「簡裁ウオッチング第3回」

  

   これまで、多くの簡易裁判所事件に関与してきたが、改正司法書士法の施行に伴い、代理人として初めて関与した事件は、やはり、これまでとひと味もふた味も異なっていた。そういう感想を持った。

 もちろん、本人支援訴訟という形態で関与してきた事案と比較して、代理人となったことによって、責任が増大したなどと言うつもりはない。
 なぜなら、当然のことではあるが、本人支援訴訟においても、その責任は重大なのであり、むしろ、法廷に立ち、代理人としての訴訟活動ができないからこその悩ましい問題も多く、また、本人との信頼関係の継続についても、それはそれで容易とは言い難いものだったからである。

 それでは、何が大きく変化したのだろうか・・・・と考えてみる。

 扱う事案は、クレサラ関係の攻撃防御訴訟、家屋の明け渡し訴訟、敷金返還訴訟、売掛金の請求、損害賠償請求・・・・もちろん、代理権の無かった時代と変化はない。
 攻撃防御方法についても、もちろん変わるところはない。
 それでは、弁論期日における法廷活動か・・・残念ながら、未だ証人尋問については未経験であり、実際には、裁判官に訴状の誤りを指摘され、それを訂正し、証拠の提出を促され、次回期日の打ち合わせをした・・・・その程度に過ぎない。

 これでは何も変わっていないのではないか・・・そうも思えてくるが、冒頭で述べたとおり、やはり違うのである。
 ここまで記して、ようやく気がついた。
 裁判所における立場が全く違うのである。
 これまでは、傍聴席に座り、進行を注視していた。裁判官からコメントを求められれば答えていたが、必要最低限度に過ぎない。
 しかし、今や代理人である。こちらから積極的に発言をすることもできる。もちろん、裁判官や書記官の対応も全く異なる。
 当たり前じゃないかと言われそうだが、ここに訴訟当事者としての責任を感じ、これまでと大きく異なった感じを受け取ったのだろうと思う。

 そこで、改めて「訴訟当事者としての責任」について考えてみる。
 依頼人の利益のために働く。これは当たり前のことであろう。そのために、法律を学び、要件事実論を学び、判例を学ぶ。
 しかし、それだけでは足りない。
 場合によっては、裁判官に対して、それぞれの事案の持つ背景や生の事実を理解してもらうべく、理路整然と弁論をしたり、準備書面において述べたりする必要があるだろう。
 分かりやすい例で言えば、ヤミ金融事案における不法原因給付の主張がそれである。
 また、特定調停においては、調停委員に対しても同様のことが言える。
 これもまた分かりやすい例で言えば、期限の利益の再度付与の主張がそれである。

 私が、法廷デビューを果たした「富士簡易裁判所」においては、これまで何度も足を運んでいる静岡簡易裁判所と同様、いわゆる金融業者を原告とし、消費者を被告とする事件ばかりが目立った。
 私の事件の前の事案は、信販会社が原告であり、原告は出頭せず、被告が出頭していた。
 裁判官の訴訟指揮を注意しながら傍聴していたが、平易な言葉遣いを心がけているようで、高圧的な態度も一切なく、被告が納得できるような和解案を提示し、実際に和解を成立させていた。
 本庁と違い、事件数が比較的少ないことも関係しているのかもしれないが、予想以上に丁寧な訴訟指揮であった。
 ただ、おそらく、被告は多重債務者であろう。なぜなら、信販会社もそう簡単には提訴に踏み切ることはしない。数度の督促を経て提訴に至っているはずであり、そうであれば、他にも負債を抱えているのが必定であると考えられるからである。
 傍聴していた私はとても歯がゆい思いを禁じ得なかった。
 もし、他にも負債があるのであれば、その全てを整理するべく、専門家に依頼をしてほしい。利息制限法への引き直しによって(過払い金を得ることによって)、今、訴えられている信販会社への支払いも容易になるのかもしれないのだから・・・

 そんな思いを残しつつ、富士簡易裁判所を後にし、新幹線で静岡に帰った。 (平成15年11月)




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