小海線の歴史 for YoshijiStudio
このページでは、題名である小海線の誕生から
今に至るまでの歴史を簡単に紹介していきたいと
思います。
何せ、鉄道に関しては限りなくシロウトに近い
管理人なので(苦笑)、随所に誤りがあるかも
しれません…気づいた方は、遠慮なく
お知らせください。その都度修正して
いきたいと思います。
目次♪
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小海線の前身となるのは、地元の私鉄である「佐久鉄道」です。 佐久鉄道は大正4年、地元の有力者の手によって小諸〜中込間が開通、大正8年には小海までつながる全長およそ30キロの私鉄でした。 当初佐久鉄道は新しさもあって好成績を収め、「電化」「甲信越連絡」等広大な計画があったようですが、昭和初期の恐慌によって断念となりました。そして、昭和9年に国鉄に移管され、佐久鉄道は幕を下ろしました。 ちなみに、この当時バス攻勢や恐慌にさらされた佐久電鉄は、煙害のない「ガソリンカー」を導入しています。要は自動車の内燃機関と同じもので、当時では馬力が上がらず勾配のきつい路線では逆戻りしてしまうこともあったとか(-_-;)ガソリンカーの姿は、中込駅の近くにある成智公園にて見ることができるそうです。 昭和10年には長野・山梨の希望であった小淵沢〜小諸間が全通しました。それまでの小海線は南北に分かれており(小海〜小諸が北線、小海〜小淵沢が南線)海ノ口〜川上間の工事は熾烈を極めたそうです。いずれにせよ、これにより小海線の輸送能力は大幅にアップ、それに追い打ちをかけるように同年、名車C56が配置されたのです。 |
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C56は戦前の蒸気機関車で、当時の最新鋭機関車でした。これ以降小海線には蒸気機関車が配備されず、後のイメージに大きく関与することになります。ちなみに太平洋戦争が始まると、小海線のC56は多くが東南アジア方面に出征することになったそうです。前述のガソリンカーが昭和19年に退いてからしばらくの間、小海線はこのC56のみが走るということになりました。 小海線は元々線路の規格が低く、大型の機関車を導入することができないため、仕方なしに簡易線用のC56が配備されたのです。しかしながら二本屈指の急勾配を誇る小海線、その弱さをまざまざと見せつけていたそうです。言い伝えでは「用足し」のために男性が車両から飛び降り、再び走って追いつく事が出来たとか出来ないとか(T_T) 戦後になると、徐々にディーゼルカー(DD16)が配備されるようになり、C56の数は少しずつ減っていきました。昭和30年以降、旅客はディーゼルカー、貨物は蒸気機関車という使い分けがされ、C56は4両に減りました。しかしながらこの4両が最後まで配備され、小海線の顔となります。また気動車による準急「八ヶ岳」循環急行「のべやま」「すわ」らが誕生しました。 昭和40年以降、「SLブーム」が巻き起こり、小海線はそのイメージと昭和42年からの野菜輸送貨物「高嶺」等の効果により、鉄道ファンが常にC56の姿を追い求めるようになりました。様々な記念列車なども走って賑わいを見せていたのですが、「高原のポニー」と呼ばれるその勇姿も国鉄の合理化には勝つことが出来ず、昭和47年を最後に蒸気機関車はその煙を上げることはありませんでした。 |
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それ以降も合理化はさらに進んでいき、昭和50年には急行「のべやま」「すわ」が姿を消し、その後も貨物列車がなくなりました。 その頃の主力になっているのが「キハ52・58系」と呼ばれる気動車(ディーゼル)です。この車両はエンジンを2基積んだ馬力のあるものですが、やはり小海線の急勾配にはその弱さが露呈されたそうです。 現在小海線で運行されているのは普通列車のディーゼルカー「キハ110系」のみです。私の旅行記にさんざん掲載されているので形については触れませんが、1両〜3両編成で、過去とは比べものにならないくらい強力に急勾配を駆け上がります。このパワフルさは、一度乗って確かめていただければきっと感動することでしょう。 小海線は、今では存続の危機に立たされているとも聞きます。活性化案として現在JR西日本に唯一残されているC56を使った記念運行などがあるそうですが、やはり設備の面で厳しいかもしれません。個人的にはぜひ、この目で見たいものですが…やはり、ファンの一声一声が小海線を守っていく事になるのは間違いないでしょう。 (2009.12.4追記) そんな存亡の危機にあった小海線ですが、2007年7月に「救世主」ともいえる車両がデビューしました。世界初の営業用ハイブリッド気動車、「キハE200形」です。 その言葉通り、システムは最近の車で見かける「エンジン+バッテリー」そのものです(ただし、この車両のエンジンはディーゼルですが) この車両がもたらすものは計り知れないものがあります。単に燃費の向上だけでなく、排気ガスおよび騒音の低減・あらゆる人が乗りやすい内装、メンテナンス作業の低減までも可能としています。 つまり、乗客・環境・従事者、全てに「やさしい」列車なのです。 スピードを求める現在にあって、この鉄道界唯一無二の「やさしさ」は、雄大な自然を背景に走る小海線の、大きなPRとなる事は間違いありません。 前述の通り、小海線にはかつてC56という「顔」がありました。そしてこのキハE200形は、これからの「顔」として十分な魅力を秘めていると言えるでしょう。 今はテスト走行のため2009年で終了との事ですが、これまでに得たデータを無駄にせず、小海線(ひいては鉄道界)の活性化につなげてほしいものです。 |