悪魔の黙示録

 

ライと連

ダークサイド・ラブソング・ワン

 

 

……昔と変わらない優しげな顔。かれは老いから、……時から隔てられているのだから

それは当然なのだ。

俺の主人。美しいケモノ。少年の顔と身体を持つ魔王……。

俺の身体は初めて会ったときには、かれとさほどかわりないものだった。俺の背が伸び

大人のものへと変化しても、かれは変わらず華奢な少年の姿のまま、初めて触れた時と寸

分の違いもないまま俺の傍らにある。

半年ぶり、かな……、かれと眠ったのは。 人間として力を得なくてはならないせいで

お互いに忙しい。

俺は皮肉なことだがグレゴリ―家の若き当主としての表の顔と仕事がある。かれは、…

…レンは、馬鹿な人間ども相手に人間として力を振るうゲームを楽しんでいるようだ。

ああ、レンも変わったところはある……あのころよりもずいぶん髪が伸びた。

それは俺も、か。

半身を起こして、長く伸びた自分の髪を掻き上げた。ベッドサイドのタバコを取って火

を点ける。

重く垂れたカーテンから一筋の光が漏れている。夜は明けたらしい。

レンはまだ眠っている。その寝顔は朝の光のなかでは奇妙にいとけなく汚れなくとさえ

見える。

ふと、昨夜の行為に罪悪感……汚した、などという思いが沸いて、俺は苦笑した。魔王

に向かって汚したもなにもないもんだな。

乱れたレンの黒髪を指で梳いてやる。

レンがふいに目を開けてふっ……と笑った。 なまめかしい、笑み。

身体を起こしてレンが俺に手を伸ばした。白い素肌の上に黒髪が滑り落ちて広がる。

俺のタバコを取り上げて自分の口へ運びながら、レンは、目を細めて俺を見ている。

「どうした、ライ」

クスリとレンが笑いながら俺に尋ねた。

「……いや、なぜ……?」

「ずっと見ていただろう。……そういえば、久し振りだったかな」

光のなかでは、目のやり場に困る。俺がレンの微笑みと白いからだから視線を外すのを

レンはなんとなくおもしろがっているようだ。 タバコが消されると、俺の首にはその手

がかけられ、レンの顔が被さって来た。

そのキスに応じながらも、俺はちらりと光を見つめた。

「朝ですがね、レン」

「良識めいたことを。私たちには関係なかろう」

深いキスに、ベッドに沈んでいく。

レンのからだに、夜の中に、沈んでいく。

身体を重ねて、完全に朝の光から遠ざかる瞬間俺はかれの耳元にささやく。

 

「俺は貴方にすべてを捧げていますよ」

 

レンの喘ぎに混じった嘲笑がそれに応えた。

 

 

 

 

かれは笑っていた。あの金髪のブタどもを水底へ沈めながら。

聖母マリアみたいにみえたあの優しげな顔が、もっと美しく強い悪魔の微笑を浮かべて

いた。

俺の救い主。闇のメシア。俺はあなたがくるまで、小さな闇のなかで光を怯えていた。

恐るべき大罪を胸に抱えて。神は俺を許すまい。死を、あいつの死を、あいつに連なる醜

いブタどもの死を願い続ける俺を。

 

初めから、俺は闇のなかに生まれていた。憎悪を胸に抱いて。

 

「私にその魂を捧げるか、ライ?」

 

 

あれは俺が十七歳、古い檻の中、神への呪いを心に抱きつつも、朝晩のミサに聖書を手

にしていたイギリスの学校……焼け落ちたあの学校での秘密。

 

 

「兄様、ねぇ、どうしたの。ご機嫌なのね」

「そうだな、シェリル、今日は良い日なんだ」

小さな妹。俺はこの妹だけがずっと大切だった。レンに、俺の主に会うまではたった一

つの……。

「うん! わたしにもとってもいい日。わたしも学校お休みにしちゃうわ。ずっとライの

看病してあげる」

「看病か?」

俺が仮病で学校を休んだことはシェリルも分かっている。顔を見合わせて笑いあった。

「俺の学校ではいまごろ、パーティーが始まってるかな……」

「レンが代表なのでしょ? 良い日って…、おかしいの。ライ、いつもばかばかしいって

ミサなんか嫌いじゃない」

「今日は特別なのさ。お祝いしようか、レンのために。今日のパーティーの主役のレンに」

悪魔のパーティーだ。すべてが今夜消される。あいつらがみんな消えるんだ。

「へんなライ!」

シェリルはそういってクスクス笑った。俺の機嫌が良いことがただうれしいらしい。

「おいで、シェリル。どこか、ピクニックにでも行こう。今日は神に祝福されたような天

気だ」

 

 

レンはずっと眠っている。昨日の恐ろしい惨事に『奇跡的』に傷ひとつ負わなかった。

今日病院から家へ移されて、静かに眠っている。

「奇跡的に」「神の加護で」……かれが大事故の最中に行われていたミサの代表だった

ことからみながそう言い、神とやらの力だなどと愚かしくも思っているらしい。

俺は込み上げてくる笑いをこらえるのに苦労したものだ。なんて脳天気な愚かものども!

すべてかれがしたこと。かれの大いなる力によって、災厄はもたらされたのだ。

真夜中、屋敷中が寝静まるのを待ち、俺はレンの部屋を訪れた。誓約のために。いや、

これは、悪魔との契約………。かれが本物であることが確かならば、ためらうことは何も

ない……。

「レン、まだ眠っているか……?」

「いいや。……もうすぐ私は眠りに就くがな」

暗闇の中でレンはベッドに身を起こしていたらしい。

闇に俺の目が慣れると月明りに照らされてまぎれもなく悪魔の目をしたレンが微笑んでいた。白いシーツで身をくるんだかれの姿は堕天使の絵そのままのように……。

「それで、ライ?」

笑いを含んだレンの声。

閉ざされた室内に生温い風が吹き抜けたような気がした。ざあっと身体中の毛がそば立

つような……。俺は妖気に息をのんだ。

悪魔が、美しい笑みを浮かべて、誘っているぞ……。

「――落ちて来れるか、ライ、ここへ」

ぱさりと音をたてて白い布が払いのけられた。

月明りにその裸身が露になる。俺は自分の身体が操り人形にでもなってしまったのかと

思う。

なぜこんなに美しい? 魔の誘惑だ。

……唇が重なる。闇そのものと交わっているかのようだ。

呻きたくなる。これはあまりにも強い毒だ。蝕まれて行くのが分かる。なぜこれが快楽

なんだ?

闇の中へ溶けていく。

ヤツの声が聞こえる、遠くで、俺の中よりも、もっと。

ヤツの手が、滑り込んでくる。どこまでも。俺のすべてを奪って行く。触れるたび飢え

ていく。

あまりの飢えに、俺はその身体を求める。だがどれほど深く穿っても、貪ってもそこな

しに飢える。

レンの甘い声、嬌声なのかそれとも俺が上げさせる苦痛の悲鳴なのか、俺のあげている

叫びなのか喘ぎなのか、入り交じって麻薬みたいに脳を痺れさせていく。

レンの細い華奢な身体を押し開いて貪り尽くしてやる。

そうしたとき、月明りに映った、眉をひそめた涙の浮かんだ顔が、あのレンに見えた。

俺はびくっとしてレンの顔をのぞき込んだ。

「レ…ン……」

くすっと笑う。その微笑みは優しいあの少年のもののようで俺が途惑うのもおかまいな

しに、レンは俺に口付けた。その頬を涙が伝っている。

身体は甘いまま。なぜこんなに切ない表情を浮かべるのだろう。

レンの頼り無い肩を抱き締めて、その上に覆い被さる。まるで悲しい恋人でも慰めてる

ような。

 

やがて訪れた朝の光に目を閉じて眠ったかのようなレンに、そっとくちづけて立ち去っ

た。

まるで恋人との別れのしぐさのようで自分でもおかしかったが。

 

 

「レンさんはまだ……ええ、口も開かなくて」

「無理もないですけども。あの事故のショックじゃ……。かれの親しかった友人が、どうやら彼の目の前で死んでるしね……」

「その子のことですか? お尋ねになりたいとおっしゃるのは?」

刑事と、義母の声がしていた。

「ええ、遺体に傷がないんです。それで死因が分からなくて。レン君がその子を庇うよう

に倒れていたので、何か事情を……」

「レンのところに行くんですか? 俺も一緒にいてかまいませんか」

俺はレンの部屋へと向かう二人に追い付いてそう呼び止めた。レンにあいつのことを聞

かせてはならないような気がなぜかしたのだ。どちらのレンにも。フレディのことは。

「ライさん」

「ああ、いいとも」

「あいつは……ショックを受けていて、あまり刺激するようなことをいってほしくないん

です。レンは何にも覚えていませんよ、どうせ」

「ああ、なるべく気をつけて聞くようにするよ」

刑事とレンの会話は短かった。というよりもレンはまだほとんど何も喋れないのだ。俺

との間にも夜二人のとき以外に会話はない。

だから昼間のレンがどちらなのか、俺には分からない。フレディの死の知らせに涙を零したレンは、あのレンなのだろうか。

 

数日後の夜、俺は再びレンの寝室を訪れた。 昼間、ちらりとレンがあの目で俺を呼ん

だように思えたのだが。

「やあ、ライ……どうしたの?」

「いや、……なんでもありません、レン」

「ワインは好きかい?

レンは赤ワインをグラスに注ぐと差し出した。かちりと触れ合わせて乾杯する。喉をの

け反らせて赤い液体をのむレンはこの前の夜と変わらず美しかった。

グラスを空にしたレンの手が俺の首筋に絡まり、引き寄せられた。重なったレンの口か

らはワインの芳香がした。

シャツを戒めていたタイがほどかれる。俺の唇がレンの首筋に落ちる。

闇の中に意識が沈んで、温かい肉の海に溺れる。

俺の身体はたった数度ですっかりレンに馴染んでしまったかのようだ。快楽を簡単に受

け入れて途惑いもなく蠢き出す。

喘ぎの合間に、闇の中で起き上がったレンが月光を横顔に受けた冷たい瞳で俺を見てい

た。

「このまえ、聞き忘れてしまったなと思ってね。私はもうすぐ眠りに就く。そのまえに君

の望みをきかなくては、ね。

君の願いはなんだい……君の魂の代価を告げたまえ」

ついに来た。俺は震えていた。いまさら恐れるものは何もないはずなのに。悪魔と身体

を合わせ、快楽を貪った後だというのに、俺の身体は震えている。

「あなたに、魂を捧げる。俺の何もかもを、すべてを捧げよう」

これは誓い。すべてを売りわたす恐ろしい契約だ。

レンが目を細めて俺を見た。望みは……俺の望みは……。

「ーー……」

声にならない言葉が俺の口から解き放たれ、その瞬間レンは艶やかに笑い、俺の唇を塞

いだ。魂を吸い取るように。

レンに抱き取られ俺はもう一度彼のからだに溺れた。口にした願いと、レンの上げ続け

る笑い声。クスクスと俺の愛撫に笑いを漏らすかれの唇を俺は塞ぎ、のけ反り逃げるその

身体を抱き締めた。

「力を分けてやる、ライ、おまえに。……この身に触れるがいい」

腕の中でレンの髪が銀色に変わった。目も身体も。触れたところが、すべて悲鳴を上げ

るように痛む。

身体の抵抗を押さえ来んで、俺はレンに口付けた。甘いものが滴り落ちる。何か、力…

…黒い闇の力がからだに満ちたような気がする。

「うっ、うわ………!」

闇の中に蠢く魔物の姿が、不意に目に映った。

「見えるようになったか? かわいいものだぞ、醜悪だが」

魔物たちはレンを恐れるように、恋い慕うように、群れ集っている。

「これで、こいつらはおまえに従う」

銀色の目でレンは微笑んだ。その身体がふわりと宙に浮き、シャツをまとった。

「部屋に帰れ、ライ。今夜は忙しくなるぞ」

「はい、――ご主人様」

「私は眠りに就く。目覚めるまで、この身を守れ」

ライは部屋の外へ退き深々と一礼した。

 

部屋の外へ出て自室へ戻る時には、すでに屋敷の中は騒がしかった。

「ライ!」

シェリルが寝巻姿のまま駆け寄って来た。

「……あいつが死んだんだろう、シェリル」

「兄様……? うん、そうよ。父様、死んじゃったんですって、いま、さっき」

「悲しいか、シェリル?」

「……ううん。でも、母様が……泣いてるの」

「そうか」

 

俺の表情は動かなかった。魂の代価、か……。

父が死に、俺はこのときサー・グリゴリーとなった。

レンはすべてを忘れ、東の果てへ戻る。

 

わが主よ、俺のすべてとなった魔王よ……。

           

 

「俺は貴方にすべてを捧げていますよ」

そう囁くと、レンは笑う。ベッドの上に広がった長い黒髪をはねのけてレンは悪戯っぽ

く微笑した。

「する度にいわれていたのでは、たんなる睦言のようだな」

「……真実なんですが」

「ふふっ……。まあ、な。私はおまえを愛しているよ」

くすくすと笑いながらレンがそう口にした。 驚いて俺はレンを見る。

「なにを赤くなっている?」

「いえ、いや……その、早く起きないと会議に遅れますね」

「ああ……」

ベッドから出るときのキスだけは優しい。闇の中では悪魔でも、どうして朝の光の中で

はこう天使のように笑うのだろう。もちろんその瞳の奥の冷たい光が消えることはないの

だが。

愛しているのかも知れませんが……もちろん愛する心も貴方に捧げてしまったので、俺

にそんな心が残っていたとしてのはなしですがね……。

 

                                     END

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