「福岡県大牟田市の財政状況と課題について
    ― 炭鉱閉山後の地域振興を考える前提として」

1 問題の所在

 福岡県大牟田市では、平成9年3月30日に百有余年の歴史をもつ我が国最大の稼行炭鉱である三井三池炭鉱が閉山した。同市ではここ数年、国の石炭産業合理化政策の下、閉山を想定した「あらかじめ対策」を実施してきたが、構造不況業種である石炭産業への過度の依存から、人口の長期的減少は止まらず、平成7年の国勢調査人口では14万5千人と15万人を割っている。
 本レポートでは、閉山対策や地域振興策に直面する大牟田市に対する今後の国及び県の支援策を考える前提として、大牟田市の財政の現状及び問題点やこれまでの経過について検討する。そのためには、比較の対象を置いた方が、より大牟田市の財政の姿が浮かびあがると考えられるので、同じく福岡県内にある久留米市との比較により論を進めたい。
 久留米市を選択した主な理由は、第一に、人口規模と産業構造が似ている点である。第二に、福岡県内の地域ブロックからみて、ともに県南に位置することである。
 大牟田市と久留米市の財政の姿を比較する場合、各時代の経年変化でみていく方が両都市の特徴を見出せると考えられるが、その前の準備として、まず両都市の財政を包む概況(財政上の与件)を述べることとする。

2 大牟田市と久留米市の概況
(1)人口及び面積
 昭和35年以降の国勢調査人口をみると(第1表)、大牟田市は昭和35年の20万6千人をピークにその後は一貫して減少している。これに対し、久留米市は県平均の伸び率と同歩調で順調な人口増加がみられる。特に昭和30年代後半は筑豊地域の閉山の影響により県全体の人口が減少したにもかかわらず、堅調な伸びが目立つ。
 この動きの中で両都市の人口逆転が生じた時点はいつ頃かみてみよう。昭和42年2月1日に三瀦郡筑邦町が、同年4月1日に三瀦郡善導寺町が久留米市に編入され、行政区域が拡大されたという事情が久留米市の人口増に寄与したのは事実だが、直ちに人口逆転に至ったわけでない。というのは、住民基本台帳人口において昭和43年度末の大牟田市の19万4千人に対し、久留米市の18万8千人、翌44年度末の大牟田市の18万4千人に対し、久留米市の18万9千人と、大牟田市の減少と久留米市の増加が相俟った結果、昭和44年度中に人口逆転が生じたからだ。
現在の人口と面積をみた場合、人口比が概ね2対3であり、面積比も概ね2対3であるので、人口密度はともに1千8百人台でほぼ等しい(第2表)。
 なお、市区町村の境界内で人口密度の高い調査区が互いに隣接して、その人口が5千人以上となる地域を人口集中地区(DID)というが、DID面積は大牟田市の方が大きく、DID人口と面積の間では前記の比が成り立たない。このことは久留米市の外縁部の農村的性格から了解されよう。
(2)産業構造
昭和35年と平成2年の産業構造を比較すると(第3表)、第一次産業の減少と経済のサービス化による第三次産業の増加の傾向は、両都市とも全国傾向と軌を一にしている。久留米市において、第二次産業の構成比がそれほど大きく落ちていない理由は、もともと第二次には石炭などの鉱業はほとんど含まれず、建設業やゴム、食品等の製造業が大半であるからだと考えられる。
 なお、第二次産業中鉱業就業者数の推移を、大牟田市のために改めて確認しておく必要がある(第4表)。
 また、今回の炭鉱閉山に伴い炭鉱労働者は全員解雇されたため、鉱業就業者数はほぼ皆減した。
(3)都市化の度合い
 両都市の都市化の度合いを考えるとき、すぐに想起されるものに普通交付税の算定に用いる「種地」がある。この「種地」を簡単に説明すると、普通交付税の基準財政需要額の算定において、都市的形態の程度に応じて異なる地方公共団体の行政質量の差(経費の差)を反映させるために、地域区分による普通態容補正が適用されており、この都市的形態を示す地域区分が「種地」である。「種地」は全市町村を中核都市としての甲地とそれ以外の市町村としての乙地とに区分し、さらにそれぞれ10種地の合計20区分としている。甲地の都市的形態を表す指標として、DID人口、経済構造、昼間流入人口及び宅地平均価格を用い、中枢管理機能の集中、昼間人口の流入及び用地の取得等による当該団体の財政需要の増加について割増しを行うものである。
 近年の大牟田市と久留米市の種地は、ともに甲5であるが、種地を決める千点満点の評点の上では久留米市が上回っており、両者の差が開きつつある(第5表参照)。
(4)地域指定の状況
 地域指定が重要なのは、言うまでもなく国庫補助金、地方債、地方交付税等の指定団体に対する国からの財政措置を伴うものが多いからである。いわゆる地域財政特例制度である。
 重要な指定等を挙げれば、大牟田市については、産炭6条、新産、工業再配置特別誘導、地域経済基盤強化対策地域、公防、久留米市については、低開発、テクノポリス、工業再配置、地方拠点都市である。これらの指定によって、交付金、国庫補助負担割合の特例及び国庫補助負担額の嵩上げ、適債事業の拡大及び地方債充当率の引き上げ、地方交付税上の特例(普通交付税(産炭地補正、低工法等減収補てん措置、公防債元利償還金の算入)、特別交付税(各産炭項目、地方拠点都市基本計画策定経費))等がそれぞれ、あるいは組み合わせによって措置されている。
ここで最少限の論点を挙げれば、大牟田市の産炭6条と新産の重複指定については、嵩上げ額がいずれか有利な方によるとされ、実際には産炭嵩上げによっていることと久留米市は福岡県下最初の地方拠点都市の一つとなったが、この制度自体の評価が必ずしも定まっていないことである。

3 大牟田市と久留米市の財政比較
(1)両都市の財政の現状と問題点
 自治省統計の一つに市町村が毎年作成する普通会計決算統計がある。以下、これとその統計結果を加工した類似団体別市町村財政指数表を用い、財政運営の基本三原則(収支均衡、財政構造弾力性の確保、行政水準の維持向上)を踏まえたオーソドックスな財政状況の比較検討を行う。
 別添の資料は、両都市の平成7年度決算における類似団体との比較カードである。
歳入構造では、大牟田市の特徴は、産炭6条団体の典型の姿であり、地方税をはじめとする自主財源に乏しく、反対に地方交付税、国県支出金の依存財源に大きく依存している。地方税について詳細にみると、鉱産税という炭鉱所在による税収があり(第6表参照)、固定資産税が堅調であるものの、個人所得割市民税及び法人税割市民税が低い。また、一般財源等の額が類似団体を上回っている(構成比は類似団体とほぼ同じ)が、これは何といっても地方交付税の影響である。大牟田市の歳入構造は、類似団体に比べ安定性、自律性に欠けていると言わざるを得ない。
 他方、久留米市の歳入構造は、概ね類似団体と差がなく、むしろ地方税の人口1人当たりの額及び構成比が類似団体を上回っており、健全な方向にある。
 歳出構造では、大牟田市は、人件費、扶助費及び公債費の義務的経費はいずれも、人口1人当たりの額、構成比(公債費の構成比を除く)ともに類似団体を上回る。特に、人件費と扶助費が際立っている。
 人件費については、給与水準(ラスパイレス指数)(1)と職員数に問題がある。人口千人当たり職員数で、類似団体を1.5人上回り、そのうち技能職員数で0.87人上回っている。これは、昭和48年にし尿紛争(委託料をめぐる委託業者のスト)が生じ、市直営化の方向で解決した経緯により、現在も、ごみと共にし尿の直営化率が高いことによる。
 いずれにせよ、人件費については、今後、行政改革の中で、人件費の総枠を抑えるとともに職員数の削減を図る必要がある。
 扶助費が高いことも、産炭6条団体の特徴であるが、因みに生活保護率は、筑豊の産炭6条市に次いで高い(2)。また、若年層の流出により高齢化率が福岡県下の都市中、産炭6条かつ過疎団体である山田市(全国2番目のミニ市)に次いで高いことも見逃せない(3)。
 大牟田市の投資的経費は、決算額では単独事業費が補助事業費を上回っているが、類似団体との比較において、補助事業費と失業対策事業費のウエイトが高いと言える。
 他方、久留米市の歳出構造でとりあえず指摘すべきは、人件費がやや高い点ぐらいである。人口千人当たりの職員数は類似団体より少ないにもかかわらず、人件費が高いのは給与水準のためである(4)。なぜなら、人件費は人数に単価を乗じて算出されるためである。
 次に、財政指標を類似団体と比較すると、大牟田市については、財政力が弱く、義務的経費による財政の硬直化が進んでいると判断される。また、財政調整基金が無いため特定目的基金により、年度間の財源調整を行ってきた結果、基金残高は底が見え始めており、引き続き厳しい財政運営を行っていることが、資料から容易に分かる。
 念のため、政令市を除く福岡県下21市の財政指標(平成7年度決算)について、順位比較をし、両都市の位置を確認した(第7表)。
 なお、社会資本の整備の観点から下水道普及率をみると、大牟田市21.5%に対し、久留米市56.0%(平成7年度公共施設状況調査)と両者に大きな格差がある。
(2)両都市の財政の推移
 昭和35年度を起点として、5年刻みで両都市の決算を比較した。
 昭和35年は、安保闘争、三池争議、岩戸景気の最後、国民所得倍増計画等があった年であり、昭和40年は、40年不況、昭和45年は、いざなぎ景気の最後、公害国会、大阪万博の年である。昭和50年は、48年からの第一次オイルショックの影響を直接受けた年であった。なお、この年は、補正予算で地方税減収補てんのための赤字地方債を発行し、昭和50年代通じてマクロの地方財政で大幅な収支不均衡が生じた年でもある。昭和55年は、第二次オイルショック、昭和60年はプラザ合意と円高不況の年、平成2年はバブル経済の真っただ中、平成7年はバブル経済崩壊後に当たる。
 大牟田市の財政の推移をみる場合、忘れてはならないことは、昭和39年度に市財政危機により、地方財政再建促進特別措置法の準用指定を受けた(5)ことである。準用再建期間は、昭和39〜43年度の5年間(6)。しかし、その後も赤字体質は必ずしも治らず、昭和47年度に再び赤字決算、昭和62年度に黒字転換するまで、15年間赤字を続けている。
 財政力指数の推移をみると(第8表)、大牟田市は、0.49〜0.64、久留米市は、0.64〜0.80の範囲にあり、常に久留米市が大牟田市に差をつけている。また、久留米市と政令市の福岡市を比較してみても、福岡市の政令市昇格後、暫くの間は久留米市の方が高かったことが分かる。福岡市の財政力指数の動きは、政令市昇格後の基準財政需要額の増加によって説明でき、県分も影響されているはずである。
 両都市の財政規模の推移を、歳出決算額と標準財政規模でみてみよう(第1図及び第9表)。標準財政規模とは、経常一般財源の理論値である。
 歳出決算額は、昭和35年度において、大牟田市対久留米市は概ね3対2であったが平成7年度においては、概ね4対5である。この35年間で大牟田市は約26倍、久留米市は約50倍の決算規模となっている。久留米市の逆転の時点は善導寺町編入と善導寺町中学校組合を消滅吸収した昭和42年度の4年後、人口逆転の2年後の昭和46年度であり、その後、昭和60年度に1回だけ大牟田市が久留米市を再逆転したものの、それ以外は久留米市が大牟田市を凌駕している。昭和60年度の大牟田市については、普通建設事業費の補助事業費が対前年度で約20億円増加していることが一因である。
 標準財政規模は、平成7年度において両市概ね2対3となっているが、久留米市がキャッチアップしたのは、同じく昭和46年度である。
 5年刻みの決算カードの直接比較等から得られたことは、次のとおりである。
@大牟田市の人口の長期的減少傾向と久留米市の人口増加があるにもかかわらず、人口1人当たりの地方税額が一貫して久留米市の方が大きいこと。また、地方税の歳入総額に占める構成比は、昭和35年度を除いてみた場合、大牟田市は3割前後であるが、久留米市は昭和60年度頃から4割台後半を基調とするようになったこと(ただし、平成6、7年度は特別減税により低下。)。
A昭和40年度以降掲載されている経常収支比率によれば、昭和45年度までは、大牟田市の方がむしろ財政構造の弾力性があったこと。昭和50年度までは、久留米市は人件費が財政構造の硬直化の最大要因となっていたが、その後急速に改善されていること。昭和60年度前後から、大牟田市においては、従来からの人件費及び扶助費に加えて、公債費も財政構造の硬直化の要因となっており、昭和40年代後半からかなり高い水準のままであること。
 以上、両都市の財政比較を現在及び過去を通じて行った。
 現在、両都市は都市としての活力も、また財政運営上の健全度も歴然とした開きがあるが、それは、決して過去から一貫としてのものではない。久留米市が大牟田市を都市活力、都市財政、その他様々な面で上回った分岐点は、おそらく昭和40年代半ばから昭和50年前後にかけてであった、と考えられる。また、大牟田市の脆弱な歳入構造と経常経費の大きさゆえの赤字体質が改めて浮かび上がってきたと思われる。

4 結びに代えて
 石炭産業の拠点として石炭化学工業等三井系企業の企業城下町であり、有明地域の中心として発展してきた「準鉱業都市 大牟田市」。我が国で初めての都市型の炭鉱閉山を経験したわけであるが、冷静に事態をみるならば、既に相次ぐ合理化によって徐々に人口が減り、大きなショックを受けることなく閉山を迎えたと言えるのではないだろうか。過去の新日鐵釜石や函館ドックの例と比較するとその感を一層強くする。その意味でソフトランディングに成功したと言えよう。もちろん、これには膨大な国費が投入されていることを忘れてはならない。
 しかし、大牟田市の、離職者対策、住宅対策、専用水道一元化等直接の閉山対策(7) は、産炭法の最終期限である平成13年度までの5年間で処理されなければならない。平成13年は西暦2001年、まさに21世紀冒頭の年である。
 この閉山対策の勝負の5年間は、国、地方を通じた財政構造改革期間中でもある。もちろん、この間、閉山対策に関する市への国及び県の財政支援はある程度不可欠と思われるが、大牟田市自身にとっては、早急に自助・自立の行財政運営を確立しなければならない。すなわち、自己責任原則の下、第一に緊急の閉山対策に伴う国、県による財政支援はここ数年のものと理解し、依存財源への過度の期待は払拭すること、第二に閉山による危機意識をバネに職員人件費の削減(給与、定員の適正化)に実効をあげること、第三に将来の人口予測とともに中長期的な財政規模の「縮小均衡」の着地点模索とソフトランディングを真剣に検討すること、が必要と考えられる。

(注)
(1)平成8年ラスパイレス指数104.3 福岡県下の都市中、筑後市に次いで第2位。
(2)平成7年度生活保護率23.1
(3)平成2年国調ベースで18.4%、平成7年国調ベースで22.0%
(4)平成8年ラスパイレス指数104.2 福岡県下の都市中、第4位。
(5)新藤東洋男『赤いボタ山の火−筑豊・三池の人びと』三省堂、1985年、285〜286頁によれば、「この市財政窮乏の最大の原因は、大牟田における最大の企業体、三井三池鉱山からの鉱産税をはじめとする各種税が収納できなかったことにあり、「工場等誘致奨励交付制度」にもとづいて、五つの三井の大企業へ多額な交付金を市民の血税によって助成しなければならなかったところにあった。幻の新産都市計画にもとづく工場誘致は、市民負担による三井独占への奉仕であった。」というが、やや一面的な感がする。
(6)善導寺町は、法適用の財政再建団体であった。久留米市との合併前の昭和40年度末で再建完了。
(7)平成9年4月23日関係14省庁で組織する産炭地域振興関係各省庁連絡会において政府の総合対策が決定された。総合対策は雇用、住宅、地方財政など緊急対策のほか、三池港や有明海沿岸道路の整備促進などで企業誘致の受け皿づくりを進め、環境・リサイクル産業の展開を目指す―地域振興対策を盛り込んでいる。
小論文・随筆目次に戻る