序章―物語の始まりー よるの かいが
彼はもう上着のボタンまでとめて、帽子置きに手を伸ばそうとしている。
和室にはまったく不似合いな、一人には大きすぎる寝台に横たわったまま、服部は彼を横目で眺めている。
白の上下というこの時代には珍しい洋装に、インバネス、シルクハット。
彼が何者であるのか服部平次は知らない。ただ、西洋趣味な彼のために、和室に無理やりベッドを入れ、帽子置きまで運び込んだ。
「結局帰るんやな、快斗」
布団で眠るのが嫌なのかと思っていた。ホテルでなければ許さない彼に。ベッドを買ってしもうた、と言ったら、簡単に服部の部屋に来ることに同意したので、当然、服部は朝までいられるものだと思ったのだ。
快斗は振り向いてもくれない。いつもなら、別れ際、少々のことは多めに見てくれる彼なのに。
やっぱり、まずかったんやろうか。
――、だが本来、よほど服部よりダメージが大きいはずの快斗は、服部が疲れ果てベッドに沈み込んだ隙にか、いつのまにか着替え終わり結局帰り支度をしている。
服部は起き上がって引き留める気にもなれなかった。限界までしていたのだ。腰もだるく、眠い。それでも服部は帽子を被り出て行こうとする恋人を引き止めた。
「待てや。快斗、わすれとるで」
んーっ、と口を突き出す。…習慣のキスは服部がはじめたものだ。
「しばらくおあずけだな、……おまえわざとだったろ」
帰したくなくて、起きあがれないようにと、キツクしたのは見え見えだったらしい。
……それで、追いかけられなくなっていれば世話はない、というものだが。
快斗は、扉をあけ、出て行く瞬間にこちらをちらりと見た。キスよりもイイくらいの、綺麗な流し目に服部は見蕩れる。
「ま、たまにはいいけどな」
離れているのに、耳元で囁かれたような気に成ってしまう。声は笑いを含んでいた。
鮮やかに服のすそを翻して、快斗は服部の部屋から姿を消した。……なごりに、快斗の足音が軽く響く。
服部は、かすかに微笑んでしまった。
快斗は足音を殺すクセがある。服部の自室は、服部探偵事務所のビルの半地下にあり、階段でいったん二階に上ったところが出口だ。……快斗がドア越しに聞き取れるほどの足音を立てるのは、初めてだった。服部の自分の腰が役に立たなくなるほどのがんばりは、まるきり無駄ではなかったらしい。
突然出来た恋人のことが、服部の頭を占めている。 今朝、いつもどおりの時間に二階の事務所へと出ては来たが、椅子には足を投げ出して座り、とても仕事をする体勢ではなかった。
服部探偵事務所は服部と、もう一人職業婦人の事務員からなる小さなものだ。鑑札は受けているのでモグリではない。
仕事は犯罪にかかわるものが多かった。服部の探偵を始めることになったなったきっかけが、予告殺人を未然に防ぎ犯人を捕らえたことであったためだった。
……まあ、だから、事件のないときは暇なものだとも言え、今は差し迫った事件の依頼はない。
目を通さなければならないはずの資料を、いいかげんに読み飛ばし、事務の女性に押しやる。彼女は断髪にしているのにけして洋装はせず、今日も地味な矢絣の着物で背筋をぴんと伸ばして机に向かっている。
顔を上げた彼女の視線から服部は目をそらした。
彼女はなにも言わずに、いつもどおりテキパキとそれらを片付けてくれる。
話しかけても、最近の服部は生返事するばかりなので、あきらめているのだろう。
――しょうのないこっちゃとは思うとるんやけどな、どうもあかんわ。
いっそのこと事件でも起ればいいと服部は思う。そのくらいしか、自分を正気に返すすべはなさそうなのだ。
まるで恋煩いやもんなあ、ほんましょうもないわ。
「尾行調査でもしたろかな」
――つい、そんなことが口を付いてでる。
黒羽快斗――名前しか知らない。
どこに暮らしているのか、仕事も、連絡先すら、彼は告げない。
いつも別れ際に、次の待ち合わせの時刻と、場所を言い残して行く。
一度でも、約束が果たされなかったら、そのまま二度と会えなくなってしまう――いつもそんな不安を与えられる。
次の約束を快斗が言い残していかなかったのは、今朝が初めてだった。
といっても快斗は服部の部屋を知っているのだから、向こうから来るのだろうけれど――。
しばらくおあずけ――ってなんや。
まったく一方的な話だ。
名前から彼の居場所を突き止めることだって、探偵の服部にはできる――だが、快斗はそう名乗ったときから、服部が探偵であることを知っていた。
黒羽快斗とは本名だろうか――と思わずにはいられなくなる。
服部は、顔を歪めた。
名前まで嘘だとは思いたくなかった。
アイツ、なにもんなんや――、ただ単に後腐れなく別れるためなんか――。
ベルの音がけたたましく服部の思考を遮った。
立ちあがった彼女が、すぐに壁に据え付けられている電話機の朝顔型の通話口を取り、応対を始める。
「センセイ、服部総監からですわ。大事なご依頼だとおっしゃっておられます」
無言で立ちあがり、服部は通話口を取った。緊急の事件の依頼ならば、警視総監たる服部の父からではなく、付き合いのある警部から来るはずだった。父からの依頼など、服部が断りたい厄介ごとに違いないが。
「……届いとるか」
「なんか送ったんか」
「以前に作った奴は入らないやろうとおもったんや。おまえが服を仕立てさせてるとこに燕尾服を一揃いあつらえさせたった。着て見るんやで」
「……見合いでもせえいうんか」
とんでもない。
「資料も送ったはずや。十日後の博覧会。宝石展やぞ」
そういわれても、服部にはなんのことやらさっぱりわからなかった。読み飛ばしたどころか、かけらも目にしていなかったようだ。
「怪盗キッドは知っているやろな」
意外な名前に、服部に緊張が走る。もちろん知っている。八年前に世間を騒がせた鮮やかな怪盗。白いシルクハット、モノクルからのぞく美貌という評判、変装と奇術を駆使した盗み、おまけに予告状。
少年だった服部の心を騒がせた物だった。 怪盗キッドが、八年ぶりにその宝石展に予告状を出したということか?
「八年ぶりなんやろ、どっかのあほが悪戯したっちゅうことは」
その答えは服部の父が言うまえに、目の前に差し出された。気を利かせ、探してくれた資料が、服部の前に差し出され並べられる。
それによると、ここ一ヶ月で、世間は怪盗キッド復活に沸きかえっていたようだ。
すでに二件の事件があった。
「俺は事件でいそがしかったんや…このころは」
と同時にちょうど快斗との付き会いが始まっていて公私の忙しさに世間から取り残されていたらしい。
「ちなみに、予告状の紙質、インクが八年前とも、先の二件とも一致しとる。本物と見て間違いない」
「……で、怪盗キッドを捕まえて見せろいうんやろ。なんで、燕尾服がいるんや」
「ダンスは忘れとらんやろ、平次。習わせておいて、ほんまに良かった」
「意味わからんいうてるやろ」
「依頼は、キッドを捕まえることやない。美女の首に下がった宝石を張りついて守ることや、役得やろ」
資料から宝石展の詳細を読み、服部は脱力した。
「お前が男前でほんまに助かったわ。……まったく、ダンスが出来て、見栄えのいい刑事なんぞそうはおらへんいうんや。全国からかき集めとるんやで」
「なにあほなことやっとるんや、お上のやることはようわからん」
電話の向こうでため息が漏れて聞こえた。相当うんざりしているようだ。仕方なく、服部は承諾し、通話を置いた。それに、怪盗キッドがらみでは、断れるはずもない。
『BlueBirthday(インド最大のサファイア)盗まれる!怪盗キッド復活!』
『またもや現る怪盗キッド!GreenDream(世界最大級エメラルド)盗まれる!』
新聞には大きな見出しが踊っていた。 今回の博覧会で行われるキッドが予告を出した宝石展舞踏会――宝石展の最終日に、宝石で身を飾ったモデルが踊るのを招待席から見物させるという趣向の舞踏会についても詳しくのっていた。
招待客のリストまであり、各国のお歴々や皇族も多い。必死にもなるというものだ。 宝石展で目玉となっている、4っつほどの最大級の宝石、その一つを奪うという予告状であったらしい。
どれを奪うというのか?それともすべて?いや、怪盗キッドならば、予告状どおりだろう。
どうやって盗む?……彼は変装の名人だ。モデル?いや、しかし30歳は超えているはずの男性が二十歳程度の女性に化けおおせるか?やはり、エスコート役の男とすり替わるつもりか?
面白いやないか、直切対決といこうやないか!怪盗キッド!
思考を集中させることができる事件が持ち込まれたのはありがたかったかもしれない。
これほど魅力的な謎があいてでなければ、きっと、彼という謎のほうが頭を離れなかったろう。
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夕刻、事務所は早仕舞いして、部屋で届いた燕尾服を着こんでいると、すぐ耳元から声がした。 「……こんなところでパーティでも開くつもりか、変わった趣味だ」
「……!快斗、なんやお前」
「……なんだよ、俺のために着飾ってんじゃねえとでも? ――いいよ、どっか出かけるんだろ、帰る……また来るから」
服部が身体に合わせるために着ていたものを、出かける仕度と見て取ったのだろう。
快斗は、くるりと振りかえって出ていってしまいそうになる。
一瞬早く服部が抱きとめなければ、消え去っていただろう、いつもの別れ際と同じく、振り向きもしないで。
「快斗……」
抱きしめたままの囁きに快斗が背中を預けてくれる。
「なんだよ、やっぱり俺を待ってたのか、そんな格好で」
「これは、仕事着や!」
「燕尾服の探偵がどこにいるんだよ、服部」
「……宝石展の舞踏会に、警護頼まれてん。これきて、仕事や。今は合わせてみとっただけやで」
「……博覧会の、やつか」
「そうや、だいたい、怪盗キッドみたいなカッコの泥棒がおるんや、燕尾服の探偵でつりおうとる」
快斗は服部の腕の中で、ぱっと振り向いた。……相変わらず、身のこなしの綺麗なやっちゃな、と見惚れていたら、快斗の指が服部の襟元にすべり込んだ。
「……脱げよ、服部」
「どうかしたんか、快斗」
「脱げったら!」
するりと快斗の指が服部の首まわりを走り、蝶ネクタイを床へ放った。
「そんな、あわてんでも」
「仕事着なんだろ、これは。……俺といるのに。脱げよ。脱がなきゃ、触らせない」
快斗の背にまわそうとした腕を払い落とされ、閉口していると、すぐに快斗の手が、シャツのなかまでもぐりこんでくる。
「そんな服なんて、関係あらへん。俺はお前といるときは、どうせ仕事のことなんか考えてへん。快斗のことだけや」
快斗の台詞を子供みたいなわがままや、としか服部はとらえなかった。
服部の言葉に、やっと快斗は服部の手が自分に触れるのを許した。
快斗の手でボタンのすべて外されたシャツが上着ごと床に放られる。サッシュベルトが解かれ、ズボンを引きずり下ろされる。服部の指も快斗のボタンに絡んだが、快斗ががむしゃらに服部の服を剥ぎ取っていくので、一つも外せない。
服部を脱がし終えて、快斗は身体を摺り寄せて、片腕で服部の首を抱き寄せながらもう片手が、服部の指と協力して、ボタンを外していく。
その間にも、快斗は、腿を服部の脚の間に割り込ませて、直に服部の熱を煽るようにすりあげる。快斗のそんな姿を見せ付けられているせいもあるが、不覚にもそれだけの刺激で、息が乱れて声がうわずりかけるのを服部は押さえて言った。
「こんなとこでいいんか?」
「……鍵なら俺が締めた」
「ええなら、ええけど」
抱きしめて、キスをする。ようやく全部が触れ合った。
お互いが熱い。玄関の前、さっきまで服部の燕尾服姿を映し出していた大きな姿見には、もつれ合う二人が映っている。
快斗の滑らかな背中がうねるのが見える。それを目で追いながら、白い肌に影を落とす肩甲骨を指で辿ってみる。背骨の溝を最後までたどって、行き付いた所を指で触れる。
薄く色づいているそこに、つい視線が行く。たどった瞬間に、かすかだが、鏡のなかで快斗の白い丘が震えたようだ。
「…はっとり」
蕾をたどる指を快斗は掴み止めて、引っ張った。服部の指を自分の口元まで持って行くと、唾液を絡ませ始める。
「……そやったな」
「ん……」
服部の指を口に含んで、その指で舌に触れられて、快斗が甘くうめく。
快斗の唾液を滴らせた指を、服部はそっとひくつきはじめるそこにあてがう。ぬるりと潤んだ指を、快斗は受け入れさせられる。
「……っつ、立ってると、キツ、イ」
「……ちょお、待てや」
いったん奥まで深く抉りぬいて、そこを湿らせてしまう。
「ひっ!あ……っ」
急な動きと、引き抜かれた感触に快斗の声が跳ね上がった。 片手で快斗を支えたまま、宝石展に関する――怪盗キッドに関する資料が広げてあったテーブルから、それらを払い落としてしまい、快斗をその上に仰向けに横たわるよう促す。
片ひざを立てて、もう脚など開ききりながら、快斗は、服部の肩をつかんで引き寄せた。さすがに2人分の重さを軋む音が訴えている。
「も……っ、早く、来い」
服部の腰に脚が絡みつくように締めつけてきて、まだ無理そうなのにという気遣いも忘れさせられる。服部は快斗の片脚を抱え上げて、あらわにさせたまだ綻びかけたばかりの蕾へ張り詰めた己を飲み込ませた。
「うっ……ふう…っ!」
……やはり、まだきつすぎたようだ。快斗の歪んだ顔はどちらかというと苦痛ばかりを示していて、服部は収めたところで動くのを止めた。
辛いはずなのに、快斗の腰は焦れたように揺れ、服部の動きを求めている。
キスでなだめようとしたのが、激しく舌を絡められ、腰を押し付けられて、ぐっと付き入れてしまう。
「あっ、あ……動け、よ、やれったら、あ、っ!」
……服部のも、限界に近い。がたがたとテーブルが動くのもかまわず、激しい抜き差しを繰り返して、貫きぬく。
「……快斗」
「こうしてる、っ、ときだけでいい、から…っ」
「快…斗……」
喘ぎに混じって、こうしてるときだけ、と掠れた声で繰り返す。
「探偵でなくなれよ」
どう言う意味なのか、なぜそんなに快斗がそうこだわるのか、服部はいぶかしんだが、とうとう声にならなくなった快斗の嬌声に、そんな疑問はまぎれてしまった。
続きます……