甘い針

                        よるの かいが


   

 関口はごろりと畳に身を横たえていた。
 その手元には原稿用紙とペンが盆にのせられて散らばっている。この男はうつぶせたまま、仕事をしていたものらしい。いや、寝転がったまま仕事をするというポーズだけはそろえて、ただ寝転がっている…だけになってしまっている。

 そのうち、ごろりと伏せたまま、身動きし、本を取って、読み始める。本好きの彼の友人が見たら眉をひそめて、必ず何がしか言いそうなものだった。

 関口とて、ずっと寝ていたいものでもない。いくら亀々と言われていたってじっさい関口は脊椎動物なのだから、そうそう這っているのも体に辛い。

 だが、今朝から、関口は亀のようにじたばたと、畳を這いつつ仕事をしていた。

「タツさん。やっぱり、お医者に行かれないと……どこか痛いんでしょう?」

関口が身じろぎ、そのとき走った痛みにおもわず顔をしかめて、はっと息を呑んだのを見たらしい雪絵が心配げに声をかけてくる。

「いっ、いや。なんでもないんだよ……その、ほら…どこも痛めてない……」

関口はなぜか赤面し、しどろもどろに口走りながら、立ちあがって足踏みして見せた。

 それでも、雪絵はしきりに医者に行くことを勧める。転んだだけといっても……となんども重ねて関口の身体を心配した。

そう今朝方のことだ。寝起きの関口は家の濡れ縁でみごとにひっくり返ったのだった。

「な、んでもないよ、そうだ、ちょっと、でてくるよ……」

関口は逃げるように家を出た。

 

行くあてとてなく、その身体の状態では遠出する気にもなれず、結局向かったのは不機嫌な主のいる古書店である。だらだらと続く坂をだらだらと上りきり、関口は息をつく。

  彼を尋ねるのは一週間ぶりのことだ。夏のことがあってから、しばらく小さなことに関口は失調しては、その度、彼の世話になってきた。声を聞くだけで十分なときもあるし、そうでないときもあり。いやそうでないことのほうが多かったか。たいてい、彼のところに自分から向かうとき、関口はそう…なっていた。それをお見通しなのか、それとも関口が、分かり安すぎる合図を我知らずしてしまっているのか…。

しつけられた犬のように、鐘を聞いて唾液の分泌量が増えるというあの犬のように。たやすく、鼓動があがっている。

それが、坂を上がったせいなのか、それ、によるものかは、関口には隔てがなかった。ただ自分の荒い息が恥ずかしい。その羞恥も、そのままその行為を連想してのものなのか、たかだか坂道を上がっただけで息切れする情けない自分へなのかも、よく、わからぬ。

「――……」

声をかけて、からりと戸を開けた。

不明瞭なまま、関口はここを訪れる。だからいつも不明瞭な声でしか呼びかけられないのかもしれない。

「やあ、センセイ。お出ましじゃないか」

京極堂は、いつもの席に座していた。手にしたさも歴史ありげな本から顔も上げない。

「おじゃまするよ……京極堂」

珍しく断るとのそのそと背をかがめ、いつもの席へ関口は身を落ち着けようとし、そのまま中腰でなにかを探すようにうろうろとした。

「……どうしたんだい」

「ど、うも、しないよ。うん…君、なにを読んでたんだい」

ぎこちなく笑いながら関口はいい、おそるおそるといったしぐさで身をかがめた。座りかけ、そしてあきらめたのだろう、座布団を抱えるとよく榎木津などがしているようにごろりと腹ばいになって、非難を恐れるように主をうかがう。

「おいおい、来てそうそう寝転がるとは失礼な男だ…、と言うと思うかい?……どこを怪我したんだ」

「――っ!」

びく、と関口は背を震わせた。「……ほっといてくれ」と陰気に呟き、座布団に顔を伏せてしまう。

「関口君。腰、いや、とくに尻が辛そうだけれども。まさか僕のせいじゃあるまいね」

「………」

関口はひきつけを起こしたような顔で京極堂をにらんだ。

涼しい顔で、京極堂は際どい事を平気で口にすることがある。

「……雪絵さんから電話があったね。今朝君が転んでから仕草がおかしい。どこか痛めているようなんだが、なにやらはっきりいわない。君には子供のようなところがあるから…、酷いようなら医者にかかるよう勧めてくれと頼まれたんだよ」

「い、医者にいくようなことじゃないよ、その、転んで、ちょっとね…すぐなおるから……」

「臀部を擦り剥きでもしたかい?もったいない。見せてごらん」

「……っ、きみは……じょうだん、いうなよ……」

「じっさい、座れないほど痛むのではほっとけないだろう。雪絵さんに見てもらいたくないのなら、僕が見るしかないだろうに。おかしなやつだね、君も。じゃあ帰って雪絵さんに診てもらうかい?心配せずとも一週間も残るような痕はつけちゃあいないぜ」

関口は泣きたそうな世にも情けない顔で京極堂を見つめた。しかもこのひどい情人は、視線をまたしても本に戻し、こう話すうちにも本を読み進めているのだ。だいたい、関口を、妻にも自分の尻をしげしげとは見られたくないかな…と思わせる恥ずかしい身体にしたのはこの男である。

「だって……ちょっと、ちくちく痛むだけなんだ。触らなきゃ痛みはないし…すぐ治るよ、きっと」

すっと物音も立てないすばやい身のこなしで京極堂が立ちあがった。不穏な気配に逃げ腰の関口だが、水槽の中で首を竦める亀のごとくたやすくつかまる。

「いやだ、や…、やめてくれよ……」

力なくもがく関口に京極堂はあきれたような溜息をひとつつき、ぐいと身を重ねた。

自分の膝へ関口を抱え上げ、頭を引き寄せて唇を貪る。ふっくらとした下唇に歯をたて、甘噛みし、尖らせた舌を這いこませて、まさぐる。

濃厚な接吻に、関口の身体が震えた。

「は、あっ……う」

こらえ性なくあえぎがたやすく漏れたのへ満足そうに京極堂は笑い、ちゅくちゅくと音立てて唇を重ねた。出ていった舌を追いかけて、名残惜しげに夢中な様子で関口のほのじろい紅の舌が京極堂の薄い唇をたどる。

「恥ずかしくなんかない、だろう……関口君。これは、僕の、なんだろう?」

「な、なにをいってッ……ア…」

京極堂の細い指が関口の喉もとから胸へ這いこみ、乳首をもみつぶすようにこねた。シャツを脱がされ、肩や背からわき腹へ、せわしなく撫で回される。

「柔和しくしたまえよ。さァ、見せてくれるだろう、関口君」

「わ、わかった、よ……」

ぶるりと見を竦め、おずおずと京極堂の腕から抜け出ると、膝立ちになって、そっとズボンを脱いだ。痛みをおそれてゆっくりと脱ぎ捨て、居たたまれないような面持ちで京極堂をうかがう。

手振りで示されて、関口はうつぶせた。脱ぎ捨てたシャツのうえに身を投げ出す。

滑らかな背中を手のひらでたどる。ん…とかすかにあげる声が耳に心地よい。

二つの丸い丘を慎重に検分する。ぼそぼそと恥ずかしいんだけど…などという声を無視し、丹念に指の先で関口の尻をたどり上げる。

一見したところ、なにも傷はない。青あざも、擦り傷もなかった。思ったとおり、といったところだった。京極堂はかすかに眉をひそめ、その部分を軽く押した。

「ヒッ」

「とげ、だよ。関口君。放っておいたらえらい事だよ。膿んで爛れてへたすりゃ腐る。ほんとうに真っ赤なお尻のお猿さんだなあ。僕だってそうなったらいささか惜しいし不自由だ。」

「エッ。そ、んな…嫌だよ。どうしよう…」

腐る、ときいて怖くなり、関口は血の気の引いた顔で振り返った。

「放っておいたら、だよ。トゲは抜けば良い」

待ち給えと言い置いて、京極堂は立ちあがり、すぐに戻って来た。

 手にしていたのは細い針だった。マッチをすり、その火で針先をあぶる。関口はぶるりと身を震わせた。見ないほうが良いと思うのだが、京極堂のその指先から目が離せない。

焼かれて黒ずんだ針をもつ、骨ばった指。「ああ……」思わず漏れた嘆息をフフと笑われる。

針の先は見えない。うつぶせて、首だけを捻じ曲げ凝視する関口の視界のさきに、針の先端と京極堂の手だけがかろうじて引っかかる。ぞくぞくと背筋を這い登るどこか甘い恐怖に関口は息を吐く。

じわりとむずがゆい痒さ。

「ああ……」

針が触れた。

京極堂の指が背中から、割れ目をそって指を滑らせるものだから、半ば愛撫が目的のそれに甘い声で応えるしかない。それなのに、ぞくぞくするほど鋭い針は関口に触れ、ちりちりとおぼろげな恐怖が、なお甘く関口を攻める。

「アッ!」

ぎゅっと関口は身を縮めた。危ない、動くんじゃないよ…と涙ぐむ関口に優しいが容赦なく、京極堂は言う。針よりもつままれた肉が痛い。

……するどい痛みだった。

既につきつきと音立てていたむ場所に、熱い感触が突き刺さった。かなり奥まで針を刺し込んでいるようで、関口はまざまざと身の内に埋められていく針を見たような気がした。つつ――ッ…と冷たい鋼の針が自分の肉のうちに挿入されていくような怖さに、かすかに逃げをうつ。

「危ないッ」

ぴしゃりと叱られ、関口は身を強張らせた。つんと鼻に痛みがぬける。みっともなく泣いてしまいかけた。

淡々と京極堂は作業を進めた。関口は額に脂汗を浮かべ、それに耐える。

棘は細く、鋭かった。数本が取り去られ、滲んだ血をべろりと京極堂が舐めとり、なおかつその傷を舌で探り開き、全部取れたよ安心したまえ、と告げた。その血の味のする口を合わせられ、吸い舐られながら、下腹に手をそわされ、初めて関口は、自分が熱を持って涙をこぼしていたことに気づかされた。

「あ……」

カッと頬が赤らむ。このような行為でなお昂ぶっている己がひどく厭らしい…。そのいやらしさいとわしさが、ひどく、よかった。いや、たまらなく、快かった。

何もかも見透かしたように、京極堂の指が傷口に触れる。関口を膝の間に座らせて、その身体をねじらせて自分によりかからせ、ちょうど右片の尻のふっくらと盛りあがったあたりに浮かぶ血だまを指に掬い取る様子を見せる。その指は関口の蕾へとそろりと運ばれた。

「う…っ」

抗議の言葉もない。血でぬめる指はずるずると奥へ這入った。良いのか気持ち悪いのかとっさに定かでない。どちらへも傾きそうなじわじわとした痛みとむずがゆさがある。

「ふっ……あ」

指で奥をこねられながら、傷口を開かれる。紅い血が、青白い肌になすりつけられて広げられる。触られるとちくちくと傷はまだ痛んだ。京極堂の隆起したものがあてがわれ、ぐいと押し入ってきた。

圧迫感に息が詰まる。「ああ……、う、あ…、あ…」肩にすがり付き、関口は京極堂の下肢に接合部分から擦り付けた。男の耳元に息を吐き、窮状を訴えて、腰を揺らす。

ゆっくりゆっくりとした動きがもどかしいのだ。

京極堂は関口の中を雄で貫くというよりも、自らの肌で関口の尻をこするように動く。痺れるような痛みが、関口を熱く高ぶらせる。

目の前が真っ赤に濡れるような感覚の交わりは、抜けない棘のようにいつまでも関口を苛んだ。

 

                   *

 

関口は、身に借り物の着物を重ねて、横たわっていた。やはり起きあがれないのだった。

関口は京極堂に中に出されて、風呂を強請ったのだが、「温めるのは傷に良くない」とにべもなく却下され、体は拭っただけである。外は夕暮れてだいぶ暗くなってはいたが、まだほの明るい座敷で、後始末をされ、身の置き所のない思いを味あわされる。そのうえ、京極堂は、彼の妻に、しゃあしゃあと電話をかけた。

関口の傷の原因とその治療をしたから心配要らない、ただ、棘を抜くのにずいぶん深く開かなくてはならなかったから、余計に痛みが酷くなった、ついては泊まらせることにするが、まあ心配要らない、とそう言った。

ましてや、ちょうど千鶴子婦人が留守にしていると聞き、雪絵はいまから二人分の夕食を用意して持ってくるそうである。

お尻の棘を、京極堂に抜いてもらっていた……それを妻に知られてしまったと思うだけで、後悔し、最初から、医者に行けば良かったと、己を呪う関口なのだった……。

「痛いだけではなかったんだ。よかったんだから良しとしたまえ」

と、しれっと言う手荒すぎる治療を施した京極堂に、失語する関口は、この後やっぱり心配する妻に傷を見られてしまうのだった。