ホンコン・ハッピーゲストハウス
香港快楽招待所
夕刻、香港の啓徳空港に飛行機が着陸したときにはまだ小雨だったのだが、バスで市内に着いたころには、本格的な雨に変わっていた。
それは大学1年の秋、私にとっては初めての海外一人旅で、一応YMCAホテルに予約の手紙を出しておいたのだが、「満室」の回答が電報で届いたのがその前日の晩だった。といっても宿泊先にアテがなかったわけではない。知る人ぞ知る、あの「重慶大厦」(チュンキンマンション)である。
バスでネイザンロードの南端に到着した私は、それでも一応YMCAに行ってみたが、やはり満室は事実のようで、宿泊不可。
そこでいざ、チュンキンマンションへと向かったのである。
私がチュンキンマンションの存在を知っていたのにはワケがある。
その旅行の数ヶ月前、日本航空の機内誌で沢木耕太郎の香港旅行記を読んだのだ。その旅行記は、「若い頃はチュンキンマンションのゲストハウスのような安宿ばかり渡り歩いたが、今度は視点を180度変えて、高級ホテルから香港を見てみよう」という内容だったと記憶する。つまり、ペニンシュラホテルとか、今はなきレパルスベイホテルとか最高級ホテルへの滞在記だったわけだが、私が興味を持ってしまったのは、安宿の思い出のほう、すなわち、時折出てくるチュンキンマンションのゲストハウスの記述の方だったというわけだ。
ちなみに、その「チュンキンマンション滞在を皮切りにした若い頃の旅」は、その後、「深夜特急」と題して刊行され、氏の代表作となるのだが、もちろん当時はまだその本はない。
ここでちょっとチュンキンマンションなるものをご説明すると、これは九竜サイド、ネイザンロードの南端近くにある相当に大きな雑居ビルで、一階は雑貨屋とか土産物屋など。壊れそうなエレベーターでガタガタと上っていくと、各階に小規模のゲストハウス、つまり安旅館というのか、民宿というのか、簡易宿泊所というのか、そういうものが点在している、という代物。香港に立ち寄るバックパッカーなら、おそらく知らない人はいないだろう、というビルなんである。そして逆に、パックツアーやビジネスで香港に行く人は絶対に知らない、というビルでもある。
つまり、こと最近では、バンコクの「カオサンロード」なんかと同じで、その名前を知ってるかどうかで、その人の旅のスタイルが推し量れてしまう、というような、バロメーター的な存在にすらなりつつあるのですね。
(左:満室だったYMCA、右:ハッピーゲストハウスの部屋)
さて、このチュンキンマンションに到着した私は、さっそく、この中でもそれなりに「名のある」ゲストハウスを皮切りに空室の有無を尋ね始めた。ところが、これがぜんぜんないのである。何軒まわっても、「部屋はない」の一言で撃退されてしまう。それでもしつこく回ってみたが、どうしても空室が見つからない。こりゃ今夜はチュンキンマンションはだめかな、どこか他の場所をあたるしかないな、なんて思いつつ、ビルの一階でぼんやりしていたとき、私に声をかけてきた男がいた。
彼は私にツカツカと近寄ると、さっと名刺を差し出した。その名刺には「快楽招待所・陳××」とある。要するに自分の経営する「快楽招待所」への宿泊のお誘いなんである。たしかに今、私は泊まるところがなくて困っている。もう夜も更けてきたし、おまけにこの雨、早く今夜の宿を確保したい。まさに渡りに舟なんである。が、しかし、この「快楽招待所」とは一体なんぞや?
そもそもその男、香港人には珍しく、身長180センチはかくる越えてる大男。丸々として、ちょっと脂肪質の顔に、つるっとしたハゲ頭、もう見るからに精力絶倫。そんな彼の経営する「快楽招待所」。その快楽とはいったいどんな快楽なのか、うーん、・・・むふふふふ。
とまあそんなわけで、私はそこに1泊することにしたのである。
快楽招待所は、やはりこのチュンキンマンションの中にあって、私にあてがわれた部屋は、広さ3畳くらいの独房的な部屋。ベッドと小さな机と、古びた洋服ダンスがあるだけの部屋である。
一応窓はあるのだが、その窓には香港の古いビルにありがちな、波形の鉄格子がはまっていて、それがなおさら、この部屋を独房チックに演出しているのだ。
とりあえず一泊分の宿料を払うと、陳さんは別に女を紹介するでもなく、妙なクスリを売りつけるでもなく、つまり特に「快楽」の強要をせずに引き上げていった。
そこで改めて陳さんの名刺を見てみると、裏面が英文になっていて、そこに「HAPPY GUESTHOUSE・CHUNG ××」とある。要するに快楽招待所とは、ハッピーゲストハウスの中国語訳だったのだ、ということなのだな。快楽というからビックリしたけど、日本語にすれば、「民宿・幸福荘」てなものなんである。なーんだ。かなり安心、ちょっとがっかり。
結論から言うと、私はその快楽招待所に、結局1週間滞在した。
このチュンキンマンションが香港歩きには極めて便利な場所にあり、また、快楽招待所自体の居心地も悪くなかったからだ。
この快楽招待所、見ていると、あまり宿泊客の入れ替わりは多くない。
宿泊している大半の人は、かなりの長期滞在者らしく、意外にインド系らしい人たちの姿も多い。私の部屋の向かいもインド人の家族が住んでいて、時々インド料理のパーティーをやっているらしい。香辛料のいい臭いがするのでちょっと覗いてみると、靴が10人分以上脱いであるので(インド人も部屋に入る前に靴を脱ぐのかなぁ)、それだけのインド人が3畳の部屋にギュウギュウ入り込んでカレーを食ってるってことである。うーむ、濃厚である・・・。
それから、どうやら行商関係者らしい中国人も多い。お互い、それとなく相手を意識しつつ、しかし特に干渉する気配もなく、そんな空気がこの快楽招待所を居心地のいいものにしているようだ。おまけにここは宿泊客の入れ替わりが少ないためか、フロントに誰もいないことが多い。そのため、「快楽招待所」そのものの鍵と、自分の部屋の鍵、その二つを渡されているので宿への出入りがとても気楽なのもいい。
さて、この快楽招待所を根城に香港ブラブラ歩きを始めた私だったが、宿のセレクトでは「あたり」だったものの、香港に来る時期は完全に「はずれ」だったことにすぐ気がついた。
というのも、香港は、まさに全市民をあげての反日運動の真っ盛りだったのである。
コトの発端は、日本の歴史の教科書を文部省が検定した結果、旧日本軍の中国侵略を「侵攻」と書き直させた、という、あの「教科書問題」である。
街に売られる新聞には、連日、日本兵が日本刀で中国人の首を切ってる写真だの、南京大虐殺の写真だのが一面トップでデカデカと掲載され、九竜公園では対日批判の学生の大集会が開かれ、そこで日本人の留学生が「自己批判」の演説をして、それがまた翌日のトップ記事になったり、果ては日系のデパートに爆発物が仕掛けられたり、と、なにやら街中が騒然としているのだ。
もちろん日本製品ボイコット運動も激しさを増していた。
街頭には学生がおおぜい出ていて、道ゆく人に「罷買日貨」と書いた赤いシールを配り、胸に貼るよう促している。そして、多くの人がそれを受け取り、胸に貼っている。
もちろん私もいたるところで声をかけられ、そのシールを胸に貼るよう求められた。
特にカメラもガイドブックも持たず、サンダル履きで街を歩いている私を、だれも日本人だとは思わなかったのだろう。中国語でワワワワワッと話し掛けてきて、シールを手渡そうとするのだ。けれど私は最初、それをやんわりと断っていた。この問題にまつわる政治的な背景は別として、少なくとも彼らがボイコットしようとしている日本製品や、それを作っている日本人には罪はないはずだ。それが私の気持ちだった。
(日本を非難する新聞、ビラ、香港大学の機関紙など)
でもそれも長くは続かなかった。
シール貼り運動はどんどん市民に浸透し、特に私のような「学生風」の人間がシールを貼っていないと、学生たちの集中攻撃を受けるようになったのだ。このままだと「こいつは日本人だ、こいつは日本の中国侵略を肯定しようとする一派だぞ」ということになって、ボコボコの袋叩きにされてしまいそうな感じなのだ。一度そう思い始めると、彼らはみなカンフーの達人に見えてくる。これはコワイ。で、仕方なく私もそのシールを受け取り、胸に貼ることにしたのである。
さて、イヤだったそのシールだが、いったん胸に貼ってしまうと、もう学生たちからガーガー言われないし、妙な安心感があるのだ。言うなれば、香港市民との「擬似的一体感」とでも言うのだろうか、彼らのコミュニティーの末席に加えてもらったような、ちょっとホンワカした気分なのだ。
そうなるとノリやすい私は、もう香港人気取りで、「そうだ、日本よ反省せよ、歴史を正しく認識せよ」なんて気分になってきてしまう。本当にイヤな性格である。
香港というところは、とにかく日本人観光客が多い。そしてその大半、いや99%くらいまでが、買い物アンドお食事ツアーの団体客である。彼らは高級ホテルから高級レストラン、免税品店へと、大型観光バスでブンブン移動する。街を歩いていると、実に多くのそういうバスを目にする。そして街の雑踏をそういうバスが走りぬけるとき、中の観光客たちは、ガイドさんからブランド品購入の注意事項でも聞いてるのか、はたまたマイクを回して歌でも歌ってるのか、不思議にみな内側を向いていて、顔を外に向けてる人が少ない。
そんな光景を目にしつつ、すっかりニセ香港人になった私は、「ケッ、連中め、香港市民の怒りの声も知らずに贅沢三昧しくさりおって・・・」などと思ってしまうのであった。
さて、帰国後1年くらいたってからの話。
「地球の歩き方」の発行元、ダイヤモンド社の編集の人から電話があった。なんでも、今度地球の歩き方の「中国編」を出すことにしたので、なにか投稿してくれないか、とのこと。そこで「香港のゲストハウスの話とか、安い食堂、面白い屋台なんかのネタはどうですか」と言ったら、「香港ねぇ、ウチの本はあんなところは対象じゃないよ!」とのこと。
その編集氏、香港などツアーで行く場所でしかない、という認識しかなかったようだ。ま、それは仕方ないにしても、あの言い方はひどかったなぁ。かなり失礼。「今回は香港は対象じゃないけど、もし出すことになったらヨロシクね」とか、なんか他に言い方があるんじゃないの?
そして、さらに年月が流れ、数年前の話。
沢木耕太郎の「深夜特急」がテレビドラマ化されたので見ていたら、原作の通り、香港で主人公がチュンキンマンションのゲストハウスに泊まるのだが、なんとそのゲストハウスが、原作の「黄金宮殿」から、私の泊まった「快楽招待所」に変更されていたのである。
制作スタッフがロケの都合でここを選んだのか、あるいは単にその怪しそうな名前に引かれたのか知らないけど、懐かしくて、なんだかちょっとうれしかったな。
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