バンコク

帝国ホテル



 出発の前夜、自宅の電話が鳴った。
 受話器を取ると大学の友人Oの声で、「おう!集合場所が決まったぞ。バンコクのチャイナタウンのエンパイヤホテルだ」と告げた。
 「え?エンパイヤホテル?チャイナタウンってどこだ?」、そう聞くと、「地図を見ろ。地図を見ればチャイナタウンは分かる。エンパイヤホテルも地球の歩き方の地図に載ってる。そこで落ち合おう。あ、もう金がない。じゃ切るぞ。」そういってその電話は切れた。
 エンパイヤホテルとは、すなわち帝国ホテルってことじゃないか。まさかあの帝国ホテルのバンコク支店?・・・まさか・・・。たしかにそのホテルは地球の歩き方の地図には出ていたが、それ以外になんの情報もなし。うーむ・・・。


当時の「地球の歩き方」の地図に出ていたエンパイヤホテル。近くに「楽宮」も出ている。
しかし住所も電話番号も、高級ホテルか安宿かの情報もなし。


 大学の卒業旅行は同じゼミの連中と行くことにしていたが、各人、我の強い(悪く言えば協調性のない)連中ばかりで、目的地は一応インドシナ半島とまでは決まったが、日程の調整が付かず、妥協案として、「バンコクで1週間だけ一緒に過ごす」ということで決着した。
 しかしそのバンコクでの集合場所も決めぬまま、先発隊は各々出発し、最後発の私の出発前日に、やっと集合場所が決まった、という次第。

 その時が私にとっての初バンコクだった。
 私の乗ったエジプト航空のB747は遅れに遅れ、バンコクの表玄関、ドンムアン空港に着いたのはもう夜もかなり更けてから。
 空港から外に出ると、熱帯の夜の空気が私を取り囲む。
 その空気中には、果物のような甘い匂い、昼間の太陽が残して行った熱気の残り香、インドシナの土の匂い、ガソリンの匂い、そして何かが腐ったような若干の腐臭を含め、ネットリとまとわり付くような濃密さが感じられる。

 市内行きのバスは、既に終わっているようだった。そこで私は客引きの言うままに、市内行きの乗り合いトラックに乗ることにした。
 それはちょうど日本の軽トラック程度の大きさで、荷台に向かい合わせの座席が作られていて、天井はトゥクトゥクのように幌が掛けられている。トラックは荷台に数人の現地人らしき客と2人のアメリカ人、そして私を乗せ、夜の道を走り始めた。

 当時ドンムアンからバンコク市内まで、高速道路が通じていたかどうか知らないが、少なくとも私を乗せたそのトラックは、高速道路とは無縁の道を走り続けた。
 道が悪いのか、あるいはそのトラックのサスペンションが悪いのか、我々は終始大振動のなかにいた。トラックのエンジンは酷使されてきたためか、もうもうと黒煙を吐き、途中2回ほどエンストしながら、それでもトラックはどうにか市内にたどり着いた。
 私はホアランポーン駅でそのトラックを降りた。目指すチャイナタウンはこの近くのはずだ。


エンパイヤホテルのキー(これはニューエンパイヤ時代のもの)

 ホテルはなかなか見つからなかった。
 初めての街で土地勘がない上、道を聞こうにも深夜で誰もおらず、ヘタに歩くと犬に吼えられる、という具合で、すいぶん長いことチャイナタウンを彷徨してしまった。そしてようやく、とあるアーケードの片隅に光るエンパイヤホテルの看板を見つけた。そこは「帝国ホテル」と聞いてイメージするホテルとはあまりにもかけ離れた安宿だった。
 しかし、さっそくそのホテルのフロントで尋ねると、今、日本人は宿泊していないし、予約も受けていない、との話。仲間と落ち合うつもりが誰もいないのだ。おいおい、このホテルで集合ではなかったのか。でもここは確かにエンパイヤホテルに間違いない。私はとりあえずここに1泊することにした。
 
 翌朝、ドアをノックする大きな音で目が覚めた。ドアを開けると、そこには友人Oが、身長180センチ、体重100キロの巨体を揺らせて立っていた。
 話を聞けば、結局彼はタイの東北地方から私に電話をしたとのこと。そのあとバンコクに向かったが、このホテル自体は「地図を見て、覚えやすい名前だったから決めた」とのコト。なんといいかげんな。でも、ま、会えてよかったよかった、という話。


エンパイヤともども、当時からよく利用した「ホテルレノ」の正面付近

 このエンパイヤホテルは、その後、社会人になってからも、私のバンコクでの拠点になり続けた。その話は次項「安宿考」で。

(2006年5月)


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