安宿考
別項「バンコク帝国ホテル」で登場する帝国(エンパイヤ)ホテルは、その後、私のバンコクにおける定宿となった。特に、バンコクをベースに空路、他のインドシナの国々に足を伸ばす時など、このホテルの利点は大きい。
ドンムアン空港へはホアランポーン駅から列車を使うのが一番安いのだが、そのホアランポーンに歩いていける立地条件は、大きな利点である。(空港にもホテルがあるが高い。一度だけ泊まったことがあるが、そこの1泊代は、エンパイヤホテルの数週間分になる!)
そして何より、このホテルは「日本人がうじゃうじゃしていない」ことがいい。
そう、特にアジアにおける日本人うじゃうじゃの安宿、これは要注意なのだ。今回はその話。
当時からバックパッカーに知られたバンコクの宿というのはいくつかあった。
例えて言うならAクラスのバックパッカー、つまり職業も(あるいは人生も)捨てて放浪しているようなヤツは楽宮旅社とか、ジュライホテルなんて硬派なところにたむろしていた。またBクラス(休学中だけど、とりあえず学生の身分は持ち合わせている)とかCクラス(休みを利用してちょっとブラブラ)のバックパッカーは、カオサンロードの安宿街などに集結していた。
しかし私はそういうところには泊まりたくなかった。

小説にもなった伝説の安宿「楽宮旅社」
たしかに私も、過去何回か、バンコクを含むアジアのいくつかの街で、そんな安宿を利用したことはある。またヨーロッパでも、学生時代は似たような安宿に泊まったものだ。
そこで感じることは、日本人の多い安宿、と一口に言っても、ヨーロッパのそれとアジアのそれとは、かなり雰囲気が異なるということだ。
何が違うか簡潔に言い表すことは難しいけど、強いて言えば、アジアの安宿にたむろする日本人の若者が、ダラダラと時間を浪費していたのに対して、ヨーロッパで出会う若者は、何かしら旅の目的というものを持っていて、時間を大切にしていたように思えるのだ。
アジアのそういう安宿では、日本人ばかりが群れ集まり、一種独特のコミュニティーを形成していることも大きな特徴だ。
例外もあるけど、そこに属している連中は、なぜか自分の怠惰な生活とか、社会からいかにドロップアウトしたかとか、そんなことばかりを自慢するヤツが多い。また危機管理能力のなさも、ここでは勲章の一つらしい。
そういう宿で先輩バックパッカーから、大学を中退してかれこれ2年も日本に戻ってない、とか、もう何ヶ月も一日200円で暮らしている、とか、荷物を全て盗まれて裸一貫になって初めて「旅の達人」になれるのだ、とか、良いハシシの見分け方はこうだ、なんて話を、後輩バックパッカーが目を輝かせて聞いている。
こういう本来なら恥であることが、このコミュニティーでは武勇伝とされ、得点となり、さらにそれが序列を生む。貧乏体験、危険体験をしていないヤツは、ここではあくまでシロウトなのだ。
そしてこんな宿で出会う日本人の多くは、「最下層の安宿経験こそ、真の旅人の条件である。一流ホテルに泊まり、ルームサービスの酒など飲んでる旅人に何が分かるか!」と主張して憚らないのだ。
でも、本当にそうなんだろうか。

典型的な安宿 香港のチュンキンマンションの「快楽招待所」 まさに独房

典型的な安宿 ヤンゴンの「ダゴンホテル」のロビーと共同シャワー

ダゴンホテルのベッドから天井を眺める、の図
私のバンコクでの定宿だった「エンパイヤホテル」と「レノ」は、そういう日本人同士のだらだらコミュニティーに接触しなくて済む、ということがまず第一の利点だった。
エンパイヤは冒頭に書いたように、鉄道駅と空港へのアクセスの良さだ。そしてレノは東急デパートに近く、プール付なのが嬉しい。
どちらも最低価格帯のホテルではないが、1週間連泊しても痛い出費とはならぬレベルのホテルだ。もちろん両者とも温水シャワーとクーラーは完備だ。

左はレノのプール 右はレノの近くのスターホテルのうらぶれた看板(こちらも何回か利用した)
あるとき「安宿系」の日本人と話していて、私のバンコクでの定宿は温水シャワーとクーラーが完備だ、と言ったら、「お前は本物のバックパッカーじゃない。この国の庶民の多くは、家にクーラーなんてないんだ。」と言われた。
彼はどうやら現地(の一番貧しい人々)同様の貧乏をしなければバックパッカーではないと思っているらしい。でもその彼だって十何万円(現地人の給料の何か月分か?)も出して飛行機でアジアにやってきたんだよね。
彼は自分のその矛盾には全く気がついていないようだった。
ここで誤解がないように言っておくが、別に私は安宿を否定してるんじゃない。安宿は大好きである。
ただ、日本人が宿泊客の大半を占めるような安宿の、妙な日本人ばかりのコミュニティーというか、人間関係というか、上下関係というか、そういうものが嫌いなのだ。
たとえばリュックを背負った一人旅。たどり着いた安宿のベッドに横になり、天井を這う虫を眺める、なんてのは、実に旅情があって私は好きなのだな。
さて、バンコクの宿の話をしてきたけど、実は私はもう何年もバンコクに足を運んでいない。エンパイヤホテルやレノはまだあるのだろうか。あるならいつか泊まって見たいものである。少なくともレノは、家族連れでも安心して泊まれる、そういうホテルだった。
(2006年5月)
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