ソ連にて
モスクワ市内は、共産党大会開催にあわせて、いたるところにマルクスやレーニンの肖像を描いた大きな看板や垂れ幕が掛けられ、大きな通りには、数メートル間隔で赤い旗がたなびいていて、まさに赤い帝国の、その核心部にやってきたことを実感させる。
私がモスクワを訪れたのは、1986年の3月。3月とは言ってもモスクワはまだ冬景色で、クレムリンの前を流れるモスクワ川は、まだ完全に氷結し、道行く人々は毛皮の帽子を目深にかぶり、厚いオーバーコートの襟を立てて歩いている。
当時は「ソ連」の時代で、だから基本的には自由旅行なんかは出来ない。私も国内の旅行会社がソ連国営旅行社「インツーリスト」と提携して実施している団体旅行に加わったのだ。
団体旅行のいいところは、慣れない土地で、「みどころ」を効率的に見せてくれるところだが、逆に悪いところは、自分が見たいものが見られなかったり、特に興味のないものまで見せられてしまうこと。
ずいぶん昔のことで、記憶も薄れてきたが、その日は朝からモスクワ市内の、赤の広場とか、玉ねぎ屋根のお寺とか、そんなところをぐるぐると観光し、いったんホテルに戻ってから、夜は観劇、というスケジュールになっていたと思う。
モスクワ市内の観光は、基本的にはインツーリストの大型バスで回るのだが、バスの車窓から見る街は、走っている車も商店のショーウィンドーも、あるいは壁に貼られているポスターのデザインも、「西側」とは明らかに違う。なにやら面白そうである。バスの車窓からではなくて、実際自分の足で街を歩いてみたい。地下鉄にも乗ってみたい。モスクワ名物の「商店の行列」にも並んでみたい。みたいみたいみたい・・・。そう思うのは当然の心理であろう。
そう思いながらもバスに乗りつづけていると、どうしても欲求不満になってくる。
結局そんなわけで、私はその晩に予定されていた観劇をキャンセルして、夜の街へと散歩に出かけることにしたのだ。
もちろんモスクワでの観劇、というのも魅力的だったのだけれど、一人で自由に街を歩きたいという欲求のほうが勝ってしまったのだね。
さて、ホテルからぶらりと外に出た私だが、特に目的地を決めてきたわけではない。だた、なんとなくにぎやかな通りを歩いたり、パブのようなところがあればそこでウォッカを飲んだり、あるいはモスクワっ子に人気の軽食なんてものがあれば、それも試してみたい、なんて思っていたのだ。
しかし、なにしろそんな一人歩きを想定してこなかったので、庶民に人気の店の情報なんてものはない。一応ガイドブックは持ってきたが、そこにもクレムリンとか玉ねぎ寺院とか、そういう名所旧跡が紹介されてるだけ。もちろん当時はモスクワを解説した「地球の歩き方」なんてものもまだない。
そこでとりあえず、昼間、観光バスで回った場所で、人がたくさん出ていた「赤の広場」に向かってみることにしたのだ。あそこなら人も多いだろうし、なにかうまいものを食わせる店もあるに違いない。
しかし、地下鉄を乗り継ぎ、赤の広場までたどり着いた私の目に入ったものは、まったく人影のない、真っ暗で凍りついたような広い広い空間だった。
たぶん、巨大なアイスアリーナに、夜一人で忍び込んだら、あんな寒々とした空虚な光景を見ることが出来るのだろうが、つまりはそういう暗く寂しく冷たい景色なのである。
おかしい、こんなはずではない。いくら夜とは言え、地元の連中が散歩してたり、ちょっとしたスナックを売る店が出てたり、小さなレストランが明りを灯していたり、酒場のドアの隙間からロシア民謡が流れてきたり・・・そういうのが「正しい広場」ではないのか。
ここがソ連だ、ということは知っている。しかしこの寂しさはないだろう。わざわざ晩飯を抜いてきたのだぞ。軽食を食わせるカフェの一軒もないのか!。
最初はそう思い、「腹へった、何か食わせろ、だから共産主義はダメなのだ」と、イデオロギーを胃袋で決めつけるようなことを考えていた私だが、しかし考えてみれば、この赤の広場ってやつ、あくまで政治的広場であって、住民のための広場ではない。だからこれでいいのだ。
思えば日本だってそうじゃないか。皇居前広場がいい例だ。夜あそこにいって散歩する日本人なんているわけないし、屋台のうまいラーメン屋が出てる、なんて話も聞いたことがない。カップルがイチャイチャしてれば、のぞき魔よりも素早く警官がやってきて、追い返されるのが関の山だ。あれもやはり住民のためではない広場、なのだから同じことなのだ。そう考えれば、私の空腹は、共産主義が悪いわけでもレーニンの手落ちでもないらしい。
それがわかれば、この無人空間を逆に楽しんでしまおう、という気分になってくる。
まず私は赤の広場をちょっと散歩したあと、そこから横に抜けて、モスクワ川に沿ってクレムリンを正面に見られる道を歩き始めた。
この道も、ごくまれに自動車が通りすぎるほかは、死んだように静まり返っている。
道沿いの建物の窓には、どこも明りが灯っているから、人がいないわけではないようだが、通行人の姿はほとんどない。
凍りつくような空気の中、川の向こうを見れば、あのクレムリンが煌煌とした照明に照らされて、あたかもディズニー映画に出てくる氷の魔王の宮殿のようにそびえている。
クレムリンの中央部、ドームの上に取り付けられた真っ赤な星には、内部にかなり強力な電球を仕込んであるのだろう、ギラリと光っていて、まるで悪魔の瞳のようでもある。
ヨーロッパの城や宮殿は、そのほとんどが既に博物館などに転用され、本来の役割を終えているが、このクレムリンに関しては、まだ「城」として機能しているんだな、生きている城ってのは、やはりどこか違う迫力があるものだな、なんて考えつつ、私は誰もいないその通りを、ぶらぶら散歩していたのだった。
その通りはクレムリンの向かい側、という立地からか、路上に駐車してある車もちょっとした高級車が多い。
当時のソ連製の車は、「ボルガ」というのが一般国民向けの高級車(日本でいえばマークUとかクラウンといった感じか)で、タクシーなんかもこれが多く使われていたが、政府高官などの「エラい人」用の乗用車は「ジグリ」(日本でいえばセンチュリークラス?)、さらにゴルバチョフなどの要人の乗る「ジル」(日本でいえば天皇専用車のプリンスロイヤルクラス!?)などがあった。
| これが「ジル」、実物はすごい威圧感! |
ちょうどその時期は共産党大会が行われているせいでもあるのだろう、昼間、バスの窓からも、ジルやジグリの巨大な勇姿を見かけたし、散歩しているその道にも、ジグリが何台か、路上駐車されていたのだ。だから近づいていって、「なるほど、これがあのジグリか・・・」と観察してしまうことが出来るのである。
実際、日本にはソ連製の車なんて輸入されてなかったし、それも高官用の高級車となれば、車好きとしては観察しない手はないではないか。もちろん私は、そいつの写真も撮らせてもらったのだ。
| 「ジグリ」のストレッチリムジン |
しかしあとから思うと、私がその車の写真を撮っているところを、しっかり「当局」に目撃されていたらしい。
どのくらい歩いたころだろうか、私はふと背後に人の気配を感じた。
人の気配を感じる、なんていうと、まるで忍者のようだけど、本当に背中に「視線」を感じたのである。
そこで歩きながらちょっと振り返ってみると、50メートルくらい後ろだろうか、男がいて、こちらを見ているのだ。もちろん別に人がいても不思議ではないので、そのまま歩いていくと、その男は50メートルくらいの間隔を保って、私についてくる。なんか妙だな、そう思い、今度は立ち止まって後ろを振り向くと、その男も歩くのをやめて、新聞を取り出して街灯の下で読み出したりする。
どうやらその男、私を尾行してるらしいのだ。もちろん私は後ろめたいところなど微塵もないので、それならと、逆にその男のほうに向かって逆戻りをしてみた。するとその男、新聞をポケットにしまいこみ、くるりと方向転換をすると、向こうに歩き始めたではないか。
そこで今度はまた、再びもとの方向に向けて歩いてみると、その男もやはり方向転換をして、50メートルくらいの間隔を保って私についてくるのだ。これはもう完全に尾行である。それも「おまえを尾行してるんだぞ」とアピールするようなわざとらしい尾行なんである。
考えるに、夜、一人歩きしたり、「高官」の車の写真を撮ったりしている人間には、こうして「ちゃんと見張っているんだぞ」ということを示しているのだろう。私のような単なる物見遊山の観光客に対してまで、こんな寒い晩に尾行なぞ骨折り損のご苦労様である。
しかし繰り返すけど、私は別に秘密工作員でも西側のスパイでもなんでもないので、「こりゃ面白い体験をしたわい」くらいの気軽な気持ちで散歩を続けようと思ったのだ。
そうこうするうちに、前方100メートルくらい先だろうか、ふらふらと千鳥足で歩く人影が見えた。どうやら酔っ払いらしい。おお、やはり人間らしいヤツも歩いているんだな、そう思ったその瞬間である、建物の中にでも隠れていたのだろうか、男が二人、道に飛び出してきて、その酔っ払いを両側から押さえこんだ。すると、これまたどこの路地から出てきたのか、車が一台すごいスピードでやってきて、酔っ払いを乗せると、また急発進で走り去った。
その時間、わずか数秒といった感じ。実に鮮やか。そしてあたりはまた、森閑とした夜の街に戻った。
それまで「おれは潔白だからOKだ」なんて安心して散歩してたけど、こういう光景を見てしまうと、なんだか恐くなってきた。あんなにスピーディーかつ鮮やかに連行されるんじゃ、もし万一、私になにかの疑いがかかっても、弁解の余地なく連れ去られてしまうだろう。
このわざとらしい尾行は、きっと私にたいして、「トラブルを起す前に、早くホテルに帰れ」というサインなのかも知れない。やっぱりここは、ちょっと恐い街なのだ。それを忘れてはいけない。
私はゾワリと背筋が寒くなり、早々に散歩を切り上げ、ホテルへと引き返したのだった。
上の写真はウクライナを流れる氷結したドニエプル川上の私
1986年3月の撮影だ
この翌月、すぐ近くのチェルノブイリ原子力発電所が爆発、ここも放射能に汚染されてしまう
そしてソ連自体が崩壊へと向かって急加速していくのだ
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