全画面表示 フレーム表示 トップページ

異色作家・作品紹介
W・ハースの探偵ブレナー・シリーズ


ヴォルフ・ハースは1996年の『死者の復活』(Auferstehung der Toten)でドイツ語圏のミステリー界にデビューした。探偵ブレナーを主人公としたシリーズの第一作でもある。つづいて1997年にはシリーズ第二作『骨男』(Der Knochenmann)を出した。そして第三作目がシリーズ中唯一ウィーンを舞台とした作品『きたれ、甘き死よ』(1998年刊)である。また、すでに第四作『静粛に!』(Silentium!)が1999年に刊行されている。(付記:2001年にブレナー・シリーズ最新第五作『犬たちのごとく』 Wie die Tiere が出版された。)

 デビュー作が1996年であるから、1960年生まれという年齢からすれば、作家としてはけっして早いスタートとはいえないかもしれない。だが、探偵ブレナー・シリーズを引っさげてデビューした後のハースの活躍はまさに目をみはるものがあった。ドイツ語圏においてもうすでにミステリー作家として確固たる地位を確立している。もっとも、彼の名はオーストリアでは名コピーを生み出すコピーライターとして、ミステリーよりも前からすでによく知られていたそうだ。日本車の宣伝コピーなども含めて、彼の制作したコピーはずいぶん人気を博したという。大学では言語学を専攻した。修了後、英国の南ウェールズで2年間の大学講師の経験がある。

 ハースのデビュー作『死者の復活』は、ミステリーファンの練熟した読者さえも驚愕させるに十分だった。衝撃的だったといってもいいかもしれない。とにかく語り手の言葉が、文章語にはちょっとお目にかかれないような話言葉の連続なのだ。それにまず度肝を抜かれる。だが、それだけではない。語り手の役割がまたなみのミステリーとは違っていた。ミステリーではたいてい、語り手、つまり作家が前面に出てきて自分勝手なコメントを述べるなんてことはない。語り手が登場人物の一人であって、事件の経過を語ったり、謎解きをするのがふつうだ。あるいは、語り手は背後に潜んでいてひたすら探偵の黒衣の役割に徹する。ところが、ハースの語り手は舞台の袖にしゃしゃり出てきて、事件の経緯にコメントするだけでなく、読者に語りかけて軽口を叩いたり、冗談をとばしたり、啖呵を切ったりする。緊迫感を重視するミステリーでは珍しい手法だけれど、文学にはないわけではない。いわゆる「異化効果」。でも、そんな面倒な文学理論をもちださなくとも、この手法がブレナー・シリーズにふつふつと沸き起こる可笑しみ、そしてオーストリア的といってもいい独特の軽妙さと飄逸さを与えていることはまちがいないのである。

 さらに三つ目の要素として、主人公の探偵ブレナーの性格づけがユニークであることをあげなければならない。19年間におよぶうだつのあがらぬ警官生活の後、クビ同然でしがない探偵稼業に転じたブレナー。いわゆる「アンチ探偵」である。それだけなら別に珍しくもないかもしれない。だが、ブレナーが探偵としての推理力、集中力を発揮して謎解きをするというよりも、むしろ精神の「散漫力」を頼りに事件を解決するとなれば、これは尋常ではない。その行きつ戻りつの謎解きがまた愉快なのである。

 すぐれたミステリーはむろん起こる事件の展開の意外性や、事件の社会的・歴史的、あるいは人間的背景を描くものでなければならない。デビュー作の『死者の復活』はオーストリア・アルプス(東チロル)のスキーで有名な国際的行楽地ツェル・アム・ゼーが舞台になっている。ハースの生まれ故郷にほど近い土地でもある。スキーリフトの上でアメリカ人の観光客が殺害されるのだが、物語は戦後のダム建設をめぐる残酷な経緯と深い山地に閉ざされた村の悲惨な歴史がしだいに浮き彫りにされていく。このデビュー作でハースはいきなり1997年度のドイツ・ミステリ大賞(第3位)を受賞したのだった。

 1997年刊の『骨男』では旧ユーゴスラビア国境に近いシュタイアーマルク、そしてグラーツが舞台である。チキン専門店の骨の山の中から人間の骨が見つかるという設定で、ここでもハース独特のブラックユーモアが効いている。地方のサッカークラブの活動が描かれていて興味深いが、クラブの倉庫からサッカーのボールにまじって旧ユーゴスラビアから移籍してきた選手の頭が転がり出すのである。さらには戦争状態の旧ユーゴスラビア国境での武器売買やいかがわしい商売などが絡んできて、背景の面白さには事欠かない。『きたれ、甘き死よ』の中でブレナーが指を切断されて救急隊に救われた思い出を語っているが、それはこの作品の最後の場面で追い詰めた犯人から攻撃されて受けた傷のことなのだ。

 ブレナー・シリーズの第三作目にあたる本書は先の二作とはやや趣向が異なっている。探偵業に見切りをつけて、ブレナーはウィーンの赤十字救急センターに転職するのだが、ウィーンにはもうひとつ救急同盟という救急隊組織があって、このふたつが激しいつばぜりあいを演じていた。そんな中で血液バンクの社長と恋人のイルミが救護員ムンツの目前で銃で射殺されるという事件が起こる。また、救急センターの仕事が対立する救急同盟に奪われるという事態が頻発していた。救急センターの社長は対立する救急同盟の策謀を感じとり、元探偵のブレナーに調査を依頼する。すると次には隊員グロースが救急車の中で絞殺され、救護員ランツが逮捕される。こんどもブレナーはランツの娘アンゲリカに探偵役を依頼されるはめになる。前の二作とはやや違って、ブレナーの人間的な側面が強く打ち出されている。とくにそれは幼なじみの元のガールフレンド、クララとの何十年ぶりかの出会いと淡い交流の場面に関わるのだが、しかもそれが事件解決の糸口につながっていくのである。

 『きたれ、甘き死よ』は1999年度のドイツミステリー大賞最優秀作(第1位)を獲得した。たしかに本書は、探偵ブレナー・シリーズに仕組んだハースの意図がまさに思惑どおりに決まった感がある。とりわけ、語り手の軽妙な語り口、ときには辛らつな皮肉や軽口が効果を発揮して、ブレナーのいかにもオーストリア人らしい飄逸さと不器用さ、洒脱さと可笑しみをかもし出すことに成功している。ミステリーとしての工夫やしかけもなかなかに粋である。バッハの『マタイ受難曲』のコラールをバックに犯人を追い詰める場面などは洒落ているし、同時に圧巻でもある。

 ブレナー・シリーズはすでに第四作『静粛に!』(1999年刊)が出版されている。今度はザルツブルクが舞台である。その名門神学校マリアヌム出身のショルン神父が名誉ある司教候補になる。ところが、彼が同校で教師をしてときの生徒ゴットリープが彼から辱めを受けたと告白する。探偵業にもどったブレナーはこの不名誉な誹謗事件の調査を依頼される。ところが、ゴットリープは同校の地下からばらばら死体となって発見される。しかも事件はザルツブルク音楽祭の開催と絡んで、当初の予想とはまったく異なる展開をたどりはじめるのである。この作品にハースは、前三作のどれをも上回るブラックユーモアをたっぷりと仕込んでいる。

 ちなみに、つい最近のことだがこの作品は2000年度のドイツミステリー大賞の第2位を獲得した。いってみればミステリー大賞の猛打賞だ。ドイツ語圏ミステリー界において、いかに彼の評価が高いかが分かるだろう。探偵ブレナー・シリーズとは別のミステリーにもすでに挑戦している。自動車レースのF1を舞台にしたミステリー『ブレーキ競争』(Ausgebremst)である(1998年刊)。ブレナー・シリーズとはまったくスタイルの違うミステリーである。実名のレーサーがぞろぞろと登場するので、F1ファンにはたまらない魅力だろう。そして、ハースはこれからも新しいミステリーの分野にどんどん挑戦していくにちがいない。

(ヴォルフ・ハース『きたれ、甘き死よ』水声社刊・解説、一部変更)


トップページに戻るこの項目の始めに戻る