彼は微笑んでいた。白い顔は美しく、人間ばなれしていた。ひょっとしたらその顔は彼のコレクションの気に入りの一つであるのかもしれない。あまりに整いすぎて、なにより彼の芝居がかった態度、皮肉めいた笑顔によく似合っていた。かれはゆっくりと話し出した。
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メルは、明かりをつけなかった。いつもの重く厚いカーテンで覆われた寝室とは違って、この部屋は、天窓から月光と街灯の光が差し込んでぼんやりと明るい。
甘ったるい奇妙な匂いがたち込めていた。それがメルの口にしている煙草からか、それとも先ほど無理やりに含まされた強烈に甘いアルコールの混じった飲み物のせいか、分からない。美袋は彼に気付かれないように小さく喘いだ。息苦しく、身体の芯が痺れるようだ。
手をひかれるまま、何も考えられず、ただ従容とここまで連れ込まれた。
何が起こるかは分かっている。それでもなお不安を覚えずにはいられない。今日は、それがとりわけ強い。いつもと違う部屋へつれてこられたこともあるし、こんなとき、常にあらゆる揶揄と嘲笑混じりに饒舌になるメルカトルが、微笑をたたえて黙ったままでいるせいもあった。
「美袋くん」
「なんだよ……」
「吸うかい?」
メルカトルの吸っているのはどうやら普通の煙草ではないらしい。甘ったるい匂いが彼の呼吸から漂った。げんなりと首を振ると、メルはそれではとばかり、灰皿になにかくべた。やはり甘い紫煙が立ちこめる。さながら阿片窟だ。差し付けられるグラスにも、甘さでごまかした薬物の味が残る。
ぐらり、と頭の奥がゆれた。眩暈がして遠近感がなくなる。「なんなんだよ、これ・・」
舌さえしびれている。呼吸が荒かった。
「ふふ。一夜の魔法みたいなものさ。すてきなショウをお目にかけようじゃあないか?美袋くん」
酷薄なメルの微笑。ぎらりときらめくハンティングナイフ。どこから出したんだ?半ば放心しながら考えるなかで、メルは練達した奇術師さながら、それを振り回して見せた。
軽く自らの腕に刀をあてがい、すばやく振り下ろした。あっと声をあげるまもなくメルの肘からしたがころんと転げた。血が噴出さないことをふしぎに思うまもなく、彼の指がすっとそれをなぞると、その手は元に戻る。
「あ、あ、…ッ」
あれは、絵空事、ではなかったのか?彼の語ったことは真実なのか。ぱくぱくと口を開閉する美袋に、彼は笑った。
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たぶんね、何かしらの才能を持った人間というのは多いと思うんだよ。才能、といっていいのかしらね、つまりこういった能力のことだけど。ただ僕は自分と同じ顕れ方をしたものは他には知らないね。たぶん無いのじゃないかな。
というのは、僕のこれは、一つの思い出がきっかけになっているようでね。
大本の才能は、もちろん僕は有していたのだろうけど、それがこういった形で現れたのはこのせいじゃないかな、と思うんだ。だから、当然他にもしもこの種の才能を持った人がいても、おのおのの趣味に根ざした顕れ方をしているだろうとそう思う。
いや、そうだね、こんなことを論じていても意味はないかもしれない。才能のある人間がそうそう他にも存在するかどうかもわからないし。
そう、君に聞いてもらいたいのは僕のコレクションのことだった。
オズの魔法使い、という映画があった。君は見たかな。二十年も前のことだね。もちろん僕は子供だった。ああ、アニメじゃないよ、実写のやつだ。当時はなかなか話題になった映画だったと思うんだけど。どうにも子供の頃だからね・・。はじめのシーンは良く覚えてるんだ。嵐の中でね、精神病院のガラス窓ががたがた揺れている・・女の子が怯えていてね。修道女みたいな制服を着た看護婦がその子を、ドロシーを呼ぶ。
無表情で喋る女のひとってなんだか恐ろしいんだ。女の子は歯医者の治療椅子のようなものに座らせられて、ベルトで手足を結えられて、頭に電極なのかな、黒いコードをくっつけられちゃってね。ロボトミー手術かなんかの実験台にされちゃうんだ、なんて僕は思ったくらいだった。
とにかく異様な雰囲気の精神病院が舞台だったからね。嵐はどんどん酷くなっていって、さあ女の子の頭につけられた得体の知れない機械のスイッチを入れるぞ、というときになって、雷があたりに鳴り響いて、落雷する。
ドロシーが目を覚ますと、そこはオズの国なんだ。まあいくら君だって『オズの魔法使い』くらい知ってるかな。ブリキの兵隊に臆病ライオンとあとなんだったか・・まあいいさ。
僕が引きつけられたのはあの魔女だよ。綺麗な首をたくさん集めていたあの女さ。衣装箪笥を開けるとずらりと美女の首が眠っている。ブロンド、ブルネット、赤毛・・すやすや首だけで眠っている。ドロシーは首を取られそうになって逃げ出しちゃうんだけどね。鍵を持って。口々に首がドロシーを咎めたてる、あのシーンはきれいでおぞましくてずっと心に残ったよ。僕は少年にしてはきれいなものやひとが好きだったからね。
まあでも映画のはなしだ。そんなことをずっと思い詰めていたわけじゃない。最初のコレクションが黒髪の少女だったのは、まあドロシーのことが頭にあったのかな、とも思うんだけどね。
僕がこれをはじめて使ったのは自分の身体になんだ。きれいな刃だろう?まだ学生だった僕にはなかなか高価なものだった。いまみたいに自由に出来る父の遺産もなかったしね。ゾリンゲンの狩猟ナイフだ。
自殺しようとしたんだよ。若き日の気の迷いだ。いま思うと馬鹿馬鹿しい。滑稽だね。人間でいるのが嫌だったんだな。そんなオーソドックスな理由で、方法も実に正道だった。手首を切った。でも僕はご存知だと思うけど、少々ナルシスティックなところがある。無駄な傷が一筋でもあるのは嫌だった。というわけで、下にはまな板を用意して、やくざ映画でほら小指なんかを詰めるときの要領だね。大根か何かを真っ二つにする勢いで突き立てた。
いや、傷は残ってないよ。だいじょうぶだ、ちゃんとこれは僕の手。
狙いが外れた訳でもない。手首を貫いてナイフはまな板にまでつき刺さった。血が流れなかったな。まあまだふかぶか刺さったままで抜いてなかったから、そのせいかともおもった。
痛くもなかった。だけどそんなときそんなことは不思議とも思わない。そのまま力を入れて手を切断にかかった。まな板の方が固かったね。ちょうど関節のところだったせいでもあるかもしれない。
完全に切断したというのに、血は一滴も流れない。おかしかったな。呆然としたし。自分の手を自分で拾い上げる気分ていうのはなかなかのものだ。断面は桃色で、こう、粘膜っていうか、口腔内の頬肉のようなピンクの肉に覆われていて、所々血管が赤い銅線を包んだ白いコードみたいだった。
しばらく弄ってみたね。感触はあるんだ。それがいちばんの不思議だ。
神経も繋がっていないのに。
ただ麻酔をかけられているみたいに遠いかんじが多少する。傷口にも触ってみた。指で触るのがなんだか躊躇われてね。舌で、舐めてみた。そう、そこはすごく敏感になるようだ。
うーん、まあ少々変な云い様だけれども、エレクトした亀頭の先端を触るような感じだね。
これは人間じゃないな、と思えたよ。愉快だったね。あれ、僕は本当にこれじゃ人間ではないじゃないか・・て。
と同時にそう、オズの映画のことを思い出した。あれ、精神病院からはじまるでしょう。冒頭は怖いけどね、はなしは、まあ童話だ。夢と希望のファンタジィなんだ。だけど、あれはずっとドロシーがみている狂気の世界なのか?そう暗喩しているのでは、という解釈をしてたんだね、幼いなりに。
僕も、これは認識できていないだけの、狂気の幻想なのかって疑問に思ったよ。なんせ自殺の決行中だ。精神病院で頭にコードを結えられているのと同じくらい自分の正気が疑わしい状況だしね。
で、首を切ってみることにした。もう死ぬ気は無かったね。そんなことは吹っ飛んでしまった。
痛みがないからね、簡単だった。もちろん生きていたよ。でなければここでこうして君を相手にコレクションの披露も出来ない。
**
「これは単なるマジック。ほら」
ぽいと精巧な人形の腕を美袋に放る。
「手を無くしてしまっては君を楽しませられないしね。さて。本当のマジック・ショーはここからさ。さあ、美袋くん、協力してくれるだろう・・」
ぐいと、刃が差しつけられる。婉曲した銀の刃先は、切れ味はにぶいようだったが、それでも簡単に美袋のシャツのボタンを跳ね飛ばした。胸元を裂かれて、酔いの回った頭と身体では逃げることもできず、目をぎゅっと瞑っていた。がたがたと震える私に、メルは微笑む。
この狂人に、こんなふうに切り刻まれて嬲り殺されるんだろうか。
「安心したまえ。殺しやしないよ。僕は『殺す』なんて馬鹿なことはしない。おもちゃは、壊さない主義なんだ。――フフ、ただ君をばらばらにしたい、とは思っているけどね。ばらしても壊れないなんて、すばらしいだろう?」
美袋の心を読んだかのように彼は独白した。どこまでがリアルで、マジックか、それともドラッグのもたらすトリップなのか、すでに判然としなかった。
わめくばかりで身動きも取れないのは、すでに片腕を外されているからだった。
「君の腕はこうしてみるとなかなかきれいだね」
くつくつと笑い転げながら、メルは彫刻を鑑賞するように、腕をくるくると回した。肘のちょっと先でぷつんと途切れたくの字の腕は、生きたオブジェだった、まさしく。
「や、やめてくれ・・」
「感触はあるだろう? そら、キスしてあげようか」
「やめてくれッ返して、返してくれ・・」
「僕の腕を返しておくれ――?」
声を立てて彼は笑った。