口癖 京極堂×関口
某月某日 口癖 その壱 京極堂×関口
坂の上の古書店は、主の不景気な顔――まるで、明日にも店じまいをして夜逃げか首くくりをするとでもいったような深刻かつ陰惨な表情にも関わらず、賑わっていた。主の京極堂はいつもどおりの位置に座して、和服の袂に片手をしまいこみもう片手で書を手繰っている。
座卓の右手には木場修太郎、そこから右回りに青木、主人の妹の敦子、それからお調子者の鳥口と、今日はやや社会的に真っ当な部類の人間がそろっていて、賑やかさにも節度がある。
「うへぇ、そいつは不思議な話ですねぇ」
敦子が持ち出した世間話にすぐさま深く頷きそう漏らしたのは鳥口である。京極堂はいままで話半分に聞き流すようだったのだが、この粗忽者の代名詞のような男の言葉に一つ息を付いた。
「その話しのどこが不思議なんだい。こうこうこうで
(中略―スミマセン)こうじゃあないか。だいたいだね――この世には不思議なことなどないのだよ、関口君」
ふと、辺りには水を打ったような静かさが広がった。
主の右手にはぎくりとした顔で黙る木場、口を半開きに固まる青木、きょとんとした顔で思わずきょろきょろした鳥口に、それからにっこりと笑ったまま無言の敦子がいる。
それからお茶を入れなおして、盆にのせてきた千鶴子がいる。
「お姉さん手伝います」
「ありがとう、お願いするわね」
「どうもすみません、いやぁ千鶴子さんのいれたお茶はどうしてこう美味しいんでしょうかね」
「ああ、うめぇ茶だ」
「まぁどうも、粗茶ですけれど」
「師匠、よっくわかりやした。いやあ、さすがだなーなぁるほど!」
コホンと一つ堰払いをして京極堂は密かに掌に滲んだ汗を拭った。
某月某日。 口癖その弐 京極堂×関口
坂の上の古本屋は今日も賑やかである。主人の人生の深淵について悩みこむような眼差しはともかくとして。しかし、その目線が落ちている先は「艶本恋雀」などという怪しげな題名の踊る、人生とはなんの縁もなさげなものではあるのだが。
京極堂は定位置に座している。その右手には寝転ぶ榎木津、隣りに益田に鳥口、それから古書肆倫敦堂の山内氏、主の美人の妻と妹というやや華やかな顔ぶれだ。しかしこの座敷、毎度のことであるとはいえ、これだけ人がいると暑苦しくないものか。と著述者の疑問はさておく。
さて、益田の提出した疑問を、捏ね回して難しくした敦子を京極堂が嗜めた。だいたい、敦子も娘ながらに雑誌社のライターを兼任しているゆえか、不思議好きなのだ。
「――だから、その話しのどこが不思議なんだい。こうこうこうで
(中略―スミマセン)こうじゃあないか。だいたいだね――この世には不思議なことなどないのだよ、せき・・ぐ・っ」最後で声を呑み込んだ為、主は噎せ返った。
「んむ!関だと?来たのかッ、どこにいる!?」
むっくりと榎木津が起き出した。
ぐるりとあたりを見まわして、
「いないじゃないかッどこへ隠した京極ッ!」
「・・エノさん、来てないよ関口は」
「じゃあなんで呼んだんだ、おかしいゾ!」
どこに隠した、出して見せろと榎木津に詰め寄られて、彼としては珍しく狼狽するていに、その他の一同は笑う。
「どうしたの、京極君は?」
「いいえ、なんでもないんですよ、兄はあれが口癖みたいで。困ったものです」
「不思議なことはないのだよ、って?」
「ええ、不思議なことなど、ないのだよ、関口君、って」
「ははは。そりゃあおかしいねぇ」
山内氏は敦子と楽しげに笑いあった。
某月某日 口癖その参 京極堂×関口
坂の上の京極堂は、本日はひっそりとしていた。毎日のように誰かが来ているような気がするこの本屋にも、来客の無い日というのはあるものらしい。主人のいつもどおりの仏頂面には微塵の変化もないにしても。
金華猫の石榴が間延びした声で主を呼び、その膝に手をかけた。とんとんと掌で京極堂の膝を叩き、乗っていいか?と問うように首を傾げる。
「ダメだよ、石榴。この本は稀少本でね。お前は膝に座るのはいいがすぐに手を出すから」
「な〜お」
「縁側で寝てなさい」
猫はしばらく主の膝を恨みがましそうに見ていたが、やがてぷいと部屋から外へと姿を消した。
「まぁ、不思議。ほんとにあなたと石榴ってお話できるみたいなんですもの」
「不思議ということは無いさ。猫というものは――
(中略―スミマセン)なんだよ。だからね――」優しい奥方は、はんなりとした微笑みを浮かべて頷き、「お茶いれて来ますね」といって席を立った。
「この世には不思議なことなど――」
京極堂ははっと自分の独り言を意識し、言葉をとめると苦笑した。だがしかし、いいかけた言葉を中途にするのは気分の悪いものである。
「――ないのだよ、関口君」
からり、と障子があいた。
「ないって、なにが?」
障子の影から顔をだして、オドオドとこちらを窺う。
「来ちゃ、まずかったかい、なら戻るけど・・」
京極堂はまじまじと関口の顔を見つめた。「なんだい気持ち悪いな、だいいちなんだって僕だってわかるんだい?障子もあくまえから」
「ふふん。不思議なことじゃぁないんだよ、関口君」