2008年後半から通読しはじめ、やっと14巻読了しました。表題の「遠い崖」は1889年(明治22年)モンテヴィデオに、その後タンジールに赴任、”まだ日本の岸辺は遠い。(14巻365頁)”による。そして1895年(下関条約の年)全権大使として日本に着任。1900年北京に着任、英国帰国の1906年、日本に立ち寄り、同年、在下関英国領事館が発足。
| タイトル | 著者 | 初版日 | 出版社 | 感想 |
|---|---|---|---|---|
| 離日 遠い崖14 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年4月4日 | 朝日文庫 | 巻末に索引、下関海峡はあるが、関門海峡(近年の造語)はない。 |
| 西南戦争 遠い崖13 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年4月4日 | 朝日文庫 | 西南戦争まで鹿児島病院で指導していたウイリスは帰国し、英国外科学会フェロー(FRCS)と同内科学会資格試験に通った。 |
| 賜暇 遠い崖12 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年4月4日 | 朝日文庫 | 欧州で音楽旅行と外国語習得に励む。帰日時の鹿児島で西南戦争勃発。 |
| 北京交渉 遠い崖11 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年3月7日 | 朝日文庫 | 明治7年の大久保利通の北京交渉、一方サトウは日本学者の道。 |
| 大分裂 遠い崖 10 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年2月7日 | 朝日文庫 | ウイリアム・ウイリスが鹿児島で病院と医学校の指導に情熱を傾けた。 |
| 大分裂 遠い崖 10 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年2月7日 | 朝日文庫 | ウイリアム・ウイリスが鹿児島で病院と医学校の指導に情熱を傾けた。 |
| 岩倉使節団 遠い崖 9 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年2月7日 | 朝日文庫 | 明治5年ころ、日光・西国など旅一色のサトウ。 |
| 帰国 遠い崖 8 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年1月11日 | 朝日文庫 | 明治「革命」(revolutionか)後1年8か月ぶりに帰日したサトウは西洋化に落胆。 |
| 江戸開城 遠い崖 7 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2008年1月11日 | 朝日文庫 | 戊辰戦争の折、サトウは北海の旅、宗谷沖で坐礁・難破。旅好きに敬服。 |
| 大政奉還 遠い崖 6 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2007年12月7日 | 朝日文庫 | 慶喜の大坂脱出、尊攘派のパークス襲撃など、刻々と変動。 |
| 外国交際 遠い崖 5 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2007年12月7日 | 朝日文庫 | 動乱の幕末、サトウは「情報将校」として大坂から江戸まで東海道の旅。 |
| 慶喜登場 遠い崖 4 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2007年12月7日 | 朝日文庫 | 第2次長州戦争後、サトウは「情報将校」として活躍。 |
| 英国策論 遠い崖 3 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2007年11月7日 | 朝日文庫 | 表題は、慶応2年、サトウは中央政府としての幕府の否認を匿名で発表。 |
| 薩英戦争 遠い崖 2 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2007年10月10日 | 朝日文庫 | 表題は文久3年、翌年の英・仏・米・蘭の四ケ国連合艦隊による下関遠征を参戦。 |
| 旅立ち 遠い崖 1 アーネスト・サトウ日記抄 | 萩原 延壽 | 2007年10月10日 | 朝日文庫 | サトウが19歳で、生麦事件など攘夷の嵐の日本へ来た1862年から。海から見た崖が印象に残る。 |
