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| あれやこれや | 10月31日 2002年 |
| ▼ちょうど神田神保町では古本まつりが行われているはず。もちろん行く余裕はなし。 ▼堀江あき子編『江戸川乱歩と少年探偵団』(河出書房新社1500円+税)なんて本が出ている。編者は弥生美術館の学芸員。そういえば、いま弥生美術館で「江戸川乱歩の少年探偵団展」が開催されているそうな。S保教授が先日の某宴会の前に観てきたと言っていた。 少年探偵団シリーズは、ほぼ全作読んでいるはずだが、一作だけ漫画で読んだ記憶があり、それがこの本にも口絵で載っている「鉄塔の怪人」だ。読んだのは、藤田しげる画か咲花洋一画かわからない。いとこからもらった本だった。 それにしても藤子不二雄や泉ゆき雄(なつかしい!)にちばてつやまで「少年探偵団」のマンガを描いていたとはしらなかった。あと、この本には記されていないが、たしか昭和40年代に虫プロでアニメ化、マンガ化されたはず。 ▼ジョン・ファンテ『塵に訊け!』都甲幸治訳(DHC1700円+税)なんて本も出ている。1939年作ながら、かのチャールズ・ブコウスキーによって再評価された作家の作品。 巻末の訳者あとがきを読むと、当時ハリウッドで仕事をしていた関係でサロイヤンやフォークナーと親しかったという。ファンテは、ジェイムズ・M・ケインを世に送り出し、ハメットやチャンドラーの作品を「ブラック・マスク」誌に載せた、かの名編集者H・L・メンケンに認められてデビューしたのだ。この作品の主人公のモデルはメンケンだという。はやく読みたい。 また、今年の春におこなわれたファンテのシンポジウムの中で「ロサンゼルスを代表する作家とは」との問いに、ジェイムズ・エルロイが「ジョン・ファンテ」と答えたそうな。 エルロイといえば、映画「LAコンフィデンシャル」のカーティス・ハンソン監督の最新作「8マイル」(日本公開は来年)は、人気ラッパー、エミネムの半自伝的なストーリーらしい。主演もエミネム自身。「8マイル」とはデトロイト市の直径を意味しており、この内と外という基準が人生の岐路を意味しているそうだ。貧富の差や人種差別などがテーマになったストリート抗争の物語なのだろうか。 ▼しばらく余裕がなくていまごろ開いた「ギター・マガジン」11月号の特集は、ギタリストとしての山下達郎。とくにカッティングの名手として知られるが、わたしも学生時代からコピーしまくっていた。達郎の曲では、遊び半分にベースのコピーもよくしていたもの。いわゆるチョッパー・ベース。いまだにど下手だけど、それで少しはベースも弾けるようになったのだから、ありがたい。 そして、山下達郎氏がフェイヴァリット・ギタリストに挙げているひとりが、バジー・フェイトン(ポール・バターフィール・バンド、フルムーン、ラスカルズ、etc)であるとは有名な話だが、そのことを知るまえからわたしもバジーのフリークだった。小学生6年からアコースティック・ギターを弾き始めたものの、エレキを本格的にはじめたのは10代の終わりからという奥手ながら、20歳をすぎて起きてから寝るまでバジーのコピーに明け暮れていた時もあった。いまだ最愛のギタリスト。今年、怒濤のようにバジー関連新譜が出たのが、うれしい。 もっと音楽の話を書きたいが、めちゃくちゃマニアックになるので、このあたりでやめ。 |
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| そろそろ年末の足音が | 10月28日 2002年 |
| ▼しばらく雑誌原稿は、12月号掲載分を書くことになる。もうそんな時期になってしまった。今年もロクでもない一年だった。やりたいことがなんにもできなかった。 きのうは、とある仕事で都心へ出る。体調もやや上向いてきた。ともあれ、できればなんでも前向きに考えたい。 ▼日本でもっともはやい12月号かもしれない「ミステリマガジン」最新号を読むと、触れたい話題が多い。『シークレット・ヒストリー』(扶桑社ミステリー)(これ、なぜか日本ではあまり評価されなかったが、個人的には年間ベストクラスの傑作だと思う)のドナ・タートがついに第2作を発表したとか、「隔離戦線」で関口苑生氏が少女探偵〈ナンシー・ドルー〉シリーズに触れているが、わたしが小学校5年生の秋、学校の図書館にこのシリーズの邦訳が並び、当時すでに探偵小説ファンだった(しかも図書委員だった)自分は読んだ記憶があるとか、木村仁良氏の「サイバーガムシュー」が最終回だが、ネットと雑誌の流れる時間差があるなど、こうした連載を月刊誌で続けるのは労多くして益少なき仕事(まぁ、HMMの原稿はどれでもそうだけど)だったろうとか、あれこれ。 さらにどーでもいい話だが、マギー審司というコミカルなマジシャンが、どことなく現編集長のI井氏に似ていると思う。誰も知らないマイナーな話題だ。 ▼いま東京国際映画祭の真っ盛り。だが、さすがに今回はパス。先日、家のビデオ類を3、4時間くらいかかって再調査した。映画祭に行く余裕があるなら、すでにビデオやDVDで買いためている古い作品やいつか必ず見ようと思って録画したものなどを優先したい。そうしないと死ぬまでに片づかない。 そんなわけで、買おう買おうと思っていた、未発表音源ばかりの「志ん朝復活」のCD12枚も手に入れたし、フォアフレッシュメンの"The Best of The Four Freshmen: The Liberty Years" なんてのが出ていてたし(68年東京のパレスホテルのライヴという、本国未発売のレアな盤の音源をリマスターした曲が7曲入っているほか、当時、全盛期だったいわゆるソフトロックの有名曲をはじめその道マニアの琴線くすぐり曲を多く集めており内容的にもGreat!)、あれこれと満足。 |
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| いまごろ横溝生誕百年本を読む | 10月25日 2002年 |
| ▼今年の春に出た本ながら、いまごろ横溝正史『横溝正史 自伝的随筆集』(角川書店)と角川書店編『横溝正史に捧ぐ 新世紀からの手紙』(同)の2冊を読んだ。 自伝的な文章を集めた前者を読んで気づいたのは、横溝氏が戦時中に岡山に疎開したのは、ちょうどいまの自分と同じような年ごろの時だったのだ。43、44歳あたり。そのとき『本陣殺人事件』を書きはじめたのだと知る。 また横溝氏は、少年時代に三津木春影の影響を受けたという。三津木は、原書をもとに日本の読者へ読みやすく改変した娯楽小説の書き手、すなわち翻案家。 横溝氏の子供の頃は第一次世界大戦前夜。国際情勢が緊迫していたこともあり、世界的にスパイ小説が大流行していた。三津木作品もそうした間諜ものが多かったが、単なる活劇ではなく、トリッキーで大道具小道具の使い方の探偵小説的な内容だったというのだ。オリジナルがだれの作品だったのか気になる。 そういえば、かのアガサ・クリスティ女史にしてもデビューのちはスパイ物や冒険物と探偵物を半々ずつ発表していたではないか。『秘密機関』('22)『茶色の服の男』('24)やバトル警視物だ。第一次大戦直後の1920年代の話である。『アクロイド』の刊行が26年で有名な失踪事件を起こした年。いわゆる本格探偵ものの傑作を続けて発表するのは1930年あたりからなのである。ついでに調べてみるとクリスティが43、44歳ごろに発表したのは『オリエント急行』('34)だった。 ガイドブック『横溝正史に捧ぐ』の巻末では、横溝正史のご子息である亮一氏が思い出を披露している。今年の横正賞パーティのときにも紹介されていたエピソード。 晩年、酒に酔うと、「乱歩なんかに負けてたまるか、俺はいつもそう思って、乱歩さんを目標にした。乱歩なんかに負けるか、その気持ちが、俺にいろいろな物を書かせたのよ。そういう目標であってくれた乱歩さんは、誰にも代えがたい、恩人なのさ」そういうと、父は手放しで泣き出し、窓をあけて隣近所もはばからず、「乱歩さーん。あんたも書いてくれーっ」と大声で叫びたてるのだった。 ▼まえに話題に出したエドワード・ケアリー『望楼館追想』(文藝春秋)だが、読んでいて連想したのが、岡田史子とか森雅之とかのマンガだった。もしくは中勘介『銀の匙』か。読めば絶対に気に入るだろう潜在的な読書の多そうな作品かもしれない。 ▼てなわけで、あいかわらず胃の調子が悪く、ここんところ朝起きると必ず眼の充血がひどいのは、眼精疲労ではなく粘膜系がやられているせい。なぜだ。 そんななか、湯豆腐ばかりでは飽きてきた。「みんなスープ」(マガジンハウス)という料理の本に「豆腐のすり流し汁」というのが載っておりおいしそうなので、つくってみる。 豆腐を裏ごしし、だし汁に入れて加熱し、かき混ぜながら沸騰まえに片栗粉を加えとろみをつけて出来あがり。なるほど、豆腐の味が濃厚に感じられる。昆布とカツオ節を少しぜいたくに使ってだしをとったせいか、上品な味でおいしい。ついでに茶碗蒸しもつくる。 このあいだ久しぶりで歩いて3分のところにある東京都現代美術館へ行ったのだった。「ベルリンのアート展」というベルリンの壁崩壊後のドイツ現代美術の作品を見てまわる。近代的文明の産物をメタな視点で見直す作業が現代アートの関心事なのだろうか。 |
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| あっしにもかかわりのあることで。 | 10月23日 2002年 |
| ▼笹沢左保氏が亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。著作が377冊もあって、読んだのはおそらくその10分の1も満たないわたしながら、以前、某文庫の解説を書かせていただいた。たしか、「読んでないからこそ、その初めて読む面白さを評して欲しい」てな編集者の言葉で引き受けたような覚えがある。実際に読んでみると「意外な」面白さだった。 たとえば、ある新聞に載った笹沢氏の訃報には、 当初は現代ミステリーを得意としていたが、71年に徹底的にニヒルな無宿渡世人を描いた「木枯し紋次郎」シリーズを発表、西部劇を思わせる斬新なアクションと非情さで、時代劇ファンのみならず若い読者も魅了した。 とあった。そもそもマカロニ・ウエスタンの時代劇版をめざしたのが『木枯らし紋次郎』執筆のきっかけだったという。しかし、シリーズを読んでいくと、どの作品も謎やひねりや意外性など、いわゆる本格推理小説の骨格をしっかりと備えていることに気づく。 そういえば、関口苑生『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』(マガジンハウス)を読むと、その第十八章(平成二年『フェニックスの弔鐘』に触れている章)で笹沢氏の乱歩賞選評を引用している。 「ミステリーと称して、推理小説の内容の幅をほとんど無制限に広げて来たが、それがここまでエスカレートしたかということである。(中略)同時に「主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれていく経路のおもしろさを主眼とする小説」という推理小説の本質が二の次にされるようになって以来、推理小説が衰退の一途をたどっていることをあらためて痛感した。ぼくは、推理小説らしい推理小説の独立を叫びたい」 「木枯ら紋次郎」のヒットにより、ニヒルな主人公が活躍する時代劇の書き手との評価ばかりがクローズアップされているが、もともと推理小説にこだわった作家なのだ。その意味では今後「紋次郎」以外の作品の再評価が求められるだろう。逆に言うと推理小説として圧倒的決定的な代表作がなかったことを残念に思うべきなのかもしれないが。 ともあれ皮肉にも、その選考委員当時の乱歩賞に対する評価は低く、受賞作家もその後筆を折ったり、めぼしい作品を発表していない人ばかりである。一方で、新本格の芽が同時期に生まれていた。綾辻行人氏らのデビューは87年。 ちょうど冷戦末期で、ベルリンの壁が壊れたのが89年の末だった。グローバル化と称してアメリカ的な資本主義がほとんど無制限に世界中へ広がる一方で、あちこちで原理主義、民族主義が台頭していく。その軋轢が以後さまざまな対立やテロへと発展した。どちらも似たような構図だと思うのだが。 ちなみに当時わたしは、泡坂妻夫、連城三紀彦、岡嶋二人、島田荘司や初期の東野圭吾などを夢中で読んでいたし、けっしてアンチ本格ではなかった。もちろん絶対的な(タコツボ的な?)本格マニアとはほど遠く、いろいろなタイプの犯罪小説やそれまで何の関心もなかった周辺ジャンルの面白さを知りはじめた時期かも。読書量がどんどん増えていった。だが、笹沢氏をはじめ、それ以前の人気推理小説作家はあまり読まなかった覚えがある。日本ミステリー史的には、過渡期にあったのだろう。 ▼きのうは、S社の某書増刷お祝い会に参加し、久々に多くの同業者と会する。まぁ、いつものメンバー(ミステリーと称して推理小説の内容の幅をほとんど無制限に広げる一方、推理小説への愛など持たずその本質を二の次にし、金儲けのために談合するなど悪どいことを重ねてきた書評マフィア連中?)だ。その席でO森家のTキオ社長にはじめてお目にかかる。 宴会場は根岸にある古い日本家屋をそのまま店にした串焼き専門店。ここのところ、冷たいビールに油っこい食事だとたちまち胃が悲鳴をあげていたので、ちょっと心配だったがなんとか持ちこたえた。美味しかった。仕事が残っていたので1次会で失礼。なんでも他の方々は朝まで飲んでいたらしい。 ▼きょうは、夕方、仕事がひとつ片づいたのでふとテレビをつけると、ちょうどNHKBSで、英国の〈神田神保町〉といわれ、古書店が並ぶ田舎町、ヘイ・オン・ワイが映っていて驚く。 サイコロを転がしてその出た目で次の行き先を決める紀行番組「旅はサイコロまかせ」(the Diceman)の一場面だったのだ。 そのほか、いろいろと本やビデオが届く。たとえば、美濃部美津子『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』(扶桑社1400円+税)なんて黙っていても見つけたら絶対に買う本をはじめ、すでにWebで読んでいる目黒孝二『だからどうしたというわけではないが。』(本の雑誌社1600円+税)とか、どういう経路で自分のところに送られて来たのか分からないが、魅力的な木版画による絵物語のリンド・ウォード『狂人の太鼓』(国書刊行会2000円+税)とか、イギリスのTVシリーズ「フロスト警部」のビデオ(エプコット)とか。ありがとうございます。本来は感想をそえてお礼の葉書とかを送るのが礼儀というか仁義なのでしょうが、失礼いたします。 そのほか、寝る前に映画ジョン・ヒューストン監督「マルタの鷹」をDVDで見る。フィルム・ノワールの原点と言われる名作。たぶん最初に見たのは20年以上前のはず。ある「問題」を確認する意味もあった。長くなってしまうので、この話題はいずれ。 |
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| 頭はどうにか悪くない | 10月20日 2002年 |
| ▼このまえ、薬局でふと頭痛薬の棚を見ていたら、バファリンだのアスピリンだの横文字ばかりが並ぶなか、妙な名前の薬が目にとまった。 奥田脳神経薬。 頭痛をはじめ、気分のイライラや不安感などに効くという和漢洋薬配合の薬である。 この名前で即座に奥田英朗『イン・ザ・プール』(文藝春秋)を思いだした。患者よりもあんたがおかしいと言いたくなる精神科医、伊良部が登場するコメディ小説。直木賞の候補になった傑作だ。 さっそくその薬を購入して説明書を読んでみると、次のような前書き。 ![]() 毎日の生活は、朝から晩まであらゆる事に神経を使い、一刻も気の休まる時がありません。まして現代のように目まぐるしく急テンポで変化する時代に適応して生きて行くためには、神経を酷使するのも止むを得ない状況にあります。 この様なストレスから、いろいろの神経症状を起こして苦しみ、うっとうしい毎日を送っている人が大変多いものです。 奥田脳神経薬は、これらの神経症状を抑えるのに必要な鎮静、鎮痛等に効果のある和漢洋の薬剤を配合した、のみやすい錠剤の鎮静剤です。 ちょうど最後の部分を 奥田英朗『イン・ザ・プール』は、これらの神経症状を抑えるのに必要な鎮静、鎮痛に効果のある物語を配列した、読みやすいソフトカヴァーの鎮静本です。 とすれば、いいコピーになる(か?)。 試しに飲んでみたのだが、効いたのかどうなのか、よくわからない。もともと頭痛もイライラもしてないのだから、あたりまえか。ネットで検索をかけてみると、評判のいい薬みたい。 作家や物書きの方々のなかには、けっこう睡眠薬や精神安定剤などに頼っている人もいるらしい。わたしは、ふだん胃腸薬も風邪薬もめったに飲まないようにしている。その方が、イザというときに効き目があるだろうから。こんどイライラしたり不安感があったりしたときがあれば楽しみだ。 ▼ともあれ、ここのところ悪いのは頭ではなく胃。負担のかからない豆腐ばかり食べている。あとはブロッコリー、キャベツ、ダイコンなどを煮る。ご飯も炊かず食べず。腹6分目以下の食事を続けているのでダイエットにもなるか。 読んだ本はマイケル・スレイド『髑髏島の惨劇』(文春文庫)、T・ジェファーソン・パーカー『サイレント・ジョー』(早川書房)、ハーラン・コーベン『唇を閉ざせ』(講談社文庫)、そしていま読んでいるのがエドワード・ケアリー『望楼館追想』(文藝春秋)と海外ものばかり。『髑髏島の惨劇』は本格ミステリ趣味が横溢したもので、『唇を閉ざせ』は「お富さん」ネタ巻き込まれ痛快活劇、MWA賞受賞の『サイレント・ジョー』はカリフォルニアの志水辰夫作といえるような内省的な物語。 ▼錦糸町の中規模書店のなかに「ハリー・ポッター」新刊予約受け付けブースが出来ており、書店員がひとりついて宣伝していた。すなわち、「いま予約しておくと刊行したとき確実に手に入りますが、予約しないといつになるかわかりません」ということらしい。すでに994冊の予約があると表示がでている。いやはや。 その店で購入した本は、ラプラス『確率の哲学的試論』内井惣七訳(岩波文庫)と安岡章太郎『果てもない道中記』上下(講談社文芸文庫)など。 ラプラスの悪魔という言葉はたぶん講談社ブルーバックスのなにかで読んだ(都筑卓司か)のが最初。確率なんて大の苦手だが、ぱらっと読むとそれなりに面白そう。 安岡章太郎の本は、中里介山『大菩薩峠』の物語世界を探索していく長編エッセイ。95年刊行で読売文学賞受賞作品だ。不勉強なことに知らなかった。そもそもいつか読もう読もうと思いつつ『大菩薩峠』は未読のわたしなのだが、いつの日にか全巻読破して、この手の本に手をのばしたいと思っているのだった。 ちなみに最近では、高橋敏夫『理由なき殺人の物語』(廣済堂出版)が『大菩薩峠』論の本だった。これも買ってあるのに読めないでいる。そのまえは、今村仁司『「大菩薩峠」を読む』(ちくま新書)だろうか。 似たような例だと、滝沢馬琴『南総里美八犬伝』の解読本が、高田衛『八犬伝の世界』(中公新書)川村二郎『里美八犬伝』(岩波同時代ライブラリー)小谷野敦『八犬伝綺想』(福武書店→『新編 八犬伝綺想』ちくま学芸文庫)徳田武『八犬伝の世界』(NHK出版)などとある。いつか『南総里美八犬伝』岩波文庫全巻(もちろん買ってある)を熟読してから、これらを読もうと思って、はや幾年月……。 我が国のミステリー評論の分野では、こうした類いの名作探訪、作品深層読み解き本はきわめて少ない。わたしは財産さえあれば、そうした研究、探求ばかりをしていたいのだが。活字で発表したところで面白がる人は何人もいないだろうけど。 とりあえず、生活のための仕事を優先していかなくてはいけない。きょうは余裕があれば外出するつもり(レコードを探したりCDを買ったり某ライヴに足を運んだりする予定)でいたのだが、体調の具合とあわせておとなしく家にいて読書に専念。 |
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| きりのない読書の日々 | 10月17日 2002年 |
| ▼前に話題を出した文化庁による国産小説の翻訳「輸出」だが、選ばれた27人の作家と作品名がきょうの朝刊に載っていた。芥川、綺堂、一葉、荷風、漱石ら文豪たち、宮本輝、山田詠美といった現代作家に加え、島田荘司『占星術殺人事件』逢坂剛『斜影はるかな国』北方謙三『檻』らが選ばれている。なかには「え?」と思う方がいなくもない。このメンバーでわざわざこの人を選ぶか、と疑問に思う作家。選考委員のせいか。 ▼やはり以前、話の出た乱歩蔵書目録『幻影の蔵』(東京書籍)、買うつもりだったが、編著者から送っていただく。ありがとうございます。 ▼きのうは、ひさしぶりにK社+S社の編集者らと飲み会。もともと天ぷら屋なのにいまはワインを安く飲ませるイタリアン(?)の店で、いろんなワインを数本あける。カリフォルニアからニュージーランドまで。ごちそうさま。 だが、どうもここのところの体調不良で、店から出たあと具合がよくない。 帰宅後、録画してあった三谷幸喜脚本・演出のシチュエーション・コメディ「HR」第2回分を見て、すこし落ち着く。いま、ネットで調べて判明したのだが、酒井美紀が演ずる女性は、「いつも職員室にいりびたりでせっかく学校に来ても教室では授業を受けようとしないのは、対人恐怖症のため登校拒否となり、定時制に移った」のだからだと知る。 ▼今月初めごろからどうも胃がひどく悪い。きょうは湯豆腐。あとは、ひたすら本を読む。どーでもいいが、年中いつもあと20冊くらい「すぐに読むべき」本「すぐに読みたい」本がたまっているような感じがする。机のわきに積みあげられている。でも、たとえ無理して徹夜して読んでも、もうあと20冊と欲が出てくるはず。きりがない。 いいかげん20世紀初頭のアメリカ文学系名作群を制覇しておきたいとか、ドイルとクイーンを全冊再読しておきたいとか、文化人類学系や神話・伝説についてや、現代のエネルギー資源に関する本を読んでおきたいとか、いろいろあるのだ。 |
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| 時代は変る | 10月15日 2002年 |
| ▼いま、活字なしの生活は考えられないが、それと同じで、音楽なしには生きていけないほど、子供のころからこれまでいろんなジャンルの音楽を聞いてきた。ポップスからロックからブルースからソウルからジャズから民族音楽からクラシックからアイドル歌謡まで、気に入るものを探してきた。 最近は、とくに70年代80年代ソウルの再発ものをあれこれ買っては聴いている。当時はいわゆるウエストコースト・ポップ&ロックばかり追いかけていたし、レコードを買うのはせいぜいブルーアイドソウル(白人ソウル)系だった。関心はあってもよく知らなかったレアな世界。そりゃ、マーヴィン・ゲイやスティービー・ワンダーらモータウン系、シカゴやフィリー系の有名人気ミュージシャンくらいは耳にしてたけど。ともあれ、懐メロとしてではなく、あくまで新譜感覚で気に入るものを探しているのだ。 すると、いま聞いても斬新だったり迫力があったりかっこいい音を出していたりするグループなりシンガーなりが少なくない。もしくは、他はどこか古くさく時代を感じさせるサウンドなのに、ある一枚のアルバムだけ、あるいはアルバムのなかの1曲だけが突出してよかったりする。 それでも思うのは、やはりその作品が世に出たときにリアルタイムで聞きたかったなぁ、ということか。 で、最近は海外ミステリー小説もぽつぽつと古い作品が訳されたりする。なるほど名作佳作といわれるだけの面白さなのだが、今ひとつであることも否めない。設定や語り口や雰囲気にどこか古さが残っている。もしくはジェフリー・ハウスホールド『追われる男』のように説明不足と感じたりする。当時ならば違和感はないのだろう。 なにも新しいものがすべていいとは思ってはいない。だが、出た当時は人気絶大だったり内容的に優れたレベルに達していながら、時代を経て生き残る普遍的な名作とあっさり消えてしまう作品に分れてしまうのは確かなこと。その違いはどこにあるのか、ふと考えてしまう今日この頃なのだった。はっきりした結論はないんだけど。 ▼一緒に並べてみたいシリーズその1、竹内結子、aiko、大下容子。(女優、シンガーソングライター、TV朝日アナウンサー) ▼WOWOWで放映された某フィルム・ノワールの名画をうっかり見逃してしまった。いずれ再放送されることを願うのみ。 そんなわけで、体調も戻り未読本消化に余念がない。悪くないがいまひとつの小説が続くなぁ、と思っていたら、やたら気に入る本に出会う。ありがたい。 |
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| 読書が進まず | 10月13日 2002年 |
| ▼おとつい、婦人公論文芸賞の贈呈式へ。受賞作は岩井志麻子さんの『チャイ・コイ』。あれこれを見たり聞いたりして、なるほど、と感心する。どうせエッセイで本人がいろいろと書くでしょう。 ▼ここへきて急に涼しくなったせいか、しばらく体調が悪かった。読書量もはかどらない。 そのほか、雑用に追われて余裕なし。そろそろ別ページの更新もしたい。ああ。 |
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| ぐちゃぐちゃをなんとかしたい | 10月10日 2002年 |
▼リチャード・ノース・パタースン『最後の審判』東江一紀訳(新潮社)の巻末の謝辞の最後はつぎのようになっている。最大の貢献者は、アシスタントのアリスン・トーマスだ。一日分の原稿を書き上げるたびに、アリスンはわたしの推敲作業に付き合って、人物描写の矛盾、不適切な表現、プロットのゆるみなどの弱点をほじくり出してくれた。小説を書くのは孤独な仕事だ、アリスンの鋭い批評眼と温かい励ましがなかったら、とても困難を乗り越えることはできなかっただろう。彼女は今や、親友であり、わたしの仕事に欠かせない存在でもある。その他もろもろの理由により、本書は彼女に捧げられている。 「その他もろもろの理由」も気になるが、ともあれパタースン氏は、日々書きあげる原稿までをもアシスタントに確認してもらっているのだ。当然その完成原稿も全体的にチェックされるのだろう。女性キャラが不自然ではないか、女の思考や感性がうまく書かれているかなども指摘されるはず。 向こうのシステムの場合、さらに専属エージェントが助言をし、その作品を出すに相応しい出版社と編集者を推薦するという。すなわち、毎日チェックが入り、さらに2人以上のプロの目で読まれ、疑問点や分かりづらいところなどがなんどもなんども書き直され、出版されることになる。なるほど。 ▼「本の雑誌」11月号の特集は、「未読の王様」。未読王さんの書庫の写真を見て安心する。広さは違うが散らかりようは似たようなものだ。 さらに編集後記を読むと、杉江氏が『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』(草思社)を取り上げている。この本、わたしも立ち読みした。ああ、机だけならいいけど、部屋そのものがぐちゃぐちゃなのだ。 ![]() その散らかり放題の部屋にどっしりとパーソナル・チェアを入れたのだ。本を読むときは、膝のうえに大きめのクッションをのせ、それを書見台がわりにしている。すると、首をまえに曲げずにすむのである。 ▼ おとついは、映画「ロード・トゥ・パーディション」を見る。お話はちょっとナンだが、なるほど一九三〇年代シカゴの雰囲気が再現されているあたり、興味深かった。 そのほか、アンブローズ・ビアス『筒井版 悪魔の辞典』筒井康隆訳(講談社)とか小林信彦『テレビの黄金時代』(文藝春秋)とか佐々木譲『疾駆する夢』(小学館)とかを買った。読みたい本がたまっていく。 とりあえず、仕事の合間にせっせと本を片づけなくては。それにしても出版不況どころか日本経済そのものがどん底の時代になってしまった。この先どうなるんだろ。 |
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| いつのまにか10周年 | 10月08日 2002年 |
| ▼おとついは、某新人賞の受賞者とわれわれ選考委員たちとの顔合わせ。受賞作を本にするにあたって作品の書き直しの話やら何やらをあれこれとする。みなさん生まじめな方々。デビューしてからもどんどんといい作品を書いて欲しいもの。 ▼きのうはなんとか寝るまでにすべての仕事を片づける。これでしばらくは締め切りなし。 きょう、前に注文していたパーソナル・チェアが届き、自分で組み立てる。いちおうデジカメで撮ったが、とりあえず次回に披露。 だいぶ前から読書専用の椅子を探していた。そんなとき、先日のパーティで某翻訳家さんの豪邸マンションにうかがったとき、そこにパーソナル・チェアがあって、いたく気に入ったのである。さっそく、あちこち家具屋をまわると、某家にあったようなしっかりしたものは最低でも20万円前後すると知る。それより安いとどこかチャチな感じなのだ。 あれこれ探したのち、座りごこちのいいものを見つけた。ひじ掛けの部分がクッションではなく木製だが、デザインやリクライニングの感じも悪くない。カバーも何種類かあって選べるし、カバーだけを買えば、色を変えることができる。なにより値段も数万円だ。覚悟していた予算よりはるかに下。迷わず購入に踏み切った。 で、本で散らかっている居間を少し片づけてテレビの正面に置いて座ってみると、とってもリラックスできる。望んでいたものを手に入れ、めでたい。 ▼あれこれ調べてみると、「吉野仁」というペンネームによる原稿を初めて書いたのが、いまからちょうど10年前、1992年の10月8日なのだ。翌週にその原稿が活字となり雑誌に載ったはず。当時わたしは会社に勤める平凡なサラリーマンだった。本名だとバレバレなので、筆名にしたのである。とくに珍しい名字なので、一発でわかってしまう。「ミステリマガジン」なら、だれも読まないから本名でもいいが、さすがに「週刊現代」だとまずい。 ちょうどそのころ、ニフティのパソ通をやっていて、会議室でのハンドル名が「五条弾」だった。マルクス兄弟の「ご冗談でショ」からとったもの。 そこで、「京の五条」ならば「奈良の吉野」だろう。「京」という都市社会に対して「奈良」は自然に囲まれた土地だ。なにより吉野といえば吉野葛が有名だ。人間のクズであるわたしゆえに、名字は吉野で決まり。 さらに「仁」という言葉には(うろ覚えだけど)「何もない」「無」という意味があるということを知っていた。ビッグ・ノーウェアとしての「仁」なのだ。その一方、細胞のなかにも核としての「仁」はあるし、大っ嫌いな儒教の教えの愛を意味するのは「仁」だし、本名の音にもいくぶん似ているので、「吉野仁」に決めた次第。 じつは、ペンネームの最有力候補だったもうひとつが「宮野義彦」だった。これは単純。「みやのよしひこ」を逆さに読むと「こひしよのやみ」となる。「恋し世の闇」。当時すでにノワール真っ只中にあったことが忍ばれるエピソード。しかし、あまりに気どった感じの名前なので、「宮野義彦」は却下された。 それにしても、まさか「吉野仁」が10年続き、しかも独立するとは、名前を決めた当時、思いもよらなかった話。次の10年はどうなることやら。 |
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| 問題は現実の蔵 | 10月05日 2002年 |
| ▼今月に入って、ただひたすら本を読んでいけばいいはずなのだが、調べものやら本の片づけやらで、あっという間に時間がすぎる。なかなか皮算用どおりに運ばない。なんとか日に2冊と少し読んでいく。 まだ入手してないが、新保博久・山前譲編著 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録『幻影の蔵』(東京書籍8000円+税)が刊行されている。なんでも付属のCD−ROMで乱歩邸書庫を探索できるらしい。仕事の役に立つかどうか不明ながら、興味深いことは確か。 しかしながら、それよりも切実に欲しいのは、わが家の蔵書を探索できるCD−ROMだ。8万円でも買うぞ。 ▼どうも来年あたり、国産冒険小説系の大作が続々と出るような気配がある。それに以前も書いたかも知れないが、海外冒険小説は末尾が5の年に歴史的名作が多く書かれている。もうすぐアリステア・マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』(1955年刊行)が出てから半世紀になるのだ。『深夜プラス1』('65)から40年だし、ルシアン・ネイハム『シャドー81』ジャック・ヒギンズ『鷲は舞い降りた』(ともに'75)から30年だ。あと2年ちょっとと翻訳される日数だけ待てばいいのか。85年のように傑作がひとつもない年もあったから何ともいえないけど。 |
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| ニコマコス流に学ぶ | 10月02日 2002年 |
| ▼「編集会議」の11月号の表紙は、恩田陸さん。大森望氏による恩田陸ロングインタビューが載っている。 そのほか、「本の大特集」のなか、永江朗氏による「書評の事情」という記事が興味深い。四大新聞の書評欄を比較したり、週刊誌書評の話題を取り上げたりしている。 で、「新聞書評欄がPOPに使われなくなった理由」はなぜかといえば、ある新聞社から待ったがかかったせいらしい。著作権侵害にあたるから。紀伊国屋書店は全店で書評コピーの使用をやめたらしい。永江氏は、「ちなみに、私の文章の著作権は私にあるが、コピーしようと何しようと自由。っていうか、どんどんコピーしまくってくれると素直にうれしい」と述べている。 某書評欄の担当者が変わったため、その顔合わせで、きのう神保町に行った。その前に神田三省堂に寄り、ミステリー・コーナーの海外ものの平台を見ると、POPが3つ立っており、なんとそのうちの2つは私が「ミステリマガジン」に書いたものの抜粋だった。書評の一部を切り抜いたものゆえ、私の原稿かどうか誰も知らないだろうけど。はたして売りあげに貢献できるだろうか。 あとひとつは、たしか杉江松恋氏のHMM書評ページからのコピー。 ▼きのうは久々の神保町で新刊・古書ともに収穫が多かった。 そのなかですぐに読んだのは、大平健『ニコマコス流 恋愛コミュニケーション』(岩波書店)。ごぞんじ精神科医の著者がアリストテレスの『ニコマコス倫理学』の考え方をもとに、恋愛で苦労している人に向けての"技術"論を展開している本。 自分に関して参考になるかはともかく、あいかわらず分析や発想が面白い。 会話のなかで起承転結の転の部分を相手に答えさせるといいとか、あらゆるコミュニケーションで大事なのは内容・目的・関係の中身だが、たとえば「告白」というのは、1)内容(あなたが好きだということ)。2)目的(あなたと付き合いたいということ)。(3)関係("あなたとぼく"の関係のこと)を伝えなければダメなのだとか、ふたりの関係を見直すには、過去、現在、未来にわたっての自分の考えを示せとか、この本では論じられているのだ(乱暴な要約だけど)。 で、いま思いついたのだが、精神科医のカウンセラーというのも、やはり似たようなプロセスで行なうのではないのだろうか。患者の抱える悩みの内容をたずね(起承)、どういう自分でありたいのか目的を述べさせ(転)、のぞむべき他人との関係をつくるように導いていく(結)。過去、現在、未来という具体的な流れから良い方向へ持っていく。 さらに思ったのが、もしかしたら、ある種の占いの原理も同じなのかもしれない。 たとえば、タロットカード占いというのがある。過去のなにが現在に影響しているのか、問題を妨げるものは何か、未来はどうなるかなどの問いに対し、めくったカードがそれぞれの答えを示しているという。 タロットの絵には、奇術師だの愚者だの太陽だの死神だのが描かれている。いいカードと悪いカードがある。だが私が思うに、極端なことを言うと、どんなカードが出てもかまわないのだ。 すなわち、めくったカードの意味をどう読みとるか、が肝心なこと。その読み方に本人の深層心理が投影されるからだ。プラスのカードが出れば自分の長所をもっと生かそうと思い、マイナスのカードならば短所を反省しようと思う。ある問題が起こった背景にはもともと自分のなかに原因があり、その無意識の部分を掘り起こし気付かせるのだ。カードが表わす奇術師だの太陽だの月だのとは、だれもがそなえている、人の基本的な性質それぞれの象徴なのだろう。 思いつきで書いているので、うまく説明できたか心配。と、例によって長くなってしまった。もうひとつ話題があったけど次回。 |
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