平成13年9月5日
議会運営委員会委員長 渡辺敏弘様
吉本ひろ子
はじめに(文書の性格)
平成13年5月11日、私は前議会運営委員会委員長から、「吉本議員の見解を求めます」という文書を受け取りました。問題にされた文書は、寝屋川を変える女のネットワークニュース39号の中で、「3月議会に向けて〜政務調査費条例の検討始まる」という文書を書いたものの、紙面の都合で審議がどのような場で行われているのか十分な説明ができなかったので、支持者向けに内容を補筆した内部議論用の文書のごく一部をとりあげたものです。
ネットワークニュースとは性格が異なるものであることをまず明らかにしておきます。その上で、この文書を書くに至った、私の見解を以下、述べます。
1) 本来の政務調査費条例の審議はどうあるべきかについて
この文書を書いた時、私は、政務調査費を条例化するにあたって考えなければならないこと、つまり本来の地方自治法改正の趣旨をきちんと理解すれば、政務調査費はどのように使われるべきかということを、さまざまな資料を取り寄せ、市民のご意見を聞かせていただき、他市の議員とも勉強会を開いて議論して、調査研究を深め、私なりの考え方をまとめていました。
また、私は常日頃、市民の方と政治について話し合っている中で、「行政は議会がチェックするのは分かりました。では、議会をチェックするのは誰ですか」とたびたび聞かれていました。私は、「議会をチェックするのは市民です」と答えますが、それに対してほとんどの市民は、「そんなこと言われても議会が何をしているのか、議員が何をしているのか、我々からは何も見えません。どうやってチェックできますか」と聞かれていました。
この政務調査費の条例化にあたっては、特にそのような市民の声にどう答えるか、私にできることは何かと考えていました。私は自分の議会活動報告は出していますが、議会全体の動きについての活動報告が十分にできているとはいえないと反省していました。議会がどのように動いているのか、できるだけ私が見たままを、正直に伝えていく義務があるのではないかと思いました。
政務調査費が、市民から見て納得のいく使われ方をするためには、責任の所在が明らかである事、使い道の透明性を確保すること、使われた公金がどのような成果をあげたかが市民に報告されることなど、いくつかのポイントがあると思いました。
私は、少しでも良い条例を、議会全体で力を合わせて作っていきたいと願っていました。ところが、残念なことに、幹事長会で決められていく過程において、1人会派の私には、市民との議論の中で私なりにまとめた意見を反映させる公的な発言の場は全く与えられませんでした。しかたなく、議長宛に、条例化にあたっての要望書を提出し、少しでも趣旨をくみとっていただいて議論していただきたいことをお伝えするしかできませんでした。
しかしながら、こうした議会運営は、何よりも「最大多数の市民の利益」=「税金の公正・効率的な使い方」という観点から見れば、大きなマイナスです。本来なら、すべての議員の調査能力を最大限発揮して議論をまとめて、市民にとって最も良い条例を作る事が、この場合の市民の最大利益であるはずでしょう。
地方自治法では、選挙で選ばれた全ての議員は、個人として、対等平等の権利と責任を持っています。少なくとも1人会派の議員にも、策定過程において、何らかの形で正当な発言権が保障されるべきでした。1人会派の議員だからといって、審議途中の資料を渡さず、最終的に採決する本会議当日をのぞいて、公的な発言の場を全く与えなかった議会運営は、2470票の市民の意志を黙殺したものと言えないでしょうか。市民の声を代弁して発言すべき議員という職責を考えた時、許されるものではないと私は考えます。
民主主義の成熟度をはかる一つのものさしは、「少数意見の尊重」をどの程度、実質的に保障する仕組みがとられているかということにあります。市民にも会議を公開して、議論に時間をかけて徹底的に審議し、最終的に多数決で議決する、そうした手続きを踏まない限り、民主主義は成熟しません。
少数意見の反映をせず、多数決で決定することは厳につつしまなければなりません。なぜなら、それは民主主義と形は似ているものの、内実は全く異なる多数決主義になりかねない危険性を持っているからです。一例をあげれば、ドイツのヒットラーがワイマール憲法という民主的な憲法のもとで、民意を利用した多数決主義によって独裁政権を築いていった教訓を思いおこすべきでしょう。
ヨーロッパでは国によって程度の差はありますが、そのことを自覚しています。だからこそ、北欧等では徹底的に議論に時間をかけ、皆で合意した結論を出したからには皆でそれを守ると言われています。
地方自治法にもとづく本来の議会運営の趣旨からいえば、議員は個人として全く対等平等なはずです。地方自治法上では今までは、会派について全く言及がありませんでした。今回の政務調査費条例の支給に関して、初めて会派という文言が法律上に記載されましたが、会派の定義はどこにも規定されていません。
地方自治法がめざした議会運営においては、会派の代表者が出席して開く秘密会の会議で、こんな一般的な議案で、しかも市民の税金を使う議案を決定することは想定していないはずです。現在の地方議会における会派主義は、あくまでも議会運営の便宜上、慣例的に続けられてきたものにすぎません。
本来あるべき議会運営の姿から考えるなら、政務調査費条例の制定にあたっては、法的根拠があり、条例で定められ、市民に公開されている議会運営委員会において、議論されるべきでなかったかと、私は考えます。
なぜなら、市民の公金を議員が使う条例を、市民から見れば秘密会(地方自治法第115条で規定されている「秘密会」の定義とは、議員および議長の指定した者以外のものに公開しない会議である――とあります)である幹事長会で、議員が作るというのでは、納得できないことでしょう。「一体、誰が議会をチェックするのですか」という指摘に答えることはできません。
議会としては、少なくとも最低限、市民が議論の経過を、後にチェックできる体制を整える必用がありました。幹事長会で決められたのでは、議事録がないのでどのような審議が行われて条例が決められたのか、誰も確かめようがありません。
思い起こしていただきたいのは、そもそも政務調査費条例は、「市民に開かれた議会」を求める声の高まりを受けて、「情報公開と市民への説明責任を果たし、地方議会が政策形成能力の力量を高める必要性がある」と認められたからこそ、法改正して打ち出されたものです。
今回の地方自治法の改正の趣旨、政務調査費条例が認められるに至った、一番大切な視点を、議会自らが放棄したとさえ言えるものではないでしょうか。市民の政治参画を一番保障すべき時に、それを拒否した結果となってしまったのではないでしょうか。
以上のように、政務調査費条例が制定されるに至った、地方自治をとりまく現状を、議員一人ひとりが深く理解し、議会運営に反映していくためには、条例制定にあたって、議員が真剣に議論することが必用不可欠でした。本来なら、全員協議会を開いて、地方分権推進一括法の中で、地方自治法が改正されて地方議会に求められている改革について、連続研修会等を開いて、政務調査費に対する基本的な認識を深めた上で、全議員で議論をして論点整理をしたあとで、議会運営委員会などで細部を詰めていくといった作業が必用だったはずです。
そうしてこそ初めて、全議員が、自分で責任を持って、今までの調査研究費の使い方のどこに問題があり、今後は条例化することで、その問題をどのように克服すべきか、公金の使い方を真剣に考えられたのではないでしょうか。
2)議会に対する市民の声を受け止めて
また、市民の方とお話しする中で、もっともだなあと思いますのに、議会に対する以下のようなご意見があります。
1. 議会は議場に私ら市民を呼んで議会について思っている事や考えていることを聞く姿勢を持つべきではないでしょうか。市民が公の場で、議会について議論する場を用意すべきと違いますか。行政は審議会や懇話会など、公募委員を取り入れて、少しずつ努力しているではありませんか。市民の代表である議会こそ、市民の意見をどんどん聞くべきだと思うですが、議会でそういうことを言う議員さんはおられないのですか。
2. 議会は夜間議会を開くとか、土・日議会を開くとか、もっと市民から見て、はっきりと議会が努力してい
るんだなと思うことをやらなあかんのと違いますか。平日に開かれた議会を、仕事を休んで傍聴に来てくだ さいというのは、あまりにも市民サービスの精神がかけていませんか。行政の窓口も土・日サービスに取り
くみ始めているではありませんか。どうして議会だけが平日の昼間なのですか。
3. 議会全体でやるのが無理なら、せめて何人か気の合う人たちでもかまわないから、皆で協力して市民会館
などで市政報告会を開いたり、市民と気楽に議論したりすることが必用なのと違いますか。市民との協働が 必用なのは、議会と違いますか。
――などなど、厳しいけれども、なるほどと納得のいくご意見です。
こうした非常に前向きなご意見があることも踏まえて、議会はもっと主体的に、議会改革をすすめないといけないと考えるようになりました。議会に対して、市民の方が持っているさまざまな思いを、どのようにして真正面から受け止めていくか、これは寝屋川市議会全体の大きな課題であると考えます。こうしたことを議会改革特別委員会などを作って議論できれば、議会のレベルアップになることでしょう。
3)最後に
私の文書には、私の独断がかなり入っていたかもしれません。しかしながら、幹事長会の運営や議会運営委員会の運営は、以上指摘したような理由から、とても納得がいかないものでありました。傍聴を許された幹事長会、その一場面だけしか見られない私には、私が書いたようにしか写りませんでした。
もちろん、支持者向けのごく限られた人向けの文書であったことで、少し主観が入りすぎた文書になったかもしれないということは、今、冷静になった時点では、反省しております。これからも勉強を深め、できる限り客観的な文章を書くよう努めたいと考えておりますので、ご理解のほどよろしくお願い致します。
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