司法制度改革の時代を司法書士として生きる!
〜全青司活動現場からのレポート〜




近時の改憲論に関する提言書(平成19年4月3日)

1.近時の改憲論に関する提言書

 


                                                  
近時の改憲論に関する提言書


<目次>

1 総論−立憲主義と根本法理の再確認− 4
1−1 提言書の趣旨 4
1−1−1 当協議会の立場 4
1−1−2 近時の改憲論の状況 4
1−2 立憲主義の定着へ向けて 6
1−2−1 立憲主義の意義 6
1−2−2 現実との乖離と立憲主義に関する議論の状況 6
1−2−3 立憲主義の定着に寄与する選択を 8
1−3 日本国憲法の根本法理の推進に向けて 8
1−3−1 日本国憲法の根本法理(基本原理) 8
1−3−2 根本法理に基づく憲法改正の限界 9
1−3−3 根本法理の推進を求める 10
2 各論−各条項における改憲論の検討− 12
2−1 前文の改正について 12
2−1−1 前文が残した日本国憲法の制定経緯 12
2−1−2 愛国心や国を守る責務の明文化について 12
2−2 第9条の改正について 13
2−2−1 第9条の解釈について 13
2−2−2 立憲主義と根本法理の観点から考える 14
2−3 公共の福祉等の人権制限に関する改憲論について 16
2−3−1 公共の福祉の解釈と近時の改憲論 16
2−3−2 国民の義務規定・責務規定の創設について 17
2−4 新しい人権について 18
2−4−1 近時の改憲論の中における新しい人権の意義について 18
2−4−2 新しい人権の具体的検討 18
2−5 平等条項における「障害の有無」の追加について 21
2−5−1 第14条における「障害の有無」の追加について 21
2−5−2 第44条における「障害の有無」の追加について 22
2−6 生存権について 23
2−6−1 生存権保障の解釈 23
2−6−2 生存権保障の実態 24
2−6−3 生存権の主体について 26
2−7 財産権について 26
2−7−1 財産権の保障の対象と制約法理 26
2−7−2 財産権の制約法理の改正と格差社会の構造的拡大 27
2−8 政教分離原則について 28
2−8−1 信教の自由と政教分離原則 28
2−8−2 目的効果基準と改憲論 28
2−9 政党の憲法的編入のあり方について 29
2−10 地方自治制度について 30
2−10−1 地方自治の本旨からの検討 30
2−10−2 永住外国人の地方参政権について 31
2−11 憲法改正手続について 32
2−11−1 憲法改正の発議について 32
2−11−2 憲法改正国民投票について 33
おわりに 34

1 総論−立憲主義と根本法理の再確認−

1−1 提言書の趣旨

1−1−1 当協議会の立場

 近時、憲法改正に関する国民的議論が高まりつつある。このような状況下において、我々全国青年司法書士協議会(以下、「当協議会」という。)も、日本国憲法の下で法律実務に携わる市民に身近な法律家としての立場から、憲法改正に関する議論に取り組むべきであるとの認識のもと、2006年3月、憲法委員会を設置し、同委員会を中心として、議論を重ねてきた。
 当協議会は、現代における憲法のあり方は、明治憲法などにみられた外見的な立憲主義ではなく、あくまで人権保障を目的として国家権力を制限するという近代的な立憲主義の発想に根ざした憲法であるべきとの前提に立ち、これまでの議論を踏まえ、本提言書を公表するものである。

1−1−2 近時の改憲論の状況

 1999年の国会法改正に基づいて、2000年の通常国会から、日本国憲法に関する「広範かつ総合的に調査することを目的」として、衆参両院に憲法調査会が設置された。同調査会は、前記目的の下で参考人から意見聴取を行うなどの調査を行ってきたが、実際には「9条」と「前文」の改正が中心に論議され、実質的には調査というより憲法改正の是非についての議論が中心となっていた。そして、同調査会は5年にわたる議論を経て、2005年4月、各議院の議長宛に、それぞれ最終報告書を提出した。 以上の動きと並行して自民党でも新憲法制定推進本部を設置し、憲法改正案に関する検討を進めてきた。そして、2005年10月28日、その憲法改正案が「新憲法草案」と銘打って公表された。これに続き、同年10月31日、民主党でも総会が開催され、「憲法提言」が公表された。そして、以上の政界の動きに歩調をあわせるように、経済団体などの各種団体が改憲論に関する意見を活発に公表する状況となっている。
 現在では、政権与党の重要な政策課題のひとつとして、「憲法改正」が公言されている。これにより、憲法改正に向けての具体的なプロセスも含め、今後、本格的に憲法改正議論が加速していくこととなろう。
 前記調査会での議論の経緯、自民党の「新憲法草案」やこれに追従する各経済団体等の意見書の内容などから、改憲の議論では、先ず9条の問題が議論されることが明白な状況にある。加えて郷土愛や愛国心などといった問題、地方自治に関する問題など、個別の議論が過熱してくるものと思われる。また、憲法改正の前提となるのが改正手続に必要な国民投票などの手続上の問題である。憲法改正国民投票では、憲法改正に関する議論の機会をいかに十分に保障するか、また、いかに民意を反映させ、いかにフェアな手続きを保障するかが重要な問題となる。
 近時、当協議会でも、自民党の「新憲法草案」やこれに追従する各経済団体等の意見書、また憲法改正国民投票法案等について活発な議論と検討を進めてきた。その結果、これらの近時の改憲論に関しては、立憲主義や基本原理(根本法理)などの日本国憲法の原点に関する認識が不足しているものと指摘せざるを得ず、また他方において、立憲主義や基本原理(根本法理)をさらに定着させ、その究極の目的である人権保障を推進するための議論も並行していかなければならないとの認識を強めるに至った。 憲法は、この国のグランドデザインを定める基本的な法典であると言えば、その憲法が60年ぶりに改正されるのであるから、国民としてしっかり議論しようといった漠然とした意識は芽生えてくるであろう。しかし、現代国家における憲法の究極の目的は、この国のグランドデザインを定めるといったものではなく、何より立憲主義や基本原理(根本法理)を通して、一人ひとりの個人が、人間らしく生きてゆくための人権を、確固たるものとして保障することにある。
 したがって、当協議会は、憲法改正を論じるにあたっては、今一度、立憲主義や基本原理(根本法理)といった原点に立ち返り、一人ひとりの個人の人権保障という憲法の本質的な目的を見据えた議論が展開されなければならないと考える。また他方で、その目的を達成しようとしている日本国憲法がもつ豊かな人権創造力にも着目した議論が展開されなければならないと考える。

1−2 立憲主義の定着へ向けて

1−2−1 立憲主義の意義

 日本国憲法は、個人の人権保障を目的として、国家権力を憲法によって枠付けるといった立憲主義に立脚している。また、このことから、日本国憲法は、すべての国家権力は憲法(法)によって拘束されるという法の支配原理を採用している。この背景には、一部の政治的権力者(人)による支配は恣意的であり、個人の人権保障をまっとうできないといった人の支配の不信(政治不信)の発想がある。
 こうした立憲主義に基づく憲法の下では、憲法規範は、強固に国家権力を抑止する規範として機能する必要があり、その規範力の低下は、人権保障の観点からは致命的であり、あってはならない。

1−2−2 現実との乖離と立憲主義に関する議論の状況

 近時、改憲の必要性を説く意見の多くは、日本国憲法は半世紀以上も改正されることがなかったために現実との乖離が生じている、今日、終戦直後とは異なる新たな価値観が生じている、したがって日本国憲法を現実に合わせるべく改正をしなければならないと主張する。
 これに対して、改憲の必要性はないと説く意見の多くは、日本国憲法と現実との乖離が生じたのは、憲法無視・憲法軽視の政治の結果であって、政治はもともと憲法の下で行なわなければならないのであるから、憲法と現実との乖離は、憲法を現実に合わせるのではなく、先ずは現実を憲法に適合させるように是正していかなければならないと主張する。
 確かに、改憲の必要性を説く意見に見られるように、法規範は、現実を見据えて適宜アップ・デイトされるべきである。しかし、日本国憲法は、個人の人権保障を目的として国家権力の濫用を抑止するという立憲主義に立脚する規範であり、その崇高な目的を達するために最高法規として位置付けられ、また、そうであるからこそ硬性憲法とされるのであるから、通常の法律と同列にアップ・デイトが論じられてはならない。
 そこで、憲法と現実との乖離が生じたといわれる現状(たとえば、第9条と自衛隊法・周辺事態法・イラク特措法等の有事法制との関係)において、国家権力の濫用を抑止し人権保障を目的とする立憲主義の回復と定着のために、なお慎重な議論が展開されなければならない。
 この点について、一部の憲法学者からは、たとえば、学説において支配的であった自衛隊違憲論が防衛政策に一定の歯止めをかけてきたことを評価しつつも、それには次のような大きなマイナスを伴っていることも自覚すべきではないか、との指摘がなされている。すなわち、(ア)憲法学者が9条についていうことは非現実的にすぎ、それがひいては憲法学者のいうことはなんでも非現実的だ、という印象を与えてしまう。(イ)自衛隊を違憲とし続けることによって、現実が規範通りにはいかないのが通常のことだという常識を蔓延させてしまうことにつながるのではないか、これは日本の立憲主義にとって重大なことではないか。(ウ)こういった代償を払っても、違憲論を貫く価値があるのか、学説は、ある程度譲歩して、自衛隊を合憲化する憲法改正を主張するなり、あるいは政府の解釈を認めて、その上で自衛隊のコントロールをどうしていくのか、ということに議論の中心を移したほうが、日本の立憲主義の定着化を進めていくためにはより良いのではないか、といった指摘である。
 このような指摘に対しては、一部の憲法学者が次のように反論する。すなわち、(1)自衛隊を合憲とする解釈は、憲法解釈論的には不可能だと考える。第9条の文言・論理・趣旨および憲法の全体構造からみて、またその立憲主義からみて、合理的な理由づけができないからである。(2)前記の(ア)ないし(ウ)のような対応は、立憲主義の回復・定着の名において違憲の憲法政治(権力の濫用)を正当化するものであり、その実体においては、立憲主義の否定に与することにほかならない。このような違憲の既成事実を正当化する対応は、軍事力の立憲主義統制に悪しき先例を残すことになり、次は国連協力の名において、その次は集団的自衛権の名において、自衛隊の海外派兵に道を開くことになりかねない。(3)憲法政治の現状を正当化すべく「明文改憲」を提唱することについては、立憲主義の否定に与する一方法といわざるをえないし、違憲の憲法政治という権力の濫用を正当化するための対応にほかならない。(4)第9条が、現在、国民と人類の生活にとって積極的な存在理由をもちえず、それに反する憲法政治の現実がそれをもっていることが、第2次世界大戦以後の世界史のなかで科学的に証明された場合には、憲法典におけるより優れた価値の選択の提唱として積極的に考慮する余地があるといえるであろうが、その科学的な証明をすることなしに、違憲の憲法政治のために第9条の改正を主張することは、立憲主義の点から問題が残るだけでなく、誤った価値の選択を憲法研究者が唱導することになるおそれがある。(5)憲法研究者は、少なくとも研究者としては、憲法問題については憲法から筋を通すほかはないはずである、といった反論である。

1−2−3 立憲主義の定着に寄与する選択を

 第9条の改正論に関しては国民の間でも様々な議論がある。この議論に関しては国民の間で十分な議論がなされる必要があり、その上で、最終的には国民自身の選択に委ねられる。
 ただ、当協議会としては、司法書士実務を通して、プライバシー権などの基本的人権が問題となる様々な局面において、この立憲主義が低下している現実があると認識している。したがって、先ずは、何より、司法・立法・行政その他の公権力が立憲主義の発想を今一度深く認識し、また、公権力を担当するすべての者には憲法尊重擁護義務(99条)があることを、再確認しなければならないと考えている。
 以上のような観点から当協議会は、たとえば第9条の改正論についても、一法律家集団として、その議論は前記1−2−2にみられるように、人権保障を究極の目的とする立憲主義の回復と定着を中心的なテーマに据えて議論を展開していく必要があり、かつ、国民に対し、立憲主義の定着に寄与する選択がなされるような提言を行なう必要があると考えている。

1−3 日本国憲法の根本法理の推進に向けて

1−3−1 日本国憲法の根本法理(基本原理)

 二度の世界大戦を経て制定された現行の日本国憲法は、(ア)国民主権(国政の最終的な決定権は国民にあるとする原理)、(イ)基本的人権尊重主義(個人の尊厳を至上の価値に据える原理)、そして(ウ)平和主義(徹底して戦争を否定する原理)といった三つを根本法理の下で制定されている。
 この三つの根本法理は、相互に切り離すことのできない密接不可分の関係を維持して、至上の価値である「個人の尊厳」(第13条前段)を保障する日本国憲法を形作っている。すなわち、専制政治の下では、基本的人権の保障が貫徹できないことは当然であり、民主政治の下ではじめて基本的人権の保障が確立する。日本国憲法前文1項では、国民主権およびそれに基づく代表民主制の原理が基本的人権の尊重と確立を目的とし、それを達成するための手段として、不可分の関係にあることを明確に示している。また、究極の人権である自由と生存は平和なくして確保されないのは明らかであり、平和主義の原理もまた基本的人権の保障および国民主権の原理と密接に結びついている。 すなわち、日本国憲法は、相互に切り離すことのできない密接不可分の関係にあるこの三つの根本法理によって、「個人の尊厳」を至上の価値として保障している。ただひとつの根本法理も、減退しまた崩壊することがあってはならない。このような事態が生じることになれば、日本国憲法が至上の価値として保障する「個人の尊厳」は、減退傾向を強めていくことになる。
 よって、当協議会は、日本国憲法の至上の価値である「個人の尊厳」を、現在又は将来の一人ひとりに永久に保障しつづけてゆくために、憲法改正は、この三つの根本法理の上に立って展開されなければならないと考える。

1−3−2 根本法理に基づく憲法改正の限界

 根本法理のうち、(ア)基本的人権尊重主義は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(97条)であり、「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(11条)。また、(イ)国民主権は「人類普遍の原理」(前文1項)に基づいている。そして、(ウ)平和主義は「人間相互の関係を支配する崇高な理想」であるとされる(前文2項)。つまり、この三つの根本法理は、日本国憲法の根本価値を示すものとして、日本国憲法自身が宣明する。
 その上で、日本国憲法は「われらは、これに反する一切の『憲法』、法令及び詔勅を排除する」とし(前文1項)、さらに「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条)としているのである。したがって、基本的人権尊重主義、国民主権、平和主義の三つの根本法理を否定する内容を含む憲法改正は、明文上できないといわざるを得ない。
 憲法学における通説的見解も、憲法改正には内容的限界があると考える。理論的には、憲法改正権は、憲法制定権力が制度化したものであり、憲法制定権力の自己破壊的な憲法改正権は行使できないとするものなどがある。
 しかしながら、自民党の新憲法草案やそれに追従する各経済団体等の自民党案に賛同する意見・提言などの近時の改憲論には、以上の根本法理の否定につながる内容の改憲を主張するものが含まれている。
 たとえば、(ア)基本的人権尊重主義との関係では、国民に対して、国や社会に対する「愛情」をもつことを押し付け、また「公益及び公の秩序」のためには、基本的人権は一歩も二歩も退かなければならないとするものなどがある。これらの主張は基本的人権尊重主義ないし「個人の尊厳」といった至上の価値を否定する危険性が極めて高い。
 また、(イ)国民主権との関係では、地方特別法を制定する際の住民投票制度を定める95条を削除して国民主権を後退させるものがある。
 さらに(ウ)平和主義との関係では、個人の尊厳原理に立脚して日本国憲法前文に明記された「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)を削除したり、戦力不保持を定める9条2項を削除して自衛軍を創設し、その軍をもって国内の治安維持活動にあたらせることを想定するもの、あるいはその軍が「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」、すなわち集団的自衛権の行使や同盟国による軍事行動に道を拓くなどがある。これらの主張は、平和主義の否定につながるおそれがある。
 当協議会は、基本的人権尊重主義、国民主権、平和主義の三つの根本法理は、その理念の拡充を志向することによって、さらに「個人の尊厳」という日本国憲法の至上の価値の実現に寄与できるものと考える。

1−3−3 根本法理の推進を求める

 日本国憲法は、基本的人権尊重主義の観点から見れば、14条以下に豊富な人権規定を置き、また、13条で個人の尊重に最大の価値を認めている。そして、同条が保障する幸福追求権を源として、新しい人権(プライバシー権や環境権)を我々に享受させている。
 また、国民主権の観点から見れば、民主主義政治をシステムとして確立し、国民主権が名目化されないために、憲法改正に関する国民投票(96条)、地方特別法の制定に関する住民投票(95条)、最高裁判所裁判官の国民審査(79条)など、いくつかの点において国民の直接の政治参加を保障している。
 さらに、平和主義の観点から見れば、第9条で一切の戦争を放棄して戦争衝動をもたない政治体制であったことも大きな要因となって、現に戦争に参加することなく平和のうちに生存する権利は確保されてきた。そして、その前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とうたっているように、日本国憲法は、戦争の惨禍による多大な犠牲に対する反省と平和への強い憧れの下に制定され、戦後の日本に平和な社会と民主主義社会を定着させるのに多大な功績を果たしてきた。
 このように、日本国憲法の根本法理は、戦後60年を経過した今日においても、人権保障、平和な社会の維持、民主主義の定着のために機能し続けている。いま、日本国憲法を見直すとしても、この基本的人権尊重主義、国民主権、平和主義の三つの基本原理は、決して蔑ろにされるべきではなく、そのより充実した具現化といった視点からの検討が真摯になされる必要がある。
 当協議会は、21世紀の時代にも、この三つの根本法理を推進し、定着させることによって、あらゆる人々にかけがえのない人権を保障しつづけることができるものと考えている。

2 各論−各条項における改憲論の検討−

2−1 前文の改正について

2−1−1 前文が残した日本国憲法の制定経緯

 日本国憲法は、二度の世界大戦を経て制定された。この制定経緯については、前文にも「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(前文第1項)すると明記され、いまも、その痕跡を鮮明に残している。
 その上で、前文は「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(前文第2項)として、大戦を経験した人々の願いである国際平和主義への参画、ならびに平和のうちに生存する権利(平和的生存権)が存在することを宣言している。
 近時の改憲論の中には、平和主義は今後も維持すべきとしつつも、たとえば自民党の「新憲法草案」では、以上のような制定経緯や平和的生存権の存在をすべて消去する案が公表されている。しかし、平和主義を今後も維持するのであれば、以上の前文は、大戦を経験した我々が決して忘れてはならない極めて重要なメッセージとなっているのであり、今後も残していくべきである。

2−1−2 愛国心や国を守る責務の明文化について

 また、自民党の「新憲法草案」では、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」といった文言を前文に加えようとする。このような文言は、一人ひとりの多様な価値観の共生を可能としている現在の前文の「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」(前文第1項)するといった文言とは極めて対照的であり、一定の価値観を強制することを許容するものにほかならない。
 すなわち、このような「新憲法草案」の文言からは、国民が「愛国心」を持つことを強いるものと窺うことができるが、このような精神の強制は、多様な価値観をもつ一人ひとりの個人を否定するものであり、「個人の尊厳」に反し、かつその至上の価値を頂点とする基本的人権尊重主義にも反するものと思われる。 また、国や社会を「責任感と気概をもって自ら支え守る責務」という文言は、人々に一定の責務を押し付けるものであり、思想良心の自由を制限し、ひいては国家への服従をも強制することへとつながることが懸念される。
 よって、当協議会としては、今般の自民党の「新憲法草案」の前文は、立憲主義及び根本法理を軽視するものと指摘せざるを得ない。

2−2 第9条の改正について

2−2−1 第9条の解釈について

 現行の第9条に関する解釈には、様々なものが存在する。
 憲法学説における通説的な見解によれば、「日本国憲法は、第一に、侵略戦争を含めた一切の戦争と武力の行使および武力による威嚇を放棄したこと、第二に、それを徹底するために戦力の不保持を宣言したこと、第三に、国の交戦権を否認したことの三点において、比類のない徹底した戦争否定の態度を打ち出して」おり、「前文の平和主義は憲法9条に具体化されている。」とされる(「憲法第3版」芦部信喜著・高橋和之補訂〔岩波書店〕54頁〜56頁)。
 また、「『平和のうちに生存する権利』という考え方は、それ自体、平和と戦争の問題を単なる国家の政策問題としてではなく、広い意味での人権の問題としてとらえることを意味している」(「三訂憲法入門」樋口陽一著〔頸草書房〕48頁)としたり、「日本国憲法は、@平和の問題を『平和のうちに生存する権利』という角度で捉え、戦争をもってかかる『権利』の侵害として把握し、Aかかる『権利』実現のため戦力の不保持と交戦権の否認という方途を選んでいる」(「憲法第3版」佐藤幸治著〔青林書院〕644頁)とするもの、あるいは「憲法前文で確認された『平和的生存権』は、その最小限の内容が9条によって具体化されているのであり、9条が『平和的生存権』の具体的内容を示している、ということである。しばしば、『平和的生存権』の内容が明確でないといわれるが、9条の規定は、他の憲法条項よりもはるかに明確であるから、・・・『平和的生存権』は他の人権よりもはるかに明確な内容をもっている。」(「全訂憲法学教室」浦部法穂著〔日本評論社〕402頁)とする有力な見解もある。
 いずれにしても、従来からの憲法学説の趨勢は、前文がかげる平和主義ないし平和的生存権と第9条とを関連付けて一体のものとして解釈するのであり、それはまた、他の根本法理である国民主権と基本的人権尊重主義との関係でも、密接不可分のものとして捉えられなければならないということを示しているのである。
 すなわち、他の人権規定や統治機構に関する諸規定の改憲論についても、またこの第9条の改正論についても、三つの根本法理との整合性に配慮し、かつ、立憲主義の観点からの議論が必要となるのである。

2−2−2 立憲主義と根本法理の観点から考える

 近時の改憲論の中で、たとえば自民党の「新憲法草案」は、第9条の改正案を次のように公表している。
 すなわち、現行の第2章の表題を、「戦争の放棄」から「安全保障」に変更し、現行の第9条第1項の戦争放棄自体は維持しつつも、同条第2項を削除して、新たに第9条の2を新設して「自衛軍」を創設し、その自衛軍が、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」、あるいは「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」などをするとしている。
 この「新憲法草案」では、主に、(ア)自衛軍の海外行動の範囲、(イ)緊急事態時の秩序維持のための行動の範囲、(ウ)文民統制(シビリアン・コントロール)の実効性の確保、そして、(エ)根本法理との整合性が問題となる。
(ア)海外活動の範囲については、「新憲法草案」の第9条の2第3項で「国際社会の平和と安全を確保するために『国際的に協調』して行われる活動」と定めるが、このような曖昧な規定であれば、国連憲章その他の国際法規の趣旨にすら、適合するかどうかが疑わしいと指摘せざるを得ない。
(イ)緊急事態における秩序維持のための行動については、有事の際には民主主義をも否定するかもしれない実力部隊である軍が、国民に対して統制行動を行おうとするものであるから、「緊急事態における『公の秩序を維持』し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」といったような曖昧な規定であってはならない。このような規定では、自国の自衛軍が、自国の人々の人権侵害を招く危険性を抑止できない。
(ウ)文民統制の実効性の確保については、最高指揮権を内閣総理大臣とし、国防行動については第2項で国会の承認その他の統制を定めている。しかし、自衛軍の海外行動については、国会の承認が規定されていない。したがって、「新憲法草案」によれば、海外行動については国民に秘密裏に展開されることが予定されており、軍事に対して政治が優越するという(民主主義国では大原則の)文民統制の実効性が確保されるかどうかが疑わしい。
 以上のとおり、(ア)ないし(ウ)に関する「新憲法草案」の問題点は、いずれも、立憲主義の発想に欠けるきらいがあり、軍に対する立憲主義統制を軽視しているものと指摘せざるを得ない。
 そして、「新憲法草案」の第9条の改正案は、現在の政府解釈による専守防衛の範囲をも超えて、自衛軍が国内外において軍事行動を展開することが懸念されるのである。根本法理と現行の第9条との関係については、すでに2−2−1でも述べているが、第9条が「新憲法草案」のように改正され、仮にその懸念が現実化すれば、先ずは平和主義が名目化し、それに伴い基本的人権尊重主義や国民主権原理が名目化するなど、憲法の人権保障体系全体にマイナスの影響を与えることになりかねない。すなわち、「新憲法草案」のような第9条の改正案は、根本法理との整合性を欠き、憲法改正権の限界を超える疑いがあるといわざるを得ないのである。
 憲法改正に関しては、あくまで立憲主義といった観点から、改正の是非あるいは改正の内容が検討されなければなない。また、あわせて、根本法理が画する憲法改正の限界といった観点からの検討も欠かすことはできない。
 なお、近時、日本の有事関連法制(周辺事態法、テロ対策特措法、PKO法や自衛隊法の改正、イラク特措法など。)は、次々と立法が積み重ねられており、自衛隊の行動領域は、すでに現行の第9条の範囲を超えているのではないかと疑われている。このような状況下にあって、なお現行の第9条は、平和を求める市民運動の大きな支えとなり、日本の軍事化に一定の歯止めをかける要素となってきたことを軽視すべきでない。この第9条の改正論に関しては、各政党や各経済団体の意見のみならず、こうした市民運動の声にも真摯に向き合っていかなければならない。

2−3 公共の福祉等の人権制限に関する改憲論について

2−3−1 公共の福祉の解釈と近時の改憲論

 現行の日本国憲法が定める第12条・第13条の「公共の福祉」、そして第22条第1項・第29条第2項の「公共の福祉」は、明治憲法下でなされていた「安寧秩序」や「国益優先」といった価値観による命令・勅令・法律などによる人権制約(法律の留保)を排除する目的で日本国憲法に取り入れらた概念であり、現在では、自由国家的な側面、社会国家的な側面における様々な基本的人権の矛盾や衝突を調整する原理として既に定着している。これにより、「公共の福祉」の概念は、人々の基本的人権の保障の充実に寄与しており、また、こうした解釈が現在の憲法学における通説的見解でもあり、実務上も定着しつつある。
 とりわけ、第13条は、個人の人権が抑圧され、民主主義が機能不全に陥った戦前の明治憲法下での政治体制の反省の上に立って、「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定したのである。この第13条の前段部分は、日本国憲法の至上の価値である「個人の尊重」を規定し、また、同条後段は、それを前提とする「幸福追求権」を規定して、個人こそが、立法その他国政の上で最大限の尊重を受ける存在であることを宣言するものである。
 以上に対して、改憲論の中には、このような「公共の福祉」の意味が曖昧であり不明確であるとするものがある。また、行き過ぎた個人主義が横行しているとか、権利には義務が伴い自由には責任が伴うことも憲法に明記すべきといった議論、あるいは国を守る責務があることを自覚しなければならないといった議論が多くみられる。こうした観点から、たとえば自民党の「新憲法草案」では、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に差し替えるといった改憲案を示している。また、同草案では、国民に対して「責務及び義務が伴うことを自覚」させ、人権の行使に際しては「常に」、「公益及び公の秩序に反しない」ことを要求するとした改憲案を示している。
このような改憲案は、国民に対し、常に、公益や公の秩序という抽象的な理由による人権制約の忍容を強いるものであり、現行憲法13条前段が示す「個人の尊厳」という至上の価値を、減退させる意味をもつ。そうすると、このような改憲案は、直接的には根本法理のひとつである基本的人権尊重主義を否定し、人権保障の程度を明治憲法下における「法律の留保」のついた保障に低下させるものであるから、憲法改正の限界を超えるものと思われる。また、そもそも人権保障を目的として国家権力を抑止しようとする立憲主義の思想にも反するものと指摘せざるを得ない。

2−3−2 国民の義務規定・責務規定の創設について

 明治憲法第2章「臣民権利義務」には、人権規定が定められると同時に、兵役の義務(20条)、納税の義務(21条)、教育の義務(これは勅令により定められた義務)が臣民の3大義務として定められていた。このことから分かるように、そこでの人権保障は、立憲主義に立脚する本来の人権保障という考え方に反し、国民の国家に対する義務が強調される傾向にあった。
 これに対し、日本国憲法の人権保障規定は、立憲主義に立脚する本来の人権保障を強調するものであり、この点からみれば、国民に対する義務の強調にはまったくなじまない人権保障体系となっている。
 ところで、近時の改憲論の中には、現行の日本国憲法では権利や自由ばかりが強調され、義務や責任に関する規定が少な過ぎるといった理由から、たとえば、社会連帯・共助の観点からの公共的な責務、家族を扶助する義務、国家の防衛・非常事態における国民の協力義務、環境保全義務など、多くの責務規定・義務規定を盛り込むべきだとするものがある。このような明治憲法への回帰傾向が窺える改憲案に関しては、当協議会としては、懸念を抱かざるを得ない。
 もともと立憲主義に立脚する憲法は、人の生まれながらの自由や権利を保障するために国家が国民を支配する限界を示すものであり、国家はその統治権に基づいて人権の相互の調整や福祉の増進のために、国民に対して様々な義務を課すことができる。しかし、それは、法の支配に基づき、国会の立法によることが必要であり、しかも憲法上保障された基本的人権を侵害しない範囲内にとどまらなければならないということが、立憲主義として要請されているのである。国民の義務は、そのような限度で一般的には法令遵守義務として存在し、個々の法令によって具体化されるものである。現行憲法上の国民の義務を定めているのは、第12条の一般的義務規定、第26条(教育)、第27条(勤労)、第30条(納税)等の個別規定であるが、それらは具体的な法的義務を定めたものではなく、一般に国民に対する倫理的指針としての意味をもつにとどまるものと解されているのである(「憲法T第3版」野中・中村・高橋・高見共著〔有斐閣〕511頁)。
 したがって、立憲主義に立脚する憲法の人権保障体系の中では、ことさらに、責務規定や義務規定を定めることの意義は極めて乏しく、また、立憲主義に反するおそれがあるといわざるを得ない。

2−4 新しい人権について

2−4−1 近時の改憲論の中における新しい人権の意義について

 新しい人権は、憲法制定時には想定できなかった人権が、時代の変化・要請に基づき市民の中から主張されるものであり、現行憲法においては、第13条の規定する幸福追求権などを根拠として、認められる。
 ところで、近時の改憲論の中において、憲法上、新しい人権を明文化する案が出されている。しかし、近時の改憲論では、同時に、2−3で述べているとおり、「公共の福祉」の概念変更や、責務規定・義務規定も盛り込むべきとするものが多い。そうなると、新しい人権はおろか、既存の定着した人権ですらこれまで以上に多大な制限を受けることになる。
 すなわち、新しい人権の明文化と同時に、「公共の福祉」の概念変更や責務規定・義務規定の明文化といった改憲案は、本来、相容れない改憲案であるということを指摘しなければならない。

2−4−2 新しい人権の具体的検討

 自民党の「新憲法草案」によれば、新しい人権として、(ア)プライバシー権、(イ)知る権利、(ウ)犯罪被害者の権利、(エ)環境権などが提案されている。
 確かに、現代では、IT化社会の発達や自然環境の変化などによって、憲法制定時には予想していない現状が新しい人権を要請している側面はある。
 もともと、自民党の改憲案は、「公共の福祉」の概念変更や責務規定・義務規定を同時に創設する案となっているため、新しい人権を創設する意義は極めて乏しいのであるが、仮に、新しい人権に絞ってみて、上記(ア)ないし(エ)の権利は、本当に、改憲の必要性の根拠となるのかを検討しなければならない。
 現在の通説的見解によれば、現行憲法に規定されていない権利・利益であっても個人の生存・人格(人格的生存)にとって不可欠な利益と考えられる権利・利益は、新しい人権として保障することが解釈上十分に成り立っている。その憲法上の根拠として第13条の「幸福追求権」が用いられる。この「幸福追求権」は、いろいろな内容をふくむことができるため「包括的基本権」ともいわれている。
 たとえば、(ア)のプライバシー権については、「私生活をみだりに公開されない権利」(東京地判昭和39年9月28日民集15巻9号2317頁)、「みだりにその容貌、姿態を撮影されない自由」(最大判昭和44年12月24日刑集23巻12号1625頁)、「前科・犯罪経歴は人の名誉、信用にかかわり、これをみだりに公開されないのは法律上の保護に値する利益」(最三小判昭和56年4月14日民集35巻3号620頁)として、裁判上も認められている。また2003年には個人情報保護法や行政機関の保有する個人情報保護法が制定され、@個人情報につき閲覧する権利、訂正する権利、利用の停止を求める権利、A行政機関等に対しては個人情報の外部提供の禁止、目的外利用の禁止などが定められるに至っており、自己情報コントロール権の発想は、具体化されつつある。現時点においては、プライバシー権の保障は、これらの解釈や立法をより充実させればよいものと考えられる。現在、プライバシー権の問題について、より重要なのは、プライバシー権の侵害の疑いがある「Nシステム(自動ナンバー読み取り装置)」や「監視カメラ」の撤廃、また既に運用されている「通信傍受法」の廃止、あるいは一定の資格者などに対する「ゲートキーパー規制」の法制化の撤回など、プライバシー権について、より配慮した立法権・行政権の行使であって、そのことは現行の日本国憲法の要請でもある。
 (イ)の知る権利については、裁判上は既に定着している。また、知る権利を具体化法制についても情報公開法(国の行政機関が対象)や情報公開条例(地方自治体が対象)が制定されるに至っている。そして、より充実した知る権利の保障のためには、情報公開法や情報公開条例に、基本的人権としての「知る権利」を具体化する旨の文言を追加し、あるいは裁判所を対象とした情報公開法を制定するなどの立法行為である。そして、このような立法行為は、現行の日本国憲法の下でも十分なし得るのである。
 (ウ)の犯罪被害者の権利については、自民党の「憲法改正のポイント」によれば、改憲の必要理由として、@刑事事件の被疑者、被告人の権利は数カ条を費やしてこれを保護しているけれども、犯罪被害者の保護については一切の言及がない、A犯罪被害者がその犯罪に関する刑事裁判から疎外されることは、被害の回復を遅らせるとともに、刑事手続に対する不信感、不満感を増加させることにつながる、などとしている。しかし、@については、刑事事件において生じやすい国家権力の濫用(自白偏重の捜査手法による拷問など。)の防止といった観点から規定されているのであるから、犯罪被害者の保護について規定がないのは当然であり、また、Aについては、2000年に「犯罪被害者等の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」(犯罪被害者保護法)によって、条件付ながらも傍聴の優先権や事件記録の閲覧謄写請求権などが認められている。また、2004年には「犯罪被害者等基本法」が制定されており、犯罪被害者の権利が宣言されている。しかし、これ以上に犯罪被害者が刑事裁判に関与することによれば、かえって真実発見という刑事手続の最大の目的を達成できなくなる危険性が高いといった議論がなされている。犯罪被害者にとって重要なのは、精神的・経済的な補助であり、そういった施策は、今後も、個人の尊厳に配慮した立法権、行政権の行使によって、第13条、第25条などを根拠に十分に充実させることができるはずである。
(エ)の環境権については、通説的見解は、第13条の幸福追求権の一内容をなし、かつ、第25条の社会権の一内容をなすとして、第13条と第25条の両規定を根拠として環境権が認められるとする。また、判決等でも、環境権は、「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益」と捉えることができ、かかる利益は「各人の人格に本質的なもの」として、公害訴訟の中で、確立されつつある(大阪高判昭和50年11月27日判時797号36頁)。そもそも、こうした環境権の主張は高度成長期に十分な安全・公害対策を取らない企業を放置してきた国家政策への公害反対運動の中で主張されてきたものである。環境権の保護のために重要なのは、国や行政がより充実した環境政策に取り組むことと併せて、環境権を、プログラム規定としてではなく、人権規定として、明記することである。
 現在の日本国憲法は、第13条などを根拠として、時代に応じ、自律的生を実現するために必要な新しい人権を生み出すことが想定された極めて豊かな人権保障のための構想力を備えており、かつ網羅的である。しかし、確かに、社会構造や科学技術などが想像を超えて著しく進展し、個人の自律的生の実現のために必要不可欠な新しい人権が必要となることはあるであろう。このような場合に、新しい人権規定を創設するといった憲法改正案については、率直に評価しなければならない。
 しかしながら、現在改憲案として提案されている新しい人権については共通して言えることであるが、これらの個々具体的な人権保障は、立法政策や行政などが現行憲法の理念に基づきその権力を行使することによって十分に実現可能であり、また、自民党の「新憲法草案」による新しい人権規定の提案は、その多くが規定の体裁から見ればプログラム規定となっており、およそ人権カタログに明記することが求められる人権保障規定と解することはできないといった点を指摘しなければならないであろう。

2−5 平等条項における「障害の有無」の追加について

2−5−1 第14条における「障害の有無」の追加について

 日本国憲法は、第13条において個人の尊厳、第14条において法の下の平等を保障している。そして、「障害者の権利宣言」(1975年国連採択)では、障がいのある人が、他の人々と等しくすべての基本的権利を有することを明確に宣言している。
 しかし、1993年に施行された障害者基本法は、まさにプログラム規定として国や地方公共団体等の施策における努力目標を定めるのみで、障がいのある人の就労や教育、施設利用などの具体的権利に関する規定はないし、障がいのある人に対する差別禁止規定も定められていない。また、2005年には、障害者基本法を受けて自立支援給付等に関する内容や手続を定めた障害者自立支援法が制定され、2006年に施行されているが、これについては「公平な負担」の名目の下に、給付やサービスの提供を受ける人に過剰な負担を強いる結果となっており、個人の尊厳や法の下の平等の精神とは逆行している。
 以上の経過からすれば、法の下の平等を定める第14条第1項の列挙事由(現行憲法では、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」とされている。)に、「障害の有無」を加える自民党の「新憲法草案」には、一定の評価をすることができ、また、このような改憲案を示した自民党の障がいをもつ人々への手厚い政策に期待する声も多く存在するところである。
 しかし、もともと第14条は、あらゆる理由による不合理な差別を禁止し、各人の事実的・実質的な差異に着目した合理的な区別(福祉政策等の差異など。)のみを認め、かつその平等保障は立法者をも拘束するものと解されているのである。したがって、従来から、立法府を含むあらゆる場面において、「障害の有無」による不合理な差別は、当然、してはならないものと解されてきたのである。また、仮に「障害の有無」を第14条第1項の列挙事由に加えるとしたら、同条項の列挙事由に該当しない事由による不合理な差別禁止が緩和される危険がある。
 よって、当協議会としては、今般、あえて憲法を改正して第14条第1項の列挙事由に「障害の有無」を加える必要性は乏しいものと考える。そして、急がれるのは、このような憲法改正よりも、先ず、障がいを持つ人に関する具体的な差別禁止規定を設け、かつ、社会構造の更なるバリアフリーの実現を目差した立法措置を講じることであろう。

2−5−2 第44条における「障害の有無」の追加について

 もともと参政権は、憲法15条1項によって、「国民固有の権利」として保障されている。したがって、そもそも「障害」があるからといって参政権を剥奪してはならないのは、至極、当然のことであり、解釈上、あえて第44条に「障害の有無」を加える実益はない。
 むしろ、障がいのある人の参政権の保障を確固たるものとするためには、在宅投票制度のみならず電子投票制度を導入するなど、早急な措置を講じることこそが大切である。

2−6 生存権について

2−6−1 生存権保障の解釈

 現行の第25条1項の「健康で文化的で最低限度の生活を営む権利」の法的性質に関しては、いくつかの解釈がある。
 現在の通説的見解は、生存権といわれる人権の保障をより充実したものとするために、「生存権は、それを具体化する法律によってはじめて具体的な権利となる」として、いわゆる抽象的権利説にたつ。これによれば、第25条は、国に立法・予算を通じて生存権を実現すべき法的義務を課し、その具体化立法をもって具体的権利としての生存権が実現することになる(「憲法第三版」芦部信喜著・高橋和之補訂〔岩波書店〕244頁)。
 判例も、第25条に基づき制定されている生活保護法上の保護費の受給権については「単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利であって、保護受給権とも称すべきものと解すべきである」として、生存権の権利性を認めたものがある(最大判昭和41年5月24日民集21巻5号1043頁)。
 しかしながら、判例には「第25条1項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条2項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべき」であるとして、いわゆるプログラム規定説にたつものもある(最大判昭和57年7月7日民集第36巻7号1235頁)。
 生活保護行政の実態(ないし生活保護法の一部規定)は、第25条についてこのプログラム規定説にたっている。その結果、たとえば、2−6−2で後述する母子加算(生活保護法に規定がない。)といわれる給付を容易に減額・廃止することが可能となっている。また、たとえば、生活保護法第8条では、最低生活基準の決定について厚生労働大臣の裁量を認める規定となっている。
 当協議会としては、人権保障体系として位置づけられる第25条についてプログラム規定説のような解釈をとることは絶対に許されるべきではなく、少なくとも最低生活基準や母子加算等の受給項目については法律事項とすべきであり、また、生活保護法等の福祉施策が第25条で保障する生存権の具体化立法であるとの解釈に基づき、保護費等の給付請求権がそれを必要とする人々の「生きるための人権」の主張であるとの認識を定着させていかなければならないと考えている。

2−6−2 生存権保障の実態

 当協議会においては、2006年7月29日、「全国一斉生活保護110番」を全国16か所で開催し、680件の相談を受けた。2005年も同様の110番を開催したが、相談数は279件であった。すなわち、2006年は、2005年の2.4倍以上も相談数が増加したのである。
 2006年の相談では、680件の相談のうち、福祉事務所に行っても生活保護の申請を受け付けてもらえない数が218件も存在し、そのうち保護の給付要件を満たすと思われるものが98件に達している(【別表】参照)。
 生活保護法では、自治体は申請を必ず受理し、保護に該当するかどうかを審査しなければならず(生活保護法第24条参照)、申請自体を拒むことは違法のはずであるが、以上の110番では、このような違法行為が全国的に横行していることが明らかになったのである。すなわち、このような違法行為によって、第25条が保障する生存権は、市民の手に届かぬものとなっているのである。
ところで、政府は、2007年度予算案編成で、社会保障費削減の主な手段に生活保護を選んだ。生活保護法による保護費のうち、たとえば、子育てをしている母子家庭に一律支給している母子加算を2007年度中に廃止するとし、経済的社会的弱者といわれる人の「最後のよりどころ」となるはずの生活保護に、そのしわ寄せを強いることとした。
 格差社会が進行する時代にあっては、たとえば母子家庭のような社会的に不利な立場にある人々にこそ、その人格的生存のために手をさし伸ばすというのが第25条の趣旨にほかならない。
 政府がこうした第25条の趣旨や、格差社会が進みこれまで以上に充実した社会保障政策が必要となるであろう時代の要請に反して、母子加算などの保護費にあてる予算を削減し生存権保障の希釈化をすすめたり、また、前述のとおり行政の生活保護の運用面においても、その改善が急がれる状況に至ってしまったのも、現行の第25条がプログラム規定と解される余地を残していることにその理由があると考えられる。
 当協議会は、多くの生活保護や多重債務に関する相談を経験する中で、現在、多くの市民にとって、第25条が規定する生存権のより充実した保障が必要な時代にあると考えている。したがって、第25条については、最低限度の生活を可能とする受給権の保障を人権規定として明文化するなど、人格的生存に資する積極的な憲法改正も検討されなければならないと考えている。

【別表】2006年度「全国一斉生活保護110番」統計
 @ 福祉事務所へ相談をしたことがあるが生活保護を受けられなかったという相談
 A 上記のうち明らかに生活保護が受給できると思われるもの
会場 @ A 受給可能率
札幌 18 4 22.2%
宮城 3 2 66.7%
山形 14 9 64.3%
栃木 6 4 66.7%
千葉 9 6 66.7%
東京 35 13 37.1%
神奈川 19 3 15.8%
静岡 7 5 71.4%
愛知 5 3 60.0%
福井 11 8 72.7%
石川 5 2 40.0%
奈良 12 5 41.7%
大阪 15 7 46.7%
兵庫 29 10 34.5%
島根 1 1 100.0%
福岡 18 9 50.0%
鹿児島 11 3 27.3%
合計 218 94 43.1%


2−6−3 生存権の主体について

 ところで、現行の第25条2項は、「国は、『すべての生活部面』について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定するが、自民党の「新憲法草案」では、『すべての生活部面』が、『国民生活のあらゆる側面』に置き換えられている。
 これによれば、第25条の権利主体が、『国民』に限定され、永住外国人が除外されるおそれがある。かつては、「社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うに当たり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも、許される」とした解釈も存在した(最一小判平成元年3月2日判時1363号68頁)。しかし、現在では、国際人権規約(社会権規約第2条第2項参照)の批准により、社会保障関係法令の国籍要件は、原則として撤廃されている。しかし、自民党の草案によれば、この国籍要件がなし崩し的に復活するおそれがある。よって、当協議会は、この自民党の草案第25条には、強く反対する。

2−7 財産権について

2−7−1 財産権の保障の対象と制約法理

 現在、第29条の「財産権」には、所有権その他の物権、債権、著作権や特許権などの知的財産権、鉱業権、漁業権、水利権など、およそ財産的性質を有するあらゆる権利が含まれていると解されている。視点を変えて言えば、人々の生活基盤を支える小さな財産から、大企業の経済活動を支える大きな財産まで、第29条の保障の対象となる。
 もっとも、「財産権は、侵してはならない。」と定める第29条第1項は、財産権の具体的内容を定めたものではなく、資本主義経済体制を制度的に保障するものであり、個々の財産権の内容及びその行使の方法は、憲法で保障される「財産権」の枠内で法律によって具体化されている。
 しかしながら、現行の憲法では、他方で第25条等の社会権を規定していることからも分かるとおり、財産権については、資本主義経済体制によって生じる格差の是正などを内容とする社会国家的な公共の福祉の観点からの制約がなされ、こうした制約によって生存権等の社会権が充足されることを表裏の関係として想定している。

2−7−2 財産権の制約法理の改正と格差社会の構造的拡大

 現行の憲法は、第29条第2項において「公共の福祉」による制約があることを規定する。自民党の「新憲法草案」では、その「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に変更されている。2−3−1でも詳述したとおり、この変更は単なる文言の差し替えに止まらない。制約法理・制約内容を強化するための概念変更であると考えなければならない。
 この点だけを考慮すれば、人々の生活基盤を支える小さな財産から、大企業の経済活動を支える大きな財産まで、一律に広範な制約を受けることが予想される。しかしながら、自民党の草案は、「この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上及び活力ある社会の実現に留意しなければならない。」として、主として大企業等の経済的強者が有する知的財産権の保障については、その制約から極力除外するといった配慮がなされている。
 確かに、知的財産権の保障については、資本主義経済社会における企業経済の発展にとって極めて重要であり、また他者に侵害されやすい側面を有することから、これに対する配慮は重要である。しかし、他方で、その他の財産権は、「公益及び公の秩序」による広範な制約に服するというのは、バランスがとれない。すなわち、主として大企業の経済を支える知的財産権に対しては十分な留意をしながら、他方で、一般の人々やひいては経済的弱者の財産権に関しては、さほど留意しなくてもよい、といった格差社会を増大する政策への正当化根拠を与えることになりかねないのである。
 現在の格差社会は、生活保護受給者数を増やし、また消費者金融業者等からの借り入れを重ねる多重債務者を生み出す大きな要因となっている。多重債務者は、自己の最低限度の生活を支えていくための小さな財産さえ、返済という名で奪われ、生きて行くことさえ困難な状況に追い込まれていく。当協議会は、こうした状況に鑑みれば、大企業等に対する財産権への配慮のみならず、経済的弱者の財産権に対しても十分に留意することが必要であると考える。
 したがって、もし財産権に関する改正を検討するならば、こうした経済的弱者の小さな財産権への配慮も併せて検討されなければならないと考える。

2−8 政教分離原則について

2−8−1 信教の自由と政教分離原則

 第20条1項前段及び2項は、個人の信教の自由(特定の宗教を信仰し、又は信仰しないことの自由)を保障する。
 この信教の自由といった本質的な基本的人権の保障を制度的に確保するための制度的保障として、第20条第1項後段は「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とし、また同条第3項は「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」として、公権力と特定の宗教との分離を規定する。さらに、この政教分離原則を財政面から規定したのが第89条であり、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公金支出の禁止を定める。
 すなわち、第20条及び第89条は、個人の信教の自由の保障、およびその目的を確保するための手段としての政教分離原則を定めている。

2−8−2 目的効果基準と改憲論

 政教分離原則を制度的保障と解すると、この原則は、信教の自由を確保するという目的のための「手段」として位置づけられ、目的を侵害(特定の宗教を援助・助長し、また特定の宗教を圧迫・干渉)しない限りにおいては、公権力と宗教との係わり合いも許容されるということになる(目的効果基準)。こうした目的効果基準に対しては、政教分離原則の緩和=政教融合を容認し、ひいては個人の信教の自由が侵害される危険があるとの批判が強い。
 ところで、自民党の「新憲法草案」では、政教分離原則を定める第20条3項において、「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」としており、目的効果基準にしたがった政教分離原則の緩和を明文化し、政教融合を首肯するものとなっている。
 すなわち、自民党の草案によれば、抽象的な基準による一定程度の政教非分離を肯定することなり、個人の信教の自由を確保しようとする手段としての政教分離原則が、その機能を失う危険性がある。

2−9 政党の憲法的編入のあり方について

 日本国憲法は、政党に関する直接の規定を置いていない。現行憲法下における政党は、有志が集まって「結社の自由」(第21条第1項)を根拠として、国家の干渉なしに結成し、運営していくといった性格として捉えられている。こうした点で、現在、政党は、私的な性格が重視されている。
 他方、政党は、人々の様々な意見・要求を一つの政治的意思として統合して国政に反映させ、また、議会における議論や決定事項を人々に伝える役割も果たす。そして、政党は、現在いかに少数であっても、将来は政権を担当することを目指している。こうした点で、政党は、公的な性格を有する。こうした点に鑑みれば、確かに、自民党の「新憲法草案」第64条の2が「・・・政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることにかんがみ・・・」として、政党を憲法上の位置づけにしていくことには、一定の理由がある。
 しかし、自民党の草案第64条の2第1項は、「国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることにかんがみ、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」としており、また同条第3項は、「・・・政党に関する事項は、法律で定める」としている。すなわち、自民党の草案は、「公正」「健全」といった曖昧不明確な概念によって政党のあり方を政党法等の法律で規制することを予定するものである。この点については、政党が本来もつ表現の自由としての「結社の自由」の側面に対し、法律によって過剰な制約が加えられるおそれがあり、また、その自律的な活動に対する侵害となるおそれが否定できない。
つまりは、時の政権が憲法に基づき政党法を制定し、財政・人員組織等の政党の要件を定め、この要件に合致しなければその政党は「公正」「健全」とはいえないとされ、議席を持たないような少数政党の活動が制限されるといったことが懸念される。ひいては、少数派の政治的意見が国政の場に届かないといった民主主義に対する悪影響が懸念されるのである。

2−10 地方自治制度について

2−10−1 地方自治の本旨からの検討

 現行の日本国憲法第92条は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」としている。ここで、「地方自治の本旨」とは、@住民が主体となって行政需要の意思決定を行うという「住民自治」の原理、A地方自治は国から独立して行うという「団体自治」の原理の二つの原理を意味すると解されている。
 自民党の「新憲法草案」第91条の2は、第1項で「地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う」とし、第2項で「住民は、その属する地方自治体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を公正に分任する義務を負う」として、これまで憲法上曖昧だった「地方自治の本旨」の意味をある程度明確にするものとなっている。
 ただし、@「住民自治」の観点から見ると、これまで住民は地方自治の「主体」と解されてきているのに、自民党の草案では「参画」する地位に留まっている。また、A「団体自治」の観点から見ると、これまで地方自治は国からの対国家的な「独立」性を原則としてきたのに、自民党の草案では「自主的、自立的かつ総合的」とされ、対国家的な「独立」性の色を薄めているきらいがある。このことは、草案の第92条が「国及び地方自治体は、地方自治の本旨に基づき、適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない」としていること、さらには草案が地方特別法制定の際に要求される住民投票を定めた現行の第95条を削除していることなどからもうかがうことができる。
 住基ネット問題や町村合併問題などで、一部の町村ではこのような国策を受け入ることを拒否し、どこまでも「住民自治」「団体自治」といった地方自治の本旨を追求する自治体があったことは記憶に新しい。この自民党の草案によれば、こうした住民の意思決定を重視する地方自治の本旨を衰退させるおそれがある。

2−10−2 永住外国人の地方参政権について

 なお、「住民自治」という観点からすると、永住外国人については、住民の生活に最も密着した地方自治体のレベルの地方参政権(公務就任権を含む。)についても、保障されるべきであると考えるのが、今日の憲法学における多数見解である。
 最高裁の判例も、「憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。」(最三小判平成7年2月28日民集49巻2号639頁)として、永住外国人の地方参政権を許容する見解を示している。 租税も負担し、保険料も収める住民たる永住外国人の方々も含めて、「住民」自らが地域社会が活性化される途を探り、また地方参政権(地方公務員への採用や管理職昇進も含む。)や各種行政計画へ参加していくのは、当然の時代の要請であり、一部の自治体では、「外国人市民代表者会議条例」(平成8年10月3日川崎市条例第25号)を制定し、永住外国人の行政参加を積極的に保障する動きをみせている。
 もっとも、以上のようなことは、現行の憲法下でも十分可能であり、憲法改正の理由としては乏しいと思われるが、仮に、地方自治に関する憲法改正を議論するならば、永住外国人の地方参政権にも十分配慮して、「住民自治」「団体自治」といった地方自治の本旨がより推進される方向での積極的な検討が必要である。

2−11 憲法改正手続について

2−11−1 憲法改正の発議について

 現行の日本国憲法における憲法改正は、@「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」により憲法改正案が発議されることからはじまる。次に、Aその憲法改正案が国民投票にかけられ、過半数の賛成による承認が得られなければならない。そして最後に、B「天皇が、国民の名で、この憲法と一体をなすものとして」公布する。
 このうち、@の発議要件について、自民党の「新憲法草案」は、「各議院の総議員の過半数」に変更するとしている。立憲主義における憲法とは、国家権力抑止規範であり、国家権力の暴走や恣意的な統治がなされることを防止するための規範として機能する。憲法改正の発議要件を緩和することは、この抑止規範の対象とされる国家権力が、自らその規範の緩和を求めるものであり、立憲主義の低下につながるため、認めることができない。また、憲法は、国法体系の最高法規としての性質を有するため、憲法改正手続は通常の立法手続よりも厳格な手続が要求されることは当然であり、憲法改正国民投票と並んで、発議要件についても、厳格であることが望ましいと考える。
 また、Aの国民投票については、国民主権の権力的契機の側面が具体化された制度であり、現在の日本国憲法の中においては、ほぼ唯一、国民の直接の政治参加を保障するものであり、また、憲法改正がこの国に暮らす人々の人権保障体系に極めて重大な影響を及ぼす事柄であるから、最終的な主権者たる国民にその判断を委ねるものである。したがって、下記2−11−2でも指摘するように、仮に、この国民投票を具体化するための手続法(憲法改正国民投票法)を制定するのであれば、格段に、国民主権原理を尊重したものとならなければならない。
 なお、Bの公布に関しては、改正憲法について「国民の名で、この憲法と一体をなすもの」として公布することが条件とされていることから、主権者の交代や現在の日本国憲法との同一性を失わせるような全面改正、あるいは根本法理の改廃を含む憲法改正は、憲法自体が予定していないことの根拠となると解する学説もある。

2−11−2 憲法改正国民投票について

 憲法改正の国民投票を実施するについては、それを具体化する立法(憲法改正国民投票法等の手続法)が必要であると考えられている。この法律案に関しては、2006年5月、自民党と民主党がそれぞれの案を併記しつつ、「日本国憲法改正国民投票法案」として、国会に共同提案された。これに対して、一部政党や一部市民団体等からは、憲法改正の必要性がないのであるから、そのような法案提出や国会審理は拙速であるとの声も上がっている。
 いずれにしても、当協議会は、共同提案された同法案に関しては、憲法改正手続を定める現行憲法第96条の前記趣旨(2−11−1)に鑑みた場合、看過できない重大な問題点が含まれていると考え、同法案の廃案を求める意見書を既に政府関係機関等に提出しているところである。この意見書で指摘した問題点は、@投票権者の範囲(投票欠格事由等)が過剰に狭められていること、A投票期日までの告示期間が短すぎること、B投票方式が一括提案方式に対応することができる余地が残されていること、C白票を無効票としてしまうこと並びに有効投票数の過半数で国民の承認があったとみなしていること、D国民投票運動の主体に関して過剰な規制が設けられていること、E国民投票に関する報道等に関して過剰な規制が設けられていること、などである。
 憲法改正国民投票は、仮に憲法改正が実現された場合、その改正憲法の正当性を基礎付ける重要な根拠となるため、憲法改正に関する議論の機会をいかに十分に保障するか、また、いかに民意を反映させ、いかにフェアな手続きを保障するかが重要なテーマとなる。現在、日本国憲法調査特別委員会での同法案の審理は大詰めを迎えた。これからはじまるであろう本会議での同法案の審理に関しては、以上の問題点が真摯に検討されなければならない。

おわりに

 1999年の国会法改正に基づき衆参両院に設置された憲法調査会以降の近時の憲法改正に関する議論は、自民党の「新憲法草案」にみられるように、第9条第2項の改正に触れ、かつ、前文や第12条、第13条など日本国憲法の個々の具体的な条文や概念などにも議論が及んでいる。
 しかし、このような近時の改憲論は、日本国憲法が立脚する立憲主義、そして日本国憲法を形作っている基本的人権尊重主義、国民主権主義、平和主義の三つの根本法理そのものに変容を求めるものとなっている。
 たとえば、自民党の憲法改正プロジェクトチームが公表した「論点整理案」は、「これまで、ともすれば、憲法とは、国家権力を制限するために国民が突きつけた規範である、ということのみを強調する論調が目立っていたように思われるが、今後、憲法改正を進めるに当たっては、憲法とは、そのような権力制限規範にとどまるものではなく、国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民が協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルールとしての側面を持つものであることをアピールしていくことが重要である。」として、従来の立憲主義とは異なる新たな価値観に基づく議論が展開されている。また、ある企業が公表した憲法改正試案によれば、権力担当者に対する憲法尊重擁護義務(第99条)を削除したうえで、前文では「この憲法は、日本国の最高規範であり、国民はこれを遵守しなければならない・・・」として、こちらは立憲主義を根底から否定するものとなっている。
 日本国憲法には、確かに憲法改正に関する第96条が存在するのであるから、これを「不磨の大典」として封じ込めることはできない。したがって、憲法改正に関して、国民的議論が広く展開され、様々な意見が出されることは肯定的に受け止めていく必要があろう。
 しかしながら、立憲主義は、我々人間が自由と平等を基調とする社会を求めてきた歴史の到達点として、全世界に広がりつつある人類普遍の原理である。この原理の改廃だけは、あってはならない。
 そして、平和主義は、わが国が世界に誇る名誉ある原理である。今後、第9条第2項の改正論議が盛んになされてくると思われるが、その際にも、あくまで平和主義の枠組みを超えることがあってはならない。
 当協議会は、現時点において、近時の改憲論に関する本書のような提言を公表する次第であるが、今後とも、さらなる議論を積み重ね、また新たな意見・提言をする機会を得たいと考えている。

以上
   
 



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