| タイトル |
著者 |
初版日 |
出版社 |
感想 |
| ◆週刊 司馬遼太郎III
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週刊朝日MOOK |
2008年2月1日 |
朝日新聞 |
副題のうち「義経」天才の孤独、「花神」大村益次郎は当地に関係。武家社会が始まり、終わった歴史の街といえよう。 |
| ツルブからの手紙―東部ニューギニアニューブリテン島 若き一兵士から愛する息子へ 激戦の地から送られ (単行本) |
小林 喜三 (著) |
2007年6月30日 |
新日本教育図書(アマゾン;一部中身も) |
下関から出征し、戦死するまで赤子の息子へイラスト軍事郵便を送り続けた父親兵士。戦争の風化を防ぐ。 |
| 明治天皇〔一〕ー〔四〕 |
ドナルド・キーン/著 角地幸男/訳 |
2007年5月1日 |
新潮社(第1巻) |
明治天皇の御座所は下関条約の春帆楼(wikipedia)や長府庭園にある。また当地の中山神社(東京紅団)の忠光の姉が明治天皇の生母。 |
| 2007年1月号 特集 日本の英雄 肖像大全(下) |
「歴史読本」 |
2007年1月1日(12月8日記) |
新人物往来社 |
表紙写真は高杉晋作と伊藤俊輔。175ページに坂本龍馬の妻お龍、暗殺時彼女は下関だった。259ページにはアーネスト・サトウ(訳書へ)、英国の親日派。 |
| 週刊 司馬遼太郎 |
週刊朝日 編 |
2006年11月30日(18日記載) |
朝日新聞社。 |
坂本龍馬で、寺田屋騒動で生死を共にした三吉慎蔵(図録:長府博物館)が132ページにあり、後年養蚕で長野県に。ご子孫の話もあり。 |
| 高杉晋作と奇兵隊 |
田中 彰 |
2006年11月21日(復刊)、1985年第1刷;2007年11月写真追加 |
岩波新書。 |
冒頭に米独立戦争のミニットマン(民兵の一形態、追記:2頁、下関の像と酷似)が述べられ、日本では奇兵隊が相当という。その光(維新の遂行)と影(諸隊の処罰)について。 |
| 週刊 日本の100人 伊藤博文 |
デアゴスティーニ社 |
2006年10月24日 |
同社。 |
密留学中に下関戦争が勃発(1863年)。急遽帰国し、横浜で断髪洋装なのでポルトガル人として活動。挿絵の"Illustrated London News"は長府博物館にある。 |
| ビジュアル版 日本の歴史を見る 幕末動乱と開国 |
世界文化社 編 |
2006年10月1日 |
世界文化社。 |
各所に当地の記載。長州砲レプリカ(86ページ)、功山寺の万骨搭(94ページ)の写真も。禁門の変後に長州から2人密留学(33ページ)は5人(映画の部)のはず。 |
| わが長州砲流離譚 |
古川 薫 |
2006年9月15日刊 |
毎日新聞社、書評(読売) |
帯に「34年間、執念の追跡行」とあり、1863年の下関戦争で”拉致”された長州砲を刑事のように追った記録。1門は長府博物館にある。 |
| 決定版 図説・幕末 戊辰 西南戦争 |
編: 歴史群像シリーズ編集部 |
2006年8月28日第1刷 |
学習研究社 |
66-67ページでは下関戦争、78-81ページでは第2次長州戦争(当地では四境戦争)の小倉口(今の関門地区)が図解で。なお折り込みの江戸地図では藩屋敷が現在図の上にあり、時空地図! |
| わが風塵抄 |
古川 薫 |
2006年6月5日刊 |
古川薫文学碑建立発起委員会 |
文学碑(上に写真)の銘が付録に。6ページに小泉元首相が横須賀高校に学んでいた時の吉田校長が吉田松陰の子孫とは知らず。 |
| 龍馬の金策日記 / ――維新の資金をいかにつくったか |
竹下倫一 |
2006年5月5日刊 |
祥伝社(s-book) |
117-120ページに「龍馬は下関で海上王となろうとした?」。第2次幕長戦争後の幻の終わった”下関商社”の話。追記:下関商社、海援隊を三菱が、兵庫商社を三井が引き継いだ構図らしい。 |
| 巌流島 武蔵と小次郎 |
津本 陽 |
2006年3月25日刊 |
角川書店(紀伊国屋) |
決闘の慶長17年(1612)、当地は「下関」として記載。 |
| 山口県の歴史散歩 (2006-03-20出版) |
山川出版社 |
2006年3月20日新版 |
(紀伊国屋) |
243ページ”吉田松陰の「飛耳長目」”コラムで兵学の「敵を知り、己を知る」により、情報化社会の現代に注目と。 |
| 日本の合戦 24 高杉晋作と長州征伐 |
講談社 |
2005年12月13日号(掲載11月28日) |
講談社 |
「合戦鳥瞰図 四カ国連合艦隊によって攻撃される下関」は迫真。 |
| 日本の合戦 23 久坂玄瑞と禁門の変 |
講談社 |
2005年12月6日号(掲載11月20日) |
講談社 |
文久3年(1863)5月に下関戦争、8月に京都で8・18政変、公家7人(七卿)が長州下関に逃れた。元治元年(1864)禁門の変で久坂は散る。招魂墓は下関に吉田松蔭、高杉晋作らとある。 |
| 歴史街道 特集1 日清戦争の真実 |
PHP研究所 |
2005年11月1日号(掲載10月23日) |
PHP研究所 |
”「眠れる獅子」を制したリアリストの交渉力”(野村敏雄、54-58頁)にて下関講和会議中、1895年3月24日、李鴻章がピストルで狙撃された話。「顔面を負傷しただけで命に別状はなかった。・・包帯で片目しか見えない李鴻章・・・八日には李鴻章の傷が全治し・・」とある。死亡していたら三国干渉もなく、歴史は大変わり? |
| カーテンコール |
佐々部清 脚本 |
2005年8月25日 |
角川文庫 |
9月17日封切りの同名映画の小説化。脚本家は1958年下関生まれ、運営者と同世代。長年の助監督の苦労が偲ばれる。 |
| 週刊 街道をゆく |
山口万里子 編集 |
2005年から |
朝日新聞 |
4月3日号の長州路「革命児たちの故郷へ」で山口県の紹介、表紙は関門海峡。司馬遼太郎が「なぜ都会的であり、さらにはなぜいまなお封建的優美というか物腰の美しさのようなものを残しているか」等の謎を解くため旅に、と。 2月13日号の第3号「白河・会津のみち」で松本健一氏が”憧れとしての陸奥から幕末の会津へ”を執筆。「国民」をつくった革命の明治維新で下関の豪商・白石正一郎は最初に「国民」となった高杉晋作らのスポンサーに、と。司馬遼太郎の「幕府という身分制社会が、長州という多分に”国民国家”にやぶれた」という。 |
| 月刊 松下村塾 |
月刊 松下村塾 編集部 |
2004年から |
ザメディアジョン |
ビジュアルな月刊誌。第2号(2004年11月号)でも馬関戦争(1863−64年)が出てくる。第4号(2005年1月27日)は「吉田松陰と高杉晋作」で草莽崛起の思想が晋作により奇兵隊となる経緯。第7号(4月27日刊)では「奇兵隊のリーダーたち。」の題。1864年連合艦隊が報復攻撃、そのロンドンニュースの活版の地に関門橋がかかる。 |
| 松蔭と晋作の志 捨て身の変革者 |
一坂太郎 |
2005年1月1日 |
ベスト新書(紀伊国屋) |
下関と萩が舞台。著者は兵庫県出身で、当地の東行記念館学芸員から現在、萩市特別学芸員。長年春風文庫を主宰、春風とは晋作の号。 |
| 旧臣列伝 下関の幕末維新 |
下関市長府博物館 |
2004年 |
下関市長府博物館 |
長府毛利家稿本「旧臣列伝」をもとに、幕末・明治初頭の下関と下関人士を紹介。戊辰戦争での長岡攻略の図あるが、折りしも中越地震の際に特別展開催だった。長州藩士が手厚く葬られていることもあり、下関市は救援物資をすぐ送った。 |
| 義経の時代発刊 |
NHK |
2004年11月27日 |
日本放送協会 |
これもビジュアルで親しみやすい。 |
| 水都(みやこ)の調べ 関門海峡源平哀歌 |
安富静夫 |
2004年8月20日 |
下関郷士会(亀山八幡宮内) |
1185年3月24日の源平壇ノ浦合戦時の潮流をコンピュータにより解析、「実は海峡の潮の流れは止まっていた」と帯にある。紅白戦はこの合戦が起源という。史跡の写真も多い。皆様の入手方法は運営者が調査中。 |
| オールコックの江戸 初代英国公使が見た幕末日本 |
佐野真由子 |
2003年8月15日 |
中公新書(楽天) |
幕末、日英間の通信は蒸気船で半年かかり、電子メールの時代と大違い。オールコックが休暇中(Sirを許可される)の1863年6月25日(文久3年5月10日)下関で攘夷戦争が始まり、同年8月薩英戦争、翌年日本に帰任したが、同年の下関砲撃で任を解かれた。その後本国が了解し、1865年中国に赴任。下段1962年初版の日記訳を参照。 |
| 幕府歩兵隊 幕末を駆けぬけた兵士集団 |
野口武彦 |
2002年11月15日 |
中公新書(楽天) |
帯には「彼らの辿った数奇な運命とは 長州奇兵隊、薩摩小銃隊とたたかい・・・」とあり、長州ではミニエール銃に具足が全く役立たず。1865年の第2次長州戦争は四境戦争ともいわれ、小倉口の「下関海峡」(早鞆の瀬、「関門海峡」は後年の命名)では奇兵隊が対戦、坂本龍馬も手伝い、外国軍艦は観戦。幕軍の小笠原壱岐守が小倉城に火を放って逃走、鳥羽・伏見の慶喜将軍に通じる。幕府側から見た奇兵隊はまさに奇異だったろう。 |
| 平家物語ー無常を聴くー |
杉本秀太郎 |
2002年8月10日 |
講談社学術文庫 |
ライブドアの堀江社長が座右の句とする「諸行無常」の世界。1185年長門の国壇ノ浦に沈んだ平家一門の物語。原本は1996年発刊。著者は父祖代々から京都市の矢田町に住み、1590年秀吉に移されるまで矢田寺があり、琵琶法師覚一も「平家」を語ったという。因縁の作。 |
| 「人望力」の条件 |
堂門 冬二 |
2002年7月20日文庫版 |
講談社+α新書 |
89ページ”吉田松陰の「飛耳長目録」で新聞の社会面を一緒に学ぶという姿勢。今に通じる。 |
| 三吉慎蔵と坂本龍馬 |
下関市立長府博物館 |
2001年10月27日 |
下関市立長府博物館 |
坂本龍馬が慶応2(1866)年寺田屋で遭難して友好が深まり、翌年暗殺される前に下関でお龍を託した三吉慎蔵。幕末に志士の中で目立たない慎蔵と龍馬の交流の資料集。 |
| 下関駅百年 |
斎藤 哲雄著 |
2001年9月 |
新人物往来社(bk1) |
1901年開業(当時、馬関駅)。1942年、関門トンネル開通時に現在地に移転し三角屋根となった。戦災を免れたが、2006年1月7日未明、放火にて焼失(フェロー日記)。表紙裏の開業時の振鈴は焼けてないか? |
| 晋作語録 |
一坂太郎 |
2000年3月5日 |
山口新聞社(なかの書店) |
筆者は兵庫県出身、晋作の記念館(下関、東行庵)にいたが、2006年現在、萩の県立博物館の学芸員。 |
| 幕末長州藩の攘夷戦争 |
古川 薫 |
1996年1月25日 |
中公新書(amazon) |
文久3年(1863)から元治元年(1864)にかけて関門海峡(当時名:早鞆の瀬)で欧米と馬関(下関)戦争があった。高杉晋作の談判で彦島割譲を免れた。 |
| しものせき・人・物語(3)高杉晋作、梅処尼、白石正一郎、伊藤博文 |
絹の道の会 編 |
1989年9月23日刊 |
山口新聞社発行。2006年11月「高杉晋作の観た世界」展で下関市立美術館で入手。 |
32ページに伊藤が1854年下関戦争の講和会議で租借を免れたのは「高杉さんのおかげ」とする彦島は、小サイトで右欄最下段の写真にあり。 |
| 大君の都 幕末日本滞在記(上)(中)(下) |
オールコック 著、山口光朔 訳 |
1962年9月16日 |
岩波文庫 |
Sir Rutherford Alcockが1859(安政6)-1862(文治2)年日本に滞在した記録。第27章(中巻)「下関−瀬戸内海と兵庫への航海」で当地の古い寺(阿弥陀寺[現赤間神宮]?)で16世紀の絵と秀吉の太刀を、役人(全巻ヤコニンの読み)が抵抗するのを見たとある。挿絵の公娼の衣装は、身をやつした平家女官のまま。はっとさせられた1章。 |
| 一外交官の見た明治維新 全二冊 |
アーネスト・サトウ 坂田 精一 訳 |
1960年10月5日 |
岩波文庫 |
Sir Eanest Mason Satowは幕末の馬関戦争や下関に残る英国領事館について貢献してくれた。第1級の資料。 |
| ハリス 日本滞在記 全3冊
|
坂田 精一 訳 |
1954年5月5日第1刷 |
岩波文庫 |
2003年夏に一括重版の時に読む。医療状況もわかる第1級の資料。 |