関口の喉から漏れ、それに反応して、淫猥に縛られずっとそのまま放置されていたらしい少女が、首をもたげた。
「あ、あ…っ」
「……なんだ、関?君はほんとにサルになったか?」
「え、エノさんっ!こ、この女性は、どっ…」
「ああ、もう。下手な人語を無理に喋ろうとしなくてもいいぞ、関。言ったろう?モデルだよ」
ぐらり、と関口がよろめくのを、榎木津がぱっとささえた。そのまま腰を抜かした関口を床に座らせてやる。面白そうに榎木津は関口をじっと見つめていた。
「……ずっと、縛られていたのか、ずっと、そうして、……それじゃあ、僕は、僕は…」
「――いいや。違う。この女は、かの絵の女ではないぞ。関――このおんなじゃないから――僕にかけないんだ。だから、君を、呼んだ」
関口は榎木津の一言で正気を取り戻し、はっと我に返るなり、榎木津を見て、怯えたようにただ首を振った。
榎木津は、関口の視線の中で、女を戒めから解いた。関口はぼうっとしていた。目が、まだ、瞑ったままのような気がしていた。
ぽっかりと開いた関口の目の中で、女は縄目から開放されると、よろめきもせずに立ちあがり、身軽に動き回った。湯を沸かし、どうやら食事の仕度をするようだ。
関口は立ち上がれなかった。榎木津が関口の腕をつかんでいたからだ。
「関…」
榎木津は、細縄を手にしたままだった。その紐で、無造作に関口を後ろ手にくくると、彼は立ちあがった。関口は柱につなぎとめられたまま、動けなくなった。
*
(――っ、……)
私は、立ちあがれなかった。ただ、榎木津の姿を目で追った。
――気が遠くなりそうだ。
縛られた手首が痛い。榎木津は狂っているのだ。
どうして声がでないのだろう。やめてくれと、そう、彼に訴えることがどうしても出来ない。喉がからからで、うめくことすら出来ない。おしになってしまったみたいだ。
どうなってしまうのだろうかと、そればかり考える。怖くてたまらない。
ますます汗を掻いた。冷たくてじっとりとした厭な汗が、背筋を這うのにぞくりとしてしまう。身を震わせたとき、榎木津がこちらを見ているのと視線が合ってしまい、私の頭には血が上った。
ふふと彼は笑った。
私はうなだれて彼の視線を避けた。
*