法話集
シリーズ 『歎異抄』に学ぶ 養蓮寺住職 中村薫
7回目
おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。
(それぞれの方々が、関東から十以上の国々を越えて、命がけでここまでご来訪下さったのは、ただただ往生極楽のみちを問いただそうとするためである)
身命をかえりみずして
清沢満之のお弟子が、
先生人間というものは死ぬ気になってやればたいがいのことはできるものですね
と言うと、満之は、
死ぬ気にならずして何ができますか
と答えたという。
私たちのの日常生活は、ともすれば「生死の一大事」をうっかり忘れ、毎日虚しい時に流されてはいないでしょうか。何のためにこの世に生まれ、何のために生きているのか、そうした意味を問うことすらせず、損得、好き嫌いなどの分別に執われているのが現実かもしれません。
かつて安田理深先生が、
忙しいということは怠けている証 拠です。
といわれた。暇より忙しい方がよいと思っているのが一般的な現代人でしょう。ところが忙しいということは結構なようですが、そこに落とし穴があるのです。忙しさの託けて、大切なものを見失っているのです。それは私のいのちは限りあるということです。限りあるいのちをどのように生きるか。
今『歎異抄』では、仏さまの教えを聞くために与えられてあるいのちと見ているのです。いのちある間にちょっと仏法でも聞いておこうか、というようなものではないのです。それでは趣味でも聞けます。自己満足のための聞法に終わってしまいます。そうではなくいのちをかけて聞くのです。それが「身命をかえりみずして」ということです。
問い尋ねる
私たちは、本当に悩み苦しみ不安を抱いたとき、その気持ちを誰に聞いてもらっているでしょうか。そういう時、相談できる先生、友人がいるでしょうか。極端にいえば、夜中の十二時に非礼を省みずに尋ねていけるような師をもっているでしょうか。また本当に明日に延ばすことのできないような人生の悩みを感じたことがあるでしょうか。じつは人生の悩みはまことに現実の卑近なことから起きるものなのです。そんな哲学的な難しいことで人間の悩みや不安は起きるのではないのです。ちょっとした人間関係のひずみから始まるのです。それは親子兄弟、嫁姑、隣近所、会社の人々など身近な人間関係のトラブルからだって起こりうるのです。それがじつは根が深いのです。
そういう状況の時、多くの人々はすぐ答えを求めて奔走しています。占いや訳の分からないオカルトに走りして、自身を見失ってしまう人もいます。とかく現代人は答えを求めがちです。それも自分の都合にあった答えです。
永遠なる問い
それに対して、この『歎異抄』では、親鸞聖人のお弟子が、往生極楽の道を問い聞くために、関東から京の都まで十二の諸国を歩いてやってきたのです。それはいのちがけのことでした。今なら新幹線で半日で行くことができますが、当時歩いて行くということは、想像を絶するような大変なことであったと思われます。 いのちをかけてやってきた理由はといえば、当時関東に残った息子善鸞と、親鸞聖人の信心が異なっているので、それを確かめるためであったのです。
ことの発端は、息子善鸞が、念仏より外にもっと大切な往生の道がある。それを自分だけが父からひそかに聞いているとまことしやかに言いふらしたものだから、関東の門弟たちは大混乱に陥ってしまったのです。 あれほど誠実で親切であった親鸞聖人が、自分たちを裏切るはずはないと知りつつ、しかし、善鸞は親鸞聖人と血を分けた実子です。
いろいろ議論を重ねたが、結局真偽を確かめるために、関東から京都までいのちがけで尋ねていったのです。善鸞の気持ちはさておいて、ここで大切なことは、仏法は血筋で伝わるものではないということです。偉大な父を持った善鸞の焦りがあったかもしれません。善鸞は父から夜中にこっそり秘伝を受けているといったという。これこそ秘事法門といって、きわめて真宗にあるまじき行為をとってしまったのです。真宗、念仏の教えは、秘密のいらない世界です。いつでもどこでも誰にでも開かれた世界です。だから関東の門弟はいのちをかけて親鸞聖人に、往生極楽の道を問いにやってきたのです。
8回目
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶ(蒙)りて、信ずるほかに別の子細なきなり。
(この親鸞においては、「ひとすじにただ念仏をとなえて、弥陀におたすけいただくこと」といわれた、わが師法然の言葉を言葉そのままに聞き受けて信じるだけで、そのほかに格別申し上げるような事柄はないのである)
学問と信仰
関東からいのちがけでやってきたお弟子たちは、信心の異なりについて、やはり理屈でちゃんとした確信がほしかったのです。ところが、親鸞聖人は学問的に答えるのではなく、信心の立場に立って答えられるのです。
親鸞聖人は、念仏以外にその生の転換をはかる道はないといわれるのです。関東のお弟子は、念仏の外に別な往生の方法を知っているのではないか、あるいは経典の大事な文句をなども知っているのではないかと考えたのかもしれません。
親鸞聖人は、往生について、私が何か奥ゆかしい別なものとして考えているとしたら、それは大いなる間違いです。私の申し上げる念仏の教えは、三歳の子どもの称える念仏そのものです。だから、善鸞のいう秘事法門も何もない、と言い切られるのです。
もし、それでもまた何か教えを聞きたければ、東大寺や興福寺、あるいは比叡山には立派な学僧もおられるので、そこへ行ってよくよく尋ねられたらよろしいでしょう、といわれるのです。
親鸞聖人は、自ら比叡山で大乗の仏教を学ばれたはずです。その親鸞聖人が、比叡の山を下りられて、吉水の念仏道場へ向かわれたのが、二九歳の時でした。
その時の心境を、
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉 の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
と述べておられます。
親鸞聖人は、比叡山を下りられて以来、一貫して「愚禿釋親鸞」と名のられ、学問修行などの雑行を棄て、弥陀の本願を信じて念仏一つに生きられたわけです。京都に隠棲して三〇年間、じっと当時の学僧、仏教の学びを直視しておられた親鸞聖人は、そこにはまったく往生極楽の道の一片たりともあり得ないことを知っておられたのです。だから、ただ凡夫直入の大道を、「愚禿釋親鸞」として喜んでいかれたのです。
賢愚
学問の世界は、賢いことが大切です。しかし、宗教の世界では、愚者の自覚が大事になってきます。
法然上人もつねづね「愚痴の法然房」といわれ、まさしく愚人のために開かれたのが浄土門であるといわれました。
自分で賢いという人は、自惚れ根性を持ち、理知分別に執われて、念仏の教えを受け取ることができにくいのです。
お釈迦様のお弟子に、シュリハンドクという方がおられました。兄のマハーパンダカは大変賢い人でした。それに比べ、シュリハンドクはもの覚えの悪い愚か者でした。いくら修行してもお経が覚えられないので、とうとう仲間はずれになり、教団を追い出されそうになったのです。
その時、お釈迦さまに出会い、一本のほうきをいただいたのです。そして、「塵を払おう、垢を除こう」といいながら掃除するようにいわれたのです。
その日から、毎日毎日「塵を払おう、垢を除こう」といいながら掃除し続けました。それからどれくらい経ったでしょうか。シュリハンドクは、すり減って、短くなったほうきを見て気づきました。
いくら掃除をしても塵は出てくる。身体の垢もいくら洗っても出てくる。だったら無駄だから止めようか。いや、ちょっと待てよ。俺の心はどうだろうか。心の塵や垢はどうだろうか。人を憎んだり恨んだり、いろいろな欲望が出てくる。修行をして煩悩の欲を断ったとしても、それでよいだろうか。次から次へと新たなる煩悩が出てくる。塵や垢は出てくるからこそ、掃除し洗わなければならない。煩悩も出てくるからこそ、教えを聞いて心を少しでも清浄にしなければならないと気づいたのです。 お釈迦さまは、シュリハンドクに、ほうきと一つの言葉を示して、身の事実を気づかせたのでした。
仏教で大事なことは、身の事実に気づくことです。ですから親鸞聖人は、「親鸞におきては」と個人の救済を示し、「よき人のおおせをかむりて」という真理との出会いに貫ぬかれた、念仏往生の道を示されているのです。
9回目
法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。乃至、いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
(たとえ、万が一にも、法然上人のお言葉にだまされて、念仏を称え、地獄に堕ちるような事になっても、なんら後悔などすることはないのである、乃至、どんな修行も一切不可能な自分のこと、どっちに転んでも地獄こそが、すでに決まってしまっている私の住処である)
地獄一定
常識的には、念仏して弥陀に助けられることが、法然上人の教えであるはずです。それを親鸞聖人は、法然上人にだまされて、念仏して往生すべき自分が、地獄へ堕ちることがあっても後悔しないというのです。何とスッキリ、サッパリして、清々しいことでしょう。それはじつは、地獄へ堕ちることが、そのまま浄土往生することであるといわれるのです。親鸞聖人は、地獄と浄土とを対立的に区別しておられないのです。
娘の死
」
二〇〇四年七月十一日、私にとっては思いもかけない出来事がありました。それは暑い日の午後でした。嫁いだ長女の突然の自死でした。
娘は、五月十四日乃至七月十一日まで、鬱病と向精神薬の投薬との狭間の中で闘ってきました。向精神薬の副作用に悩まされ不信をもっていた娘は、向精神薬の多用に対して批判している人と出会い、自ら薬から解放されるために立ち上がったのでした。
ところが、七月六日、発作的に薬を多用し、中毒症で入院しました。それで薬を飲んでしまった自分を責めたのかもしれません。虚しさと脱落観に襲われ、七月十一日、自らいのちを絶ち、お浄土へ帰っていってしまいました。享年三十歳でした。 それはまるで夢遊病者のように、死の世界へ吸い込まれていったようでした。死んではいけないということは、充分承知していたはずです。薬の反動による極度の鬱が襲ってきたと思われます。死をもってしか生きられないほど、娘の心と身体は、薬に汚染されていたのかもしれません。
ですから、娘の苦しみは、まわりの誰もが分からないほど、普通に暮らしながらの苦しみとしか理解されませんでした。少し覇気が無くやる気がないなという程度にしか、わたしたちには感じ取れなかったのです
今、わたしたち家族は、悲歎の涙にうちひしがれています。それぞれがそれぞれの立場で苦しんでいます。
どこまでも俺が俺がの思いが出てきて、後悔の気持ちで一杯です。
わたしには、娘に、ごめんなさい、ありがとう、ご苦労さん、お疲れ様、という言葉が単発的に脳裏をかすめます。そして、お寺で生活しているわたしたちは、釈尊の「愛別離苦」の教え、親鸞の「今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々」の教え、そして「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」の教えは、充分承知しているつもりでした。
しかし、それはわが心の傲慢でした。釈尊、親鸞の教えが、むしろ人間の限界性を突きつけてきた感じがします。無力さを感じます。もちろん、「無力」は何もしないということではありません。あらゆる方法を通して最善の努力をしてきたつもりです。しかし、なお「思い通りにならない現実」の身の事実に生きるよりほか無いわたしたちでした。
私は自死を賛美するつもりはありません。自らいのちを断つことはいけないことです。後に残った家族がどれだけ落ち込むか。それは想像を絶するものです。親を亡くした子どもの心、子どもを亡くした親の心、それはその人にしか分からないかも知れません。家族を知人を悲しみのどん底に陥れる自死はあってはならないと思います。また同時に自死した人を責めることもできません。
娘は手記で書いていました。
「この世のすべては本質を持たない幻のようなもの」
娘にとって、今現在ある自分のすべては、幻のようであるというのです。もちろん薬の影響もあるでしょうが、まるで蝉の抜け殻のように、本当に虚無感に襲われていたようです。わたしたち家族にとって、いたためられないほど辛いのは、娘がそれほどまでに苦しんでいたのかと思うほど、娘の心の中を知らなすぎたことでした。家族の一人ひとりが自責の念に悶え苦しんでいます。もっと早く知っておればと考えると、悔しいほど悲しい気持ちで一杯です。
10回目躁鬱病(承前号)
娘は二年ほど前から躁鬱に悩まされていました。
発作的にであるにせよ二十九歳の若さで、自らいのちを断ってしまいました。人はそれを寿命というのでしょうか。決して「寿命です」の言葉では片づけられないほど、辛い毎日です。五歳になる孫娘が不憫です。しかし、その無邪気な顔を見るのが唯一の救いでもあります。
それでも、あの時こうすれば、ああすればと、家族のみんなが後悔の念を持っています。
娘の死をどう受け止めたらよいのか、わたしの生涯の課題です。
ですから、今、わたしたちは、慚愧の念でいっぱいです。それはあまりにも躁鬱病のことを知らなすぎたことでした。とりわけ躁の時は分かりますが、鬱の時は分かりませんでした。むしろ治ったと思っていました。愚かでした。
鬱の時が娘にとって死ぬ程辛いことだったのです。薬をやめて頑張っている娘に対して、まさか自死することはないと思い込んでいた私たちの甘さに、深く慚愧の念を感じざるを得ません。とっても悔しいです。 薬をやめたら自殺するかも知れない、ということは知識では理解していても、まさか我が子にという甘さがあったのです。娘自身、自分を見失っている状態で、それをサポートできなかった私たち、親として娘に済まないという思いでいっぱいです。
愚かな事ですが、躁鬱病は薬とカウンセリングが車の両輪の様に必要なことが、娘のいのちと引き替えに分かりました。その代償はあまりにも大きすぎました。
鬱の時は、医者の指示に従って薬を飲み、静かに身体を休めることが大事でした。それを頑張れと激励してしまったのです。おまけに自分は向精神薬をやめてしまったのです。全く反対のことをしてしまったのでした。
娘は、常々自殺はいけないといっていました。仏さまからいただいたいのち、仏教は一度聞いただけでは分からないが、いのちは教えを聞くためにあると、手帳に記していました。
また娘は、こよなく二十六歳で自死した金子みすゞの詩を愛していました。その娘がまさか自分が自死するとは、この時思っても見なかったと思います。
娘が浄土へ帰って、百ヶ日が経ちました。私たちは未だに現実を受け止められない状態です。何日経っても涙は枯れません。
作家で、お子さんを亡くされた高史明さんは、娘が自死した時「泣くしかありません。そこから出発するしかありません。どうか娘さんの分まで生きてください」と優しくアドバイスをくださいました。その通りでした。家族の全員、ひとりでいると泣いています。今のわたしたち家族は、ただ泣くしかありません。
七年前、十八歳の息子さんを交通事故で亡くされた福井の惠美英丸さんは「息子の死を通して仏さまの教えを聞けよと催促をいただきました」とおっしゃいました。わたしたちもそうしなければと思っていますが・・
そんな折り、悲しみにうちひしがれているわたしたちに、ご門徒の一人が、伊藤左千夫の短歌を紹介して下さいました。
み仏に救われありとおもひ得ば嘆 きは消えむ消えずともよし
伊藤左千夫は、一歳七ヶ月の七女を自宅の池で死なせてしまいました。その無念さ、悔しさ、悲しみの中から詠んだ歌です。
娘は仏の国へ生まれた確信を得れば、嘆きは消えるだろう。いや消えなくてもいい。一生涯嘆きを背負っていくというのです。「月日が経てば」というような話ではありません。
今わたしたち夫婦のできることは、朝晩のお勤めしかありません。仏壇の前に座ることが、娘と会う唯一の機会となっています。
あらためて、地獄へ堕ちても後悔しないという親鸞聖人の言葉が、胸を締め付けます。
娘に先だたれたわたしには、ただ後悔と懺悔のみです。そして自分は何とか立ち上がろうとしても、連れ合いの嘆きを聞くと、子どもたちの心奥の悲しみを感じ取った時、いたたまれなく辛くなります。家族全体で娘の死を受け止め、共にそこから立ち上がることは大変です。お互いがお互いを気遣う毎日です。今こそ私の聞法姿勢が問われてきている気がします。いつまでも悲しみにうち拉がれているわけにはいかないことは、充分承知しているつもりです。いずれの行もおよびがたき身であることを知らされたこの頃です。
11回目
このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々
(この上には、この念仏を受け入れて信じたてまつるか、それともすてて顧みないか、それはひとえに皆さん一人ひとりのお考えによるものである)
決断
親鸞聖人は、関東から訪ねてきたお弟子の人々に、自分の念仏の信を述べた後、「念仏を捨てようが捨てまいが、あなたの自由ですよ」と、断固として言い切っておられます。そこには、三国七高僧によって伝授されてきた、本願念仏の歴史に立っていていることがよく理解できます。
親鸞聖人は、
本願念仏の教えが真実ならば、 釈尊の教説に偽りがあるはずがない。仏説 が真実であるならば、善導の解釈も間違いない。善導の教えが真実であるな らば、師の法然の教えも虚言であるはずはない。法然の教説が真実であれ ば、親鸞のいうことも虚しいものではないはずである
といわれるのです。
わたしたちは、仏教の教えを、あれやこれやと比較しながら聞くこともあると思います。例えば、禅宗ではこうだ。華厳ではこうだ。法華ではこうだというような聞き方です。
その場合、比較研究するには便利でしょうが、真摯に道を求める人にとっては物足りないかも知れません。 親鸞聖人は、ズバリ念仏の教えをいのちを懸けて求めている人に、誠実に答えておられるのです。
いのち有る間に、少し仏教でも学んでおこうか、というようなものではありません。もちろん生活の中で念仏でも申そうか、というようなものでもありません。念仏そのものが、わたしたちのいのちそのものであるというのです。念仏を取るか取らないかの決断は、わたしに迫られているのです。
救いは一人ひとりのしのぎ
如来の本願からすれば、一切すべての人を残らず救う、ということであります。しかし、救われるのはわたし一人です。親鸞聖人は、どこまでも念仏によって救われる、個人的救済を語ったわけです。ですから、親鸞聖人の生き方を見て、さらに教えを聞いて、お弟子の人がどう感応していったのか。そのことを親鸞聖人はかんがみて、「あなたはあなたですよ」というのです。一見冷たいようですが、それがじつに念仏の絶対的な自由の受け止めともいえるのです。もし右向け右というような機械的なことであったならば、念仏は観念に終わってしまうでしょう。親鸞聖人は、自分が自分を拘束するならば、それは他人を拘束することになってしまうと考えられました。自分が自由であるならば、他人に対しても自由であるはずであるといわれるのです。
問うことは出会うこと
人間の問いには色々あります。あらかじめ答えを予測して問う人、複数の答えを用意してどれにするか選びを求めて問う人、そして、本当に分からないから問う人もいます。
『華厳経』に、善財童子の善知識を求めての旅が説かれています。求道者善財童子は、「菩提心とは何か」という唯一の問いをもって、五三人の善知識を求めて旅をするのです。大切なことは、たった一つの同じ問いを問い続けていることです。
旅は、出会いを意味します。座って考えた上での話ではなく、生きた現実の話です。
長い間、ハンセン病による社会的差別と偏見に苦しめられてきた、長島愛生園の田端明さんが、短歌を送って下さいました。
娘を亡くし、悲しみに涙しているわたしたちに、勇気づけを下さったのです。
菩提心
起こせと波が
寄せてくる
呼吸 ひそかに
南無阿弥陀仏
わが涙
わが手でふけぬ
悲しみの
涙は弥陀の
廻向のなみだ
人間の悲しみは、人間では代われません。その人の悲しみは、その人が背負っていかなければなりません。 ただ南無阿弥陀仏の一点に於いて、人は他人の悲しみに出会うことができるのです。同情や哀れみでは、人と人は出会えないのです。「面々の御はからい」によって、初めて本当の出会いができるのです。田端さんの詩は、わたしたちに厳しく、そして温かく、わたしたちが仏の道を歩むことを、願っていて下さるようでした。それが地獄を見てきた田端明さんの優しさと、受け止めさせていただいております。
12回目
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。
(善人でさえ往生できるのであれば、悪人においてはなおさらのことである。ところが実際には、世間一般の人々は、悪人でさえ往生できるのであれば、善人はなおさら往生できるというのである)
善人でさえ往生できるのであれば、悪人においてはなおさらのことである。これは浄土真宗独特の考え方です。一般的には「悪人正機説」としてよく知られています。ただここで注意しなければならないことは、善人、悪人について、二通りの考え方があるということです。
善悪
一つは、世俗における倫理道徳的な善悪です。
もう一つは、信仰世界における自覚的な善悪です。
もちろん、これら二つを綺麗に二分できるわけではありませんが、一応二面から考えていきましょう。
世俗的善悪は、法律的、倫理道徳的規範に反するかどうかで、誰でもよく理解できます。ただ、世界がグローバル化してくると、倫理道徳的規範も多岐にわたってきます。
例えば、人のいのちを奪ってはならないことは、何人も知っているはずです。ただ平和なときに人が人を殺せば、死刑になることもあります。戦争時に多数の人を殺した兵隊は、勲章がもらえるかもしれません。同じ殺人でも、結果は全く反対の立場になります。
また、死刑制度を肯定する人は、自分は殺人はしないと思っているでしょう。被害者に同情し、抑止力として死刑制度に期待をしているかもしれません。しかし、国の制度として死刑を執行することも、じつは殺人に違いはありません。
殺人という具体的な事実一つを取ってみても、法律倫理道徳など、人間の約束によって決められたことは、時と場所と状況によって異なってくるのです。
親鸞聖人は、
私たちは状況如何によっては何 をするか分かりません。人千人殺 せと言われても殺せません、反対 に殺すなと言われても、状況によ っては殺すかもしれません。ただ 今日まで人を殺さなかったのは、 私の心が善かったからではありま せん。ただそういう状況が無かっ ただけです。
と述べています。
これは決して無責任に居直った話ではありません。倫理道徳は、私たちが社会生活していくのには大切なことです。親鸞聖人は、倫理道徳を否定しているのではありません。ただ倫理道徳を超えているのです。人間の自力努力の限界性を知っているからいえる言葉です。
戦争は悪の根源
例えば、9.11のアメリカ同時多発テロ以来、世界の状況は大きく変わったと思います。テロは卑劣な行為であることは何人も否定できないでしょう。しかし、報復処置と称するアメリカの傍若無人な軍事行動も、許されるべきものではありません。もとより、テロは許されるものではありませんが、ブッシュのアメリカは、対話による世界平和の道を閉じてしまっているのも事実です。 そこにはテロを殉教として認めているイスラム過激派の人々もいます。そして、イスラムの人々を拒むアメリカキリスト主義の人もいます。共に自分たちを善とし、相手を悪と決めつけ、愚かな殺し合いをしています。
もちろん事はそんなに単純なことでないことは十分承知しているつもりですが、いずれにしても、戦争で犠牲になるのはお年寄りや子どもたちを含む一般市民です。
こともあろうに日本の小泉首相もアメリカに追随迎合して、4兆九千億円の防衛予算を背景に、イラクに自衛隊を派兵しています。復興支援と称して、隊員一人当たり一日三万円の危険手当を支給してまで派兵を強制する意図は一体どこにあるのでしょうか。水を供給するならNGOに頼めば、数億円の予算で十分です。それよりもイラクの復興を本当に支援するなら、イラクの若者を日本に留学させて、医学、工業技術の勉強をしてもらって、人材を養成して、その後物資の支援をして、イラク人いよる、イラク人のための復興支援をした方がよほど効率的と考えるのですが。なぜ憲法九条を変えてまで、自衛隊をあえて軍隊として海外に派兵させようとしているのか。
わたしは、仏教徒として、お釈迦さまの兵戈無用(一切の軍隊と兵器を用いずに平和を願う)の精神に生きたいと願っています。
13回目
しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
(しかし、そうした人たちでも、自力ではからうこころをあらためて、他力のすくいにおまかせするならば、真実の浄土へ往生をとげることは間違いないのである)
信仰的な善悪
道徳的善悪では、悪人が救われるなら善人はなおさら救われるというのが常識です。ところが、今この『歎異抄』では、善人が救われるなら悪人はなおさら救われるというのです。その理由を述べれば、自分の力で善いことのできる人は、他力をたのむ心が欠けているから、本願他力の本当の意味からはずれるというのです。『歎異抄』では、信仰的意味合いから、善人を自力作善の人、と定義づけていることが理解できます。
人間性喪失
そこで、信仰的善悪についてみていきたいと思う。
現代の社会に目を向けると、あまりにも悲しい出来事が続き、胸を締め付けられる思いで一杯です。
佐世保で起きた小六年生による殺害事件、奈良県で起きた小学生誘拐殺人事件、あるいは父親の知り合いに川へ投げ落とされ殺された幼い兄弟など、子どものいのちが奪われる事件が相次いでいます。人間のいのちの尊厳が踏みにじられている今日この頃です。
そこでは倫理道徳以前の、人間のいのちそのものが見えなくなってしまっています。そうした人間性喪失を仏教では無明といっています。本当のことが見えない状態です。
『歎異抄』では、現実を無自覚に「善し」としている人間のあり方を善人といっています。それに対して、罪深い人間であることを自覚した人を悪人といっています。
「我を善し」とするのではなく、どこまでも、人間の思い通りにならない限界性、悲しいまでの無力性を感じた時、如来の本願が仰がれるのです。「我を善し」とする間は、自力を当てにして、本願他力の意趣に背いてしまうのです。悪人の自覚こそが往生の正因となるわけです。ですから、善人が往生できるのであれば、悪人はなおさらである、というのが親鸞聖人の主張なのです。このことは、世の中の常識には当てはまらないかもしれません。
悪業の受け止め
親鸞聖人は、自死しなかったし、また人を殺すこともしませんでした。しかし、それだからといって、親鸞聖人が、自死から、人殺しから遠い世界にいて、決してそのような行為に走らないという保証は何一つなかったはずです。それどころか、人間がいつどんな心理にはまりこまないとも限らないことや、そうした道へ一歩足を踏み入れてしまったら、どうすることもできない力に後押しされて、その道を前進するより仕方ないことを親鸞聖人は知っていたと思います。そして、たとえ、その道の尽きるところに破滅の懸涯がわたしたちを待っていようとも、わたしたちは時には急速度でそこへまい進しなければならないこともあります。おそらくそうした人間の不可抗力を親鸞聖人は素早く知っていたと思います。
娘が、躁鬱の病で自らいのちを絶って半年経ちました。娘も何かに押されるように自らいのちを絶っていきました。治りたい一心で、それまで2年ほど飲んでいた向精神薬を止めてしまいました。残されたわたしたちは、月日が経てば悲しみ、喪失感は薄れるだろうと思っていましたがとんでもありません。益々強く感じるこのごろです。今もなお娘の心の病を理解できなかったことにとても責任を感じます。わたしたちが娘の病の症状をちゃんと知っていれば、死なずに済んだのではないかと思うといたたまれません。
娘は人を恨んだり、不平不足があって死を選んだとは思われません。ただ、薬を飲んでも飲まなくても、自分の脳が、自分の身体が思うように働かないことに悩んでいたと思います。自分で自分をどうすればよいのか分からなくなって、極度の虚脱感に襲われたのかもしれません。それは死ぬことより辛かったと思います。愚かにも、わたしたち夫婦は、躁鬱病のことの理解の浅いまま、娘を励ましてしまいました。娘は連れ合いに「お母さん、私は自分では何もできないので、することをいって」といっていたという。連れ合いは、その言葉を娘の死へのメッセージと受け止めて悩んでいます。
親鸞聖人は、自力の計らいをあらためて、他力のすくいにお任せしなさいといわれる。今わたしたち夫婦は、どうすることが自力の計らいをあらためることなのか、苦悶の毎日です。
14回目
煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
(いつも煩悩にみちみちているわれわれは、どのような修行をやってみても、とうてい生死の迷いをのがれることのできないことをあわれに思われて、このすぐれた本願を起こして下さったそのお心持ちは、まったくわれわれのような悪人が仏になるための目的であるから、その趣旨にしたがって、他力におまかせする悪人こそ、まことに往生の正因を得たものといえる)
如来他力の救済からいえば、善人だから救われ、悪人だから救われるというのではなく、善人も悪人も皆平等に救われるべきものであるはずです。ただここでは、なお悪人の救われやすいいわれを述べています。 例えば、二人乗りのボートが転覆し、一人は空手で、一人はロールを持って、なかば二人とも溺れている状態であったとしましょう。救助船が来て、二人に助け綱を投げたとしましょう。どちらが速く綱をつかむでしょうか。ロールを持った人は、離さなければいけません。空手の人はすぐつかまることができます。また、ロールを持った人は余裕がありますが、空手の人は余裕がありません。余裕がない人はその綱は大丈夫かと疑う暇もなく、すぐにつかまると思われます。
この喩からすれば、自力作善の人は、無一善の悪人より、救済にあずかり難いといえるのではないでしょうか。
わたしは昨年七月に娘と、一二月に父親と死別しました。どちらも悲しい別れに違いはありませんが、その中で未だに納得できないのは娘の死です。
父親は、八七歳で無くなりました。多臓器不能な状態で、わたしが病院へ行ったら、痛み止めと、睡眠薬の注射をした後であったため、寝ていました。しかし手足が冷たく、呼吸も静かでしたから、少し心配でした。一時間ほどしたら血圧も九〇位に下がってきました。脈拍も少なくなり、やがて血圧も七〇に下がりました。じっと父親の顔を見ておりましたら、かすかに息を吸ったと思ったら、そのままローソクの炎が消えるように静かにお浄土へ帰っていきました。その時、わたしは心の中で「お疲れさん、ありがとう」とお礼をいいました。わたしはこの父の子としてこの世に生を受け、父と出会って本当によかったと思いました。
ところが娘は三〇歳での自死でした。わたしの生涯でこれほど悲しかったことはありません。未だに立ち直れません。父と娘との死別。共に同じ厳粛なる事実です。しかし納得が違うのです。諦めが違うのです。父が息を引き取るとき、母親から「お父さんは、娘を亡くしたお前たち夫婦が不憫で、声も掛けられなかったといっていた」と、母親から聞きました。そういうわたしの両親も、二人の子どもを亡くしています。子を亡くした親の気持ちが分かるのでしょう。父親はそっと悲しんでいてくれたのでした。そのことを聞いたとき、わたしは父親に済まないと思いました。親孝行どころか、娘の死が父親を苦しめていたのです。もっといえば、わたしの悲しみは、わたしの周りの人すべてに波のように及ぼしていたことに気づきました。どれだけ多くの人が寄り添うようにわたしと一緒に涙して下さったかということに気づきました。自力の行では生死を離れることができないことは頭では分かっていましたが、身に引き受けられませんでした。
わたしはどこかで娘のいのちをわがものとして執着していました。その執着は今でも除かれませんが、ただ『歎異抄』にある「あわれみ」の一字において「同苦同悲」の如来の救済があったのでした。如来の本願とは、どこかにあるのではなく、娘を亡くしたわたしに「薫が可哀想だ」と共に泣いてくれた父親の思いであったのです。それはまた、わたしの回りにいる多くの人々の涙であったのです。
絶対他力の「あわれみ」においては、もはや、自力のこわばり、自尊心、頑張り、気概、などの存在はいらないのです。親鸞聖人は、それこそが、如来が本願を起こされた本意であるといわれるのです。それはまた、煩悩具足の我らが悪人として救済されていく、往生の正因といわれるのです。
ですから、『歎異抄』でいわれる悪人とは、倫理道徳法律的悪人ではなく、煩悩具足の凡夫であるという悪そのものの自覚語であるといえるでしょう。
私の娘は、躁鬱に悩まされ、向精神薬を飲み続けました。ある日、薬を止めて自活したいと一ヶ月間頑張りました。薬を途中で止めてはいけないことを知りつつ、娘は自分の信念に基づいて走り続け、「さるべき業縁」のもよおしにより、自ら死の世界に邁進していってしまいました。 いのちの大切さ、自らいのちを絶つことの罪業性は十分知っていた娘が、なぜ突発的であったにせよ死を選んでしまったのか。アメリカのイラク攻撃に対して、怒りをあらわにして反対していた。いのちをこよなく愛しんでいた娘が、なぜ死を選んだのか、いまだにわたしには理解できません。
自死は、人間だけが行う行為です。ただ、たとえ死にたくなっても、いのちは一度だけの繰り返しのきかないものであります。もし、自死願望の人がいたら、あなたが死んだらどれだけの人が悲しみのどん底に落とされ悩み苦しむか、考えていただきたいと思います。
人間は、癌を宣告されても、なかなか死を受け入れられず、有愛の煩悩に悩まされます。反対に、たとえ健康であっても、思い通りにならないことがらに出会うと、非有愛の煩悩に執着します。
15回目
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。
(お慈悲といっても、聖道門と浄土門では、その扱いが異なっています)
慈悲
慈悲は、古来より「抜苦与楽」という意味に説かれています。そうした他の人の苦しみを抜き、楽しみを与えるという仏教の理想は、今日的にも人類全体の願いといってよいでしょう。自分さえ、自国さえ、自分たちの民族さえ、自分たちの宗教さえよければ、という自利的なことではなく、一切すべての人の利行となる慈悲の行こそ自然の働きそのものといえると思います。
自分が幸せになったら、周りの人にどう働きかけたらよいのか、この課題に答えるものが、慈悲の語の持つ意味です。他の人々を利することが、自己を完成するゆえんであるのです。
さらに言いますと、慈悲ということは、一切すべての人々を同じく慈しむことです。自ら救われるということは、他を救わずにはおられないという自他の救済を意味します。これが大事なことです。私は娘の死を通して、残された家族全員一つになることの難しさをつくづく感じました。家族一人ひとりの悲しみをどう受け止めていけばよいのか、家族の者が同時・同様に救われるということは、困難なことでした。一人ひとりが死に対する受け止め方、感じ方が違うからです。往生は一人ひとりのしのぎだからです。
聖道・浄土の慈悲
聖道の慈悲というのは、自分の力で、一切のものを、あわれみ、慈しみ、もり立てていくことです。しかし、現実的には、徹底して助けおおせることは、なかなかあり得ないことです。人間が人間を救うことには限界性があります。できることとできないことがあります。しかし、だからといって、それは何もしないことではありません。努力は大事なことです。一生懸命努力することを否定するわけではありません。貧しい人がいたら哀れむ、愛する人と別れて悲しんでいる人と共に悲しむことは、いずれも大切なことです。しかし、考えてみればすべて思うように助けることは不可能なことでしょう。
清沢満之は「人間が慈善事業などできるものではない。世の慈善事業というは多くは偽善にすぎぬ」といわれたそうです。ただ、私は慈善事業をすべて否定するのではありませんが、人間のすることには限界性があると思うのです。それを聖道の慈悲というのです。
それに対して、浄土の慈悲とは物理的救済だけではなく、精神的なものも含みます。つまり、自在無碍の仏になることが、究極的な救いとなることをいうのです。ですから、自らが仏になって、大慈大悲の心をもって思う存分一切のものを救おうとすることを浄土の慈悲というのです。
今の世において、どんなに可哀想だ、気の毒だと同情してみても、思うように救うことができないのが人生の現実です。ですから末え取る完全な慈悲というものはないのです。だから、結局は、念仏申して、まず自己自身を完成することが、最後まで徹底した本当の大慈悲心というのです。
娘の死
娘の死をどう受け止めていけばよいのか。もし聖道の慈悲であれば、娘の死を痛み、哀れみ、悲しみを超えていく道の発見であると思います。時には慰められ、すべての苦しみから解放されることであるかもしれません。でも現実的にはとても不可能です。悲しみは消えません。娘のことは忘れられません。
そんな中、今『歎異抄』では、わたしたちの慈悲の思いは末え通らないというのです。
まずもって、浄土に往生し、仏の自在力を得て後、期するほかないというのです。それは、現実を誤魔化し、慈悲の心を捨てることではないのです。浄土を願うとは、自他すべての業縁(現実)を悲しむ心を持つことです。ですから念仏申す身において初めて、深く如来の大慈大悲を感じることができるのです。わたしにとっては、すべての人が救われる法において、自分が救われ、さらに自身の救われる証が得られるとき、すべての人々が救われる道が開かれるのです。
もとより子どもを亡くした人の気持ちは当人にしか分からないかもしれません。しかし、子どもを亡くした人の悲しみ、その悲しみを受容していく真理そのものは普遍的なことでしょう。亡き人を思うことは、同時にわたし自身がどのようにいのち生きるかを問われていることなのです。娘が救われたかどうかというより、わたしが娘の死をどう受け止め、念仏申す身にさせていただくかが問われているのです。そこにしか大慈大悲の末え通ることはないのです。
16回目
しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々
(そのような意味からすれば、ただ念仏して自己を完成することこそが、最後まで徹底した本当の大慈悲心であります)
自他のいのち
親は子どもの誕生と同時に夫婦から親になれるのです。思えば、三〇年前、わたしたちにとって、娘の誕生は親としての喜びを与えてくれました。子どもは子どものいのち、人生であることを充分承知の上、なお「我が子」としての執着があります。すくすくと思うように育っていくと、とても幸せを感じます。でも一度、子どもが自分の人生を喜べないような深い悩みに陥ると、親も悲しいものです。
『歎異抄』では、慈悲に聖道浄土の変わり目ありといいます。これは自力と他力といってもよいかもしれません。わたしたちは、人生はどこまでも自力の計らいに執着します。愛おしい、不憫と思う感情を持って生きています。子どもが麻疹にでもなれば、親は寝ずに子どものそばに寄り添うものです。悲喜こもごもともに味わうのが、家族の暖かさ、優しさでしょう。娘は、周りの愛情を一杯受けてすくすくと育ってくれました。結婚して子宝にも恵まれ、とても幸せそうでした。しかし、自分自身でも、どうすることもできないほど「躁鬱病」に悩まされていたのでした。薬とカウセリングにより、およそ四年ほど頑張りました。自分の身体、自分の心でありながら、自分でどうすることもできない。そんな自分が辛かったと思います。仏さまからいただいたいのち、生かされているいのち、仏さまの教えを聞くためにいただいたいのちであることは充分承知していたはずです。そんな娘を死に至らしめたものは何か。それはわたしには分かりません。ただ、今娘が愛おしい、不憫だという感情から、そうではなく、娘が死を通して、わたしたちに訴えていることは何か。端的に言えば、「念仏のみ末え通りたる」とはどういうことなのか、改めて課題になりました。
娘は二〇〇四年五月から実家のお寺で療養していました。しかし、わたしたちには外傷があれば目につき、気に止めますが、心の病は頭で理解できても、ついつい生活の中では、お庭の掃除や、買い物の手伝いなどさせてしまいました。そっと休ませるべきでした。娘は時には夢遊病者のように、心ここにあらず、まるで蝉の抜け殻のようでした。今、わたしたちは、娘を助けてやれなかったというより、殺してしまったのではないかと懺悔しています。毎朝夕のお参りでは、娘には「ごめんね」と手を合わせています。
わたしたち周りのものは、全く状況判断を間違えていました。してはならないことをしてしまったともいえるのです。マンション生活をしていましたので、実家の近くへ変わったらとか、幼稚園も変わって、田舎の静かな環境で生活した方がよいと考えたのです。でも本人はそんなにうれしそうではありませんでした。期待と不安が両方入り交じっていたようです。環境を変え、励ましたことが今となってはいのち取りになってしまったかもしれません。もちろんわたしたちは、誰を責めるのではありませんが、夫婦で毎日懺悔の日々を送っています。本当に人間の知識のいい加減さと、人間の知恵の愚かさをつくづく感じました。まことにまことに「念仏のみぞ末通りたる大慈悲心にてそうろう」の親鸞の言葉が、わたしたちに語りかけてくる気がします。娘が浄土に往生できたかどうかの悩みは全くありません。ただ残された家族一人ひとりが「念仏申す身」となっているかどうかが問題です。しかし、それもなおすべて仏さまにお任せするしかないのかもしれません。いろいろ言い訳弁解しているわたしたちですが、そうではなく、もっと娘の病を理解し、娘に寄り添うべきでした。お医者さまを信頼し、時を待つべきであったかもしれません。
ただいま、子どもさんを亡くされた柳田邦男氏のお母さんの口癖、
しかたなかんべさ
なんとかなるべさ
たいしたもんだ
の言葉の意味をかみしめています。 毎日毎日娘のことを思い続けていくことが、残されたわたしたちのいのち生きることであると思います。
自分さえ助かればよいというのではありません。他が助からなければ自分は助かりません。気にかかる人が一人でもいたら、助からないでしょう。わたしたちは自分のことばかり考えて苦しんでいます。他人のことが考えられるのは、かえって楽なのです。
『歎異抄』第四章の課題は、大事な人間関係の問題が、念仏において本当に成就することができることを教えているのです。
17回
親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。
(この親鸞は、両親の死後の追善供養のためということで、一度でも念仏を申したことは、まだありません)
追善供養
親鸞聖人在世の時代と今も変わらない供養は、追善供養であるかもしれません。それを親鸞聖人はきっぱりと否定されるのです。父母の追善供養のために念仏したことは一辺もないといわれるのです。これはわたしたちにとって、辛い話です。
わたしも娘を亡くして、以来、毎朝晩、仏前でおつとめしています。それは懺悔のおつとめでもあります。娘が生きている間、娘を助けることができなかった無念さ。それならば、死後であるにせよ、親のせめてもの罪滅ぼしの気持ちから出てくる供養も否定されたら、どうすればよいのか。わたしたち家族はいたたまれない気持ちになりました。いつも娘に「ごめんね」と謝っています。頭では娘の死を認め、生老病死の苦を自覚することの大切さは理解できるのです。でも腹の底から、娘の死を受け入れられません。いわゆる「腑に落ちない」のです。「なぜ、どうして、娘は自らいのちを絶ったのか」という思いが頭を持ち上げてくるのです。 そんな中、浄土の慈悲の説かれた『歎異抄』第四条の文と、この「父母の考養のために一辺たりとも念仏申したことはない」という言葉は、子を亡くした親にとっては、きつい、重い課題を提示しています。
ただ親鸞聖人は、供養そのものを否定しているのではないと思います。その理由は、「世々生々みな父母兄弟」であるから、ことさら我が父母のためということではないといわれるのです。
むしろ大切なことは、亡き人に供養するというより、亡き人からわたしが何を願われているか、そのことを聞いていくことの方が大切だと思うこの頃です。
JR脱線事故
それにつけても、先のJRの脱線事故による多くの犠牲者を出したことは、とても悲しいことです。事故とはまさしく事実故、元へは戻れないことは充分承知しています。でも本当に事故は防げなかったのでしょうか。わたしたちが電車に乗るということは、運転手にすべていのちを預けているのです。速いことは良いことだという価値観から、これまで人知を尽くしてスピードアップしてきました。その結果、多くの無理が生じたと思います。事故により、多くの人の命が奪われていきました。人間の作った安全という神話は簡単に崩れていきました。
それは個人的過失というより、組織的人災といった方がよいでしょう。
秒刻みで電車が走ること自体無茶ともいえます。ダイヤの過密、乗務員の削減に大きな要因があるといってもよいでしょう。
亡くなった犠牲者の家族の人の悲しみを思うといたたまれません。多くの人の人生が奪われていきました。それぞれの人にそれぞれに人生があり、夢と希望があったはずです。それが一瞬にして崩れ去っていくことは、本当に残酷なことです。本当に安全の確保はどうしたらできるのでしょうか。いのちを奪われた人々の遺族のことを思うと、なんといってよいか言葉もありません。
同悲同苦
改めて、「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」という言葉が身にしみて感じられます。
事故を起こした責任者の人々。事故の被害にあった人々。突然家族を亡くした遺族の人々。一瞬のうちに、すべての人々を悲しみに陥れたものは何か。どれだけ技術が進もうが、どれだけ安全性を追求しようが、それを司るのは人間です。そのことを抜きに、技術開発はまったく意味のないことになってしまうでしょう。 わたしたちは、縁によってこの世に生まれ、縁によっていのち終わっていきます。その縁は、同時に社会的でもあります。その社会的縁によって生かされ、社会的縁によっていのち終わるのです。今この社会的縁からいえば、その原因をしっかり見極めて、二度とこうした過ちを起こさないことが大切です。
犠牲になった人が、生き返ることは不可能なことは分かっています。そして、わたしたちは、遺族の一人ひとりの傍へ行くことはできません。ただただ離れた場所で涙するしかない現実です。しかし、どうかいつか現実の身の事実に立って頂くことを願うのみであります。悲しいことですが、変われない現実に立って悲しみを共に涙流すしか手だてがありません。「世々生々名父母兄弟なり」と念仏申すしかありません。
18回目
一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり
(この世のすべての生き物は、長いいのちの歴史の中にあっては、元々みな父母兄弟であったかもしれません)
有情
有情とは、感情を持ったすべての生き物を指すといってよいでしょう。
その中で中心となっているのが人間です。
その人間の思いは、自分と他人、好き嫌い、善い悪い、など相対する概念によって成り立っているともいえます。時には自己中心的な考え方に執着しています。自分さえよければ、我が家さえよければ、日本さえよければ、時には今さえよければ、と刹那的に考えてしまいがちです。それは極めて人間中心主義です。
ところが、親鸞聖人は「一切有情」といわれるのです。「一切すべての生きとし生けるもの」という意味です。いのちの平等性を強調しています。
ちょうど、それはお釈迦さまの「あわれ生き物は互いに喰み合う」という嘆きと同じ内容を持っています。
お釈迦さまが、まだ国の王子であったころの話です。幼くして生母と別れた王子は、とてもナイーブな子どもであったようです。将来を心配した王さまは、王子に社会見学のため「耕しの祭り」に参加させたのです。牛が田を耕していると、土の中からミミズのような虫が出てきました。それを小鳥かついばんでいきました。するとその直後、鷹が小鳥を加えて飛んでいってしまったのです。王子は、その光景を見てハッと叫んで、「生き物はどうして殺し合わなければならないのか」と考え込んでしまいました。
弱肉強食を当たり前にしているわたしたちに、改めていのちの尊さについて教えているようです。
ですから、仮にお釈迦さまに、「蚊が自分の血を吸うので殺していいですか」と尋ねたならば、「いけません」といわれます。すべてのいのちが尊いのです。「蚊とかハエは害虫として殺してもいいけれど、可愛いペットの犬猫はいけません」とはいわれないはずです。いのちそのものには、全く差別はないのです。 もしゴキブリがこの世から消える時、人間も同時に消えるでしょう。生きとし生けるものは長いいのちの歴史の中で、互いに関係しあって存続しているのです。共存共栄しているのです。
しかし、一方で生き物は、いのちを奪い合いながら生きているのも事実です。ただ、それを当たり前のこととしてみるのではなく、「あわれ」と感じられたのがお釈迦さまです。それが仏教の見方です。
今、親鸞聖人はそれを「世々生々」といわれるのです。
そこでは絶対的平等が願われているのです。
それに対して、わたしたちの現実は、思想的、経済的、国家的、民族的、自分と他人、男と女、老人と若者、人間と他の動物、人間と自然、等々、いつでも是々非々の対立を持って生きています。
地球環境を語りながら、地球を破壊している人間。
平和を願いながら戦争をしている人間。
豊かさを願いながら経済的対立により貧困を作り出している人間。
地球は一つなのに国というエゴで国境を作っている人間。
同じ人類なのに民族的対立を繰り返している人間。
人間の生きるべき叡智を知らせてくれる宗教で対立している人間。
自他、男女、老若の出会いに悩んでいる現代に生きる人間。
このような人間のあり方を、仏さまの目から見れば、無明というのです。
ウレシパモシリ
アイヌの人々が大切にしている言葉に、ウレシマポシリという言葉があります。それは、
この地球の大地は人間だけのも のではありません。そこに住む万 物が互いに互いを育てあう大地で すよ。だから共存共栄することを 考えなさい。
という意味内容です。
アイヌの人々が「ウレシマポシリ」といっているのは、地球の大地は人間だけのものではないといっています。しかし、現代の多くの人々は、この大地は自分のもと思っているのではないでしょうか。
地球に生きる多くの生き物は、人間によって、人間のために役立つものとして
峻別されています。牛や豚は人間のために、家畜として扱われています。鶏もかごの中に入れられて卵を産み続け、やがて殺されて肉にされています。改めて、「有情」について考えざるを得ません。
19回目
ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなりと云々。
(自力のはたらきを捨てて、いそいで浄土の真実を得たならば、六道のどこにあって、四生のどの生に生まれようと、いかなる業報の苦しみに埋没しようとも、仏の自在な方便によって、まず縁のある人々を救うことができるであろう)
親鸞聖人は、どこまでも自力を捨てて、他力の念仏の教えに従いなさいといわれるのです。それでは、自力の計らいを捨てたら、生きていることに一切の苦しみが無くなるかというと、必ずしもそうではなく、むしろ苦しみのままに、生きる力と勇気が与えられるというのです。
わたしたちは、仏になることを、現実の人間と全く異質な世界に生まれ変わると思うかもしれません。しかし、それは全く間違いです。そうではなく、限りなく「愛し不憫」という計らいに悩む人間そのものに気づかされることです。それを凡夫といいます。ですから、限りなく凡夫に帰っていくことが、仏になるということです。これを「凡仏一体」というのです。
四生
仏教では、いのちの誕生のあり方に四種類あるというのです。
一、胎生。母胎から生まれることで、人間をはじめとした動物などです。
二、卵生。卵殻から生まれることで、鳥や魚などです。
三、湿生。湿気から生まれることで、虫などです。
四、化生。これは生き物の誕生をいうのではありません。これまでの胎・卵などのように他によって誕生することと異なり、自らの業力によって忽然と化成することで、諸天、地獄、中有の有情をいいます。この化生とは、いのちの生き方をいうといってよいでしょう。
この世に生きとし生けるすべての生き物は、平等のいのちをもっているというのが仏教の出発点です。
このことは、現代の科学でも同じように考えられています。
銀河系宇宙が誕生して一〇〇億年、地球が誕生しておよそ五〇億年、その地球にいのちの源が誕生して三〇億年近く経つそうです。その間、いのちは途切れることなく、脈々と続いているのです。長い長い時間をかけて、一方は植物になり、一方は鳥になり、一方は魚になり、一方は動物になり、それぞれ進化をくり返してきました。そのいのちの誕生のあり方を、四生といっているのです。それは、人間中心主義のいのちを超えたものです。
六道
そこで次に六道について説明しておきます。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界をいいます。この六つの世界は、人間の迷いの世界です。人間は、この六つの世界を行ったり来たりしているのです。ですから、人間の迷いの世界を「六道輪廻の世界」ともいいます。それでは六道の一つ一つを見ていきましょう。
地獄
地獄とは、「思い通りにならない世界」をいいます。今日では、交通地獄、受験地獄、老人地獄ともいわれています。
人間は、思い通りに生きられたら幸せを感じます。思い通りにならないことに出くわすと、不平や不満が出てきます。そうすると、われを失い、言葉を失うでしょう。かつて曽我量深先生が、
地獄とは言葉の通じ合わない世界 である。
といわれました。家庭の中で、職場の中で、友達の中で、地域社会の中で、わたしたちが対話を失ってしまったら、それこそそこが地獄そのものでしょう。孤独になっていきます。 源信僧都は、もっとも深い恐ろしい地獄について、
我今帰る所無くして、孤独にして 同伴者無し。
といわれました。
交通事故、受験、老人など、いずれも思い通りにならならず、言葉を失った時、おそってくる焦燥感でもあるのでしょう。自分の生き甲斐を見失い、どこへ帰ったらよいのか拠り所を見失ってしまうことです。しかも、極端な孤独感に襲われた時「地獄化」となるのでしょう。
周りに人々がいると思っていたけれども、誰も自分の悩みを聞いてくれない。助けてくれる仲間もいない。そんな思いに駆られたとき、地獄を感じるとすれば、地獄は職場でも学校でも家庭でも存在する、人間の生き方であると思います。
20回
餓鬼
餓鬼というのは、満足感を得られない人間の生き方をいいます。
喉が細くて、お腹が大きくて、食べても食べても満足感が得られないのです。いつも欲求不満なあり方です。
現代の日本社会はどうでしょう。個人的なことは抜きにして、社会全体では、五〇年前と比べれば、衣食住のどれをとっても豊かになったことには違いありません。誰でも今日の豊か差は実感できるでしょう。
ただ物質的豊かさと精神的豊かさとは、必ずしも比例しません。これがやっかいです。今から五〇年前の生活をしろといわれても無理です。そうではなく、今の恵まれた状況の中で、どれだけ満足感を得るかということが問題なのです。1970年代以後に生まれ育った人は、生まれたときから豊かです。貧しさを経験したことのない人に、今の豊かさをどう説明したらよいのでしょう。今国連で話題になった「もったいない」という言葉も、忘れられているのが現代です。「もったいない」「おかげさま」などの言葉の意味をどう伝えていったらよいでしょうか。餓鬼道に落ちるとは、豊かな現状において、それに満足できず益々欲に縛られ、自己を見失ってしまうことです。決して「上見て暮らすな下見て暮らせ」ということではありません。ただ『大無量寿経』に、
田あれば田を憂う。宅あれば宅を 憂う。田なければまた憂えて田あ らんと欲う。宅なければまた憂え て宅あらんと欲う。
とあるように、田畑がなければないことを憂い、家がなければないことに憂い、そして、あればあったで憂い、あってもなくても憂う悩むのが人間であるというのです。人間は、ものがないから憂い悲しむだけでなく、あればあったで憂い悲しむというのです。やっかいなものです。
このように、田畑、家屋、金銭、衣食など、ものに対する所有欲、満足を得られないあり方を餓鬼道というのです。
畜生
畜生とは、牛馬など人間に飼われている家畜などの動物を指しています。
人間は作物を収穫ためには、田畑を耕さなければいけないという意味を知っています。ところが牛は、ただ人間のいうがままに田畑を耕していますが、その意味は分かっていません。ただいわれるがままにしています。そこには、自らの行動に対する主体性はありません。ただやらされているだけです。
現代人の中には、生きる意味を見失い、ただだらだら日暮らししている人間が多いように思われます。会社でも、やる気がなく、将来に対して希望が持てない人間もいるかもしれません。そういう主体性のない人間の生き方を、畜生道というのです。
修羅
修羅とは、阿修羅ともいわれ、戦い殺戮を意味します。
とにかく怒れてくる。自分の思い通りにならないと相手に怒りをぶつけて戦い、傷つけ合うあり方をいいます。嫁姑の戦いから、親子兄弟隣人のいざこざそのものを修羅といってもよいでしょう。
この修羅のあり方が、集団化したとき、戦争が起こります。
人間は平和を求めながら、愚かな戦争をしています。戦場で人が殺されていく姿は、まるで「この世の修羅場」のようであったと表現されます。
ことに今年は戦後60年の記念すべき年です。テレビでは60年前の悲惨な戦争についていろいろ報道されています。広島長崎の原爆投下に対して、アメリカの当事者は、被爆者に対して「我々は任務を遂行しただけで、悪いとは思わない」といっていたのが印象的でした。「原爆で死のうが爆弾で死のうが戦争は同じだ」というのです。そして「長崎広島原爆投下のおかげで戦争が終わったんだ」というのです。お互いに戦争はいけないことは理解していながら、民族国家の対立により、正義の名の下に戦争を繰り返してきたのが人間の歴史ともいえます。
そうした愚かな人間のあり方を修羅といっているのです。
人間
人間は、喜怒哀楽の感情を持ち、悩み苦しむ存在といってもよいでしょう。ですから、人間の叡智のみが奪ってもならないし奪われてもならない「いのちの尊厳」を理解できるのでしょう。その人間性を失ったとき、地獄となり、餓鬼となり、畜生となり、修羅となるのでしょう。
そんな中で、仏の言葉を聞くことができるのも人間です。人間のみが特別に他の動物より偉いというのではなく、仏の教えが理解できるというのです。
21回(前承)
天上界
天上の世界では、五つの欲が満たされます。
@食欲が満たされます。天上界では、食べたいものが、いつでもどれだけでも食べられます。
現代の日本社会は、飽食の時代といわれています。そういう意味では、天上界と同じかもしれません。しかし、今日の私たちは、食を貪り、しかも満足を知りません。今日、国連で話題になっている「もったいない」という言葉も、今の若い人の多くは実感できないと聞きます。沢山の食料を、食べ残して捨てているのが現状です。
一方、人間の世界では、病気で、食べたくても食べられない人もいれば、貧しさのため、食べ物が無くて食べられない人もいます。富める人貧しい人が両極しているのが、この地球上の現状です。
A色欲が満たされます。天上界では、会いたい人といつでも会えます。その人と会うと思っただけでも胸がときめきます。好きな人といつまでも一緒にいられます。
人間の世界は、愛別離苦、怨憎会苦の苦しみの多い世界です。
愛する人とでも、縁が切れれば離ればなれにならなければなりません。一方、憎しみ会うものと同士でも、縁があれば一緒に暮らさなければなりません。現代人の多くは、この人間関係に苦しんでいます。学校でも、会社でも、あらゆる人間関係で、いじめいじめられが有ります。国会では、郵政民営化に反対する人は敵だと、同じ党派でも分裂しています。自殺者まで出してしまいました。まさに怨憎会苦の世界です。
B睡眠欲が満たされます。天上界では、眠たい時にいつでも眠れ、目が覚めたらすっきりした世界です。
人間の世界は、眠たくても眠れない人がいます。眠てはいけないとき眠たくなります。今日の日本では、一千万人近い人が、睡眠薬・安眠剤を飲んで生活しています。三百万人近い人が、向精神薬に頼って生活しています。これら多くの人たちは、何らかのストレスに依るのでしょうが、基本的には眠れないという症状から始まります。人間は、凡そ生涯の三分の一は眠らなければ生きていけません。睡眠は、食欲と共に大変大事なことです。
C財欲が満たされます。天上界では、土地も金も財産も好きなだけあります。人間の世界は、必ずしも自由になりません。いつでももっとほしいと思って暮らしています。私たちは、どれだけ貯金があれば満足できるのでしょう。死んでいくときには全部置いていかなければならないのに、金や物に執着しているのが人間です。まさしく餓鬼道に生きているのが現代日本人といえるでしょう。
D名誉欲が満たされます。天上界では、地位名誉が自由に得られます。
人間界では、有名になり、地位のある人はほんの一部の人です。
以前、わたしの町の神社が放火の被害に遭いました。犯人はすぐ捕まりましたが、大学受験の浪人生でした。動機を聞いてみると「むしゃくしゃして、放火でもすれば新聞に名前が出て有名になれると思った」そうです。結局、当寺の新聞はまだ「A少年」で、名前は出ませんでした。私たちは、自分の存在が見えなくなると不安になるのでしょう。
このように、天上界では五欲が満たされ、おまけに寿命は二千歳(地上では五六億七千万歳)といいます。つまり、なかなか死ねないということです。そんなすばらしい天上界でも、苦しみの世界にかわりはないというのです。
まず有縁を度すべし
以上六道四生の間にどのような業苦に沈むことがあったとしても、仏の神通方便でもって有縁を度すべきであるといわれるのである。
かつて「らい予防法」によって苦しめられていた患者の一人に、伊奈教勝さんがいました。伊奈さんは四十年間、病気のために家族から引き離され、本名を隠して長島の愛生園で生きてきました。
そんな伊奈さんが、家族の理解の元に故郷へ帰ることができました。地獄の苦しみを体験した伊奈さんは、故郷の回復した喜びを自分だけ喜んではいられないと、全国百カ所ほどで、「らい予防法」廃止を訴え、人間が人間を差別することがどんなに悲痛なことか訴えていきました。
常々伊奈さんは、らい収容所に入っている人全員に故郷が回復しなければ、わたしの故郷が回復したことにならないといっていました。
親鸞聖人は、業苦を生ずるのも縁、それを断障するのも縁、それこそ念仏のひとり働きで「まず有縁を度すべし」といわれているのです。
そこで伊奈さんも「まず有縁を度すべし」と、念仏の教えに聞いていったのです。
22回目
親鸞は弟子一人ももたずそうろう
(わたし親鸞は、未だかつて弟子は一人ももったことはありません)
弟子
親鸞聖人が自ら「わたしは弟子を一人ももったことがありません」といわれるのは、聖人在世の当時から、「わが弟子ひとの弟子」という差別があったようです。
関東のお弟子の中には、すべてにおいて自分の努力の働きが無効となり、自分で自分をどうすることもできないほど絶望の淵に立っていた人が多くいたと思われます。そんな中、念仏より外に救いの手だてのなくなった人たちが、どうして弟子に対して差別をしなければならないのでしょうか。考えられないことです。
じつは、そこに「教え」というものがあるからです。教えを学んでそこに喜びを見いだしたひとは、その教えを人に伝えようとします。伝えようとしたとき、少しづつわたくしの解釈が入るからです。教えの受け止め方、伝え方に異なりが生じたのです。
そこで「わが弟子、ひとの弟子」という差別が生じたのです。
そうした差別は、やがて個人的なことにとどまらず、集団的になっていきます。集団的になると派閥が生じます。だから念仏の教えそのものに異なりはありませんが、教義の受け止め方に異なりが生じたのでしょう。
そこに支配と被支配の関係が生じるのです。それは支配・統制という力関係ですから、わが弟子ひとの弟子という諍論が出てくるのは当然の成り行きでしょう。
もちろん念仏者の生き方は、一道であることに違いはありません。ですから念仏に生きる人に論争など有ろうはずがないのに起きるということは大変矛盾したことです。
その矛盾がどこから起きるかといえば、前にも述べた通り、念仏の教えの受け止め方の違いから生じるのです。念仏が教義となったとき、差異が生じ、それはやがて歴史的には分裂して宗派を生み出すことになるのです。
そうした現実に対して親鸞聖人は、「もってのほかの子細なり」と仲間意識そのものを全面否定されるのです。
善財童子
『華厳経』には善財童子の五三人の善知識を求めての旅が説かれています。その善知識には菩薩、比丘、比丘尼に限らず、男女職業を問わずあらゆる人々が登場しています。その中に良医弥伽というお医者さんがあります。善財童子が、善知識である良医彌伽のところに行くと、「善男子よ、汝已に先に阿耨多羅三藐三菩提心発せしや」というのです。すると善財童子は「唯然り」と答えるのです。すると良医彌伽は、師子の座を下りて、五体を地に投じ、善財童子を敬礼したのでした。
ここでは師・弟子を超えた善知識の心の境地を顕わしているのです。およそ、現実生活において指導者的立場にある師が、弟子に対して投地敬礼できるでしょうか。
じつは、到達点に関心を持つというより、出発点に関心を持つことにおいて師が弟子に対して頭が下がるのです。つまり、師である良医弥伽は、善財童子の「発菩提心」に重きを置いていることが埋解できます。仏道の世界では、「発菩提心」ほど純真にして尊いものはないからです。
それを善財童子の立場よりみてみれば、「菩提心とは如何」という唯一の問いをになって、永遠なる未来に向かって求道の旅を続けるというのです。
そして、それを失なうことなく、どこまでもあらゆる善知識に問うていったということは、仏教は決して現実を否定したものではなく、ましてや現実と遊離したようなものではありません。つまり、善知識とは、形にはめられたようなものではなく、大変個性的なものといってよいでしょう。そこには「求める」という大切なことがあります。ですからどの善知識も、善財童子に自己の得た法門を語った後、善財童子がそこに止まることなく次の善知識を求めていくよう指南の役を演じているのです。
法執人執
仏法を求める人にとって知らず知らずのうちに執着するのが、法と人です。法は真理ですから、すべての人に開放されているはずです。法を説く善知識も誰にでも開放されたものです。それをわたしたちは、いつの間にか「わが法、わが師こそ一番」と執着してしまうのです。ですから、親鸞聖人は改めて「わが弟子ひとの弟子」ということはないといわれるのです。もし弟子という言葉を使うとしたら、皆同じ「仏弟子」ということになるでしょう。
23回目
自然のことわりに、あいかなわば、仏恩をもしり、また師の恩をも、しるべきなり。
(阿弥陀如来の真実の智慧である自然のことわりに、しっかり寄り添っていれば、すべてのいのちあるものを救おうと願われた仏の恩、また、わたしに念仏の教えを伝えてくださる先生の恩をも知り、感謝するようになるはずでしょう。)
自然
本来、自然と人間は共存共栄したものです。ところが、近代になると人間は、科学文明の発達により、自然を征服できるものと錯覚してしまったのです。工業化都市化が進み、それが同時に地球破壊につながっていってしまいました。
今日の地球は温暖化の危機に瀕しています。最近愛知県で行われた万国博覧会のテーマは、愛地球博でした。自然との調和でした。
しかし実際は、長い間「海上の森」と称した自然を破壊して、会場を設営したのです。自然を破壊して、自然と共にといっているのが人間です。まことに勝手都合がいいのが人間の営みかもしれません。少なくとも近代以前の日本人は、自然との調和をはかって生活していたはずです。晴れた日は田畑に出かけ、雨の日は家で内職をしていたのでしょう。春は田植え、夏は早起きして野良仕事、秋は田刈り、冬は家で手仕事、全く春夏秋冬の季節の移り変わりの自然と共に生活していたのでしょう。
そんな中、現代人は人工的機械的社会に生活をし、それが便利であり快適と思いつつ、また同時に自然への回帰の念に駆られているのです。
現在、三万二千人近い人が自死をし、三百万人近い人が向精神薬の力を借りて生活し、一千万人近い人が安眠剤睡眠薬などを常用していると聞きました。どこかでストレスがたまっているのでしょうか。ですから現代人は、快適な生活をしていながら、一方では癒しを求めています。今癒しの音楽がよく売れているそうです。その癒しの中で一番人間が癒される音は、小川のせせらぎの音だそうです。そして小鳥のさえずり等自然の音だそうです。そして若者の中に流行っていることに、山歩きや秘湯を求めての旅があるそうです。
自然のことわり
仏教では、自然を「じねん」と読んでいます。」親鸞聖人は、『末灯鈔』『正像末和讃』で、
自然というは、自はおのずからと いう。行者のはからいにあらず、 しからしむるということばなり。 然というはしからしむということ ば、行者のはからいにあらず、如 来のちかいにてあるがゆえに。
と、自とは「おのずから」、然とは「しからしむなり」と、読んでおられます。
今年、久しぶりに風邪を引きました。おまけに対処の仕方を間違えてしまったのか、こじらせてしまって十日ほど寝込んでしまいました。
糖尿病、痛風の持病を抱えるものにとって、病気の治りは悪いとは聞いておりましたが、これほど長引くとは思いもよりませんでした。最初は扁桃腺の熱でした。熱と痛みにはことのほか弱いので、体温が三十八度近くなると、すぐ座薬を入れました。すると一時間ほどで汗をかき、熱も下がり、関節の痛みも和らぎました。しかし、それは治ったのではなく、十時間近く立つとまた熱が上がり始めるのです。こんなことを四度ほど繰り返していたら、熱は内耳の方へ移り、耳鳴りがしてきました。
我が身で我が身がどうしようもなく、心は多くの人にご迷惑をおかけしたらいけないと、焦っていました。夜ボート寝ていましたら、自然にお念仏が出ていました。気がついて「まさか、念仏で風邪が治るはずはないのに]と思いましたが、その時ふと親鸞聖人の行実が思い出されたのです。
寛喜三年、聖人五十九歳の時、発熱で「『大経』を読み、恵信尼に建保二年の三部経読誦の反省を告げられたのです。
聖人は、生涯にわたって二度も経典読誦をされたのです。一度は民衆の安泰を願って。一度は自らの病の中にあって。
念仏の働きは、決して国家安泰、無病息災のためにするものではないことを、充分承知の上で求めてしまうのです。ただ人間は弱い者です。念仏を自分の思い通りになるようにと、欲でしてしまうかもしれません。しかし、聖人はいつも反省され、念仏のはたらきは行者の計らいではないことを自覚し、あくまでも、仏の本願に帰って現実を見ておられます。
24回目 (2006年1月)
念仏は無碍の一道なり。(念仏を称えることは何ものにも障げられない真実の一道である。)
無碍
無碍とは「障りのないこと」です。殊に念仏の道を歩む者は、一切の障りがないというのです。
じつは親鸞聖人は、九十五種の邪道を出でて仏門に入ったにもかかわらず、真実の仏道を歩むことができず、むしろ虚偽の道を歩まざるを得ないような悲しい現実に立ったといえます。
親鸞聖人は、外教批判を多くされていますが、それは単に外教ということで批判されたのではなく、自己自身の信心獲得することへの疎外(さまたげ)に対して批判されているのです。
ですから、他の宗教を批判したり他の宗派を非難しているのではありません。むしろ、まじめに仏道を求めているはずの仏道者そのものの外道性を批判しているのです。
親鸞聖人は、念仏を信じて歩む行者にとっては、天の神も地の神も敬伏するというのです。つまり、念仏者は、天地の神々を礼拝する必要がないといわれるのです。
ところがわたしたちは、ともすれば商売繁盛、無病息災、延命長寿、家内安全などと、念仏を無い物ねだりに利用してはいないでしょうか。そこには、念仏が手段となっているからです。ですから、念仏のはたらきによって、自分の願いが叶い、思い通りになれば信じるが、そうでなければ他の教えでよいという具合です。
親鸞聖人は、あれやこれやと信じてはいけないというより、念仏一つで十分であるという確信に生きられました。もっといえば、主体的にキッパリと、念仏以外必要ないといわれるのです。
そして、念仏は、仏教の行者の障げとなる悪魔と、仏教以外の道理にはずれた教えを信じている人にも、まったく障りとならないというのです。
そこで問題となるのが、魔界の意味です。
細魔
本来魔とは、欲界を支配する第六天の魔王を指すといってよいでしょう。仏教ではさらにそれが転じて、煩悩そのものを魔といい、総じて成道の障げになる一切の障りをいうといってよいでしょう。
中国華厳宗の法蔵という人は、
善知識魔、彼に於いて著心を生 ずるが故に
と、善知識そのものを細魔といっています。そして、貪著、慢、執著などの執を魔といっています。ですから魔とは外的なものというより、内的なものといってよいでしょう。その執は、人法二執の執著を指しているのです。
人執とは、善知識すら執著するものになってしまうのです。法執とは、自分の信じている法そのものにも執著してしまうのです。
本来、善知識も仏法も全人に開放された自由なものであるはずです。にもかかわらず、わたしたちに陥りやすいのが人法二執なのです。それはまた、仏道を求めるうちに自然に起きてくるものです。
一道
一道ということは、迷わないということです。それは道が一つしかないということではなく、道は沢山あるのです。しかし、歩くのは一つということです。ですから一つあれば充分なのです。あれやこれや迷うのではなく、「この道をわたしは行く」という決断を意味します。
昨年暮れ、ベトナム研修への出発の折、大雪で飛行場に足止めをくってしまいました。雪で滑走路が凍結してしまったのです。ベトナムまでは、飛行機か船で行くしかできません。空や海は人間の足では歩けないのは当然です。ですから、天候次Nで、計画は不可能になってしまいます。飛行機が滑走可能になる条件が揃うまで、待つしかないのが現実でした。
一方、道というのは、書道、剣道、華道など、習い事にも使われます。その道を極めることです。
また、道は、仏道などのように、目的を持って自らの足で歩くことに意味があります。実際に歩くことではありませんが、目的と方向がはっきりすることが大切です。
ですから、念仏の道を歩むということは、無理を強いることではなく、すべての条件が満たされて、一切の障りが亡くなっていくことです。そこに、諸善もおよぶことがなく、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することがないといわれるのです
2006年2月25回
念仏は行者のために、非行非善なり。(念仏とは、それをとなえる念仏者にとって、行でもなく、善でもない。)
非行非善
親鸞聖人は、念仏は行でもなく善でもないといわれるのです。その理由は、念仏は自分の計らいによって行ずるものではないからです。また自分の計らいによって修行する善でもないからです。念仏は、ただただ弥陀の本願力である他力に頼るのみで、まったく自力を離れたものです。だから念仏の行者にとって、称名念仏は非行非善となるのです。
行
わたしたちは、念仏をどのように受け止めているでしょうか。ともすれば、念仏の生活によって幸せな家庭や社会を築き、不幸が訪れないような御利益を期待してはいないでしょうか。念仏を無い物ねだりの呪文のように考えていたら、それは大いなる間違いです。もちろん念仏を中心に家庭を築くことは大切です。念仏の教えによって、今ある自分に感謝すること自体は尊いことです。
朝晩のお勤めが、家庭生活の中心になることが、真宗門徒のつとめに違いありません。
ただ、念仏を自分の思い通りにしようとするところに問題があるのです。善悪の問題は人間にあるのに、それに気づかず、念仏のせいにしてしまうのです。
よくお寺参って、熱心に聴聞していた人が、突然お寺へ来られなくなりました。子どものことで悩むことがあって、お寺でお話を聞いていたけれども、思うようにならず、某新興宗教に入られたのです。
新興宗教では、信じれば救われる。善行を積みなさい。もっと真剣に道を求めなさい。先祖を大事にしなさい。等々で人間の努力を当てにします。お金によって救われ方が異なるというのです。
ところが、浄土真宗の教えは、一切の善行は末通らないというのです。念仏で病気が治るかどうか分からないというのです。しかし、人間はたとえ半信半疑であったとしても、病気が治るといってほしいのです。やっかいです。
再び細魔
前回、細魔について紹介したとき、編集者の方からもう少し説明してほしいという要望がありました。そこでこれから少しお話ししたいと思います。
細魔とは、細かい魔性という意味です。粗い魔性は目につきます。しかし、細かい魔は気づきにくいのです。
一般的に仏教では、魔は四魔(煩悩魔、陰魔、死魔、天魔)といって、人間のいのちを奪う因縁を悪魔にたとえています。四魔とは、
一、煩悩魔(一〇八つの煩悩を指す)
二、陰魔(煩悩が和合して成立する身心)
三、死魔(身心の死を指す)
四、天魔(世間に愛着し、仏道を憎しみ、嫉妬させようとすることを指す)
ということです。
『歎異抄』では、魔界といって、仏道の障げを指します。その障げの原因を外に観るのではなく、内に観じたのが細魔ということです。つまり、良かれと思っていることが、じつは仏道の障げになるというのです。ですから、善知識を求めることは大切なことですが、その善知識に執着してしまうことを魔というのです。 それは細かくて表面的には気づかないことです。仏さまの教えを聞きながら仏さまの教えに反した生き方をしてしまうのが人間のあり方で、それを細魔というのです。
ある老人の言葉
老婆いわく。
自分は子どもの頃から、よくお寺 へ参った。嫁いでから三十年以上 お寺へ参って説教を聞いた。だか ら自分は往生極楽間違いなし。そ れにくらべ、家の嫁はちっとも仏 さんにお参りしないので、地獄に 堕ちて当然だ。
見事です。しかし、こと浄土真宗は、そうではないのです。親鸞聖人は、三十年参ったからよく、参らないのはだめだといっておられません。ましてや自分自身が問題であるのに、嫁さんが地獄に堕ちるなどと問題転嫁してはいけません。むしろ嫁のことはどうでもいいのです。我が身が本当に念仏の教えに生きているかが問題なのです。親鸞聖人は、念仏は善行の何一つもいらないといわれるのです。救われるか救われないかは、人間の問題ではなく、仏さまのはたらきなのです。
26回目2006年3月
念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそろうやらん
(いくら念仏しても、天にも地にも躍り上がるような喜びの心が湧いてきませんし、また、いそいで浄土へまいりたいという心も起きてこないのは、どういうことでしょうか)
仏の教えはどこまでも知的であり理性的です。それは縁起的といってよいでしょう。ところが、この『歎異抄』九条は、今までと異なり、情緒的になっています。
弟子唯円の嘆きは、念仏しても躍り上がるような喜びの心が起きてこない。また、信心を得て急いでお浄土へ参りたいという心が起きてこない。どうしてなのかという悩み苦しみから説き始められているのです。
踊躍歓喜
くり返しますが、唯円は、念仏申しても、躍り上がるような、湧き立つような歓びが持続しないというのです。
わたしは学生時代、安田理深先生の「相応学舎」で、『成唯識論』『十地経論』の講義を受けました。最初のころは聞いても、その内容はさっぱり分かりませんでした。途中何度止めようかと思いましたが、それでも先生の「三角形の馬はありません。しかし、三角形の馬を思う心はあるのです」とか「みなさんが、ここに来て、話を聞いて、今晩当たり救われるであろうというのは、寝ぼけた話です。そうではなく、ここへ来たことが救いなのです」という言葉が少しずつ聞こえてくるようになりました。
そして、大谷大学の歴史とか、曽我量深、金子大栄、佐々木月樵という先生方の教学の課題など聞いていると、少しずつ興味が出てきました。先生の言葉が不思議なくらい頭の中に入ってくるのです。先生の話を聞くのがとても楽しいのです。一ヶ月が、待ち遠しく感じました。それこそ歓喜の日々でした。
しかし、それは長くは続きませんでした。修士論文を書く段階になったとき、先生の話が、自分の論文作成には、間に合わなくなったのです。スランプというわけではありませんが、何かしっくりいかないのです。今後の自分の将来のことを考えると、このままでよいのかと悩むようになりました。先生のお話を聞いて、論文の足しにしようと考えていたのですが、それがとんでもない間違いだったのです。
先生の講義は、もっと深く、人間の思いを超えた実在的なものだったのです。
わたしの思いは、歓喜と不安、歓喜と絶望が交錯しているようでした。
今思えば、親鸞聖人の「悲しきかな、恥ずべし、傷むべし」という言葉は、わたしには無縁のものと思っていたのです。とても自力作善の強かったわたしは、悲歎、悲傷を感じる人は、弱い人間であるとすら思っていたのです。
ところが、念仏の喜びは、世間的な喜びでも、幸福でもなかったのです。念仏の教えが、そういう幸福追求の教えであったならば、それは新興宗教と同じになってしまうでしょう。
浄土へまいる
浄土へまいるとは、死して完全な絶対自由の境涯と一つになることです。
ですから「いそぎまいりたきこころ」とは、そこへ真っ直ぐ行って、方向の定まる心です。
真宗の言葉でいえば、現生正定聚、住不退転の心です。それは日々刻々のいきいきしたした、躍動した、創造的生活の持続です。
しかし、現実は懈怠感に覆われ、愚痴をいい、充実できない生活をしてしまうのです。なぜ悩み苦しまなければならないのかと考えてしまいます。
唯円の悩みは、浄土へまいりたいという心が起きてこないということです。その唯円の悩みに対して、親鸞聖人は答えるというよりも、「唯円あなたもか、じつはこの親鸞も同じことで悩んでいたのだよ」というのです。
親鸞聖人は、踊躍歓喜の心の起きないのも、浄土へまいりたいと思わないことも、共にこれは煩悩のなせる業だといわれるのです。嬉しいことがあっても喜べないのも煩悩の所為です。また、浄土へまいりたいと思う心も起きないことも、安養浄土もこいしく感じられないのも、すべて煩悩のはたらきです。親鸞聖人は、念仏により、煩悩あるままに、いよいよ大悲大願が仰がれるといわれるのです。
2006年4月 27回目
なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。
(どんなになごり惜しく思ってみても、この苦悩の世界にとどまる期限が尽きて、自分ではまったくどうする力もなくなってしまったそのときに、はじめて浄土へまいればよいのである)
ここは、人間の臨終の姿を適切に表した箇所です。少しも立派でもなく、潔くもなく、しかも思いっきりの悪い、未練がましい凡夫の常平生の姿でしょう。ここに親鸞聖人の、自分の力で自分を何とかすることが出来るという、いわゆる自力を捨てた立場がはっきりしていると思います。
人間は他の動物と違って死を自覚しました。わたしたちは死を頭で考えても、いつも他人事として受け止めている場合が多いでしょう。ですからガンの宣告を受け、余命二ヶ月と宣告されれば慌てふためいてしまいます。後二ヶ月のいのちなら今晩はゆっくり休みましょうというわけにはいかないでしょう。二ヶ月の問題は今日ただいまの問題なのです。
親鸞聖人は、なごり惜しいけれどもいつ死んでもよろしい、また、いつまで生きてもよろしい、如来よりいただいたいのちであるから、という決断です。
不老長寿
中国浄土教の曇鸞大師は、『大集経』の註釈を試みていたとき、病気になってしまったのです。そこで仏教を学ぶためとはいいながら、長生不死の仙経を学ぼうと考えました。しかし、たまたま北天竺(北インド)の菩提流支の指摘により、長生不死の愚かさを知り、仙経を焼き捨ててしまうのです。それは単に死を恐れ長生きしたいというのではなく、仏道の仕事を遂行するための目的があったのです。
また、経典を英訳することに心血を注いでいた鈴木大拙先生も、その仕事を完遂するには、後五〇年はかかるから長生きしたい、といわれたそうです。
いずれも自身の都合による生死の問題でした。
親鸞聖人は、自力で何とか出来るという思いを捨てて、現実の身の事実に立っておられるのです。それは人間の意志の力に対する全面的な否定を意味します。そこには大いなる絶望感が襲っているといってもよいでしょう。その絶望感こそ、じつは却って一個の動かすことの出来ない人間性の根本的な現実があるわけです。そうした立場の認識が、悩める凡夫の全面的な救いになるというのです。頑張る必要のない、立派でない、ふらふらと悩みながら日暮らししながら、なおかつ念仏申す身にさせて頂いた身の事実を知ることこそ如来の救いそのものであるというのです。
別離の悲しみ
娘がお浄土へ帰って二度目の春を迎えました。孫娘もこの春小学一年生です。孫の入学式に母親が出席できない現実に胸が痛みます。でもおじいちゃんおばあちゃんが一生懸命育てていて下さって、有り難いことです。孫もいつか事実を知って悩み悲しむかもしれません。しかし、私たちは事実を伝え、孫に寄り添っていくしかできないと思っています。 未だ以て、わたしたち夫婦は、娘の死が受け止められません。頭では理解できても腑に落ちないのです。最近娘の本を整理して気づきました。それはとても優しい癒し系の本を多く読んでいたことです。
ひろはまかずとし著『あなたはあなたでいてほしい』『いつだってあなたはすてきだよ』とか、ジェームズ・アレン著『きっとすべてがうまくいく』竹本聖『ありがとうの本』谷川俊太郎著『クレーの絵本』相田みつをの心の詩などをよく読んでいたようです。
何れも、優しく、生かされてあるいのちに語りかけ、生きる勇気を与えてくれる癒しの本です。娘はどこかで心が疲れていたと思います。その心の疲れをいやすのに読書に親しんでいたと思います。
そんな純真な心優しい娘が死を選らんだ理由は、いまだに分かりません。なごり惜しいというのは、死していく人のことであるのと、同時に残された家族もそうです。少しばかり病気になったりすると、死んでしまうのではないかとか心細く感じるのも煩悩のなせる業でしょうか。
自分も娘のいる浄土へ早くまいりたいかというとそうではありません。この世の未練は、なかなか断ち切れません。しかし、この世との縁が切れれば、お浄土へまいらせて頂きます。すべて如来のお慈悲にお任せするしかありません。
28回目 2006年5月
念仏には無義をもって義とす
(念仏を称えることについては、自らの知によって捉えられる教説のないことが教説である)
親鸞聖人は、念仏は人間の思慮分別を加えないことをもって本義とされています。一切の計らいのないことこそ念仏の根本の意義であり、それこそ如来の思し召しに叶うことであるといわれるのです。「無義」の義は人間の義であり、「無義をもって義とす」の義は、如来のになります。その理由は、念仏は、たたえることもできず、説くこともできず考えることもできないからです。
毒箭の喩
お釈迦さまの生きておられたころの出来事です。マールンクヤという若いお弟子がいました。彼はとても知的で議論好きのインテリ青年でした。すべてを合理的に理解しようとしていたのです。ある時マールンクヤは、四つの質問をお釈迦さまにしました。その四問とは、
第一、世界は常住か無常か。
第二、世界は有辺か無辺か。
第三、霊と身とは同じか別か。
第四、人間は死後も存在するか否か。
ということでした。
マールンクヤは、たびたび質問をするのですが、お釈迦さまは一向にお答えにならなかったのです。業を煮やしたマールンクヤは、「お釈迦さまは、わたしの質問に答えて下さらない。もう教団を出よう」と決心するのです。
するとお釈迦さまは、出て行こうとするマールンクヤのことを待っていたかのように、呼び止められました。
お釈迦さまは、
マ−ルンクヤよ、よく聞くがよい。
ここに一人の旅人がいたとしよう。どこからともなく一本の矢が飛んできて、旅人の股に突き刺さった。周りの人は、医者を呼んできて、その矢を抜こうとした。しかし、旅人は、この矢はどういう種類の矢なのか、どちらの方角から飛んできたのか、誰が矢を射ったのか、それが分かるまで矢を抜くなといったら、マールンクヤお前ならどうする。
といわれたのです。するとマールンクヤは即座に答えました。
先ず、矢を抜きます。早くし ないと身体中に毒がまわって死 んでしまうでしょう。
お釈迦さまは、
そうだ、その通りだ。じつはマールンクヤよ、お前の質問も同じことなのだ。四つの事柄の関心事はそれはそれでよい。しかし、そのことを考えている間にお前のいのちは終わってしまうかもしれない。
マールンクヤよよく聞くがよい。
わたしによって説かれたことは説かれたまま受持しなさい。説かれないことは説かれないまま受持しなさい。
と諭されるのでした。
マールンクヤは、もともと賢い青年であったので、その後お釈迦さまの教えをそのまま素直に受け止めていったということです。
自然法爾
親鸞聖人は、『歎異抄』の「念仏には無義をもって義となす」の文のほかに、『末灯鈔』で「つねに自然をさたせば、義なきを義とすということは、なお義のあるになるべし。これは仏智の不思議にてあるなり」ともいわれています。
常に自然法爾といったとしても、あれだこれだと議論すること自体が、そのまま義の内容になってしまう。だから、「義なきを義とす」とか「自然法爾」は、あくまでも仏智不思議であるというほか何もないといわれるのです。
娘に先立たれた、わたしたち夫婦は、ただ仏様の前に座って念仏申すしか他ありません。朝晩のお勤めが唯一娘と対話する場所になっています。声なき声を聞きながら、いろいろな思いは巡ってきます。老少不定のいのち、われやさきひとやさきのいのち、また愛別離苦の真理は、充分理解しているつもりです。どうもがいても、亡くなった娘は帰ってきません。それも分かっています。でも何かむなしくやりきれない思いがおそってきます。まだまだ身の事実が受け止められないのが現実です。しかし、よくよく考えてみれば、娘は死を通してわたしたちに何を残していったのか。そのことが問われてきます。いのち一杯生きるとはどういうことなのか。また、わたしはこれからどう生きればよいのか問われてきます。ただただ念仏申す身にさせて頂くしかない毎日です。
2006年6月29回目
前承
親鸞聖人は、念仏は無義をもって義となすといわれています。その理由は、念仏は不可称、不可説、不可思議だからです。この三句は、身口意の三業に関して、無義、為義の念仏の具体的内容を示している箇所です。
極端にいえば、わたしたちの生きている存在は、まったく無意味であるというのです。しかも、その無意味なものが、ここに存在しているという事実を指し示しているのです。大げさにいえば、抹殺されてもよいようなものが、ここに存在しているのです。その抹殺は、わたしたちの、自分こそは正しいと思いこむ価値観の抹殺です。ですから、無意味とか抹殺とかいっても、これは分からないということではなく自覚することです。思い通りにならない身の事実の自覚こそが、わたしをして頭を下げずにはおかないのです。
不可称不可思議不可説の念仏の義は、おのずからうなずかれてくる法の広大なはたらきをあらわす言葉です。
不可称
不可称とは、たたえることも、はかることもできないという意味です。それは身の事実にうなずくことです。 安田理深先生からお聞きした話です。東京大学の某教授のもとへ、数年前に仲人をした夫婦が訪ねてきたそうです。それこそ愛し合って結婚したはずの二人が、離婚の相談にやってきたというのです。二人はお互いに悪口をいい、ののしりあっていたそうです。教授は黙って二人の言葉を聞き続け、「困ったな、困ったな」とつぶやきながら庭へ出て行かれたそうです。二人が部屋で待っていると、何十分経っても帰らず、腕組みをして「困ったな」と頭を垂れておられました。それを見ていた二人は、顔を見合わせ、やがて、わたしたちの問題で先生はあんなに困っておられる。先生があんなに悩んでおられるのにわたしたちは互いにののしりあっているだけであったことに気づいたのです。感応道交といいましょうか。先生の深い悲しみが、言葉を超えて二人に届いたのでしょう。百万語を語るよりも、説得力があったのでしょう。言葉を換えていえば、念仏の心理、限りなきいのちの輝きの前に、われを忘れ、自己の全身を投ずることができるのです。 不可称とは、全身全霊を通じて身を投げ出すことを意味するといってよいでしょう。
不可説
この不可説は、口業に関係しています。
言葉は言葉であって、具体的事実ではありません。イタリアで食べたスパゲティの美味しさをどれだけ説明してもその味は伝えられないのと同じです。食べるのが一番早いでしょう。しかし、伝えられないからといって、言葉を伏せることはできません。人間の意志を伝えるのに言葉はどうしても必要です。
マックスピカートは、「言葉は沈黙の背景より出ずる」と述べています。もし沈黙の背景がなければ言葉は深さを失ってしまいます。
現代社会は、騒音の時代といえます。マスメディアによる情報の氾濫は、人々の誠の言葉を失ってしまっています。
仏陀は、覚りの内容を言葉で表そうとすれば、言葉の概念によって真実性が失われてします。そこで説法を躊躇され沈黙されました。そこで梵天が、確かに言葉で真実を表すのは難しい、しかし必ず理解できる人がいるはずです。どうか説いて下さいと勧奨により説法することを決心されるのです。
じつは説示してはじめて、不可説が顕わになるのです。説かなければ、不可説は分からないのです。しかし説かずにはおられないのもまた真実でしょう。説示することは、人間の限界性を明らかにすることでもあるのです。
不可思議
不可思議は意業に関係しています。思議することは、思惟考えることと同じです。判断して認識することです。それは理性といってもよいでしょう。人間は理性分別に執着します。絶対視することもあります。それに対して、不可思議とは、直観といってよいでしょう。念仏の教えは、理性的解釈というより、直観といってよいでしょう。理性的に体系づけられた真理は、本来の真理ではないといえます。理屈ではないのです。
気づきは一瞬です。千年闇に閉ざされていた部屋もマッチ一本で明るくなるのです。千年の闇は千年かけて明るくなるのではないのです。一瞬です。長い間煩悩に眼を閉ざされ暗闇も、一瞬の真理の前で明るくなるのです。明るくなるということは今まで見えなかったものすべてが見えることです。見えるということは気づくことでもあります。ですから、不可思議ということは、限りなく煩悩具足の身を知らされることです。
2006年7月 30回目
わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。(わたしの心が善いから殺さないのではありません)
殺戮
わたしのとっても大切な人の一人に、暁学園の祖父江文宏さんがいます。祖父江さんは間質性肺炎の病で二〇〇六年六月二日亡くなられました(六二歳)。亡くなられる二ヶ月ほど前の四月に、同朋大学の新入生研修の講師としてきていただきました。人として生きる大切さを切々と語ってくださいました。自分の身体が余命幾ばくもないことを知りながらの講演は、学生に大きな感動を与えてくださいました。その中で、人間の殺戮は人間性を失ったところで起きるのではなく、きわめて理知的に行われるといわれました。祖父江さんは
、
わたしたちは、自分を正当化するための暴力を正義といってきました。そして人間というものを考える時に、わたしはわたしの亡くなっ たユダヤ人の友人を思い出します。
といってユダヤ人の友達のことを話してくださいました。
祖父江さんが、ヨ−ロッパ留学から帰国する時、友人のラスムンセンという名前の彼が、デンマークのコペンハーゲンの空港まで見送ってくれたそうです。その時、彼が一緒に生活しているフイアンセと一緒に送ってくれたので、その人に「はやく子どもが出来るといね」といったら、彼は祖父江さんの肩をすっと抱いて、柱の影に連れて行って「僕はゲットウの中で断種手術を受けた」といったそうです。
ユダヤ人であった彼は、断種手術をされた時、子どもだけのゲットウに母親や父親と別れて運ばれていったそうです。麻疹だった二つ下の妹は、運ばれていくトラックの中で死んだそうです。その時、死んでしまった妹を母親は抱きながら「この子は立ったまま死んでしまった。立ったまま死んでしまった」とつぶやき続けたそうです。それが父親母親と会う最後でした。その朝子どもだけのゲットウに送られ、その中で断種手術を受けていったのです。祖父江さんが「つらかったね、痛かったんだろうね、怖かったろうね」といった時に、彼はこういったそうです。「いや、でもね、医師も看護婦もみんな優しかったよ。ぼうや怖がらなくてもいいよ」といってくれたそうです。彼は「みんなジェントルだったよ」といったそうです。
わしたちは、片一方で断種手術をし生体実験を繰り重ねていく、片側でジェントルである。わたしたちが見失っている論埋はひょっとすろと、この二つを併せ待つことによつて成り立っているのではないかと思います。
祖父江さんは、戦争、殺戮、差別虐待の裏側には、いつもこのヒューマニスムがあったのではないかと指摘されるのです。わたしたちはもっともっと、このヒューマニズムそ
のものを問うべきであるといわれるのです。理知や分別を超えたもっと大きな、すべでのいのちが平等であるという視点を、今わたしたちは見つめ直す必要があると思います。
真面目とは
親鸞聖人は、わたしの心がよいから人を殺さないのではないといわれるのです。たとえ人殺しはいけないと知っていても、状況如何によっては人を百人も千人も殺すかもしれないといわれるのです。反対に殺すべき状況でなければ、一人も殺さないといわれるのです。
もちろんカッとなって人を殺めることもあるかもしれません。しかし、先ほど述べた戦争、殺戮、差別などは、きわめて合理的理知的に行われるのです。
特に近代のアメリカの関わった、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などは、すべて正義の名の下に計画的に行われているのです。戦火の下では多くの民衆が、財産を奪われ、家族を奪われ、
生きる権利を奪われ、いのちが奪われているのです。その恐怖と。悲しみを断ち切って、ただ合理的計算的に行われているのが戦争です。
ビアスという人は、「常平生真面目な人は戦争に対しても真面目である」といいました。この地球上に生きる多くの人は、戦争の悲惨性を恐れ、戦争はいけないことは充分承知しているはずです。ところが、平和を願うといっても、武器を持って願うのと、一切の武器を放棄して願うことと二通りあります。今日、日本では、前者の考えの人が圧倒的に多いのです。しかし、人間は愚かなことに、武器を持てば使いたくなります。長崎広島に続いて三発目の原爆が投下されないという保証はどこにもありません。遠い道かもしれませんが、一切の武器を持たずに平和を願うのが一番確かだと思います。
2006年8月31回
さるべき業縁のもよおさば いかなる振る舞いもすべし。
(どうしても、そうしなければならないような宿世の必然性が自分を揺り動かしてくれば、どんな行為をもするはずだ)
業縁
業とは、行為という意味です。この業に身口意三業があります。もとより、この身口意は別々に存在しているわけではありません。必ず互いに他と関係し合っています。
例えば、差別発言を問いただされると、思わず知らずいってしまいました。わたしには差別心はありません、と答える人が多いのが現実です。しかし、そこでは往々にして言い訳と弁解にすり替えられてしまぅ場合が多いのです。じつは、思わず知らず言ってしまったというのです。そこには、身業・口業・意業のはたらきがあるのです。それを業縁といってよいでしょう。
さるべき業縁がもよおせば、というのは決してあきらめ的、あるいは居直り的な事柄ではありません。
業は必ず因縁果の道理の上に成り立っているのです。ただ、その果が表に現れる場合と現れない場合とあります。
例えば、腹痛を起こし下痢気味の人がいたとします。その果に対して因を求めていくと、昨日食べた天ぷらが少し古かったから食あたりしたのです。だからその時、気を付けて食べなければよかったかもしれません。そこに縁によって果は異なってくるのです。そして、仮に二人の人が同じものを食べたとしても、その人の体調にもよって、何ともない人もいるでしょう。これを共業不共業といいます。
もう少し業について説明しましょう。
例えば、原子力発電所から放射能が漏れて、辺りが汚染されたとしましょう。そこに住むすべての人に被害は及ぶでしょう。つまり、大気が汚染されたら、私だけは大丈夫というわけにはいかないはずです。その時代、その社会、その国の問題は、そこに生きる人全員で背負わなければならないということです。それを共業というのです。
また、あるいは電車が脱線する事故に遭遇した場合、大怪我する人もあれば、軽い怪我で済む人もあります。人それぞれです。それを不共業というのです。いずれにしてもわたしたちは縁起(他との関係)の中に生きているのです。そこで共なるい
のちについて少し考えてみましょう。
共命鳥
共命鳥とは、『阿弥陀経』というお経の中に出てくる鳥です。一つの身体に二つの頭と二つの心をもつ鳥です。考え方、生き方が違っていても、そのいのちはつながっているという、鳥に姿をかえられた仏さまのみ教えを表しています。
この共命鳥の中に、とても仲の悪い鳥がいました。何れも自分の泣き声が一番素敵だと思っていました。
ところが、一方は要領がよく、わがままで、いつもおいしい木の実を自分だけ早く食べていました。片方の鳥は妬んで僻んでいました。
そして、いつの間にか互いに憎みあい争うようになり、遂には「片方さえ亡きものにすれば、このわたしが自由になれる。わたしが一番になれる」と考えるようになりました。 ある日、密かに毒を混ぜ、片方に食べさせました。食べた方はもちろん死にましたが、食べさせた方も体が一つですから、死んでしまいました。
もともと共命鳥は、お浄土でなければ生きられない鳥です。ですから、共命鳥はお浄土で「他人を傷つけることは自分を傷つけ、他人を生かすことが自分を生かすことです」と鳴き続けているのです。
今日の世界の情勢を見てみますと、まるでこの愚かな共命鳥のようです。それこそ、条件が変われば何をするかわからぬ人間世界です。
イラクに対しては徹底的に抗戦したアメリカ。国連決議を無視してまで空爆を加えたアメリカの思惑は何でしょう。反対に、イスラエルがレバノンに空爆を加えて、多くの一般市民、子ども達まで殺されている事実にたいして見て見ぬふりをするアメリカの勝手さはどこからくるのでしょう。それに追随迎合している日本です。まるで愚かな共命鳥のようです。改めて、浄土に生きる共命鳥の願う世界とは、いたずらに対立をあおらず、常に他のいのちとのつながり、いのちのぬくもりを大切にすることです。
ですから、繰り返しになりますが、さるべき業縁とは、居直りでも諦めでもありなく、いかなる正義の名の下でも戦争は行けないのです。業縁を仕方ないとして、どんなことでもしてしまうという無責任な話ではありません。
2006年9月32回目
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。(後序『真宗聖典』六四〇頁)(阿弥陀さまが、五劫という長い間考え抜いてこられた誓願は、よくよく考えてみれば、それはまったく、この親鸞ひとりのためのものであった)
五劫
劫とは、インドの言葉でカルパといい、長時と漢訳しています。それはわたしたちの常識を越えた長い長い時間を指します。それはどれくらいの長さかというと、龍樹の『大智度論』という書物に詳しく出ています。一、二紹介してみましょう。
芥子劫・磐石劫
芥子劫とは、四〇里(この場合の一理は四〇〇メートル)四方のお城に芥子を充満にし、一〇〇年ごとに一粒づつ取り出して、ついにそのすべてを取り尽くしても劫は尽くさないという意味です。これは数の問題です。
『仏説阿弥陀経』というお経の中に「恒河沙數諸佛」と出てきます。ガンジス河の砂の数だけの諸仏という意味です。広くて長いガンジス河の砂の数など数えられるわけありません。ですから、同じように四〇里四方の城の中の芥子なども数えることはできないので、無量無数というのです。わたしたちの知識では推し量れないほどの、長い時間をこのように表現しているのです。
また、同じく四〇里四方の石を、一〇〇年ごとに一度ずつ薄い布で払拭し、ついにその石が摩滅し尽くしても劫は尽きないというのである。
これはもう天文学的な時間です。石盤に雨だれが落ち、何十年かけて石に穴があいているのを見ることがあります。あんなに柔らかい雨水が、硬い石を削ってしまうことですら驚きなのに、四キロ四方の石を布で軽く払拭するだけで摩滅するだけの時間とは、わたしたちの常識では考えられません。どうして仏教は、常識では考えられないことを説いているのでしょうか。
五劫思惟
阿弥陀如来は、五劫の間思惟されたのです。
思惟とは、一心に一つのことを考え続けることです。
『仏説大無量寿経』によれば、法蔵菩薩が因位の時、世自在王仏のみもとにおいて浄土の因を明らかにされ、無上殊勝の大誓願を発こしたといわれます。法蔵菩薩は、十方すべての人々に念仏の教えを伝えたいと、五劫という長い間思惟されたとあります。
これはブッダの説法躊躇にも似ています。
ブッダが真理に目覚め、その後なぜ説法を躊躇したかというと、真理は言葉によっては表せないことを知っていたからです。しかし、言葉でもってしか衆生に真理を手渡せないのも事実です。できないから止めるということであったら、躊躇する必要はないわけです。そうではなく、しなければならない願いに立ったとき、躊躇から解放されるのです。阿弥陀如来は、五劫の間、衆生を救いたいという願いで思惟されたのです。
永劫の罪業
一方、『歎異抄』十四条では、人間の作りと作る悪業煩悩は、八十億劫の間続いていると出てきます。そんなに長い間作り続けている罪を、はたしてわたしたちは自覚しているでしょうか。
例えば、お釈迦様のお弟子の目連のお母さんが、餓鬼道に落ちた理由をご存じでしょうか。目連ほどの人を育てたお母さんならば、きっとお浄土におられるであろうと想像します。ところが、餓鬼道に落ちて苦しんでおられるというのです。その理由は、目連を生み育てるために、食をむさぼり食べたことにあったというのです。子どもを身籠もった母親は、子どものためにも食べずにはおられません。目連のお母さんはその結果、餓鬼道に落ちたというのです。
ここでいわれる罪とは、われわれの考える倫理道徳的な罪ではなく、人間生存そのものに関わる問題です。よくよく考えてみれば、生きているそのことが罪を作らざるにはおられないというのです。それを仏教では八十億劫の長きに渡って、衆生は罪業を作っているというのです。
改めて、ここでいう罪について述べれば、無自覚な生き方を指すといってよいでしょう。
そうした無自覚な生き方しかできない衆生に対して、どうか真実に目覚め、あなたの一度きりのいのちを生きてほしいと願われたのが阿弥陀如来の誓願です。阿弥陀如来は衆生にそのことを気づかせるため、五劫の長い間思惟されました。その阿弥陀の五劫思惟を「わたし一人のためであった」といただかれた方が親鸞聖人です。
2006年10月33回目
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします(煩悩ずくめの凡夫にとっては、火宅のような無常の世界では真実は無い、ただ念仏だけが真実である)
世間虚仮 唯仏是真
人生には「三つの坂」があるといわれます。「上り坂、下り坂、まさか」だそうです。調子の良いとき悪いときがあるのは、世の常です。そんな中で「まさか」という坂があるというのです。
2006年9月11日は、わたしにとって忘れられない日となりました。
かねてより建設中の庫裡の担当の建設会社が、銀行に不渡りを出し倒産してしまったのです。職人は一気に姿を消しました。向後民事再生の手続きをとるといっていますが、行き先々不安が募ります。たまたま契約の6割入金したのですが、現行の工事の進み具合は、4割程度だそうです。だから、多額の負債になると聞きびっくりしました。このまま工事を継続していくとしたら、さらに総額の7割近く出さなければならないというのです。
もし解約すれば、どこの建設会社が引き受けてくれるのか。まったくわかりません。
姉歯設計士をはじめとする建築会社の不法建築で苦しんでいる人々の悩み苦しみを、他人事と思っていましたが、そのまさかという出来事が自分に降りかかってくるとは夢にも思いませんでした。
建設会社の役員の説明は、川柳の「口癖は 知らない できない 聞いてない」のように、今は「分からない、聞いてない、答えられない」と自分たちの保身に徹した答えのみでした。
したたかに世渡りしながらも、悲哀を感じる一場面でした。
聖徳太子は、「世間虚仮」(世の中のことは、すべて仮のものである)といわれる。親鸞聖人は、「この世は無常であり、すべての事柄は、そらごとたわごとである」といわれるのです。
仏教的に見れば「まさか」は、驚くべきことでも何でもないのです。当たり前のことです。栄えることもあれば、衰えるときもあります。思い通りにならないこともあるでしょう。
仏教では、人間の都合や思いを超えた現実に立つことの大切さを説きます。
ところが、しばしば人間は思いを超えて、身が生きていることをうっかり見失ってしまうこともあります。 川柳に「死にたいと言いつつ赤で止まるおれ」とありました。
年を取るとついくちばしってしまうのが「年は取りたくない、早くおいとまいただきたい、死んだ方がましだ」とかいってしまうようです。しかし、たとえ思いはそうであっても、赤信号になると自然に足が止まるのが身の事実です。そんなに死にたければ、赤信号で突っ込めば車にひかれて死ねるでしょう。しかし身と心は必ずしも一つにならないのが人間です。
負債をおわされた身になれば、相手が憎くなります。しかし、憎しみだけでは人と出会えません。どこかでゆるし合う人間関係が必要です。ただ、わたしたちの思いからは、憎しみはなかなかなくなりません。
聖徳太子は、「唯仏是真」(ただ仏の教えのみが末通る)といわれるのです。
親鸞聖人も「ただ念仏のみが真である」といわれるのです。
それでは、わたしはどうすればいいのでしょうか。
法律は、とかく弱者に対して冷たいものです。
国家も、大手銀行、ダイエーのような大企業の負債は、税金を使って救済します。でも一企業に対しては冷たいものです。
請負業者も負債を抱え大変です。人間模様がよく現れます。さっさと引き上げる業者。この時とばかり値段を突き上げてくる業者。負債を背負いながらも一緒に苦しみを共にしてくれる業者。それぞれです。
そこで改めて、現実の世の中は、常に移り変わっていくことを知らされました。信頼と裏切りは手の裏表のようです。
たとえ百年作ってきた信頼も、たった一つの失敗で裏切られてしまうこともあります。それが人間の世界です。そんな中で、末通る世界、それが念仏の世界です。念仏の世界は、現実に立つことです。決して思いに流されないことです。怒って、泣いて、そして事実に立たされるのです。その事実に立たされたとき、初めて「世間虚仮 唯仏是真」の教えが聞こえてくるのです。
2006年11月34回目
悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。(『教行信証』信の巻)
(悲しいことに、愚禿親鸞は、貪愛・貪欲などの愛欲の広い海に沈み、名誉欲や財産欲などの名聞利養の深い山に迷って、正定聚に入っていることを喜ばず、真実のさとりに近づくことを楽しいとも思わない。恥ずかしく、嘆かわしいことである)
愛欲の広海に沈没
仏教では、愛はしばしば渇愛という言葉で表現されます。ですから人を愛する心というより、むしろものに執着する煩悩の意味を持っているといってもよいでしょう。
「愛欲の広海に沈没」という言葉は、親鸞聖人の苦悩をよく表した言葉だと思います。当寺の比叡山延暦寺をはじめとする多くの寺院では、戒律が重視され、女人禁制がほとんどであったと思います。ですから、精神的身体的を問わず、男女の交わりは禁止されていました。
ただ当寺の比叡山の僧侶の中には、表面はともかく、夜な夜な京の町や坂本の里へ女遊びに出かけ、酒を飲んでいた人もいたかもしれません。
これは歴史的史実ではないでしょうが、親鸞聖人が比叡の麓で一人の女性にあった。その時女性から問われたというのです。
「親鸞さま、わたしも仏の教えを 聞きたいのに、どうして女のわた しは比叡の山には登れないのです か。比叡の山にいるお猿さんや、 キジや生き物すべて雄だけですか。 そんなはずはないでしょう。仏さ まは男も女も平等であるとおっし ゃているでしょう。」
親鸞聖人は、戒律の厳しい比叡の山で修行していたので、その女性の問いに答えることができず、ますます苦しんでいかれたと思います。そのことは、「六角堂夢想偈文」によく表れています。それは「女犯の偈」に観世音菩薩の誓願として
「行者、宿報にてたとえ女犯した としても、わたしは玉女の身とな って犯されましょう。一生のあい だ、よく荘厳して、臨終に引導し て極楽に生まれさせるでしょ う。」
とあります。この文によって、親鸞聖人は、肉時期妻帯を決意され、「非僧非俗」の道を歩まれるのです。 親鸞聖人は、西方浄土を求めて修行する清潔な出家の僧であっても、もし在家の俗人のように犯境に堕すようなことがあれば、破壊し地獄へ落ちてしまう身であると自覚されたのです。
ですから、親鸞聖人は、本当に人間らしく生きるにはどうしたらよいのか考え、慚愧の道として、念仏の道を歩むことを決心されたのです。それは、人間そのものの愛欲煩悩の世俗的生き方を謙虚に引き受けた仏道の歩みでもあったのです。
名利の大山に迷惑
比叡山での親鸞聖人は、堂僧の身分であったようです。当寺比叡山では、大衆(学生)、堂僧とに分かれ、堂僧は堂塔に給仕する雑務を担当する役僧もしていたのですが、親鸞聖人はこの堂衆ではなく、常行三昧堂の不断念仏僧であったと考えられます。いずれにしても、学生より身分は低かったと思われます。『恵信尼消息』によりますと親鸞聖人が「ひへのやまに だうそう つとめておわしましける」とあり、親鸞聖人の比叡山での地位は堂僧であったと思われます。
いつの世でも、人間は優劣に悩まされるものです。親鸞聖人も人の子です。他人のことが気にかかったでしょう。勉学も修行もろくにしなくても、天皇の子息であるということで出世していった人もいたかもしれません。あるいは人の悪口や中傷にあけくれる人間関係に嫌気がさしたかもしれません。いずれにしても人間の持っている名利心に悩まされたと思われます。
恥べし傷むべし
親鸞聖人は、すでに救われてある身でありながらなお現れる煩悩の根深さを自覚して、「恥べし傷むべし」といわれるのである。恥じ入る心、他人と痛みを共有する心、現代人は無感覚になっていると思います。親鸞聖人は、他人との比較と、現実に出てくる欲望と闘いながら、それを誤魔化さず、自らの内に問い続けていかれたのです。救われないから悩むのではなく、救われてある確信に触れながら、なおかつ救われ難き我が身の自覚にたたれたのが親鸞聖人です。
今わたしたちは親鸞聖人のかかえられた、愛欲と名利の大きな課題にどう答えていったらよいでしょうか。 改めて、親鸞聖人の「恥べし傷むべし」の心を訪ねていきたいと思います。