| 石田吉貞『隠者の文学 苦悶する美』(03年7月4日読了) 隠者とは何か、という原理的な定義を経て、西行、鴨長明、吉田兼好、連歌、茶のそれぞれの美の特質に世間からの離脱を読む。特に「わび」「さび」は禅ではないという著者の論理は明快で、日本文化の隅々にまで〈禅〉の影響を見てしまう鈴木大拙への批判も頷ける。すなわち禅は自己を捨てて真理を探究しようとするが、寺の生活は決して孤独ではない。隠者は孤独を求めつつ同時に「美」を追求するのであり、このような生活の中でも許される「美」が「わび」や「さび」なのであった。また禅は只管打坐によって真理を悟ろうとするのだが、隠者は自然の中で自然に没入しようとする。禅と「わび」「さび」を峻別する著者の姿勢は厳しい。 もちろん、本書は論争の書ではない。個々の作品への注釈、作家の評伝にこそその眼目がある。西行や兼行への隠者という観点からの切り込みも興味深いが、いちばん感動的なのは連歌師・救済(ぐさい)の句への注釈であろう。 うき別れをばしばしとどめよ ふるさとの山遠くなる湊舟 ふりぬる館に秋も知られて 主もなき浦のすて舟月のせて このような世界を、著者は「さびさびとした美」と表現している。 中世の隠遁への憧れを再構成して、本書も「さびさびとした美」しい一冊になっている。 (講談社学術文庫 2001年11月10日発行 親本は1969年1月塙書房刊) 書評に戻る 武庫川通信に戻る |