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ゼルプの欺瞞 ゼルプの殺人

ベルンハルト・シュリンク
だれが結び目を編んだのか

(『ゴルディオスの結び目』小学館刊・解説)

解けない結び目を剣で断ち切るのは、 
アレクサンドロス大王の仕事だった。 
ところで、その綱を結んだ人の名は? 
だれも知らない。          
                E・ケストナー
     (丘沢・岸・初見訳『大きなケストナーの本』より)

スイス・チューリヒにあるディオゲネス社は、ドイツミステリのファンにとって目の離せない出版社である。シュリンクの小説のすべてがこの出版社から刊行されているからではない。そのポケット版デーテーベー・シリーズには、精選された上質のミステリが収められているからだ。むろん、ローヴォルト、ウルシュタイン、バスタイ・ルッベ、ゴルトマン、ハイネといった、ドイツの名だたる出版社もそれぞれ特色あるポケット版ミステリ・シリーズを出している。それでも、センスの点からいえばディオゲネスのシリーズに軍配をあげたくなる。センスがどうのと言いたくなるのは、きっと装丁の魅力のせいにちがいない。ペーパーバックのいたって簡素な装丁なのだが、黒地にオレンジ色の枠内に描かれたペン画がなんとも洒落ている。たとえば、デーテーベー・シリーズの一冊として一九八八年に出版された本書の表紙には、流線型のヘリコプターが描かれている。軽快な機体を右に二〇度ほど傾斜させて、襲いかかるように飛翔してくる。よく見ると、機体の両側の水平翼に一対のロケット砲が装備されている。攻撃型ヘリコプター、いわゆる<攻撃ヘリ>である。「アパッチ」とか「エアーウルフ」とか「ティーガー」といったぶっそうな代物だろう。だが、絵はあくまでも洒落ている。そしてむろん、絵だけがそうだといっているのではない。

 ベルンハルト・シュリンクは一九八七年、ヴァルター・ポップとの共著『ゼルプの裁き』(小学館刊)を発表し、ディオゲネス社のデーテーベー・シリーズに収められた。元ナチの検事という過去をもつ老探偵ゲーアハルト・ゼルプを主人公とするゼルプ探偵シリーズの第一作である。この第一作では、ルートヴィヒスハーフェンにある巨大企業、ライン化学工業のコンピューター・システムにハッカーが侵入する事件が発端になるのだが、ハッカーをめぐるゼルプの捜査は物語の縦糸のひとつにすぎない。背後には戦後ドイツがみずからに沈黙を強いてきた闇の歴史が潜んでいる。ゼルプの捜査は必然的に過去との対決に向かわざるをえない。いかにも重い主題でありながら、老探偵ゼルプはどこまでもチャーミングであるし、脇役たちの織りなすユーモラスな人間模様も楽しめる。探偵小説であると同時に、甘辛い恋愛小説でもあり、過去を問い直す現代史小説でもある。いく通りもの読み方ができる小説、これがシュリンクの作品の魅力なのだ。一九九二年のゼルプ第二作『ゼルプの欺瞞』(小学館刊)と二〇〇一年のシリーズ完結作『ゼルプの殺人』(小学館刊)はもちろんのこと、ミステリの枠をはみだす『朗読者』(新潮社刊)や『逃げてゆく愛』(新潮社刊)にしても同じことがいえる。

 シュリンクがヴァルター・ポップとの共著『ゼルプの裁き』のあと、一人で書き上げた最初の作品である本書にも、いかようにも読めるという特徴がよく現われている。攻撃ヘリの設計図をめぐって暗躍する某国情報部との対決といった道具立ては、むろんスパイ小説の常套手段である。だが、一筋縄ではいかないのがシュリンクの小説なのだ。本書もスパイ小説であるかに見せかけながら、そのじつ大恋愛小説でもあり、サスペンス小説でもあり、同時にまた冒険小説でもあるからだ。失踪した恋人を捜索して大都会を駆けめぐるゲオルクの姿から、ウィリアム・アイリッシュのサスペンス小説の風味を感じとる人もいるかもしれない。あるいはまた、冒険小説のタッチが好ましい思う人もいるだろう。なにしろ舞台は発端のプロヴァンスからアメリカ大陸へと転じるのだし、アメリカといえばドイツ語圏ではカール・マイの冒険小説『ヴィネトゥ』(筑摩書房刊)が今でも変わらぬ人気を誇っているからだ。一八七〇年代に書かれたこの小説では、鉄道敷設のために雇われたドイツ人測量士がアパッチ族の勇士ヴィネトゥと厚い友情で結ばれ、豪腕と機略を尽くして大活劇を演じる。まさに血湧き肉躍る大冒険小説なのだが、そうした連想へと誘う要素を本書はもっている。さらに連想をたどれば、実際に本書で引き合いに出されているのだが、かつて『アメリカ』と呼ばれたカフカの未完の小説『失踪者』(白水社刊)の主人公カール・ロスマンの冒険もアメリカが舞台だった。信じがたいこと、とんでもないこと、奇想天外なことが起こる<合理主義>の国アメリカ。羨望と違和感とが奇妙に入り混じったこのイメージには、つねに<冒険>の味わいが染みついている。カール・マイの時代にもフランツ・カフカの時代にもそうだった。それは現代においても、基本的にはおそらくなんら変わっていないのではないか。

 『ゴルディオスの結び目』は出版の翌年の一九八九年にグラウザー賞を受賞した。シュリンクといえば一九九六年の『朗読者』によって世界中の文学賞を総なめにした観があるが、それ以前にふたつのミステリ文学賞を受賞している。一九九二年のドイツ・ミステリ大賞と一九八九年のグラウザー賞である。つまり、本書が最初の文学賞受賞作ということになる。グラウザー賞とは、ドイツ推理作家協会(「ジュンディカート」という)が一九八七年に設置したミステリ文学賞である。ジュンディカートが毎年四名ないし五名の審査団を構成して、ドイツ語圏のミステリ小説のもっとも優れた作品を選ぶのである。この賞に名を与えたフリードリヒ・グラウザー(一八九六〜一九三八)はウィーン生まれのスイス人であり、ドイツ語圏における探偵小説の先駆者とみなされている作家である。『狂気の王国』、『クロック商会』、『砂漠の千里眼』(いずれも作品社刊)といった作品よって、近年ようやくわが国でも知られるようになった。それにしても、グラウザーとの接点にはなにかしら暗合めいたものが感じられる。むろん、優れたミステリ賞に授与される賞だから、本書が選ばれたのは当たり前のことなのかもしれない。だが、母親がスイス人であることはさておいても、スイス人作家フリードリヒ・デュレンマット(一九二一〜一九九〇)のミステリに対して誠真なオマージュを捧げているシュリンクである。老探偵ゼルプに、デュレンマットの『裁判官と死刑執行人』(早川書房刊)などに登場するベーアラハ警部の面影を見出すのはさして困難ではない。そしてデュレンマットのベーアラハ警部が、グラウザーのシュトューダー刑事の衣鉢を継ぐ探偵であることもまた間違いのないところである。こうなるとますます因縁話めいてくるが、グラウザーの『三人の老婦人の茶会』は国際都市ジュネーブを舞台としたスパイ小説の趣きがあるし、モロッコ傭兵小説『グーラマ』はれっきとした冒険小説である。

 グラウザーとデュレンマットの二人の名はドイツミステリの歴史には欠かせない。それどころか、もしドイツミステリの歴史なるものが語られるとすれば、ほぼこの二人に尽きるかにみえる。デュレンマットの『裁判官と死刑執行人』は一九五〇年の作品だから、一九四五年以前のミステリ作家となれば、グラウザーひとりということになるのだろうか。グラウザーが作家活動に従事したのは、一九三四年から一九三八年のほぼ四年間であり、この間に六編の長編と四〇編近い短編ミステリを残した。グラウザーがドイツ語圏の先駆的なミステリ作家であったことはまちがいない。だが、この時期のドイツ語圏にミステリ作家がほかにいなかったかといえば、むろんそうではない。数多くの作家たちがドイツミステリの歴史を編んでいたのである。だが、忘れられてしまった。あるいは、忘れられなければならなかったともいえる。ドイツミステリの歴史を語るのが容易ではないゆえんである。おおげさに言えば、ドイツ現代史を語るときの困難さにも通じる。ドイツ史の結び目を一刀両断にしたのは、アレクサンドロス大王ならぬ独裁者ヒトラーだったのか。そうではあるまい。歴史との断絶、それは戦後においては第三帝国との断絶を意味した。ナチとの断絶を望み、そして実際に断ち切ったのは、ほかならぬドイツ国民だった。戦後のドイツにおいて、歴史の<零時間>という言葉がもてはやされた。そこには、過去のことはいっさいを白紙に戻して、零から再出発しようという意味が込められていた。これをミステリ文学に引き寄せていえば、一刀両断によって忘却の彼方にうち捨てられた作家たちがあまりにも多いということになるのだ。

 グラウザーが作品を発表しはじめる少し前のワイマール時代は、ドイツミステリの隆盛期だった。パウル・ローゼンハイン、フェルディナント・ルンケル、エーリヒ・ヴルフェン、フレット・アンドレーアス、ハンス・ヒューアン、ルートヴィヒ・カペラー、アレクサンダー・ケラー、フレット・ヘラー、フランク・アルナウといったミステリ作家たちが多彩な活動を展開していた。ルンケル、ローゼンハイン、ヒューアンたちは第一次大戦前後からの老練なミステリ作家だった。アンドレーアスをはじめ、ハラルト・バウムガルテン、フランク・ブラウン、シュテファン・ブロックホフ、エトムント・フィンケ、アルフォンス・ツェッヒらは第三帝国時代に売れっ子作家になった。このうち何人かは執筆禁止が解除された一九四九年ごろから経済復興期のミステリの需要を支えた。ワイマール期のミステリは探偵小説が中心だったが、社会小説、幻想小説、冒険小説、スパイ小説、児童文学とも切り結んで多様なミステリ世界を生み出していた。ファシズムの台頭を目前にした困難な時代でもあった。ためしに、この時代に活動した何人かのミステリ作家を素描してみよう。たとえば、ヴァルター・ゼルナー(一八八九〜一九四三)である。ゼルナーはチューリヒで大戦末期のダダ運動に参加したあと、ヨーロッパ各地を流浪しながら数多くのリアルな犯罪小説を書いた。だが、そのリアリティはナチの反感を買うことになった。ゼルナーは二〇年代末に執筆を断念しプラハに潜伏するが、四二年に妻とともにテレージエンシュタット収容所に送られた。

 あるいはまた、『ユダヤ人のいない街』で有名なフーゴー・ベッタウアー(一九七二〜一九二五)である。編集室で執務中にナチの扇動にのった青年の凶弾に斃れた。ベッタウアーは一八九九年にアメリカに渡り、波乱に満ちた生活を送ったあと一九一〇年にウィーンに戻ってきた。デビュー作の『自己防衛』はミステリ小説だった。新聞連載小説『喜びのない街』は現代的な感覚さえある傑作ミステリである。幻想文学で知られるオットー・ゾイカ(一八八一〜一九五五)もまた、実験的なミステリ小説にとりくんだ一人である。一九一一年の『権力の息子たち』、一九二六年の『フィリップ・ゾンロウの事件簿』など、数多くの探偵小説を書いた。ゾイカとの関連でいえば、レオ・ペルッツ(一八八二〜一九五七)の幻想ミステリ小説『最後の審判の師匠』もあげなければなるまい。ナチ政権成立後もプラハで執筆を続けていた作家がいた。ルイス・ヴァイナート=ヴィルトン (一八七五〜一九四五)である。一九二九年の代表作『白い蜘蛛』はゴルトマン社の選んだ「世界ミステリ文学傑作選」に収められている。ドイツ軍に占領される一九三九年までに一〇冊あまりのミステリを書いたが、その後沈黙した。一九四五年夏、プラハのドイツ人用収容所で死んだ。

 ミステリ作家の何人かは亡命した。フレット・ヘラー、エーリヒ・ヴルフェン、フランク・アルナウたちである。ヘラーとヴルフィンは亡命先で命を落とした。ブラジルに亡命したアルナウは敗戦後に帰国し、戦後もっとも多く読まれたミステリ作家として復活した。ナチの焚書リストにあげられたエーリヒ・ケストナーは亡命を選ばず、国内にとどまって沈黙した。ケストナーのミステリ『消え失せた密画』(早川書房)は一九三四年、スイス・チューリヒで出版されたものだ。ケストナーは戦後になって、『ゴルディオスの結び目』と題する詩とエッセイを書き残している。本当に結び目を断ち切っていいのだろうか。結び目を編んだ人のことを考えよう。そうケストナーは書いたのである。(福本義憲)


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