魔界都市新宿1

                             どくとるメーとせつらくん


 彼の姿は行くひとの視線をひきつけている。

 黒のコート、身につけているものはすべて黒という姿なのに、全身が紅く彩られている。

 血液だった。

 全身に血を滴らせ、かつ、出血はまだ続いている。

 それでも彼の足は乱れていなかった。

 <新宿>で一番のからくり人形師でも、こう上手く歩く人形は作れまいという優美な歩調で、黒く紅い人影は歩いているのだ。

 もちろん、血まみれの男が平然と歩いているくらいで驚いていては<区民>はつとまらない。

彼が視線を集めているのは、――その、あまりの美しさからであった。

頬にも紅く血を流してはいるのだが、それは彼の白い肌をなおさらひきたて、通り行く人々に禁断の『時よとまれ!お前は美しい――』そんな願いを抱かせずにはいられない。一幅の名画のごとき歩き姿であった。

秋せつら――せんべい店の若主人だ。

いつもの茫洋とした雰囲気はこんな凄絶なありさまでも変わりはないが――いささかその目にはうんざりしたような憂鬱さがのぞいている。

先ほどから、糸を使い止血は試みているのだが――この傷を塞ぐことのできそうな人物はただ一人だった。もちろんその旧区役所跡の藪医者へせつらは向かっている。

出血の度合いがだんだんひどくなってきているのだ。

「あと、10分かな」

待ち合わせ時間を気にするような口調で、せつらは呟いた。この歩調で歩きつづけ、目的地まであと15分はかかる。

せつらは仕方なさげに、片手を上げた。横をとおりすぎかけていたタクシーがけたたましい悲鳴を周囲にまで巻き起こしつつ、彼の要求に答えた。

「ドクター・メフィストのとこでさぁね!?」

「ああ。よくわかるね」

のんびり間延びした口調にまでうんざりとした調子が滲む。アクセルを踏みこんだタクシーの運ちゃんは興奮した調子で、――そりゃあ、秋せつら、さんだから――、となおさらせつらをうんざりさせる返事を返した。

「ううん。あと7分40秒――ね、間に合うかい?」

「7分――やってみせやす!」

「どうも」

あと7分30秒……致死量の血液が流れ落ちるまでの時間だ。

そうしたら、死人になって、病院へ行かねばならない。

手遅れではないが――かの医者の前では意識を失いたくはないせつらなのだ。

「間に合ったら、はずむよ」

「めっそうもない!こんな美人の膚に傷がついているのを男としてほっとけねえだけですから!」

「……あのヘンタイ医者みたいなこといわないでくれないか」

げんなりしたせつらは5分でつけてくれたタクシーにきっちりメーターどおりの金をわたし、メフィスト医院の門をくぐった。

 

「私が大事に保管しておくから、これはおいて行きたまえ」

「無駄口たたく暇があったら早く傷を塞いでくれ、このヤブ」

病院に入ったとたんはじめられた輸血で、悪態をつく気力くらいは取り戻し、せつらはさっそくそういた。

この二人の美貌を間の前にしながら、モノの役にたつ看護婦、男の医者、はいないので――またせつらの治療を人にまかせるわけもなく、よって、院長室にはせつらとメフィストだけだった。

相変わらず黒いコートからは血が滴っている。輸血する端から出血しているのだ。

「そういうならば、君も早く服を脱ぎ給え。傷が見えんだろう」

「見なくても直せないのか、やっぱりヤブ」

「着替えは用意してある。糸で裂きたまえ。その傷は不用意に触るべきではないぞ」

せつらは血でヌルつく指をかすかに動かして、血まみれの衣服をすべて切り裂き落とした。

薄蒼い光だけの差す院長室にまばゆい月光がさしこんだかと思われるような光景だった。

メフィストの細められたその目つきに、せつらは心底嫌そうな顔をする。

ほとんど傷ついていないように滑らかな膚なのに、血液だけが、あとからあとから滲み出し、白い膚の上をうねくっている。

「君の糸も取りたまえ。私が治療できん」

「……やっぱ、さわるの?」

「当たり前だ」

せつらがついたため息と同時に、かれの全身は炎に包まれたような錯覚を起こさせるほど華麗な緋に染まった。

「本当に君はこの膚を置いていったらどうだ。ゆるせんな」

「ぼくが自分の膚をどう扱おうと勝手。ほっといてくれないか」

「取り替えたほうが痛みも少なく、楽に直る。医者としてはそちらをお勧めする」

「なにがお勧めするだ。早く塞いでくれ」

「ふむ」

首筋の一本の亀裂をメフィストの指がたどった。傷が一瞬ふさがり、またパッと開く。開いた傷は、小さく浅くなっていたが、血は溢しつづける。三度目か四度目で、ようやくその一筋が消えた。

「痛い」

「痛いだろうな」

「本当に痛いんだけど」

「麻酔をかけると塞がらなくなる。この薬を使わないと完治しないが、麻酔と併用できない」

せつらはメフィストがケープの奥から取り出した二種類のアンプルを胡散臭げにみた。

「どちらがいい」

「どう違うの」

「よけい痛くなるほう」

と青い液体を差し出す。

「痛みではなく、快感中枢に感覚刺激をすりかえるほう」

と紅い液体を指し示す。

せつらは眉を寄せて、考えこむようだ。

「ちなみに、本治療はこうやって行う」

せつらの手を取り、メフィストは血を流す指を口に含んだ。

傷口を舌で何度か舐め上げられる。

「痛い。本当に痛い。わざとじゃない?」

「君が自分で止血もできないような傷がそう簡単に直ると思うかな?誓ってこの方法何れかだ。私はどちらでも」

「あとで、ぼくじゃなくて、<私>に相手させるから……って言ってもだめかな」

「……自分をぼくなどという男のする約束は信じないことにしている。だいたいこればかりは別の方法では痕が残る」

「痕のこってもかもわないよ」

「そんな中途半端な治療は私のプライドにかけてせん」

せつらは諦めて方法を選んだ。

 

 

 

 

どちらを選んだかをここに記すことはあえて控えさせていただく。