ダイヤル・emory

 


 

今夜の予定は決めていた。昼過ぎまでに1つエッセイの見直しをして、伯友社にFAXする。午後は買い物がてら本屋をみて、食指の動く新刊でもあれば買いこんで、喫茶店でコーヒーと共に楽しむ。帰りにはレンタルショップに寄って、ビデオを借りる。夕飯はピザでもとろう。ビールを片手に映画鑑賞というわけだ。

そのまま書いたらわびしい一日だと読者に同情されそうな予定だが、これはこれでなかなか楽しいものなんである。

そうでなければ独り者で、職業は作家なんてやっていられるものではない。

「孤独を愛するのが推理作家の基本やな」

だれにともなく呟いて赤面する。いいわけせんでもええやないか、本当に楽しい一日なわけだし!

自らツッコミをいれつつ、予定どおりの時間に終わった原稿をFAXで流す。予告どおりぴったりの時間。素晴らしい。たぶんやきもきしているであろう回線の向こうがわに、俺もやればできるんやで、片桐さん、などと私はニヤリとした。

「あ、留守電」

電話機のピンクの点滅に気がついた。夜中は留守電の設定にしてあるのだが、今朝は起きてから解除するのを忘れていたようだ。

火村かな、と思ったとおり、吹き込まれた声の主はぶっきらぼうに用件のみを告げていた。

「ピザはLサイズに変更やな」

ささいな予定変更を口に出して確認する。それから、酒屋によってビールも買わなければ。

 

 

火村は電話で予告したとおりの時間に訪れた。勝手に鍵を開けて入ってきて、口にタバコを咥えたままで器用に「よぉ、いるか」と挨拶にもならない声を出した。

「お疲れさん」

すでに緩んでいたネクタイを忌々しげにむしりとる火村に缶ビールを差し出してやる。火村は苦笑してから、それを旨そうにあおった。

「厄介な事件だったんか?」

「そうでもねぇよ。一日目撃者捜しだ。歩き回ったからな」

ふだん大学で一日デスクワークが本業の助教授センセイにはそれはいささかツライだろう。私はもう一度おつかれさんとねぎらってやった。風呂の用意もしてやり、ゆっくり入って来いと風呂場へ追いたてる。純粋にねぎらいの気持だ。けして、埃っぽい身体で抱きつかれてはタマラナイ、と思ったせいではない。

 

「また、古い映画だな。ヒッチコックか」

「どーしても見たなって。ええやん。名作はいつ見てもええもんなんです」

口を尖らせた私に、火村はわかったわかったと言ってちょいとヒトの唇をつついて来た。親指でそのまま辿られて思わず飛びのく。

しょうもない事をする男だ。30男同士でいちゃつきたいものだろうか?想像を絶する、まったくもって。

「・・・油のついた手で触るなっちゅーねん」

当然ピザは手掴みで食べるのでお互いの手はべとべとなのだ。唇を舐めると予想どおりしょっぱい。

「ハイハイ」

といって火村はわざわざ席を立った。

「だからって、わざわざ手ぇ洗いに行かんでもええわ・・」

最後の一切れは火村の割り当てだったのだが、仕方なく手を出した。とっとと片付けて自分の手も洗わなくては抵抗もできないではないか。

 

「きみ、うっとおしいなぁ〜ちょお、邪魔」

「・・ん」

さっきから頬を行き来する火村の指がたまに視界に入って集中力を妨げる。火村はソファにだらしなく身を沈め、手だけを伸ばしている。目線は画面に一応やっているが、熱をいれてみる気にはならないらしい。

私の文句に火村の手はいったん退いた。そして今度は私の後ろ頭をゆっくりと撫ぜている。と、髪の毛を動かすものだから、視界に髪が入ってきてさっきよりももっとうっとおしいことになってしまった。

「あのな、火村」

「手持ち無沙汰」

しれっと言い放つが、その中途半端な動きを強めようとはしない。ただ単に本当に『触りたいだけ』らしい。

「それが鬱陶しいんやけど・・」

「あ?」

「首から上は禁止。俺はこれが見たいんや」

「了解」

いっそ、シタイのならそっちの動きの方がまだしもましだ。ただ単にくすぐったい。猫でも撫でてるつもりなのか、これは。性的な意味のない触り方だ。それはそれで頭に来る。

「・・届かないぞ、アリス」

いったとおり、首から下に手を伸ばそうとしているらしい。ソファに身を沈めたままの体勢では手が届かないといっているらしい。

来い来い、と手招きをされる。だから俺は動物やないって。

仕方なく私も床からソファに移動して火村の膝をクッションがわりにしてやる。

「・・・っ」

だから首も駄目だって。うなじをたどられて首をすくめる。抗議の声をあげる前に、火村の指はそのまま背中へと降りて行った。ゆっくりゆっくりとした、その動き。

どんなカオして、こんなことをしているやら、このセンセイは。

横目でうかがうと、火村は目を閉じていた。・・・疲れた顔。眠そうだ。

これでは仕方ない。

まあ、いいさ。

むずがゆさとか、気が散るとか、・・ちょっとナンであるとか。そんなことには耐えてやろう。もう、触りたいだけ触ってくれ。

映画では裏切られた愛が、静粛にすすんでいる。偶然を利用した巧妙なトリック。虚実がつぎつぎに反転していくさまが面白い。

やっぱりいつみても面白いミステリ映画の名作古典だ。それとは別に感慨がある。

金の絡んだ愛は駄目だな。いや金が愛を駄目にする、か。

陳腐極まりない台詞を独白して私は苦笑した。

 

背中にはそれをなだめるかのような行き来する心地よい掌の感触。

 

映画では、金持ちの妻の愛を失った男の犯罪が巧妙に進む。

愛を失った男が必死に妻から与えられるべき金を守ろうとしている。

 

――私が失うのは、この温かい手の感触だけ。互いに失うのは、こうして分け合う肌の感触。

愛のある間だけ、こうしていればいいではないか。

 

「眠ったのか、火村」

ささやきに彼は答えない。

眠りこんだ男の唇へキスを一つ。

 

「おやすみ」

 

 


疲れている男火村編です(笑)だめだ火村が疲れているとエッチができませんね・・あーでも、疲れているときに抱っこさせてくれるヒトがいるっていいですよねえ、ほう……。