司法制度改革の時代を司法書士として生きる!
〜全青司活動現場からのレポート〜




全青司第2回代表者会議In仙台(ADR体感)(平成17年7月19日)

  1.全青司第2回代表者会議In仙台(ADR体感)

(1)平成17年7月16日(土)、17日(日)、仙台において、第2回代表者会議を実施たしました。参加いただいた代表者の皆様、そして、地元仙台青司協の皆様、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。
今回のテーマはADRです。実際にロールプレイをやってみて、それから大澤恒夫弁護士のお話を聴き、理解を深めていただくという趣旨で企画をさせていただきました。
 手前味噌にはなりますが、この方法、半日という短時間でADRの本質を理解していただくという点においては、とても有効であったのではないかと考えているところです。
 お忙しい中、わざわざ仙台までお越しいただき、半日という長時間にわたってお付き合いしていただきました大澤先生には、この場を借りて改めて心より感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

(2)言うまでもないかもしれませんが、ADRとは極めて広い概念でありますから、司法書士としましては、利用者のニーズや紛争の類型、性質、背景等によって、適切な手続きを選択することが肝要であることは当然でありましょう。したがいまして、その意味においては、ADR自体も、メディエーションの手法も、紛争解決手段の一つのメニューにすぎないと考えられます。
 しかしながら、このメディエーションの手法は、当事者の紛争解決能力を高め、自己決定能力を引き出すという点において、他の既存の紛争解決手続き(訴訟はもちろん、民事調停や仲裁などとも)とは大きく異なり、当事者が自身で決定していくという過程から当事者の満足度は格段に高くなる可能性を秘めていると考えられのではないでしょうか。
 私は、まず、この点について、着目しなければならないと思います。

(3)一方、日司連が推進する調停センターが各単位会に設立されることとなっていますが、この担い手のほとんどは全青司会員であることが予想されるところであります。

(4)そして、利用者の側から見れば、この調停センターが、仮に、既存の民事調停や仲裁に類似の手法をとるのであれば、次にあげる点において、その利用価値は少ないものと考えています。
1.執行力がない。
2.権威が無い(実績がない)。
 したがいまして、上記調停センターにおいては、既存の手続きとの差異がどこにあるのか、どこに利用価値があるのかを明確にし、それをきちんと広報することをしなければ、絵に描いた餅となる可能性が否定できないと考えるものであります。
 このように考えれば、調停センターにおける調停は、メディエーションの技法を大幅に取り入れ、当事者の紛争解決能力を引き出すことに主眼を置くべきであると考えられます。個々の事務所レベルでは事実上困難なメディエーションも、単位会での対応により可能となると考えられますし、当初より、多くの事件が寄せられることも考えにくいので、センターに関わる司法書士のスキルアップという問題がクリアできれば、十分対応は可能と考えられるからです。
 そして、司法書士会全体が、このような姿勢で、新しい試みを大きくPRすることによって、紛争解決の一翼を担う司法書士の独自性も確立できるのではないだろうかと考えているところです。

(5)そこで、全青司としましては、「既存の紛争解決手段と異なる新しい可能性を含んだメディエーションの技法を大きく取り入れ、当事者のニーズや事案に応じて、既存の紛争解決手段と併せて、ADRを積極的に活用し、これまで以上に利用者の納得度の高い、新しい紛争解決の担い手をとなる法律家集団を目指すこと。」を基本的スタンスとしたいと考えているところであります。この点につきましては、今後も会員の皆様や執行部と協議をしたうえで、改めてご提示したいと思います。

(6)最後にもう一度、大澤先生の講義のキーワードであると思われる「可謬性の認識」について。「可謬性(fallibility)」とは,科学哲学者ポパー(Karl Raimund Popper,1902-94)が用いた用語で、われわれの知識が完全に真理に到達したかどうかは確証できず、常に誤っている可能性があるということであり、どんな見解も可謬性を免れず、絶対に正しいことはありえないとする見解を「可謬主義」というようです。
 私はまさに可謬主義者といえると思いますが、それに加え、調停者としてのスキルを習得しなければなりません。まだまだ長い道のりが続いているようです。


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