研修生奮闘記!




小澤事務所での一年間を振り返って (平成15年度合格 芝知美)
   

 「法律家である」自覚は、心と脳裏にしっかりと刻みこまなくてはなりません。自覚を持つだけでは足りないのです。しっかりと刻み込まなくてはなりません。そのためには一定程度の量の事件を経験する必要がどうしてもあります。大量の事件を消化することによって、初めて見えてくる真実というものがあります。小澤事務所には毎日さまざまな種類の事件が持ち込まれ、非常に恵まれた環境の中で、研修することができました。毎日寝るときも起きた瞬間も、常に仕事のことが浮かぶ濃密な一年を過ごしました。小澤事務所で多くの事件に携わり、多くの人々に触れることによって、やっと「法律家」たる自覚と責任を自分の中にしっかりと刻むことができたように思います。

 ある相談者が私のもとを訪れました。彼女は遺書を持参していました。彼女は、借金に疲れ、生活に疲れ、誰にも相談できずに一人ですべてを背負い込んで、重みに耐えられなくなっていました。彼女は死のうと決心をし、その前に一度だけ法律家に相談してみようと一本の電話をかけたのです。
 法律家のもとを訪れるということは、勇気のいることです。自分と向き合うこと、困難から逃げないこと、その人、一人ひとりの人生の一大事が起こり、それに立ち向かおうと決心したからこそ、私たちのもとを訪れるのです。私は彼女の話を聞き、遺書を読み、彼女とともにその遺書を破り捨てました。遺書は息子と孫にむけて書かれていました。彼女は泣いていました。そして「馬鹿なことをした」と最後には笑っていました。
 私たちにかかってくる電話は、命を繋ぐ電話です。ですから法律家である限り、知識、感受性を磨く努力をし続けることは当たり前のことだと思います。これからも小澤事務所で刻んだ自覚をもち、そして少しでも多くの人たちの命を繋げる存在であり続けたいと思います。

 もうひとつ小澤事務所で経験した上で学んだことは、法は万能ではないという事実です。奇妙に聞こえるかも知れませんが、紛争を抱えて私たちのもとを訪れても、法的には解決が得られない場合、法的には解決がついていても、その解決が真の解決と言えない場合、(たとえば自己破産しても生活がなり行かない場合や、お金は取り戻したとしても、感情的な面で全く解決が図れなかったものなど)法の限界を感じたことは、私の中で大変大きな収穫となりました。これもあらゆる事件が集まり、しかも大量に事件がある小澤事務所ならではの経験だと思います。一定量の事件を経験しないとこの実感は得ることができなかったと思います。
 法律家は事件を法という枠に当てはめて紛争の解決を図るために存在するのではなく、紛争の解決のためにあらゆる手段を講じるために存在し、解決のための手段として法を使用しているにすぎないのだと思います。法律家は紛争解決家であるべきです。法の限界を感じたとき、その後紛争解決家としてどうするのか。生活保護など社会福祉との連携を試みることもあります。今の現状を市民および立法活動に携わる人々に訴え、活動を行わなくてはならないこともあると思います。また新しい視点からの紛争解決としてメディエーションの研究も力を入れて今後も進めて行きたいと思っています。法には限界があり、その法の限界を打破するために法律家としてどのように行動しなくてはならないのか。法律家として新たな視点を設けることができたのも、小澤事務所で研修できたおかげです。

 一年間、濃密な時間と経験をさせていただき、ありがとうございました。

 最後にこのページを見ている司法書士合格者の方々へ。

 司法書士にはあらゆる可能性が満ちています。しかしその可能性を生かすも殺すも自分の志と感受性なのです。合格者のみなさん、せっかく大変な思いをして受かったからには、高い志を持って、努力を惜しまず、法律家でなくては味わえない経験をたくさんしてほしいと思います。日々大変ですが、絶対にそのほうが楽しいですよ。  



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