| 3月21日の朝日新聞の社会面に、「2人ぼっちの暗闇 介護せず寝たきり夫衰弱死」という記事があった。脳梗塞と認知症に倒れた夫を介護しながら、3つの仕事をかけもちして働いていた妻が疲れ果てて、ついに夫を栄養失調で死なせてしまったとして逮捕された事件の判決が出た。記事は悲惨な事件の背景を追っていた。 事件を未然に防げた可能性は1度あった。女性は、大阪市の淀川区役所に生活保護の申請に行っている。「家賃が7万2千円かかっている」と言った彼女に、担当者が「引越しせなあきませんな」と言ったことが、彼女に「引越しするお金がない」と思わせて、あきらめさせてしまった。 ★私の分析 この場合、見落とされがちな重要な視点があります。それは経済的に追い詰められている人は、人間としての誇りをすでに相当失い、傷つき、精神的にもがけっぷちに立っているということです。つまり、ほんの他意のない一言で、傷つき、自分の殻に閉じこもってしまう危険性があるのです。 行政の対応としては、金を出す出さないと言う問題が一つありますが、もう一つは、精神的ケアが絶対に必要なのです。 ところが、生活保護行政に携わっている公務員は、終生、経済的に安定している人で、相談者の痛みを、心底理解できない身分です。さらにそういう精神的なカウンセラー的対応をすることはまったく想定されていませんし、トレーニングも受けていません。 今の日本の行政の根本的な課題は、制度についての事務的な仕事だけをこなしていることにあるでしょう。人間が生きる権利を保障する制度の理念を踏まえて仕事にあたれば、もっと違った対応ができるでしょうに。 さらに、今は、財政難を理由として、「生活保護受給者をこれ以上増やすな」という、組織の論理プレッシャーを強く受けています。事務的に人間としての感情をそぎ落として仕事をすることに慣れさせられているということです。 この2つの立場の違いからくる、コミニュケーションギャップは非常に大きいのです。つまり、生活保護行政担当職員の事務的な対応だけでは、死ぬか生きるかというギリギリの地点に立っている人間を救うことはできないばかりか、さらに追い詰めてしまう結果を招き兼ねません。この危険性を、行政は認識しなければなりません。 ★ここからは一般論。 高齢者の孤独死、子どもの虐待死、DV被害者が殺された事件、いじめ被害者の自殺等、悲惨な事件が起きるたびに、なんとかできなかったのかと誰もが心を痛めて、一時だけマスコミが報道するが、なかなか支援のセーフティーネットが整えられない。なぜか? 何が必要か? たとえばDV被害者の支援がなぜ進まないのか。 先日、某市に、DV被害者支援事業に対する支援の要請に行く人に同行しました。いろいろな関連担当部署をまわって、その言い分をまとめると「そもそも市町村ができる仕事ではないし、もっと広域的にやらないといけない事業です。国では内閣府の中に担当が置かれている。内閣府はそもそもあまり予算を持っていない。国・府の予算が市に降りてこないので、市は財政難の中で、独自事業をやるわけにいかない」ということでした。担当者のいい分は、一定理解できます。市全体の合意が取れてない中で、担当者の力でやれることは限界があるからです。 しかし、あえて言わせてもらうなら、「市がやるべき事業でないなら、ましてや、個人の力でやれる事業ではありません」。にも関わらず、彼女たちは、被害の深刻な現状に気付き、行政の支援がないなら、自分たちがやるしかないと立ちあがってやり続けてきたのです。年間、かなりの相談活動をこなしています。 日本独特の貧しさ 日本では、金銭的な行政支援がほとんどない中で、NPOや、シェルターの運営は非常に厳しい現状があります。行政の支援はほとんどなく、必死になって企業の助成金をかき集めても、助成金には、事業費しか出せず、スタッフの人件費が出せないので、ボランティアでやれる人しか関われないのが実態です。おかしな話です。 言うまでもなく、支援には高い専門性、人の痛みを理解できる人間性等が必要とされます。しかも、現状では、被害者支援をしながら、一方では、活動費獲得のために、行政や、企業等に理解してもらう、啓発的な仕事をもになわざるを得ないのです。並大抵の仕事ではありません。 欧米等では 行政支援と企業の社会的責任を果たす意味での寄付があり、地域で女性たちがこうした支援活動によって、生計を維持できています。つまり、仕事として社会的に認知されて、たくさんの地域での活動拠点があるのです。 2年ほど前に、韓国に行った時も、韓国でも「金大中大統領の時に、市民運動への理解や支援が制度的に進み、NPOでも単身であれば食べていけるだけの給料は出せるようになってますよ」と言っていました。 ★要は、政治の優先順位をどこに置くかなのです。 行政は何をすべきかです。行政とは、収益があがらず、企業が手を出さないけれど、人が生きるために必要で、かつ安定した社会を維持するために必要なところに税金を使って仕事をするべきなのです。 「財政難で必要性は分かっても、市は取り組めない。市の仕事ではない」というなら、ましてや、お金をもっていない女性たちがボランティアでできる仕事では絶対にない
! でも、やっているのです。心から頭が下がります。だからこそ、絶対に彼女たちをつぶしたくない。 なぜなら、人間の命がかかっているからです。死ぬか、生きるかという、崖っぷちに立った人間の存在と尊厳がかかっている問題です。行政の責任として、セーフティーネットをはらねばなりません。 でも、行政にはノウハウがありません。なら、すでに実績を積んで、専門的な被害者支援のノウハウを蓄積した民間シェルターを支援すべきです。各地にある人的資源を育て、活動支援策を練ることが大事です。 悲惨な事件や、犯罪は、日本の社会に欠けているものを教えています。 |